2012年7月14日土曜日

「人・農地プラン」の抱える問題点

現在農林水産省が進めている「人・農地プラン」作成へ向けた笠沙・大浦地域での説明会・話し合いがあった。

が、事前の周知がよくなかったのか、参加者は私含めてたったの4名。プラン作成へ向けた話し合いは別途機会を設けて行われることになり、当日は制度の説明のみ。

人・農地プラン」というのは、端的に言えば「大規模農家を育成するために、農地の集積を行う」ための計画である。そのために、自給的農家や兼業農家などへは耕作しないよう促し、農地の利用を白紙委任することを求める(その代わり交付金が出る)。

日本の農業の問題点の一つが、兼業農家・自給的農家など生産性の低い農家の存在であることはよく指摘されることではあるが、どうもこの施策は釈然としない。世界的にも、農業の効率化は「機械化による大規模化」で成し遂げられるというのはいわば標準理論であるが、このような施策を今行う必然性はあるのだろうか?

というのも、農業の高齢化トレンドからいって、今後十数年で耕作を辞める農家がかなり多く存在するのは確実で、大枚をはたいて農地集積を図らずとも、政策目的である農業経営体の大規模化は自然に実現されそうな気がする。

しかも、「日本の農業は小規模農家が多く非効率的だ」ということが長く言われてきたがこれは本当なのだろうか。海外の一人あたり耕地面積は日本の10〜30倍程度あるのは事実だが、逆に言えば、日本の10〜30倍もの耕作を行わなければ経営が成立しないということでもあり、そういう観点からはこれは望ましい状況でもなんでもない。むしろ、海外に比べ1/30〜1/10の面積で農業が成り立つ日本という国は、極めて効率的な農業を行っているのではないか。

もちろん、農産物価格で海外に水をあけられているのは事実だ。しかし、主要先進国であれば農業はどこも補助金産業である。また、海外においても小規模家族経営の農業が見直されはじめており、企業経営的な大規模経営に比べ、持続可能で地域に根ざした農業ができるのみならず、経営的にも成功し始めているところもあると聞く。

というわけで、大規模経営が効率的というのも近年自明ではなくなってきており、それだけでも「人・農地プラン」には疑問符がつくところである。それに、日本農業が抱えている最大の問題は、流通機構の未熟さであると思われるので、本来はそこに手を付けるべきではないのだろうか。ほとんどの農産物はJAが流通を担い、あとは個人販売という二極化した状況は望ましくない。

最近のアグリビジネス界隈での話題が、「(生産者の顔が見える)直販所」「大手スーパーや飲食チェーンとの契約栽培」「インターネットでの直販」など、いずれも流通に関する取組であることは示唆的だ。逆に、大規模化で成功した農家のニュース、というのは聞いたことがない。直販や契約栽培といった出口がしっかりしているから大規模化に取り組めるのであって、大規模化自体は経営目的になりえないと思う。

その意味で、「人・農地プラン」の最大の問題は、大規模化する経営体に対するメリットが全く見えないことだ。どうも、「農業経営体は大規模化したくても土地が足りなくて出来ていないのだから、その機会がありさえすれば大規模化するはずだ!」という根拠のない仮説に立脚した施策のような気がしてならない。

とはいうものの、「それぞれの集落・地域において徹底的な話し合いを行い、集落・地域が抱える人と農地の問題を解決」していこうという「人・農地プラン」の基本的な考え方は悪くないと思う。農業は、地域の土地をどうやって利用していくかという側面もあるので、そういう話し合いを設ける価値は大きい。ただ、その結果、その地域がどういう農業をしていくかは地域ごとに様々なはずで、「経営の大規模化」を既定路線にするのは、ちょっと無理があるのではないかと感じる次第である。

2 件のコメント:

  1. 風狂様
    「精神性の源泉としての山、森林の重要性」という自己紹介欄に目が留まり、時折ブログを拝見しています。
    私も5~6年前のリタイア後、大浦の近くの郷里の田畑を目にする機会があり、2~30年前に国の補助事業で数億円の補助金を投入したと聞く農地構造改革事業が、その後耕作者もいなくなり、荒れ地と化しているのを見て呆然としました。先人が機械もない時代に、苦労して耕作したであろう畑地何とかできないかという思いに駆られました。そこで、風狂さんとは動機も目的も、多分年代も大きく異なると思いますが、荒れ果てた畑地を借り受け、鹿児島市内から重機を運び込み開墾して、その地の特産となるかもしれない果樹の栽培を始め、地元の有志数名に一緒に栽培を始めないかと持ちかけたところ、賛同してくれてスタートいたしましたが、1年もたたないうちに、共同栽培は敢え無く頓挫しました。原因はモチベーションというか志がまったく異なったことです。私は現在女房と二人で鹿児島市から週末ファーマーとして通い、最初の志を何とか貫いています。農業は一人ではできないというのはそのとおりだろうと思います。時々気持ちが折れそうになる時、自分の志を共有してくれる仲間が欲しいと思うことがあります。栽培地を広げるために、耕作する荒廃農地の借り受け交渉も、地主に一人で交渉しています。時々ブログを拝見しながら、また私の追々の近況などもコメントさせてください。鹿児島市 uncle farmer

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    1. コメントありがとうございます。

      大浦の近郊で申しますと、小湊干拓などは利用率が低迷しており、大変もったいないような状況になっております。時代のニーズに合わなくなったといえばそれまでですが、先人の苦労が報われないような感じがしてしまいます。規模は全く違いますが、私の先祖がおそらく明治時代に開墾した山と畑があるのですが、そこも人力のみで巨大な岩を動かし、非常な労苦で切り拓いた場所であるにもかかわらず、今では荒れ果てており、これをどうにかしたいというのが私が移住してきた一つの目的でもあります。合理的に考えれば、そういう利用のしにくいところは放置し、効率的に耕作できる場所に資源を集中するのがよいということはわかっていますが、やはり、なにかそれは違うのではないかとも頭の隅に引っかかるのです。

      周囲の理解や協力も十分に得られない中で、週末ファーマーとして続けているのは立派ですね。私などは、周りの方の協力がなかったら何も出来ません。よいお仲間が見つかることを祈念しております。ぜひときどきコメントをくだされば幸いです。また、機会があればお会いして意見交換などができましたら有意義かと存じます。今後ともよろしくお願いいたします。

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