2014年9月10日水曜日

西方へもたらされた唯一の柑橘——柑橘の世界史(4)

シトロン
シトロン
中国で楚の屈原が柑橘を誉め称える詩を作ってから暫く後、ギリシアではテオプラストスという哲学者が重要な本を執筆した。それは『植物誌』といって、西洋ではなんとルネサンスに至るまで1500年以上もの間、植物学の最重要文献であったという驚異的な本である。紀元前3世紀のことであった。

その『植物誌』に、柑橘の一種である「シトロン」が記載されている。

シトロンは日本では馴染みのない果物だが、レモンに似た柑橘で、大きさが文旦くらいで表面はゴツゴツしており、果肉・果汁が極端に少なく白い皮の部分がめちゃくちゃ厚い。シトロンの果肉はパサパサしていて食べられないが、白い皮の部分は現代ではマーマレードにしたり砂糖漬けにしたりもする。

漢名は枸櫞(くえん)といい、なじみ深い「クエン酸」は実はこの果実の名前から名付けられたものだ。

このシトロンは、古代ギリシアでは「メディアの林檎」とか「ペルシアの林檎」とか呼ばれていた。原産地は遠くインドであったが、テオプラストスはそれをまだ知らず、ペルシア(そこはかつてメディアという国があったところでもある)原産の果物だと思っていたようだ。テオプラストスによると、
この「林檎」は食べられないが、実も葉もとても香りがよい。そしてこの「林檎」を服に入れておけば、虫がつくのを防ぐこともできる。また毒薬を飲んだときにも有効だ。ワインにいれて飲めば胃を逆流させて、毒を吐き出させる。…
ということである。不思議なことだが、インドには様々な柑橘類が産していたにも関わらず、古代において西方の地中海世界に伝えられた柑橘は、ただ一つこのシトロンだけだった。どうしてこの食べられない果物だけが伝わっていったのかはよく分からない。香り付けによいということだったにしても、他にも香りのよい柑橘はあったはずで、なぜシトロンだけが特に選ばれたのかは謎である。

紀元前4000年に、既にメソポタミアではシトロンが伝えられていたというから、この果実の西方世界への伝播は非常に早かった。柑橘は年間を通じて適度な降雨を必要とするから、半乾燥地帯である中東に自然に(人の手を介さず)広まっていったということは考えられず、人為的に持ち込まれ、栽培されていたのは間違いない。もしかしたらシトロンは、その解毒作用を期待されて広まったのかもしれない。毒薬を飲むという状況が、そんなに頻繁にあったのかどうかは分からないが、 特別な薬としての需要はあっただろう。

中東では古くから栽培されていたこのシトロンが、中東からさほど離れていないギリシアへと伝わったのは割合に遅く、伝説ではアレクサンドロス大王の東征の際(紀元前4世紀)にもたらされたと言われている。

アレクサンドロス大王はその短い生涯でマケドニア(北方ギリシア)から東インドに至る空前の世界帝国をつくり上げ、それによってこの広大な地域の文化が相互に交流した。教科書などでは東方にギリシア風の文化が広がり、ヘレニズム(ギリシア風)文化が興ったと説明されがちだが、アレクサンドロスはむしろペルシアの進んだ文化を積極的に取り入れており、ついにはマケドニアの服装も捨て、ペルシア風の装束に身を包んだほどである。一方方向にギリシア文化が伝わったわけではなく、この時代は、最初の東西文化交流の時代であった。

すなわち、アレクサンドロスの時代、ギリシアのものが東方に伝播していっただけでなく、中東からインドにかけての様々な文物が、大量にギリシアに入ってきたのである。『アレクサンドロス大王東征記』などにはシトロンの記載はないが、ギリシアから東インドの政治的統合が、シトロン伝播の遠因となったというのはありそうなことだ。

蓋し、栽培植物の伝播というのは、意外と政治的なものに支配されている。一国の国土というものは、だいたい似たような気候風土で纏まっていることが多いし、隣国との境は険しい山脈や大河で隔てられていることも多いから、単純に政治的な国境が栽培植物の伝播を妨げているとはいえない。しかし、全く別の文明が支配する領域にはある種の栽培植物がなかなか広がっていかないことも事実である。植物の栽培というものは、種や苗の移動だけでなくて、それを育てて利用する技術と文化をもった人間が移動していかなくてはならないからだ。

逆に言えば、人間の移動によって、栽培植物はその生来適応した環境を超えて広範囲に伝播しうる。このシトロンこそは、人の移動によって最初にヨーロッパへともたらされた柑橘なのであるが、それは次回に詳しく述べることとしよう。

【参考文献】
"Enquiry into plants and minor works on odours and weather signs, with an English translation by Sir Arthur Hort, bart" 引用は拙訳によった。

※冒頭画像は、こちらのサイトからお借りしました。

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