2022年8月21日日曜日

今や最大の交通弱者は高校生。行きたい高校に通学手段がなく行けないのは大問題

この画像は、今年の2月に南日本新聞で報じられた、鹿児島県の公立高校の出願状況である。

【参考】
公立高校入試 最終倍率0.82倍 定員割れ63校126学科の2913人 鹿児島県(2月25日)|南日本新聞
https://373news.com/_news/storyid/152098/

ご存じの通り、鹿児島の公立高校は定員割れが深刻である。しかも県の方にはそれを改善しようというそぶりさえない。市町村では児童生徒が少なくなった小中学校は割とあっさり閉校・統合されてしまうが、県立高校の場合は定員割れが続いていてもほとんど放置されている。

なぜ県はこの惨状を放置しているのか、それはともかくとして、今年は長女が中学校に上がり、鹿児島の高校のこの状況も他人事ではなくなってきた。

というのは、県の中でも鹿児島市中心部の高校は定員割れまではいっておらず、地方の方が定員割れが激しいからである。うちは南薩のそのまた僻地に住んでいるので、この影響を大きく受ける。

南薩学区には、そもそも普通科を置いている高校は4つしかない。加世田、川辺、頴娃、指宿の各高校である。その普通科の定員と出願者数・倍率は下のようになっている(なお定員は学力検査定員。つまり推薦入試の応募枠を除く)。

高校    定員  出願者数 倍率
加世田高校 115人  94人  0.82倍
川辺高校   80人        68人  0.85倍
頴娃高校   40人   7人  0.18倍
指宿高校  120人  86人  0.72倍

これを見ればわかる通り、特に頴娃高校の普通科の定員割れは激しく、7人だと高校の「学級」としては成立しない水準になっている。このような激しい定員割れの状態では適正な教育が提供できないと思う。ここまでなくても、定員割れをしている学校では、学力的に多少不足していても合格を出さざるを得ないし、 学校の施設設備の維持にも支障が出てくることは想像に難くない。

「そんなこと言っても子供の数が減ってるんだからしょうがないだろう」と思う人もいるだろう。それはその通りである。しかし、高校全てが定員割れに喘いでいるのかというとそうではない。

例えば、加世田高校の近くにある私立の鳳凰高校は、私立なのでそもそも倍率の情報はないが定員割れという話は聞かない。それどころか最近の鳳凰高校は徐々に大きくなっているような気すらする。子供の数は少なくなっているのになぜ鳳凰高校は成長しているのか。

それにはいろいろな理由があるだろうが、寮とスクールバスの存在だけでもかなり説明できる。

というのは、僻地に住んでいると高校に通学するということ自体が一つのハードルだからである。例えば、うち(大浦町)から公共の交通機関を使って登校できる公立高校は一つもない。原付で通うか、親が毎日送り迎えする以外に通えないのである。しかも原付免許は満16歳以上から取得可なので、高校入学当初から使える人は少なく、例えば12月が誕生日の人は1年生の2学期までは親が送り迎えしなくてならないということになる。

こうなると、親の仕事の都合がいいか(高校の近くに職場があるなど)、よほど時間に自由がきかない限りは公立高校普通科に通わせることはできない。さらに兄弟姉妹が別々の学校に通う場合には、かなり自由がきく親でも毎日の送迎は不可能だと思う。

もちろん、これは今に始まった話ではなく、大浦町の高校生は昔から通学には苦労してきた。だが平成16年(2008)までは町内に笠沙高校があり、さらにその前にはもう少しバスの本数が多かったため、かつては高校を選ばなければ自力通学できる状態だったようだ。ところが、最近は路線バスは激減どころか路線自体が廃止されるくらいで、登校の役には立たなくなった(下校は加世田―大浦間はバスが使えるが…)。

加世田高校とか川辺高校のような、(一応)地元での名門校が定員割れしているのはこのせいが大きい。最近の公共交通の衰退によって、高校も元倒れしているというわけなのだ。

そんな状況を逆手にとって、鳳凰高校のような高校はどんどん入学者希望者を増やしている。鳳凰高校には約600名分の寮があり、スクールバスはなんと16路線で運行している。驚くのはそのカバー範囲の広さで、川内以南の薩摩半島全域に及んでいる。もはや鳳凰高校は南薩だけでなく薩摩半島西部の中核的な役割を担う高校といっても過言ではない。どうしても通学手段がない生徒は鳳凰高校に頼るしかないのだ。

他に大浦までスクールバスを運行している高校といえば、鹿児島情報高校(谷山)がある。情報高校は、バス路線は南薩を中心とした9本と少ないが、溝辺線があるのが注目される。溝辺のあたりも高校の通学が困りそうな場所である。

もっとすごいのが鹿児島城西高校(伊集院)。城西高校のスクールバスは17路線を運航し、薩摩半島全域をカバーする。先ほどの溝辺に加え、鶴田とか東郷のような僻地にもバスを通しているのはお見事という他ない。

そんなわけで、薩摩半島の僻地に住んでいる高校生にとっては、学校の偏差値がどうだとか、教育内容がどうだとかいうよりも、もはや「通学手段があるかどうか」だけで鳳凰・情報・城西の私立3高校に絞られてしまう、という現実がある。

ところで、そもそも南薩には普通科を置く公立高校は4つしかないし、人口減少によって子どもの数も少なくなっている。そんな中、ただでさえ少ない地域の高校生がわざわざ地区外の高校に通っているのはもったいない、と思うのは私だけではないだろう。地域の高校に通わせてあげた方がずっとよいのである。

だからこそ言いたい。鹿児島の公立高校は、スクールバスを出しなさい! と。

鳳凰高校のような私立高校が、通学に困る生徒の受け皿になっていること自体がおかしいと私は思う。高校に行きたいと思う人は誰でも通えるようにする責任が、県にはある。「高校に通いたいなら親が送り迎えすれば? 僻地に住んでるのはあなたの勝手でしょ?」というのは公教育の提供として間違った姿勢だ。

路線バスは減ったり廃止され、コミュニティバスは高齢者のためのものとして運行されていて通学には使えない。だから今、高校生が一番の交通弱者になっている。スクールバスを出すことが県の責務だと私は思う。

ここで、ちょっと詳しい人はツッコミを入れるかもしれない。「全寮制の楠隼(なんしゅん)高校は、公立普通科だけど激しく定員割れしてるじゃないか。交通の問題なら楠隼高校が定員割れするのはおかしいのでは?」と。

楠隼高校は、中高一貫の男子校で全寮制進学校という、公立高校としてはかなり変わった学校であるが、実は先ほどのデータでは39名の定員に対して出願者が1名しかなく(!)、なんと倍率は0.03倍というほぼ廃校寸前の数字である(ただし楠隼高校は内部進学があるのでクラスが1人というわけではない)。

確かに交通の面だけを考えれば全寮制は魅力的だが、楠隼高校は高校生(や保護者)の需要に応えて作られたものではなく、完全に政治主導で周回遅れの(2周遅れくらいの)教育思想によって作られたものであるから当然だ。通っている学生がこれを読んだらかわいそうだとは思うが、現実は数字が語っている。

同じ寮生活でも、鳳凰高校と楠隼高校では意味が全然違う。前者があくまで通学に困難を抱えた僻地の生徒の助けとなるものであり、実際に離島からも多くの生徒が鳳凰高校に入学するのと比べ、後者の場合はそうした生徒の希望に沿って作られたものではないからだ。寮もスクールバスも、あくまで生徒の需要に応じて作るべきものだ。これまでの鹿児島県の高校の教育行政は、どうもこの「生徒の需要」というものが軽視されてきたような気がして仕方がない。

鹿児島県には、楠隼高校のような高校を新設するのではなく、むしろ定員の回復が見込めない高校は閉校にして地域の中核となる高校を残し、その高校にスクールバスを運行するという当たり前の政策を実施していただきたい。定員割れ自体はそれほどの問題ではないとしても、行きたい高校に通学の問題で行けないのは大問題である。

娘が高校に上がるまであと2年半。それまでにどうぞスクールバスの運行をお願いします。

※当然ながら普通科以外でも定員割れは深刻だが、普通科以外(工業高校系など)は学区がないなど少し状況が異なるので、本稿では単純化のために普通科のみの議論とした。

2022年8月1日月曜日

Amazonの本の価格がむちゃくちゃになる4つの理由

もう、さんざん言われていることだろうが、私も実感したので書いておく。

「Amazonの本の販売は、価格がむちゃくちゃになってる」

——6月10日、私の書いた本『明治維新と神代三陵—廃仏毀釈・薩摩藩・国家神道』が法蔵館より出版された。価格は1,700円+税。つまり1,870円である。

↓Amazonページ
https://amzn.to/3Q0wIio

私は、自分の本なので、出版前の予約段階から本書のAmazonページをほとんど毎日チェックしてきた。そこから見えてきたのは、Amazonマーケットプレイスの本の販売は、良心が崩壊したものだということだ。

ご存じの通り、Amazonマーケットプレイス(いろいろな業者がAmazonの仕組みを利用して販売する方式)では、「新品」「中古品」「コレクター商品」という3つのカテゴリがある。まずは「新品」がこうなっている。


一番上はAmazon公式の出品。これは定価1,870円で、しかも送料無料。これが通常のAmazonの販売方式である。しかし次からは販売価格こそ1,870円であるが、送料が600円もかかる。その次の業者も送料が712円。ちなみに書籍を送る場合、郵便局のスマートレターが全国一律180円。少し大きいサイズまで送れるクリックポストでも185円である。少しでも送料を安くしようと工夫している出品者が多い中、この送料の設定は、実際よりずいぶん高い送料によって利鞘を稼いでいるとしか考えられない。

しかしこの時点で新品の本書を販売しているのは23業者もあって、これらは一番安い方なのだ。では一番高いのはどうかというと、こんな風になっている。

 

最高価格は、なんと定価の3倍以上の5,790円。Amazonはもちろん一般書店でも定価で本書が売られている中で、どうして定価の3倍もの価格をつけたのか。

それよりさらにおかしいのが「中古品」。そもそも、まだ新品すら市場に出回っていない中で中古品が売られていること自体が奇妙だ。記録を取っていないが、Amazon公式が販売してから3日後くらいには「中古品」が売られるようになった。「中古品」であるということ自体が嘘八百である。

その価格は、新品の2倍以上である4,675円が最安値となっている。そもそも新品が1,870円で売っているというのに、どうして中古品がその2倍以上の価格になるのか、全く意味不明である。なお中古品は11業者が出品しており、その最高価格は4,675円+送料257円=4,932円である。

さらに、本日(2022年7月31日)、ついに「コレクター商品」の出品が登場した。それがこちら。3,740円だそうである(新刊価格のちょうど2倍)。


ちなみにAmazonのガイドラインでは、「コレクター商品」で出品するには、「サイン入り、絶版などの付加価値が必要です。どのような点にコレクター商品として特別な価値があるのか詳しい説明を提供してください」となっている。そして、本商品の商品説明を見ると「絶版・廃盤・希少品等の理由により、コレクター出品させていただいております。」とある。

しかし、もちろん、この説明は虚偽であり、ガイドラインに違反している。 

さて、Amazon公式(や一般書店)が本を定価販売している中で、多くの出品者が売れそうにもないほどの高い価格で、しかも「中古品」とか「コレクター商品」と偽って販売しているのはなぜなのだろうか。

その答えは、次の4点に集約できる。

第1に、最初からAmazon公式の売り切れ、絶版後を狙って販売していること。
第2に、日本では本の再販制度があり、新刊本は定価販売を義務づけられていること。
第3に、Amazonマーケットプレイスにおける業者の値段の付け方がかなり自動化されていること。
第4に、書店の経営が厳しく、新刊本の販売では利益がでなくなっていること、である。

第1の「最初から絶版後狙い」については、そもそもAmazon公式には絶対に敵わないと諦めている、ということだ。それはやむを得ないと思う。Amazonマーケットプレイスで新刊本を販売することを考えてみると、まず本の仕入れ価格は、条件によって様々であるが大体売価の70〜80%である。つまり1,870円の本の場合、粗利は400円くらいということになる。これからAmazonへ払う手数料が売価の15%(=280円)送料無料にすると利益はないか赤字だ。

であれば、Amazon公式が販売している間は売れなくてもよいので、公式が売り切れになってから売ろうという戦略は間違っていない。先ほどの業者が絶版・廃盤・希少品等の理由により…」と書いていたのは、まだ絶版ではないがすぐに絶版になるだろうとの見込の下、先回りして書いていたのである。これは嘘をついているのでよくないが、絶版後に適正価格で売るのは何の問題もない。

しかし問題は、Amazonが書籍販売においてあまりに大きな存在感があるため、消費者は「Amazonが売り切れだったら絶版に違いない」と思ってしまうし、「Amazonで定価の2倍だったら、それが相場なのだろう」と思ってしまうということである。そしてその価格で買ってしまうのである。

その極端な例を一つ挙げよう。

山田風太郎の作品に『魔群の通過—天狗党叙事詩』という作品がある。この作品は、Kindle版は販売されているが、文庫・単行本は絶版中のようである。それでも稀覯本というわけではないので、中古品がだいたい500円で販売されている。高くても1,000円くらいである。ところがAmazonマーケットプレイスでは、これを15,690円で売っている猛者がいるのだ(この価格を付けている「KWZネットワーク」はいろんな商品でボッタクリ価格を付けている業者)。

もし仮に、安値(といっても結構高い値もあるが)で販売されている他の業者の『魔群の通過』が全部売れてしまったらどうなるか。Amazonで検索した人が見るのは「15,690円」の商品だけであり、これがボッタクリ価格であることがわからず、「そっかー、この本は貴重な本だから高騰しているのか!」と思ってしまうに違いない。『魔群の通過』の場合は、出品が10業者ほどしかないからその可能性もゼロではないのである。そういう時、どうしても『魔群の通過』が欲しい人は、いくら高くても買ってしまう。それが本の虫のサガである。

第2の「再販制度」については、よく知られていることだろう。本は出版社に返品できるという条件で書店に納品される。返品可能な代わり、定価販売を義務づけられている。これが「再販制度」である。だから本当は、新刊本(や雑誌)は原則的には定価販売をしなくてはならない。

そのため、新刊本を「中古品」と偽って高値販売しようとする業者が現れるのである。ただし、再販制度は独占禁止法の適用除外によって規定されている。つまり出版社と小売店での取り決めに過ぎないので、新品を定価より高く売っていても、業界の取り決めには違反しているが、違法ではない。

第3の「自動値付け」については、より根深い問題を孕んでいる。Amazonマーケットプレイス登場以前は、古書店の重要な仕事は、本に値段をつけることだった。今目の前にある本をいくらで売るか、それは古書店主の「目利き」を必要とした。だから簡単に古書店主になることはできず、長い修行を要したのである。というのも、普通の人は、目の前にある本が100万円する稀覯本なのか、 10万円の貴重な本なのか、1万円の高価な本なのか、1000円の普通の本なのか、それとも100円のクズ本なのか、全くわからないのである。

ところがAmazonマーケットプレイスで多くの古書が売られるようになると、Amazonの相場を見れば大体わかる、ということになってしまった。とりあえず目の前の本を検索して、それが1,500円だったら、1,500円と値段を付けておく、というような値付けが可能になった。いつしかそれは自動化されて、本のバーコードを読み取るだけでネット販売での「適正価格」が自動で設定されるようになった。こうして、本の内容を一切知ることなく古書店を経営することができるようになったのである。

しかしこの方式が広まったことによって、本の内容はおろか、需要と供給のバランスすらも無視したやり方で本の価格が決まるようになってしまった。

例えば拙著『明治維新と神代三陵』の場合、先ほど「4,675円が最安値」と書いたが、実は出品している全11業者が同じ価格をつけている(ただし送料が違うので実質の価格はやや異なる)。これは確実に、誰かが最初に入力した「4,675円」を自動的に追随したことによって生じた価格なのだ。 4,675円で本書を買った人はまだ一人もいないのに!

4,675円が「適正価格」(=需要と釣り合った現実的な価格)であるか明証されないうちに、Amazonの画面の中では、本書の中古品は4,675円が「適正価格」であるかのようになってしまった、ということだ。これがとんでもない見当違いであることは誰でもわかるだろう。

昔ながらの、店主がその「見識」で値付けしていた古本屋ではこういうことはなかった。店主が本の内容を見て、「これは3,000円の価値があるだろう」とか「これは3,000円で売れる本だ」と思うからその価格を付けていた。もちろん、神保町のような古本屋が集積している場所では、隣の古書店の価格は気にしていたに違いない。しかし隣の古本屋で3,000円だからといって同じ価格を設定するようなことは、基本的になかったと思う(そもそもいちいち価格を調べることが現実的でなかった)。そしてその3,000円という価格は、古本屋としての長い経験に裏打ちされたものであるだけに、需要と供給のバランスを見据えたものになっていたはずである。

今は、古書店から「見識」が失われ、自動値付け機能によって本の価格がすっかりおかしなことになってしまった。それは本の価格が「投機化した」と言えるかもしれない。

第4の「書店の経営が厳しい」は、今さらいうまでもないことだ。もともと、書店は新刊本の売り上げだけでは利益がなく、雑誌によって利益を出していた。しかし最近わざわざ雑誌を買わなくてもインターネットでいくらでも情報が手に入る(という錯覚がある)ため、雑誌の売上が急激に落ちてきた。そこでこれまでどおりの経営では立ちゆかなくなっているのである。

結果、リアル書店は減少の一途を辿っている。そうして、身近に本屋がないという町が日本にたくさん生まれている。 そうした町にいる読書家は、いきおいAmazonに頼らざるを得ないのである。よって、リアル書店へアクセスしづらい人にとってはAmazonの相場を受け入れる他ない。

また書店にとっても、従来通りのやり方では立ちゆかないのがわかりきっている以上、思い切ってAmazonで高値をつけるアコギな商売をしているのかも知れない。ただし、私の観測している範囲では、リアル書店でこのような良心を欠いたやり方をやっているところはないと思う。むしろリアル書店が衰退したその空隙に、非良心的な業者が湧いているような気がする。

また、1,000円で売られている本に15,690円を付けるような、本物のボッタクリ業者は割合としては僅かだが、自動値付けによって「15,690円」を追随してしまう業者は多く見受けられる。こういう業者は、単に自動値付けのやり方が「最高価格に合わす」という方法であるためで全く悪意はないのだが、結果的にはボッタクリに荷担しているのだ。

そしてそのような見識なき追随が横行した結果、いつしか「15,690円」の方が適正価格とみなされて、一気に値段が10倍になってしまうことはAmazonではよく観測される。例えば、圭室文雄という人が書いた『神仏分離』という新書は、Amazonでつい1年前まで1,500円で売られていたのに、今では最低価格が

 

結局、出版社の経営的体力がないから、初版2,000部の本を自転車操業的に出版し続けなければならないラットレースが起こるのだ。初版2万部の本を長く売っていった方がいいのは出版社の人もわかってはいるが、自転車操業をする以外に今のところ資金繰りをする術(すべ)がないのである。

これを消費者の側から改善する手段は一つしかない。本を買うことだ。

初版2,000部の本がパッと売り切れれば、重版もかけられる。重版も売り切れれば出版社の手元に利益が残る。そうすれば、在庫を抱えるのも怖くなくなる。今まで初版2,000部だった本を4,000部刷れる。簡単に絶版にならなければ、Amazonマーケットプレイスで非良心的業者が活躍することもない。そうすれば本をボッタクリ価格で買わざるを得ない状況もなくなり、結果的に消費者のお財布にも優しいのである。ちなみに「中古品」がいくら売れても出版社にも著者にも一円もお金は入らないのだから、絶版にならないことは、消費者・出版社・著者にとって「三方よし」なのだ。

というわけで、新刊本を買って下さい(拙著でなくていいので(笑))。長くなったが、これが私からのメッセージである。

※なおやむを得ず古本を買う場合は、「日本の古本屋」で買うのがよい。これは組合に加入しているちゃんとした古本屋が出品しているので、Amazonのようなむちゃくちゃな値付けは基本的にない。

2022年7月25日月曜日

洋上風力発電は、結局、全部カネの話。

先日の鹿児島県議会では、薩摩半島沖での洋上風力発電についての「国への情報提供」が見送られた。

ひとまずしばらくの間は、公式には話が進まないことになってホッとしているところである。

というのは、反対の署名運動が行われるなど地元での不評にもかかわらず、洋上風力発電はどんどん進んでいきそうな雰囲気になっているからだ。これまでの情報を整理して、その危惧をここに書いておきたい。

そもそも、薩摩半島沖での洋上風力発電事業については、2年前(2020年)の7月、東京のインフラックスという業者が計画を立ち上げたことで始まった。これについては私もブログ記事を書いて詳細に計画の杜撰さを糾弾した。

【参考】吹上浜沖に世界最大の洋上風力発電所を建設する事業が密かに進行中(今なら意見が言える)
https://inakaseikatsu.blogspot.com/2020/07/blog-post.html

また、続く記事では、この計画が国の洋上風力発電プロセスに全く則っていないものであることを指摘し、その背景を推測した。

【参考】インフラックス社が実現可能性の低い巨大風力発電事業を計画する理由
https://inakaseikatsu.blogspot.com/2020/08/blog-post.html

では、「国の洋上風力発電プロセス」とは一体何かというと、まずはある海域内において洋上風力発電事業を推進するという「促進区域」を国が定めることから始まるのである。その「促進区域」はどうして指定するのかというと、都道府県からの「国への情報提供」に基づく。これは「この海域が有望そうだから調査してください」という上申書である。

今回の県議会で見送られたのはこの「国への情報提供」である。なお、「促進区域」の指定自体は、必ずしも都道府県からの上申がなくてもできるらしいが、事実上、都道府県が前向きでない場所で国が先走っても無駄なのでこれが必須のプロセスとなっている。そしてもちろん都道府県は、地元の声を踏まえて上申するわけだが、その「地元の声」とやらはどうなっているか。

今、鹿児島県では薩摩半島沖での洋上風力発電事業に3事業者が名乗りを上げている。先述のインフラックス(いちき串木野市、日置市、南さつま市沖)の他に、三井不動産(阿久根市、薩摩川内市、いちき串木野市沖)、そして地元の南国殖産(阿久根市、薩摩川内市、いちき串木野市沖+甑島沖)である。

ということは、少なくともこの3事業者にとっては需要があり、特に地元の主要企業である南国殖産が手を上げていることは意味がある。これはこれで一つの「地元の声」である。

では県議会ではどうだったか。先日の「令和4年第1回定例会」の議事録を確認してみた。主な発言者と趣旨は以下の通りである。

宝来良治 議員(自民党) …洋上風力発電の可能性について問うもの。推進の立場。「県としても、積極的に地域課題として認識して、また地方創生の一翼として、大規模開発として、リーダーシップを取る覚悟が必要だと考えております」 
日高 滋 議員(自民党) …洋上風力発電の導入を期待するもの。推進の立場。「二〇二五年までの基盤形成に乗り遅れないためにも(中略)国への情報提供を行うべき」

具体的に洋上風力について質問したのはこの2名だけだが、2名ともが推進の立場なのが気になる。なおこれらの発言を受け、県では「国への情報提供」は見送ったものの、「かごしま未来創造ビジョン」に脱炭素社会の実現に向けた方策の一つとして「風力発電」を事例として追記したという。

ところで、この2議員はどうして洋上風力発電に前向きなのだろうか。その個別の事情は存じ上げないが、共に自民党であるし、基本的には「洋上風力発電の推進が国策になっているから」ということかと思われる。特に日高議員は質問においても国の政策について言及している。

政府・与党は洋上風力発電に前向きである。再生エネルギーの導入を促進し気候変動に対応する、といった大義名分は当然として、最近は政策的に再生エネルギーへの傾斜が明確になってきた。昨年改訂された「第6次エネルギー基本計画」においても、電力における再生可能エネルギーの割合を2030年に約40%へ引き上げ、2050年にはカーボンニュートラルを実現する、との野心的な目標が示されたところである。

自民党でも「再生可能エネルギー普及拡大議員連盟」が2016年に設立され、100名以上の国会議員が所属している。会長の柴山昌彦は「再生可能エネルギー最優先の推進役として活動する」と旗を振り、特に洋上風力はその軸であると位置づけている。「第6次エネルギー基本計画」が自民党からの提言を受けたものであることは言うまでもない。

これらの動きは、一見、脱炭素社会に向けての前向きなもののようにも見える。しかし私には、洋上風力発電事業が一種の「利権」となりつつあるのではないかと感じられる。

例えば、先の自民党「再エネ拡大議連」の事務局長(秋本真利衆院議員)は、「風力発電業者5社から企業・個人献金合わせて3年間で、計1800万円以上を自身が代表を務める千葉県第9選挙区支部で受けている」という(「週刊新潮」2022年6月16日号)。

もちろん、それが業者との癒着や不正を直接意味するものではないが、そこに何の利権も存在しないといえばウソになる。

そもそも、洋上風力発電事業はとんでもなく巨大なお金が動く事業である。民間の行う事業としてはかなり大きい。吹上浜沖に100基の風車を設置するとなれば、事業規模は1000億円を超えるのではないかと思われる。とすると、その0.1%を見返りとして業者が政治献金しても1億円にもなる。これは、これまでの公共事業と違って国が巨額の予算を組む必要がなく、民間事業者がお金を集めて行うものなので、与党としては、ただ許可を与えるだけで政治献金が見込めることになり、非常に割がいいものではないかと思われる。

つまり洋上風力の場合、国はお金を出す必要がなく、許可だけで政治献金が期待できる。公共事業に大きな予算を付けづらい今の財政事情を考えれば、これは旨味のある話なのだ。また地方議員にとっても、合意形成を図ることで政治献金に繋げていける。別にカネで全てが動くというつもりはないが、巨額のカネが動く事業である以上、当然の話としてこういう「取引」が行われることになる。

ではその巨額のカネはどこから出てくるか。

これは基本的には、民間企業が投資家から集めたお金、ということになるだろう。こういう、環境保全に役立つ事業の債券を「グリーンボンド」と言う。「グリーンボンド」で集めたお金で事業を行い、債権者に返済していくわけだ。風力発電の場合は、FIT(固定価格買取制度)によって電力を高価格で販売することで、利益を生みだす。その価格は、我々が支払う電気代に上乗せされた「再エネ賦課金」で支えられている。

ということは、図式的に言えば、我々→(再エネ賦課金)→電力会社→風力発電事業者→投資家・政治家、というようにお金が環流していくことになる。これは、お金の潤沢なところから足りないところに行き渡っていく、という理想的な姿とは真逆で、お金のないところからお金のある所にお金が吸い上げられていく仕組みになっている。

お金の話が出たついでにいえば、多くの人が洋上風力発電に反対している中で、明確に賛成の意志を表示しているのが漁協であるということも、やはりカネがらみである。

先日の南さつま市議会では、地元の2漁協から別々に「洋上風力発電事業の推進について」といった陳情が提出された。なぜ漁協が賛成するのかというと、漁協は海域に「漁業権」という直接の利権があるので、もし風力発電事業が行われるとなればその補償金が見込まれるからである。このあたりの漁協というのは高齢化や漁獲量の減少によって活動が低迷しているから、補償金をもらった方が得だ…という判断なのだろう。

なお、風力発電の基体が魚礁になって魚が増える、という説もある。しかし補償金がなかったら漁協は賛成派にはならなかっただろう。なんだかんだ言って、全部カネの話に繋がっていく。

風力発電の推進は、地球環境保全に役立つ、という主張は嘘ではないとは思う。でも、地球環境に役立つはずだった太陽光発電のせいで、各地で山崩れが起こっており、治山治水の逆になっているのは事実である。またそうした被害を受けたパネルは産業廃棄物となっている。どうしてそんな無理のある地形に太陽光パネルが設置されたのかというと、要するに補助金狙いの杜撰な計画が各地で推進されたから、としか言いようがない。

実際、奈良県の平群(へぐり)町では、メガソーラーの建設差し止めの事件が起こっている。この場合、「環境のことなどどうでもいいから、儲かればいい」という事業者だったようだから建設が差し止められたが、他の業者も良心的なところばかりではないことは想像に難くない。

【参考】奈良県が止めたメガソーラー計画の現場から見えてきたもの
https://news.yahoo.co.jp/byline/tanakaatsuo/20210827-00255241 

結局、環境保全とか、気候変動などというものは、多くの事業者にとって大義名分以上の意味はないものだ。ただ利益が出れば、それでいいのだ。もちろん、それがわかっているから、国としては環境保全や気候変動に役立つ事業が儲かるよう、補助金をつけたり便宜を図ったりする。しかしそれが利権化することによって、さらに話はカネの話に傾斜していくのである。

結局、全部カネの話なのだ。

資本主義社会である以上、それは当たり前じゃないか! といわれれば、その通りである。しかし、吹上浜沖のような風光明媚なところに、わざわざ巨額のお金を投下して風力発電所を作るのは、単なる金の使い方としてもうまいやり方のようには思えない。それは我々の生活をよくするものではなく、単に「再エネ賦課金」を徴収するための集金装置に過ぎないからだ。

「再エネ賦課金」は、今3.45円/kWh。国全体では、2021年度で約2.5兆円にも上る。これは国が徴収しているのではなく、各電力会社が電気料金に上乗せして集めているので、この金額がどこか一箇所にあるのではないが、それでも毎年(!)これだけのお金が集められて、そして再エネ事業(太陽光発電や風力発電)に環流していっているということになる。

毎年2.5兆円あれば何が出来るか。例えば、国立大学の大学教育が無料に出来る。

再エネ推進が大事なことであるにしても、大学教育を無償化して人材育成を図る方が、長期的に見れば環境保全に役立つ。なぜなら、日本で公害問題が概ね解決されたのは、経済成長によって「環境も大事だよね」という意識が広まったことが一番のポイントだからだ。食うや食わずの生活をしていては、地球環境などという抽象的なものを守ろうという気にはならない。日々の生活に余裕があり、身の回りのことに不足しないようになってからこそ、地球環境の保全にも意識が向くのである。

その意味で、地球環境保全にとって最大の敵は貧困である。貧困を撲滅し、高度な教育を受けた人材を増やすことが地球環境保全に繋がるのは間違いない。

それなのに、風力発電を含む再生エネルギー事業は、貧しいものになけなしの金を出させ、投資家にお金を流す仕組みだから納得できないのだ。もし日本にとって必要なものであれば、国が税金を使って建設すべきだ。民間事業者に任せるのではなく。

税金も貧しいものから収奪する面があるが、貧乏人からも一律の割合で金をとる再エネ賦課金よりはいくらかマシである。

結局、全部カネの話なのだとしても、カネの使い方が杜撰だから情けないのだ。鹿児島県の塩田知事は、「稼ぐ力」をいつも強調している。だが、こういってはなんだが、県民所得が全国最低レベルの鹿児島県民に「稼ぐ力」があるはずがない。だったらせめて、おカネの使い方くらいは未来志向でありたいものである。

2022年7月22日金曜日

安倍元首相の国葬に反対。というか国葬そのものに反対。

安倍元首相の国葬を執り行うという。

首相の在位期間は大変長かったが、疑惑や不正も多く、賛否は割れている。自民党は「多くの国民が望んでいる」「反対しているのはノイジーマイノリティ」などというが、世論調査などでは五分五分のようだ。

私も国葬には反対である。

でもそれは、安倍元首相を評価していないからではない。いや、実のところ、私は安倍政権の政策はほとんど何一つ評価していないが、仮に彼が偉大な功績を残した、万人に愛される首相だったとしても、私は国葬に反対である。

というのは、私は国葬そのものに反対なのだ。

そもそも、憲法第20条(第2項、第3項)にはこうある。

2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

国葬は、明らかに「宗教的活動」であり、「宗教上の行為・儀式」である。私は「国葬」の開催は憲法第20条第3項に違反しており、実質上、多くの行政関係者がそれに参加することが強制されることを考えれば第2項にも違反する。

「いや、国葬が宗教的活動とは言い切れない」という人もいるかもしれない。例えば、祝詞を読んだりお経を上げたりすれば明らかに宗教的活動であるが、祝詞もお経もなく、お別れの言葉を読むだけのイベントなら宗教的活動ではないのかもしれない。

だが、死者を葬る儀式において、死者の魂を実在のものとして扱わないということはあり得ないと私は思う。死者の魂など存在しない、というのであれば、葬式自体をやる意味がないからだ。仮に特定の宗教に基づくものでなかったとしても、例えば、弔辞において「安倍さん、あなたのおかげで…」と呼びかけるようなやり方は、死者の魂に話しているとしか考えられないのである。死者の魂を扱う以上、そこに宗教的なものがないというのは難しい。

それでも、「最近は”無宗教の葬式”もあるからなあ」いう人もいるだろう。とはいえ、「無宗教の葬式」は自由な葬式であるために一概にはいえないが、完全に宗教的でない葬式は例外だと思う。というのは、それらの多くは、ただ僧侶を呼ばないというだけで、特定の宗教の儀式に則ってはいないとしても、やはり故人の冥福(魂の安らぎ)を祈るもののように思われるからである。ごく一部には、全くの無神論の葬式もあるのかもしれない。だがその場合は、個人の冥福など祈る必要もないので、葬式ではなく告別式と呼ぶであろう。

話がやや逸れたが、葬式である以上、宗教と関係がないというのは詭弁だ、と私は思うのである。では祝詞もお経もなく、お別れの言葉を読むだけのイベントでは憲法違反にならないか。私は、それは憲法違反ではないと思うが、それを「葬儀」「国葬」と呼ぶことには断固反対したい。それは「告別式」であり葬儀ではない。

葬儀は、宗教の核心である。おそらく宗教は、人を葬ることから生まれたのであろう。国家が葬儀を行うこと自体が、国家が宗教を手中に入れることに繋がると私は危惧する。

でも「政教分離を掲げる多くの国で国葬は行われているじゃないか」と言われればその通りである。しかしそれらの国では「国葬令」などの法律があり、法に則って行われている。日本では国葬に関する規定はなく、今回も国会の審議を経ずに「閣議決定」でなされるようだ。これでは「故人の魂」を政治的に利用していると言われてもしょうがない。民主的な手続きによって定めた法律によって定まった「国葬」であればまだ容認できるが、国家が恣意的に宗教イベントを開催できるということが空恐ろしいのだ。

日本では明治以来、政権と宗教の歪(いびつ)な関係が続いてきた。国家が宗教までも管理し、国民の「良心」を国家が改変してきたのが日本の近代史である。そのことの一端は拙著『明治維新と神代三陵—廃仏毀釈・薩摩藩・国家神道』でも描いたつもりだ。日本の場合、国家と宗教の関係には非常に注意していなければならないと思う。

しかも今回、安倍元首相を銃撃した犯人は、統一教会と自民党への関係を恨んで犯行に及んだというのだからなおさらである。

多くの国家元首が弔問に訪れるという事情があるなら、告別のイベントを国費によって行うというのであればいいだろう。宗教は抜きで。でも宗教は抜きなのにそれを「国葬」と呼ぶのなら、明治時代の政策担当者が「神道は宗教ではなく国家の祭祀である(だから国民に神道の祭祀を強制しても、政教分離や信教の自由には抵触しない)」と整理したことと同じ過ちを犯すことになる。

国会審議を経て(つまり民主的手続きによって)国葬とするか、閣議決定で告別式にするか、どちらかにしていただきたい。反対派の私にとって、それがギリギリの妥協点である。


2022年7月10日日曜日

山内多門「中国西国巡幸鹿児島著御」を巡って

拙著『明治維新と神代三陵—廃仏毀釈・薩摩藩・国家神道』が発売されて約1ヶ月。

売れ行きを出版社に聞いてみたところ、「小社ではなかなかの実績」とのことだった。それなりに売れているようである。

そして、読んだ方からはポツポツとご感想も寄せられている。「知らないことばかりでビックリ」「これまで神代三陵がなぜか閑却されてきたことに気付かされた」など肯定的に評価していただいた。

そんな中で、意外と多いのが「表紙の絵がかっこいい」という感想。

実はこの表紙の絵、私から出版社に「表紙はこの絵にしてほしい」とお願いしたものだ。意外とすんなりその要望を聞いてくれて、バッチリ表紙にあしらってくれた。なので表紙の絵が好評なのは私としても喜ばしい。

この絵は、山内多門という人が描いた「中国西国巡幸鹿児島著御(之図)」という作品。明治神宮外苑の聖徳記念絵画館に展示されているものだ。

聖徳記念絵画館には、この作品も含め、日本画40枚・洋画40枚の明治天皇・皇后の歴史にまつわる絵画が展示されている。これらは、明治天皇崩御をきっかけに、その顕彰のための壁画として(といっても壁に直接描くのでなく、和紙・キャンバス製で)製作されたもので、全ての絵画が奉納されたのは25年後の昭和11年。そしてその画題も、明治天皇の個人的な事績というよりは、国家の歴史と密接に関わったものが選ばれ、国使編纂事業(←これは拙著でも触れています)とも関連して制作された、まさに国家的大事業としての壁画制作であった。

大げさに言えば、これらの一連の壁画は「建国の神話」を表現したものであったといえる。

当然、この制作に関わった画家は、当時最高の技倆を持っていた人ばかりである。「中国西国巡幸鹿児島著御」を描いた山内多門もその一人だ。

山内多門(たもん)は、木村探元から続く南九州の狩野派の掉尾を飾る人物である。

山内多門は明治11年、宮崎県都城市に生まれ、少年の頃に郷里の狩野派絵師・中原南渓に入門。21歳までは小学校教師などをしていたが一念発起し周囲の反対を押し切り上京、川合玉堂に入門した。また玉堂の紹介で橋本雅邦(狩野派の絵師で川合玉堂の師でもある)に師事。そして発足間もない日本美術院に参加し、日本美術院の公募展に第2〜10回と連続で出品して華々しい成績を収めた。また帝展では2〜10回の審査委員をつとめるなど当時の日本画壇の中核的存在だった。

「中国西国巡幸鹿児島著御」は、そんな山内多門が絶頂期に制作した大作である。

島津氏の居城だった鶴丸城(今の黎明館があるところ)に天皇の一行が到着した、明治5年6月22日の様子を描いている。ちなみに明治天皇は、騎馬している人物の前から3番目である。

どうして明治天皇がわざわざ鹿児島まで来たのかというと、西国・九州の各地を回って人心を収攬するための一環だったが、特に鹿児島については当時政府と敵対していた島津久光の慰撫が念頭にあったとするのが通説である。

この鹿児島行幸の際、明治天皇は行在所(あんざいしょ)で神代三陵を遙拝(遠くから拝む)し、これが神代三陵の治定にあたって決定的な役割を果たすことになった。まさに、神代三陵の治定において象徴的な場面が描かれているのが、この作品なのだ。だからこそ私はこの絵を表紙にしたかったのである。

ところで、明治11年生まれの山内多門がどうやって明治5年の出来事を絵に描いたか?

この絵には、鶴丸城の城門である御楼門(ごろうもん)が描かれているが、実は御楼門は巡幸の一年後の明治6年に火災で焼失している。なので山内多門が絵画を制作していた時は影も形もなかったし、当然見た事もなかった。設計図なども残っているわけもない。そもそも、鶴丸城自体が、明治10年の西南戦争で焼失しているのである。

そこでこの絵の重要な参考資料となったのが、明治5年の西国・九州巡幸の際に撮影された写真である。この巡幸には、長崎出身の写真師・内田九一(くいち)が同行していた(なお内田九一は最初の明治天皇の肖像写真を撮影した人物)。彼は各地で名所旧跡の写真を撮っており、そのうちの55点が確認されている。

そして幸いなことに、そこに鹿児島の御楼門の写真も入っていた。

この写真をよく見れば、山内多門の絵に描かれた石垣にせり出す松が、事実に基づいているものであることがわかる。

もちろん、この写真がなかったら御楼門の構造も詳細な点は不明だっただろう。

内田九一の写真のおかげで山内多門は「中国西国巡幸鹿児島著御」を史実に基づいて完成させることができたのである。

余談だが、鶴丸城の前が「城下」のイメージとは違うだだっ広い平野になっているのも興味深い。さらに、城郭の中もほとんど森のようである。鶴丸城には元々天守閣がなかったが、私たちがイメージする城郭とはかなり隔たった姿だったわけである。

さらに余談になるが、令和2年(2020)、御楼門は明治維新150年事業の一環で官民協力のもとに復元された。

その復元にあたって重要な資料となったのが内田九一の写真であったことはいうまでもない。出土品や江戸時代の補修時の史料などは残っていたが、全体的なフォルムについてはこの写真がなければ正確に復元するのは到底不可能であった。

だから、貴重な記録写真をもたらしたという意味でも、西国・九州巡幸には大きな意味があったと言えるだろう。明治維新では廃仏毀釈という破壊運動が起こり、多くの貴重な文化遺産が失われるという負の側面があったが、写真によって当時の社会が記録され、それが後の文化財の再建に繋がるという面もあったわけだ。

ところで、この大作「中国西国巡幸鹿児島著御」を完成させた後、山内多門は病気がちとなり、2年後には54歳で死去してしまった。弟子には宮之原譲、山下巌、野添草郷らがいるが多門が早死にしたこともあって、その後は大きな流れとはなっていない。

ちなみに、明治5年に御楼門の写真を撮った内田九一も、その3年後には31歳という若さで肺結核により死亡している。もし巡幸のタイミングがずれていたら御楼門の写真は残らなかっただろうし、また内田九一も生きていなかったということだ。同じことは山内多門にも言える。文化財というものは、様々な偶然や幸運に恵まれて生まれ、残されたものだということをつくづく感じる。

さらに蛇足だが、山内多門「中国西国巡幸鹿児島著御」の模写が黎明館に所蔵されている。元々山内多門の絵は、鹿児島市が依頼して製作したものだが、これを神宮外苑に奉納するにあたり、その模写を制作していたもののようだ。模写したのは石原紫山。入来町出身の画家である。これは時々展示されるようなので、機会があれば是非見ていただきたい(私自身も未見)。

御楼門が描かれた絵画を表紙にあしらったにのはもう一つ理由がある。元々、この本が自分の中での「明治維新150年事業」だったからでもある。

鹿児島県では2010年代後半、明治維新150年(2018年)に向けて大河ドラマ「西郷(せご)どん」や御楼門再建といった記念事業に官民挙げて取り組んでいた。もちろん明治維新の主役である西郷隆盛や大久保利通、小松帯刀といった人たちの顕彰はやるべきことだ。しかし明治維新には廃仏毀釈という負の面もある。私は、主流の人たちがやりづらい、負の面の明治維新150年事業を自分一人でやってみたかった。薩摩藩出身者たちが明治政府に残した、負の遺産を見直してみたかったのである。

その結果が、『明治維新と神代三陵』である。

明治維新には、その後の日本が破滅に進むことになった兆しが内包されていた。その一つが「神代三陵の治定」であると思う。これは一見、重箱の隅をつつくようなマニアックなテーマだが、これを通じて明治以降の150年を自分なりに見直すことができたと自負している。

というわけで、拙著のご高覧、よろしくお願いいたします。

【参考文献】
金子 隆一「内田九一の「西国・九州巡幸写真」の位置
※内田九一の写真は、同論文から転載しました。東京都写真美術館の収蔵品です。同作品は同美術館のデジタルアーカイブでは公開されていませんが、著作権は既に消滅しています。
都城市立図書館「山内多門 生誕130年展」パンフレット
みやこのじ南日本新聞社編『郷土人系』
※現在の御楼門の写真は県のWEBサイトより借用しました。

【2022.7.12追記】
御楼門復元にあたっては、別の「正面から撮った写真」があり、そちらの方も参考にしている…という情報をいただきました。ということで、内田九一の写真がなかったら御楼門も復元できなかったのでは、というのは私の早合点だったようです。こちらの写真も明治初期に撮影されたものらしいですが、誰の撮影なのかがわかりません。これも内田九一なのでしょうか…?


2022年5月29日日曜日

鹿児島の郷土作家、名越 護さん

拙著『明治維新と神代三陵——廃仏毀釈・薩摩藩・国家神道』が遂に手元に届いた。

公式の発売日は6月10日だが、直接には販売を開始している他、またネットショップ「南薩の田舎暮らし」でも取り扱いを始めた。「待ってました」という方も多いので、既に50冊くらい売れている。

【南薩の田舎暮らし】『明治維新と神代三陵:廃仏毀釈・薩摩藩・国家神道』(1870円(定価販売)、送料無料)

そしてこの度、拙著に名越 護(なごし・まもる)さんから推薦コメントをいただいた。

本書をすすめる

なぜ神代三陵が鹿児島県内に比定されたのか、天皇を中心とする明治政府は、国家神道をめざして廃仏毀釈を蛮行したが、なぜ鹿児島だけが率先して決定的な「寺こわし」を徹底したか。そして彼らが目指した「国家神道」で、なぜ各地の人々の身近にあった多くの産土神を、すべて記紀に記された神々と合祀していったか——。政治が宗教までも抹殺して庶民の心まで奪い、一方的に天皇制を強化していった姿を、史料類を詳細に調べて明治維新の“負の部分”を明らかにした好書である。
           名越 護(鹿児島民俗学会員)  

名越護さんは、鹿児島の徹底的な廃仏毀釈についてまとめた『鹿児島藩の廃仏毀釈』の著者で、存命中では、質・量ともに一番の郷土作家。鹿児島ではファンの多い名越さんに推薦コメントをいただけたことはとても心強い。

しかし名越さんは、あまり人前に出ていくタイプではないし、新聞やテレビでコメントするようなことも少ないので、鹿児島でも知らない人は多いかも知れない。まだ誰も「名越護」についてまとめた人がいないようなので、僭越ながら少し名越さんについて語ってみる。

名越さんは、昭和17年(1942)奄美大島宇検村生まれ。立命館大学法学部を卒業後、南日本新聞社に入社して記者になった。記者になって10年ほどたった昭和50年(1975)頃、鹿児島の民俗学者・小野重朗さんの『かごしま民俗散歩』を読んで民俗学に興味を持ち、民俗学を学んだ。

そのため、祭りや伝統行事を伝える新聞記事も、名越さんの手にかかると一種の民俗学のフィールドワークの面持ちがあり、今の新聞記事にはない深みがあった。

名越さんは、南日本新聞社加世田支局(現南さつま支局)に昭和50年代後半に赴任。そこで「ふるさと流域紀行 万之瀬川」というとんでもない連載記事を書いた。これは万之瀬川の流域(主に今の南さつま市、南九州市)の自然や文化、神話や伝説、産業や人々の暮らしについて地域の特色を描いたもので、昭和57年(1982)3月から7月までに60回に渡り連載された。1回の記事は1500字程度。綿密な取材を行った上で、地域の様々な事柄について自分なりに考察した部分も多く、民俗学的視点が発揮されている。

この連載記事は、内容もすごいがそれ以上に驚かされるのは、たった3ヶ月半程度の間に60回もの記事が発表されている、ということだ。記事は毎日あるいは1日おきくらいで掲載された。この濃密な連載をとんでもないスピードで書いていたことは驚愕以外の何物でもない。しかも、もちろんこの他に通常の記者としての記事も書いているのである。

この連載記事は、郷土を知るための恰好の地域誌となっており、今は失われた祭りや民俗の記録ともなっていて資料的価値も非常に高いため、南さつま市観光協会が2019年にまとめて翻刻している(非売品だが協会に行けばもらえる)。

この大仕事を終えて後、名越さんは南日本新聞社文化部に在籍。ここでは鹿児島県全域が取材対象となる。そこで連載「かごしま母と子の四季」を自ら企画し、昭和60年(1985)、週一回一年間連載した(53回)。これは県内各地を巡って、祭りや伝統行事を女性や子どもに注目して取材しまとめた「民俗ルポルタージュ」。祭りというと、どうしても男性がやる派手な所作などに注目が集まるが、この連載では団子を作る女性や、時として神の代わりとなる子どもたちを取り上げたことが新鮮だ。取材においては、小野重朗さんもいろいろと指導をしたらしい。

さらに翌61年(1986)には、週二回の年間連載「かごしま民俗ごよみ」を95回連載した。これは祭りや伝統行事だけでなく、民俗信仰まで含めて県内各地を取材し改めてまとめたもの。2年連続で手間のかかる企画連載記事を手がけたことは、この時期の名越さんの気力体力がいかに充実していたかを物語る。

そして、これらの記事を見ると、民俗学の視点や伝説や言い伝えの考察といった名越さんならではの深みは当然のことながら、取材の丁寧さや文字の多さだけ見ても今の新聞記事とは隔世の感がある。今の新聞の悪口を言ってもしょうがないが、昨今は写真ばかりが大きくなり(しかも記者本人が撮っているためおざなりなものが多い。当時の写真はカメラマンが同行し、ちゃんと現像した写真だ。写真にかける力が違う)、文章は必要以上に削られて、ほとんど紋切り型の説明しかできなくなっている。

だからきっと、今の南日本新聞にこれだけの力量がある記者がいたとしても、宝の持ち腐れになるだろう。昔の力作記事を見ると、どうしても今の新聞の凋落を感じてしまう。

それはともかく、名越さんは南日本新聞で精力的に記事を書いた。日々の取材の記事だけでなく、民俗学の視点から主体的に鹿児島を切り取っていった。そして2003年で定年退職し、執筆活動に入る。主要な作品を書き出してみると、こんな感じだ。

  • 『南島雑話の世界 : 名越左源太の見た幕末の奄美』(2002年、南日本新聞開発センター)
  • 『薩摩漂流奇譚』(2004年、南方新社)
  • 『奄美の債務奴隷ヤンチュ』(2006年、南方新社)
  • 『鹿児島藩の廃仏毀釈』(2011年、南方新社)
  • 『自由人西行』(2014年、南方新社)
  • 『田代安定 : 南島植物学、民俗学の泰斗』(2017年、南方新社)
    ※南日本出版文化賞受賞
  • 『クルーソーを超えた男たち』(2019年、南方新社) 
  • 『ふるさと流域紀行 万之瀬川』(2019年、(一社)南さつま市観光協会)
    ※私事ながら、本書の刊行には私自身も関わった。
  • 『鹿児島 野の民族誌——母と子の四季』(2020年、南方新社)
    南日本新聞社編となっているが、名越さんの原稿をまとめたもの。先述の連載「かごしま母と子の四季」
  • 『鹿児島民俗ごよみ』(2021年、南方新社)
    南日本新聞社編となっているが、名越さんの原稿をまとめたもの。先述の連載「かごしま民俗ごよみ」

さらにこうした作品を執筆する傍ら、鹿児島民俗学会会員として、学会誌『鹿児島民俗』に数々の論文も発表してきた。私自身はこれらのうち一部しか目を通していないが、書名だけを並べても、名越さんでなければ書けない、しかも誰かは書かなくてはならなかった重要なテーマにずっと取り組んできたことが明白である。

特に『奄美の債務奴隷ヤンチュ』は薩摩藩の植民地だった奄美において、黒糖製造業の犠牲となった債務奴隷ヤンチュの実態を明らかにした名著であり価値が高い。

そして徹底的に行われた鹿児島の廃仏毀釈を、各市町村郷土史をベースに現地取材して描いた『鹿児島藩の廃仏毀釈』は、「南方新社史上、最も売れた本」と言われている名作である。もちろん、拙著『明治維新と神代三陵—廃仏毀釈・薩摩藩・国家神道』の執筆においても大いに参考にさせてもらった。

そんな名越さんは、2022年5月、自身「最後の著作」と位置づける『新南島雑話の世界』を南方新社から上梓された。 15冊目の本だそうである。これは、幕末に奄美に島流しにされながらも、奄美の文化や自然について克明な記録を残した名越左源太(なごや・さげんた)の「南島雑話」を読み解くものである。旧作『南島雑話の世界 : 名越左源太の見た幕末の奄美』が祭事を中心としていたのに対し、本書は、生業、民俗、動植物を中心に現在の奄美の情報も付け加えたもの。奄美生まれの名越さんの「奄美愛」が詰め込まれているように思う。

このように名越さんは、新聞記者時代には生きた鹿児島の民俗を記録し、退職後は独自の視点で郷土史研究を行い、これまたとんでもないペースで本を書いてきた。名越さんが第一級の郷土作家であることが、これでおわかりいただけたと思う。

そして私事ながら、名越さんには著作の上で多くの示唆を受けただけでなく、直接にもいろいろとお世話になっている。すごい人なのに、いつも控えめでにこやかに微笑んで下さる方である。この度拙著への推薦コメントも、お願いしたら快く引き受けて下さり、数日後にはコメントを手紙で受け取った。

名越さん、いつもありがとうございます!!


2022年5月22日日曜日

スマートに支配されている社会よりも

先日、「生徒の自由は制限できて当然だという間違った考えについて」という記事を書いた。

【参考】
生徒の自由は制限できて当然だという間違った考えについて
http://inakaseikatsu.blogspot.com/2022/04/blog-post.html

そこでは、「自転車通学を許可制にするのはおかしいし、距離で制限されるのもおかしい」と述べていた。

その記事中には書かなかったが、私がこういう記事を書いただけで満足するわけもなく、当然中学校にも「私はこのように考えるので、ご検討をお願いします」と手紙で伝えていた。

またそれとは別に、ここでは詳しくは書かないが、学校を一歩出れば非常識な校則について見直すよう、教頭先生にいろいろと強く意見を言っていた。まだ子どもが中学校に入学したてなのに、校則についてアレコレ文句を言ってくる親も珍しいだろうが、私はなにしろ、理詰めで考えて間違っていることを放置するのは我慢がならないタイプである。

とはいえ、そういう学校への意見がすんなりと受け入れられると考えるほどウブではない。内心、「無駄かも」と思いながら学校に伝えていた。

ところが、先日あった中学校のPTA総会の場で、学校側からの説明があり、

  • 自転車通学については距離の制限を撤廃する。
  • 下着(インナー)の色の規制はなくす。
  • 靴下も白以外でもよいことにする。 

などなど、非合理な校則を見直すという方向性が示されたのである。ちなみに下着の色の規制は、昨年、白のみから茶・紺・黒なども認めましょう、という規制緩和が行われたところだったが、「そもそも下着の色を規制すること自体が非常識」と私も主張していた。おそらく他にもそういう意見があって、こうした校則の見直しが行われたに違いない。

ともかく、このことは素直に歓迎したいし、校則の見直しに着手してくださった先生方(特に校長・教頭)には感謝したい。 ちょうど昨年、文部科学省が非合理な校則について対処を求める通知を都道府県に出し、それに応じて校則の見直しが社会の趨勢になってきたことも後押ししたに違いないが、私も含め「これはおかしい!」との声が、変化を促した一番の原動力であったと思う。声を上げてよかった。

「そんなこと言ったって何も変わらないよ」ということは実際にたくさんある。でも、声を上げなければ何も変わらない。

そして、言うのはタダだ。それなら、無駄かもしれないが、とりあえず声を上げていく方がいい。 ちょうどタイミングが合えば、動かないと思っていたことも動くかもしれない。実際、今回校則の見直しが行われたのは、先ほど述べた文科省の通知や、人事異動(校長が変わった)や、いろいろなことが重なっていたおかげだと思う。

これは中学校だけでなく、国政なんかでも言えることだ。日本の政治・行政のダメなところは、はっきりしている。そして、どうしたら日本をよくすることができるか、処方箋はほとんど明確になっている。それなのになぜそれが実行されないか。

いろいろ理由はあるが、「それを求める声がない」からだ。

例えば、日本は奨学金の制度がダメすぎることは何十年も前から指摘されていた。日本で「奨学金」と呼ばれているのは単なる「教育ローン」であり、真の意味の奨学金をわざわざ「給付型奨学金」などと呼んでさも特別なものであるかのように見せかけてきた。教育を受けることは子どもたちの権利であり、奨学金ほど投資効果の高い投資はないにもかかわらず、教育を「自己責任」の領域のこととして金を出し渋ってきたのである。これが問題であるのは明らかだ。そしてそれを改善するための予算は、例えば社会保障や国防に比べると微々たるものなのだ。

にも関わらず、なぜ改善されてこなかったか。それは国民がその状況に「忍従」してきたからに他ならない。国家や上位権力に「忍従」することが「美徳」であると、我々は明治時代以来、ことあるごとに教え込まれてきた。

しかし「忍従」を美徳とする価値観はもう捨て去った方がよい。社会は自分たちの手で変えられると信じる方が、ずっと建設的であることがもはや明らかになった。

もちろん、国民が「忍従」を辞めれば、随分と騒々しい社会になるだろう。利害が真っ正面から衝突するような、不格好な社会になるかもしれない。ストライキが頻発してしょっちゅう電車が止まるような社会になるかもしれない。でも、不格好でも国民主権の社会の方が、スマートに支配されている社会よりずっとマシだ、と私は思う。

ちなみにまだ、校則以外も含め、中学校には「一体いつの時代の話だよ!」というようなことがまかり通っている。体育館のガラスを割って回るようなとんでもない不良がいた時代につくられた管理の仕組みが未だに生き残っているのである。

私はこれからも声を上げ続ける。学校にとっては面倒な保護者には違いない。中学校はたった3年間のことである。黙っている方がスマートなのかもしれない。でも子どものためになると思うことは、不格好に思われても声を上げていきたい。