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2016年8月12日金曜日

最初のアボカドの実

これは、我が農園で初めて着果した「アボカド」の実である。

以前からの「南薩日乗」の読者はご存じのように、私は(一応)アボカド農家を目指していて、これまで約150本のアボカドを植えている。
【参考記事】
アボカドの栽培にチャレンジします(2013年)
アボカド栽培も3年目(2015年)
アボカドを植えました。が…(2015年)
それが、今年、ついに1個実をつけたのである。「フェルテ」という品種のアボカドだ。

これは2013年に約50本植えた最初のアボカドの1本なのだが、他の樹はどんな状況かというと、正直いうとあまりうまく生育していない。その半分が枯れかかっている感じである。

何がその要因かというと、特に、昨年の記録的長雨での被害が大きかった。アボカドはとにかく排水が悪いところが嫌いで、大雨の時に少しでも水が溜まるようなところはすぐに根腐れしてしまう。そして、一度根腐れすると回復が難しい。その上、昨年は台風が直撃してほとんど全てのアボカドが倒伏し、さらに今年始めには数十年ぶりの寒波で大雪が降ったため相当弱った。今後回復するのか、このまま枯れてしまうのか、観察を続けたいが感覚的にはおそらく枯れると思われる。残念!

そして、昨年から今年にかけて植えた約100本については、生育のバラツキがかなり大きい。そして、そのバラツキが何に起因するのか私はまだよく分析できないでいる。なんとなく、問題は根なんじゃないかと推測しているが、じゃあなんで根の生育に差があったのかというのがよくわからない。排水性はよいところだと思うし…。

というわけで、まだまだアボカド生育の技術は未熟ではあるが、後進の参考にならないとも限らないので、これまで得た教訓について備忘のため書いておくことにする。
  • 定植場所は排水性が最も重要。
  • 日当たりはちょっとくらい悪くても生育には影響しない。
  • 定植1年目に安定して生育させるのがもの凄く大事。支柱への結束をしっかりして、夏場には水やりをすること。
  • ある程度芽欠きをして単純な樹形に整えることは意味があるが、やりすぎると風に弱くなるので、ほどほどにする。放置でもかまわない。
  • 元肥は不要。ただし有機質に富む土壌を好むのは間違いない。
という感じ。

150本のアボカドというと、その苗木の代金が60万円以上。我ながら結構な投資を行ったと思う。うまくいくかどうかもわからないものに…。で、その60万円の投資の最初の成果が、この1個のアボカドというわけだ。 これから台風などで落果しなければ、10月か11月頃に収穫できるようになる。ぜひこの最初の1個を収穫したいと思う。どんな味がするのか楽しみだ。

【参考】
国内のアボカド栽培の第一人者といえるのが米本 仁巳さんという人で、この人の書いた『アボカド―露地でつくれる熱帯果樹の栽培と利用』という本が一番参考になった。でも本を読んだだけではできるようにならないのが農業である。ちなみに米本さんは近年鹿児島の開聞に移住してきて、アボカドの露地栽培の実証をやっているそうだ。

2015年6月12日金曜日

アボカドを植えました。が…

予定していた開墾が「一応」終わってアボカドの苗を植えた。これで約120本アボカドを栽培していることになる。

「一応」というのは、予定地全てを借り受けることが出来なかったからである。もちろん全て内諾は取っていたのだが、いざ契約(使用貸借契約)の段になって、ある地主さんが「やっぱり貸せない」と役場に言ってきたそうだ。

理由は(直接聞いていないので)よく分からないが、「自分も長くないので10年間の契約だとどうなるかわからないから」というようなことだったらしい。「2、3年だったら大丈夫なんだが」とのこと。

こういう、耕作放棄地だったようなところが(仮に管理者が亡くなったとしても)10年そこらでどうこうなるものでもないと思うので(そもそも20年以上耕作放棄地で荒れっぱなしだったのに!)、その理由はいまいちピンと来ないのだが地主さんがそう言ってるんでは手も足もでない。

なので、予定地が500㎡ほど狭くなって、予定した本数を全て植えることができなかった。苗木は既に発注した後だったのでベーコンという品種が8本余ってしまった。うーん、この8本をどうしよう。たぶん定植後に2本くらい枯れるので、2本は予備としても6本余る。1本4200円するので無駄にはできない。

とりあえず暫くはポットで栽培して補植に備えつつ、もし必要な人が近所にいたらお分けすることにしたいと思う。ちなみにこの品種だけで植えてもなかなか実がならないはずなので、もし植えたいという人は受粉樹は自分で用意してください。

2015年4月28日火曜日

アボカド栽培も3年目

2年前にアボカドの苗木を50本ほど植えたが、それが遂に花をつけるようになった(ちなみに3本枯れました)。

といっても、アボカドの花は5000に1つしか着果しないと言われているので、たくさん開花しても実がなるまでには至らないと思われる。収穫できるのは多分あと2年はかかるだろう。

でも苗木1年生・2年生の2年については、試行錯誤の結果、どうにか順調に生育させる方法がわかってきたようである。

ものの本には管理方法がいろいろ書いているが、いろいろやってみて思うのはそういう書物ではアメリカ式のやり方を安直に勧めているような感じがするということだ。例えば書物では、バーク堆肥を元肥にしてBMヨウリンをどかっと入れて…というような植え付け方法が勧奨されている。そして逆に剪定などはほとんど必要としないと言っている。が、日本の零細農業のやり方からするとどうも違和感がある。

私が思うに、日本でアボカドを栽培しようという場合、pH矯正のことはさておいて、元肥はほぼ必要なく、追肥のみでよいのではないかと思う(というのは大木にする必要がないので)。逆に、剪定については丁寧にした方がよく、収穫作業や管理作業がしやすいように樹形をシンプルに整えるのがよいと思う。特に夏期は2週間に1度くらい芽欠き作業を行って、余計な弱い枝を出さないように管理するのが肝要と感じた。

ただ、そういうやり方で2年間やってみて人の背丈くらいまで生長したものの、これからの管理も手探りなので、後から考えて「あー、やっぱり書物に書いてあった方が正しかった」と後悔する日が来るかもしれない。正直言うと、「これからどういう管理をしたらいいんだろう」と不安なところもあって、まだ栽培には自信がない。

でもとりあえず定植して2年間の管理はなんとかできることがわかったので、今年はアボカドを更に2反(20a)ほど増やしてみることにした。本数でいうと、100本くらいである。耕作放棄地を開墾して、5月にはアボカドをまた植えることにしたい。

2013年6月14日金曜日

アボカドの栽培にチャレンジします

遂に、昨年来計画していたアボカドを植え付けた。面積は、耕作放棄地の藪(林?)を開墾したところの約1反(10a)、本数は約50本。

アボカドは日本ではまだほとんど経済生産されていない作物だが、近年その食べ方が浸透してきて消費が急激に伸びており、価格も安定していることから注目を集めている。

お店に並んでいるのはメキシコやニュージーランドからの輸入ものがほとんど、というかほぼ100%で、国産アボカドへの需要は大きいと見られている。というのも、長い航海に耐えるため保存性の良い「ハス」という品種が輸入されているが、これはアボカドの品種の中では必ずしも代表的なものではないからだ。

日本でアボカドというと、黒くてゴツゴツした無骨な印象があるかと思うが、アボカドグリーンという色名があるように、実は鮮やかな緑色のつるんとした果実の品種がアボカドの代表選手だ。

というわけで、私は緑色の果実がなるベーコンとフェルテという品種、それから受粉樹としてゴツゴツ系であるピンカートンという品種を植えてみた。アボカドはカンキツのように非常に品種が豊富で、何千種類もの品種があるといい、熱帯果樹ながら意外と耐寒性のある品種もある。このベーコンとフェルテという品種はマイナス5℃くらいまで耐えられるそうだから南薩では十分に越冬できる。ピンカートンは実は少し耐寒性が弱いが、枯れたら別の品種に植え直そうと思う。

ちゃんと調べたわけではないが、現在10a以上の規模でアボカドを作っている農家は国内にはほとんどない。多分、両手で足りるほどではないかと思われる(間違っていたらすいません)。つまり、もし私のアボカド農園が成功したら、日本でも有数のアボカド農家になれるわけだ。

というのは冗談だが、実はアボカドには一つ期待していることがある。アボカドは廃園になったミカン園に植えるのが最適ということで、ポンカンなどのミカン園がどんどん廃園になりつつある大浦でも、これが新たな特産品になりうるのだ。アボカドは収穫には若干手間がかかるがそれ以外はあまり手が入らず、粗放な管理が可能であるために人手もさほど要しない。かなり大きくなる木なのでハウス栽培が難しく、本州での栽培可能地域は和歌山など一部に留まるので、南薩の温暖な気候の優位性も生かせる。

こうして密かに期待しているアボカドであるが、調べて見ると鹿児島県は随分昔にアボカド栽培を振興し、そして失敗した歴史を持っている。昭和22年頃に地区ごとの特産品を作ろうという計画を立てた際、カンキツやビワが地区ごとに特産果樹として割り当てられたが、南部の高温地帯(たぶん離島のことと思われる)にはアボカドとレイシの増殖が割り当てられた。しかしこの計画は思うようにいかず、5年程度して雲散霧消してしまったようだ。

どうしてこの時にアボカド振興がうまくいかなかったのか、その理由は調べられなかったが、一つには戦後まもない頃にアボカドを食べる奇特な人がいなかったということがあるだろうし、食糧増産に邁進していた頃に、実をつけるのが6年以上も先という悠長な植物を植える気にもならなかった、ということもあるだろう。だが今ではアボカドの需要も大きく、今回植えたアボカドが6年後に実をつけたら、かなりの商品性を持つことは間違いない。問題は私の圃場の土壌があまりよくないので、ちゃんと枯れずに生長するかどうかである。粗放な管理が可能ということだが、時が満ちたら「南薩のアボカド」を新たな特産品として提供できるように、しっかり管理していきたい。

【参考資料】
『鹿児島県戦後農業史 上』1992年、鹿児島県戦後農業史編集委員会