2012年11月18日日曜日

質素だが誠実な展示「南さつま神話の旅」

南さつま市金峰町にある歴史交流館 金峰で「南さつま神話の旅」という企画展が開催中である。

企画展自体は、十数枚程度の手作りポスターパネルと、いくばくかの土器が並べられているだけの質素な展示である。正直なところ、これを見て「面白い!」という人は少数派だろう。だが、その内容は意外によくまとまっていて、普段体系的に示されることのない南さつま市の神話の旧跡が外観でき、勉強になる。お金もかかっていないし、派手さもないが、誠実に作られた企画展である。

特にその誠実さを感じるのが冒頭の説明。要約すると、
  • 南さつま市には鹿児島県が12カ所に作った「神代聖蹟」の9つまでが集中している。
  • 「神代聖蹟」とは、皇紀2600年記念事業として作られたもので、日本神話の舞台となったところを指定する石碑。
  • 皇紀2600年は戦争中の昭和15年。「神代聖蹟」は戦争遂行のための国威発揚に日本神話を利用したものであり、つまり「昭和の遺産」。
とした上で、「市内の神話スポット・神代聖蹟をめぐるときに、神話が戦争に利用された事実にも思いを致していただければ、より多角的に歴史を理解できる好機になるのでは」と結んでいる。

日本神話が戦争の遂行に利用されたことはよく知られているが、残された史蹟が「昭和の遺産」であるとまで述べられることは少ない。多分「神代聖蹟」がそういう陰影を持つものだということを認識している人も少ないだろう。

今年は古事記編纂1300年に当たるということで、特に島根県(出雲地方)と宮崎県が観光キャンペーンに力を入れていた。この2県は首都圏の電車に車内広告を大量に打つなど、昨年来、多くの広告費用を投入して「神話のふるさと」のイメージ形成と観光促進を行った。これ自体は同じく神話のふるさとである鹿児島県も見習うべきところもあると思うが、観光という商業振興を重視するあまり、「我が県には神話にゆかりがある所がたくさんあって凄いでしょ!」というアピールだけになってしまったきらいもある。

だが実際には、先述のように日本神話は戦争に利用された負の歴史がある。島根県についてはよく知らないが、宮崎県では政府の皇紀2600年記念事業で宮崎神宮が大幅拡張されたり、日本海軍発祥の地碑(神武天皇御東遷時お舟出の地)を建立したりするなど、国威発揚の片棒を担いでいる(担がされている)。そういう歴史を反省することなしに、商業主義的に観光を推進しようというだけでは少し空疎な感じも受ける。

そういう意味では、本企画展では冒頭に誠実な説明があるだけでなく、個々のパネルの内容も割と醒めた態度で書かれていて、好感が持てた。歴史交流館の嘱託職員の方が企画・作成したらしいが、見識のある方とお見受けするので一度話を聞いてみたいものである。

ところで、商業主義的すぎるのも問題だが、鹿児島県のようにせっかくの神話資産を無視するのもいただけない。 8年後の2020年には日本書紀編纂1300年になるので、その時には鹿児島県もいろいろとやってはどうか。アピール競争をする必要はなく、他県とも連携しつつ、観光だけでなく歴史研究・教育なども振興するいい機会としてもらいたい。自分としても、南薩の神話について近々自分なりにまとめてみたいと思っている。

【参考】
古事記編纂1300年記念企画展 南さつま神話の旅
開催期間:2012年09月21日 ~ 2012年12月24日
場  所:南さつま市 歴史交流館金峰
料  金:高校生以上300円、小人150円
連絡先: TEL: 0993-58-4321

5 件のコメント:

  1. 当企画展を評価していただき感謝いたします。明日、「市民大学講座」にて神話関係の話をいたしますので、たいへん勇気づけられました。ありがとうございました(歴史交流館金峰・嘱託職員)。

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    1. コメントありがとうございました。企画の当人からコメントいただけるとは恐縮です。先日歴史交流館金峰に参った時にお話を伺いたかったのですが、その時はご不在だったので、また何かの機会にお目にかかりたいと思っております。明日の講演会も頑張ってください。今後の活動も期待しております。

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  2. さとちゃん2013年4月16日 13:23

    私は宮崎市に住む加世田出身です。
    宮崎ではたしかに古事記編纂1300年に伴うツアーなどここ一年近く大人気です。まだ未だに大人気でキャンセル待ちがあるほどなんです!
    私も先日、高千穂コース(天岩戸神社など)に行きました。

    鹿児島の神話説は全く知らなかったので、このブログを読んで驚きました。

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    1. さとちゃん さま

      鹿児島の神話はあまり取り上げられないですよね。おそらく、明治維新の頃にいろいろゴリ押ししたことが尾を引いているのかなと思っています。捏造とはいわないまでも、旧跡の由来を相当鹿児島寄りに解釈させましたので…。

      その頃から、一部では宮崎との本拠地論争があったのですが、もはやそういう時代ではないと思いますので、今後は宮崎とも大いに協力してほしいと思っています。

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  3. さとちゃん2013年4月16日 14:29

    はるほどー。郷土鹿児島を全く不勉強でお恥ずかしい…
    ◯◯説なるもの、よくありますよね。日本国中でありますね。

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