2013年8月14日水曜日

農産物の世界の「言葉狩り」

各国の有機認証ロゴ
無農薬」という言葉は、今や使わない方がいい言葉、ということになっているのをご存じだろうか?

ついでに言うと、「減農薬」も使わない方がいいし、「無化学肥料栽培」なんてのもそうである。例えば、現在「南薩の田舎暮らし」で発売中の狩集農園の「お家で食べているお米」は「減農薬」又は「無農薬」に該当しているのだが、積極的にはそう書いていない。

どうしてダメか? というと、実は農林水産省に「特別栽培農産物に係る表示ガイドライン」というのがあって、このガイドラインの中で「無農薬」などの言葉は使用が禁止されているのである。

ではこれまでの「無農薬」は、農水省のガイドラインに沿って正しく言い直すとどうなるのかというと、「特別栽培農産物(農薬:栽培期間中不使用)」というやたら長ったらしい表現になってしまうのである! ただし、正確にはこれは無農薬なだけでなくて、化学肥料も慣行よりも5割以上削減していた場合で、そうでないと「特別栽培農産物(この言い方自体がもの凄く野暮ったい感じの悪いネーミングだと思う)」に該当しないので、ガイドライン上はそもそも表現することができない。

どうしてそんなバカなガイドラインが出来たのかというと、一応の理屈はある。「減農薬」「無農薬」といった言葉が農家それぞれの考えで使われてきた結果(※)、一般と比べて大して使用農薬が少ないわけでもないのに「減農薬」と表示されたり、残留農薬の可能性がある(前作に農薬を使っていたなど。根菜類とかの場合)のに「無農薬」と表示されたりということがあり、消費者にとって実態がわかりにくい状態になっていたため、これをわかりやすく整理し、適正な表現に改めるため制定された、というのが建前である。

しかしまことしやかに言われているのは、一部の有機農家から『「無農薬」が「有機栽培」よりいいものだと勘違いする消費者が多いので、「無農薬」という言葉を使わせないで欲しい!』という強い要望が提出されていたため、という説だ。

「無農薬」と「有機栽培」の違いが分かっていない人は確かに多いし、「無農薬」の方が優れていると誤解している人も多いだろうが、だからといって「無農薬」という言葉を使わせないようにするというのは、ちょっと行き過ぎである。「無農薬」というある程度市民権を得た言葉の命脈を絶って、「特別栽培農産物」という役所的な言葉で代替しようとするのはそもそも無理がある。「特別栽培農産物」と表示されていても、どれくらい有り難いのかよくわからないから消費者が手を出さない。消費者が手を出さないから普及しない。結果的に、特別栽培(化学肥料5割減、農薬5割減のこと=ちょっと環境に優しい農業)を普及させようという意図とは逆に、消費者の嗜好は、慣行か有機か、に二極化しつつあるように見える。

そしてガイドラインの認知度がいまいちなためか、今でも「無農薬」と謳われた農作物はたくさん売られている。このガイドラインには法的拘束力もないので、別に違反しても罰則があるわけではない。それ以上に、あまり浸透していないので、「無農薬」という言葉は使わない方がいい、ということ自体が食品業界でもまだ明確には意識されていないように思われる。法的拘束力のないガイドラインなどで安易に言葉を捨て去るべきではないし、それでいいのだろう。

ついでに言うと、ガイドライン制定の経緯に影響しているかどうかはともかくとして、「無農薬」が「有機栽培」より優れている、という誤解は未だに根強いものがある。しかしその誤解を解く方法は、「有機栽培」の良さを地道に浸透させていくことこそ王道で、「無農薬」を亡き者にすることではないはずだ。

ちなみに「有機栽培」とか「オーガニック」という言葉も認証を受けなければ使えないことになっていて、仮に本当の有機栽培であっても認証を受けずに「オーガニック」などと表示して販売すると、農水省から改善の命令が下り、改善しない場合は販売を中止させられることになる。こちらはガイドラインではなく法律(農林物資の規格化及び品質表示の適正化に関する法律第19条の15)で定まっているので守らなくてはならない。

こうして「有機」の言葉が法律上強く守られている理由は私にはよくわからないのだが、どうやら国際的なものらしく、認証を受けずに「有機」を謳ってはいけないという条文は世界のスタンダードに合わせて制定されたようである(未詳)。

そこまでしても、「有機栽培」が「無農薬」に負けてしまうというのは不思議な気がするが、一つ思うのは法律に基づく「有機」の表示ロゴがかっこわるい、ということである。まるで「特別栽培農産物」という表現のように生硬な感じがする。そもそも、ロゴの少ないスペースにあまり浸透していないJAS(日本農林規格)という言葉を入れているあたり、バランス感覚が欠如しているのではなかろうか…。

「有機栽培」にプレミア感を持たせ、消費者・生産者ともに魅力を感じてもらいたいと思うのであれば、他の類似の言葉の使用を禁じるのではなく、まずは認証ロゴをかっこよく、またわかりやすくしなくてはならないだろう。諸外国のロゴを並べてみてもあまり魅力的なものはないが、少なくとも他国は「有機=organic又はbio」を全面に出している(EU除く)わけで、なぜ日本が「有機」の文字を出していないのか不可解である。これで消費者に通じると思ったのであろうか?

それに、無認証のものがあってこそ認証済みのものが有り難いわけで、「有機栽培」という言葉を無認証には使わせないという施策は有機栽培推進の上でも誤りだと思う。めいめいの農家が自分なりの「有機栽培」をやり、いろんな「有機栽培」があるからこそ、一定の基準をクリアした「認証有機栽培」が光ってくるのではなかろうか。

無認証のものを黙認すると、「本当には有機栽培とは言えないものが有機栽培として売られるかも知れない!」と危惧される方もいるかもしれない。でもそれなら認証されたものだけ買えばいいわけで、認証されていなくても性善説に立って買おうという人もいるのだから、無認証の有機農産物の販売を禁止する必要はない。

これは「無農薬」であれ「無化学肥料栽培」であれ同じで、こうした言葉を禁止する必要はなく、農家の言葉を信じられない方は「特別栽培農産物」を買えばいいだけの話である(特別栽培農産物は、認証を受ける必要はないが、適切なチェック体制を整え、また使用農薬や肥料などを表示することになっている)。

そもそも、言葉がその当たり前の意味で使われ、誰に保証されなくてもそれを素直に信じる、というのは社会を構成する最も重要な基盤であって、コミュニティに必要不可欠な信頼関係と連帯意識を作るものである。言語を使う上での最低限の条件であると言ってもいい。それを言っているヤツはウソつきかも知れない、という疑いを抱き始めると、究極的には信じられるものは何もなくなってしまう。

こういうことを言うと、「でも現実に悪いヤツはいる」という反論があるだろう。しかし悪いヤツを排除するために無闇に言葉狩りをしていると、ジョージ・オーウェルが『1984年』で描いたように、我々はダブルスピーク(思っていることと違うことを言う話し方)をしなくてはならなくなる。「言葉狩り」というと大げさだが、「無農薬」とか「有機」とかを自由に使えない、という問題は、些末なことに見えて実は、我々の社会のほころびを暗に示しているのかもしれないと感じている。

※正確には、「無農薬」などの言い方も「特別栽培農産物に係る表示ガイドライン」になる前の旧ガイドラインで規定されていたもので自由に使われていたわけではない。

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