2015年4月10日金曜日

インターネットで農産物を売る(その2)

(前回からの続き)

さて、少し話が戻るようだが、そもそも、インターネットショップや実際の店舗がたくさんある中で、当店を選んでもらうためにはどうしたらよいのかという問題がある。

回答案の一つは「差別化」だ。日本で一番! とか日本で唯一! の商品があったら、インターネットでは強い。しかし元より農産物の差別化というのはとても難しい。それに、多くの場合、農産物の差別化はすべきでもない。

なぜなら多くの人が求めているのは、差別化された特別な農産物ではなく、普通に美味しい普通の野菜や果物だからである。農産物は、ファッションや雑貨のように個性を意識して購入することはない。変わったものよりもむしろ、食べ慣れているものの方が安心する。

時には「日本一甘いトマト」のようなものを食べたくなるので、そういう「差別化」は成功するかもしれないが、そのためにはトマトならトマトを極めるという一本気な農業が必要になる。私のような農業初心者にそれは無理である。

ただ、果物の場合は嗜好品という性格がかなり強いから、インターネットでの「差別化」は野菜に比べれば容易である。しかしそれにしても、日本で一番というようなレベルになるとやはり難しい。そして極端に言えば「日本で一番」しか残らないのがインターネット販売の世界である。

また、率直に言ってしまうと、「有機野菜じゃないとダメ!」というような特殊な人以外にとっては、野菜のようなものはインターネットで買うよりも近所のスーパーで買った方が絶対によい。なぜなら、地場のものを旬に食べるのが一番美味しいし、その上安価だからである。

つまり、普通の野菜や果物を売る、ということを考えるとインターネットショップには勝ち目がない。一方「日本で一番」の農産物を作るというのも難しい。

ではどうやって当店を選んでもらえればよいのか?

それに対する私なりの回答は、地域性と人間性、である。

「地域性」とは、農産物に附属する地域のイメージのことである。例えば、北海道産ポテト、といえば広大な北の大地を思い浮かべるだろう。では長崎産ポテトはどうか? 長崎は北海道に次ぐ全国2位のジャガイモの産地だが、あまりイメージが湧かないので、二つが並んでいたらなんとなく北海道産の方がよいものと思ってしまわないだろうか? 要するに、人間はほんの少しでもその由来を知っているものが好きだ。

私は「南薩」という地域が、北海道のように何か雄大なものを想起させる、そんな地域としてもっと認知されて欲しいと望んでいる。何しろ北海道と同じく、ここは日本本土の端っこである。ここにあるものは少なく、誇れるものはその景観くらいしかない。景観と農産物にはほとんど関係がないようだが、私は関係大ありだと思っている。

またどんな地域であれ、そこの出身者であれば、そこの農産物を食べてみたくなるものだ。「南薩の田舎暮らし」のお客さんも、今のところ多くは南さつま近隣の出身で都会に出ている人である。うちは「南薩」を大きくウリにしているわけだから、そんなの当たり前じゃないの? と思うかもしれない。でもこれがファッションとか雑貨だったらどうか。推測だが、お客さんに占める出身者の割合はそんなに大きくならないと思う。たぶん、「食べ物」だから出身者が購入してくれるのである。

たぶん、味とか栄養だけでない価値が食べ物にはある。生まれ育った土地で育った野菜や果物というのは、その人にとって特別な価値があるのではないか。

次に「人間性」だが、これは少し誤解を生む用語である。「私の人間性を見込んで買って下さい」とか、そういう意味では全然ない。そうではなくて、これは農産物に附属する人間属性のことであり、つまり「これはこの人が作って、この人が売っているものなんだ」という附属情報のことを指す。

どんな野菜にも果物にもその附属情報はある。どれも誰かが育てて、そして誰かが売っている。その情報を表に出した時、農産物に人間性が生まれる。「顔の見える野菜」というようなのがあるが、その類である。問題は、「顔の見える野菜」は「顔の見えない野菜(どこの誰が作っているのか分からない野菜)」と比べて(統計的に)優れているのかということである。正直、違いはほとんどないと思う。「顔出し」するかどうかは、農家の性格による部分が大きい気がする。

しかし、やはり「顔の見える野菜」のほうが何となくよいものと思ってしまう。それは先ほども述べたように、人間はほんの少しでもその由来を知っているものが好きだからである。

では、私も「顔出し」してインターネット販売をすればよいのだろうか?

そういう方法もあるが、先述のとおり「顔出し」と品質との相関はおそらくないし、ただイメージだけの話である。インターネットショップサイトに私がニコニコとした顔で野菜や果物を抱いているような写真を載せたら、イメージはよいかもしれないが実質的な意味はない。いや、実質的な意味がないのにイメージだけよくなるとしたら、むしろよくないことかもしれない。

私はそれよりも、もっと単純なこととして、「同じ買うなら知っている人から買う方が気持ちいい」ということを大切にしたいと思う。そうか? という人もいるだろう。知らない人から買う方が気が楽だ、と言う人もいる。でも私は、ものの売り買いは最も原初的なコミュニケーションの一つだと思っている。

つまり、売買というのは、ただお金と引き換えに商品を交換する行為ではなくて、「商品の交換」を通じて、売る人と買う人が(その場しのぎかもしれないが)信頼関係を築くことだ。すなわち本質的には、互いの存在を認め合うことだと思うのである(過激なことを言うと、商品やお金はその副産物に過ぎない)。

ようやく話が「インターネット販売におけるお客さんとの対話」に戻ってきた。要するに、私はお客さんにとって「知っている人」になりたいのである。あわよくば「信頼できる人」とかになれたらもっとよいのかもしれないが、店主が自らを売り込んで来る店では私も買いたくない。

そして逆に、もし可能なら、お客さんのことも知りたい。

なにしろ、「南薩の田舎暮らし」のような弱小サイトにわざわざ訪問してくれて、それに(全国的に見たら)たいしてスゴイわけでもない果物やジャムを買ってくれるのだから、一体どんな人なのかとこっちも気になる。よりどりみどりで優れた商品が溢れているのに、どうしてうちなんかで買ってくれたのか、と聞きたくなるのが人情だ。

だから、私はお客さんと挨拶程度はする知り合い同士になりたいのである。そのために対話する。そしてこういうことをやるには、インターネットは非常に向いている。なぜなら、実店舗でこういう対話をいちいちやっていたら、正直その店はウザイ。ほっといてくれ、と思う人も多い。でもメールなら、無視すれば済むことだ。心理的負担がほとんどない。というか、ウザイと思ったらぜひ無視して欲しい。言うまでもなく「別にあんたのことなんか知りたくないよ。欲しいものさえ手に入れば」という人だってもちろん歓迎である。

そして、実利的な話になるが、もしそういう「知っている人」が何百人にもなったら、きっといいお客さんになってくれる人もたくさんいるわけで、これはただ「友達百人できるかな」的な活動ではないのはもちろんである。そもそも商売だから、長期的に利益がなかったら続けられない。

私にとっての農産物のインターネット販売はそういうことである。そしてたぶん、農産物を販売するインターネットショップは、多かれ少なかれそういう性格を持っていると思う。

だから、インターネット販売が非効率的なのは当然だ。「南薩の田舎暮らし」は積極的に販路を拡大していこうという戦略をとっていないので、さして販売実績もよくない。そもそも、まだまだインターネットで販売するということをちゃんと実直にやれている自信もない。弱小サイトで当然である。

でも、心構えとしてはこのように思っている。なかなか自分の思うようにはできていないのですが、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

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