『明治維新と神代三陵——廃仏毀釈・薩摩藩・国家神道』というタイトルだ。
管見の限り、「神代三陵」をテーマにした本は史上初ではないかと思う。神代三陵を知っている人自体が少なく、「何それ?」という状態なのを考えると、これまで神代三陵についての本がなかったのも当然かもしれない。
しかし、神代三陵という存在は、なかなかに面白い。
神代三陵とは、日本の神話に登場する天皇家の祖先、天孫ニニギノミコト、その子のホホデミノミコト、その子ウガヤフキアエズノミコトの陵墓である。ちなみにウガヤフキアエズの子どもが神武天皇だ。
この3柱の神々の陵墓は
「可愛(えの)山陵」=薩摩川内市
「高屋(たかや)山上陵」=霧島市
「吾平(あいら)山上陵」=鹿屋市
と全てが鹿児島県に確定されており、宮内庁が管理している。
もちろん、「神」の墓、などというものを額面通りに受け取るわけにはいかない。そもそも神自体がいたかどうかもわからない。というより、神々が実在したとは、科学的に考えてありえないのである。しかし実在しないものの墓があるわけがないのだから、日本政府の公式見解としては、ニニギノミコト以下の神々は確かに存在したのだ、ということになる。
ではなぜ、四角四面で頭の堅い日本政府が、神々を現実のものとして扱っているのだろうか。それは、明治維新からの国家運営において、国家が神話を現実化しようと試みたからなのだ。日本は世界に冠たる「神の国」であるとしつらえるために必要だったことの一つが、神代三陵だったのである。
戦後にはそうした狂気じみた政策は是正されたが、神代三陵は引き続き宮内庁が管理しており、未だに国家公認の「神」の墓としての性格を失っていない。これは、宮内庁が積極的に残したというよりも、おそらくはさしたる議論もなく戦前からの管理が続いてきただけなのだろう。しかし、科学的な世界観が浸透した現代において、明治時代の置き土産である神代三陵が変わらず鹿児島にあり続けていることに、興味を覚えるのは私だけではないだろう。
そして、ニニギノミコトの天孫降臨を中心とする神話を「日向(ひむか)神話」というが、これの舞台は日向国、今の宮崎県であるから、神代三陵が全て鹿児島にあることには奇異な感じがする。宮崎県には西都原古墳群など立派な古墳がたくさんあり、逆に鹿児島にはあまり大規模な古墳はない。にも関わらず、なぜ明治政府は神代三陵を全て鹿児島に宛てたのであろうか。
これまで、「神代三陵が全て鹿児島に確定されたのは、薩摩閥の政治力のためだ」といわれてきた。誰しもそう思うに違いない。私が神代三陵について調べ始めたのも、薩摩閥の影響が具体的にどのようなものだったのかを検証しようとしたことが発端だ。結論を言えば、確かに薩摩閥の影響は大きかった。しかし不思議なことに、鹿児島の側から神代三陵を求めた形跡は一切ない。明治政府の宗教政策全体にわたって薩摩閥の影響は大きく、神道の国教化を進めたのは薩摩閥であるといっても過言ではない。それでも神代三陵については、鹿児島からの要望ではなく、むしろ国家の都合によって決定したものなのだ。
これまでも、歴代天皇陵の創出については多くの研究の蓄積がある。幕末明治の政権において天皇陵がどのような役割を負わされてきたか、そしてそれがどのように改変されてきたを辿れば、それが”国家”の創出に一役買ってきたことが理解できる。
幕末に至るまで、歴代の天皇陵は崇敬されることもなく、あるいは耕作され、あるいは山となり、日常の風景に溶け込んできた。それを讃仰すべき存在に替えたのは、「文久の修陵」と呼ばれる宇都宮藩の建白によって始まった事業だ。この事業では田んぼの中のたった2尺の塚だったところが神武天皇の陵墓に造成された。以来、多くの天皇陵が矢継ぎ早に確定され、整備されてきたのである。日本を急ごしらえの”近代国家”にするために。
言うまでもなく、神代三陵の創出も、こうした天皇陵の造成事業の一環である。だがそれが特殊なのは、歴代天皇陵については、一応、歴史的な存在と見なせたのに、神代三陵については、確定するのが神話の世界を現実化するもの以外ではありえなかった点だ。どうしてそんな無茶が可能になったのだろうか。そこには確かに薩摩閥の動向が大きく関わっていたのである。
本書はこうした観点から神代三陵という存在を考察し、神代三陵を明治維新史に位置づけたものである。
なお、本書は本ブログで「なぜ鹿児島に神代三陵が全てあるのか」と題して連載した記事を元にしており、それに2割くらい加筆修正した感じである。ブログ記事を書いている頃は、出版するとまでは思っていなかったので、今から考えると書き方に甘い点(特に先行研究への言及)も見受けられるが、今の自分の力量だと思ってそのままにした。
版元は、京都の法藏館。仏教書専門の出版社であり、創業400年を超える日本最古の出版社である。仏教書だけでなく、『黒田俊雄著作集』など歴史と宗教の研究書を数々出版してきた老舗だ。ただし、本書は専門書でも論文でもなく、一般向けの読み物である。
【参考】法藏館
https://pub.hozokan.co.jp/
どうしてこんな立派な出版社から、私のような無名・在野・しかも農家(!)、という売れそうな要素が一つもない著者の本が出るのか。当然こちらから持ち込んだからだが、コネもなく、私自身断られるとばかり思っていた。ところが法藏館さんは、著者の属性は度外視し、あくまでも内容を見て出版することを決定してくださったのである。変な言い方だが「さすが老舗は違う」と感心してしまった。
また、帯に掲載する文については、松岡正剛さんからいただいた。読書界では知らぬ人のない知の巨人であり、 私自身、学生時代からずっと尊敬し憧れてきた人である。これももちろん、ダメもとで法藏館さんにお願いしてもらったものだ。断られて当然と思っていたものの、ご快諾いただいて「で、我々は、神々をどうしたいのか。」というコピーをいただいた。歴史を俯瞰した、核心を突くコピーを書いてくださったことに感謝である。このコピーに惹かれて手にとってくれる方も多いに違いない。
(なお、法藏館さんが松岡正剛事務所に依頼したので、どうして松岡正剛さんが快諾して下さったのか詳しくはわからない。内容を評価してくださったのは間違いないと思うが…。)
出版までの作業は多くの方とのご縁があり、ダメもとだったはずの本の出版が、これ以上ない形で実現したことに自分自身ビックリである。
だが、ある意味では本を出すだけなら誰でも出来る(お金さえ出せば(笑))。大事なことは、それがちゃんと売れて読者に届き、あわよくば次の展開へと繋がっていくことである。著者割り当てもかなりの部数あるので、それを売らなければならないという現実的問題もあるが、ここだけの話、今回は初版の印税は著者に入らないので、自分の利益のために売りたいわけではない。
神代三陵を多くの人に知ってもらい、明治政府の宗教行政史を再考する機会となることが本書の目的である。そして今、右傾化しつつある日本において、神話を現実化するという、明治政府の間違いが再び繰り返されないように釘を刺すことができれば、望外の喜びである。
どうぞよろしくお願いします。
1982年鹿児島生まれ。東京工業大学理学部数学科卒。2004年文部科学省入省、2008年退職。鹿児島県南さつま市大浦町に移住し、「南薩の田舎暮らし」の屋号で柑橘栽培を中心とする農業・食品加工業・ブックカフェ営業を手がける傍ら、郷土史や幕末以降の宗教行政史を研究。著作に『鹿児島西本願寺の草創期—なぜ鹿児島には浄土真宗が多いのか—』(私家版)がある。ブログ「南薩日乗」運営。
★Amazonページ
https://amzn.to/3SyFO8W
※直接の知人のみなさんは、私から直接買ってもらえるとすごく助かります!
【その他のサイトでも取り扱っています】
0 件のコメント:
コメントを投稿