2014年9月19日金曜日

シトロンとユダヤ人——柑橘の世界史(5)

エトログ・ボックス
旧約聖書に『レビ記』という、様々な律法について語る一篇がある。

『レビ記』の第23章では、他の様々な祭日とともに「仮庵の祭り」の説明がなされる。「仮庵(かりいお)の祭り」とは、ユダヤ教の重要な祭日で一種の収穫祭的な性格を持ち、ユダヤ人の祖先が奴隷状態にあったエジプトを脱出したことを記念して行われるものである。祭りはこのように始まる。
初めの日に、美しい木の実と、なつめやしの枝と、茂った木の枝と、谷のはこやなぎの枝を取って、七日の間あなたがたの神、主の前に楽しまなければならない。 —(レビ記第23章40節)
この簡単な一文が、意外なことに柑橘の世界史へ甚大な影響を及ぼした。古代ユダヤ人たちが、ここに記述された「美しい木の実」をシトロンであると解釈したからである。

彼らはこの「美しい木の実」をエトログetrog)と呼んだ。元々、それがシトロンを意味した言葉かどうか定かでない。しかし、いつしかこれはシトロンであるということになった。その理由はよく分からないし、いつからそうなったのかも不明である。ともかく、紀元前の世界において既にエトログはシトロンとみなされていた。

律法というものを厳格に考えるユダヤ人たちは、「仮庵の祭り」のその日のために、毎年欠かすことなくシトロンを用意した。その用意が一日でも遅れることはあってはならなかったので、毎年確実にこの実が手に入れられるよう気をもんだ。

後代のことであるが、彼らは前もって手に入れたシトロンを箱に入れて大事に保管し、祭りの最中もその箱に入れていた。その箱はエトログ・ボックスといって、入念な細工が施された高級な宝石箱のようなものだった。ユダヤ人たちは、祭りの際はシトロンをまるで宝石のように大切に扱ったのである。

特に東欧に移住したユダヤ人たちにとって、シトロンは実際に宝石並の高級品でもあったようだ。南方の植物であるシトロンは東欧では育てることができなかったためである。空輸のような流通がなかった前近代において、毎年決まった日までにシトロンを確実に手に入れることは、かなりの苦労が伴ったと思われる。

それは古代でも同じだった。ユダヤ人たちが住んでいた中東は半乾燥地帯であったので、シトロンは自然にまかせて収穫できるものではなかったからだ。ユダヤ人たちは「仮庵の祭り」のためのシトロンを自ら栽培しなくてはならなかった。もちろん全てのユダヤ人がシトロン栽培者だったわけではないが、広域の流通が簡単ではなかった古代においては、ユダヤ人のいる街には少なからずシトロンが育てられていただろう。

そしてさらには、シトロンの栽培は難しかった。野生に近く、食べられないこの柑橘は、元々はさぞ強壮で育てやすい樹ではなかったかと思われる。しかし、祭りに使えるシトロンが満たすべき条件は後にこまごまと追加されて、それが新たな律法となり、ユダヤ人たちは厳しい条件の中でシトロンを育てなくてはならなかった。

例えば、祭り用のシトロンは接ぎ木では作ってはいけないとされた。耐病害虫、耐寒性などが優れた接ぎ木ではなく、実生(種から育てる)であることは生育適地を限定し、生産コストを高めた。また、ほんのちょっとのキズでもついていてはならないため、樹になった実のほとんどが使い物にならないこともあった。

ユダヤ人たちはこうした非常に厳しい条件の中で、毎年必ず決まった量の、決まった規格のシトロンを収穫し、定められた日までに、全てのユダヤ人コミュニティへと配送するという、古代社会としてはべらぼうに高度な生産・流通の仕組みを構築したのである。

少し話は脱線するが、ユダヤ人が祭りのためにシトロン栽培者にならざるをえなかったように、祭儀は農業の発展に意外と深く関わっている。例えば、牛の家畜化の起源には諸説あるが、祭儀での犠牲のためという説がある。牛を犠牲に献げる祭儀があり、その祭儀の日が予め決まっている場合、どうしても野生の牛を前もって捕らえ、祭儀の日まで飼育しなくてはならない。その短期間の飼育が、家畜化の第一歩だというのである。

考えてみれば、荒っぽい性格の野生の牛を傷つけずに捕らえ、逃げないよう柵で囲った場所を作り、餌をやり、糞尿の処理をするという大仕事を、ただ美味しい肉が食べたいということのためにやるのは道理が立たない。それならば、ただ野生の牛を仕留めて食べればいいだけの話で飼育する必要がない。飼育するというのは、特定の日に屠る、というなんらかの制約があったためなのだ。

他にも、ニワトリの家畜化も同様な祭儀と関係しているとする説がある(※)。畜産というのは現代でも大きな労力と資本を要するわけで、ただの畜産よりも遙かに困難な野生動物の馴化という偉業をなしとげるインセンティブは、祭儀くらいしか考えられない。農業というのは、ただ植物や動物を育てることではなく、植物や動物を人間の都合のいいように作りかえていくというプロセスが必要である。生き物を作りかえていくという巨大なエネルギーは、美味しいものをお腹いっぱい食べたいという欲望ではなくて、神へ捧げなくてはならないという畏怖の気持ちであろう。

ユダヤ人たちも、神へ献げる特別なシトロンを栽培しなくてはならなかったお陰で、非常に高い柑橘生産の技術を獲得したのである。『レビ記』のそっけない一文が、ユダヤ人たちを優秀な柑橘生産者にしたわけだ。そしてその技術は、後にユダヤ人たちのディアスポラ(離散)によって地中海世界全体へと伝播していくことになる。

※ それどころか、小麦の栽培も神に捧げるビール造りを行うために開始されたとか、多くの植物・動物の馴化に祭儀が関わっているとする説がある。

【参考文献】
レビ記』1955年、日本聖書協会
"The Saga of the Citron" Toby Sonneman

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