2014年11月18日火曜日

Citrus meets Sugar——柑橘の世界史(8)

エジプトのサトウキビ畑
イスラームが中東で産声を上げた頃、紀元7世紀のササン朝ペルシアに、柑橘類よりももっともっと重要な、世界史的に超弩級に重要な作物が西方から伝えられてきた。

それは、サトウキビである。

サトウキビの栽培には豊富な水を必要とする。だから、半乾燥地帯である中東ではその栽培適地は限られた。最初は水の豊富なイランの低地、そしてシリアの海岸地帯、次いでエジプトのデルタ地帯と、栽培適地を求めるようにサトウキビの栽培は伝播していった。10〜11世紀にはキプロス島、クレタ島、シチリア島へ伝播し、12世紀頃には北アフリカ、マグリブ、イベリア半島へと広がっていった。

しかも、サトウキビ栽培には集約的な労働を必要とする。水管理だけでなく、かなりの肥料も要するし、それになにより砂糖の精製は工業的といえるほどの資本や労力がいる。そういうわけで、サトウキビ栽培は農民が自然発生的に取り組んだと言うより、貿易で財をなした富裕者や私領地(ダイア)を経営する政府高官が、高収益を見越した「事業」として組織的に取り組み、広まっていったのである。

それによって、イスラーム世界は世界史上で初めて、砂糖が豊富に存在する社会となった。もちろん砂糖はかなり高価な品であった。スルタン(君主)はラマダーン(断食月)になると臣下に砂糖を下賜したそうだし、宮廷では砂糖で作られた菓子(干菓子のようなもの)が見せびらかしのために作られた。しかし、それはほんの少ししか自然界に存在しない、ダイヤモンドのような貴重品ではなくて、お金さえ出せばいくらでも手に入る貴重品だったともいえる。

一方、庶民がどれくらい砂糖を手にできたかは地域によっても時代によっても違うようだ。だが12世紀以降になると、地中海南岸では庶民にとってもちょっとした贅沢をすれば手に入るものになっていたように思われる。

この、豊富に存在する砂糖が柑橘の世界史を動かした。酸っぱいレモンと、甘い砂糖、この組み合わせが、最強のレシピになったのである。

サトウキビ以前の社会では、甘いことは掛け値なしに最高の価値があった。甘い食べ物はそれだけで贅沢品で、滅多に食べられるものではなかった。だがひとたびサトウキビによる砂糖が登場すると、甘くしたいなら、砂糖を振りかけさえすれば実現できるようになった。

もちろんサトウキビ以前にもそれなりに甘味料はあった。伝統的な甘味料といえばまず蜂蜜、それから果物の果汁からつくる糖蜜(ジュラーブ)など。でもこれらは良くも悪くも甘みだけでない味わいがあるし、大量に穫れるものではなく、いつでもあるものでもなかった。しかし砂糖ならば、甘みだけをいつでも自由に足すことができた。

そうして、甘みそのものというよりも、甘みを引き立たせる苦さや酸っぱさに注目が移っていったのではないかと思う。そこにあったのが、苦いシトロンであり、酸っぱいレモンだった。

こうしてアラブ人は、レモンでジャムを作ることを考え出した(※インドから伝来した可能性もある)。

ジャムの歴史を繙くと、紀元前には既にジャムらしきものがあったらしい。しかしそれは例外的な存在で、砂糖と共に果実を煮てドロドロにするという、今のようなジャム(ムラーバmurrabaと呼ばれる)が普及したのは、まさにこのイスラーム時代なのだ。

ただし当時のジャムは、今のジャムのような長期保存食品ではなかった。そもそも密閉できる容器も僅かだったから、脱気(容器内から酸素を抜くこと)もできなかったと思う。どうやら当時のジャムの「賞味期限」は2〜3週間であったようだ。レモンなどはただ置いていても1ヶ月くらいは持つわけだから、長期保存したくてジャムにしたのではなく、ジャムにするのが美味しい食べ方だったからそうしていたに違いない。

当時の農業生産と人びとの暮らしを伝える『コルドバ歳時記』(または『コルドバ暦』)という10世紀の本がある。これは一種の農書と占いと年中行事のマニュアルであり、要するに各月に何をなすべきかということが書かれた本であるが、その1月の項目にも、レモンのジャムを作ることと、シトロンのシロップを作ることが厳選されたリストに挙げられている。

それだけでなく、季節季節の果実のジャムやシロップを作ることがこの本では奨励されていて、このころのイベリア半島では砂糖を単なる珍奇な贅沢品として扱うのではなく、果実の味をどう砂糖でアレンジするかという段階に入っていたことが窺える。

ところで現代のジャムも、糖度が50%くらいはあって、水分と砂糖だけで成分の90%くらいになる。つまりその他の成分はほんの数%しかなく、酸っぱさ成分などはさらにその一部でしかない。ということは、どの果実のジャムを食べてもその内実はほとんど砂糖水を固めたものであり、成分的な違いは5%とかそれくらいしかない。しかしこれを逆に考えると、ジャムの味はその数%、いや小数点以下%が支配しているのであり、いかに元の素材の味が重要かが分かる。

そう考えると、レモンはジャムの素材としてはなかなかに優秀だ。強い酸味があってジャムにすると甘酸っぱく、(おそらく果皮も入れていたと思うので)ジャムを作るのに不可欠なペクチンも豊富である。また、柑橘の爽やかな芳香はジャムに最適だ。

思えば、柑橘の先進国であった中国では、早い段階でスイートオレンジが発現したこともあって甘みの強い柑橘を求める品種改良がなされたが、イスラーム世界では甘みを求めた品種改良が柑橘に施されることはなかったようだ。それは、おそらく柑橘が常に砂糖とセットで扱われ、柑橘自体に甘みを求める必要がなかったからに違いない。

甘いオレンジを生みだした中国と、酸っぱいレモンを育てたイスラーム世界が、ここで面白い対照を見せるのである。

※冒頭画像はこちらのブログからお借りしました。

【参考文献】
『イスラームの生活と技術』1999年、佐藤次高
『イスラムの蔭に(生活の世界歴史7)』1975年、前嶋信次
"Food and Foodways of Medieval Cairenes: Aspects of Life in an Islamic Metropolis of the Eastern Mediterranean" 2011, Paulina Lewicka

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