2014年12月1日月曜日

大正時代の本棚がうちに来ました

先日、大叔母の身辺整理を手伝った。身辺整理というか、「もう家財道具のほとんどはいらない、何か欲しいものがあったら持っていって」というので、ただもらいに行ったという方が正しい。

それで、なかなか味のある本棚をもらってきた!

話を聞いてみると、これは元々私の曾祖父が持っていたもので、それを大叔父が引き継ぎ、それをさらに大叔母がもらったものらしい。話が随分ややこしいが、要は私の曾祖父の遺品の一つである。

(もう随分前に死んだ人だから名前を出してもいいと思うが)この本棚の持ち主であった私の曾祖父は丹下 栄之丞(えいのじょう)という人で、名門に生まれながら生来の冒険心の赴くままに生きて随分家族に苦労させたそうである。

例えば、錫鉱山の開発をしようと錫山を購入したものの、結局錫が出なくて大損したとか(ちゃんと調査せずに買ったんだろうか?)。他にも新規事業に手を出して無一文になったこともあるらしい。無一文になった曾祖父は、ツテから口永良部島の島守(しまもり)の職について家族で島へ移住したそうだ。「島守」というのが具体的になんなのか分からないが、大叔母によれば町長の次席にあたるもので、他の親戚によると竹林造成に関係する職だったともいう。

そんなわけで私の祖母は、口永良部島(屋久島の少し西にある島です)で少女時代を過ごし、一日三食とも魚を食べて育ったそうである。

ところで丹下家というのがどういう家柄なのかイマイチよく分からないのだが、丹下栄之丞は第11代目にあたり、初代は文久2年(1862年)に死んだ丹下 仙左衛門という人。丹下家の分家には女性で初めて帝国大学を卒業した丹下 梅子もいる。それなりの家格がある武家だったようである。

私は、そういう家系図的なことはさほど関心がないけれども、昔話は好きである。その栄之丞という人が、好き勝手して身代を取りつぶした話なんかは面白い。冒険心はあったがお人好しですぐに騙されるような人だったらしく、事業家には全然向いていなかったそうだ。ついでに言うと、その奥さん(つまり私の曾祖母)の方が立派な人だったということで、大叔母などが生きているうちにもっと話を聞いておきたいと思う。

ともかく、この本棚はそういういわれでもらってきたものである。ざっと考えて、丹下栄之丞は今から90年くらい前の人になるから、この本棚は約100年前の大正時代のものと考えて差し支えないだろう。蔵書も込みでもらってきたが(というのは、蔵書も不要なため処分してほしいとのことで)明治20年代の万葉集の注解書があったので、これはもしかしたら栄之丞の蔵書だったのではないかと夢想した次第である。

約100年前の(一般的な感覚からは)ぼろい書棚といっても、作りが非常にしっかりしていてガタピシ感もないし、何より古民家の我が家にぴったりだ。ステキな本棚が手に入ったので、これから本が入っていくのが楽しみである。

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