(前回からのつづき)
枕崎の路地裏に、「四元もち屋」という店がある。 この店、鹿児島市からもわざわざ買いに来る人がいるほどの知る人ぞ知る店で、特に一番人気の大福は午前中には売り切れてしまう。この前初めて大福を買いに行ったのだが、昼過ぎに行ったらやはり大福は売り切れていて、その大福を未だに食べられないでいる。しょうがないので二番人気(たぶん)の「かからん団子」(鹿児島の郷土菓子)を買って帰った。
この店の風貌は、今風の経営学とは対極にある。看板らしい看板もなく、知っている人しかその存在に気づかない。失礼な言い方だが薄汚れたような店内、というか店内というほどのスペースもなく、古ぼけたショーケースに「かからん団子」と「唐芋団子」が並んでいるだけ。しかも、値札どころか商品名の表示もなく、それはぶっきらぼうに置かれていて、「展示」されているわけでもない。
この店はおじいさんが一人で切り盛りしているらしい。長々と働いてきたことが一目でわかる、そんなゴツゴツした手をしている老店主である。
「かからん団子を四つ」と注文したら、その手で薄い緑色の紙に団子を4つおもむろに包んでくれた。この包み方がまた素朴でよい。確か4つで250円くらいだったような…。注文して初めて1つ60〜70円であることがわかる。倍くらい買っておけばよかった。
家に帰って食べてみたら、すごく美味しい。よもぎ団子の味が濃厚で、しかも口当たりがやわらかい。子どもたちも手をべたべたにしながら喜んで食べた。だけど「かからん団子」としては奇を衒わないごく普通の美味しさで、他の店では食べられないような、特別な美味というわけではない。では、どうしてこの店はわざわざ遠方からお客が訪れるような店なんだろうか。
一つには、 口コミということがある。「四元もち屋」を検索するとブログの記事がたくさん見つかる。一度評判が確立するとそれによってお客さんが寄ってきて、口コミによってまた新たな顧客を呼び寄せる。だけど内実が伴っていなければ、それも一過性のもので終わるだろう。長く人気を保つには、やはりその店の魅力がちゃんとなければならない。
では「四元もち屋」の魅力はなんだろう。商品の美味しさはもちろんだが、それと同時に、この朴訥な店構えというのが、やはり大きな魅力であるような気がする。大福そのものだけなら、他にも美味しい店がたくさんあるだろう(私はまだここの大福を食べていないので想像だが)。でも、この路地裏で密やかに、朴訥に作られている大福は、それだけで価値があるように思う。ここの店でおもちを買うのは、なんだか特別な感じがするのである。
その「特別な感じ」を、これまでの経営学では真似することができない。「商品のコンセプトを定め、マーケティングを行い、商品のターゲットを明確にして、試作を繰り返し、その上でコンセプトを見直し、それに沿ったパッケージと内容のデザインを行う」という「鹿児島の食とデザイン」のやり方は、教科書的には非の打ち所がないものだが、それではどうやっても「四元もち屋」に到達することはできないのである。というより、そういう教科書的なやり方では到達できないことが直観的に分かるから、「四元もち屋」は特別なのだ。
もちろん、だからといって教科書的なやり方を否定はしない。セオリー通りのやり方ですら満足にできないローカル企業はたくさんある。これからの時代、堅実な経営をしていくためには教科書を紐解くのも必要だ。しかし、「鹿児島の食とデザイン」の元々の発想は、「鹿児島の食品をもっと外(都会)に売っていこう」というところにあるはずだ。その時に、都会には既に溢れている「教科書的に優れた商品」を創り出すことは目的に適っているのか、ということが私の疑問である。
洒落たお土産商品も確かに求められてはいる。でも、そういうものよりもずっと、「四元もち屋」的なるものを都会の人は田舎に求めているものではないだろうか。消費社会の中で「消費」されていく「商品」ではなく、老店主が朴訥とつくる美味だが平凡な食べものの方が、都会の人にとっての贅沢ではないだろうか。そういうものこそ、都会では手に入らないものだからである。
「四元もち屋」は一見貧乏風の鄙びたお店だが、贅沢の発展段階で言う「精神的なもの」に位置するような、最高度の贅沢が味わえる店かもしれない。つまりここのお菓子は、利休が好ましいと思った「柚味噌」的なるものだ。都会の消費者にものを売っていくためには、教科書的に優れている「質的」「外面的」なものよりも、そういう「精神的なもの」までも見据えなくてはならないのではないだろうか。
鹿児島県民はアピール下手だとよく言われる。確かに鹿児島の人は売り込みが得意でない。鹿児島にはステキなものがたくさんあると思うが、そうしたものがほとんど取り上げられることのないまま、対外的には「西郷、焼酎、桜島」だけの県だと思われている。残念なことだ。「鹿児島の食とデザイン」はそういう鹿児島県民に、もう少し「お客様目線」を身につけさせて、鹿児島の食を売り込ませていく取り組みでもあるのだろう。これはこれで必要なことである。
しかし、鹿児島にある最良の部分をよく見てみると、そのアピール下手はむしろ強みなのかもしれないと思えてくる。朴訥で、地味で、声高に訴えないからこそ生まれる価値がそこにある。静かに存在しているという鄙びた店の方が、ずっと都会の人に価値を提供できると思う。別にそれが、侘び茶人たちのように高尚な哲学に基づいて侘びているのでなかったとしてもだ。というより、侘び茶人たちが追い求めた「侘び」は結局は作られた「侘び」でしかなかった。鹿児島の田舎なら、自然体で侘びることが出来る。
今の時代、「アピール」はあふれかえっている。どこもかしこも自画自賛だらけだ。他社の商品と比べて何が優れているか、それをわかりやすく伝えることがデザインの一つの役割かもしれない。そして「お客様」の気を引くためにも、いろいろな工夫が施されている。でも「四元もち屋」の商品はどうだろう。商品開発において最重要項目とされる「商品名」すら掲示されていない。パッケージもない。なぜそれに人は惹かれるのか。
アピールはもうたくさんだ、そういう気持ちがどこかにあるような気がする。消費させられることに疲れている部分があるような気がする。今の時代に必要なのは、アピールではなくむしろ「謙抑(けんよく)」ではないのか? そう考えれば、鹿児島県民のアピール下手は、克服すべき弱点ではない。大事にするべき平凡で静かな暮らしを、安売りすることなく守ってきた美徳ではないのか。
そういう観点で、これからの「鹿児島の食とデザイン」を考えてみたらどうなるだろう。アピールではなく謙抑のデザインを。「こんなものしかなくてすいません」という気持ちで人様にお出しできるような、そういう控えめな気持ちで出せるデザインを。おしゃれな「商品」ではなく、暮らしの中に生きているもののデザインを。「デザイン」をしないデザインを!
たぶん、そういうものは素晴らしくステキだが、でもきっと売り上げは少ない。やっぱり、声高に優れた点を叫ぶ商品の方が、売れるのが現実である。積極的に営業をかける商品の方が、売れるのは当たり前だ。それが健全な企業努力の成果である。でも、少ない売り上げでもやっていける、というのが田舎のいいところでもある。目先の売り上げのことはさておき、少しゆったりとした気持ちで鹿児島の「売らないデザイン」を創っていくのも悪くないと思う。そしてそれが、これから都会の人に本当に求められるものになるんだと私は思っている。
2015年12月15日火曜日
2015年12月3日木曜日
侘び茶と「鹿児島の食とデザイン」
「鹿児島の食とデザイン」という鹿児島県がやっているプロジェクトがある。平たく言えば「鹿児島の加工食品は美味しくてもデザインがダサいものが多いから、もっとしゃれたデザインにしていきましょう」というもので、セミナーとか講座とか、様々なプログラムによって構成されている。
確かに鹿児島の製品は、食品に限らずあか抜けないものが多い。先日このプロジェクトを企画した県の人の話を直接伺う機会があり、正直いうと最初はちょっと眉唾で聞いていたのだが、全く仰る通りな内容であった。ごく簡単に紹介すると、
例えば、鹿児島の昔ながらのお菓子「げたんは」(九州の各県でいうところの「黒棒」)はもはや鹿児島の若い世代ではあまり食べられていない。その理由は、ベタベタしていて味が今っぽくない(甘すぎる)ということもあるし、一袋に食べきれないくらい入っていてしかも一つが大きいということもある。もちろんパッケージもあか抜けない。要するに消費者のことを余り考えていないように見える(ごめんなさい南海堂さん!)。
こういうちょっと残念な商品を見ると、経営を学んだような人は、「昔ながらの郷土菓子という知名度とブランドがあるのだから、食べやすい形態にして内容量を少なくして若者向けのデザインに変え、都会の人にアピールすればきっと売り上げが伸びるはずだ!」と考えるのも無理はないと思う。いや、私自身が真っ先にそういうことを言いそうなキャラである。
でもそう言いたくなるところをぐっと我慢して、敢えて「鹿児島の食とデザイン」の思想にささやかながら異議を申し立ててみようと思う。私はこう見えて天の邪鬼(あまのじゃく)なのだ。
・・・・・・さて、話が随分飛ぶが、元禄時代に書かれた『茶話指月集』という本に、千利休の逸話が載せられている。こういうものだ。
侘び茶においては、有り合わせはよいが、似つかわしくないものは出さない方がよい)」と結ばれている。 確かに侘び茶の世界に「上等なカマボコ」は似合わない。でもなぜ似合わないんだろうか?
「侘び茶」というのは、元来の意味は「社会的地位が低い、貧乏茶人の茶の湯」ということだったらしく、次第に「世俗的な世界から抜け出し、清浄な境地で楽しむ簡素で精神的な茶の湯」というような意味になってきた。でも私なりに言えば、「侘び」というのは「侘びる」という言葉があるように、「こんなものしかなくてすいません」という申し訳なく思う心を表すもので、それに対して客が「いえいえ、贅沢なものよりも、心ばかりの持てなしが一番有り難いんですよ」と応えるものが「侘び茶」であると思う。
それなのに、「これは大阪から取り寄せた高級カマボコです! どうでしょう、美味いですよね!」みたいな態度が出たから、利休は興ざめて帰ってしまったんだと思う。それは全然「侘び」ていないのである。
贅沢というものは、量的なものから質的なものへ、外面的なものから精神的なものへとだんだん発展していくものである。「侘び茶」はこの贅沢の最終段階に位置していて、一見簡素で貧乏風の茶の湯であるが、その内実は最高度に贅を尽くしたものである。高級カマボコよりも、その場でしつらえた柚味噌の方が実は遙かに有り難いものだという認識がここにある。
利休自身は大・大・大金持ちで、秀吉に取り立てられ社会的な身分も非常に高かった。そういう人が、「こんなものしかなくてすいません」という境地に至るためには、自然とお金では手に入れられない価値を至高のものとして追求する姿勢にならざるを得ない。使う道具一つとっても、吟味に吟味を重ね、そこに金では買えない精神性があるか——、というギリギリの美意識の勝負になる。そうでなくては、大金持ちが「こんなものしかなくてすいません」といってもまるっきり嘘っぱちになる。そういう利休だったから、亭主が出したカマボコ、というよりカマボコを出す亭主の態度には我慢がならなかった。
話を戻して鹿児島の郷土菓子というものは、先ほどの贅沢の発展段階でいえばまだ「量的なもの」の段階に位置しており、「げたんは」などは「大きければ大きい方がよい。甘ければ甘い方がよい」みたいな部分がある。「鹿児島の食とデザイン」は、これを「質的なものへ(味を洗練させよう)」「外面的なものへ(パッケージをおしゃれに)」という方向へ導くものだと言えよう。当然の流れである。
しかし、私自身、最近作られたしゃれた加工品を見ると、あまり触手が伸びないことが多い。もちろん、おしゃれなパッケージは好ましいし、興味も湧く。新しい取組をしていること自体に好感も持つ。というより、「南薩の田舎暮らし」自身がそういう方向性で商品を作っている。でもなぜか、桜井製菓の「アイスキャンデー」(冒頭写真)とか、とも屋の「マドレーヌ」とか、そういうちょっとあか抜けない商品の方に心が惹かれる自分がいる。
そして、「こんなものしかなくてすいません」という気持ちでお客に出すのなら、今のままで十分に魅力的なものが田舎には溢れている。大浦ふるさとくじら館で売っているふくれ菓子の「福麗女房(フクレカカ)」なんか、田んぼのあぜ道で食べるものとしては最高に美味しい。 鹿児島の各地で売ってる「かからん団子」なんか私は大好きである。でもそういうものを、都会から来たお客に「鹿児島の郷土菓子は美味しいでしょう!?」という自慢げな態度で出したらやっぱり興ざめするような気がする。こういうものは「こんなものしかなくてすいません」という調子で出されると、「意外と美味しいじゃん!」となるものだ。そんなもの態度の問題じゃないか、と思うかもしれないが、そこにものの価値の本質があると私は思う。
そして一方で、都市部には既におしゃれで機能的な製品が溢れている。消費者のことをよく考えた、練りに練られた商品がよりどりみどりである。「鹿児島の食とデザイン」は、鹿児島ローカルな食品企業もこうした商品と同じ土俵で勝負して行きなさいという叱咤激励でもあるだろう。
でも本当に、そういうものと同じ土俵で勝負していいんだろうか? ここはせっかく日本の端っこなのに、都市部と同じ「消費社会」の論理で動いて「商品」を作っていいんだろうか? 私はそれが、利休が嫌悪した「上等なカマボコ」を作る方向に行くのではないかと危惧する。ここにはせっかく最高級の贅沢である「柚味噌」を作る環境があるというのに。
利休が「上等なカマボコ」で興ざめたのは、本質的には「上等なカマボコ」が金さえ出せば手に入るものだからだろう。一方、庭に生えていた柚子で作る柚味噌は、柚子のシーズンにしか出来ないもので、季節外れだったら千金を積んでも作ることはできない。そういう「その場、その時」でないとできないもてなしだったから、利休は最初それに喜んだ。それが消費社会における「商品」ではなかったから、最高級の贅沢になりえたのである。
私が「鹿児島の食とデザイン」に僅かに危惧するのは、それが都会の消費社会に迎合するものだからである。だいたい、田舎で売られている魅力ある商品というものは、そもそも消費社会とは違う論理で作られた部分にその良さがあるのではないかと思う。デザインだけに限っても、何十年も変わらない、今風でないちょっとネジが緩んだようなパッケージなんかを見ると、ほっこりした気分になるのは私だけではないはずだ。そういうのこそ、都会では既に絶滅してしまってもう目にすることができない貴重なデザインで、それを今風デザインに変えることは、短期的には売り上げが伸びるかもしれないが、そのかけがえのない部分を自ら捨て去ってしまうことになりそうな気がする。
でもだからといって、ローカル企業はこれまで通りやっていればよいわけでもない。 事実郷土菓子の売り上げが落ちているとするなら、それで生きている企業はやはり何らかの手を打たなければならないからだ。問題は、売り上げを挽回させようとするとき、消費社会の論理で動くMBA(経営学修士号)式のやり方で、本当に田舎ならではの価値を生み出せるのかということだ。
(つづく)
確かに鹿児島の製品は、食品に限らずあか抜けないものが多い。先日このプロジェクトを企画した県の人の話を直接伺う機会があり、正直いうと最初はちょっと眉唾で聞いていたのだが、全く仰る通りな内容であった。ごく簡単に紹介すると、
- 鹿児島のこれまでの加工食品は、作れば売れるという安易な発想で作られたものが多かった。これまではそれでもある程度売れた。
- でもこれからは人口減少等で食品消費が落ち込んでいくので、これまで買ってくれていた(主に高齢の)消費者をアテにしていては危うい。都会の消費者に向けた商品が必要である。
- 今後の商品開発においては、商品のコンセプトを定め、マーケティングを行い、商品のターゲットを明確にして、試作を繰り返し、その上でコンセプトを見直し、それに沿ったパッケージと内容のデザインを行い、粘り強く営業をしていく必要がある。
- しかもその各段階において、社内だけで検討するのではなく、プロの力を借りたりモニターの意見を聞いたりするべきである。
- 内容を変えずパッケージだけを新しくする場合も、ただお洒落にしようということではなく、誰を新しい消費者と考えてそれを販売していくのか考え、消費者の目線でデザインを再考すること。
例えば、鹿児島の昔ながらのお菓子「げたんは」(九州の各県でいうところの「黒棒」)はもはや鹿児島の若い世代ではあまり食べられていない。その理由は、ベタベタしていて味が今っぽくない(甘すぎる)ということもあるし、一袋に食べきれないくらい入っていてしかも一つが大きいということもある。もちろんパッケージもあか抜けない。要するに消費者のことを余り考えていないように見える(ごめんなさい南海堂さん!)。
こういうちょっと残念な商品を見ると、経営を学んだような人は、「昔ながらの郷土菓子という知名度とブランドがあるのだから、食べやすい形態にして内容量を少なくして若者向けのデザインに変え、都会の人にアピールすればきっと売り上げが伸びるはずだ!」と考えるのも無理はないと思う。いや、私自身が真っ先にそういうことを言いそうなキャラである。
でもそう言いたくなるところをぐっと我慢して、敢えて「鹿児島の食とデザイン」の思想にささやかながら異議を申し立ててみようと思う。私はこう見えて天の邪鬼(あまのじゃく)なのだ。
・・・・・・さて、話が随分飛ぶが、元禄時代に書かれた『茶話指月集』という本に、千利休の逸話が載せられている。こういうものだ。
森口(京都と大阪の間)というところに一人の佗び茶人があると聞きつけて、利休はいつか伺いますと約束していた。
ある冬の夜更け、利休は用事で京都に行くついでにその人を突然訪問した。亭主は喜んで利休を出迎え、利休もその侘びた佇まいに好感を持った。主人は(急な訪問だから十分なものがないからということで)庭にあった柚を取ってきて柚味噌をしつらえた。
利休はこの「侘びのもてなし」を大層喜んで、共に酒を傾けたが、次に主人は「大阪から取り寄せました」と言って上等なカマボコを出したので、利休は「さては誰かが私が来ると知らせて準備していたのだろう。ということは先ほどの対応はわざとだったか」と興ざめて、主人が引き留めるのも聞かずさっさと帰ってしまった。この話は「されば、侘びては、有り合わせたりとも、にげなき物は出さぬがよきなり(
侘び茶においては、有り合わせはよいが、似つかわしくないものは出さない方がよい)」と結ばれている。 確かに侘び茶の世界に「上等なカマボコ」は似合わない。でもなぜ似合わないんだろうか?
「侘び茶」というのは、元来の意味は「社会的地位が低い、貧乏茶人の茶の湯」ということだったらしく、次第に「世俗的な世界から抜け出し、清浄な境地で楽しむ簡素で精神的な茶の湯」というような意味になってきた。でも私なりに言えば、「侘び」というのは「侘びる」という言葉があるように、「こんなものしかなくてすいません」という申し訳なく思う心を表すもので、それに対して客が「いえいえ、贅沢なものよりも、心ばかりの持てなしが一番有り難いんですよ」と応えるものが「侘び茶」であると思う。
それなのに、「これは大阪から取り寄せた高級カマボコです! どうでしょう、美味いですよね!」みたいな態度が出たから、利休は興ざめて帰ってしまったんだと思う。それは全然「侘び」ていないのである。
贅沢というものは、量的なものから質的なものへ、外面的なものから精神的なものへとだんだん発展していくものである。「侘び茶」はこの贅沢の最終段階に位置していて、一見簡素で貧乏風の茶の湯であるが、その内実は最高度に贅を尽くしたものである。高級カマボコよりも、その場でしつらえた柚味噌の方が実は遙かに有り難いものだという認識がここにある。
利休自身は大・大・大金持ちで、秀吉に取り立てられ社会的な身分も非常に高かった。そういう人が、「こんなものしかなくてすいません」という境地に至るためには、自然とお金では手に入れられない価値を至高のものとして追求する姿勢にならざるを得ない。使う道具一つとっても、吟味に吟味を重ね、そこに金では買えない精神性があるか——、というギリギリの美意識の勝負になる。そうでなくては、大金持ちが「こんなものしかなくてすいません」といってもまるっきり嘘っぱちになる。そういう利休だったから、亭主が出したカマボコ、というよりカマボコを出す亭主の態度には我慢がならなかった。
話を戻して鹿児島の郷土菓子というものは、先ほどの贅沢の発展段階でいえばまだ「量的なもの」の段階に位置しており、「げたんは」などは「大きければ大きい方がよい。甘ければ甘い方がよい」みたいな部分がある。「鹿児島の食とデザイン」は、これを「質的なものへ(味を洗練させよう)」「外面的なものへ(パッケージをおしゃれに)」という方向へ導くものだと言えよう。当然の流れである。
しかし、私自身、最近作られたしゃれた加工品を見ると、あまり触手が伸びないことが多い。もちろん、おしゃれなパッケージは好ましいし、興味も湧く。新しい取組をしていること自体に好感も持つ。というより、「南薩の田舎暮らし」自身がそういう方向性で商品を作っている。でもなぜか、桜井製菓の「アイスキャンデー」(冒頭写真)とか、とも屋の「マドレーヌ」とか、そういうちょっとあか抜けない商品の方に心が惹かれる自分がいる。
そして、「こんなものしかなくてすいません」という気持ちでお客に出すのなら、今のままで十分に魅力的なものが田舎には溢れている。大浦ふるさとくじら館で売っているふくれ菓子の「福麗女房(フクレカカ)」なんか、田んぼのあぜ道で食べるものとしては最高に美味しい。 鹿児島の各地で売ってる「かからん団子」なんか私は大好きである。でもそういうものを、都会から来たお客に「鹿児島の郷土菓子は美味しいでしょう!?」という自慢げな態度で出したらやっぱり興ざめするような気がする。こういうものは「こんなものしかなくてすいません」という調子で出されると、「意外と美味しいじゃん!」となるものだ。そんなもの態度の問題じゃないか、と思うかもしれないが、そこにものの価値の本質があると私は思う。
そして一方で、都市部には既におしゃれで機能的な製品が溢れている。消費者のことをよく考えた、練りに練られた商品がよりどりみどりである。「鹿児島の食とデザイン」は、鹿児島ローカルな食品企業もこうした商品と同じ土俵で勝負して行きなさいという叱咤激励でもあるだろう。
でも本当に、そういうものと同じ土俵で勝負していいんだろうか? ここはせっかく日本の端っこなのに、都市部と同じ「消費社会」の論理で動いて「商品」を作っていいんだろうか? 私はそれが、利休が嫌悪した「上等なカマボコ」を作る方向に行くのではないかと危惧する。ここにはせっかく最高級の贅沢である「柚味噌」を作る環境があるというのに。
利休が「上等なカマボコ」で興ざめたのは、本質的には「上等なカマボコ」が金さえ出せば手に入るものだからだろう。一方、庭に生えていた柚子で作る柚味噌は、柚子のシーズンにしか出来ないもので、季節外れだったら千金を積んでも作ることはできない。そういう「その場、その時」でないとできないもてなしだったから、利休は最初それに喜んだ。それが消費社会における「商品」ではなかったから、最高級の贅沢になりえたのである。
私が「鹿児島の食とデザイン」に僅かに危惧するのは、それが都会の消費社会に迎合するものだからである。だいたい、田舎で売られている魅力ある商品というものは、そもそも消費社会とは違う論理で作られた部分にその良さがあるのではないかと思う。デザインだけに限っても、何十年も変わらない、今風でないちょっとネジが緩んだようなパッケージなんかを見ると、ほっこりした気分になるのは私だけではないはずだ。そういうのこそ、都会では既に絶滅してしまってもう目にすることができない貴重なデザインで、それを今風デザインに変えることは、短期的には売り上げが伸びるかもしれないが、そのかけがえのない部分を自ら捨て去ってしまうことになりそうな気がする。
でもだからといって、ローカル企業はこれまで通りやっていればよいわけでもない。 事実郷土菓子の売り上げが落ちているとするなら、それで生きている企業はやはり何らかの手を打たなければならないからだ。問題は、売り上げを挽回させようとするとき、消費社会の論理で動くMBA(経営学修士号)式のやり方で、本当に田舎ならではの価値を生み出せるのかということだ。
(つづく)
2015年12月1日火曜日
「積ん読ナイト」に参加して
先日、「積ん読ナイト」という催しに参加した。
積ん読している本について語り合おうという変わった会である。「海の見える美術館で珈琲を飲む会 vol.2」にも出店いただいた「つばめ文庫」の店主さんに誘われて二つ返事でOKし、この前夜中に天文館の某所に行ってきた。
これが、読んだ本について語り合う会だったら、もしかしたら行っていなかったのではないかと思う。私にとって、読んだ本をオススメし合う会よりも、読んでない本について語る会の方がよほどクールなものだ。
会では「買ったけど難しくて挫折した」といったような真面目な理由で積ん読されている本が多かったようだが、 私はそもそも、買った本は読むべきもの、とは思っていない。もちろん買ったのなら読むに越したことはないが、それは冷蔵庫の野菜は使い切った方がよいというレベルの話であり、無駄はない方がよいということに過ぎない。
でも、無駄はない方がよい、ということを考えるなら、そもそも読書自体が無駄であって、本なんか読まない方がよほどスマートである。「本はためになる」「本で勉強できる」「本は感動する」「本で心が豊かになる」といったたくさんの反論が予想されるが、これまでの経験で言うと、読書家に「知識が豊富で心が豊かな人」が多いかというとそうでもない。
もちろんほとんど読書をしないで知識が豊富な人というのはかなり珍しいので、知識を求めるなら読書は有用であるが、大抵、読書によって仕入れる知識のほとんどはそもそも無駄である。そして、ついでに言うと読書によって仕入れる知識はとても危険であり、本当は賢くなっていないのに、なんだか賢くなった気がするという読書の逆効用を常に気をつけていないといけない。本当に知識が欲しいなら、かなり心して体系的な読書を心がけないと、生兵法は怪我の元で、読まない方がマシだったということになりかねない。
そして、もっと心してかかるべきなのは、読書は知性を彫琢するという思い込みである。読書家には知的な人が多い。これは確かである。だからと言って誤解してはならないのは、人はなかなか読書だけでは知的になることはできないということだ。それどころか、読書は時として人を高慢にし、悟ったような気持ちにさせ、中庸を見失いがちになり、その割に人を怯懦にさえさせる。このあたりは、中島 敦が『山月記』に余すところなく描いている通りである。もちろんあの話は読書に限った話ではないが、読書には李徴を虎に変身させたのと同じ力が秘められている。
本当に知識が欲しいなら、読書よりも誰かについて勉強するほうが確かだし、知性を陶冶したいなら読書はむしろ危険でさえある。人を真の意味で知的にするものは行動と経験だけで、読書はそれに添えられたスパイス的な働きをするに過ぎない。要するに、知的なものを求めて行う読書というのはあまり意味がない。私は、長く「読書など知識人にとってのパチンコである」と思っていた。パチンコは低俗なもので、読書は高尚なものだ、というのは思い込みである。
だからといって私が読書を敵視しているかというと、もちろんそんなことはない。それどころか、読書はすごく好きである。いや、正直に言えば、本がない生活というのは、(今までそんなことがなかったので想像だが)耐えられない。
でも、「読書って素晴らしいよね!」という屈託ない思いで読書に向き合うことができないというのが私のような中途半端な知識人の悲しいところで、いつも「本なんか読んですいません」という気持ちで読書している。それあたかも、こっそりとパチンコに行くオヤジさんのような気持ちである。 読書なんて無駄な活動をして申し訳ない! ほとんど収入もないというのに!
それはさておき、そういう考えでいくと、積ん読は無駄でもなんでもない。むしろ読書に費やされたかもしれない時間で何か他の活動をしているわけだから、無駄の削減でさえある。だいたい超人的な博覧強記でもない限り、読書内容の99.9%は忘れる。しばしばその本を読んだのかどうかさえ忘れる。積ん読は、そういう99.9%を削減する素晴らしい方策である。…というのはジョークだが、積ん読を悪びれる必要は全然ないのだ。
それに、どの本を購入するかということを、自分の取捨選択だと考えているうちはまだ読書の高慢さに捕らわれていると思った方がよい。本当のところは、本の方があなたを選ぶのである。例えば、それは捨て猫に出会ってやむなくそれを家に連れて帰るようなもので、実際には購入者の方には選択肢があんまりない。その本と目があってしまったら、それはその本があなたを選んだということで、その本を読みたいかどうかということはさておいて、とりあえず家の本棚という居心地のよいところで、その本を休ませてあげなくてはならない。撫でたり眺めたりした後で、読みたくなったら読めばよいし、そうでもなかったら遠慮なく積ん読しておいたらよい。あなたは今やその本の保護者である。
本が溢れている現在はそういう気持ちでいる人が少ないが、本が超貴重品だった前近代社会においては、本は所有するものでなく保護するものだったと私は思う。でも今でも、本というものはちゃんと保護していないと意外とすぐに死に絶えてしまうもので、本は常に絶滅危惧種である。特にいい本こそ生命力は弱いので、見かけた時に買っておかないと、次はない、という場合だって一度や二度ではないのである。
読む暇も 知力もなくても よい本は、積ん読してでも 家に置くべし(短歌)。
ということなのだ。そういう考えの私であるから、「積ん読ナイト」は大変興味深いイベントだった。といっても、もちろんそれは「積ん読最高!」というようなひねたイベントではなく、その中身はごく健全なもので、私のような毒気がある人もおらず(たぶん)、私自身が読書に対して改めて清新な考えで向き合うきっかけになったと思う。
思えば、ド田舎に移住してきてから、私の読書に対するスタンスも少しずつ変わってきた気がする。
「読書など知識人にとってのパチンコである」というのも、未だにそういう思いはあるが、それは、そもそも読書の主体に「知識人」しか想定していない狭量な考えであったと反省する。読書は万人に開かれたものであるし、読書は単なるエンタメに過ぎないとしても、その楽しみを追求することに罪悪感を覚える必要はないのだろう。
そういう心境の変化があって、「海の見える美術館で珈琲を飲む会」にも古本屋を呼ぶことになったと(今になってみれば)思うし、このタイミングで「積ん読ナイト」という本のイベントに参加できたことはよかった。これから少し、本についても前向きに人生に取り込んでいこうと思う。
蛇足。ちなみに私が持参したとっておきの積ん読本3冊は次の通り。なぜこれらが積ん読になっているのかは秘密です。
積ん読している本について語り合おうという変わった会である。「海の見える美術館で珈琲を飲む会 vol.2」にも出店いただいた「つばめ文庫」の店主さんに誘われて二つ返事でOKし、この前夜中に天文館の某所に行ってきた。
これが、読んだ本について語り合う会だったら、もしかしたら行っていなかったのではないかと思う。私にとって、読んだ本をオススメし合う会よりも、読んでない本について語る会の方がよほどクールなものだ。
会では「買ったけど難しくて挫折した」といったような真面目な理由で積ん読されている本が多かったようだが、 私はそもそも、買った本は読むべきもの、とは思っていない。もちろん買ったのなら読むに越したことはないが、それは冷蔵庫の野菜は使い切った方がよいというレベルの話であり、無駄はない方がよいということに過ぎない。
でも、無駄はない方がよい、ということを考えるなら、そもそも読書自体が無駄であって、本なんか読まない方がよほどスマートである。「本はためになる」「本で勉強できる」「本は感動する」「本で心が豊かになる」といったたくさんの反論が予想されるが、これまでの経験で言うと、読書家に「知識が豊富で心が豊かな人」が多いかというとそうでもない。
もちろんほとんど読書をしないで知識が豊富な人というのはかなり珍しいので、知識を求めるなら読書は有用であるが、大抵、読書によって仕入れる知識のほとんどはそもそも無駄である。そして、ついでに言うと読書によって仕入れる知識はとても危険であり、本当は賢くなっていないのに、なんだか賢くなった気がするという読書の逆効用を常に気をつけていないといけない。本当に知識が欲しいなら、かなり心して体系的な読書を心がけないと、生兵法は怪我の元で、読まない方がマシだったということになりかねない。
そして、もっと心してかかるべきなのは、読書は知性を彫琢するという思い込みである。読書家には知的な人が多い。これは確かである。だからと言って誤解してはならないのは、人はなかなか読書だけでは知的になることはできないということだ。それどころか、読書は時として人を高慢にし、悟ったような気持ちにさせ、中庸を見失いがちになり、その割に人を怯懦にさえさせる。このあたりは、中島 敦が『山月記』に余すところなく描いている通りである。もちろんあの話は読書に限った話ではないが、読書には李徴を虎に変身させたのと同じ力が秘められている。
本当に知識が欲しいなら、読書よりも誰かについて勉強するほうが確かだし、知性を陶冶したいなら読書はむしろ危険でさえある。人を真の意味で知的にするものは行動と経験だけで、読書はそれに添えられたスパイス的な働きをするに過ぎない。要するに、知的なものを求めて行う読書というのはあまり意味がない。私は、長く「読書など知識人にとってのパチンコである」と思っていた。パチンコは低俗なもので、読書は高尚なものだ、というのは思い込みである。
だからといって私が読書を敵視しているかというと、もちろんそんなことはない。それどころか、読書はすごく好きである。いや、正直に言えば、本がない生活というのは、(今までそんなことがなかったので想像だが)耐えられない。
でも、「読書って素晴らしいよね!」という屈託ない思いで読書に向き合うことができないというのが私のような中途半端な知識人の悲しいところで、いつも「本なんか読んですいません」という気持ちで読書している。それあたかも、こっそりとパチンコに行くオヤジさんのような気持ちである。 読書なんて無駄な活動をして申し訳ない! ほとんど収入もないというのに!
それはさておき、そういう考えでいくと、積ん読は無駄でもなんでもない。むしろ読書に費やされたかもしれない時間で何か他の活動をしているわけだから、無駄の削減でさえある。だいたい超人的な博覧強記でもない限り、読書内容の99.9%は忘れる。しばしばその本を読んだのかどうかさえ忘れる。積ん読は、そういう99.9%を削減する素晴らしい方策である。…というのはジョークだが、積ん読を悪びれる必要は全然ないのだ。
それに、どの本を購入するかということを、自分の取捨選択だと考えているうちはまだ読書の高慢さに捕らわれていると思った方がよい。本当のところは、本の方があなたを選ぶのである。例えば、それは捨て猫に出会ってやむなくそれを家に連れて帰るようなもので、実際には購入者の方には選択肢があんまりない。その本と目があってしまったら、それはその本があなたを選んだということで、その本を読みたいかどうかということはさておいて、とりあえず家の本棚という居心地のよいところで、その本を休ませてあげなくてはならない。撫でたり眺めたりした後で、読みたくなったら読めばよいし、そうでもなかったら遠慮なく積ん読しておいたらよい。あなたは今やその本の保護者である。
本が溢れている現在はそういう気持ちでいる人が少ないが、本が超貴重品だった前近代社会においては、本は所有するものでなく保護するものだったと私は思う。でも今でも、本というものはちゃんと保護していないと意外とすぐに死に絶えてしまうもので、本は常に絶滅危惧種である。特にいい本こそ生命力は弱いので、見かけた時に買っておかないと、次はない、という場合だって一度や二度ではないのである。
読む暇も 知力もなくても よい本は、積ん読してでも 家に置くべし(短歌)。
ということなのだ。そういう考えの私であるから、「積ん読ナイト」は大変興味深いイベントだった。といっても、もちろんそれは「積ん読最高!」というようなひねたイベントではなく、その中身はごく健全なもので、私のような毒気がある人もおらず(たぶん)、私自身が読書に対して改めて清新な考えで向き合うきっかけになったと思う。
思えば、ド田舎に移住してきてから、私の読書に対するスタンスも少しずつ変わってきた気がする。
「読書など知識人にとってのパチンコである」というのも、未だにそういう思いはあるが、それは、そもそも読書の主体に「知識人」しか想定していない狭量な考えであったと反省する。読書は万人に開かれたものであるし、読書は単なるエンタメに過ぎないとしても、その楽しみを追求することに罪悪感を覚える必要はないのだろう。
そういう心境の変化があって、「海の見える美術館で珈琲を飲む会」にも古本屋を呼ぶことになったと(今になってみれば)思うし、このタイミングで「積ん読ナイト」という本のイベントに参加できたことはよかった。これから少し、本についても前向きに人生に取り込んでいこうと思う。
蛇足。ちなみに私が持参したとっておきの積ん読本3冊は次の通り。なぜこれらが積ん読になっているのかは秘密です。
2015年11月26日木曜日
アーモンドは無様に失敗中
実験的にアーモンドを栽培しているが、それを報告した記事「アーモンドはじめました」に結構反響があって、応援して下さる方が多い。
が、そういう方々には大変申し訳なく、残念な報告をしなくてはならない。というのは、これまでのところ、アーモンド栽培は失敗中である。
私が育てているアーモンドは、スペインから取り寄せた「マルコナ」という品種で、別名「アーモンドの女王」という高貴な通り名がついているが、女王らしく、かなり気むずかしい品種のようである。約50本植えて、今残っているのがたった10本ちょっとしかない。
失敗の要因は、なんといっても雨である。ここはスペインに比べて雨量が桁外れに多いから、やはりその性質に合っていないのだと思う。去年は梅雨時期もそれほど痛まなかったが、今年の暴力的なまでにすさまじい梅雨にはだいぶ参ったようだ。
しかも、この品種はカタツムリへの耐性がほとんどない。梅雨時期は頻繁にカタツムリ取りに出かけたが、今年の梅雨は本当に途切れることなく雨が降ったので、カタツムリがどんどんどんどん湧いてきて、全く追いつかなかった。カタツムリを駆除する農薬も使用したがそれでも被害が大きかった。だいたい、薬剤は雨の時はあまり効果を発揮しないもので、カタツムリ用の農薬もそうである。雨の中農薬を散布した意味があったのかなかったのか、よくわからない。
柑橘の苗木なんかもカタツムリが大きな被害を及ぼすことがあるが、柑橘の場合はどこからともなくマイマイカブリというカタツムリの天敵が現れて、カタツムリを食べてくれる。だから苗木の根元はカタツムリの殻がたくさん落ちていることが多い。でもこのアーモンドの場合、カタツムリはたくさんいるのにマイマイカブリは不思議と全然見なかった。
スペイン料理では「カラコレス」といってカタツムリを煮込み料理にして食べる(私も食べたことがある。もちろん日本のスペイン料理屋さんで)から、スペインにもカタツムリはたくさんいるはずなのに、カタツムリへの耐性がないのは不思議だ。スペインのカタツムリと日本のカタツムリはかなり違うんだろうか。
失敗の要因は、他にも、スペインには存在しない台風とか、イノシシとか、そういうこともあるが、やっぱり一番は雨とそれに付随するカタツムリである。以前「ケッパー」を栽培してみたいと思って調べた時も、雨量が違いすぎてうまくいかなそうだと断念したが、南欧と南薩では、雨が決定的に違うので同じようにはいかないということを今回も痛感した次第である。
でもこれで諦めたらかっこ悪い、というか悔しいので、もう少し工夫をしてみようと思っている。例えば、台木の性質でも相当変わりそうなので、台木を変えてみるといった対策があるのではないか。
というわけで、アーモンドは無様(ぶざま)に失敗中であるが、私のやっている農業はほとんどが無様に失敗しているものだらけで、今のところバッチリうまくいっているものというのもないので、まあそんなもんだと達観したフリをして、ごまかしごまかしやっていこうと思う。
が、そういう方々には大変申し訳なく、残念な報告をしなくてはならない。というのは、これまでのところ、アーモンド栽培は失敗中である。
私が育てているアーモンドは、スペインから取り寄せた「マルコナ」という品種で、別名「アーモンドの女王」という高貴な通り名がついているが、女王らしく、かなり気むずかしい品種のようである。約50本植えて、今残っているのがたった10本ちょっとしかない。
失敗の要因は、なんといっても雨である。ここはスペインに比べて雨量が桁外れに多いから、やはりその性質に合っていないのだと思う。去年は梅雨時期もそれほど痛まなかったが、今年の暴力的なまでにすさまじい梅雨にはだいぶ参ったようだ。
しかも、この品種はカタツムリへの耐性がほとんどない。梅雨時期は頻繁にカタツムリ取りに出かけたが、今年の梅雨は本当に途切れることなく雨が降ったので、カタツムリがどんどんどんどん湧いてきて、全く追いつかなかった。カタツムリを駆除する農薬も使用したがそれでも被害が大きかった。だいたい、薬剤は雨の時はあまり効果を発揮しないもので、カタツムリ用の農薬もそうである。雨の中農薬を散布した意味があったのかなかったのか、よくわからない。
柑橘の苗木なんかもカタツムリが大きな被害を及ぼすことがあるが、柑橘の場合はどこからともなくマイマイカブリというカタツムリの天敵が現れて、カタツムリを食べてくれる。だから苗木の根元はカタツムリの殻がたくさん落ちていることが多い。でもこのアーモンドの場合、カタツムリはたくさんいるのにマイマイカブリは不思議と全然見なかった。
スペイン料理では「カラコレス」といってカタツムリを煮込み料理にして食べる(私も食べたことがある。もちろん日本のスペイン料理屋さんで)から、スペインにもカタツムリはたくさんいるはずなのに、カタツムリへの耐性がないのは不思議だ。スペインのカタツムリと日本のカタツムリはかなり違うんだろうか。
失敗の要因は、他にも、スペインには存在しない台風とか、イノシシとか、そういうこともあるが、やっぱり一番は雨とそれに付随するカタツムリである。以前「ケッパー」を栽培してみたいと思って調べた時も、雨量が違いすぎてうまくいかなそうだと断念したが、南欧と南薩では、雨が決定的に違うので同じようにはいかないということを今回も痛感した次第である。
でもこれで諦めたらかっこ悪い、というか悔しいので、もう少し工夫をしてみようと思っている。例えば、台木の性質でも相当変わりそうなので、台木を変えてみるといった対策があるのではないか。
というわけで、アーモンドは無様(ぶざま)に失敗中であるが、私のやっている農業はほとんどが無様に失敗しているものだらけで、今のところバッチリうまくいっているものというのもないので、まあそんなもんだと達観したフリをして、ごまかしごまかしやっていこうと思う。
2015年11月24日火曜日
景観をテーマにした講演会@マルヤガーデンズ
Tech Garden Salonというイベントのご案内。
私は東京工業大学、というごつい名前の(鹿児島では)無名の大学を卒業していて、その大学の同窓会が「蔵前工業会」というこれまたごつい名前なのだが、その同窓会活動の一環で今回マルヤガーデンズで12月5日に講演会を行う。
これは、「科学技術がテーマの講演会だとどうしても聴衆にオヤジが多いので、少し砕けた感じにして女性にも聞いてもらえるようなイベントを開こう」ということで始まったもので(あくまでも私の理解です)、今年で2回目である。
今年のテーマは「まちづくりと景観:心地よい景観とともに暮らす」で、講師は東工大の卒業生で鹿児島大学名誉教授の井上佳朗先生。
井上先生は大学時代は機械系だったが心理学の研究室が近かったことから心理学の方に興味を惹かれ、大学院で社会開発工学を専攻、鹿児島大学に赴任して法文学部の教授になったという面白い経歴の人である。
工業大学になぜ心理学の研究室があったのかというと、昔、東工大は随分人文教育に力を入れていて、心理学の宮城音弥とか文学の伊藤 整や江藤 淳、文化人類学の川喜田二郎といった独特な人たちが教授を務めていた。ある意味では人文社会学と科学技術を融和させようとする風土があったから、井上先生も機械系から心理学へ移行するキャリアを積むことが出来たのである。
井上先生の専門は(たぶん)都市計画・開発工学における心理的側面で、要するに街が形成されていく時に、その構造や景観によってどのように居住者の心理が影響されるのかということである。例えば、鹿児島市はJRの線路によって東西が分断されているが、そういうことが住民の気持ちやコミュニティの形成にどう影響を及ぼすのかというようなことなんじゃないかと思う。
井上先生は鹿児島市の景観審議会の会長も務めていて、実務面でも学術面でも鹿児島の景観学をリードする方なのではと私は思っているが、その井上先生から「景観」をテーマにした講義を聞けるということで私もすごく楽しみにしている。
私も景観というものは人の心を考える上ですごく重要な要素だと思っていて、これまでブログでもいくつか景観に関わる記事を書いた。でも正直に言うと、まだ景観の意味を摑みきれないでいる。例えば、いくら景観が重要なものだといっても、景観の価値はどれくらいあるんだろうか?
ヨーロッパの諸都市では、景観をそれこそ共同体の顔や体というくらいに思っていて、第二次大戦で街が灰燼に帰した後も、戦後の金がない時なのにそっくりそのまま(というのは言い過ぎかもしれないがほとんど元通りに)街を古風な景観の通りに再建したほどである。 つまり、欧州諸都市の人間にとって、景観はなけなしの金を出しても惜しくないほど価値があるものだった。
一方日本ではどうか。日本人はほとんど景観に気を掛けないことはよく知られたことで、街を覆う電線、無秩序な看板とネオンサイン、「消費税完納推進の街」みたいな無意味な横断幕、統一感のない街並み、貧弱な街路樹、「立ち入り禁止」「ゴミを捨てるな」といった過剰にうるさい標識といったものが景観を乱しに乱していて、都市と言うよりも街全体が工場のようである。
でも日本人が景観に全く注意を払わないかというとそうではなく、日本人の観光の中心はバカンスとかショッピングよりも「美しい風景を見る」ということに傾いているようで、普段の生活で適わない「美しい風景」を求めて観光地へゆくという面があるような気がする。つまり貴重な時間やお金を使う価値が、風景にはあるわけだ。なのに、普段生活する都市の景観には無頓着であるのは謎の一つで、このあたりから私の思索はこんがらがっていく。
日本人にとって、景観とはどんな価値があるんだろうか? ヨーロッパやアメリカの諸都市とは違った意味づけを日本人はしてきたのだろうか? そして、景観の価値というものがあるなら、それをどうやって計測可能なものにできるのだろうか? そういうことは、素晴らしい風景に囲まれて暮らしている私にとって、最近非常にホットな問題提起なのだ。
たぶん、今回の講演会はこうした理念的な疑問に答えるものというよりは、もっと具体的なテーマを扱うのではないかと思うが、私にとっても風景学のよい入り口になるのではないかと期待している。
ちなみにイベントの当日は、(もちろん有料だけど)ちょっとした飲み物も注文できて、ほんの少しだけサロン的な雰囲気にもなる予定である。東京工業大学同窓会主催のイベントというと随分堅そうで関係者ばっかりというイメージがあると思うが、そのコンセプトは
【情報】
Tech Garden Salon
講演テーマ「まちづくりと景観:心地よい景観とともに暮らす」
講師:鹿児島大学名誉教授(生活環境論、社会開発論) 井上佳朗
日時 2015年12月5日(土)15:30-17:00(15:00開場)
場所 マルヤガーデンズ 7F 入場無料(定員50名)
→詳しくはこちら
私は東京工業大学、というごつい名前の(鹿児島では)無名の大学を卒業していて、その大学の同窓会が「蔵前工業会」というこれまたごつい名前なのだが、その同窓会活動の一環で今回マルヤガーデンズで12月5日に講演会を行う。
これは、「科学技術がテーマの講演会だとどうしても聴衆にオヤジが多いので、少し砕けた感じにして女性にも聞いてもらえるようなイベントを開こう」ということで始まったもので(あくまでも私の理解です)、今年で2回目である。
今年のテーマは「まちづくりと景観:心地よい景観とともに暮らす」で、講師は東工大の卒業生で鹿児島大学名誉教授の井上佳朗先生。
井上先生は大学時代は機械系だったが心理学の研究室が近かったことから心理学の方に興味を惹かれ、大学院で社会開発工学を専攻、鹿児島大学に赴任して法文学部の教授になったという面白い経歴の人である。
工業大学になぜ心理学の研究室があったのかというと、昔、東工大は随分人文教育に力を入れていて、心理学の宮城音弥とか文学の伊藤 整や江藤 淳、文化人類学の川喜田二郎といった独特な人たちが教授を務めていた。ある意味では人文社会学と科学技術を融和させようとする風土があったから、井上先生も機械系から心理学へ移行するキャリアを積むことが出来たのである。
井上先生の専門は(たぶん)都市計画・開発工学における心理的側面で、要するに街が形成されていく時に、その構造や景観によってどのように居住者の心理が影響されるのかということである。例えば、鹿児島市はJRの線路によって東西が分断されているが、そういうことが住民の気持ちやコミュニティの形成にどう影響を及ぼすのかというようなことなんじゃないかと思う。
井上先生は鹿児島市の景観審議会の会長も務めていて、実務面でも学術面でも鹿児島の景観学をリードする方なのではと私は思っているが、その井上先生から「景観」をテーマにした講義を聞けるということで私もすごく楽しみにしている。
私も景観というものは人の心を考える上ですごく重要な要素だと思っていて、これまでブログでもいくつか景観に関わる記事を書いた。でも正直に言うと、まだ景観の意味を摑みきれないでいる。例えば、いくら景観が重要なものだといっても、景観の価値はどれくらいあるんだろうか?
ヨーロッパの諸都市では、景観をそれこそ共同体の顔や体というくらいに思っていて、第二次大戦で街が灰燼に帰した後も、戦後の金がない時なのにそっくりそのまま(というのは言い過ぎかもしれないがほとんど元通りに)街を古風な景観の通りに再建したほどである。 つまり、欧州諸都市の人間にとって、景観はなけなしの金を出しても惜しくないほど価値があるものだった。
一方日本ではどうか。日本人はほとんど景観に気を掛けないことはよく知られたことで、街を覆う電線、無秩序な看板とネオンサイン、「消費税完納推進の街」みたいな無意味な横断幕、統一感のない街並み、貧弱な街路樹、「立ち入り禁止」「ゴミを捨てるな」といった過剰にうるさい標識といったものが景観を乱しに乱していて、都市と言うよりも街全体が工場のようである。
でも日本人が景観に全く注意を払わないかというとそうではなく、日本人の観光の中心はバカンスとかショッピングよりも「美しい風景を見る」ということに傾いているようで、普段の生活で適わない「美しい風景」を求めて観光地へゆくという面があるような気がする。つまり貴重な時間やお金を使う価値が、風景にはあるわけだ。なのに、普段生活する都市の景観には無頓着であるのは謎の一つで、このあたりから私の思索はこんがらがっていく。
日本人にとって、景観とはどんな価値があるんだろうか? ヨーロッパやアメリカの諸都市とは違った意味づけを日本人はしてきたのだろうか? そして、景観の価値というものがあるなら、それをどうやって計測可能なものにできるのだろうか? そういうことは、素晴らしい風景に囲まれて暮らしている私にとって、最近非常にホットな問題提起なのだ。
たぶん、今回の講演会はこうした理念的な疑問に答えるものというよりは、もっと具体的なテーマを扱うのではないかと思うが、私にとっても風景学のよい入り口になるのではないかと期待している。
ちなみにイベントの当日は、(もちろん有料だけど)ちょっとした飲み物も注文できて、ほんの少しだけサロン的な雰囲気にもなる予定である。東京工業大学同窓会主催のイベントというと随分堅そうで関係者ばっかりというイメージがあると思うが、そのコンセプトは
私たちの日常に当り前にある様々なモノの裏には多くの知恵と技術が隠れています。それを知れば世の中の見方さえ変わってしまうかも。アートやカルチャーを楽しむように、今宵はテクノロジーの世界を気軽に楽しんでみませんか。というもので、部外者歓迎というか、むしろごくごく一般の人のために開催するものなので、ぜひお越し下さい。申込不要です。ちなみに、私も当日は一番の下っ端として雑務をする予定。
【情報】
Tech Garden Salon
講演テーマ「まちづくりと景観:心地よい景観とともに暮らす」
講師:鹿児島大学名誉教授(生活環境論、社会開発論) 井上佳朗
日時 2015年12月5日(土)15:30-17:00(15:00開場)
場所 マルヤガーデンズ 7F 入場無料(定員50名)
→詳しくはこちら
2015年11月22日日曜日
「場の活性化」の秘訣
前回の記事で、私は「地域活性化をするよりも、自分がやりたいことをやった方が結果的に地域活性化になる」ということを述べた。
でもこれにはいろいろ反論があるだろう。自分のやりたいことといっても、読書や映画鑑賞のようなものもあるし、極端に言えばぐうたら寝ていたいというのだってあるわけだ。そういうことをやっても、地域活性化に繋がるのか? と。私はそういうものであっても、それをのびのびとできるなら結果的には地域活性化になると信じるが、ちょっと迂遠な感じがするのは否めない。さびれた商店街を何とかしたい、というようなことを考えている人たちにとって、「自分がやりたいことをやりましょう」というのはあまりに悠長なアドバイスだ。また、「私のやりたいことは、まさに地域活性化なんだよ!」というアツい人もいると思う。こういう場合どうしたらよいのか。
時々、地域活性化講座みたいなものがあって、こういう熱心な人たちにいろいろアドバイスしているが、どうも私から見ると正鵠を射ていないものが多い。地域資源を発掘して、それを売り込んでいくためのマーケティングをして戦略を作るとか、そういう軽薄なアドバイスは特に最悪である。
断言するが、地域活性化に「マーケティング」も「戦略」もいらない。
鹿児島市役所のそばに「レトロフト チトセ」という古いビルがある。ここは古本屋やカフェ、気軽なレストランなどがあって私のお気に入りの場所である。遠目に見ると灰色の古いビルだが、中は随分と活気があり、いつも様々な新しい企みがなされていて楽しい。
でもこのビルは、数年前まで文字通り古い雑居ビルで、特にどうということもない場所だったようだ。今のように活気ある場所になったいきさつは詳しくは知らないが、最初から、こういう戦略や青写真があってレトロフトは今のような場所になったんだろうか。どうもそうではないように見える。
これは「戦略」に基づいて場の活性化がなされたというより、リフォームを行ったことを契機として、面白いことを考える人たちがどんどん集まってきて新しい企画が実現し、それに惹かれてやってきた人たちがまた新しい風を入れるという具合に、「人とアイデアの好循環」が生まれた結果ではないか。私が最初にここを訪れたのは2013年で、それからの動きを横目に見ているとそのように感じる。
もちろん、オーナー夫妻の感性も活性化にはすごく重要だったろう。でもそれだけでは、この数年で急にビルに活気が出てきたことの説明が難しい。 やはり運営上の変化があったと考えるべきで、それはリフォームによる外面的な変化もあるが、むしろ人とアイデアを受け入れる「開かれた態度」になったことではなかっただろうか。
場の活性化に成功している他の例を見ても、このことは共通している。その「場」には「人とアイデア」を受け入れる「余白」と「開かれた態度」がまず準備される。すると面白い人が集まってきてやいのやいの騒ぎ出す。楽しい企画が実現し、それに惹かれてまた人が集まってくる。これが活性化のいつものパターンである。そこに場をまとめるためのリーダーシップやセンスは必ずしもいらない。ただし、そういうものがあれば、その活動が長続きし、また高水準の成果を生みやすいということは言える。
そして、こういう活性化が起こるためには、「戦略」はほとんど役立たない。「戦略」に沿って物事を進めるよりも、思いもよらないアイデアをドンドン受け入れていくことこそ必要で、そういう態度であり続けようとするなら、結局「戦略」は無意味になっていく。というより、最初に思い描いていた「戦略」から離れていくことが活性化の証左ともいうべきで、それは人生のドラマのように、私たちを予定調和よりももっと面白い展開へと連れて行ってくれる。
ローカルな事例で申し訳ないが、大浦にある「有木青年隊」もこういう活動の成功例である。有木青年隊は、集落の普通の青年団のように「何歳から何歳までが自動的に所属する」という団体ではなく、やりたい若者が(もちろん女性でも)誰でも入れる。そこに集落の限定もなく、今では集落外に住んでいるメンバーの方が多いくらいじゃないかと思う。
有木青年隊の沿革もよく知らないが、十五夜祭りを盛り上げる活動の一つとして緩く始まり、飲ん方(ノンカタ=宴会)をしているうちに「こうしてみよう、ああしてみよう」と盛り上がり、十五夜祭りから飛び出して、「大浦 “ZIRA ZIRA“ FES」という一大イベントを実行するようにもなった。今では大浦町の顔の一つだ。
この活動も最初から青写真があったというより、若者に自由にやらせようという集落の「開かれた態度」があり、そこにうまく若者たちが集結し「人とアイデアの好循環」が起こった結果に見える。ついでにいうと、「はっちゃける」ことを肯定して、若者のエネルギーの発散を「黙認」ではなく「承認」された行動にしたことも大きい。
一方で、有木青年隊は「何歳から何歳までが自動的に所属する」という団体ではないから、やりたい人がいなければ消滅してしまう。人によっては、そんなんじゃ継続性がない! と不満に思う人もいるだろう。やっぱり婦人会とか青年団とかカッチリした枠組みで継続性がある活動をするほうが確実だ、という意見である。でもつまらない活動が長続きするより、いっときでも面白いことが起こる方がずっといい。
行政による地域活性化の支援などでも「継続性」が条件になっていることが多いが、私からすると継続性などと言ってる時点でつまらないことをしている自覚があるというもので、面白かったら自然に続くし、逆にやってみて面白くなかったらさっさと辞めた方がいい。最初から継続することを条件にするのは愚策である。
ともかく、地域活性化——よりも、私は「場の活性化」と言うべきだと思っているが——をしたいなら、そのための「戦略」を練って何をすべきか考えるよりも、若者のエネルギーを形にできるような「余白」と「開かれた態度」を持つべきである。レトロフトの素晴らしいところは、リフォームの際にこのことを十分にわきまえていたことで(想像です)、たった4㎡のテナントを作って、気軽に小さなビジネスを始められる場を設けたり、人の行き来が活発になるように動線を綿密に計算している点である。
若者は、常に自分の魂が承認される場所を求めている。行き場のないエネルギーを抱えている。そのエネルギーが肯定され、思い描いたことを実現できるフィールドを欲しがっている。場の活性化をしたいなら、まず彼・彼女が存在できる「余白」を設けよう。そして若者がそこに入りやすいように、「開かれた態度」を身につけよう。そうすれば、人は自然と集まってくる。なぜなら、そういう場所は常に不足しているからだ。そんな場ができれば、自然と「人とアイデアの好循環」が起こり、もうそうなったら仕掛け人その人でさえコントロールできないようなステキな物語がたくさん生まれてくるのである。
こういう活性化なら、私は大歓迎である。
でもこれにはいろいろ反論があるだろう。自分のやりたいことといっても、読書や映画鑑賞のようなものもあるし、極端に言えばぐうたら寝ていたいというのだってあるわけだ。そういうことをやっても、地域活性化に繋がるのか? と。私はそういうものであっても、それをのびのびとできるなら結果的には地域活性化になると信じるが、ちょっと迂遠な感じがするのは否めない。さびれた商店街を何とかしたい、というようなことを考えている人たちにとって、「自分がやりたいことをやりましょう」というのはあまりに悠長なアドバイスだ。また、「私のやりたいことは、まさに地域活性化なんだよ!」というアツい人もいると思う。こういう場合どうしたらよいのか。
時々、地域活性化講座みたいなものがあって、こういう熱心な人たちにいろいろアドバイスしているが、どうも私から見ると正鵠を射ていないものが多い。地域資源を発掘して、それを売り込んでいくためのマーケティングをして戦略を作るとか、そういう軽薄なアドバイスは特に最悪である。
断言するが、地域活性化に「マーケティング」も「戦略」もいらない。
鹿児島市役所のそばに「レトロフト チトセ」という古いビルがある。ここは古本屋やカフェ、気軽なレストランなどがあって私のお気に入りの場所である。遠目に見ると灰色の古いビルだが、中は随分と活気があり、いつも様々な新しい企みがなされていて楽しい。
でもこのビルは、数年前まで文字通り古い雑居ビルで、特にどうということもない場所だったようだ。今のように活気ある場所になったいきさつは詳しくは知らないが、最初から、こういう戦略や青写真があってレトロフトは今のような場所になったんだろうか。どうもそうではないように見える。
これは「戦略」に基づいて場の活性化がなされたというより、リフォームを行ったことを契機として、面白いことを考える人たちがどんどん集まってきて新しい企画が実現し、それに惹かれてやってきた人たちがまた新しい風を入れるという具合に、「人とアイデアの好循環」が生まれた結果ではないか。私が最初にここを訪れたのは2013年で、それからの動きを横目に見ているとそのように感じる。
もちろん、オーナー夫妻の感性も活性化にはすごく重要だったろう。でもそれだけでは、この数年で急にビルに活気が出てきたことの説明が難しい。 やはり運営上の変化があったと考えるべきで、それはリフォームによる外面的な変化もあるが、むしろ人とアイデアを受け入れる「開かれた態度」になったことではなかっただろうか。
場の活性化に成功している他の例を見ても、このことは共通している。その「場」には「人とアイデア」を受け入れる「余白」と「開かれた態度」がまず準備される。すると面白い人が集まってきてやいのやいの騒ぎ出す。楽しい企画が実現し、それに惹かれてまた人が集まってくる。これが活性化のいつものパターンである。そこに場をまとめるためのリーダーシップやセンスは必ずしもいらない。ただし、そういうものがあれば、その活動が長続きし、また高水準の成果を生みやすいということは言える。
そして、こういう活性化が起こるためには、「戦略」はほとんど役立たない。「戦略」に沿って物事を進めるよりも、思いもよらないアイデアをドンドン受け入れていくことこそ必要で、そういう態度であり続けようとするなら、結局「戦略」は無意味になっていく。というより、最初に思い描いていた「戦略」から離れていくことが活性化の証左ともいうべきで、それは人生のドラマのように、私たちを予定調和よりももっと面白い展開へと連れて行ってくれる。
ローカルな事例で申し訳ないが、大浦にある「有木青年隊」もこういう活動の成功例である。有木青年隊は、集落の普通の青年団のように「何歳から何歳までが自動的に所属する」という団体ではなく、やりたい若者が(もちろん女性でも)誰でも入れる。そこに集落の限定もなく、今では集落外に住んでいるメンバーの方が多いくらいじゃないかと思う。
有木青年隊の沿革もよく知らないが、十五夜祭りを盛り上げる活動の一つとして緩く始まり、飲ん方(ノンカタ=宴会)をしているうちに「こうしてみよう、ああしてみよう」と盛り上がり、十五夜祭りから飛び出して、「大浦 “ZIRA ZIRA“ FES」という一大イベントを実行するようにもなった。今では大浦町の顔の一つだ。
この活動も最初から青写真があったというより、若者に自由にやらせようという集落の「開かれた態度」があり、そこにうまく若者たちが集結し「人とアイデアの好循環」が起こった結果に見える。ついでにいうと、「はっちゃける」ことを肯定して、若者のエネルギーの発散を「黙認」ではなく「承認」された行動にしたことも大きい。
一方で、有木青年隊は「何歳から何歳までが自動的に所属する」という団体ではないから、やりたい人がいなければ消滅してしまう。人によっては、そんなんじゃ継続性がない! と不満に思う人もいるだろう。やっぱり婦人会とか青年団とかカッチリした枠組みで継続性がある活動をするほうが確実だ、という意見である。でもつまらない活動が長続きするより、いっときでも面白いことが起こる方がずっといい。
行政による地域活性化の支援などでも「継続性」が条件になっていることが多いが、私からすると継続性などと言ってる時点でつまらないことをしている自覚があるというもので、面白かったら自然に続くし、逆にやってみて面白くなかったらさっさと辞めた方がいい。最初から継続することを条件にするのは愚策である。
ともかく、地域活性化——よりも、私は「場の活性化」と言うべきだと思っているが——をしたいなら、そのための「戦略」を練って何をすべきか考えるよりも、若者のエネルギーを形にできるような「余白」と「開かれた態度」を持つべきである。レトロフトの素晴らしいところは、リフォームの際にこのことを十分にわきまえていたことで(想像です)、たった4㎡のテナントを作って、気軽に小さなビジネスを始められる場を設けたり、人の行き来が活発になるように動線を綿密に計算している点である。
若者は、常に自分の魂が承認される場所を求めている。行き場のないエネルギーを抱えている。そのエネルギーが肯定され、思い描いたことを実現できるフィールドを欲しがっている。場の活性化をしたいなら、まず彼・彼女が存在できる「余白」を設けよう。そして若者がそこに入りやすいように、「開かれた態度」を身につけよう。そうすれば、人は自然と集まってくる。なぜなら、そういう場所は常に不足しているからだ。そんな場ができれば、自然と「人とアイデアの好循環」が起こり、もうそうなったら仕掛け人その人でさえコントロールできないようなステキな物語がたくさん生まれてくるのである。
こういう活性化なら、私は大歓迎である。
2015年11月18日水曜日
「地域活性化」はやるべきではありません
先日、「海の見える美術館で珈琲を飲む会 vol.2」を開催しました。来ていただいた方、本当にありがとうございました!
当日の模様については「南薩の田舎暮らし ブログ」の方に書きましたのでよかったらご覧ください。
【南薩の田舎暮らし ブログ】「海の見える美術館で珈琲を飲む会 vol.2」ありがとうございました!
ところで、こういうイベントをしていると、「地域活性化してくれてありがとう!」とか言われることがある。また、新聞記者さんにも「南薩の田舎暮らしは、地域活性化団体とかじゃないんですか?(そうでないと記事に紹介しにくいなあ、みたいなニュアンスで)」と聞かれたりする。
でも、実を言うと私は「地域活性化」には取り組んでいないし、「南薩の田舎暮らし」も商業活動をするときのただの屋号である。ただ、「珈琲を飲む会」とか、先日やった「公民館 de 夜カフェ」なんかは、収益を目的としておらず(というかカンパがなかったら赤字)、気持ちの上では地域貢献活動としてやっているのは確かである。
でも地域貢献は目的の中心ではない。目的の中心は、「自分が楽しいからやりたい」という私のエゴである。美味しいコーヒーを、眺めのよいところで飲んだら美味しい、それを他の人とも共有したい! そういう私のエゴでやっているのが「珈琲を飲む会」である。いわば自分による自分のためのイベントである。地域活性化とか、そういう「高尚な目的」は全然ない。
そもそも、私は「地域活性化」や「地域おこし」はやらない方がいいと思っている。
そういうことに興味があったり、いろいろな取組をしている人と知り合ったりする機会が多いのだが、その現状を見聞きしても、「地域活性化」の内容には問題があることが多い。
そういう取組の最大の問題は、「地域活性化」が一体何を目的としているのか曖昧なことである。「地域」というボンヤリとしたものを相手にしているから、それがどういう状態になったらそれが「活性化」だと言えるのか、あまり考えていない。なので、「とりあえず人の集まるイベントを開いてみよう!」というだけの活動になることが多い。
そうは言っても例えば「地域のお年寄りが喜んでくれたんだからいいじゃないか」みたいに反論する人がいるだろう。でも、最初から「地域のお年寄りを喜ばす」ことが目的なら、その目的に沿って活動を設計すべきであり、「地域活性化」みたいな抽象的な題目ではなく、お年寄りは何を喜ぶのか、という具体的なところから出発するべきである。だが、現実には「結果的に」喜んでくれた、というのが成果として捉えられており、そこに手段と目的と成果の齟齬がある。
これは観光振興なんかでも同じである。「地域活性化」の一つとして、観光振興が注目を集めているが、誰のための観光振興なのか、が曖昧であることが多い。というかほとんどそうである。観光で潤うのは、第1に交通(バス会社とか)と宿泊業、第2に飲食業、第3に物産販売業であるが、こうしたメインのステークホルダーが不在のまま、勝手連的な活動として観光振興が取り組まれることが多い。
我が南さつま市の観光協会の場合どうなのかは知らないが、交通と宿泊業の人はあまり中心的な役割を果たしていないように見える。観光振興というのは、結局はこうした業種の利益を伸ばしていくということが目的なので、まずはこうした業種の企業からプロジェクト毎に協賛金の形でお金を集めて、その範囲でちゃんと利益に繋がる活動をしていくのがよい方法であると思う。
だが、これまで観光地でなかったところは、「観光客が増えるとなんか嬉しいよね!」というようなふわっとした目的の下、観光業には直接関係のない人たちが、良くも悪くも利益を度外視してボランティアで活動しがちである。それは一種のロータリークラブのようなものだから、社会貢献活動をやるフレームワークとしては機能するし、別に悪いことはない。でも長い目で見れば、観光は社会貢献活動ではなく商業活動として成立しなければ意味がない。
だから結局は「○○旅館の売り上げを増やす」というような具体的な成果を見据えていなければ、そういう活動はやりたがり屋の人たちの生きがいづくりの場になってしまう。具体的な成果が想定されていないなら、何かをやったことそれ自体が成果になるからだ。でもそれでは、その活動によって誰が喜ぶのだろうか? この活動を横目に見ている地域の宿泊施設は、実は収益の柱がスポーツ合宿で、観光客なんか全然期待していないのかもしれないのだ。せっかくの「観光振興」なのに、それで喜ぶ業界関係者があまりいなかったら、何のためにやっているのかよくわからない。
つまり何かの活動をする時は、「それによって誰が喜ぶのか」が明確でないといけないと私は思う。 別に、「自分が楽しいから」でも全然問題ない。私は実際、「珈琲を飲む会」は自分が楽しいからしている。また、目的が誰か特定の人を喜ばすことだったらそれももちろんいい。でもよくないのは、「地域の人を喜ばす」とか、「観光客を喜ばす」とか、そういう誰かもわからない人を喜ばそうとすることである。それが「地域活性化」という題目のよくないことだ。
こうなると、「地域活性化」は中身のない「大義」になる。そして「大義」は腐敗の温床であり、その活動に協力的でない人を非難するようになる。「こっちは地域活性化のために頑張ってるのに、あの人は全然協力しない」とか。 でもそれは本当にみんなが参加するべき活動なんだろうか? 実際はやりたい人だけがやればいい活動なのではないだろうか?
というより、「地域活性化」のために「みんなが参加するべき活動」なんてものがあるとすれば、それはもはや「地域活性化」でもなんでもない。参加したくもないものに参加させられるとすれば、地域の活力はなおさら失われるはずだからだ。ただでさえ自分の時間がないなかで、抽象的な「地域活性化」とやらにボランティアで参加しろといわれるなら、そんな地域には住んでいたくない。
だから「やりたい人がやればよい」という活動でない限り、「地域活性化」にはならないと私は思う。一方で、活動の中で、地域のみんなが顔を揃えて話し合いをするとか、そういうことは必要だろうし、自治会などの組織で取り組む場合は、なるだけ多くの人を巻き込む工夫も必須である。正直、全員参加が望ましい活動はある。でも「これに参加することは義務だ」となれば、人心が離れていくのも現実である。この種の活動は、このあたりのバランスがすごく難しい。
結局、「地域活性化」なるものが中身のない理念だからこういう難しい事態が生じるのだろう。だから私は「地域活性化」なんてやめた方がいいと思うのだ。それよりも、個人が、自分がやりたい活動を思い切りやる方が本当の地域活性化になるはずだ。自分の趣味にひたすら没頭するのでもいいし、「地域に花を植えたい」というような活動でもやりたい人でやったらいい。それで喜ぶのが、あくまで「自分」あるいは「自分の知っている人」であるならその活動は健全なものだ。
そして、本当の地域活性化とは、そうした「自分がやりたいこと」をやりやすいように、さまざまなことの心理的・社会的・経済的ハードルを下げることであると思う。私が笠沙美術館を借り切ってイベントをしたことで、「自分も笠沙美術館を借り切ってイベントしてみたい」と思う人が出てきたら、イベントの副次的効果として本当に嬉しい。美術館を借り切ることの心理的ハードルが下がったということだからだ。
「地域活性化」に取り組む人の悪い癖は、「みんな地域資源に気づいていない。地域の魅力を分かっていない。やる気がない」といったように、地域が衰退していくことを不特定多数の人の責任に転嫁しがちなことである。でも地域が衰退していくことは人口動態や経済構造で決まることで、「地域の魅力に無頓着な人」の責任は全くない。
というより、私は「地域の魅力」なんか住民に理解されていなくても、住民一人ひとりがめいめいにやりたいことをしている地域の方がよっぽどいいと思う。むしろ、「地域の魅力」などというものは分かっていない方がいいくらいで、「うちの地域はなんもなくてすいません」というくらいの気持ちでいる方が可愛げがある。
「地域活性化」などという「高尚な目的」よりも、個人の生活の幸せを追求する方が、ずっと大事なことである。
当日の模様については「南薩の田舎暮らし ブログ」の方に書きましたのでよかったらご覧ください。
【南薩の田舎暮らし ブログ】「海の見える美術館で珈琲を飲む会 vol.2」ありがとうございました!
ところで、こういうイベントをしていると、「地域活性化してくれてありがとう!」とか言われることがある。また、新聞記者さんにも「南薩の田舎暮らしは、地域活性化団体とかじゃないんですか?(そうでないと記事に紹介しにくいなあ、みたいなニュアンスで)」と聞かれたりする。
でも、実を言うと私は「地域活性化」には取り組んでいないし、「南薩の田舎暮らし」も商業活動をするときのただの屋号である。ただ、「珈琲を飲む会」とか、先日やった「公民館 de 夜カフェ」なんかは、収益を目的としておらず(というかカンパがなかったら赤字)、気持ちの上では地域貢献活動としてやっているのは確かである。
でも地域貢献は目的の中心ではない。目的の中心は、「自分が楽しいからやりたい」という私のエゴである。美味しいコーヒーを、眺めのよいところで飲んだら美味しい、それを他の人とも共有したい! そういう私のエゴでやっているのが「珈琲を飲む会」である。いわば自分による自分のためのイベントである。地域活性化とか、そういう「高尚な目的」は全然ない。
そもそも、私は「地域活性化」や「地域おこし」はやらない方がいいと思っている。
そういうことに興味があったり、いろいろな取組をしている人と知り合ったりする機会が多いのだが、その現状を見聞きしても、「地域活性化」の内容には問題があることが多い。
そういう取組の最大の問題は、「地域活性化」が一体何を目的としているのか曖昧なことである。「地域」というボンヤリとしたものを相手にしているから、それがどういう状態になったらそれが「活性化」だと言えるのか、あまり考えていない。なので、「とりあえず人の集まるイベントを開いてみよう!」というだけの活動になることが多い。
そうは言っても例えば「地域のお年寄りが喜んでくれたんだからいいじゃないか」みたいに反論する人がいるだろう。でも、最初から「地域のお年寄りを喜ばす」ことが目的なら、その目的に沿って活動を設計すべきであり、「地域活性化」みたいな抽象的な題目ではなく、お年寄りは何を喜ぶのか、という具体的なところから出発するべきである。だが、現実には「結果的に」喜んでくれた、というのが成果として捉えられており、そこに手段と目的と成果の齟齬がある。
これは観光振興なんかでも同じである。「地域活性化」の一つとして、観光振興が注目を集めているが、誰のための観光振興なのか、が曖昧であることが多い。というかほとんどそうである。観光で潤うのは、第1に交通(バス会社とか)と宿泊業、第2に飲食業、第3に物産販売業であるが、こうしたメインのステークホルダーが不在のまま、勝手連的な活動として観光振興が取り組まれることが多い。
我が南さつま市の観光協会の場合どうなのかは知らないが、交通と宿泊業の人はあまり中心的な役割を果たしていないように見える。観光振興というのは、結局はこうした業種の利益を伸ばしていくということが目的なので、まずはこうした業種の企業からプロジェクト毎に協賛金の形でお金を集めて、その範囲でちゃんと利益に繋がる活動をしていくのがよい方法であると思う。
だが、これまで観光地でなかったところは、「観光客が増えるとなんか嬉しいよね!」というようなふわっとした目的の下、観光業には直接関係のない人たちが、良くも悪くも利益を度外視してボランティアで活動しがちである。それは一種のロータリークラブのようなものだから、社会貢献活動をやるフレームワークとしては機能するし、別に悪いことはない。でも長い目で見れば、観光は社会貢献活動ではなく商業活動として成立しなければ意味がない。
だから結局は「○○旅館の売り上げを増やす」というような具体的な成果を見据えていなければ、そういう活動はやりたがり屋の人たちの生きがいづくりの場になってしまう。具体的な成果が想定されていないなら、何かをやったことそれ自体が成果になるからだ。でもそれでは、その活動によって誰が喜ぶのだろうか? この活動を横目に見ている地域の宿泊施設は、実は収益の柱がスポーツ合宿で、観光客なんか全然期待していないのかもしれないのだ。せっかくの「観光振興」なのに、それで喜ぶ業界関係者があまりいなかったら、何のためにやっているのかよくわからない。
つまり何かの活動をする時は、「それによって誰が喜ぶのか」が明確でないといけないと私は思う。 別に、「自分が楽しいから」でも全然問題ない。私は実際、「珈琲を飲む会」は自分が楽しいからしている。また、目的が誰か特定の人を喜ばすことだったらそれももちろんいい。でもよくないのは、「地域の人を喜ばす」とか、「観光客を喜ばす」とか、そういう誰かもわからない人を喜ばそうとすることである。それが「地域活性化」という題目のよくないことだ。
こうなると、「地域活性化」は中身のない「大義」になる。そして「大義」は腐敗の温床であり、その活動に協力的でない人を非難するようになる。「こっちは地域活性化のために頑張ってるのに、あの人は全然協力しない」とか。 でもそれは本当にみんなが参加するべき活動なんだろうか? 実際はやりたい人だけがやればいい活動なのではないだろうか?
というより、「地域活性化」のために「みんなが参加するべき活動」なんてものがあるとすれば、それはもはや「地域活性化」でもなんでもない。参加したくもないものに参加させられるとすれば、地域の活力はなおさら失われるはずだからだ。ただでさえ自分の時間がないなかで、抽象的な「地域活性化」とやらにボランティアで参加しろといわれるなら、そんな地域には住んでいたくない。
だから「やりたい人がやればよい」という活動でない限り、「地域活性化」にはならないと私は思う。一方で、活動の中で、地域のみんなが顔を揃えて話し合いをするとか、そういうことは必要だろうし、自治会などの組織で取り組む場合は、なるだけ多くの人を巻き込む工夫も必須である。正直、全員参加が望ましい活動はある。でも「これに参加することは義務だ」となれば、人心が離れていくのも現実である。この種の活動は、このあたりのバランスがすごく難しい。
結局、「地域活性化」なるものが中身のない理念だからこういう難しい事態が生じるのだろう。だから私は「地域活性化」なんてやめた方がいいと思うのだ。それよりも、個人が、自分がやりたい活動を思い切りやる方が本当の地域活性化になるはずだ。自分の趣味にひたすら没頭するのでもいいし、「地域に花を植えたい」というような活動でもやりたい人でやったらいい。それで喜ぶのが、あくまで「自分」あるいは「自分の知っている人」であるならその活動は健全なものだ。
そして、本当の地域活性化とは、そうした「自分がやりたいこと」をやりやすいように、さまざまなことの心理的・社会的・経済的ハードルを下げることであると思う。私が笠沙美術館を借り切ってイベントをしたことで、「自分も笠沙美術館を借り切ってイベントしてみたい」と思う人が出てきたら、イベントの副次的効果として本当に嬉しい。美術館を借り切ることの心理的ハードルが下がったということだからだ。
「地域活性化」に取り組む人の悪い癖は、「みんな地域資源に気づいていない。地域の魅力を分かっていない。やる気がない」といったように、地域が衰退していくことを不特定多数の人の責任に転嫁しがちなことである。でも地域が衰退していくことは人口動態や経済構造で決まることで、「地域の魅力に無頓着な人」の責任は全くない。
というより、私は「地域の魅力」なんか住民に理解されていなくても、住民一人ひとりがめいめいにやりたいことをしている地域の方がよっぽどいいと思う。むしろ、「地域の魅力」などというものは分かっていない方がいいくらいで、「うちの地域はなんもなくてすいません」というくらいの気持ちでいる方が可愛げがある。
「地域活性化」などという「高尚な目的」よりも、個人の生活の幸せを追求する方が、ずっと大事なことである。
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