2014年5月7日水曜日

タダで美術館を運営してほしい、というとんでもない募集を南さつま市がやっています

絶景の笠沙美術館に指定管理者制度が導入されるということで、以前、それに期待する記事を書いたのだが、今般その募集が開始された。ところが、この募集が最大級にガッカリな内容だったので、ちょっと愚痴を聞いてもらいたい。

何がガッカリだったかというと、この募集、指定管理料がゼロ円なのである!つまり、タダで美術館の運営をしてください、というとんでもない内容なのだ。お金は支払われないが、指定管理者が行わなくはならない業務はもちろんある。募集要項によれば、
(1)主要な業務
①美術品の展示・保管。常設展示の絵画は3ヶ月ごとに定期的に入替を行う。
②企画展の開催
③施設の日常的維持管理
④展望ミュージアム条例第16条に基づく使用の許可・不許可(注:場所貸し)
⑤展望ミュージアム条例第17条に基づく利用料金の徴収
⑥施設及び周辺部の清掃
⑦保守点検及び小規模な修繕作業
⑧その他市教育委員会が必要と認める業務
(2)施設の運営に関すること
①管理状況について、毎月利用状況報告書を作成し、翌月5日までに報告すること。
(以下略)
というような仕事をタダでやらなくてはならない!笠沙美術館は、博物館法によるところの登録施設ではないので学芸員等を置く必要はないが、それでも美術品の展示・保管、企画展の開催といったものは創意工夫と専門的知識がないとできないことであるから、それをタダでやってもらおうというのは意味がわからない。

こんな募集では誰も手を挙げないだろうと思われるが、市の方の目論見としては、ここでカフェなどの収益事業をやってもらい、その収益でもって美術館を運営してもらいたい、ということらしい。具体的には、募集要項に
指定管理者は、市との協議に基づき指定管理者の創意工夫で飲食等自主事業を行うことができます。
自主事業を行うための施設の改修は、改修計画等を市に提案して協議を行い、市長の許可を受けなければならない。改修工事は市において実施します。
と書いてある。要は、営業のための改修費用は出してあげるからタダで美術館を運営してほしい、ということなのかもしれない。しかし、そもそも市の施設であるので改修を市が行うのは当然のことだし、店舗の改修にいちいち市との協議が必要ということだと商売的には面倒である。

この募集を単純化すると、施設のテナント料をタダにする代わりに、タダで美術館を運営してほしい、という取引を持ちかけているように見える。前も書いた通り、この美術館は日本全国でも屈指の眺望を持ち、しかも著名なデザイナーである水戸岡鋭治氏が建物を設計しているので、施設としての価値は非常に高いとは思う。それに、カフェなどを営業するとすれば、美術館の単純な管理業務(要は入館料の徴収)をあわせて行うのは非常に軽微な労力ですむのは確かだから、もしかしたらこれは悪い取引ではないのかもしれない。

だが、私がガッカリしたのは、タダで美術館を運営してください、という文化行政への意識の低さである。指定管理者制度の導入の目的の一つがコストカットであることはしょうがないにしても、タダで美術館を運営しろということは、市としてこの美術館を活かしていこうという気もなく、やっかい払い的に指定管理者に丸投げしているようにしか見えない。さらには、笠沙美術館の収蔵品はさほど多くないとは思うが、それらの作品はもはやお金を掛けて保管・展示していく価値がない、との市の認識が露見したということでもある。

これは作品を寄贈した黒瀬道則氏にも申し訳ないことで、お金を掛けて保管・展示する気がないのであれば、価値を認める他の美術館に作品を寄贈・売却してしまった方がよほどいいと思う。

本当に市の財政が火の車で、美術館のような「贅沢」な施設にはもうお金が出せない、ということならまだ分かる。だが、先日南さつま市は何千万円もかけて「くじらバス」という観光バスを導入している。こういう話題性はあるが薄っぺらい観光振興をするよりも、年間300万円でもいいから笠沙美術館にお金をかける気はないのか。そもそも、美術館というのは観光の大きな楽しみである。魅力ある美術館とその眺望、そしてステキなミュージアムカフェがあれば、それだけで旅の目的地になり得るというのに。

そして、仮にこの募集に応える事業者があったにしても、美術館の運営部分は収益事業ではないわけだから、美術館部分は縮小・簡素化していかざるをえない。タダで請け負っている事業なのだから、申し訳程度の美術館であればよしとするであろう。しかしそれでよいのか。やはり公益事業としての美術館部分があり、そこに付帯事業としてミュージアムカフェがあるという形でなければ話がおかしい。この募集の内容では、付帯事業のはずのカフェが本業で、美術館はついでにやればよい、というように受け取れる。

ともかく、この募集は文化行政の面から見ても、観光振興の面から見ても、普通のビジネスとしてみても、おかしい所だらけである。正直、募集者なしということで公募自体がやりなおしになって欲しいとさえ思う。文化芸術にちゃんとお金を出す、ということは矜恃ある市民として当然のことで、タダで美術館を運営させるしみったれた市を作ってはならない

2014年5月3日土曜日

なぜホテルの朝食にはオレンジジュースが出てくるのか?

大抵、ホテルの朝食にはオレンジジュースが出てくるが、そのわけを深く考えたことのある人は稀だと思う。日本では、朝食にオレンジジュースはさほど定着した習慣ではないが、米英文化圏、特にアメリカでは朝食にはオレンジジュースを飲むものと相場が決まっており、実はホテルのオレンジジュースはこの習慣に基づいている(はず)。

では、なぜアメリカ人は朝食にオレンジジュースを飲むのだろうか? オレンジジュースは健康にいいからとか目覚めにいいからとかいろいろ言われているが、それは後付けの理屈に過ぎない。果物ジュースが体にいいということなら別にオレンジジュースでなくてもいいはずだが、アメリカで朝食のジュースといえば圧倒的にオレンジ(か類するカンキツ)である。これはなぜか。

先日カンキツに関する本を読んでこの疑問が解けたので、(ものすごくどうでもいいことだが)これに関して書いてみようと思う。

話は20世紀初頭、1900のゼロ年代に遡る。その頃カリフォルニアのオレンジ産業は生産過剰に苦しんでいた。前世紀に整備された灌漑システムなどのお陰で生産能力が高まり、樹の生長と新植によって生産量が拡大する一方で消費は伸び悩み、フロリダとの競争(当然、東海岸に近かったフロリダの方が有利だった。カリフォルニアは大陸横断鉄道を使ってオレンジを出荷する必要があったので)でオレンジの価格も低迷していた。

それで、カリフォルニアでは生産調整のために生産者がオレンジの樹をどんどん切り倒すというところまでいっていた。 ちなみに、価格が低迷していたとはいえ、このころのオレンジというのは高級品だった。 アメリカ文化、そしてその祖先であるヨーロッパ文化の中では、柑橘類というのはごく限られた南方の地域でしか穫れないものであったので高級な嗜好品として扱われていたからだ。今はどうだか知らないが、古くはクリスマスのプレゼントとしてオレンジを贈る習慣があったそうである。日本でいうと、御歳暮にミカンやポンカンを贈答する感覚に近いものがあったようだ。

ところが、生産量を野放図に拡大したため、値崩れがしたわけだ。もはやオレンジを高級品として売っていくことは難しかったが、それまで高級な嗜好品としての食べ方しかなかったので、消費を増やすことも難しかった。これは、今の日本で、ミカン類が「こたつでミカン」以外の食べ方があまりないために消費量が低迷しているのと少し似ている(カンキツ類の消費は、日本は諸先進国の中では少ない方である)。

そこで現れるのが、「現代広告業を創った男」といわれるアルバート・ラスカーという男である。若きラスカーは当時世界最大の広告代理店(ロード・アンド・トマス)を率い、低迷するカリフォルニアのオレンジ産業を再興するための大規模な広告戦略を売り込んだのである。

彼の最初の仕事はカリフォルニアのオレンジに冠する統一したブランドづくりだった。カリフォルニアには果物生産者組合(California Fruit Growers Exchange)があったが、組合員はバラバラに自分の名前でオレンジを売っていた。ラスカーはそれに「サンキスト(Sunkist)」という統一ブランドを冠し、ブランドの箱と包装紙をつくって出荷した。まとまって出荷を行うことで価格交渉力が増し、信用も高まった。この「サンキスト」は最初は商品名であったが、ご存じの通り後に社名になっていく。

やがてサンキストのブランドが浸透してくると、サンキストの偽物が横行し始めた。その対策が奮っているのだが、オレンジ12個につきオリジナルスプーンをプレゼントするキャンペーンを行ったのである。こうなると、偽物を買うよりも本物を買った方がスプーンももらえて得になるということで、サンキストの偽物が駆逐されたらしい。サンキストは、初年度には100万本のスプーンを配り、1910年には世界最大のスプーン購入業者になっていた。

だがこうした取り組みよりもラスカーの仕事としてもっとイノベーティブなのは、「Drink An Orange(オレンジを飲もう)」というキャンペーンである。ラスカーは、オレンジを嗜好品として消費させるよりも、ジュースにして大量に消費させる道を示した。当時のジュースは今でいうフレッシュジュースで、オレンジを家庭でわざわざ絞る必要があったが、遅れて冷蔵と低温殺菌の技術が開発されて瓶詰めが登場、オレンジジュースは急速にコモディティ(どこにでもある商品)化していく。

ラスカーはこの「オレンジをジュースにして飲む」という新方式を広めるため、ラジオや雑誌や看板といった新しいメディアを駆使した。大量の宣伝によって消費を喚起するという今では当たり前すぎるこのやり方は、この頃のラスカーらが形作ったものだ。そして広告は、大衆文化そのものを変えてしまうほどの力を持つようになる。その証左の一つが、朝食にオレンジジュースを飲むという新習慣の導入に他ならない。

元々、アメリカにもどこにも、朝食にオレンジジュースを飲む習慣はなかった。その習慣を作ったのは、ラジオや雑誌によってオレンジジュースの「効能」を喧伝して遮二無二これを売り込んだアルバート・ラスカーという男なのだ。彼はこうしたキャンペーンをいくつも成功させ、彼の広告代理店は今では世界4大広告グループの一つである「FCB(Foot, Cone & Belding)」へと引き継がれている。

ラスカーの仕事でアメリカ人の朝食文化が変えられたのと同時に、オレンジ生産の方も様変わりしていった。かつてサンキストの包装はオレンジ1つ1つを紙に包んでいたが、ジュースが工業的に作られるようになるとトン単位のコンテナで果実を運び、潰れたり傷がついたりすることもお構いなしに輸送ができるようになった。かつて過剰だった生産能力が、遺憾なく発揮できるようになったのである。ラスカーのキャンペーンが成功した時(1930年代)、カリフォルニアはフロリダの1.5培のオレンジを生産するようになっていた。

この話から、我々日本の果樹生産農家は何を学ぶべきだろうか? 統一されたブランドの必要性? 売り込みに広告代理店を使うこと?  消費を拡大させるために新しい食べ方・楽しみ方を提案すること? あるいはその全て?

私は、アメリカ流の大量生産・大量消費型農業が目指すべき道だとは思わないが(そもそも日本でカリフォルニアのような果樹生産を行うことは不可能)、これまで日本の果樹産業はあまりに小規模零細的でありすぎたので、アメリカ流の考え方も少しは必要だろう。若者がミカンを食べないといわれて久しい(ホントか嘘かは知らない)。「こたつでミカン」もいいが、新しい時代に合った消費の仕方も生まれて欲しいと思う。それには、「うちのミカンは絶品」とか自画自賛する前に、まずは消費者の方を向く、ということをしなければならないと思う。

2014年4月15日火曜日

レアなカンキツ栽培のスタート

最近、苗木の定植に忙しかった。

以前、ベルガモットというカンキツの苗木を定植したという話題を書いたが、その後もライムを30本、ピンクグレープフルーツを30本、ブラッドオレンジを50本定植したのである。ベルガモット20本とあわせて、計130本植えたわけだ。

苗木を植えるのはそんなに手間ではないように思えるだろうが、大変なのは圃場準備である。ベルガモットの圃場は藪だったところだったが、それ以外はポンカンやタンカンが植わっているところを、あえて伐採して植えたので、伐採作業に手間がかかった。というか伐採作業がないなら、定植自体はさほど大変な仕事ではない。

今年植えたカンキツたちは、別に狙ったわけではないのだがレアものばかりになってしまった。多分日本では経済栽培されていないベルガモットを筆頭にして、捌けるか不安があるライム、輸入物との競争力があるかどうか不明なピンクグレープフルーツとブラッドオレンジということで、冒険的なカンキツ栽培のスタートである。

このあたりでは、ポンカンおよびタンカンの栽培が盛んなのであるが、物産館ではそれ以外にもいろんな種類のカンキツを見ることができる。サワーポメロ、文旦などの伝統的(?)なものから、紅甘夏、スイートスプリング、それから最近出てきた種々雑多な晩柑類。そういうものが物産館で売っているということは、地域の人が果敢に新品種に挑戦してきた結果である。とはいえ、私ほど向こう見ずな品種選択をしている人はいないだろう。

だが、グレープフルーツとかブラッドオレンジとかは輸入してまで食べているわけで、そういう品種は輸入品との競争にはなるけれども、需要が確かにあるという意味では有望だ。問題は、そういうレアなカンキツの場合、販路をどうするのか、誰にどうやって売るのかということだ。例えば、国産のブラッドオレンジを求めている人というのはそんなに多くないと思うが、その人たちにどう売っていくのか。インターネットは少数者へのリーチに向いているようだが、それは王手が売り出す場合であって、個別に売っていたら誰にも見てもらえない可能性の方が高い。

この問題に対する回答が今あるわけではないが、結実して経済生産できるようになるのは早くても4年後くらいになるだろうから、その時に向けてゆっくりと体制を作っていきたい。冒険的であるからこそ、今からとても楽しみである。

2014年4月3日木曜日

「JAグループ営農・経済革新プラン」を吟味する


本日(4月3日)、全中(全国農業協同組合中央会)が「JAグループ営農・経済革新プラン」なるものを発表した。内容は中間報告段階で発表されていたものとほぼ同じだったが、この機会に内容を吟味してみたい。

まず、このようなプランが出た背景であるが、端的に言えばJAを改革せねばならない、とする外圧のためである。JA改革の必要性は政府内でも随分前からいろいろな方面から叫ばれていて、農水省のみならず経産省からもそういう声が大きかったと聞く。特に最近、政府の規制改革会議が農業分野の規制改革について検討しており、昨年11月27日には、農業ワーキング・グループが「今後の農業改革の方向について」という報告書を出している。

それによれば、農協については
それぞれの組合が個々の農業者の所得増大に傾注できるよう、コンプライアンスの充実など組織運営のガバナンスについての見直しを図るとともに、行政的役割の負担軽減や他の団体とのイコール・フッティングを促進するなど、農政における農業協同組合の位置付け、事業・組織の在り方、今後の役割などについて見直しを図るべき(強調引用者)
といわれている。

強力な政治力を持つ(とされる)全中のことであるから、こうした会議で何を言われようと痛くも痒くもないかもしれないが、今年6月に出る予定の正式な答申に備え、「自己改革によって指摘されている課題については十分に応えることができます」と主張する目的をもって、冒頭のプランの発表に至ったわけであろう。

そこでプランの内容であるが、大まかに言えば
  • 直販事業へのマーケティング支援や大手小売りとの提携、6次産業化支援、直売所の活用などで販売力を強化する。
  • 農業の大規模化に向けたJA出資法人の設立や農家へのサポートを強化する。
  • 農家を理事に積極的に登用したり、営農担当の理事を置いたりして経営面での農業の扱いを厚くする。
ということになろう。(ちなみに全中の資料では「農家」は「担い手」と表現されている)

この内容は、規制改革会議で指摘されている問題点には応えていない部分が多い。そもそも規制改革会議自体が、JAの現状を十分に理解した上で議論していないように見えるので、彼らが挙げている問題点に完全に対応している必要はない。が、こうしたプランを出して全国のJAを巻き込み何らかの取り組みをしていく以上、JAの抱える課題を少しでも解決していくものでなくてはならない。

そういう観点からこのプランを見てみると、どうも物足りない気がしてならない。販売力強化は必要だと思うが、具体策を見ると、全農が小売企業と資本提携をしたり合弁会社を作ったりということが書かれている。全農はそもそも食品の直販事業を(畜産関係を中心として)やっているわけだから、問題になっているはずの単協(地域のJA)の販売力強化とは少しずれる部分がある。具体策はこれのみではないが、他の部分でも「営農・経済革新」を銘打つような内容はなく、何か「今までやっていることの延長線」感がぬぐえない

では、どういう内容があればナルホドと思うだろうか。人それぞれいろいろあるだろうが、それはJAの抱える重要な課題は何か、ということに帰着すると思う。私も十分にJAを理解しているわけではないが、すぐに思いつく課題としては、
  1. 農産物の流通が構造的に収益部門になっていないので、優秀な人材や予算が収益部門である金融・共済部門に流れがちである。結果として、単協には農産物の販売に関するノウハウや体制が十分にない。
  2. 職員の能力向上に無関心であり、ややもすれば使い捨て傾向があり離職率が高い。
  3. 監査体制が極めて不透明であり、帳簿の管理が杜撰であるため不正が多く、財務状況が経営者にとってもわかりにくい。
  4. 農産物の流通において不透明な部分があることなどで農家からの不信感を招いており、地域の力を糾合することが難しい。
というようなことがある。もちろん状況は地域によって違い、こうした課題をクリアしている農協もあるだろう。それでも、もっと大きな視野で見てみると、農協を取り巻く各種の組織のあり方(経済連や全中や全共連や農林中金)や事業形態が適切・効率的なのかという問題や、そもそも法律(農協法)に規定しているような農協の社会的役割は既に終わったのではないかという疑義すらある。

しかし一方で、私は「普通の農家」にとっては農協はやはり重要な組織であると考えている。特に南薩のような僻地にいると個々の農家が販路を開拓していくというのは大変困難なことであるから、農協の力というのは有り難い。最近流行りの「攻めの農業」をするような優秀な人には農協はもはや不要かもしれないが、私のような零細で技術の未熟な農家には農協は大事な存在である。

であるからこそ、全中にはもう少し真剣に農協改革に取り組んでいただきたいと切望する。農産物流通の収益化などはとても難しい課題であるので後回しにするとして、まずやってもらいたいのが職員の能力向上への傾注である。共済などの無理な推進活動(いわゆるノルマ)を辞めて職員が本来の職務に集中できるようにし、長期的なキャリアパスを描いた上で専門性を高めていけるような人事考課に変えるべきである。特に農産物の生産・流通部門における職員の業績を明確化して、栽培だけでなく産地づくりも含めた農業のプロを養成し、農産物の販売面で単協が経済連・全中に頼らなくてもすむ体制づくり・人づくりを地道に進めてはどうか。人が育てば、農産物流通の収益化も後からついてくるかもしれない。

もちろん、こうしたことは全中の「プラン」などなくても、個別の農協で取り組んでいけることである。中央の指示を唯々諾々と聞いていては、いつまで経っても上意下達的ヒエラルキーに支配された農協組織を変えることはできない。まずは、南さつま農協を農家側から少しでもよくしていければと思う。きっと、南さつま農協の職員も、それを望んでいるのではないかと思っている。

【注意】
私は農協の経営については本当の現場は(職員でも理事でもないため)知りませんので、もしかしたらトンチンカンなことを書いているおそれがあります。間違いなどございましたらご指摘いただければ幸甚です。

2014年3月29日土曜日

アセロラは霜で全滅

以前、アセロラの栽培に挑戦します、という記事を書いたのだが、そのアセロラが全滅してしまった。

植えている園地は無霜地帯と聞いていたが、今年、実際には数回霜が降りていたようである。何しろ全国的にも大雪で大きな被害があった年だったわけなので諦めるしかないが、私も遅霜被害を受けた。

一番ショッキングだったのはアセロラよりもビニールハウスで栽培しているかぼちゃが壊滅的な被害を受けたことだ。特に3月8日あたりに降った霜は強力で、ビニールハウスの中だったにも関わらず、葉やツルが霜でベランベランに焼けてしまったのである。その後暖かくなって、無事だったツルから新芽を出させてなんとか全滅は免れたが、出荷時期はずれ込むわ、収量は激減が予測されるわで収益的に散々な結果が予見される。

そういう年だったために、耐凍性がほとんどないアセロラが全部枯れてしまったのも当然だろう。ただ、これらは根は完全には死んでいないので5月くらいになったら新芽が出てくるだろうし、来年はベタ掛けシート(不織布)などで被覆してやれば越冬も可能かもしれない。とはいっても、数年に一度であれ強力な霜が降る環境で継続的に栽培するのは難しいので、思い切ってアセロラ栽培は諦めることにした次第である。

ではこの場所に何を植えるか。以前ブログ記事に書いた通り、ここはもしかしたらカンキツに不適な場所かもしれないので、カンキツ以外を考えているが、今のところオリーブが有力候補である。私は「南薩のオリーブ」を作ってみたいと思っていたところだし、南さつま市ではオリーブ苗木への助成も予定されているということなので、ここをオリーブ園にしてみようかと思う。これまた簡単な話ではないが、しばらくは無謀な試みを続けてみることにする。

2014年3月24日月曜日

無謀にもベルガモット栽培にトライします

先日、ベルガモットを20本ばかり定植した。

ベルガモットという植物にぴんと来る人は僅かだと思うが、アールグレイの香り付けにつかうカンキツだというと、なんとなくイメージが湧くかもしれない。アールグレイは、青採りしたベルガモットの皮で香り付けした紅茶なのである。

私はアールグレイが割と好きなのだが、実は市場で出回っているアールグレイのほとんどは化学合成された香料が使用されており、本当にベルガモットによって香り付けされているものは少ない。だからこそ、ベルガモットが栽培できれば、本物のアールグレイを飲みたい人からの需要が期待できる。というわけで、ベルガモットに着目したのである。

だが、アールグレイのほとんどが化学合成された香料を使っているのにはわけがある。古くからベルガモットの産地はイタリアのカラブリア(イタリアをブーツと見なした時の爪先にあたる地域)だったが、なぜかカラブリア以外ではベルガモットがうまく育たなかったのである。生産地が限られていたため、アールグレイが世界的な人気商品となってベルガモットの需要が高まると、カラブリアのベルガモット生産者は大儲けしたらしい。だが、ベルガモットの精油があまりにも高価になったため代替の化学合成の香料が開発され、今ではアールグレイといえば化学香料が当たり前になってしまった。

後に、コートジボワールの象牙海岸でもベルガモットは栽培されるようになるが、今でもベルガモットの産地はごく限られている。その理由が気候にあるのか、土壌にあるのか、はたまた門外不出の栽培技術にあるのか、よくわからない。だから、この南薩でベルガモットがちゃんと経済的に成り立つ栽培ができるのか全く不透明である。

だが、南薩では枕崎の「姫ふうき」など紅茶生産が盛り上がっているところなので、本当に「南薩のアールグレイ」ができたら面白い。当然日本には他に産地はないので、特色ある商品になるだろう。

ちなみに、ハイヤーリビングのアールグレイは、本当のベルガモット精油を使っている(ような感じがする)のでオススメである。特にアイスで飲むと美味しい。

2014年3月21日金曜日

大浦町で一番オシャレな農業用倉庫

農業用倉庫が、ようやく建った。

計画では、一昨年には建築する予定だったのだが、予定地が農振(農業振興地域)だったために許可の関係で随分遅れてしまった。農振というのは、農業以外に転用できない地域のことで、ここに建築物を建てるためには、まず農振からの除外申請を行い、さらに(農振から外れても農地であることには変わりないため)農地転用の申請を行う必要がある。

詳しくは述べないが、この手続きには大変時間がかかっただけでなく、役所の対応も悪かったので随分と辟易した。だが、最終的には許可も下りたし、アテにしていた補助金ももらえたので結果オーライである。

ところで、農業用倉庫というと鉄骨スレート葺きが一般的だと思うが、私は倉庫を木造で作った。別に木造にこだわりがあったわけではなくて、ジャムの加工場を作ってくれた工務店さんにお願いしたら結果的に木造になっただけだが、これがなかなかオシャレで気に入った。オシャレなだけでなく、鉄骨に比べると自分で作り付けの棚を作りやすいなど拡張性も高い。

外観も(すぐに汚れそうだが)真っ白で、一見農業用倉庫には見えない。大浦町で一番オシャレ(?)な倉庫ができたと思う。ちなみに、鉄骨で作るよりも頑丈さは劣るが、耐久性はさほど変わらないそうだ。工費は、単純には比較できないが、当然ながら材料費は鉄骨よりも安く済む。一方で基礎を頑丈にする必要があること、木材を組むのに時間がかかることなどは鉄骨よりも費用のかかる点である。今回の場合は、鉄骨に比べてほんのちょっとだけ安かった感じである。

だが、工期が消費税増税前の駆け込み需要の時期に当たり、その分材料費などが上がってしまったようだ。延び延びになっていたものが、許可の関係でこの時期にずれ込んだということで、運が悪かった。だが、こんな忙しい時期に農業用倉庫などという面白味(も利益もさほど)ない仕事を快く引き受け、素敵な倉庫を作ってくれた工務店、加世田のcraftaさんに感謝である。

ちなみにcraftaの代表さんは、南さつま市内で改造自由な古民家を探しているそうである。 古民家リフォームに取り組んでいきたいということで、実際に古民家を社屋+ショールームに使うのが目的ということだ。もし心当たりの物件があれば、コメント欄にでもご連絡いただければ幸いです。