2025年2月15日土曜日

秋田県と鹿児島県の新体育館の計画を比較してみました

先日、こんな記事を書いた。

「年間365日賑わう」500億円の新体育館は必要なのか?|南薩日乗
https://inakaseikatsu.blogspot.com/2025/02/365500.html

「新体育館500億円」は、観測気球(=意図的に報道機関にリークして世間の反応をうかがうこと)じゃないかと思っていたのだが、実際のことだったらしい。新聞報道によれば、県は新体育館の予算を488億円で県議会に示したとのことだ。当初予算が245億円だったので、ほぼ倍である。

ところで、じつは今秋田県でも県立体育館を新築する計画が動いている。これが鹿児島の状況とたいへん似ていて面白い。当初予算は254億円。PFI方式で建設する方式まで含め、ほぼ一緒だった。ところが資材高騰のあおりを受けて、こちらでも入札が不調(応札者がいないこと)になった。そこで予算を110億円増額して、364億円で再入札しているところである。

鹿児島では245億では足りないということで313億円に増額して入札が実施されたが、不調だった。それで488億円にするというわけである。当初予算と展開はまるで同じなのだが、金額は364億円と488億円と差がついた(当初予算は秋田県の方がやや大きかったくらいなのに!)。どうしてこんなに開きが出たのか?

そう思って秋田県の新体育館の整備計画をつぶさに読んでみたところ、鹿児島と比べることができてなかなか面白い。秋田県の計画がいいものなのかどうか、地元民ではないので判断はできないが、両県の計画を比較してみよう。

【秋田県】新県立体育館整備基本計画を策定しました
https://www.pref.akita.lg.jp/pages/archive/77435

【鹿児島県】スポーツ・コンベンションセンター基本構想の策定について
https://www.pref.kagoshima.jp/ac12/supo-tukonnbensyonsenta-kihonkousousakutei.html

まず、似ている点から列挙すると次の通りである。

  • 現体育館の老朽化のための建て替え計画であること。
  • 全国大会だけでなくプロスポーツを誘致する計画であり、そのために多くの観客席を設けること。(秋田:6000席、鹿児島:8000席 ← 予算増額を受け7000席に縮小との報道)
  • メインアリーナとサブアリーナの2面構成であること。
  • 整備にPFI方式を用いること(→ 鹿児島では予算の関係で断念との報道)

次に、施設として異なる主な点を挙げると次のとおりである。

  • 秋田県の新体育館には、武道館が併設されない。
  • 秋田県の新体育館には、現在は別に設置されているスポーツ科学センターを包含する。
  • 秋田県は現県体育館のある運動公園内での建て替えである。

このように、細かい点では違いがあるが、ほぼ同じなのは一目瞭然である。何しろ、「全国大会の実施」「プロスポーツの誘致」という目指しているものがほぼ一緒だからだ。ただ、メインアリーナの構成は秋田県の方が観客席総数こそ少ないとはいえ、よりプロスポーツに適したものになっている(バスケコートで2面+すり鉢状の観客席。鹿児島の場合は4面)。

ちなみに、鹿児島の県体育館は予算を抑えるために観客席を8000席以上から7000席に減らすという報道があったが、プロスポーツを誘致するための重要な基準は観客席の数やその様態(背もたれがあるかなど)である。これが全国大会の場合と最も違うところである。全国大会は盤面はいるが観客席はそれほどいらない(2000席が基準)。ところがプロスポーツは盤面は中心の1面だけでいいが、観客席が多くなくてはいけない。鹿児島県が当初8000席以上としていたのは、バスケットボールの国際大会の基準を満たすためのものであった。なお、プロバスケリーグ(Bリーグ)の現在の座席基準は5000席以上なのだが、これが将来的には8000席に引き上げられるそうだ。

つまり、全国大会とプロスポーツは似ているが施設に求められる基準が全く異なり、この両方を満たすために施設が大型化して予算が膨れ上がるのである。秋田県の計画では、メインアリーナをバスケ2面のみに留めて観客席数を確保するとともに、バスケの国際大会の誘致は断念することでアリーナの大きさを抑えている。この観点からは、鹿児島の体育館が7000席に減らすというのはちょっと中途半端だ。ちなみに秋田の延べ床面積は1.7万㎡、鹿児島は3万㎡となっている。武道館の部分があるとはいえ、鹿児島の計画は過大ではないだろうか。正直、秋田県の体育館と同じ規模でいいような気がする。

それから、秋田県の計画では、冒頭に人口予測県の財政状況が述べられている。ちなみに秋田県の人口は鹿児島県の約2/3である(財政状況は単純には比べられない)。県大会などは人口減少すると規模が小さくなるが全国大会は単純には小さくならないので(出場数が変わらない)、人口減少が予測されるからといって小さい体育館で済むというわけではないのだが、それでも冒頭に人口予測や財政状況が述べられることは誠実さを感じた。

また、二つの施設のコンセプトの違いにも目が引かれた。秋田県の方にはスローガンのようなものはないが、基本方針の冒頭に掲げられているのが「「秋田の元気を創造する拠点」として、子供たちに夢を与え、選手と観客が躍動し、賑わいづくりにも貢献する施設とします」という言葉。「子供」「選手」「観客」「賑わい」という、よくも悪くも全方位に気を遣った言葉である。面白味はないが、手堅い「行政」を感じる。

一方、鹿児島県の新体育館はスローガンが乱立(!?)しており、当初は「アスリートファースト」が強調されたが、ドルフィンポート跡に場所が選定されてからは「年間365日賑わう拠点」が喧伝されている。ちなみに計画上では「スポーツ振興の拠点としての機能に加え、コンサート・イベントなど多目的利用による交流拠点機能があることが望ましい」とされ、これに応じて名称が「スポーツ・コンベンション・センター」となった。事実上、「アスリートファースト」から、「多目的利用」に舵が切られた格好だ。どことなくフワフワしている。

ちなみに、コンサートにはやはり観客席数が重要になるが、イベント(コンベンション)にはフロアの広さが重要である。このように性質が異なるものが並列されているのはなぜなのだろう。ただし、秋田県の体育館でも似たようなことが書かれており、コンセプトの字面はともかく、考えていることはほぼ同じのようである。

そして最後に立地だが、秋田の体育館は先述の通り現県体育館のある運動公園(八橋運動公園)の内での建て替えである。ここは県庁や市役所、県図書館や児童センターに隣接しており、秋田駅から3.3km、周辺には官有の駐車場だけで1000台以上あり、秋田駅西口-県立体育館前 で平日に約100本のバスがあるという。ここは都市公園のため、整備に国の交付金も受け取れる(21億円)。まず文句ない立地だろう。

一方、ドルフィンポート跡地は、鹿児島中央駅からの距離は約2㎞であるが、本港区こそ近いものの公共施設としては孤立しているので、新たに公共交通を整備する必要が大きい。そして駐車場は、住吉町15番街区に500台を整備し、全体で1000~900台分の駐車場を確保する計画としている。それが実現できたとしても、あの立地にそれだけの駐車場ができて、ただでさえひどい交通渋滞がさらに悪化すると思うとうんざりする。

隣の芝は青い、という言葉があるので、秋田の計画の方がいいとも言い切れないが(大同小異ではあると思う)、こうして比較してみると、どうも鹿児島県の体育館は全体的に過大だという感が否めない。それは、メインアリーナがバスケコートで4面(81m×41m=3321㎡)+観客席7000席という、プロスポーツと全国大会という似て非なるものの両方を大規模に実施するための規模となっているためだ。ちなみに秋田のメインアリーナはバスケコート2面(59m×45m)で、八角形なので面積が約2500㎡。鹿児島はフロアだけでも1.3倍の面積がある。

塩田知事はこれまでの報道機関への取材で、競技面積といった規模や機能の変更は「基本的に困難」としているが、秋田の体育館と比べてみると、むしろ規模縮小の余地が大きい計画のような気がしてならない。どうして「基本的に困難」なのか、踏み込んだ説明が必要だ。

これまで積み上げてきた議論は尊重すべきだと思うが、予算という大前提が崩れた今、秋田県を見習って、人口予測と県の財政状況から再度その規模を見直した方がいい。少なくとも、プロスポーツと全国大会の二兎を追うのをやめれば予算は縮小する。

そもそも県民利用が基本の県体育館でなぜプロスポーツの開催が求められているかというと、部活の大会だけだと利用料収入が少ないからという(減免措置があるからだろう)。だが、プロスポーツに対応するためには予算が大きくなる。

全国大会に求められる施設規模は一緒だから、同じような規模の秋田県体育館が364億円、鹿児島県の体育館が488億円ということは、鹿児島のプラス124億円はプロスポーツ対応費と見なせる。しかも秋田の体育館もプロスポーツの誘致は行われるのだ。124億円がペイするだけのプロスポーツ利用の料金収入と経済効果があるのか、全く不明という他ない。本末転倒にならないとよいが。

私は決してプロスポーツなど誘致しなくてよいといっているわけではない。ただ、それに見合った収入や経済効果が見込めるのかを示す責任が県にはあるということだ。

県議会での突っ込んだ議論を期待したい。

【追記】
記事を書いた後で、香川県の新体育館も建設中であることを知った。こちらもメインアリーナとサブアリーナがあり、メインの客席数は5000席超。武道館併設で延べ床面積は約3万㎡。着工は2022年で2024年度中に完成予定なので、資材高騰の影響がまだ小さい時期とはいえ、工事費は202億円だそうだ。やはり鹿児島の新体育館の予算が大きいのは間違いない。

2025年2月7日金曜日

「年間365日賑わう」500億円の新体育館は必要なのか?

先日の南日本新聞で、鹿児島県が建設しようとしている新体育館(スポーツ・コンベンションセンター)の予算が大幅に増え、500億円が見込まれることが報道された。

まず言っておくと、これまで私は、新体育館についてそれほど批判的ではなかった。建設予定地のドルフィンポート(DP)跡地にも特に思い入れはないし、それ以上に場所の決定が民主的な手続きで慎重に行われたと思っているからだ。それについてはかつて記事に書いたことがある。

【参考】後戻りできなくなる決定が、今この瞬間にも行われているのかもしれない
https://inakaseikatsu.blogspot.com/2023/10/blog-post.html

しかしこの500億円のニュースを聞いて、ちょっと立ち止まった方がいいと思うようになった。

なにしろ、500億円は当初の計画とあまりに差がありすぎる。313億円で入札が不調(入札者がいなかった)だったため予算を増やすということだったが、そもそも当初の計画では約205億円〜約245億円と見積もられていた。物価変動の影響といっても、2倍以上というのはさすがにおかしい。

民間企業だったら、立ち止まって考えてみる必要がある状況だと思われる。

県が、新体育館に必要な面積や設備を丁寧に積み上げてきたのは理解できる。実際、新体育館の場所や要件などを議論した「総合体育館基本構想検討委員会」の議論は、今見ても丁寧で緻密だ(令和2年10月~令和4年2月)。

【参考】総合体育館基本構想検討委員会|鹿児島県
https://www.pref.kagoshima.jp/ac12/sougoutaiikukannkihonnkousoukenntouiinnkai.html

だが、県の資料を見ていてちょっと引っかかるのが、場所がDP跡地に決まった後である。

もともと、DP跡地を含む⿅児島港本港区エリアには「グランドデザイン」という再開発のコンセプトがあった。そこで謳われていたのが「年間365日、賑わう観光拠点」であった。

そして新体育館の構想は、「本港区エリアまちづくりの検討の方向性とも合致している」とされた。この見解がどのように導かれたものだったのかがわからない。本港区に新体育館が作られたら、民間主導の再開発を目指すグランドデザインとは全く違う性格の場所になるのは明らかだが、なぜ方向性が合致していると言い切ったのか。結論ありきだったとしか思えない。「本港区エリアまちづくりのグランドデザインは白紙に戻します」という方がまだ理解できた。

DP跡に決定するまでのプロセスは極めて丁寧なのだが、決まった後は妙になし崩し的なのだ。

そして、元々の「年間365日、賑わう拠点」はいつの間にか新体育館のコンセプトになってしまった(ただし「スポーツ・コンベンションセンター基本構想」には明確には位置づけられていない!)。「総合体育館基本構想検討委員会」で議論してきた新体育館の構想はそのままに、それに「年間365日、賑わう拠点」とレッテルを張りなおしたのが現在のスポーツ・コンベンションセンターだ。あの丁寧な議論は一体なんだったのか。検討委員会では、「年間365日賑わう体育館」を作るためではなく、スポーツ大会を行うための体育館を実直に議論していたというのに(コンセプトは「アスリート・ファースト」だ)。

意外なのは、この構想を天文館の業界団体(鹿児島市商店街連盟、WeLove天文館協議会、鹿児島市商店街連盟、天文館商店街振興組合連合会)が歓迎していることだ。

DP跡が「観光拠点」ならば天文館との棲み分けができたと思う。しかし「年間365日、賑わう拠点」が仮にDP跡にできたとすると、天文館が寂れるのは必定だ。人出の絶対量が増えるわけではないし、人は簡単には回遊しないからだ。それは、天文館でも表通りから1本裏通りに入れば、10メートルと離れていないのに歩行者の量は10分の1以下になるのでわかると思う。DP跡と天文館で人が回遊するというのは、絵に描いた餅である。回遊どころか、表通りから10メートル離れたところに人を呼ぶことすら難しいのが現実だ。

そもそも、県の主導で「年間365日、賑わう拠点」が本当にできるのなら、最初から天文館を賑わわせた方がいい。そっちの方が喜ぶ人は多い。しかし私自身、客商売をしていて思うが、賑わう場所にするというのは本当に大変である。様々な創意工夫をして、しかもいろいろな偶然にも恵まれてようやくにぎわうのが普通である。それが県の公共事業で実現できるとは信じがたい。このような構想を天文館の業界団体が支持しているのはなぜなのか理解しかねるが、建設に伴う好況を期待しているのかもしれない。

それはともかく、元来は体育館とは全く無関係のコンセプトであった「年間365日、賑わう拠点」が新体育館に安易にスライドされたことで、計画全体が胡散臭いものになったような気がする。しかも、予算が当初見込みの2倍以上となったことは、さらに計画の妥当性を疑わせることとなった。

新体育館が不要だとは思わないが、多くの県民の生活に直結する施設でないのは誰しも同意するだろう。現在の県体育館では全国大会やプロスポーツの試合が開催できないことも、どれだけ不利益があるのかピンとこない(そもそも現体育館でも全国規模の大会はそれなりに開催されている)。子供の数が減り続けて運動部の部活動は下火になり、部活動は地域移行の方向で、大会規模は縮小が予想されている。そんな時に500億円もかけて立派な体育館を作る必要があるのか、はなはだ疑問だ。

むしろ新体育館は、予算を踏まえて必要最低限に縮小させた方がいいのではないか。新体育館の延べ床面積は、現体育館の約5倍にする計画だ。現体育館には狭隘であるという課題があり、これを拡大させるのはわかるものの、約5倍にしてプロスポーツや国際大会にまで対応させる意味はあるのか。

そして鹿児島県自身が「一等地」と位置付けるDP跡に、たいして経済活動が見込めない体育館を作る必要があるのか。むしろ郊外に建設し、そこまでの交通網を整備した方が安上がりになり、地域住民の足にもなるのではないか。もっと言うと、旧松元町体育館(あいハウジングアリーナ松元)や旧吉田町体育館(吉田文化体育センター)は現県体育館より大きいので、新設よりはこういう施設を改修して、市街地と結ぶ交通網を充実させた方がずっと暮らしに役立つと思う。

これまでの議論の積み重ねをひっくり返すようなことは、行政の運営においてはリスキーかもしれない。だが予算が2倍以上に膨れ上がるというのは、これまでの議論の前提が間違っていたということを意味する。こういう時に立ち止まれるかどうかが、知事の度量、あるいは議会の矜持を示すのではないか。

なし崩し的に予算を2倍にし、当初の議論にはなかった(それどころか現今の基本構想にも含まれていない)「年間365日、賑わう拠点」としての新体育館を天文館の振興のために建設することになれば、県政に汚点を残すことになるだろう。

ところで、急に話が変わるようだが、昨年夏の台風・大雨で、県道20号の大坂の峠が一車線崩落したままになっている。県道20号は、南さつまと鹿児島市内を結ぶ大動脈だ。そんな重要な道路が、半年も一車線崩落したままとはどういうことなのだろう。この状態で500億円の新体育館が必要だとは首肯しかねる。

何もないところを500億円かけて賑わわすより、現に人が生活しているところを大事にしてもらいたいものである。

2024年11月30日土曜日

「文芸誌」の時代

私が運営しているお店「books & cafe そらまど」では、このたび文芸誌『窻(まど)』を創刊した。

寄稿されたエッセイや短編小説による小冊子である。

【参考】文芸誌『窻』
https://sites.google.com/view/soramado/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0/%E6%96%87%E8%8A%B8%E8%AA%8C%E7%AA%BB

↓ネットでも売っています。
https://books-soramado.stores.jp/items/67247cd7c3d7cd0af49372a4

今後、年に2回ずつ発行していく予定なので、ぜひ投稿していただけたらと思う。

ところで、文芸誌を作るというアイデアは、実はかなり前から抱いていた。それを最初に考えたのは、我が家(築100年以上の古民家である)の物置から、昔の文集を発掘した時だ。

そのほとんどは小学校の文集だが、他にもいろいろあった。例えば、冒頭の写真は昭和37年の『ふるさと』第15集という、「久保青年団」がつくっていた文集である。今から62年前のものだ。

これは、いわゆる「ガリ版文芸誌」である。昔は、こういうのをいろんなところで作っていた。だが青年団までが作っていたとは驚きである。しかも15集目! 1年に1冊作っていたようなので、単純計算では創刊が昭和22年ということになる。

その中に、私の伯母が書いた文章があった(青年団には女性も所属しているようだ)。こんな具合である。

職についてもうすぐ一年すぎようとしている自分自身を考えて見る あの学校を卒業した頃 職に就いてよしやるぞと思った頃のはりきった気持 あれはどこに行ってしまったのだろう だらけて若々しさがなくなり横着になって毎日をあきらめと惰性で過す日の多くなったこの頃 残念なものである。 

表現にはちょっと時代を感じるが、今の若い人がSNSで書いているようなことと、内容には大差がない。つまり普遍的だ。だから素晴らしい、というのではないが、こういう素直な文章は決して陳腐にはならない。「意外と、今読んでもおもしろいじゃん」というのが、この文集の第一印象である。

ところで、青年団の文集でタイトルが『ふるさと』なのが不思議だと思わないだろうか。ずっと地元にいる人が「ふるさと」という言葉を使うことはほぼないからだ。

実はこの文集、都会に出て行った人と地元に残っている人とのつながりを保つための機関紙だったようなのだ。つまり発行元の「久保青年団」には、都会に出て行った人も所属していて、この文集を通じて近況報告をしているのである。誰が在郷者で誰が在京者なのかはいちいち表示しておらず、文面からはわからない人もいるが、3分の1くらいは在京者が寄稿しているようである。

SNSやメールはおろか、電話もロクになかった頃(←電話加入権というのが高くて、なかなか電話を引くことができなかった)、個別の手紙のやりとりで近況報告するよりも、こういう文集を作ることはすごく意味があったと思う。

今の時代では、こんな文集はあまりにも手間がかかり迂遠でもある。が、SNSなんて見ているようで誰も見ていない。そしてSNSに発した声は、線香花火のようにすぐに消えてしまう。むしろこの『ふるさと』の方が、ずっと健全で、しかも後の世に残るものになっている。今の時代はなんでも軽薄短小になった…なんてことをいうと年寄りじみているが、こと言葉だけは、その重みがかつてないほど軽くなっていることは間違いない。

こちらは、『大浦の子特輯号 創立八十周年記念誌』。

これは、先ほどの『ふるさと』より4年前の1958年(昭和33年)に発行されたもの。この年が大浦小学校創立80周年であったことから、『大浦の子』の特別版として製作されたものである(前半は、80年の歴史を振り返っており文集ではない)。

『大浦の子』とは、毎年作られている大浦小学校の文集であるが(今でも作られている!)、この頃の児童数は1200人もいたので、全員の作文が載っているのではなく、かなり厳選されたラインナップである。実は、大浦小学校は当時ものすごく作文教育が盛んで、作文コンクールでの上位常連校だったらしい。

そもそも、大浦小学校ならずとも当時は作文教育が盛んだった。当時、「綴方教育」(または「綴方生活運動」「綴方教室」)というものが盛んに行われており、その影響は『大浦の子』にも色濃く感じられる。「綴方(つづりかた)教育」とは、「現実をありのままに書くことで生活を見つめなおす」というような、作文と生活改善運動が一体になったような作文指導運動である。

当時の作文指導要領などを読んでいると、(1)それまでの文芸では顧みられていなかった、庶民の生活をありのままに書くというスタイルが強調されており、(2)特に仕事や生活の具体的かつ詳細な記述を旨とし、(3)文飾や文学的な表現よりも、正確な表現が好まれ(「ほんとうのことを書く」とわざわざ書いていたりする)、(4)一般的な作文でなく、観察記録のようなものに取り組むことも勧められている、といった特徴がある。これこそまさに「綴方教育」の指導である。

この頃の学校の作文指導や地域の作文コンクールでは「綴方教育」的な評価が支配的なのだが、面白いのは、一方でこれに反発していたらしき国語の先生も一定程度いたことだ。彼らは「ありのまま」や「正確な表現」に物足りなさを感じていたようだ。そして、「綴方教育」が生活改善運動を志向していたことの帰結として、作文の最後は「私も頑張って偉い人になります」とか「次はもっと上手にできるように工夫します」とか「これからも勉強をがんばりたい」のような、前向きではあるが妙に優等生的な紋切り型になりがちだったことにも、不満を抱いていたらしき形跡がある(ちなみに、この影響は今の作文にも色濃い)。

そこで彼らは、敢えて最後までダメな人間を描いたり、教訓的なことをわざと避けていたようである。要するに、彼らは文学の保守派であり、作文に「文芸」を求めていたのだろう。そういう先生は、自ら俳句や詩をつくったり、創作童話を書いたりし、児童生徒にもそれを勧めていたようだ。

このように、「綴方教育」の流れに「文芸」派がささやかな抵抗をしていたのが、当時の作文指導の世界だったと思う。作文指導法にそういう派閥(?)があったというだけで、いかに当時は作文が盛んに書かれたかがわかると思う。

なにしろ、昭和30年代の農村というのは、本当にモノがない。当時は県費負担教職員の制度もなく(当時の教員は県職員ではなく市町村職員!)、講堂や体育館すらない時代である。教室だって足りない。当然、ロクな教材があるはずもない。結果として、作文くらいしか力を入れることができないし、子供の方としても、画材もなければ楽器もないので、自己表現をしたいと思ったら紙と鉛筆だけでできる作文しかないのだ。

つまり、こういうと身も蓋もないが、昭和30~40年代の作文・文集・文芸誌ブームというのは、それくらいしかできなかったから盛んになった、という面が非常に大きいのだろう。

翻って現代を見ると、自己表現の機会や方法が溢れており、インターネットのおかげで、その発表の場も、人と繋がれる場も掃いて捨てるほどある。いまさら文芸誌なんて流行らない。実際、かつては市役所や公共図書館が「市民文芸誌」を盛んに作っていたが、今ではどれだけ残っているだろう。民間で作られていた文芸誌も廃刊・休刊ばかりである。

だが、SNSに象徴されるように、なんでもすごいスピードで過ぎ去り、そこに虚しさを感じる世の中だからこそ、「文芸誌」という時代遅れのメディアが今かえって心地良いように思う。「文芸誌」で発表するとか、「文芸誌」でつながるなんて、一昔前の「生涯学習講座」みたいでなんともしみったれているようだが、文章を持ち寄って印刷し本の形にするという形態は普遍的なものに違いない。

ちなみに、先ほど引用した伯母の文章は、このように終わっている。

あゝとにかく最初の頃思った純な気持を失わないようにしよう「どんな苦労苦難でもどんと来い」

これはまさに「綴方教育」的な締め方である。でもだからといってこれがうわべだけの言葉であるとは限らない。その後の伯母の人生を思うと、この言葉には本当に決意が秘められているように見える。

でも、その内容がよいとか悪いとか、そういうことはもはやどうでもよい。それより大事なのは、確かにここに伯母の人生がごく一部でも切り取られ、それが今に残っていることなのだ。これが、どんどん失われていくインターネット上の情報との最大の違いである。

今から62年後、きっとこのブログは失われているだろう。20年後でもかなり怪しい。だが、『窻』はもしかしたらどこかで残っているかもしれない。残す意味があるのかって? 残っていなくては、意味があるのかどうかも判断できないではないか。ずっと残る可能性があるということそのものが、なんでもすごいスピードで「消費」されていく世の中への、ちょっとした異議申し立てなのだ。

2024年11月19日火曜日

法規制がかえってゴミの違法な処理を助長する問題について

夏の台風で柑橘の苗木が50本ほど倒れ、その復旧のために小型の運搬車で作業をしていたら、ゴムクローラーがちぎれてしまった。

微妙に傾斜しているところだったのでゴムクローラーの交換には苦労したが、なんとか交換できたので一安心である。

というわけで、今、手元には2本の廃ゴムクローラーがある。これを処分したいのだが、じつはゴムクローラーはなかなか処分ができなくなっている。

「埋め立てごみじゃないの?」と思うだろうが(実際、一昔前までは埋め立てごみとして簡単に処分していた)、これは今単純な埋め立てごみではないらしい。

というのは、現代では最終処分場を長持ちさせるため、埋め立て処分をする前に細かく砕く処理が必要になり、ゴムクローラーはこの処理に手間がかかる。中心にコマという金属の部品があって、これがあるためにシュレッダーでは砕けない(らしい)からだ。つまり埋め立てごみにするためにも、わざわざコマを取り除くという処理が必要で、処分費用がけっこうかかるのだ。1㎏いくらで処分費用がかかり、ゴムクローラーはかなりの重量物であるため、運搬費用もかかる。

そんなわけで、私の手元にある廃ゴムクローラーは、適正に処分するには1万円弱ほどかかるようである。新品が4万円弱だから、これはかなり高額な処分費用だ。

それでもまあ、1万円払って業者にお願いしたらいいのだが、こういう有り難くない廃棄物(処分に手間がかかるだけでクズ鉄のように市場性がない)は、業者も積極的に取り扱っていないらしく、そもそも処分してくれる業者が少ない。

だから廃ゴムクローラーは、とりあえず倉庫の隅や空き地にでも放置しておく、ということになりがちだ。実際、自分もそうしてしまっている。

このように、ゴミ処理の場合は、「適正処分を推進する取り組みが、逆に処分を阻害する。場合によっては違法投棄を助長する」ということはよくある。

わかりやすいのが、家電リサイクル法のいわゆる「対象4品目」。すなわち、テレビ・冷蔵庫・洗濯機・エアコンだ。これらは法律に則った処分が義務づけられており、その処分費用も決まっている。これは大量に廃棄される家電を適正に処分し、リサイクルを推進するための法律なのだが、現実は、そうなっていない。

田舎道を走っていると、こんな風に冷蔵庫や洗濯機が山と積まれた場所を時々見ないだろうか。

これは何かというと、廃棄物回収業者が違法に回収した家電製品の山なのである。

廃棄物回収業者は、「処分に困っている冷蔵庫などございましたらご相談ください」と言って軽トラで回る。そういう業者に回収を依頼すると「冷蔵庫の処分費用は法律で決まっていて、5000円です」などといって、法律に則った処分費用を請求する。もちろんここまでは何の問題もない(※)。

ところが法律に則っていないのは、「家電リサイクル券」というものを出さないことである。これは、適正処分のためのトレーサビリティのための書類なのだが、処分する側としてはこの書類があろうがなかろうが、冷蔵庫が処分できさえすればいいので、ちょっとは気にしたとしても業者を追求することはない。

ところがこうした業者は、回収した冷蔵庫を適正に処分する気はさらさらなく、野外に積んでおくだけだ。それで5000円が丸儲けになるわけだ。そうしてできた家電の山が、日本の田舎には大量に存在していると考えられる。経済産業省のWEBサイトでもこのように注意が促されている。


このように、経産省では無許可の業者を非難しているが、しかし真の問題は、「無許可で家電を回収すればもうかる」という状態をつくっていることなのではないかと思う。

そのために、家電リサイクル法が出来る前よりも家電の不正な処分・違法投棄はずっと増えているのではないだろうか。適正な処分・リサイクルを推進するための法律のせいで、不正な処分・違法投棄が増えるというのは、政策の失敗と言われてもしょうがない。

後知恵で言えば、廃棄の時に個人から処分費用を徴収するのではなくて、メーカーから徴収するか、あるいは税金の補填で適正処分をするようにすれば、このような問題は起こらなかった。

もうひとつ、廃棄物といば、悪法として名高い(!?)「容器包装リサイクル法」もある。これは市区町村のゴミ収集において、「容器包装」については分別回収しなくてはならない、という法律だ。

「容器包装」、特にプラスチックゴミは非常に種類が多く、ポリプロピレン・ポリエチレンなどが混在し、またシールが貼ってあったり汚れていたりする。これではリサイクルが難しく、市区町村ではこれを分別回収してはいるものの、原材料としてリサイクルしている場合はほとんど存在しないと思われる。ではどうしているかというと、廃プラゴミとして輸出して処分しているのである。このせいで、日本は世界第3位の廃プラ輸出大国であり、世界で取引される廃プラの一割程度を日本が占めているという。

「容器包装リサイクル法」のおかげで日本が世界第3位の廃プラ輸出大国になるとは皮肉が効いているではないか。

「容器包装リサイクル法」は、一見、分別回収を義務づけるしごく当然の内容だが、問題は(1)「容器包装」というくくりが存在し、合理的な分別回収(材質毎の回収など)をむしろ阻害していること、(2)その結果、せっかく分別回収しているにもかかわらず廃プラが結果的にリサイクルされずに輸出されたり燃料として燃やされたりしていること、(3)回収やリサイクルが市区町村まかせであるため、メーカーに容器包装を減らすインセンティブがあまりないこと、である(正確にはメーカーにはリサイクルのための費用の一部を払う義務があるが、徹底できていない)。

もちろん、こうした問題は環境省も認識してはいるのだが、どうも合理的な法体系に改正するには至っていないようである。

世界にはゴミの処分が適正にできていない国や地域が多いことを考えれば、日本は割合にゴミを適正処分している方だと思うし、住民の不法投棄(ポイ捨て)もそれほど多くないと思う。

しかし組織的な不法投棄や、違法な処分はそれなりに目に付くレベルであるのが日本のゴミ処理でもある。しかもそれを、抜け道だらけの法規制がむしろ助長しているように感じる。例えばゴムクローラーの場合は、ただ埋め立てゴミにしていた時代の方がずっと適正に処分されていたような気がして仕方がない。

環境省や経済産業省は、決してバカではない。だから、業界団体や自治体から情報は集まってきており、ゴミの処分に様々な問題があることは認識はしていると思う。でも、実際に廃ゴムクローラーの処分に困っている人がどんな状況なのか、正確には理解していないと思う。彼らの認識があくまで統計上のものだからだ。

今は政府にも地方自治体にも人がいないから、なんでも統計だけを見て政策を決めてしまう。政策を検討する上でもちろん統計は大事だが、個別の事例を追求していくのもそれと同時に大事なことだ。廃棄物処理の政策を担っている人には、ゴミ処理の現場がどうなっているか、足を運んで見てもらえたらと思っている。

水戸黄門・暴れん坊将軍・遠山の金さんには、「民の暮らしを直接見る為政者」という共通点がある。これはフィクションだが、かつての日本の「現場主義」がこれらの物語の骨格を支えていたと思う。それは「現場を視てみろ、書類の上とは全然違うんだから」という態度だ。

今の時代、こういうフィクションが見当たらないのは「現場主義」が衰退したからでないといいのだが…。まさか経産省や環境省は「現場を見なくてもSNSを見ればだいたい分かります」と思っていないですよね?

※本来、無許可でテレビ・冷蔵庫・洗濯機・エアコンを処分することはできないので、引き受けた時点で法に違反しているのかもしれない。

2024年9月21日土曜日

カラーミーショップの度重なる値上げと二つの日本経済

 私は、農産物のほとんどを自前のネットショップ「南薩の田舎暮らし」で売っている。

そのネットショップは「カラーミーショップ」というサービスを使っているのだが、今般このサービスの利用料が大幅値上げされた。

なんでも値上げされる世の中だから、多少の値上げはしょうがない。というか、私自身、農産物をけっこう値上げしてきた。例えば、今年はお米5㎏を3,200円で売ったが、2015年には2,000円だった。約10年で1.5倍くらいにしているわけだ。

ところが、カラーミーの値上げはこんなもんではない。↓これは、2013年以降の、私のカラーミーへの支払い履歴である。

私は、カラーミーの安価なプランである「エコノミープラン」で契約してきた。2013年にはこの利用料が年間10,500円。この価格が、消費増税の影響はあったが最近まで維持されてきた。

ところが、これが2022年に突如3倍の30,800円に値上げされた。料金を3倍にするというのは、価格改定としてはちょっと異常だ。例えば、ダンボールなんかも値上げされているが、上げ幅はせいぜい10%で、しかも営業マンがわざわざ説明に回ってきたりする。いきなり3倍には面食らった(ただし、この時の値上げはサービスの付加も伴っている。常時SSL、メルマガ機能など)。

ところが!! 今年はさらにこれが2倍になり、元値の約6倍の59,400円になったのである。使っている機能はほぼ変わらないにもかかわらずだ。

これは、「エコノミープラン」の提供が終了になり、これまでの中位プランだった「スタンダードプラン」に自動的に移行されたことによる。一片の通知で料金が3倍になったのも異常だが、そのたった2年後にプランの自動移行でさらに2倍に値上げするというのは、ちょっと普通の精神ではできないことだと思う。

「エコノミープラン」の提供を終了したのはなぜかというと、カラーミーの説明では、

昨今の円安に伴う諸経費高騰・インフラコストの上昇などにより、サービス提供のためのコスト増大が著しく、従来の価格を維持することが困難な状況が続いております。(2024年8月1日【重要】エコノミープラン・スモールプランの提供終了に関するご案内より)

となっている。 だが、これは本当か。カラーミーを運営しているGMOペパボの決算資料を見てみよう。2024年12月第1四半期の決算説明資料においては、カラーミーの最近の業績はこのようになっている(四半期ごとのグラフ)。

GMOペパボ2024年12月期 第1四半期 決算説明資料より

【参考】GMOペパボ2024年12月期 第1四半期 決算説明資料
https://pdf.pepabo.com/presentation/20240508p.pdf

これを見れば、先ほどの「サービス提供のためのコスト増大が著しく」という説明は疑わしい。費用はほとんど一定だし、カラーミーの営業利益率はずっと30~40%あるからだ。

普通、営業利益率は10%もあれば優秀だ。ちなみに、ハンドメイド系のフリマサービスである「minne(ミンネ)」も同社が運営しているが、この2024年第1四半期の営業利益率は8%。期間によっては0%の時もある。こっちが普通である。

インターネット関連事業では、営業利益率が20%くらいあることも珍しくはない。にしても、30~40%は高い。利益がちゃんと出ており、利益率が下がってもいない以上、「サービス提供のためのコスト増大が著しく」との説明は首肯しがたい。少なくとも「従来の価格を維持することが困難な状況」にはないと断言できる。

なお、この資料の右側上では顧客単価が2022年から24年までに2倍弱になっているが、これは先刻説明した3倍値上げのためであり、右側下の有料プラン契約件数が減少しているのは、値上げのために契約を解除した人が3割くらいいたということなのかもしれない。

ともかく、カラーミーはかなり高水準の利益がでている事業なのに、なぜ急に値上げされたのか。

実は2023年の第2四半期、GMOペパボは8.6億円の巨額損失を出している。この損失が何によってもたらされたかというと、同社の金融支援事業の失敗である。この事業は、主にフリーランスの人を対象とし、支払いを代行するものであったが(正確には請求書を買いとる形式)、これで大量の貸し倒れが発生し10億円以上の営業損失が出たのである。

GMOペパボ 2023年12月期 第2四半期 決算説明資料より

【参考】GMOペパボ 2023年12月期 第2四半期 決算説明資料
https://pdf.pepabo.com/presentation/20230809p.pdf

つまり、2024年に「エコノミープラン」の提供を終了し、強制的に「レギュラープラン」へ移行させたのは、この損失を取り戻すことが理由の一つだっただろう。

だがもっと本質的なのは、2023年時点でGMOペパボが東証プライムの上場基準を満たしていなかったことだったかもしれない。満たしていなかったのは「流通株式時価総額」で、要するにこれをクリアするためには株式の価格が上がる必要がある。よって、単純化すれば、投資家に優良株と思われる必要があり、そのためにより多くの配当を出せるようにすることが必要であった。

【参考】上場維持基準の適合に向けた計画書提出のお知らせ|GMOペパボ
https://pdf.pepabo.com/document/20230220d2.pdf

つまりこの(実質的な)値上げは、「サービス提供のためのコスト増大が著しく云々」ではなく、投資家へ増配するためだった可能性が高い。

値上げそのものが嫌なのは当然として、この値上げに「サービス提供のためのコスト増大が著しく、従来の価格を維持することが困難な状況が続いております」という、およそ真実とは言いがたい説明をしたことはもっと嫌な感じがする。

そもそも、値上げ直前の2024年第1四半期の決算説明資料の冒頭は、「ストックの好調と貸倒関連費用の減少により 大幅増益」という見出しになっている。

これのどこに「従来の価格を維持することが困難な状況」があるというのか。そもそも、「従来の価格」というが、それはたった2年前に3倍に値上げした価格だ。「従来の価格」とはふざけている。「2年前に3倍に値上げさせていただいたところですが…」と前置きするのが普通だろう。顧客心理を逆なでするとはこのことだ。これを書いた人間は、顧客のことを何も考えていない。

「そんなにGMOペパボが気に食わないなら、別のネットショップサービスを使えばいいんじゃないの?」と、ここまで読んだ人は思うだろう。その通りだ。実際、先述の通り、「エコノミープラン」の料金が3倍に値上げされて以降、カラーミーを解約する人はそれなりにいる。今はBASE(ベイス)とかSTORES(ストアーズ)といった基本料金無料で使えるサービスもある。

だが、(多くの利用者にとって)簡単にはカラーミーを解約できない理由がある。

第1に、カラーミーはかなりカスタマイズ性が高く、他のネットショップサービスでは手の届かない部分が造りこめる。私の場合は、商品の重量に応じて配送料金を設定できるという機能がそれにあたる。これはBASEとかでは対応不可である。

第2に、カラーミーはカスタマイズして運用するのが基本になっており(でなければ、BASEなどのサービスを使えば済むからだ)、カスタマイズにかなりのお金をかけていることが多い(場合によってはカスタマイズの費用の方が、サービス本体の利用料よりはるかに高い)。私の場合は自分でHTML/CSSを書いているからお金はかかっていないが、サイト構築の労力はかかっている。カラーミーを解約すると、それまでかけた労力が無駄になる(または再びコストをかけなくてはならない)。

よって、それなりの売り上げがあるネットショップは、サービスの利用料金が2倍3倍となっても、簡単には他のサービスに乗り換えられない。なお、GMOペパボの親会社(GMOインターネットグループ)の決算資料では、こういう、「一度サービスを導入したら、なかなか他のサービスに乗り換えづらく、継続課金が期待できる」という商材からの収益を「岩盤ストック収益」という用語で呼んでいる。

「岩盤」だと思っているから、料金をいきなり2倍、3倍にするというちょっと正気でない真似ができるわけである。投資家に対しては「岩盤ストック収益」が売りに出来ても、顧客としては「岩盤」と見なされているのは気持ちのよいものではない。

私の感じる気持ち悪さは、投資家に向けては「岩盤ストック収益」「大幅増益」とよい顔を見せながら、顧客には「従来の価格を維持することが困難」という真逆の顔を見せるという、ダブルスタンダードにある。GMOペパボはまるでヤヌス神(前と後に顔があるローマ神話の神)のように、二つの顔を使い分けているのだ。 

これはちょうど、日本の庶民が30年も続く不況で、上がらない給料やどんどん高くなる税金に呻吟しながら、同時に日経平均株価はバブル期以上の過去最高値を更新し、数億円する高級マンションがどんどん売れるという、正反対の状況が同時に起きていることを想起させる。

一言でいえば、これは社会の二極化のせいだろう。だが私は最近、これは二極化を超えて、二つの日本経済があるためではないかと思うようになった。二極化が進み、庶民の世界と投資家の世界の二つの日本経済が、別個に存在するようになってきたのである。

2013年から、日銀は「異次元の金融緩和」と言って資金を市場に大量に供給してきた。この結果、市場(投資家)には行き場を失った多くのお金が滞留した。つまり日経平均株価やマンションの価格が高騰しているのは、景気がいいというより、資金の供給過多でお金の価値が下がったからという要因の方が大きい。経済政策のイデオローグたちは、「トリクルダウン仮説」といって、社会の上流(大企業や投資家など)にお金を供給すれば、それが下流に流れていってみんなが潤うはずだと喧伝したが、そういうことは全く起こらず、投資的な資金だけが巨大に膨れ上がったのである。

それは、庶民の世界と投資家の世界という、二つの日本経済がもはや交わっていなかったためだ。同じ「円」というお金を使ってはいるが、この二つの日本経済はほとんど断絶している。それは、同じユーロを使いながら、EUの国々がそれなりに別の経済圏を作っているのと似たようなものかもしれない。

GMOペパボが顧客と投資家に対して二つの顔を使い分けているのは、まさにこのことを象徴しているように見える。二つの世界があるから、二つの顔が必要になるのである。

企業は、いわば二つの日本経済の間に立っている。彼らとても、顧客に対して無理な値上げはしたくないと思っている(と私は信じている)が、投資家に向けては潤沢に利潤があることを確約しなくてはならない、という板挟みの立場に置かれているのだ。さっきはずいぶんGMOペパボの批判を書いたが、彼らが二つの顔を使い分けているのはその強欲が理由ではないのである。

もちろん、板挟みの状況は彼らにとっても望ましくないので、やがては自社株買い・株式持ち合い・持ち株会社化(ホールディングス化)といった手法によって、経営の安定性を高めることになるだろう。 GMOペパボの場合は、GMOインターネットグループが持ち株会社化し、その子会社になる予定のようだ。

だがそうなったとしても、結局、資本の論理から逃れることはできない。程度の差こそあれ、ヤヌス神のように二つの顔を使い分け続けることになるだろう。であるにしても、どちらの顔が正面なのかだけは、忘れないようにしていただきたい。顧客に向き合って仕事をするのか、投資家に向いて仕事をするのか、どちらが本来の在り方なのかは、考えるまでもなくわかることだ。

2024年7月22日月曜日

忘れられた民具のゆくえ

最近、奈良県立民俗文化博物館が休館するというニュースがTwitterで話題になった。

「維新は文化を大事にしない」という批判のコメントが多かったが、同博物館には、精査なく民具等を受け入れており、しかも整理が十分にできていなかったという反省もあるようだ。

実は、似たような問題が南さつま市にも存在する。これはあんまり知られていない話だ。

加世田の白亀(徳久整形外科をちょっと入ったところ)に、かつて県立果樹試験場南薩支場があった。柑橘類の試験栽培を行っていた場所である。平成4年にこれが廃止されて、土地建物は旧加世田市に移管された。今もこの建物は残っているのだが(冒頭写真)、じつは、この建物の中に大量の民具が保管されているのである。

どうしてこんなところに民具があるのかというと、こんな事情がある。加世田市では、景気が良かった頃に博物館をつくる計画があった。万世にある「天文潟砂丘」という場所に建設する予定だったと聞く。

当時は行政の予算が有り余っていたので、いわゆる「箱物(はこもの)行政」と言われるように、いろんな施設が建設された。その中の一つに博物館があったのだ。加世田市ではその準備のため、学芸員を採用して、民具の収集を行った。

なにしろこの頃、鹿児島では下野敏見さんや小野重朗さんといった民俗学者が活躍していて、民俗学が大きな盛り上がりを見せていた時期だったのである。全国的にも鹿児島の民俗学が一目置かれた時期だったのではないかと思う。

ところがその後、行政の懐事情は徐々に悪くなり、博物館の構想も凍結された。

そして、収集した大量の民具だけが残された。加世田には今も図書館の3階に「郷土資料館」があるが、ここに民具を展示するスペースはなく、収蔵庫のようなものもおそらくほとんどない。そんなわけで、空いていた県立果樹試験場南薩支場跡を「文化財センター」という名称にして、とりあえず行き場のない民具をここに保管することにした、ということのようだ。

しかし、その「とりあえず」 がもう20年以上も経過している。中の民具はどのような状態なのだろうか。防虫の処理などしているのだろうか。そもそも、何が保管されているか把握している人はいるのだろうか。加世田市が周辺自治体と合併して南さつま市になってからは、どのような扱いになっているのだろう。

こんなことは、南さつま市役所でも、ほとんど気にする人はいない。「民具? よくわからん」が市長はもちろん、行政職員の正直な気持ちではないだろうか。これらの民具は、すっかり忘れられたのである。鹿児島の民俗学も、すっかり下火になってしまった。

さて、今、なぜ私がこの民具についてここで書いているのかというと、南さつま市では今、箱物整備のタイミングになっているからだ。

きっかけは、加世田にある南薩地域振興局の南九州市への移転が決定されたことだ。本当は、その跡地に県が何らかの施設を作ってくれればいいのだが、県はそんなお金はないとしているので、南さつま市はその跡地を県から無償で譲ってもらうことにした。そして南さつま市の本坊市長はここに「南さつま交流プラザ(仮称)」を建設することを表明、令和6年度はその調査にかかる予算が計上された。

さらに、別の話ではあるが、加世田の「市民会館」(行政の教育部局と大ホールと市民センターがある建物)が老朽化しているため、大ホールが解体されることが決定されており(隣に「いししへホール」があるため)、教育部局の棟は建て替えする計画である。

また、図書館や郷土資料館が入っている建物も老朽化しているため、おそらく「南さつま交流プラザ(仮称)」にその機能が移管されるのではないかと思う。そして市民センターの機能のいくらかもこちらが担うことになるのだと思う。

となると、気になるのは郷土資料館の扱いである。

合併後、加世田市および旧4町の展示施設は、なんだか中途半端な扱いが続いてきた。合併前には、加世田市が「郷土資料館」、金峰町が「歴史交流館 金峰」、大浦町が「郷土資料室」、笠沙町が「郷土資料室」と「笠沙恵比寿の博物館」、坊津町が「輝津館(きしんかん)」という6つの施設があった。合併後も、施設自体が廃止された「笠沙恵比寿の博物館」を除いて、これらは一応存続してきた。ただ、大浦と笠沙の「郷土資料室」は、ほとんど有名無実化しているのが現状だ。

何が中途半端かというと、それぞれが惰性的かつ個別的に存続してきたことである。これでは、合併のメリットを活かしているとはいいがたい。

そんなわけで、この箱物整備のタイミングで、南さつま市の展示施設の在り方について改めて考えてみるべきだと思う。あわせて、塩漬けになっているあの民具についても、この機会に見直し、管理や調査研究、展示をしていってはどうか、というのが私の提案なのである。

展示施設について理想的なのは、全てを統合し一つの博物館を設立することであるが、「歴史交流館 金峰」と「輝津館」はそれぞれが南さつま市の規模からすると立派すぎる施設なので、廃止はもったいないし難しい。だが別個に存在するとしても、お互いに有機的な連携を図っていくべきだ。

せめて、大浦と笠沙の「郷土資料室」は、すでに有名無実化しているので加世田に統合したらよい。そして塩漬けになっている民具も含め、加世田に「南さつま市郷土資料館」を設立、そして「歴史交流館 金峰」と「輝津館」はその分館に位置づける、というのが一番自然な案である。場所は、現在の図書館がある建物を全部(1~3階)使うこととすればよい。1階の行政部署は市民会館の建て替え部分に、2階の図書館は「南さつま交流プラザ」に移転させればよいと思う。

この案の問題は、この建物自体が老朽化しつつあることだが、耐震工事などはしていたと思うのでまだしばらくは使えるのではないだろうか。

中には「まだあの建物が使えるなら、民具なんかを置くのではなくて、もっと役に立つ使い方をしたらいいんじゃない?」という人もいそうである。そもそも「そんなことにお金を使うより、生活困窮者や子育て世代への支援、高齢者福祉とか移住促進に使う方が有意義では?」という考えだってアリだ。

もちろん、南さつま市の財政がカツカツなら、私だって「残念だけど民具は後回しにしよう」と思うところだ。だが実際、「南さつま交流プラザ(仮称)」を建設したり、市民会館の一部を建て替えたりする余裕はあるわけだ。それに南さつま市では幸いなことにふるさと納税の成績がよい。人口減少が始まっている南さつま市にとって、今は、市民生活に直結しない展示施設をつくれる最後のチャンスというタイミングであると私は思う。今やらなかったら、忘れられた民具は、廃屋で朽ち果てる可能性が高い。

収集した民具はモノをいわない。たとえ放っておいても、奈良県立民俗文化博物館の場合とは違って誰も文句は言わなそうだ。そんなことになぜお金や労力をかけないといけないのか。声を挙げている人、困っている人はたくさんいるというのに。

だが、それを言ったら、困っていてもモノを言えない人は意外と多い。そういう人を放っておいても、たいていは何も問題は起こらない。そんな風にして、声なき弱者を切り捨て続けてきたのが、今の日本ではないか。

儲かるものや、役立つものや、権威ある人の後援を受けているものを大事にするのはバカでもできるが、儲からないもの、すぐに役立たないもの、誰の後ろ盾もないもの、そういうものを大事にするには、「見識」がいる。

実際、収集された民具が有効活用されないとしても、どれほどの文化的損失があるのか、私にはわからない(だいたい、その民具を見たこともない)。だが少なくとも、現在保管している民具の扱いを検討するくらいの「見識」がある町に、住みたいものである。

2024年6月25日火曜日

鹿児島銀行が全代理店を廃止した話

今年の1月11日、私の住む大浦町の「鹿児島銀行 大浦代理店」が廃止された。

というか、鹿児島県内にある鹿児島銀行の全代理店(18店)が2024年2月までに廃止されたという。

冒頭の写真は、もう今は取り壊されて跡形も無くなっている大浦代理店の在りし日の姿である。

鹿児島銀行が全代理店を廃止したのは、第1には代理店の来店客数の減少による合理化であり、第2にはネットで手続きが完結する体制が充実してきたからであり、第3には代理店の意味が小さくなってきたことである。

第3の点に関し、鹿児島銀行の松山澄寛頭取(当時)は取材に応えて、「金利が高いときは預金を集めて貸せば確実に利ざやがあったが今はマイナス金利。代理店の歴史的な役割は終わった」と述べている。要するに「代理店なんて儲からない」という身も蓋もない話だ。

【参考】鹿児島銀行代理店を移転統合へ|朝日新聞(2023年9月1日)
https://www.asahi.com/articles/ASR8072X3R80TLTB003.html

田舎の代理店なんて昔から赤字だろう、というのは誤解らしく、田舎の人は貯金が好きなため(というより、田舎ではあまりお金を使う場所がないため)、この小さな代理店の見た目とは裏腹に、かなりのお金が集まったのだという。田舎では定期預金の比重が高く、都会とは桁が違うお金が集まったと銀行マンから聞いたことがある。

では、今はどうなのかというと、確かに利用者は少なくなり、定期預金を集める意味は全くない。2024年になってゼロ金利政策は終わりを告げたが、それでもお金は金融市場に滞留している状況で、「歴史的役割は終わった」と言われてもしょうがない。

一方、全代理店の閉鎖で削減されるコストは年間約5300万円だそうだ。5300万円というと大きいようでも、鹿児島銀行の親会社「九州フィナンシャルグループ」の2024年3月期決算短信を見てみると、営業利益が384億円ある。鹿児島銀行だけでも営業利益は120億円くらいのようだ。これに比べると、5300万円なんかは誤差の範囲といって差し支えない。削減の意味はあまりないコストではなかろうか。

そもそも鹿児島銀行の第9次中期経営計画(2024−26)では「接点・対話・課題解決 No.1」をコンセプトに掲げ、「お客様との接点を強化」とか「持続可能な地域社会の実現に貢献」といった言葉が並んでいる。

【参考】鹿児島銀行 第9次中期経営計画
https://www.kagin.co.jp/library/300_ir/pdf/keiei_plan/09_cyuki_keieiplan.pdf

この計画は全代理店廃止後のものだとはいえ、田舎の人間にとっては「たいしたコストじゃなかった代理店を廃止しておいて、接点・対話とか持続可能な地域社会云々なんてバカにしてるのか」と思ってしまう。

「そうはいっても、鹿児島銀行は営利企業なのだから、コストカットはやむを得ない。実際、田舎の代理店なんて一円の得にもならないんだし」と思う人もいるだろう。

それはそうだ。しかし意外なことに、営利企業の活動は、田舎への富の再配分に大きな役割を果たしてきた。例えば、Aコープ(鹿児島県経済連の子会社のスーパー)の商品の値段は、大浦町でも鹿児島市でも変わらない。たぶん県内一律ではないだろうか。JAのガソリンスタンドの値段は、それよりは一律ではないが、それでも価格差は大きくない。こうした企業では、店舗ごとの利益率が異なっても、できるだけ同一料金にする努力が払われている。

また、指宿枕崎線(の指宿−枕崎区間)は廃線が取り沙汰されているが、ここは年間3億円以上の赤字路線となっている。これをお金の流れから見ると、JR九州が都市部で稼いだお金を南薩につぎ込んでくれているとも言える。

ある程度大きな企業は、それ自体が公共的な意味を持っており、そのサービスが広い範囲で提供されることで、結果的に田舎への富の分配を担ってくれているのである。例えば、大浦町のJAのガソリンスタンドは、基本的にずっと赤字だという話だが、だからといって閉鎖の危機にあるかというとそうではない。JA南さつまにとっては、その店舗は赤字であっても、その赤字額が経営的に耐えられるものであれば、管内にあまねくサービスを提供することに意味があるからである。 

田舎では、過疎によってまたさらに過疎化が進む、という過疎化のスパイラルが起こっている。これは自然に起こっている面はあるが、その動きを助長しているのは他でもない行政だ。市町村合併によって、地域に役所(支所)が無くなり、学校が統合され、公共施設が閉鎖される。本来は、行政の施設は営利的なものではないのだから、そこに住民がいるかぎり維持されてもおかしくないのだが、平成不況以降、役場の方がコスト意識に厳しくなってしまった。

公共サービスは儲からなくて当たり前なのに、公共サービスに収益性を求めるのが最近の流れだ。指宿枕崎線を運行しているはJR九州は、ちゃんと利益が出ている企業なのですぐには廃線にはならないと思うが、これが肥薩おれんじ鉄道のように行政による運営になると、「経営状態が悪い」といってすぐに廃線の危機になってしまう。税金の無駄と見なされるからだ。民間の方が逆にお金に鷹揚な態度を示しているのは面白い。

それは、民間企業は度量が広いが、行政はせせこましい……というのではなく、民間企業は、全体として利益が出てさえいれば、細かいところで損失が出ていても気にしなくて済むからだ。それだからこそ、光通信は日本のかなりの面積をカバーし、携帯電話のアンテナは田舎にも立ち、Amazonの送料無料サービスはかなりの僻地でも対応している。それによって、田舎に住む人たちが、都会とさほど変わらない文明的生活を送れるのである。

もちろん島嶼部など、もうちょっと条件の厳しい人たちは、そうともいえないかもしれない。それでも、大企業の提供するサービスが田舎に住む者にとって心強い味方なのは変わらない。田舎の生活というと、今にも潰れそうな個人商店が支えている……というイメージがあるが、実際には、田舎こそ大企業の商業活動のおかげを蒙っている、というのが田舎に住む私の実感である。

そう考えてみると、鹿児島銀行が目先の5300万円を浮かすために、鹿児島県の僻地に存在していた代理店を廃止したことは、単なるコスト削減以上の意味があるように思われる。鹿児島銀行は鹿児島全体を対象とした大企業であることを諦めて、鹿児島市を中心とした都市部のみを対象とする存在になるのだろう。そもそも、ネットで取引ができるから代理店はいらない、というのなら地銀の存在意義自体がなく、メガバンクを頼った方がいい。

鹿児島県民にとっての鹿児島銀行の一番の存在意義は、「あちこちに鹿銀ATMがあること」。これに尽きるのではないか。コスト削減というのであれば、代理店廃止はやむを得ないとしても、せめてATMだけは残してほしかった。商売をしていると、現金売上を入金することができないのでとても困るのである。

全代理店廃止後、鹿児島銀行の頭取に就任した郡山明久さんは「地銀であることに徹底的にこだわりたい」とインタビューに答えていた。その真意はわからないが、それが「鹿児島」を大事にしたいということなのであれば、地方の大企業らしく、田舎にもあまねくサービスを展開してもらいたい。目先の利益のみに捕らわれない地銀になることを期待している。

2024年6月20日木曜日

農地を利用されやすくする法改正で、逆に耕作放棄地を助長する「机上の空論」

ほとんど報道されないが、今、農業をする上での困った事態が起こっている。

簡単にいうと、ある種の農地が借りられなくなるのである。

これは今のところ誰も声を挙げていない大変な問題だと思うので解説したい。

さて、農家は自分の土地で作物を育てていると思っている人もいるかもしれない。「農家になるには農地を買わないと」と思っている新規就農者希望者も少なくない。だがそれは誤解で、多くの農家は農地を借りて農業をしている。少なくとも私の住む大浦町では農地を借りて農業をしている人の方が多数派だ。

それは、現代の農業は、もはや「先祖伝来の土地を守っていく」というようなものではないからだ。農業も、他の事業と同じだと思ったらよい。飲食店がテナントを借りるのが普通なのと理由は一緒なのだ。だから、農地の貸し借りがスムーズにできることは、現代の農業においてはきわめて重要である。

全国的にも、土地の貸し借りを通じて大規模農家へと農地を集積していくことが求められ、農水省は強力にそれを推進している。

その具体的な手段となっているのが、「地域計画」と呼ばれるものだ。

これは、その地域での農業の将来像と、農地一筆ごとの10年後の耕作者を示した地図(「目標地図」という)のセットで構成されるものである。その目的を一言でいえば、農地が利用されやすくなるようにすることだ(農用地の効率的かつ総合的な利用)と農水省は言っており、具体的にはバラバラにある農地を集積し、農業の効率を上げることである。

目標地図について。下のPDF資料より

この「地域計画」は、まさに「机上の空論」で、少なくとも大浦町の実態からして策定の意味は薄いと思う。というのは、効率的に利用できる集団化した農地は引く手あまたで、農業の大規模化に伴って自然と集約化していくが、狭い・不整形・孤立している・傾斜がきついなどの人気のない農地は、計画を作ったとしても耕作放棄地化していかざるをえないからである。「地域計画」のための農家同士の話し合いは決して無駄ではないと思うが、計画自体は作ろうが作られまいが、大浦町の農業の10年後の姿はほぼ変わらないと断言できる。

さて、2023年(令和5年)の「農業経営基盤強化促進法」という法律の改正で、この「地域計画」の策定が必要となったが、この法律では、「農用地の効率的かつ総合的な利用」のために、もう一つ重要な規定がある。それが「農地中間管理機構」に関する定めである。

【参考】農水省の資料(PDF)
農業経営基盤強化促進法等の一部を改正する法律について

「農地中間管理機構」は、一般的に「農地バンク」と呼ばれている。農水省の説明では、「農地バンクは、分散している農地をまとめて引き受けて、一団の形で受け手に再配分する機能を有する」ものだそうだ。これを聞くと、例えば田舎に活用していない農地を所有している人は「農地バンクに土地を引き受けてもらおう」と思うかもしれない。だが実は、「農地をまとめて引き受ける」という機能は実際にはなく、「農地バンク」の名称は有名無実である。

ではどういう仕組みかというと、こんな感じである。

「農地を借りたいAさんが、空いている農地を探して、その所有者Bさんに連絡し条件を伝え快諾してもらった。それを農業委員会に伝えると、農業委員会から農地バンクに連絡が行き、農地バンクを介してAさんはBさんの土地を借りる契約を行う。契約については農業委員会で審査・認定する」…とまあこんな風だ。

つまり「農地バンク」は、農地を借りたい人・借りたい人の斡旋をするのではなくて、あくまで話がまとまった後で契約を仲介する機能なのだ。

なお、農地バンクの仕組みができたのは比較的最近のことだが、それ以前から農地の貸し借りには農業委員会が仲介することになっていた。なお、わざわざ農業委員会が介在することは一見ややこしいが、例えば宅地の貸し借りにはもっとずっとややこしい手続きや不動産仲介業者が必要なことを考えると、比較的手間の少ない仕組みである。

ともかく「農地バンク」は、現場の人間にとっては必要ない仲介業者だという感じがする。「農地バンク」を通さないといけないおかげで、必要な書類も増え、手続きにかかる時間も倍くらいになった。国の統計だと、「農地バンク」の扱う農地がうなぎ登りになっていて、あたかも「農地バンク」の仕組みがうまくいっているように見えるが、これは既存の土地の貸し借りを「農地バンク」を通したものにわざわざ借り換えているからで、それ自体が一つの手間である。

このように、国は「農地バンク」が農地集積のツールだといわんばかりのことを言っているが、実際には単なる中間業者であって、それ自体に農地集積の機能があるわけではない。そもそも、「農地バンク」に農地集積の機能がないからこそ、「地域計画」を定めて、農地一筆ごとの10年後の耕作者まで決めようとしているわけである。

つまり、 「農業経営基盤強化促進法」の2つの柱である「地域計画」と「農地バンク」は、そのどちらもが地域の農業にとって有効なものではない、というのが農家である私の実感だ。私は農業委員の下働き的な役目である「農地利用最適化推進委員」という役をやっているが、農業委員や農地利用最適化推進委員の多くも、「また国がややこしい計画を作れと言ってきたなー。そんな形式ばっかりのことをやってる場合じゃないのに」と思っている。

しかしこれは、まだ冒頭に言った「大変な問題」ではない。実は、本当の問題はこれからである。

「農業経営基盤強化促進法」では、目立たないがもう一つ大きな改正点がある。それは、農地の貸し借りには必ず「農地バンク」を介さなければならなくなった、ということだ。

これは、「農地バンク」を通じて土地を集積していこうという政策の一環だろう。一見、それ自体には、面倒なだけで大きな問題はないように思える……が、実はそうではないのだ。

それは、「農地バンク」は都道府県単位で設置されており、県レベルの業務であることと関係がある。県は、市町村に比べて格段に融通が効かない。特に「農地バンク」は土地の名義にうるさいのだ。

田舎には、相続の登記がなされておらず、土地の名義が先代・先々代のままになっている土地が膨大に存在している。田舎では、相続登記に必要になるお金(司法書士への依頼料)に比べ、土地の評価額がものすごく低いため、「価値のない土地のために、司法書士にお金を払いたくない」ということで相続登記されていない土地が多いのである。

また、大浦町の場合は、「別にわざわざ登記なんてしなくてもいいよね」という風潮があったような気がする(例えば土地交換が登記なしで行われていたりする)。 

というわけで、大浦町には、土地の名義人がすでに死亡している農地がたくさんある。これまで、そうした農地を貸し借りするには、現にその土地を管理している人の同意を得さえすればよかった。それは大抵、その土地の固定資産税を払っている人と等しく、それほど難しい話ではなかったし、実際、管理人の同意がありさえすれば問題は起こらなかったのである。

ところが、「農地バンク」を介してそのような土地の貸し借りをする場合には、土地の相続権を持つ人の過半数の同意が必要だという。これはかなり難しい。まず現に土地を管理している人の協力を得て、相続人全員を探す必要があるからだ(実際に同意を得るのは過半数でいいが、全員を確定させないと、その過半数が何人になるのかがわからないため)。その上で、過半数に農地の貸し借りについて同意を得る必要がある。

ちなみに、農地の借地料は、このあたりでは10aあたり1万円以下が相場である。とすると、たったそれだけのために、このような面倒な仕事はしたくないのが人情だ。というわけで、行政からは、「相続登記がされていない土地は、事実上借りられなくなる」と説明されている。現在は、経過措置のためにまだ「農地バンク」を介さない農地の貸し借りが可能なのだが、この経過措置が令和7年(2025)3月で終了する。

つまり、2025年4月から、相続登記されていない農地が借りられなくなる。これが大問題なのである。

相続登記されていない土地が、ごく少数のことであれば、これはたいした問題ではない。しかし法務省によれば、日本の所有者不明土地(相続登記がなされていないことで、所有者がわからない土地)をあわせると九州全体の土地面積より広いという。このほとんどは山林であるとは思うが、農地についてもかなり多いことは想像に難くない。

このため、法務省は今年の5月から相続登記を義務化した。これで新たな所有者不明土地の発生は防げるのではないかと思われる。だが、これまでに発生した所有者不明土地に対しては、一応、登記を求めることにはなっているが、一朝一夕では解消しないのは明らかである。

では、現に今、相続登記されていない農地を借りて耕作している場合、2025年4月以降はどうしたらいいのか? 新たな契約が結べないだけで、今の貸借契約が否定されるわけではないので、しばらくは何も問題ない。ところがその契約期間(最長10年)が終えたら、その土地を借りることはできなくなる。正確に言えば、農業委員会を通した契約ができなくなる。ではどうするかというと、貸し手と借り手の相対契約によって借りるしかない。これを「闇小作」という。

かつて、農業委員会は「闇小作」を撲滅するように働いてきた。これはいろんな面でトラブルの元だったからだ。ところが、2025年4月以降は、現実的に「闇小作」でしか借りられない農地が存在するようになってしまう。農業委員会事務局も「大きな声ではいえないが、相続登記されていない農地については、もう「闇小作」でやってもらうしかないと思います」と匙を投げている。

皮肉なのは、この原因となった「農業経営基盤強化促進法」の「改正」が「農地が利用されやすくなるように」という目的で行われていることだ。それなのに、農地が利用されやすくなるどころか、逆に「闇小作」を推進することになるとは政策立案者もビックリではないだろうか。

では、「闇小作」で何が問題か。先ほど「トラブルの元」と書いたものの、実はそれよりもずっと重要なことがある。それは、農家の公的な経営面積は、あくまでも農業委員会を通して借りた農地の面積だということだ。「闇小作」では、いくらたくさん作っていても、経営面積として認められない。あくまで「闇」なのだ。

そして、この公的な経営面積に応じて、各種の補助金や優遇措置が受けられるのである。例えば、農家は免税軽油の購入が可能だが、これも経営面積に応じた割り当てを受ける。最近は肥料価格が高騰しているため、肥料への補助金があるが、これも経営面積に応じた上限がある。経営面積が補助金等の基盤となっているため、「闇小作」は農家としてはできるだけやりたくないのである。

こうなると、2025年4月以降、相続登記されていない農地は、できるだけ耕作しない方が得だ、ということになる。 

「農業経営基盤強化促進法」の「改正」の背景として、農水省は「農業者の減少や耕作放棄地の拡大がさらに加速化し、地域の農地が適切に利用されなくなる懸念」をあげている。にも関わらず、この「改正」によって、現に耕作している農地の放棄を助長していることを、農水省の担当者は理解しているのだろうか?

確言するが、彼らは絶対に理解していないと思う。それは、農水省が現場を見ずに机上の空論だけで農政をやっているからだ。これは、私だけでなく多くの農家が肌で感じていることだ。

相続登記されていない土地の貸し借りについては、せめて「相続登記の義務化」によって、大方の農地の相続がキチンとなされるまでは従前の通りとしてもらいたい。そうでなければ、法制間の整合性がとれないではないか。

どうせ「机上の空論」であるならば、せめて「机上の空論」としては辻褄を合わせていただきたいものだ。

2024年4月4日木曜日

奄美に行ってきました(その2)

前回からのつづき)

今回の旅の目的地(の一つ)は、奄美の西南部の端にある瀬戸内町古仁屋だ。

古仁屋の港には、瀬戸内町のコミュニティFM「せとうちラジオ放送(せとラジ)」の放送局がある。その事務局長、「さとぴー」こと長井聡子さんの案内で、奄美をご案内いただくというのが今回の番組だ。

【参考】せとうちラジオ放送
https://setoradi768.themedia.jp/

番組についてはテレビで見ていただくとして(放送は5月とのことですが、日程は不明です)、瀬戸内町について説明したい。

さて、奄美大島の経済の中心は、島の北西の方にある奄美市だ。人口は3万人ほど。一方、瀬戸内町は、島の南東に位置し、奄美市からは車で1時間ちょっと。しかもぐねぐね山道をゆくので1時間よりかなり遠く感じる(私があんまり車移動が好きではないのもある)。瀬戸内町の人口は8千人くらいである。

私の実家がある旧吉田町の人口が9千人くらいだから、ほぼ一緒だ。そして、漁港を中心としてぎゅっと町がまとまっている感じは、枕崎市によく似ている。

さとぴーさんの案内で、この町を少しだけ歩いた。

強く感じたのは、8千人の町にしては、小商いの店がとても多いことだ。古仁屋には、食料品店や雑貨屋(オシャレな雑貨屋ではなく、トイレットペーパーとか洗剤とかを売っている雑貨屋のこと)、パン屋、酒屋、種苗店といった小さな店が散在している。飲食店や飲み屋が多いのは観光地だから当たり前とも思うが、明らかに地元利用が中心の店が多い気がする。喫茶店も何店もあった。人口8千人の町にライブハウスまであったのにはビックリした。町営の火葬場まであるそうである。もちろん小学校から高校まで揃っている。

そもそも、人口がたった8千人の町にラジオ放送局まであるってすごくないか。

要するに、古仁屋はなんだか豊かなのだ。

それは奄振(あましん)のおかげだろう、という人もいるかもしれない(奄振=奄美群島振興開発関係予算)。だが地元の小さな餅屋「大城もち屋」に、若い後継者が帰ってきた、というような豊かさは、奄振だけでは説明がつかない。

【参考】大城もち屋 ←ここでお土産に「りゆび餅」を買った。
https://r.goope.jp/amami-ooshiro/

なぜ古仁屋は豊かなのか。その大きな理由は、逆説的であるが、奄美市から車で1時間ちょっとという「不便さ」にあると思われた。

というのは、県本土では車で1時間ならたいしたことはないが、ぐねぐね山道を1時間以上だとなかなか気軽に行き来するものではない。結果的に、瀬戸内町の人はたいがいの用事を古仁屋で済ますことになる。さとぴーさん曰く「なんでも古仁屋で揃う。奄美まで行く必要はない」のである。話を聞いてみたところ、ないものは産婦人科とタクシーくらいだという。

これを経済の面からいえば、瀬戸内町では地域内でお金が循環している、ということだ。

私の家から、宇宿のイオンまで車で約1時間半であるが、休日にイオンに行くと地元の知り合いにバッタリ会うことは多い。わざわざ1時間半かけて、田舎からイオンにお金を落としに行っているわけだ(笑)

これが古仁屋の場合は、イオンに行かずに地元でお金を使っている。だから小商いが多いのだろう。そしてこれは、若者が小さな店を始めるのにもいい環境だと思った。人口8千人の町に大きな需要は見込めないが、地元の人が来てくれるというのが、小さな店にとっては(特にはじめたばかりは)一番大事なことなのだ。古仁屋には、大きなチャンスはないかもしれないが、小さなチャンスはたくさん転がっている。

よく「これからは、不便な地域が残る」と言われるのは、こういうことだろう。

例えば、宮崎県の椎葉村。椎葉村の場合も、延岡市まで車で2時間。独立した経済圏を構築せざるを得なかった場所である。こういうところが、かえって存続しているのだ。

もちろん、古仁屋も椎葉村も、ただ不便だから残っている、というわけではないだろう。両方、地元の人の努力があったからこそなのはいうまでもない。でも、古仁屋が奄美市まで車で30分の位置にあったとしたら、きっと今のように小商いの店がたくさんある町にはなっていなかったのではないかと思う。

私の実家の旧吉田町は、人口規模は似たようなものだが、小商いの店はそれほど多くないことがそれを例証している。旧吉田町の人は、いつでも吉野に買い物に行けるからだ。薩摩吉田インターが近くにあるため、鹿児島市内や姶良イオンにもすぐ行ける。こういう場所では地域内でお金が循環することはない。

町にとって不便さは、一般的にはマイナスだ。だが古仁屋の場合は、それがプラスの面ももたらしている。植林をしていなかったのがかえって奄美にとってよかったように、田舎では近代化のセオリー(常識)と逆の方がよい結果をもたらすことは多い。

そもそも、田舎は「近代化」から取り残されたから田舎なのだ。もちろん、田舎の人間だってスマホを使い、キャッシュレス決済をし、ハイブリッド自動車に乗る。「近代化」は田舎にだって必要だ。

だが、そこでは都市とはちょっと違った「近代化」が必要だ、ということなんだろう。

人口8千人の町にラジオ局を作ることは、効率から考えたら無駄だ。だが、そういうことが町の豊かさを作る。そういう無駄を許容する「近代化」、合理性一辺倒とは違う「近代化」が、田舎には求められている。

2024年4月2日火曜日

奄美に行ってきました(その1)

先日、テレビの企画で奄美大島に行かせてもらった。

NHKかごしまの「ローカルフレンズ」というコーナーのロケで、これまでに「ローカルフレンズ」として出演した人が奄美大島を観光する、という内容の企画である。私は2月に「ローカルフレンズ」に出演させてもらったので、その末席を汚したというわけである。

その企画のことはさておき、私は人生で初めて奄美に行ったので、その印象などを書き留めておきたい。

奄美空港に到着して、目的地の瀬戸内町までは車でおよそ2時間。その途中はずっと山か海しか見えないのだが、すぐに気づいたのは山に杉が全くないことだった。

では、奄美の森は手つかずの自然が残っているのかというと、実はそうではない。2021年、奄美大島や徳之島、沖縄本島など(の一部)が世界自然遺産に登録されたが、奄美大島の場合、登録地のほとんどが二次林(人の手が入った森林)なのである。

かつての奄美大島では林業は主要な産業の一つだった。奄美大島の林業を語る上では岩崎産業の存在が大きく、岩崎産業は奄美大島に1万2000ヘクタールもの大森林を所有していた。島の全体面積が約7万2000ヘクタールなので、実に島の20%もの大地主だったことになる。岩崎産業が奄美大島でどのような林業を行っていたのかは私は詳しくは知らないが、島の森林を見たところ、整然と植林されたような区画は皆無だったので、おそらく造林(植林)はほとんど行っていなかったものとみられる。

本土では盛んに杉が植林されていた時期(戦後)に、どうして奄美大島では全く植林されなかったのか。政策的な理由があったのかもしれないし、自然の回復力が高かったため、あえて植林しなくてもよいという考えだったのかもしれない。

なにしろ植林にはかなり手間がかかる。植林して数年間は下草払いをする必要があり、草払機が普及する前は造林鎌で行う重労働だった(草払機があっても重労働である)。ハブのいる奄美の森では危険も伴っただろう。要するに、植林はコスト的に見合わなかった、ということが理由ではないだろうか。

それは手抜きともいえなくもないが、植林がされなかったことで、結果的に、奄美の山ではスダジイを中心とする自然の植生が回復し、多くの野生動物が保全されることとなった。真面目に造林していなかったのがかえってよかったのだ。

ちなみに、世界自然遺産の登録にあたって最大の障壁になったのが、登録予定地の大部分が岩崎産業の社有地であったことだ。結論を言えば、岩崎産業は4000ヘクタールもの土地を国に売却することでこの問題は決着した。奄美の人たちの岩崎産業に対する思いは複雑なものがありそうである。

ところで、現在の奄美大島の林業はどうなっているのかというと、車中から森林の様子をずっと見ていたが、全く林業が行われている形跡がなかった。かつて島を支えた林業は壊滅した模様である。

というか、林業だけでなく、建設業と漁業以外には、島には産業らしい産業がほとんど見受けられない。サトウキビ以外の農業は見ることができず、水田は皆無といってよかった。畜産もわずかのようなので、仮に農業をやるとしても堆肥の調達に苦労しそうである。私は柑橘農家なので、奄美大島といえばタンカンというイメージがあったが、産業的に行われているタンカン園は一カ所も目に入らなかった。

要するに、島には仕事があんまりなさそうなのだ。

やはり島は貧しいのか。目的地の瀬戸内町古仁屋で、その続きを考えることにしよう。

(つづく)

2024年3月26日火曜日

海は「みんなのもの」。洋上風力発電事業の利害関係者とは…

吹上浜に巨大な風車を100基以上建てるという、吹上浜沖の洋上風力発電事業について、2024年9月の南さつま市議会(令和5年第3回定例会)で、計画縮小が明らかになった。

本坊市長の答弁をまとめると次の2点になる。

  • 6月下旬、事業者から県・市に対し、南さつま市海域での事業計画を凍結する旨の連絡があった。
  • よって、本市は当該事業の協議会構成員から外れた。

計画の縮小は喜ばしいが、気になったのは「南さつま市海域」という表現である。というのは、海は全て国の管轄であり、「南さつま市海域」なる概念は行政に存在しない

では、事業者(インフラックスという業者)が言っている「南さつま市海域」とは何なのか。いくら考えても分からないので、県の情報公開制度を使って事業者から提出された計画変更資料を取り寄せてみた。それが冒頭の画像である(提出された資料をトリミングして作成)。

これを見て、事業者の考える「南さつま市海域」は一発で分かった。

それは、変更前事業の区域にある「加世田漁協」「笠沙漁協」「県漁協南さつま支所」の範囲を指していたのである。そしてこの資料により、洋上風力発電事業を進める上で、いかに漁協の存在感が大きいかも再認識させられた。

そもそも、洋上風力事業は、国がある海域を「促進区域」として指定しなくてはスタートできないが、国がその指定を行うにあたって、利害関係者との調整を行うために設けるのが「協議会」という組織である。そして漁協は、この「協議会」の重要なメンバーになる。基本的には、漁協が反対していたら事業は進まない、と考えてよい。 

よって、事業者側としても漁協を味方につけるためにいろいろと工夫しており、それによって各地の漁協から「洋上風力発電事業に賛成」といった陳情がなされていることも周知の通りである。吹上浜沖の洋上風力事業については、私の知るところ、沿岸の漁協は概ね賛成している状況である。

そんな中、(明確に反対の意思表示はしていないが)賛成していないのが「笠沙漁協」だ。

もし、「笠沙漁協」が協議会に参加して、いつまでも賛成しなかったら、その事業を進める事は極めて難しい。冒頭の資料で「笠沙漁協」「県漁協南さつま支所」が赤くなっているが、もしかしたら、これは両漁協が洋上風力発電に賛成していないことを示しているのかもしれない。

そして、おそらくそれが事業者が「南さつま市海域」での事業計画を凍結した理由の一つなのだ。

また、凍結の理由としてもう一つ考えられるのが、「南さつま市海域」では他の事業者が洋上風力発電事業を計画していないことだ。

この図は、2023年5月19日の南日本新聞の記事「薩摩半島西方沖 洋上風力発電計画 沿岸5市対応割れる」に掲載されていた図である。

吹上浜沖も含め、現在3つの事業者が薩摩半島西方沖で洋上風力発電事業を計画しているが、日置市・南さつま市沖についてはインフラックス社のみがその事業想定海域としている。

県・国としては、風力発電事業の需要の高い海域を「促進区域」に指定するわけだが、この図を見ても分かる通り、薩摩川内市沖やいちき串木野市沖は2事業者の計画区域が重なっているから需要が高い。逆に南さつま市沖は1事業者のみなので、需要は低いということになる。

だから、インフラックス社としては、漁協の賛成が得られていないこと、他の事業者の計画がなく需要が低いと県から見られていることを踏まえ、計画を縮小したのだろう。

ところで、いちき串木野市沖は3事業者全てが計画区域としていて、この中では最も需要が高い海域となっている。

しかも、いちき串木野市はこれら周辺の自治体の中で、唯一(といってもいいと思う)、洋上風力発電に極めて前向きである。

いちき串木野市は2021年から風力発電の勉強会のような独自の協議会を立ち上げており、2023年度も「いちき串木野市洋上風力発電調査研究協議会」を立ち上げている(上述の「協議会」とは全く別)。これらの取り組みからは、はっきりと「洋上風力発電を誘致したい」という方向性が感じられる。

さらに、本日(2024年3月26日)の南日本新聞によれば、県の洋上風力発電に関する研究会で、同市から「いちき串木野市沖に絞った海域」で国に情報提供する案が提案されたという。この「情報提供」を行うことで、国は「促進区域」に指定するかどうかの検討を開始することになっているので、これはいわば、事業計画スタートの提案である。

もちろん、いちき串木野市が洋上風力発電を誘致したいのなら、他の自治体にいる人間(私)がとやかくいうようなことではないのかもしれない。

だが、「南さつま市海域」がないように、「いちき串木野市海域」もない。海はあくまでも「みんなのもの」(国の管轄)である。いちき串木野市が推進しているからといって、他の自治体や他市の住民を「利害関係者」から除外して進めることになると、ちょっとおかしいと思う。

そもそも、先ほどの「県の洋上風力発電に関する研究会」自体が半ば秘密裡に行われているような会で、これについては「関係者のみで進めましょう」という旧来の密室政治的な臭いを感じる。協議会が非公開になるのはわかるとして、その準備段階の研究会すら公開しないというのは解せない。県のやり方は県民の疑心暗鬼を招くものだ。

ところで、「促進区域」の指定にあたって「協議会」を設置すると先ほど書いたが、実はその前段階として「有望区選定」を行うというステップがある。そしてこの「有望区選定」の条件の一つが、「利害関係者を特定し、協議会開始の同意を得ていること」なのである。つまり、洋上風力発電事業がスタートするにあたっては、最初に「利害関係者」を特定する作業が必要となる。

逆に言えば、この「利害関係者」に入らなければ、いくら反対しても聞いてもらえない、ということだ。 もしいちき串木野市沖で洋上風力発電事業が行われるとしても、日置市や南さつま市といった関係自治体の関係者も含めた協議会で合意を得て進めるのであれば、まだ納得できる。しかし、今のところ、直接の利害関係者(自治体、漁協)に限って協議会を構成しようという方針のようだ。

その意味で気になるのが、冒頭の市長答弁の「よって、本市は当該事業の協議会構成員から外れた」という部分だ。計画後の事業区域も、金峰町の海岸の近傍であり、もちろん笠沙や大浦からも洋上風車がバッチリ見えることになる。にもかかわらず南さつま市が協議会に参画できないというのはどういうわけなのだろう。直接ではないかもしれないが、南さつま市民も利害関係者ではないのか。

繰り返すが、海は「みんなのもの」である。なるべく開かれた形で議論し、公明正大に事業を進めてもらいたい。

2024年3月20日水曜日

鹿児島市は、スタジアムに血道を上げるのは大概にして、市民生活に向き合ってください

鹿児島市のスタジアムの建設予定地として、北埠頭案が棄却された。

北埠頭も、ドルフィンポートと同様に無理な案なのは最初からわかりきったことだったが、県から引導を渡される形で、ようやく否決された格好だ。

この、スタジアムをめぐる鹿児島市(下鶴市長)のやり方は、なんだか地に足が付いていない感じがして仕方がない。

今回は、それに関係があるような、ないような話である。

さて、私は、今の鹿児島市宮之浦町の出身である。合併前は吉田町と言った。実家は薩摩吉田インターの近くで、小学校は「宮小学校」だ。

私の両親は、今もそこに健在なのだが、そこで困っていることがあるという。

それは、校区コミュニティセンターの出入り口と駐車場の問題である。

鹿児島市では、公民館を小学校区毎に整備することとし、宮小学校の近くに「宮校区コミュニティセンター」が建設された。現在、ここでは放課後児童クラブ(いわゆる学童)が行われており、私の母もその事務を手伝っている。

鹿児島市が校区コミュニティセンターを作ってくれたのは有り難いが、問題は、ここが非常に使いづらい土地の形であることだ。

https://maps.app.goo.gl/YHgr5kWXnSsnFVBQ9

具体的には冒頭の地図を見ていただければと思うが(コミュニティセンターは灰色屋根の建物)、改修前の旧県道のカーブした部分が県有地として残されており(赤線で囲った部分)、土地が現県道と変な形で接続しているのである。しかもこの赤線部分は、周りから一段盛り上がる形になっていて、今はなんとか駐車場として使ってはいるものの、非常に出入りがしづらい構造である。

それに、知っている人はわかると思うが、県道16号(鹿児島吉田線)は、結構交通量が多く、しかもここは坂になっているので、下りはかなりのスピードを出す人がいる。しかもちょうどここが微妙にカーブしているため見通しが悪く、この使いづらい駐車場に出入りするのは危険である。特に、学童のお迎えの時間がラッシュ時なのでなおさらだ。

そこで、ここの利用者からは、赤線部分の県有地を市に購入してもらって、平坦な駐車場(というか車の旋回地)にしてほしいという要望が出されている。県としては、当然使い道のない土地なので、かなり低価格で市に売却したい意向があることも確認済みだ。

ところが! 鹿児島市は、ここを駐車場にするつもりはないという。「現在、鹿児島市としては新たに土地を購入することはしない方針」というのが理由だそうだ。

そんなまさか! 北埠頭の土地を何十億円かで購入することを検討していた市がいうセリフとはとても思えないではないか。

スタジアムが必要ないとは言わない。

しかし、こういうところこそ、市民生活に直結するもので、お金を使うべきだと私は思う。金額も、スタジアムに比べれば100分の1も必要ない。もちろん、ここの駐車場問題とスタジアムは無関係だ。だが私には、鹿児島市がこういう問題に向き合わないことと、スタジアムのようなパフォーマンス的ハコモノにばかり注力していることは、地に足が付いていないという点で共通の態度を感じる。

古代ローマでは、緊縮財政をとりながら、それに不満を抱く市民に娯楽を提供するために豪華なコロッセオが造られた。もしかしたら、鹿児島市のスタジアムもそれと同じなのではないだろうか。鹿児島市は、市民生活に向き合うのではなく、市民の目を誤魔化そうとしているのではないか。

こういう、地味な市民生活の問題を一つひとつ解決することで、スタジアムをどうすべきかも見えてくるのではないかと、そう思っている。

2024年2月4日日曜日

南さつま市3中学校の再編の進め方は詭弁だらけ

アンケート調査結果 より
 

1月31日の南日本新聞に、「3中学校の再編、中学生・保護者の5割は「やむを得ない」」という記事が報じられた。

現在南さつま市では、加世田中・万世中・大笠中の3校の再編について在り方検討委員会で議論しており、当該検討委員会で報告された地域住民・中学生・保護者へのアンケート結果を報じたものである。

記事内容は、

  • 委員会でアンケート結果が報告された。
  • 学校再編について、中学生・保護者は「現状でやむを得ない」50.0%、地域住民は「積極的に行うべき」43.9%がそれぞれ最も高かった。
  • 「現状でやむを得ない」と「積極的に行うべき」の数値を合わせて学校再編を許容する割合とすると、住民・中学生・保護者の多くが再編を許容していることになる。
  • ただし委員からは「現状でやむを得ない」を「許容」とみなすことに、慎重な取り扱いを求める意見があった。

とまとめられる。

【参考】3中学校の再編、生徒・保護者の5割は「やむを得ない」 南さつま|南日本新聞
https://373news.com/_news/storyid/189343/

しかしながら、このアンケート結果の分析は、学校再編を進めたい市教委の詭弁であり信頼に値しない。

なぜなら、市が行ったアンケートでは、この項目はこういう聞き方なのだ。

令和5年度に、望ましい学校規模に該当する学校は、加世田中学校の1校のみです。適正規模にするためには、学校再編を含めた適正配置について検討する必要があります。あなたは学校再編についてどう思いますか。

1.積極的に行うべき
2.現状でやむを得ない
3.できるだけ行わない方がよい
4.行うべきではない

これは、「現在の中学校は望ましい学校規模には達していないが学校再編をすべきか」という問いであり、これに対して「現状でやむを得ない」と答えた人は、「望ましい学校規模ではないと思うが現状維持でよい」という意味で回答したはずである。

にもかかわらず、報道を見る限りこれが「学校再編はやむをえない」と変換されており、明らかにアンケート結果を捻じ曲げている。記事でも「委員からは「現状でやむを得ない」を「許容」とみなすことに、慎重な取り扱いを求める意見があった」とされているが当然だ。

そもそも、このアンケート自体が、3校の学校再編についての意向を確認するものとしては機能していないと私は思う。

というのは、このアンケートの問いは、一般論として学校の望ましい規模がどうであるか、一般論として学校再編をすべきかを聞いたものであり、3校の合併について多少なりとも具体性を持って聞いているものではないからだ。

例えば、加世田中・万世中・大笠中の合併を行うとすると、通学時間を考慮すれば合併後の学校は学区の中心になる小湊あたりに建設するのが妥当である。だが「3校を合併して小湊に中学校を作ります」という案を示したとすれば、加世田中学区の人たちは大反対するに違いない。「なんでうちらが小湊まで通わないといけないだ!」となるに決まっている。

加世田中学区の人々が合併に賛成するのは、学校の立地は加世田しかないないと思っているからなのだ(実際にはそうなる可能性が99%だし)。ともかく、学校の立地だけでも、賛成反対は大きく異なるのが学校再編の常である。学校再編の姿を示さずに一般論だけで賛否を問うのにどれだけ意味があるか。

だいたい、一般論として「望ましい学校規模はどれくらいだと思いますか」と聞けば、大笠中なんか「小さすぎる」となるに決まっている。地域住民や保護者としても、「いつかは合併になるだろうな」とは思っている。しかし「自分たちの子どもや近所の子どもたちが卒業するまではなくなってほしくない。そんなに遠い話ではないんだし」というのが素直な気持ちだろう。アンケートでは、あくまでも一般論を聞いているため、こういう素直な気持ちがなかなか現れない。

それにこのアンケートは、やり方にも問題があったと思う。というのは、生徒・保護者向けのアンケートは、学校でプリントが配られ、そこからQRコードでフォームに飛ぶ形で行われたが、生徒用・保護者用のフォームがそれぞれあったのではなく、「保護者の方と一緒にお考えください」としていたのである。つまり回答の主体は保護者ではなく生徒なのである。

このアンケートの回答率は生徒・保護者向けでも回答率が35%ほどしかなく妙に低いが、それは回答の主体を生徒にしたことが原因だと思う。ついでに言えば、部活や勉強で忙しく思春期でもある中学生に「親と一緒に回答してください」とすれば、さらに回答率は低くなるのは明白だ。

私は、これは生徒用・保護者用に分けてアンケートすべきだったと思う。なぜなら、現に今中学校に通っている生徒にとって再編は切実な問題ではなく(実際の再編は卒業後の話になるから)、特に対象の多数派を占める加世田中の生徒にとってはたいした問題と感じられないからだ。適切な学校規模についても、自分の娘(中2)に聞いてみたところ「大笠中しか通ったことないんだから、これがちょうどいいと思っていたけど、改めて聞かれるとよくわからない」と言っていた。それが中学生の実感だと思う。

少なくとも、今回のアンケートで保護者の考えが明確になったということはなく、わかったのは「中学生の考える一般論」くらいのことだと私は思う。

また、今回のアンケートで私が一番気になったのは、最後の「ご意見ありましたら自由にお書きください。」という自由記述欄である。私はここにいろいろ意見を書きたかったのだが、なんとフォームでの字数制限がたったの100字しかなかったのである! 100字って…Twitterより少ないわけで、これでは「意見はできるだけ聞きたくない」と言っているに等しい。これで「自由にご意見を」と言ったり、「みなさまの意見を聞いて進めます」と言ったりするのは、本当に詭弁だ。

南さつま市では数年前、金峰学園の設立(金峰中学校、阿多小学校、田布施小学校の合併により生まれた)にあたってずいぶんゴタゴタがあったのは記憶に新しい。

記憶に新しいどころか、金峰町には「市教委のウソにだまされて地域の宝阿多小を失った」とか「ウソから始まった金峰学園」などと書かれた抗議の看板が今でも建てられている。私自身は、こうした看板は金峰学園に通う生徒から見るとあまり気持ちの良いものではないとは思うが、地域住民との対話を置き去りにして強引に合併を進めた結果であり、こういう看板を立てたくなる気持ちはよくわかる。

市教委はこうした結果を招いたことを真摯に反省し、まずは学校再編によらずに現在の学校体系で子どもたちに好適な教育環境を提供することを工夫すべきだ。そしてそれがどうしてもままならない場合に学校再編を検討し、仮に学校再編をするとしても、強引な手法ではなく、児童生徒・保護者・地域住民との対話を主体として進めてほしい。当然ながら、市教委が定めたスケジュールに沿って進めるような結論ありきのやり方は絶対にしてはならない。

以前も書いたことがあるが、私は中学校の再編自体には絶対反対ではない。なぜなら、中学生くらいからは競い合いや多様性が成長には重要だと思っているからである。小規模校では、ライバルも不足しがちで、気の合う友達がみつからないことも多い。やっぱり中学校は1校あたり90人くらいはいた方がいい。

だが、子どもたちに好適な教育環境を提供しようという話でなく、財政論や機械的な学校規模の話で学校再編をしようというのは反対である。こういう場合は、ただ学校規模が変わるだけで、教育環境の向上につながらないことがほとんどだし、そもそも最初から結論が決まっているから(=地域住民は置き去り)、というのも反対の理由の一つである。

実際、今回の「在り方検討委員会」でも、会議の初回に示されたスケジュールで、すでに結論を出す時期や地域住民の意向を確認する時期などが示されていた。こういうのを腹案として持つのはよいが、対話をしようという気があれば出さない資料である。

資料1 第1回南さつま市中学校在り方検討委員会会議資料 より

 加世田中・万世中・大笠中の再編が、金峰学園の二の舞にならないように、市教委には一度立ち止まり、今の進め方が適切なのか反省していただきたい。

【参考】大笠中学校の統廃合には絶対に反対 |南薩日乗
https://inakaseikatsu.blogspot.com/2023/09/blog-post.html

2023年10月29日日曜日

敗北の日

10月26日、鹿児島県議会(臨時会)は、県民投票条例案を否決した。

条例案の否決後、各会派への挨拶回りを行った塩田知事は、自民党議員とグータッチした。自民党と共同して条例案を否決できたことに安堵したグータッチだっただろう。今回の勝者は、塩田知事と自民党だった。

また、決められた手続きに沿って審査中の川内原発は、20年の運転延長が決定される見込である。反原発の市民運動は、またしても敗北した。

こう書くと、私も反原発の立場だと思う人がいるだろうが、このブログでは度々書いてきたように、私は原発絶対反対ではない。長期的には脱原発すべきだと思うが、「原発をいますぐ停止しろ」とは思わないし、20年運転延長も、絶対反対というよりは、むしろ「20年延長するくらいなら原発を新設した方が安全では?」と思っていたりして、条例制定を求めた市民グループの方とはだいぶ考えに開きがある。ただ、日本人は原発からは足を洗った方がいいとは思っている。

県議会では、知事も自民党も「県民投票では多様な意見を反映するのは難しい」と難色を示していたが(県民投票はそもそも知事が言い出したことなのだが、それは置いといて)、確かに原発には多様な意見がある。だが、これまでの県政でそういう「多様な意見」を県民に聞くことがあったか。運転延長に対する私の意見は、○×だけじゃない「多様な意見」にあたると思うので、聞きたければ言ってあげるのだが。

また、「多様な意見が反映できないから県民投票はよくない」という論理もよくわからない。いくら多様な意見があっても、結局は20年運転延長するのかどうか、という二択ではないのか。多様な意見を聞こうともせずに、二択を否定したのは論理破綻だ。これはほんの一例で、全体的に県の答弁は、その場しのぎの詭弁ばかりで、4万6112筆の市民の署名に誠実に向き合ったものとは言えなかった。

そもそも、これは反原発の署名ではない。もちろん、これを集めた団体は反原発のために行ったのだが、署名の性質はそうではない。この署名は「大事なことを決めるのに、市民の意見も聞いて下さい」というものだった。私自身、署名をちょっとだけ集めたが、その際には「これは反原発じゃないんですよ。県民の声も聞いてね、っていう署名なんですよ」と説明した。 だからこそ、これまでの反原発活動ではなかったような、大きな広がりがあり、多くの署名が集まったのだと私は思っている。

実際、県議会でも原発の安全性などについては質問しないように、ということになっていた。県議会で審議したのは、反原発なのか、原発推進なのか、ということではなくて、4万6112筆の市民の署名にどう応えるか、ということだったはずだ。

だが、民会派の山田国治委員は「原子力政策は国策。国が責任を持って判断すべきだ」と延べ、県側も「国策」を強調した。「国策だから県民の意見を聞く必要はない」だなんて、ずいぶん乱暴な話で、「国策だったら、県民どころじゃなく国民の意見を聞く必要があるんじゃないの?」と私は思う。どうやら県や自民党は、「国」というものを、国民を統治する王様か何かのように思っているらしいが、実は日本は一応「国民主権」ということになっていて、我々の方が主権者なのである。

それなのに、塩田知事は臨時会冒頭、県民投票は「慎重に判断すべきだ」と述べている。これなどは、意味がわからない。川内原発20年運転延長を「慎重に判断すべき」だから県民投票をしよう、ならわかるが、どうして県民の意見を聞くのに慎重でなければならないのか。「国民主権」「県民主権」なのだから、むしろ県民の意見を聞かないと先へ進めないくらいだと私は思う。

そもそも、塩田知事は県知事選で勝利したからこそ県政を担っているのだから、県民の意思は塩田知事の権力の源泉である。塩田知事は国に知事にしてもらったのではなく、県民に知事にしてもらったのである。

にもかかわらず、今回、塩田知事は県民の方を向かず、常に「国」の方を向いていたように見えた。「国策」である原発政策に異議申し立てをしては、自分のキャリアの汚点になるとでも思ったのだろうか。 

だいたい、塩田知事自身も言っていたが、原発の運転延長を止める権利は県知事にはない。仮に県民投票をして運転延長にノーが突きつけられたとしても、「県民の意思はこうです」と国や九電に述べるだけで、それに応じて相手(国・九電)がどう対応するかは県のあずかり知らぬところである。つまりある意味、原発政策に対しては県は責任を負わなくてよい、という立場にある。塩田知事は、県民の側に立てたはずだ。

にも関わらず、塩田知事は、民意が示されることを怖れていたように見える。「もし、県民投票を実施して、運転延長が反対多数になったらどうしよう」と不安に駆られていたのではないか。 賛成多数を予想していたとしたら、投票を行うことに何の躊躇もないからだ(あるとすれば、運転延長のスケジュールがずれることと県民投票の費用くらい)。

臨時会閉会後のグータッチは、民意が示されることを阻止したグータッチでもあった。でも、一応民主主義を掲げているこの国で、民意が示されることを阻止したことを喜ぶとは、いったいどういうことなのだろう。4万6112筆もの市民の署名によって請求したことを棄却したことに、一切の遺憾の意も表明されないとは、いったいどういうことなのだろう。

実は、私が「日本人は原発からは足を洗った方がいい」と思うのは、原発にはこういうところがあるからなのだ。日本の民主制は、原発のような難しい問題を扱えるほどは成熟していない、というのが私の実感である。原発の技術的な困難(災害への弱さや廃棄物の処理)は、技術的に克服することが可能だ、と元来は工学系の私は信じている。しかし原発という巨大な利害が対立するプロジェクトを真に民主的に運営していくことは、今の日本人には不可能だと感じる。一言でいって、「原発は日本人にはまだ早い」のだ。

今回の県民投票条例の否決は、まさにその一例になった。「大事なことを決めるのに、市民の意見も聞いて下さい」という、民主社会ではごく当然の要求を突っぱねなければ進められないのが原発なのだとしたら、そんなものはいらないのだ

だが同時に、今回の否決は、ある意味では民意というものの強力さをまざまざと見せつける結果にもなった。塩田知事も自民党も、「もし民意が示されたらどうしよう」という怖れを抱いていた。彼らは、国策とは違う民意が示された場合に、自分たちの立場がどうしようもなくなることをわかっていたのだ。彼らは、自分たちが民意に反しているかもしれないことを、図らずも露呈していた。まだ示されてもいない民意に、怯えていた。

そういう意味では、民意というものに、対峙する前から敗北していたのは塩田知事であり、自民党であった。彼らは、民意を味方につけるのではなく、無視することを選び、だからこそ民意を怖れた。

まだ示されていない民意でも、これだけの力がある。

もし、民意というものが、はっきり示されたら、どれだけの力があるのだろう。脱原発なんて簡単かもしれない。

とはいえ、今の鹿児島県の民意が脱原発にあるとは、私は全然思わない。それどころか、無関心による消極的支持も含め、私の肌感覚では6割の県民は原発を支持している。はっきりと反原発の考えを持っている人は1割以下、5%程度だと私は思う。実際、天文館で反原発を主張してきた市民グループは、以前は残念ながら多くの人に無視されていた(と思う)が、そんな中でも粘り強く民意の形成に取り組んできたことが今回の結果に繋がった。

つまり、消極的であれ多数派が原発を支持している状況でも、塩田知事は民意を怖れたのである。民意は、とてつもなく強大だ。鹿児島県民が、その強大な力をいつかはっきりと示す日が、きっと来ると信じている。

2023年10月20日金曜日

後戻りできなくなる決定が、今この瞬間にも行われているのかもしれない

すったもんだの末、鹿児島県の新体育館(スポーツ・コンベンションセンター)は、ドルフィンポート(DP)跡地に作られることになった。

「あれは何だったんだ?」と思ったのは、今年の2月~4月に募集された「本港区利活用エリアのアイディア募集」。これには234件もの応募があり、うち7件はプレゼンまで行われた。

【参考】鹿児島港本港区エリアの利活用に係る検討委員会 > 第4回検討委員会(プレゼン資料が掲載されています)
https://www.pref.kagoshima.jp/ah15/kentouiinkai4.html

この集まったアイディアはどう活用されるのだろうか、と思っていたら、一応ゾーニングの素案に生かされたことになってはいるが、本港区エリアの利活用について大きな影響を与えることはなかった、と思う。まあ、「今後の参考」との位置づけだ。

プレゼンされたアイデアには、かなりの手間をかけて練った構想も見受けられた。プレゼンの当事者も、こんなに軽い扱いになるとはびっくりだったのではないだろうか。とはいえ、県がアイディアを軽くあしらったわけではなく、わざわざ検討委員会に幹事会を設けていろいろと議論してはいる。

しかしながら、結局のところ、このアイディア募集は遅すぎた。なにしろ、ドルフィンポート跡地に新体育館を造ることを決定した後で行ったものだからだ。むしろ、この段階ではアイディア募集などしないほうがよかった、と私は思っている。なぜなら、意見やプレゼンは、せいぜい「いいとこどり(委員のコメント)」されるのが関の山だったからだ。

当然に、この意見募集やプレゼンの後の県の対応は評判が悪く、「何のためにわざわざ意見募集したんだよ」という声がたくさん聞かれた。鹿児島市のスタジアム構想(アイディア募集後、いろいろあってDP跡地へのスタジアム建設は事実上断念した)との齟齬もあり、「塩田知事がどんな体育館をつくりたいのか全然わからない」とか、「リーダーシップがない」といった、塩田県政への批判も惹起した。

とはいえ、これではちょっと塩田知事が可哀想な気もする。というのは、これまでの新体育館の検討が混乱し収拾がつかなくなっていたのは、歴代の鹿児島県知事が「新体育館をどこに造るかは俺が決める」みたいな態度であったことが大きな原因で、塩田知事の場合は同じ轍を踏まぬようかなり気を付けてきた(ように見える)。

新体育館の建設場所の検討を始める際にも、「場所ありきではない」ことが強調され、新体育館に必要な機能、規模・構成等をまず議論した上で決めようとした。そしてその検討委員会(総合体育館基本構想検討委員会)も、公開の下で行われ、これまでの鹿児島の密室政治とは一線を画した。

塩田知事はこうした検討が行われている中でも、「自分としてはここがいいと思う」みたいな軽はずみな発言は一切せず、「検討委員会の出した結論を尊重する」との態度を貫いてきた。検討委員会で本当に自由闊達な議論が行われたかどうかは疑問だが(傍聴した人の話ではいわゆる「シャンシャン委員会」だったそうだが私は見ていない)、それでも形式的には民主的な議論の結果、最終的には点数方式でDP跡地が選ばれた。

その後、整備の基本構想が取りまとめられ、パブリックコメントを経て、県議会は新体育館の整備を了承した。鹿児島県が作る箱モノで、ここまで民主的な手順を踏んで建設を決定したのは初めてのことで、画期的なことだと思う。

こうして新体育館(スポーツ・コンベンションセンター)の立地は決定した。だから、いくら「本港区利活用エリアのアイディア」にいいものがあったとしても、それに応じて基本構想が揺らぐはずもない。というか、揺らいだら民主制の否定になる。

「塩田知事がどんな体育館をつくりたいのか全然わからない」とか、「リーダーシップがない」という批判の裏には、知事は県民の意見を聞いて、それまでの議論をひっくり返してほしい、というそこはかとない願望があると思う。もし、塩田知事が今になって「やっぱりDP跡地に建てるのは辞めます!」と言ったら、一部の人は「リーダーシップを発揮した!」と喝采するに違いないが、民主的手続きによって行われた決定を知事の一存で白紙にするのは、民主的というより実際には独裁的だ。

そもそも、民主制は非常に手間がかかる。手順を追って物事を決定しなければならないし、その手順を踏んでいる間に社会の事情が変わってきても、「状況が変わったのでやっぱり変えます」とは言いにくい。要するにスピード感に欠ける。それに、代議制民主制の場合は利害団体の意見が強く反映されるという特徴があって、一般市民の感覚とは乖離しがちなことも短所である。

だから民主制の社会に生きる一般市民は、つい独裁的なものを望んでしまうことになる。独裁者は、なんでもスパッと決定し、一般市民の気持ちを代弁してくれる(ように感じる)からだ。今、維新の会が急速に国政での存在感を増しているのは、はっきりと独裁的な性格を持っているからだと私には思われる。

第2次世界大戦の前に、ナチスドイツが全権委任法によって一党独裁になっていったのは、完全に民主的な手続きによるものだった。彼らは、「ユダヤ人は気に食わない」という「一般市民」の気持ちに寄り添うことで独裁的権力を得た。ところがひとたび独裁制が確立してしまえば、およそ民主的な社会ではありえないような決定が下された。

話が逸れたが、新体育館のことで塩田知事がリーダーシップを発揮せず、何を考えているのかわからないような対応に終始しているのは、民主的な手続きを尊重するという態度の裏返しだろう(ただし、塩田知事は万事がこの調子なので、物足りないのは確かだ)。

そして、はっきり言えば、新体育館の立地についていまさら意見を言っても遅い。これまでに書いた通り民主的な手続きによって決定したことだからだ。「じゃあ、いつ意見を言えばよかったんだよ?」と人はいうだろう。私は、総合体育館基本構想検討委員会が、点数方式での立地比較を行うことを検討・決定した2021年11月あたりが山場だったと思う。

というのは、この比較項目に、当初からDP跡について懸念されていた「景観」が全く入っていなかったのである。これは意図的に外したとしか思えないが、不思議と誰も問題視しなかった。

【参考】第5回総合体育館基本構想検討委員会(2021年11月16日開催)
https://www.pref.kagoshima.jp/ac12/dai5kaihaihusiryou.html

そして、実はこの時あたりまで、新体育館の県民の関心は極めて低かった。もしかしたら「検討委員会がよか風にまとめてくれるに違いない」という安心感があったのかもしれない。結局、さほど議論はないままに、点数方式での立地比較によってDP跡に決定した。

2022年1月12日付の南日本新聞の記事「ドルフィン跡決定」の記事でも、検討委員の一人が「県民の関心が少ない感じ」と述べている。

県ではDP跡に決定する直前の2021年12月17日からスポーツ・コンベンションセンターに係る意見募集を行っていたが、これにもほとんど意見が寄せられていなかった(確か新聞報道では、20人が意見提出と伝えられた)。

ところが、この決定後に潮目が変わる。

このあたりを境に、いろんな人が、急にDP跡では問題があるとSNS等で発言するようになったような気がする。やっぱり一番大きかったのは景観の問題で、憩いの場であるウォーターフロントパークの芝生を残してほしいといった要望も多かった。突如県民の声が高まったことを受け、県では当初1月14日までとしていた意見募集の期間を1週間延長。これによって最終的には234人が意見を提出した。

私の見るところ、新体育館に関して民主的な手続きを軽視していたのはこの意見募集の一点である。というのは、意見募集している最中に委員会がDP跡に立地を決定したからである。意見募集の結果を反映した上で決定すべきであったのに、あろうことか意見募集中に決定をしてしまった。これでは何のために意見募集したのかわからない。アリバイ的な意見募集といわれても仕方ないと思う。新体育館の検討において、ここが最大の瑕疵である。

とはいえ、それ以外の点においては、それなりに民主的な手続きが踏まれた。こうして新体育館のDP跡への建設が決まっていったのである。

話が急に変わるようだが、太平洋戦争の記録を読んでいると「いつの間にか戦争が始まっていた」という記述に出くわすことがある。これはちょっと無責任な言葉のようにも思えるが、新体育館の建設についても、多くの県民にとって「いつの間にか決まっていた」ように感じられるのではないか。

先ほども書いたように、民主制は手間がかかり、一度民主的な手続きによって決定したことは権力者といえども簡単には覆せない。逆に言えば、一般市民の総意とはかかわりなく、その手続きが踏まれていくとすれば、いつの間にか引き返せないところまで進んでしまう。仮に多くの人が反対したとしても、もう遅い、という状況は容易に想像される。

新体育館についても、県民が2021年11月頃に声を挙げていれば、違った結論になっていただろうと私は思う。もちろんこれは後知恵だ。それに、その後に沸き起こった県民の声も決して無駄なものではなく、新体育館や本港区の将来によい影響を与えたと思う。だが、多くの声があったにも関わらず決定が覆らなかったのも事実だ(それに業界団体は概ねDP跡を支持していた)。

少し空恐ろしく感じるのは、そういう、後戻りできなくなる決定が、いろんなところで、今この瞬間にも行われているかもしれないという可能性についてである。いや、今この瞬間どころか、ずいぶん前に我々は後戻りできない道を選んでいるのかもしれない。そういう状況を避けるためには、国民が社会について関心を持ち続けること以外にはないだろうと私は思う。

「国民の関心が少ない感じ」と言われて重要な決定がなされ、威勢のいい独裁者に権力を与え、「いつの間にか戦争が始まっていた」とならないようにしたい。もうその時には、いくら反対を叫んでも遅いのだ。「民主的」に決定した事項は、簡単には覆らないのだから。


※現在、「鹿児島港本港区エリア景観形成ガイドライン(素案)」に関するパブリック・コメントが行われています(2023年10月6日~11月6日)。DP跡からの桜島の景観が気になる方は意見を出されたらよいと思います。
https://www.pref.kagoshima.jp/ah09/keikandezainkaigi/keikandezainkaigi1.html


2023年9月21日木曜日

指宿枕崎線の「悪あがき」

「JR指宿枕崎線を活かしたまちづくりプロジェクト」というものに参加することになった。

これは、「指宿枕崎線を活用してなんか面白いことをやろう」という企画である(南薩地域振興局からの委託事業で中原水産(株)が実施する)。

なお、「指宿枕崎線」は鹿児島中央駅から枕崎駅までの路線だが、これは特に「指宿〜枕崎間」を活かそうという話である。

それで、先日開催された第1回の会議に参加してきた。第1回は基調講演の後に顔合わせがある程度だったが、面白かったのは会議後の懇親会。ここでは書けない鹿児島の公共交通にまつわるタブー(?)が次々と俎上に載せられていて、「これを会議でやればよかったのに」と思った次第である。このプロジェクト、実は内心「アホか」と思っていたのだが、そうではなかったようだ(←関係者のみなさん、すみません)。

というのは、「JR指宿枕崎線を活かしたまちづくり」という概念が、まずちょっとおかしい。普通、鉄道はまちづくりそのもので、鉄道の駅を基点として街が形成されていくのが普通だ。「まちづくり」に鉄道を活かすならわかるが、「鉄道」をまちづくりに活かすとはどういうことなのだろう。これは要するに、「指宿枕崎線は街の役に立っていないから、街の方で指宿枕崎線を活かそう」という倒錯した考えなのである。

このような倒錯が生じているのは、指宿枕崎線(の指宿〜枕崎間)が非常に不幸な路線であるからだ。実は、これは需要に応じて開通した路線ではないのである。詳しいことは聞けなかったが、どうやら当時の政治家が「鉄道をひっぱてきた」という実績をつくりたいために無理に鉄道を枕崎まで延伸させたものらしい。

その時の大義名分は、「薩摩半島に環状線を!」ということだったとか。当時はまだ南薩線(伊集院〜枕崎)があったから、指宿〜枕崎が開通すれば、薩摩半島を鉄道で一周できるようになる、ということだったらしい。しかし指宿と枕崎は相互に交通する意味があまりない地域で、人口も少ない。沿線上はさらに少ない。環状線の意味は大都市の周りを回ることにあり、薩摩半島を一周する人は誰もいないのである。だから開通してたった5年で(!)、廃止の検討がスタートした。鉄道だけにすごいスピードだ(笑)

そのうち南薩線が廃止になって(昭和58年)、環状線でもなくなった。今年は指宿枕崎線全面開通60周年、という記念の年であるが、そのうちの55年が廃線の危機にあったという、ベテランの赤字路線が指宿〜枕崎区間なのである。

実際、先日(9月6日)、JR九州が線区別の利用状況を公表しており、指宿〜枕崎区間の平均通過人員(輸送密度=1kmあたりの1日の平均利用者数)は220人で、九州全体ではワースト3の少なさである。赤字額は3億3700万円/年で、九州全体でみれば中堅程度(!?)の赤字額だが、平均通過人員あたりの赤字額でいうと九州でワースト2である。

【参考】線区別ご利用状況(2022年度)
https://www.jrkyushu.co.jp/company/info/data/senkubetsu.html

公共の交通機関は赤字が常態化しているため、3億3700万円の赤字というのがピンと来ないかもしれないが、この状態が10年続けば合計33億7000万円。これだけのお金がJR九州から南薩に投下されることになる。有り難いといえば有り難いが、このお金をもっと有効な事業に振り分ければ、そっちの方が沿線住民にとっても嬉しいかもしれない。

というのは、このような赤字が続いているのは、当然利用が低迷しているからで、先ほども書いたように指宿と枕崎は相互に交通する意味があまりなく、わずかな高校生の通学需要があるに過ぎない。なんと通勤定期は1名しか購入していないそうである。指宿〜枕崎間は、生活路線としては不要というのが残念ながら明白である。

そういうわけで、私としては「地域住民の利用が増加することがありえない以上、廃止はやむを得ない」という立場である。むしろズルズル延命するよりも、JR九州にも地域にも余力があるうちに廃止した方がいいような気さえする。今なら、廃止にあたってJR九州からいろいろ引き出せるかもしれない。長い目で見れば何十億円ものお金が浮くわけだから、少しくらいサービスしてもらえそうである。

ということで、私はハナから指宿枕崎線(の指宿〜枕崎区間)には価値はない、と思いこんでいたのであるが、やはり詳しい人の話をじっくり聞いてみると、そうでもないことがわかってきた。

先述の通り、鉄道はまちづくりそのもので、その存在には地域住民の人生と財産が関わっている。例えば、東京である路線が廃止になったとすると、その沿線に住んでいた人の多くが通勤難民になり、また不動産価格がガタ落ちになって大混乱になるだろう。当然、鉄道が新しくできるとなればその逆のことが起こり、人々の生活や財産は一変する。よって鉄道は政治家の活動と密接に関わっており、「鉄道と政治」はこれまで華々しい(?)話題を提供してきた。

これは廃線の危機にあるような路線でも同じで、とっくに誰も使わなくなったような路線すらも「廃線絶対反対!」の運動が行われるのは、住民の自発的運動というよりは、路線存続を政治的手柄としたい政治家の策動の結果ということは珍しくないのである。 

ところが! 指宿〜枕崎区間の場合、こういうややこしい「政治」は一切無いらしい。指宿〜枕崎区間はあまりに寂れているため票田にならないからか、それとも廃線の危機が55年も続いたおかげ(?)だろうか。もちろん、住民からの関心も薄い。こういうことは、普通ならば弱みなのかもしれない。だが、廃線間近で「悪あがき」したい、というこのプロジェクトにとってはこの上ない強みだろう。

というのも、指宿〜枕崎区間で、どんな「悪あがき」のみっともない活動をしても、結果うまくいかなくて廃線になってしまっても、それほど大きな問題にならないからだ。それどころか、変な「政治」が登場しないことは、廃線すらもスマートに進められる可能性がある。経営が行き詰まってやむなく廃線にするのではなく、日本の廃線のモデルとなるような、「先進的な廃線」がここで実現できるかもしれない。こういう夢想ができるというだけでも、指宿〜枕崎区間は面白い路線ではないだろうか。

「JR指宿枕崎線を活かしたまちづくりプロジェクト」は、来年の1月までに4回会議をして、何をやるかをまとめるそうである。私が考えていることは主催者側とはちょっとズレているかもしれないが、俄然楽しみになってきたところである。

2023年9月9日土曜日

大笠中学校の統廃合には絶対に反対

今年の6月に行われた南さつま市議会(令和5年度第2回定例会)で、本坊市長が大笠中学校(大浦町の中学校。学区は大浦と笠沙)を含めた再編について言及した。

大原俊博議員の一般質問「加世田中学校については大規模改造か建て替えかということで(中略)早い時点での取組を要望いたします」という発言に応えたもの。本坊市長の発言を抜粋すると、

「早ければ年内、何とか年内に加世田中学校、それから万世中学校の施設整備を併せて、加世田中学校、万世中学校、そしてもう一つ、大笠中学校43名です。大笠中学校を併せて、在り方検討委員会を、今後、この中学校の在り方はどうあるべきなのかということを、スピード感を持って考えていかなければならない。その時期に来ているのではと思っております。」

ということである。

【参考】令和5年第2回定例会 会議録(発言は6月20日)
https://www.city.minamisatsuma.lg.jp/shigikai/kaigiroku/kaigiroku-r5/e028607.html

どういう文脈での発言かというと、まず加世田中学校の校舎の老朽化がある。加世田中学校の校舎(の一部)は昭和44年建築ということで50年以上経過しており、大規模改修か建て替えが必要だという。また隣の万世中学校の校舎(の大部分)も昭和46~47年に建築されていて、すでに雨漏り等も起こっている。

よって、加世田中学校と万世中学校の両方が、近いうちに建て替えが必要ではないか? という状況にある。この施設整備を進めなくてはならないというのは、理解できる答弁だ。だが、どうして大笠中学校の在り方まで「スピード感を持って考えていかなければならない」というのか。こちらの方は、ずいぶん藪から棒だ。

大笠中学校の校舎は平成14年に建築したばかりでまだまだ新しく、今年度はエレベーターの設置工事も進んでいる。生徒数は確かに少ないが、今後数年間で急激な減少は予想されていないからだ。

もちろん長い目で見ると、いずれ万世中への統合はありうるかもしれない。しかし統合するからといって万世中に新しい校舎を増築する必要はなく、近々万世中を大改修するとしても、大笠中の合併を見据える必要はないだろう(統合しても学級数が増えない可能性が高い)。

ではなぜ加世田中・万世中の改修と大笠中の再編(統合)が絡んでくるのか。この答弁は唐突なもので、関係者も驚きだったらしい。実際、市長もこのように発言している。

「このことは今日、市民の皆様方も初めてお聞きを、もちろん議会の皆様方にも丁寧な説明なく、前触れなく、大変申し訳ないと思いますが、これから協議を始めたいと思います(後略)」

よって、詳しい事情が不明であるが、ちょっとこの発言の背景を考えてみたいと思う。

まず、加世田中・万世中を改築する場合、それぞれ15~20億円必要と考えられる。公立の義務教育学校は半額の国庫補助があるので、市の負担はそれぞれ7.5~10億円。また、南さつま市では今市民会館の老朽化に伴う建て替えも検討されており、それら3つを建て替えすることになると、今後数年で30億円くらい必要になる。弱小自治体の南さつま市にとっては大きな出費である。

仮に加世田中・万世中・大笠中の3つを合併して新しい中学校をつくれば財政負担がかなり減るから、少しでもお金を浮かせたい市にとってはそっちの方が望ましいに決まっている。さらに、加世田中は川沿いの水害を受けやすい立地にあって移転が必要ではという声があり、その問題も同時に解決できる。

ところで、加世田中近くの県立常潤高校(旧加世田農高)は生徒数の減少が続いており、存続が危ぶまれている。しかも農高なので敷地は広大で、感覚的には敷地の半分くらいが遊んでいるような状態だ。仮に常潤高校が廃校にならないとしても、その空きスペースに中学校が建てられそうだ。だから、財政面のみを考えた場合、加世田中・万世中・大笠中を統合して常潤高校の敷地に新中学を作るのが一番お得である。水害も受けない。

しかも、小中学校を「適正な規模にするため」の統合に伴う施設整備は、国庫補助が10%増しになる。万世中はまだそれなりに生徒数がいるので地元が合併に同意するとは思えないが、大笠中は将来的には存続が難しいことは明らかで、「適正な規模にするため」の統合になるから国庫補助が増える。藪から棒に大笠中が持ち出されてきたのはこのためではないだろうか。

つまり、大笠中の在り方を「スピード感を持って考えていかなければならない」というのは、財政の事情、しかも加世田中・万世中の建て替えを安くするためだけのことなのだ。私は中学校はそれなりの規模があった方がよいと思っており、統廃合絶対反対論者ではないが、こういう事情で拙速に「あり方を検討」ということだと絶対に反対である。

それに、そもそも加世田中・万世中の建て替えは本当に必要なのだろうか? 

実は、南さつま市では「南さつま市学校施設長寿命化計画」というものを策定している(WEB上に情報がないが、おそらく令和元年か2年策定)。これはどういうものかというと、「従来コンクリート校舎は40~50年で建て替えていたが、メンテナンスをしっかりやることで学校施設は70~80年使っていきましょう」というものだ。

今、手元に計画そのものはないが、パブコメされた案(の57頁)によれば、

学校施設の目標使用年数は、公共建築物長寿命化指針で示される70~80年を基本として設定します。

とはっきり書いている。

【参考】パブリックコメント「南さつま市学校施設長寿命化計画(案)」募集終了
https://www.city.minamisatsuma.lg.jp/shisei/gyosei/publiccomment/pabubosyusyuryou/e021853.html

つまり、この計画に基づけば加世田中も万世中もまだまだ建て替えタイミングにはないのである。にもかかわらず、なぜ問われていもない万世中の建て替えまで言及したのか、邪推すれば、常潤高校の廃校が内々に本坊市長には打診されている、ということなのかもしれない(本坊市長は常潤高校の同窓会会長でもある)。

それはともかく、市には焦って校舎の建て替えをするのではなく、この計画に基づいて、まず校舎の長寿命化を図ることを要望したい。それでなくては、この計画は無意味である。

また、学校再編だけではないが、南さつま市の場合、加世田への一極集中が進んでいることも憂慮される。

加世田小学校は児童数が600人以上あり、加世田中学校の生徒数も300人以上である。大浦小学校が約50人、大笠中学校が約40人であることを考えると、これを整理していこうとするのは財政の論理としては仕方ない。小中学校の建物の維持管理費は規模によらずだいたい年間700万円くらいだから、大浦のような過疎地に学校があるのは割に合わないのは確かだ。

しかし、である。だからといって加世田になんでもかんでも集中させてよいのか? ということだ。この何十年も、東京一極集中の弊害が叫ばれてきた。過密した部分と、過疎の部分のそれぞれに問題が起こり、人口は適度に分散してこそ快適な生活が送れるのだ、と諭されてきた。それでも一極集中の傾向は止まっていない。人々は結局、大学進学や就職のために都会に出て行かざるを得ないからだ。

いまさら、田舎の価値とか、自然豊かな暮らしとか、リモートワークで田舎でも生きていけます、みたいなことをいうつもりはない。大浦町も、いずれ人々がまとまって暮らす地域ではなくなってしまうかもしれない、ということは覚悟している。

だが、そういう過疎の動きを、行政が加速させていいのだろうか? ということだ。

加世田中・万世中の建て替えは「南さつま市学校施設長寿命化計画」に反するものだし、大笠中はさしあたり合併の必要はない。「スピード感を持って考えていかなければならない」時期ではないのである。

2023年6月16日金曜日

川内原発20年延長の県民投票は、やるやらないをちゃんと検討すべき

現在、市民団体が川内原発の運転期間延長についての県民投票の実施を求めた署名活動をしている。

【参考】川内原発20年延長を問う県民投票の会
https://sendai20tohyo.com/

この署名活動が行われる経緯において、キーになっているのが塩田知事が2020年の知事選で掲げたマニフェストの一節。塩田知事はマニフェストに「1号機・2号機の20年延長については、必要に応じて県民の意向を把握するため、県民投票を実施します。」と書いていたのである。

【参考】塩田知事のマニフェスト
http://www.pref.kagoshima.jp/chiji/manifest2/index.html

川内原発にもともと明確な耐用年数はなかったが、東日本大震災後に法律が定められて40年ということに決まっていた。しかし技術的な点検を行い、規制委員会の認可を受ければ、さらに20年運転を延長できるように法律が変わった(つい先日、運転停止期間の除外ができるという法律の改定があり、20年より長く延長できるようになった)。

この点検は設置者である九電が行うのだが、県としてはこの点検(とその評価)が適正なものか検証するため、鹿児島県原子力安全・避難計画等防災専門委員会に「科学的・技術的な検証」を依頼し、先日その結果が報告されたところである。

その報告書は、私も内容をちゃんと読んでいないが「留意すべき点はあるが、おおむね適正」というものだそうである。委員会(正確にはその下に設置された分科会)の議事内容は公開されているので私もちょっと見たのだが、非常に専門的なことばかりで、素人にはほぼ理解不可能である。ただ、議事録を読んでの雰囲気だけでいうと、意外と「お手盛り委員会」ではなく、結構真面目に議論・検証したように見える。

そしてこの報告書に基づいて、県は原子力規制員会と九電に要請書を提出することとしており、その要請書案について、昨日、県が意見募集を開始した(6月15~7月14日)。

【参考】川内原子力発電所に関する要請書(案)に対する意見を募集しています
https://www.pref.kagoshima.jp/ac06/youse-ikenboshu.html

一方、マニフェストに掲げていた川内原発の運転延長の県民投票について、塩田知事は5月26日に先ほどの報告書を受け取った際、報道陣の取材に答える形で行わない方針を示し、「おおむね委員会の意見は集約されたと考えている。県民投票で○×を聞くよりは、県民の意見を具体的にしっかり聞いた方がいい」と説明した。

【参考】川内原発の運転延長「県民投票は実施せず」 鹿児島県知事が表明、意見募集へ 専門委から最終報告書、6月に住民説明会|南日本新聞
https://373news.com/_news/storyid/175797/

塩田知事は県民投票に関して「専門委の意見が集約されない場合に県民の意向を把握する手段として、最も適切と判断した場合に実施する」との見解を示しており、「専門委の意見がおおむね集約されたから県民投票は不要」と判断したわけだ。

しかし、私はこの説明には大きな違和感を抱く。

というのは、専門委は、川内原発1号機・2号機を延長するのが適当かどうかという判断をするのではなくて、九電の点検・評価が適正かどうか「科学的・技術的検証」を行うのが役割なのだ。もし、専門委の意見が集約されないということがあったら、それは九電の点検・評価が適正でないということなのだから、そんな状態で県民の意向を聞く必要はなく、運転延長不可なのが当然だと思う。

つまり、県民投票は「専門委の意見が集約されない場合に(中略)実施する」という知事の見解自体がナンセンスなものだったのだ。技術的な検証(専門委の意見)と、県民の意向は直結するものではないのに、あたかもそれを直結するもののように説明したのは詭弁だ。

とはいえ、「県民投票で○×を聞くよりは、県民の意見を具体的にしっかり聞いた方がいい」という説明はわからなくもない。実際、私も、川内原発を延長すべきか〇×で聞くのがいいのかどうか、正直よくわからない。今の経済状況や、薩摩川内市の在り方を考えると、〇×で県民投票したら運転延長反対が多数派になるかどうか不明だ。逆に原発推進のお墨付きを与える結果になるような気さえする。

だが賛成派ですらも、「鹿児島に原発があるのは賛成だけど…」と「だけど…」が続くこともまた多いのではないか。この「だけど…」以下を聞くというのが、「県民の意見を具体的にしっかり聞く」ということだと私は思う。

しかるに、今回の意見募集の対象である要望書は、先ほど述べたような極めて専門性の高い事項の検証に基づいており、科学的・技術的観点のみでまとめられたものであるので、とてもじゃないが、この「だけど…」以下を聞くようなものではない。

これに対して、「原発反対! だけでも意見を出したらいい」という人もいるが、そういうわかりやすい主張の人はともかくとして、「だけど…」タイプの人にはちょっと難しい。私もその一人である。

少なくとも、この要望書への意見募集は「県民の意見を具体的にしっかり聞く」とはほど遠いものであるのは衆目の一致するところであろう。ふざけるなと言いたい。

ところで、先だっての県議会で、「鹿児島県公文書管理条例」が制定された。これは、保存期間が過ぎた公文書の処理について定めるのが主な目的であるが、その第4条はこうなっている。

第4条 実施機関の職員は,第1条の目的の達成に資するため,当該実施機関における経緯も含めた意思決定に至る過程並びに当該実施機関の事務及び事業の実績を合理的に跡付け,又は検証することができるよう,処理に係る事案が軽微なものである場合を除き,文書を作成しなければならない。

これによると、行政機関は「意志決定の過程」を「検証することができるよう」「文書を作成しなければならない」とされている。では今回の「県民投票見送り」については、どうだろうか。県民投票は、知事自らがマニフェストに記載していたことであり、またこれを求めて署名活動が行われているくらいなので、「処理に係る事案が軽微なもの」とは到底見なせない。

先ほども述べたように、私は原発について○×で県民投票を行うべきとまでは思わないが、こういう重要な意志決定が一枚の文書も作成されることなく、「知事としての総合的な判断」ような形でなされるとしたら非常に問題だと思う。

そういえば、NHKの報道によれば、馬毛島への基地容認においても文書が作成されずに知事が総合的に判断したそうだが、こんな重要な件を口頭のみで決定するとは、行政の文書主義に反する。窓口ではバカみたいに文書を求めるくせに…。

【参考】徹底解説!公文書管理条例の意義と課題|NHK かごしまWEB特集
https://www.nhk.or.jp/kagoshima/lreport/article/001/98/
(抜粋)「県によりますと、この考えの表明までに、知事と担当部署の職員が複数回打ち合わせをして意思決定をしたとしていますが、この打ち合わせで知事や各職員がどういう発言や議論をしたかを記録した公文書が作られていないことがNHKの取材でわかりました。」

というよりも、これについては、むしろ重要な件だからこそ文書を敢えて作らなかったのではないか、とすら疑ってしまう。馬毛島への基地建設については、歴史的な意義を有する可能性があるが、それを後に振り返った時に知事がどう考えて容認したのか、現状では「合理的に跡付け,又は検証することができる」とはとても思えないのである。(ただしこれは条例制定前の件である。)

とはいえ、これまで県政に対し批判的に書いてきたが、私自身は塩田知事を好意的に見ており、最近の歴代知事に比べたら、相当「話が通じる」と思っている(上から目線の評価ですみません)。

ドルフィンポート跡問題では「塩田知事がこれがやりたいというものが見えない」「知事の熱意が感じられない」という人もいるが、下からの意見を重視し、私心を交えずに判断していると見た方がよいのではないか。これまでの知事が「俺が決める」という人だったので物足りない人はいるだろうが、自分のやりたいことよりも、ボトムアップの手続きを重視しているのはよいと思う。

しかしながら、であればこそ、意志決定を丁寧に文書化すべきだし、検討経緯を残さなければならない。県民投票を行うにはどのくらい予算が必要なのか、それに見合った意味のある結果が得られるのか、そんなことを検討して決めたならそれを文書で残し堂々と発表すべきだ。それなら理解できる。逆にそういう検討もせずに、舌先三寸で「県民投票見送り」を決めたのなら、それこそが問題だ。

実は、塩田知事のマニフェストは「進捗・取り組み状況」が公表されている。こういうことをしっかりするのも塩田知事の美点である。

【参考】マニフェストの進捗・取組状況(知事就任後2年間)
http://www.pref.kagoshima.jp/ac11/chiji/manifest2/shinchoku_r04jisseki.html

そしてこれを見てみると、66項目ある中で、「進捗・取組状況等」が空欄なのは、県民投票の項目のみなのだ。これでは、県民投票を真面目に検討したかどうかすら怪しいではないか。

「川内原発20年延長を問う県民投票の会」においては、知事が県民投票を実施しないこととした検討経緯の公文書を情報公開請求してはどうだろうか。どんなことが書いてあるのか、というよりも、そんな公文書がそもそも作成されたのかどうか。見ものである。

↓ マニフェストの進捗・取組状況(知事就任後2年間)より抜粋





2023年5月5日金曜日

戦没者の墓と平和憲法

うちの集落墓地に、院号のついた戒名の墓石がまとまっている場所がある。

院号とは、例えば「明浄院釈栄徳」の「明浄院」の部分にあたり、戒名を立派にする機能を持つものである。

この集落墓地は、昭和40年代(だったと思う)に墓地整理を行い、いくつかを残して墓は納骨堂にまとめた。だから墓石自体がわずかしか残っていないのだが、残っている墓石のほとんどが、院号を持った墓なのだ。

パッと見ただけなら、このお墓は院号だからこそ残ったと思うだろう。

なにしろ、戒名に院号を付けられるのはごくわずかの人だけだ。宗派・寺院により違いはあるが、院号をつけるには今でも100万円くらいかかるらしい。また、お寺の役(総代など)をこなすとか、生前に積極的な寄付をするといった、いわゆる「大檀那」と呼ばれるような人しか院号をつけてもらえなかった時代もある。

江戸時代までさかのぼると、これに身分が関係し、院号がついているのはほぼ高位な武士に限られる。

現代では「戒名なんていりません」という人も多いが、かつては相当のステータスを持ち、憧れられていたのが院号なのだ。

では、ここに残された院号の墓は、この土地の名士、大檀那たちだったのだろうか?

実は、それが全然違うのである。なんと、この院号墓は、全員が従軍し戦死した人のものなのだ。

墓石の横には、「海軍伍長 〇〇で戦死」などと彫ってある。階級は、はっきり言って高くなく、例外的に尉官が一人いるものの、ほとんどは下っ端である。つまりこの人たちが院号をもらっているのは、お金でも生前の地位でもなく、軍隊で戦死したことへの褒章なのである。

このあたりの地域は、戦前は浄土真宗しかなかったので、これらの戒名は全て浄土真宗本願寺派(西本願寺)のものである。西本願寺は戦争に積極的に協力していた。西本願寺は海外布教の思惑もあって戦争は信仰と矛盾しないと位置づけ、門徒を戦地に送り出した。本来は戦いを戒めるべき宗教者が、戦争での殺人は罪にならない、というようなことを言うなんておかしな時代だった。

それでも、西本願寺が従軍し戦死した人に全員院号を与えていたという話は聞かない。もしかしたら、この院号は鹿児島独特のものかもしれない。あるいは、大浦のお寺(西福寺)が独自につけていた可能性もゼロではない。

それに、「従軍し戦死した人の魂は靖国神社で神になる」というのが、当時の日本政府の公式見解だった。さらには遺骨もない場合が多かった。その意味では郷里につくられる墓石やそこに刻まれる戒名は、気持ちの上だけのもので実態を伴ったものではなかったから、西本願寺としてどのように扱ったのかわからない。

しかし一方で、そのようなことを行ったのが全国でここだけだった、というのもありそうにないことだ。何しろここは保守的な田舎である。独断で院号を与えるような大それた真似ができたとも思えない。全国でやったかどうかはともかく、それなりに先行事例があったと考えるのが妥当だろう。

少なくともこの院号墓は、宗教すらも国家の片棒を担ぎ、お国のために死ぬことが名誉であるとした、間違った時代の名残であるのは間違いない。

最近、自民党は憲法改正しようと前のめりになっている。すでに戦争放棄の憲法解釈は変更され、実質的に9条は形無しになってしまった。

私は今の憲法を絶対に変えていけないとは思わない。時代の変化に合わせて変えていってもいいと思う。しかし今の自民党にはこれを変えて欲しくない。あからさまに政府の権限を強化し、個人の自由を制限する方向で改正案をつくり、また様々な問題で政治不信を招いている今の政府には、憲法を変えてほしくないのである。

平和憲法なんて「お花畑」だ、と考えている人は多い。だが、今の日本国憲法を作った人たちは、少なくとも戦争の惨禍を見てきた人たちだった。戦没者の墓も、今よりもずっと身近なものだった。それは、靖国神社に眠る「英霊」のような抽象的なものではなく、墓地に建てられた一つひとつのお墓だった。

私はこれらの院号墓は、歴とした「戦争遺産」であると思う。墓地整理した際に、これをあえて残した人たちは見識があった。しかし多くの地域で、戦没者の墓も整理されている現状がある。その多くが無縁仏となり、管理する人がいなくなったからである。

このまま平和憲法も、戦没者の墓のように片付けられてしまうのだろうか。私はそうならないことを祈る。終戦記念日には、靖国神社ではなく、地域の戦没者の墓地に行ってみてほしい。それがきっと、平和憲法を作った人たちが見ていた風景なのだ。

2023年4月7日金曜日

「政治」から遠ざかってしまった選挙

鹿児島県議会議員選挙である。

が、私の住む「南さつま選挙区」は前回に続き無投票である。投票に参加できないどころか、選挙そのものがないのは、民主制の前提を満たしていないと思う。

全国でも、今回の統一地方選挙では立候補者の4人に1人が無投票当選で、4割弱の選挙区で無投票だったそうである。もはや日本の半分近くの地域で、選挙という枠組みが機能していない。

この由々しい事態を受け、立候補者を増やすために「議員報酬を増やそう」「政治への関心を高めよう」といった動きが報道されている。

しかし鹿児島県議の議員報酬は決して安くなく、全国的に見たら平均程度の月額78万円だ。市町村議会議員の報酬はともかく、県議ともなれば地方の水準では十分な報酬になっている。

また政治への関心については、若い人を含め、少なくともここ30年では今が一番高いと思う。それは日々の暮らしが政治によって脅かされている実感があるからだ。少なくとも政治がどこか遠い世界の話だった時代とは違い、今では我々の懐にまで「政治」が手を伸ばしつつある。

であれば、県議選も多くの立候補者が犇めいていてもおかしくない。それなのに現実は、鹿児島の21選挙区中の7選挙区で立候補者が議員定数を越えなかったのだ。

なぜか。少なくともそれは「政治への関心の低さ」だけでは説明できないことは確かだ。無投票の選挙区に住む一人としてちょっと考えてみたい。

県議への立候補者が少ないのは、第1に、市町村合併の影響があるだろう。

県議というのは、市町村議員が目指す場合が多い。だが市町村合併によって自治体の数がかなり減って、当然に市町村議会の数が減ったため、市町村議員は激減した。

例えば南さつま市は1市4町が合併してできた市だが、旧町時代はそれぞれ20人くらい市議・町議がいたので、計100人程度議員がいたと思う。それが合併後には約20人になったわけだから、議員数は5分の1になったことになる。

このように、県議に立候補する可能性が高かった市町村議が減ったことが、県議の立候補者が少ないことの第一の理由であると私は思う。

第2に、市議から県議への鞍替えが減ったことが挙げられる。

平成の大合併の前は、鹿児島の場合は人口1万人程度の「町」が多かったように思う。このサイズだと、町議になるには200票くらい入ればいい。そしてこの時代は、集落の自治会長が町議に立候補するのが定番だった。200票というと、自分の所属する集落の人たちを中心に、知り合いが投票してくれれば当選できた数だ。

だからこの頃は、自治会長をやるような、人付き合いがマメで少し声が大きなオジサンが、町議に立候補するものだったのである。ついでに言えば、自治会長そのものが町議へのステップの一つと見なされていたので、町議を狙うような人が率先して自治会長を担ってくれていたという側面もあったと思う。

しかし市町村合併によって選挙区が広くなると、当選ラインは500~1000票程度へと上がった。都市部の人から考えると500票も十分少なく感じるだろうが、500票になると直接の知り合いだけでは集められない規模になる。どうしても不特定多数の人に訴えなくてはならない。そうなると、「人付き合いがマメで少し声が大きなオジサン」程度では市議にはなれない。そういうわけで、市町村議員になる人はかなり減った。

結果、市町村議も定数がギリギリ(無投票の時も散見される)であるから、市議から県議になろうとするインセンティブが今はない。市民としても、後援している人が市議から県議になろうとするのを応援しづらい。その人が鞍替えするせいで市議選が無投票になるかもしれないのだから。

第3に、今の若い人は従来の選挙のやり方に意義を感じてない、ということがある。だから若い人が立候補しない。従来型の選挙のやり方の定番は、「辻立ち」「選挙カー(街宣カー)」「電話作戦」「ガンバロー集会」といったもので、これらは今でも票集めの活動としてある程度有効だが、政治に関心を持つ若い人はこうした活動を行う気になれない。

「辻立ち」は選挙期間以外でも行われ、街頭で「みなさんおはようございます! いってらっしゃいませ」などと元気よく声をかける活動。これで道行く人からの支持が得られる可能性はわずかだが、後援会のメンバーにとっては「〇〇さんも頑張っているんだから、我々も応援しなくては」という気持ちになる重要な活動である。というか「辻立ち」を疎かにすると後援会から「最近〇〇さんは地域に目が向いていない」「天狗になっている」などと批判されることもしばしばだ。

「選挙カー」は選挙期間中のみ可能で、いわゆる「連呼行為」という名前などを繰り返すことのみが走行中に認められている。これは街の人にとっては迷惑以外の何物でもない。しかし特に田舎における選挙においては、「この辺りには選挙カーすら来ない」という声はよく聞かれる。田舎では、地域をせめて一回りするくらいのことはします、という意思表示として受け取られていると思う。ただし都会での意義はたぶんほぼない。

「電話作戦」は、選挙では戸別訪問が禁止されているため、電話で「〇〇さんへの投票をよろしくお願いします」と後援会メンバーが呼びかけるものである。しかし最近の若い人は電話という手段を好んでおらず、できれば出たくないものと考えている節がある。また「電話作戦」は政策を訴えるでもなく、ひたすらに人脈を頼りにするものであるから、人脈の形成途中である若い人にとっては不利である。

「ガンバロー集会」は、決起集会・個人演説会のことを、仮にこう呼んでみた。「ガンバロー!!」という掛け声が特徴的だからである。こうした集会は、今まで挙げたものの中では一番「政治」に近いかもしれない。集会の中では政策を訴えることも稀ではないからだ。しかし多くの「ガンバロー集会」は、「今回の選挙は厳しい戦いだ。一丸となって頑張ろう!」という掛け声のために行われる。候補者の側としては、そもそも集会に出ている時点で出席者を支持者だとみなしているから(だいたい正しい)、その場にいる人に政策を訴えることは必要ではないと思っている。「ガンバロー集会」の目的は、政策を訴えるためではなく、支持者を高揚させ、一体感を抱かせることだ。

これらの旧来型手法は全体として、後援会を中心とした支持者集団を強固にし、そこを起点として露出を増やす活動だと言える。その中では、政策を訴えるとか、現在の政治・行政を批判するといったことは、かえって支持を失う可能性がある行為として忌避される。

今回の鹿児島県議選で、原発の是非や馬毛島のような、政治的な問題について候補者がほぼ沈黙しているのもそのためだ。以前、元SPEEDのメンバーで自民党から参議院議員に立候補した今井絵理子さんが、選挙活動中に記者から「憲法や経済の話は?」と問われ、「今は選挙中なのでごめんなさい」と言ったのは象徴的だ。これは自民党の事情も大きいのだが、野党も含め、有権者の判断が分かれるような問題はできれば触れないでおこうとする傾向はある。

結局のところ、今の選挙は「政治」から遠ざかってしまっているのだ。選挙が政治的であることを避けようとしている、と言い換えてもいい。

私は先ほど「政治への関心については、若い人を含め、少なくともここ30年では今が一番高い」と書いた。政治的な関心が高い若い人を見ていると、一昔前の「人付き合いがマメで少し声が大きなオジサン」などよりずっと真面目に政治を考えている。しかしそういう人にとって、選挙は少々馬鹿馬鹿しく感じられる。政治的な主張をするでもなく、社会の向かうべき道を示すでもなく、支持者との一体感の中で露出競走をするのが今の選挙運動だと。

もちろん彼らとて、いかに選挙が気乗りしないものに感じられようとも、いざとなれば選挙に出るには違いない。そして現実には、多くの人に動いてもらわなければならない選挙運動には、主義主張以前の部分に「政治」があり、はたから見るほど無意味ではないのだ。

しかしいざ彼らが立候補しようと思っても、彼らの考える「政治的な選挙運動」には、まだ多くの人がついてきていないのも現実だ。

例えば、インターネットを使った政治的主張、候補者同士の政策討論会、「ガンバロー!」ではない個人演説会、既存の政党の枠組みとは違う政治活動のやり方、後援会中心ではない選挙運動、といったことが彼らのやりたいことだろうが、実際にそれをやっても、不特定多数の支持が集まるのかどうか、今のところちょっとわからない。やはり「どぶ板」が強い可能性は高い。

ところで、選挙が「政治」から遠ざかったといっても、それは何も今に始まったことではない。少なくとも戦後はそんな感じが続いてきた。

だが、この20年ほどで、政治家に求められる役割はかつてとは違ってきた。かつての市町村議員・県議の役割は、上(国や県)から流れてくる予算の配分を行うことだった。特に高度経済成長期以降は、予算が有り余っている時期があり、そのお金を地域にうまく配分するのが「政治家」の役割だった。

そのために必要な資質が、マメな人付き合いや、分断をつくらないための曖昧な態度であったと言えるかもしれない。そして政治家本人よりも「後援会」の方に活動の本体があり、「神輿は軽い方がいい」と俗にいうとおり、個人の政治的主張よりも、お金の分配を求める地域の総意を代弁することが「政治家」に期待されていた。

もちろん、例えばダム建設予定地となって反対運動が起こったような場所では、こういうわけにはいかず、利害関係の対立を解消する、本来の意味での政治が繰り広げられた。しかし日本の大部分の地方では、そのような先鋭的な政治的対立はおこらず、上から流れてくるお金を大過なく分配しているだけで、それなりに発展してきたのである。

だが周知のとおり、そういうフェーズは過去のものとなった。今の日本は、政治的な問題に向き合わずにはいられない。これからの政治家は、お金を分配するのではなく、負担を分配するという、ややこしい仕事をしなくてはならない。

だから、真面目に政治を考えている若者に選挙に出てもらう他ない。そのために私たちができることは何だろうか?

少なくとも今回の県議選では、少しでも「政治」を語っている候補者に一票を入れることだろう。「政治」から遠ざかった選挙に、もう一度「政治」を取り戻さなくてはならない。

どこかの新聞に書いてあった。今は政治への関心は高いが、不信もまた根深いと。政治への不信があるからこそ、選挙では政治が避けられる。だがいつまでも政治を避けて通っていては、日本社会が変わっていくことはできない。

選挙がもっとまじめに「政治」に向き合うものとなれば、きっと多くの若い人が立候補するのではないかと、私は期待している。