2014年11月15日土曜日

バターはなぜ不足するのか

11月23日に「海の見える美術館で珈琲を飲む会」というイベントを行う。その時に、「南薩の田舎暮らし」のスコーンとかクッキー、そしてジャム類も少し販売する。というわけで、これから製造に入ろうというところである。

が、なんとここへきてバター不足! 業務用バターすらお一人様一つずつという購入制限が設けられているではないか。これは個人でやってるケーキ屋さんとか大変な状況である。今回、しょうがないので一部はバターの代替品で済ますことになったが、なぜバターは不足するのかご存じだろうか。

これについては時々新聞などでも解説されるが改めて問題を考えてみたい。

まず、バターが不足する最大にしてほぼ唯一の原因は、バターの輸入が国家管理されていて、自由に貿易できないからである(報道では天候不順で生乳量が不足し…とか言われるがそれは些末な問題。それならチーズも不足するはず)。

バターの輸入を独占しているのは独立行政法人 農畜産業振興機構、という機関。

民間業者がバターを輸入するためには、高い関税(1キログラムあたり約30%+179円)を払った上で農畜産業振興機構にバターを輸入してもらい、それを改めて買い入れる(しかも1キロあたり800円あまりのマージンも取られる!)必要がある。つまり、1キロ500円のバターを輸入したら、何もしなくても原価が1600円以上に跳ね上がる。これでは民間業者がバターを輸入することはほとんど無謀である。

であるから、結果として輸入バターは、機構が独占的に輸入したものを民間業者が入札して市場へ仲介する、という形で流通している。これは、名目的には国内畜産業者の保護のために行われている政策である。

バターが自由に輸入できるようになってしまうとバターの価格が下がり、タダでさえ厳しい酪農業者の経営が厳しくなってしまうということで、ウルグアイ・ラウンド(国際貿易の協定)で合意した数量のみに限り輸入するためにこのようなシステムになっているのである。

しかしながら、酪農業者の主要製品は生乳であり、バターなどの加工乳製品は補完的なものであるから、バターに厚い輸入障壁を設ける意味がよく分からない。畜産の保護は重要だとしても、経営的に中心でないバターに煩瑣な輸入障壁を設けるより、生乳の生産への補助金を上乗せした方が適正な市場が形成され、消費者・生産者ともに利益になるのではないだろうか。

例えば、同じ乳製品でもチーズの場合は市場の様子が全く違う。こちらも高い関税はかかっているが、輸入は自由化しているから、いろいろなチーズが店頭に並んでいるし、国産のチーズも様々なものがある。北海道に行けばチーズ工場が見学でき、お土産にチーズがたくさん買われている。いくら天候不順で生乳が不足気味になっても、チーズが店頭から切れることはない。要するに、チーズには豊かな国内市場があり、酪農業者の創意工夫の余地がある。もちろんビジネスとしての非情な競争もあるが、それは公正な競争だ。

一方バターはどうか。無定見に国内業者が保護された結果、バターを楽しむという文化は全く育っていない。外国に行くとチーズと同様いろんなバターがあって楽しいが、日本にあるのはホンの限られたものだけだ。輸入品が貧弱(なにしろ国家が一律に輸入しているので)な上に高価であるため、本来は廉価なバターが高級品となり、その代替品としてファストスプレッドが非常に普及してしまった(店頭にあるマーガリンみたいな商品はほとんどファストスプレッドです)。

ファストスプレッドとはマーガリンの一種で、本来は液体である植物油脂に水素を添加して固体化しているものである。最近、これら人工的な油脂が有害なトランス脂肪酸を多く含んでいるということで敬遠されつつあるが(世界的にも規制される方向にある)、私はそれよりも、バターに比べ風味が格段に落ち、味がよくないというのが最大の問題だと思う。

このファストスプレッドが普及している原因は、結局はバターの輸入が国家管理されているからなのだから、この一事のみ考えてみても、この輸入規制は酪農家を利しているのか甚だ疑問である。このヘンテコな輸入規制がなく、チーズと同様にバターを楽しむ文化と豊かな市場が形成されていれば、多くの人はファストスプレッドの代わりにバターを食べていたに違いないのである。

さらにバターの輸入が国家管理されているせいで、需給予測が外れてよくバターは不足したり逆に余ったりする。今回のバター不足も、予測では不足はないはずだった(当たり前)。このことだけ見ても、計画経済というのはうまくいきっこないと思う。バターの需要量はほぼ予測できるから問題は供給量だけであり、供給量も急に増えたり減ったりするものではないので、需給予測は簡単に見える。しかし実際には市場は動的であって、必要十分な量を予測するのは、ただバター単体のみでも難しいのである。

かつての社会主義経済の行き詰まりの原因はそれこそ星の数ほどあるが、仮に労働者が勤勉で経営が果断であっても、計画的に決められた量の生産を行うというスタイルであるかぎり、経済がうまく回るわけはなかったのである。

このように、バター不足の原因は、酪農家への歪んだ保護にあるのである。この制度はおそらく酪農家にも裨益する部分が少なく、存在理由がよくわからない。巷では、農水省OBの天下り先である農畜産業振興機構の収入確保のため(輸入独占しているので莫大な利益がある)と言われているが、本当にそれだけのことなのかも不明である。

農業は、全体的に補助金産業にならざるをえない。それは、完全に補助金なしで農産物が生産されてしまうと、(特に主食となる穀物類は)低所得者にとって高価になりすぎる可能性があるからである。要するに、誰にでも手に入りやすい価格で食物が生産されるためには、農業に補助を行わなくてはならない。それを逆から言えば、農業への補助は国民全体(特に低所得者)へのフードスタンプ(食費補助)みたいなものだとも見なせる。

しかし、時として産業への国家の補助・介入は、その産業が立脚する市場自体を歪ませる。 殊に煩瑣な輸入障壁はそうである。その介入がなければ花開いていたかもしれない市場を萎縮させ、社会主義的なつまらないものにしてしまう。例えば、小麦粉もバターとはまた違った仕組みで国家が輸入をほぼ独占しているが、店頭に並ぶ小麦粉の多様性のなさは制度の失敗を示唆している。本来は、小麦粉もお米のように、さまざまな品種とグレードがあるものだ。

農業への補助制度がどうなっているか、一般の人からの関心は薄い。だがその補助が、私たちの食生活を根底で規定しているというのは気持ちが悪い。畜産農家の保護という名目のために、バターは不足し、ファストスプレッドが氾濫する現状は何かおかしいと思う。この制度の廃止を訴える国会議員がいたら、すぐに支持するのだが、誰かいないものだろうか。

【参考文献】
『日本は世界5位の農業大国 大嘘だらけの食糧自給率』2010年、浅川芳裕

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