2012年11月10日土曜日

廃校利用のものすごく斬新なアイデア

先日、廃校になっている笠沙高校の敷地に入る機会があった。

県立笠沙高校は2006年に廃校になってもう6年以上経つが、跡地利用がなされないまま放置されているようでもったいない。

市でも「笠沙高校跡地対策協議会」なるものを設置して有効利用できないかと検討してきたようだが、意見がまとまらないまま宙ぶらりんになっていたようだ。先日所有者である県から「グラウンドをメガソーラー設置の用地にしたい」という打診があったということでこれを受諾。あわせて、校舎等については既に痛みが激しいということで、委員会では撤去して更地にするよう県に要望することとしたという。

有効活用の良案もないので県の打診を受けたのだろうが、グラウンドへのメガソーラー設置には惹かれない。アクセスのよい広い土地をメガソーラー用地などにするのはもったいないし、そもそもメガソーラーなんて補助金が切れれば一発で赤字になる事業だ。ゴミになったソーラーの山で埋まらないとよいが…。

さらに、建物が傷んでいるから取り壊す、とのことだが、これだけの施設であり取り壊しにもかなりの金がかかる。外観からしか判断できないが、修繕した方が安上がりなのでは? というのが率直な感想だ。もちろん更地にした後の利用のめどがあるならいいのだが。

そんな中、先輩農家Kさんが、ものすごく斬新な跡地利用のアイデアを世間話で言っていた。曰く「納骨堂にしてしまえばいい」とのこと。大浦・笠沙は高度経済成長期に人口が非常に流出した地域であるが、今後10年程度で流出した団塊世代が一挙に老後を迎えることを考えると墓・納骨堂は意外に供給不足である。

都会に墓を作る人もいるだろうが、墓くらいは故郷に…という人も多いだろう。その際、古くからの集落の共同墓地・共同納骨堂に入れられればいいが、子や孫が定期的に管理することができない場合、寺や墓地会社の永代供養の方が好ましい。荒唐無稽なアイデアに見えて、実は経営的にいけるのではないか。

さらに、もし大規模な納骨堂ができれば定期的に法事があるので地元経済も潤う。花卉類、食事はもちろん、僻地なので宿泊にもお金が落ちるだろう。もちろんテナント利用や企業誘致など、経済効果の高い利用法の方が望ましいのはいうまでもないが、この過疎地域に高望みはできないことを思えば、納骨堂は悪くない。それに、かつて若者が歓声を上げた学舎が納骨堂となるとなれば、高齢化時代の最先端ということで廃校利用の極北として注目も集めそうである。

全国的にも、今後10年程度で団塊世代がどんどん鬼籍に入る時代が来る。つまりその前に、墓地需要は日本史上空前絶後の高まりを見せるのが明白である。今後20年くらいは、夥しい人間が死ぬ時代、そのために心のよりどころを求める宗教の時代になると思う。私がシキミに注目したのも、そういう背景がある。廃校利用の納骨堂はともかくとして、葬儀ビジネスは有望だと思うので、地方活性化の一つの方策になるかもしれない。実際に、静岡県新居町では商工会で葬儀ビジネスに取り組んで成功しているという。葬儀ビジネスというとなんだかアコギな印象もあるが、今の葬儀はなんだか味気なく形式的な感じがあるので、地域で暖かな葬儀や埋葬ができ、かつ経済的にもうまくいけばとてもいいことだ。

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