2012年7月19日木曜日

「通貨を発行して、借りて、使え」は妥当なのか

田舎暮らしには関係がないが、大変お世話になっている先輩農家の方から「三橋貴明氏のブログに書いていることの妥当性はどうなの?」というご質問を受けたので、整理の意味で少し書いてみたい。

私は経済学は独学だから経済学的な妥当性を検証することはできないし、三橋氏自身が主流派経済学者とは違う見方を提供することを売りにしているわけだから、学問的な検証には意味があまりないと思う。そこで、一読者として納得感があるかどうかを主眼にしてみることにした。

まず、三橋貴明氏の主張をまとめてみる。ブログには雑多な記事があったが、その一々を検討することは不可能だから本質的と思われるところだけを抽出すると、
【主張1】デフレ下では金融政策だけでは景気回復の効果はない。
【主張2】デフレは需要不足が原因だから、金融政策とあわせて財政政策を行うべき。
【主張3】具体的には、建設国債を発行し日銀が引き受け、公共事業をすべき。
【主張4】日本国債のほとんどは国内債務なのでたくさん借金しても破綻の心配はない。
【主張5】財政再建に必要なのは経済成長であり、将来の経済成長のために今政府が投資すべき。
というところになるだろうか。氏はこうした主張をキャッチフレーズ的に「通貨を発行して、借りて、使え」とまとめている。

まず、【主張1】については、「流動性の罠」と呼ばれ経済学的にももはやコンセンサスと思われるし、「失われた20年」で日本人は経験的にこれを体感しており全く同意である。

次の【主張2】の「財政政策をすべき」というのは、デフレ(需要不足)が不況の原因であれば方策の一つとしてはありうる。デフレの解消には、おおざっぱに言って①構造改革による生産性の向上(※)、②財政政策、③インフレ期待形成という3つの方策があるが、①は政府が機敏に出来るものではないから現実性が低いし、③は「近い将来にインフレが起きそうだ」と国民の意識を変えることであるが、政府がちょっと何か言ったくらいで国民の意識を変えることは難しい。だから、消去法で②財政政策というのはわからなくない。

しかし「本当に日本の不況の原因は需要不足なのか? もっと深い原因があるのでは?」というのが既に90年代末から言われてきており、「需要不足説」はちょっと弱い。また、デフレ(需要不足)は不況の原因ではなく、不況になったからデフレになったということで因果関係が逆だと思う。日本の長期不況の原因は「高度経済成長期に形成された政治経済の構造が成長期を過ぎても温存され、成熟国家としてのシステムが未熟だからだ」というのがよく指摘されるところで、多分これが本質だ。

ちょっと話が飛ぶが【主張5】も仰るとおりで、経済成長なくして増税のみで財政再建するのは不可能であり、何らかの将来への投資をしなくてはならないのは当然だ。であればこそ、「高度経済成長期に形成された政治経済システム」の改革は急務なはずで、氏の論調ではそこがあまり触れられないのは不思議だ。

ところで、日本の経済構造が旧来型のように感じるのが、21世紀的な産業での立ち後れだ。自動車や家電といった20世紀的産業では(幸運が重なったこともあって)世界的に成功したのに、IT産業や半導体、金融といった21世紀的な産業では、日本の企業の世界での存在感はほとんどないのはその象徴と思える。要は、世界的な産業動態の変化に適応できなかったのである。得意分野だったはずの家電でも、液晶事業が韓国勢に惨敗するなど、昔日の面影はなくなってきている。そういう、個別企業の競争の集積が国全体の経済成長につながるわけで、不況なのは需要不足だけではなくて、要は世界企業との競争に負けてきたということも一因だ。

だが、もっと大きい潜在的問題は、今後の日本の人口トレンドである。高齢化と人口減少で労働力が減ることで、確実に生産性が低下することが予測されており、政治経済のシステムは変わって行かざるを得ない。社会保障や年金の制度改革も必要だし、所得再分配の形も変えて行かなくてはならない。もちろん産業構造も変革を迫られる。しかも、労働力減少に適切に対応したとしても今後の劇的な経済成長は望めないため、その変革は実入りが少なく、苦々しいものとなるだろう。そうした将来が漠然と予期されるからこそ、不透明な将来に備えて消費が抑制される面もあり、仮に暗鬱としたものであれ、成熟国家としての姿が早く見えるようにすべきと思う。

とはいえ、それは本筋であっても政治的にも極めて難しい作業になるので、とりあえずできることを、と言う意味で財政政策(公共事業)というのはわからなくもない。だが、納得感があるかというと、正直ないと思う。

ということで話を戻して次は【主張3】だが、まず公共事業について考えてみる。氏は、「日本の国土は災害が多発するので防災の観点からの公共事業が必要なのに、公共事業費は年々減少を続けているのは危険。また高度経済成長期に作ったインフラがメンテナンスを必要としている。現在金利が低迷しているのだから資金調達が安価にできるわけで、今こそ公共事業を行うべき」という趣旨のことを言うが、これには説得力がない。

防災云々というのは、今後10年で200兆円もの公共事業を行うという自民党の「国土強靱化基本法案」に載っかっている部分もあるのだが、今千年に一度のような災害に備えるより、復興支援にお金を掛けた方が効率的かつ現実的ではなかろうか。またインフラのメンテナンスが今後必要になるというのは本当にその通りで、これはこれで大問題だと思うが、既存のインフラのメンテナンスは生産性向上に寄与しない(現状維持するだけ)なので、経済を好転させる力はない。また、安価にできるから今公共事業をすべきというのは安易な考えで、バブル期前後の公共事業で金がある時にばらまいて無駄で非効率的な施設やインフラといった負の遺産がたくさんできたことの反省がないように思われる。

なお、氏は震災以前には、東京や大阪など大都市のインフラを整備せよという主張をされており、私はそれは納得するところだが、震災以降それをあまり言っていないようで残念だ。国家全体の生産性はほとんど大都市の生産性とイコールになるので、経済成長させるために大都市のインフラを公共事業で整えるということであれば話がわかったのだが…。

さらに、その公共事業を建設国債を発行して日銀に引き受けさせて行うということの意味が私にはよくわからない。氏はブログで「わたくしが発行しろと言っている国債は「建設国債」であり、赤字国債ではありません。」ということを主張されておられたが、この二つはどう違うのか? 根拠法と償還期限が違うだけで実質同じものなのだが…(事実、国債は一種類しかなく、額面に「建設国債」とか書いているわけではない)。

また、日銀に引き受けさせるという話は、民間に余剰資金がないからというよりは、氏の持論であるインフレを引き起こさせるためということかと思われるが、これは方策としてはよくなさそうだ。日銀が国債買い入れをするのは日常茶飯事ではあるが、強制的に引き受けさせるとなると話は別で、市場には「日本は国債を市中消化できなくなっている」というサインを送ることになり、長期金利の上昇を招く。すると累積700兆円もの国債の利率が借り換えに従って順次上昇し、国債の利払いだけで大変なことになる。

氏は、「デフレ状況下でなぜインフレの心配をするのか」とよく書かれるのだが、今、日本がインフレになると国債の利払いが加速度的に増えることになって、それだけで財政破綻するおそれが高まるのだから、デフレ下にあってもインフレを警戒するのは当然のことである。また、将来の低成長が予測される状況では、インフレが起こる前兆としてデフレが起こりうることが理論的に示されてもいる。さらに氏は「インフレになれば国債の実質残高も減る」と主張するが、それはなってみないとわからないことで、実際は金利の上昇スピードの方が早いこともあるのだから予断を許さない。要は、インフレになるといいこともあるが、悪いこともあるということだ。

ということで次に【主張4】だが、これも全く納得感がない。破綻(デフォルト)しない理由として「円建て・国内債務」を挙げているが、これは氏が言うほどの強みではないと思う。円建てなので、金利が上昇しても日本銀行による金融政策で適切な範囲にコントロールできるというが、これまでの日銀のていたらくを見ているとそんなことは信用できないし、国内債務が多いというのは、少しの変化で国内の金融機関等が甚大な影響を受けるということであって、むしろ慎重になるべき要素だ。

例えば、国債がデフォルト(債務不履行)しなくても、格付けが数段階落ちるだけで大混乱になる。なぜなら、金融機関はある程度の格付け以上の債券等で資金運用することになっているところが多いので、より安全性の高い債券に乗り換える必要性が出てくることで、日本国債が暴落してしまう可能性もあるのだ。国債が暴落すると、日本の金融機関のバランスシートは大打撃を受け、自己資本比率が悪化して金の貸し出しができなくなってしまう。氏は破綻=デフォルトと定義されているようだが、国内債務が多い日本国債の場合はデフォルトまでいかなくても金融機関に混乱を引き起こす可能性があるわけで、破綻するしない以前の問題が大きいと思う。

さて、再び【主張5】だが、先述の通り経済成長が重要というのは仰る通りであるが、公共事業でそれが成し遂げられるかというと答えは否である。大都市はともかく、国土全体で見れば有用な土木事業は多くが既に実施済みで、今後新しい道路などを作っても将来の生産性を上げることはできないだろう。生産性を上げるための方法は経済学的にはまだ確立していないが、公正な競争が行われることが重要だから、基本的にはルール(規制・税制など)の整備、通貨・金融システムの安定、(競争の舞台となる)大都市のインフラ整備などが標準的な方策と思われる。日本が特に後れているのはルールの整備なのだから、そこに手を付ける方が有効ではないか。もちろんそれですぐに需要が生まれるわけではないが、長い目で見ると結局そちらの方がいいと思う。

まとめると、
【主張1】→常識的な見解
【主張2】→財政政策は手の一つだが、需要不足が本当に不況の原因なのか一考の余地あり。
【主張3】→公共事業で生産性は上がらないので、結局無駄では? また日銀に国債を引き受けさせてインフラを起こそうというのも一長一短ある。
【主張4】→破綻するしない以前の問題が大きすぎる。
【主張5】→その通りだが、公共事業では将来への投資にならない。
というところだろうか。

結論としては、見るべきものがないとは言えないが、床屋談義以上の価値があるとも思えない。いわゆるリフレ派とかニュー・ケインジアンとか、氏のような考え方の勢力は一定程度あるのでそれは異端ではないけれども、であればこそ、氏もよく言及するポール・クルーグマンなど本家本元の主張を聞いた方が有用だ。

とはいえ、彼は作家であるのだから、もしかしたら本当に本質の部分というのは本に書いていて、ブログには書いていないのかもしれない。そういう可能性もあるけれども、少なくとも私は彼の著書を買って読む気にはなれなかった。なお、私の経済学的知識は若干古い面があって、もしかしたらこの記事にとんでもない間違いがあるかもしれないので、自分でいうのもなんだがあまり真に受けないようにされたい。


※ 氏は需要不足の時に生産性を向上させたら(供給力を上げたら)もっと需要不足になってしまうからいかん、と主張しているが、長期的な生産性が上がったら将来の所得が増える期待が形成されるので消費が刺激される、という理屈。

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