2015年4月7日火曜日

インターネットで農産物を売る(その1)

インターネットショップ「南薩の田舎暮らし」をオープンさせたのは2012年の1月。気づいたら丸3年が経過していた。

未だにさほどの売り上げがない弱小サイトなので大した実績もないが、「インターネットで農産物を売る」ということを実際にやってみていろいろ思うことがあるので丸3年という節目(若干過ぎているが)に書いておこう。

最近、自治体が農産物販売のためのインターネットショップ(への誘導ページ)を立ち上げるなど、農産物のブランド化や知名度のアップ、高価格での有利販売といった目的で農産物のインターネット販売が注目を集めている。

それも、以前は農家個人がショップサイトを立ち上げるのが主流だったが、最近になって農産物販売のプラットフォーム的なサイトもたくさん出てきたし、STORESのように極めて簡単に、しかも月額基本料無料でインターネット販売できるサービスもあるので、もう誰でもインターネットで農産物が売れる時代になったと思う。

ところが実感として、農産物のインターネット販売というのはかなり難しい

第1に、農産物というのは薄利多売な商材であり、単価がとても安い。しかもかさばるものが多い。よって配送料が割高になる。Amazonで「配送料無料」に慣れた消費者(私もそうです)には、1000円とか2000円の農産物を買うのに1000円近い配送料を出すのは非常に抵抗感がある。

例えば、「南薩の田舎暮らし」ではポンカン10kgを3000円で売ったが、これにかかる実費送料は関東だと約1000円である。だが自分がお客さんなら、3000円のものを買うのに1000円の送料はいかにも割高でイヤな感じがするので、「南薩の田舎暮らし」では送料を全国一律500円にしている。

市場や農協への出荷などと比べれば確かにインターネット販売は単価が高く設定できるが、このように送料の一部を負担することまで考えると、実は物産館などで販売した方が利益率が高い場合も多い。

第2に、インターネットで売れるものはかなり限定されているということがある。例えば、物産館であれば大抵の農産物はそれなりに捌ける。だが、インターネットでは普通の野菜を普通に売っていても全然売れない。そういうのは近所の八百屋とかスーパーで買えるので当然の話である。

なので、インターネットで販売するものは希少・高品質などの付加価値がある農産物に限られるのであるが、そういうのはまず生産するのが難しい。例えば「南薩の田舎暮らし」の場合、無農薬の柑橘というのがそれに当たる。これも2014年は虫害で大損害を受けており、ほとんど売り上げがなかった。インターネットを通じて特殊なものを販売するより、普通の野菜や果物を普通に生産して市場や農協に出荷する方が商売として安定的かつ簡単である。

第3に、インターネット販売はかなり手間がかかる。ショップサイトの構築は趣味の世界(こだわらなければHTMLを覚える必要もない)だから除くとしても、商品写真の撮影、説明文の推敲、受注管理、梱包、配送といったことは農作業の合間にやるとかなり面倒な作業だし、その上Facebookとかブログでそれなりに情報発信をしないとなかなかトラフィック(要するに訪問数)が伸びない。

しかも、先述の通り農産物は薄利多売な商材なので、こうした面倒なことをすると、タダでさえ低い利益率がさらに低くなる。

こうなると、インターネット販売なんか辞めて物産館・JA・市場・量販店への卸など、伝統的な農産物流通に乗せた方が、よほど商売として上手な感じがしてしまう。正直、今なぜ農産物をインターネットで販売しようというブームが来ているのか、いまいちピンと来ない。穿った見方をすれば、単にIT屋さんに踊らされてるだけなんではないだろうか?

しかし、インターネット販売の意味はちゃんとある。

それは、究極的にはお客さんとの対話である。

縷々書いたように、インターネット販売は一言でいうと非効率的なのだが、なぜ非効率的なのかというと、(実際にはやりとりをしなくても潜在的に)お客さんと対話しなくてはならないからだ。というか、対話をするために販売する。販売そのものが目的ではなくて、対話自体が目的なのだと私は思う

ちなみに、「南薩の田舎暮らし」では、始めて注文をくれた方にはほぼ必ず(忙しい時を除く)「どうして当店をお知りになったのですか?」とメールで聞くようにしているが、そうしたら大変丁寧な返信をくれる方も多い。私は、そういう無駄話をしているからインターネット販売がなおさら非効率的なのかもしれない。でも無駄のない効率的販売をしたいなら、わざわざインターネットで販売する意味はない。物産館に持っていく方がずっと簡単で効率的だ。

もちろん、これはサイトの目的や収益構造によっていろいろなケースがあるわけで、インターネット販売が効率的な場合もあるだろう。それにインターネット販売の意味を「対話が目的」と書いたが、それはあくまで私の場合のことで、一般化はできない。

だが、よほど付加価値の高い特別な農産物を販売するのでない限り、やはり「対話」はかなり重要だと思う。では何のための「対話」なのかという話になるが、それは次回に書くことにする。

(つづく)

2015年3月27日金曜日

「椿油」で生きがいづくり

以前ちょっと愚痴を書いた「百寿委員会」について。

百寿委員会は通り一辺倒の役所の審議会とは全然違って、委員の発奮を期待するプロジェクトなので、もう活動は具体的レベルに入って来つつある。

私は、「椿油」のグループに配属されて、椿油を活用した生きがいづくりなどの支援に取り組んでいくことに(行きがかり上)なった。

ちなみに、これは希望を出して配属してもらったもので、勝手に割り振られたわけではない。私自身としても、食用油の世界にはいろいろと思うことがあり、この活動を進める中で油の勉強になるのではないかと思って期待しているところである。

その「椿油」だが、現在南さつまではいくつかのグループが細々と作っているらしい。その中で今回の核となるのは金峰の田布施地区のお年寄りがやっている活動で、百寿委員会の役割としては、これをモデルケースにして南さつま市内の他の地区にも広げたり、あるいはこの活動に田布施地区以外からも参加してもらったりして、参画する人を増やしていくことにあるのだと思う。

というのも、椿油作りの一端を覗かせてもらったが、栽培されているものでなくて道ばたに落ちている種を拾ってくるわけなので、その品質がバラバラであり、それを一粒一粒検品して選別しなくては良質な油がとれないのである。この、小さい種をよく見て選別する作業は、目と手先を使うためお年寄りのボケ防止にもなるし、何人かで世間話をしながらそういう作業をするのはけっこう楽しい。さらには、椿油が売れて手間賃が出れば、同じ生きがいづくりでも、グラウンドゴルフのようなものとはまた違ったやりがいがあると思う。

そういうわけで、この椿油作りを市内にもっと広めたらいいんじゃない? という話になった(と理解しています)。

それで椿油の試食会に先日参加して、初めて椿油の料理を味わってみた。

椿油というのは、化粧品(鬢付け油)としても高価だが、食用油としては極端に高価である。例えば、鹿児島の鹿北製油の椿油は、インターネットではたった25gが1200円くらいで販売されている。 こんなに高価では、普通の料理にはとても使えない。だがその品質の高さから、高級料亭などでは使われることもあるらしい。

そういう高価な食用椿油を、試食会ということでドボドボ使って天ぷらまで食べさせてもらった!(ちなみに料理も自分たちでしました) それで、今まで漠然としたイメージしかなかった椿油のことがだいぶわかってきたような気がする。

椿油の食味を一言でいうと、「全くクセのない油」である。極めてサラっとしている。天ぷらもカラッとしていて油ぎっておらず、全く胃もたれしない。1日経ってもべちゃっとならず、(カラッとはしていなかったが)品質の低下が小さかった。

カルパッチョに使うのもオススメで、口の中が油でヌルヌルする感じがなく魚との相性がよい。意外なところでは卵焼きもよかった。うまく食味の説明ができないが、しっとりふんわりしていて美味しい卵焼きができていた。

しかも驚いたのは食後に食器を洗った時で、油がついたお皿もヌルヌルすることなくサラッと油が落ちるではないか。成分的なことはよく分からないが、ともかく油ぎった感じが全くない高品質油であることは了解できた。

だが逆に言うと、クセがなさすぎて、言われないと「椿油を使っているね」と分からないのが欠点である。要するにオリーブオイルなどと違って「味」がない。味がないものはなかなか普及するのが難しそうである。

椿油の生産・販売を企業的な活動としてやっていくとしたらかなり難しいが、生産するお年寄り(だけとは限らないが)の非営利的な生きがいづくりとして取り組むなら将来性がある。高品質さとかではなく、「南さつまのお年寄りが、一粒一粒選んだ椿の種で絞った椿油」というプロセス自体を主役にして、まずは情報発信から始めて活動の裾野を広げていったら面白いのではないかと考えている。

2015年3月22日日曜日

「加世田のかぼちゃ」とは

先の記事で、「加世田のかぼちゃ」のチラシをデザインしたということをお知らせしたのだが、そこでも触れたように「加世田のかぼちゃ」は一体どういうものなのか、ということはこれまで意外と説明されていなかった。

というわけで、参考までにその部分を紹介しておく。

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加世田のかぼちゃ

 Policy “普通のかぼちゃ”をこだわりの栽培で特別なかぼちゃへと変える

「加世田のかぼちゃ」は品種名ではありません。品種の中心は一般的なかぼちゃである「えびす」。その“普通のかぼちゃ”をこだわりの栽培によって美味しく育てたものが「加世田のかぼちゃ」なのです。

1 積算温度に基準を設け “熟成度”をチェック

「加世田のかぼちゃ」は、畑で十分に熟成させてから収穫します。生産者が交配後の日数等を記録し、積算温度1100度という基準に達したところでサンプルを収穫、選果場で試し切りします。皮際まで熟しているか、種は充実しているかといった厳しいチェックを受けてから本収穫。そうやって担保されたバラツキのない高品質さが「加世田のかぼちゃ」の誇りです。

2 収量を犠牲にして 養分を集中させる

一蔓につけるかぼちゃの数は葉の数で決まります。しかも基本的に蔓ごとに1つずつならせて順次肥大させ、一蔓あたりのかぼちゃの数は最大でも3個! もちろん収量は減りますが少数の実に養分を集中させることで、より大きく充実したかぼちゃを実らせています。

3 丁寧な「芽欠き」で蔓の本数まで管理

かぼちゃの蔓は放っておくと縦横無尽にはびこります。しかし不必要な芽を丁寧に取り除き、蔓の本数までも管理するのが「加世田のかぼちゃ」流。このため芽が伸びるシーズンには、芽を取り除く手間のかかる「芽欠き」作業を連日行っています。

4 花の段階で選別・受粉

立派なかぼちゃに向けた選抜は、花の段階から始まります。蔓に実をつける位置も調節し揃える上、大きく優良な雌花だけを選んで受粉させています。

5 美味しいのは当たり前 その上、美しく

かぼちゃの下に透明のシートをしたり、立体栽培したりすることにより、土に直接つけずに均等に着色するようにして、キズが少なく色むらのない美しいかぼちゃが出来るのです。
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ちなみに、一応「南薩の田舎暮らし」が請け負ったのは「デザイン」であるが、実質的にこの説明文も当方で作成したものである。「積算温度」やら「芽欠き」やら、一般の人たちにはちょっとわかりにくいんじゃないの〜と言われながら、やはりそういう言葉をちゃんと出した方が誠実で、意外と分かってもらえるのではないかという考えで上のような説明にまとめた。

また、こういう農産物紹介にはかなりの確率で現れる「農家の愛情を受けて育てられた〜」のような言葉は絶対に使いたくなかったし、同じく農産物紹介の頻出単語である「手間ひまがかかった〜」も具体性がなく独善的(たいていの農産物は手間ひまがかかるものだと思います)なので、そういう叙情的単語を使わずに、栽培の特徴を素直に伝えようとした結果でもある。

少し心残りな点があるとすれば、あくまで栽培方法だけにフォーカスしているところで、本来は「このような栽培方法のお陰で他のかぼちゃとどのような違いが生まれているのか」をより定量的に示せたらよかったと思う。この説明だと、「加世田のかぼちゃ」自体の解説というより、その栽培法の解説という性格が強い。

でも味とか食感の説明とかは、いくらやっても伝わるというものではないし、結局はこのような栽培法の力を信じていただくほかない。「なるほど、加世田のかぼちゃってそういうものだったのか!」と思ってもらえたらとても嬉しい。

2015年3月19日木曜日

「加世田のかぼちゃ」のチラシをデザインしました!

先日、南さつま市役所が「加世田のかぼちゃ」のチラシを作りたいということで、なんと「南薩の田舎暮らし」でデザインを受注した!

「加世田のかぼちゃ」は県のブランド指定を受けてから20年以上経つが、対外的に「こういうものですよ」と説明する資料が乏しく、全国的には(というより鹿児島県内でも)全然認知されていないので、そういうチラシでも作ってもらいたいと思っていたところである。

それをかぼちゃを栽培している自分が構成・デザインできるということで、受注自体とても嬉しかった。だが、こういう資料を農家自身がデザインするということはすごく珍しいことで、もしこれで「やっぱり農家クオリティだよね」と言われるようなことがあれば次に続かない。それに少額とは言え税金を使って作るものだから、納得できる水準のものを作ろうと、素人ながら「あーでもないこーでもない」と悩みながら連夜作業し、つい先日入稿したところである(正直、プロには及ばない出来ですが)。

 →加世田のかぼちゃPR小冊子
  ※データサイズの問題からだいぶ画像を粗くしています

ところで、この冊子を製作する過程でいろいろ取材し、ビックリしたことがある。それは、一応ブランド野菜であるにも関わらず、「加世田のかぼちゃ」が「加世田のかぼちゃ」として売られているところがどうやらないようなのだ!

何を言っているかというと、これはJAが集荷し、市場や相対取引で「加世田のかぼちゃ」として出荷されるわけだが、「加世田のかぼちゃ」という言葉にブランド力がないためか、実際の小売店では単に「鹿児島産」として売られているらしいのである!

市場出荷の場合、これを買っていった卸業者がどのように販売するか追跡はできないので、少数の例外はあると思うが、大まかにいって、「加世田のかぼちゃ」は市場では単に「鹿児島産かぼちゃ」として取引・販売されているのだ。

正直、このことが分かった時、生産者の一人として悲しく思った。「加世田のかぼちゃ」は知られていないマイナーなブランドなのではなく、ブランドですらなかったということなのだ。でも、そもそも「加世田のかぼちゃ」とは何かを対外的に説明してこなかったわけで、それもやむを得ないかもしれない。私もこうして資料にまとめるまで、「加世田のかぼちゃ」が他のかぼちゃとどう違って、何が特徴なのかということを、明確に認識していなかったような気がする。

そしてだからこそ、こういうチラシの意味がある。たぶんこのチラシを読めば、単に「鹿児島県産」だけだと伝わらない栽培のこだわりがわかり、他のかぼちゃと区別したくなるのではないかと思うからだ。今後、小売店などでこのチラシが共に置かれ、「加世田のかぼちゃ」が「加世田のかぼちゃ」として売られるようになることを切に願っている。

※チラシに書いた内容は、後日改めてブログにアップしたいと思います(上のリンク先と同じですが、なにせ読みにくいので)。

2015年3月12日木曜日

有機農業とフェアトレード

「絶対のこだわりがある!」というわけではないけれど、一応私は有機農業を実践している(つもり)。

以前「有機農業の是非を検証する」というやや小難しい記事でも書いたが、これは別に「安全・安心」とかのためではなく、環境の保全を念頭において取り組んでいることである。

「南薩の田舎暮らし」でも無農薬の柑橘を販売しており(認証を取らないと「有機」の文字は使えないので「無農薬」と表示しています)、味のことはさておいて、価格だけで見れば、無農薬の柑橘としてはほとんど日本最安で提供していると思う。

もちろんその価格設定は私の営業努力の足りなさと商才のなさを反映しているものであって、別に安売りしたくて安売りしているわけではない。が、一方で無農薬だからといってことさら高価格にもしたくないと思う。というのも、私は「農薬かかっててもそんなに気にしないし」という普通の人にも買ってもらいたいと思っているからである。

「多少高くてもやっぱり無農薬じゃなきゃね!」という人に買って頂くのはもちろん嬉しいが、そういう人は少数派であって、そういう人たちだけを見ていては自分の世界を狭めることになる。それに本来、農薬の使用・不使用などということは消費者は気にとめる必要がないはずだ。なぜなら、市場に流通するものはどれも安全なものであるべきだからだ。一応、売り文句として「南薩の田舎暮らし」でも今は「無農薬」を謳っているが、将来的にはそういうことを言わなくてもよいような感じにできたらいいと思う。

今の有機農産物は、とにかく「安全・安心」とか「美味しい」とか、要するに一種の高級品として販売されていることが多いので、それがなかなか広まっていかない要因の一つだろう(※)。欧州の諸国と比べ、日本では有機農業の割合がかなり低いが、「有機農産物=高級品」というイメージは日欧でどのような違いがあるのか(ないのか)知りたいところである。

ただ、価格に見合うだけの品質があれば、有機農産物を高級品として販売することにはなんの問題もない。だが以前の記事で述べたように、その価値にはまだ「イメージ」にすぎない部分もある。そこでふと思うのは、いわゆる「フェアトレード」と有機農業の類似である。

フェアトレードはよく知られている通り、発展途上国の農産物などを公正な価格・やり方で取引することで、要するに「搾取的でない当たり前の取引」である。こういう言葉があるのは「フェアトレード」でない取引が多いためで、代表的なのはカカオ豆だろう。

カカオの一大産地といえばコート・ジ・ボアールで、ここでは児童労働など劣悪な労働によって安価なカカオが生産されている。発展途上国の企業や組合にバーゲニングパワー(交渉を優位に進めていける能力)がないために、先進国の企業に安く買いたたかれ、そういう悲惨な状況に陥ったのである。

それを解消し、生産者に適正な賃金を払うため、最近では「フェアトレード」のチョコレートが販売されている。しかし搾取的な取引を行わず、生産者が十分にやっていける価格でカカオを買い取ろうと思えば、その結果チョコも髙くならざるをえない。だからフェアトレードのチョコは少し高い。では、消費者は何に対してそのプレミアム(価格の上乗せ分)を支払っているのであろうか?

フェアトレードだからといって、品質がよいわけではないし、「安全・安心」でもない。つまり消費者は、自らの便益のためにプレミアムを支払うわけではないのである。 消費者は、「公正さ」そのもののためにそれを支払っているとしか考えられない。

つまりこの場合消費者は、公正に生産され、取引されたものを使うべきだ、という社会的責任に対して価格の上乗せ分を支払っているのだと思う。すなわち、フェアトレードの商品というのは(いい意味で)消費者目線ではないのである。それは、便利な生活を享受する先進国の人間たるもの、えげつない取引で不当に安く作られたものは使うべきでない、という矜恃に訴えかけるものだ。

翻って有機農産物について考えてみる。有機農業(農産物)とフェアトレードは非常に似ている点がある。それはどちらも
  • そうでないものと比べやや高価になる。
  • 多くの消費者にとっては、そうでないものと比べ価値の違いが明確でない。
  • 利益を受けるのは、消費者というよりも生産者側もしくは環境である。
そういうことで、私は、まさに有機農産物はフェアトレードの一種として流通していって欲しいと思っている。有機農業も消費者目線でやるものではなく、あくまで持続可能な農業を目指すものだからで、環境に配慮して栽培されたものを使うことは、社会的責務であると思うからだ。フェアトレードは発展途上国の生産者に対して「公正」であろうとするが、有機農業は自然環境そのものに対して「公正」であろうとする

そういう形で流通すれば、例えば外食産業などで有機農産物を使う割合が少し増えるかもしれない(企業の社会的イメージを向上させるから)。今は、有機農産物が高価格なこともあって、ごく限られた市場しか持っていないが、CSR(企業の社会的責任)に訴えるような商品であれば、違った市場を開拓できるのではないだろうか?

とはいっても、私が有機農業のお手本にすべきだと考えるフェアトレード自体、流通全体で考えるとものすごく狭い世界である。一応市場規模は順調に拡大しているようだが、フェアトレード=当たり前の取引が「普通」になるには長い時間がかるだろう。

だが、「安全・安心なものを食べたい」「美味しいものを食べたい」という(有機農業でなくても応えられる)消費者のニーズに応えるよりも、 環境に対して「公正」であれという矜恃へと訴える方が、有機農業推進にとってはすがすがしいやり方だと、私には思えるのである。

※最大の要因は、日本の農産物の流通のしくみにあるのだと思う。

2015年2月18日水曜日

露地栽培のしらぬいはなぜかもの凄く痛みやすい

「しらぬい(デコポンの登録商標で知られている柑橘)」に不思議なことがある。施設栽培だと数ヶ月保管できるのに、露地栽培だと3週間くらいで傷んでしまう! どうしてなんだろうか?

ちょっと調べてみても、その本質的な原因が分からない。一方、対策というのはそれなりに研究されていて、小さなキズにも弱いからキズ付けないように収穫しましょうとか、そういう細かいことも含めていろんなアドバイスがある。でも肝心の原因が茫洋としていて、露地栽培と施設栽培で決定的に違うことがなんなのかがよくわからない。果実表面の微生物の様相に問題があるんだろうが…。

それに、痛み方も少し変わっている。普通のミカン類は、表面のキズや何かから青カビが侵入してやがて腐っていくことが多いが、しらぬいの場合、青カビももちろんつくが皮の部分からボヨンボヨンになって弱っていく痛み方の方が多いような気がする。あと、樹上で腐ってしまう割合も多いと思う。これも原因がよくわからない。

ちなみに、皮の部分がボヨンボヨンになっても、果肉の方はまだ無事で意外にイケることも多い。でもそうなるともう数日でダメになってしまう。だから売り物にはならない。

しらぬいは皮がゴツくて頑丈な印象があるのに、実際はもの凄く痛みやすいのである。それが施設栽培になると、逆にかなり長持ちするようになるのが一層不思議なのである。こういう果物、ほかにあるんだろうか?

そして、もの凄く痛みやすいということは、なかなか売りにくいということでもある。在庫を抱えているとどんどん不良品が増えていくわけで、時限爆弾的な商品だ。だから、一度にドカッと売りたくなる。でもそうすると、新しいお客さんとの出会いは少ない。「南薩の田舎暮らし」でも、予約を取って販売した上、例によってA-Zかわなべにも卸したので、もはや在庫は10セットくらいしかない状況である。

販売期間はあと1週間もないかもしれない。この短い期間に、新しいお客さんと出会えたらいいなと思っている。

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2015年2月12日木曜日

「加世田かぼちゃ」の30年

今、ちょっとワケあって「加世田のかぼちゃ」の歴史を調べている。歴史といってもたかだが30年とちょっとのことだ。

それで、2012年が「かごしまブランド」に指定されてから20年ということで記念大会が開催されており、その冊子を貸してもらって見てみた。その冊子にはこれまでの歩みということで試作が始まった1976年からの主な出来事がまとめられており、大変参考になった。

その歴史を簡単に述べると、「栽培が始まった頃は天候にも恵まれ豊作が続き順調に生産量が拡大したが、次第に天候不良や疫病の発生に見舞われるようになり、近年では不作が常態化するようになった」とまとめられる。

ちょっと趣味的になるが、その様子を下のような表に整理してみた。「主な出来事」の欄を眺めているだけでもなんとなく風向きが悪くなってきている様子が感じられるが、よりわかりやすいのは「生産性」の欄である。

「生産性」は、便宜的に出荷量を作付面積で割ったものである。これは正確な単位面積当たりの収穫量とは異なる。なぜなら、作付面積も出荷量も、本来は春作と秋作それぞれの計算が必要だからである。しかし便宜的な合算でも、その年の雰囲気を摑むことはできるだろう。

そして「生産性」の欄には、これまた便宜的に、〜15:赤色、15〜20:黄色、20〜:水色、と色をつけてみた。年を経るにつれて赤色が多くなっていることが一目瞭然である。というか最近は赤色しかない。

「加世田のかぼちゃ」のあゆみ

主な出来事 作付面積(ha) 出荷量(t) 生産性
1976年 春かぼちゃ試作      
1977年 春かぼちゃ本格的栽培開始
秋かぼちゃ試作
3 75 25.0
1978年 秋かぼちゃ本格的栽培開始 9 153 17.0
1979年 台風による被害 14 184 13.1
1980年   30 487 16.2
1981年   50 1160 23.2
1982年 晩霜による大被害 84 1820 21.7
1983年 台風による被害、疫病大発生 88.8 1195 13.5
1984年   100.8 2220 22.0
1985年   92.5 2110 22.8
1986年   95.1 2300 24.2
1987年   103 2212 21.5
1988年   124.5 2498 20.1
1989年 安定生産 111.5 2277 20.4
1990年 台風による被害 107 1988 18.6
1991年 かごしまブランド産地指定
秋かぼちゃ台風被害により収穫皆無
116 1747 15.1
1992年 朝日農業賞受賞 93 2298 24.7
1993年 晩霜による被害
記録的長雨による2番果着果不良
MBC賞受賞
107.7 1915 17.8
1994年 春先の低温、日照不足で生育遅れ
輸入かぼちゃとの競合で価格低迷
105.3 2106 20.0
1995年   92.1 1564 17.0
1996年 かぼちゃサミットを開催 95.1 1818 19.1
1997年 天候不良による減収 104.2 1669 16.0
1998年 春かぼちゃ、天候不良による減収 102.2 1505 14.7
1999年 天候不良、台風による減収 79.1 1222 15.4
2000年 春かぼちゃ疫病が大発生 73.3 1092 14.9
2001年 単価安
産地指定10周年記念大会開催
70.8 1194 16.9
2002年 天候不良や疫病による減収 67.6 1097 16.2
2003年 天候不良や疫病による減収 75.2 1295 17.2
2004年 台風被害による大幅な減収 76.7 918 12.0
2005年 台風被害による大幅な減収 70.5 1068 15.1
2006年 春かぼちゃ天候不良による品質低下
秋かぼちゃ豊作
68.7 946 13.8
2007年 天候不良による減収 71.2 1025 14.4
2008年 天候不良による減収 70.6 795 11.3
2009年 天候不良による減収 72.5 964 13.3
2010年 天候不良や疫病による減収 74.7 801 10.7
2011年 天候不良による減収 72.9 724 9.9

このように見てみると「加世田のかぼちゃ」が次第に衰微しつつある様が見て取れ、生産者として薄ら寒い気持ちになるのだが、本当に危機感を抱くべきなのは不作が続いていることよりもむしろ、近年の「産地としての動きのなさ」かもしれない。

というのは、順調な栽培が続いた”青色の時代”を経て「かごしまブランド」の産地指定を受け、その後”黄色の時代”にも「朝日農業賞」「MBC賞」を受賞したり「かぼちゃサミット」を開催したりといった動きがあった。もしかしたら積極的に行ったものではないのかもしれないが、結果的にブランドの認知を挙げ、産地が一丸となる方向ができたのではないかと思う。

しかし、それに続く”赤色の時代“には、そういった動きが全くない。おそらく、天候不良に苦しんで思うように結果が出ないため萎縮し、積極的な手を打つことができなかったのだろう。 天候不良というのは如何ともしがたいので、生産量の低迷などはしょうがない。だがだからこそ、産地として埋没しないようにする努力をしなければジリ貧になっていくのではないだろうか。

私は「加世田かぼちゃ」の歴史を振り返るにあたり、「なんだかんだ言っても20年以上の積み重ねがあるわけだから、それなりにいろんな取り組みがあったのでは?」と思っていた。が、これまでの所、取り組みは栽培技術の面に限られているように見える。

栽培技術の進歩は重要だが、ブランドだってただ自称しているだけではその真価は発揮されない。実直に生産するだけでなくて、産地として前向きに動く姿勢を見せ、新たな市場を開拓していくきっかけづくりをしていく努力が必要だと思う。微力ながら、私も一生産者としてそれに取り組んでいきたい。