2016年2月7日日曜日

寄り道と街の発展

イオンのショッピングモール
前回の記事で、「イケダパン跡地を有効利用したら?」ということを書いたら、思いの外賛同の声があったので、調子に乗ってまちづくりについてもうちょっと語ってみることにする。

さて、加世田には、南さつまの中心街として物足りないことが一つある。

それは、「歩いて楽しむ通り」がないことだ。都市には、いくら車がたくさん通行していてもそれで十分ではなく、「人通り」のある場所が必要だ。

歩道がいくらでもあるじゃん、と思うなかれ。言いたいのは、歩道があるとかないとかそういうことではなくて、なんとなく歩いても楽しく、いつも幾ばくかの人が歩いていて、できればステキな店へと通じているような、そんな通りがないということである。

…ところで、いきなり話が変わるようだが、東京から田舎に越してくるとみんな運動不足になる。東京では電車移動が中心で、駅から目的地まで歩くのは当然として、乗り換えでだって駅で結構な距離を歩かされるから日常生活で結構歩くのだ。通勤通学するだけで2キロや3キロ歩いている人はザラではないだろうか。

その上、街は歩いて回遊するように出来ているから、散歩すると楽しい。私も東京に暮らしていたとき随分散歩が好きだった。道すがらいろんなお店を見つけたり、史跡に出会ったりするのがとても楽しかった。今でも散歩は好きである。でも、やっぱり田舎だと車移動が中心になる。これはしょうがないことだとは思う。

でも街のどこかに「歩いて巡る場所」がなければ、その街は衰退していかざるをえないように感じている。歩くことと文化・経済の発展とは、意外に大きな関連があると思うからだ。

東京で街中を散歩すれば、楽しいがやっぱり疲れる。歩くのは結構な運動だ。そして疲れるから休みたくなる。だからカフェに入って休憩する。そこで見知らぬ人との出会いがあったり、立ち止まって物事を考えたりする。それが人生に新たな展開を生む。それが都市に生きることの醍醐味だと私は思う。歩く、買う、休む、そしてまた歩く、そのリズムが都会の通奏低音になっているような気がする。

車文化の田舎だとそういうことがない。目的地から目的地まで車で行けてしまう。ドアからドアまで歩かないから疲れない。疲れないから休まない。休まないから田舎にカフェは少なく、見知らぬ人々が交錯する場が少ないのかもしれない。

カフェがあるのかどうかと「文化・経済の発展」という大上段の話がどう繋がるのかピンと来ない人のために少し事例を出せば、フランスのサロン(これは正確にはカフェではなく会員制クラブみたいなものであるが)が科学・哲学・文学・音楽といったフランス近代文化を揺籃したことはよく知られているし、イギリスのコーヒーハウスはかつて経済人の交わりの中心的装置であって、世界の保険業界を牛耳るロイズ保険組合を生みだしたほどだ。ロイズは、カフェ店そのものが発展して保険組合にまでなっており、カフェ文化の申し子である。

カフェはただコーヒーや紅茶を飲んで一服入れる場所ではなく、文化や経済の発展に重要な役割を担っているのである。私も年に1回、笠沙美術館を借り切って「海の見える美術館で珈琲を飲む会」というカフェみたいな催しを開催しているが、これは私がコーヒーが大好きというだけでなく、コーヒーを共に楽しむことが誰か(もちろん私含む!)の人生に何か面白い展開をもたらすことを期待している部分もあるのだ。

話を戻すと、歩くことの効用はカフェの存在だけではない。

歩いてどこかへ行くことの最大の利点は、寄り道がしやすいということである(もちろんカフェも寄り道の一種だ)。車やバイクでも寄り道はできる。が、徒歩や自転車での寄り道とは比べるべくもない。寄り道もまた、文化や経済の発展に非常に重要な役割を担っている。特に、文化と寄り道の関係は切っても切れぬものである。

というより、文化そのものが寄り道や回り道みたいなものだ。例えば、茶席でお茶を喫する時、わざわざ茶碗を3度回して正面に向けて飲む。いやそれだけでなく、ただお茶を飲むだけのことに数え切れないくらいの作法と仕草が決められている。めんどくさい作法を決めずにただ飲む方がよほど無駄がないのに、 なぜ小うるさい作法や仕草によって遠回りするのか。

それは、ややこしくしたり、小難しくしたり、遠回りしたりすることこそが文化の本質で、目的に対して合理的なだけの直線的なやり方をするのはむしろ野蛮に近いからであろう。極端に言えば、目的地へ最短で到達するのは(文明的ではあっても)文化的ではなく、目的地へ着くまでに寄り道したり、敢えて遠回りしたりする方が遙かに文化的なのだ。

これは、学問なんかにも当てはまる。効率よく学ぶには公文式のようなやり方が合理的だが、興味関心の赴くままに寄り道しながら非効率的に学ぶ方が、結果的には深い洞察へと到達することが多い。人工知能が今よりずっと発展すれば、単なる学習ということでは人間はコンピュータに太刀打ちすることは出来なくなることは明白だが、それでも(たぶん)コンピュータに「寄り道」はできないということが、ギリギリのところで人間の優位性を確かにするような気がする。

目的地への最短経路を探すのはコンピュータでもできるが、寄り道するのは人間にしかできないのだ。それが、人間らしさの大事なところだと思う。

そういう、理念的な話だけでなく、寄り道には現実的な効用もある。それはスモールビジネスが発展するには、寄り道が必要だということだ。ショッピングセンターとドライブスルーにしか人が行かないような車移動の街では、どうしても新たな客商売の立ち上げというのは難しい。

そういう街では、大通りに面した広い駐車場の入りやすい店でないと成功はおぼつかないが、商売を始める時にいきなりそういう大型投資は難しい。やはり路地裏の5坪くらいの店から始めるのが、スモールビジネスのスタートとしては気が利いている。でも、車社会で寄り道のない街だと、そういう店は成り立っていかないのだ。だから、かなりの程度成功が確約された、無難なチェーン店ばかりの街になってしまう。

もちろんチェーン店が悪いというわけではない。でもそういう店ばかりで、地元の小さな手作りの店が参入していく余地のないような街は、結局街として消費者の地位に甘んじるしかない。都会でつくられたサービスを受け入れるだけの街に。逆に、新たな価値を生みだしていく街になるためには、そこから小さなビジネスが巣立っていく場所にならなければならないと私は思う。

そのために、街の中心部には「歩いて楽しむ通り」があるべきだ。

気軽に寄り道が出来るような「歩いて楽しむ通り」は、街の人々の小さな夢を育てていくゆりかごになる。裏通りのささやかな店が成り立っていく街であるためには、街の中心にそんな通りが絶対必要なのである。

そんな通りを南さつま市にもつくるとしたら、候補地は(前回書いたイケダパン跡地の他に)本町の商店街だろう(通称ゆめぴか通り)。

本町の商店街には既に歩きやすい歩道が設置されており、幸か不幸か空き店舗も多い。私は下水道の敷設には反対だが、この通りをより魅力的にするために再開発するというならば大賛成である。

そして私がこの通りに可能性を感じる最大のポイントは、通りが一直線ではなく微妙にカーブしていることで、実は「歩いて楽しむ通り」の(必須ではないが)かなり重要な要件は、カーブしていて見通しがよすぎないということなのだ。

ところで、歩くことをよく理解しているなと感じるのはイオンのショッピングモールだ。イオンのショッピングモールは、直線的でなくカーブを描いて専門店街が構成されており、非常に歩きやすい。実は徒歩移動は直線が苦手で、ずっと遠くまで見渡せる直線道路というものは歩いていると疲労感があり寄り道もしづらく、それどころが目的地すら「あんなに遠いなら今日はパス」となりがちである。

それが不思議なことに、微妙にカーブしていて目的地が見通せないと結構遠くまで苦もなく歩くことができ、さらに重要なことに、いろんなお店の店構えが自然と目に入ってきて寄り道(つまり衝動買い)を誘うということがある。

そして買い物は結構疲れるので、休憩しようとフードコードに入るとやっぱりここも微妙にカーブしてお店が配置されていて、非常に目移りしやすいようになっている。真四角のスペースに碁盤の目上にお店を配置するほうがよほど合理的であるが、実際にはやや不整形なスペースにやや不規則にお店がある方が人々は移動の苦を感じず、余計な購買を誘うようである。

衝動買い、無駄遣いはよくない、というのは一面のことに過ぎず、商売をやっている人からすればできるだけお客さんには衝動買いや無駄遣いをして欲しいわけだし、このイオンの戦略は(道義的に)悪いものではない。だいたい、必要なものを必要なだけ、最も合理的な方法で手に入れるというだけだったら、もうコンピュータが自動的に生活必需品を発注するような仕組みがそこまで来ているわけで、人間の購買はいらない。むしろ衝動買いや無駄遣いこそ人間らしい消費のあり方だとさえ言えるのである。

また、こういう人間心理を上手く衝いているのが「カルディコーヒーファーム」で、見通しが悪い店内に不整形な棚を配置し、ちょっとカオス気味に商品を陳列させて店内を探索する楽しみを与えているのが上手だと思う。商品はわかりやすく、探しやすくあるべき、というのがかつての小売りの常識だったと思うが、それの真逆を行っているわけだ。

「カルディ」は消費者が求めている商品を提供する店ではなく、消費者が今まで知らなかった(探していない)新しくて面白い商品をどんどん提案する店なのである。同様の手法をとった店として、「ヴィレッジ・ヴァンガード」や(ちょっと違うが)「ドン・キホーテ」を挙げることも出来るだろう。

他にも、東京にかつてあった「松丸本舗(丸善のインショップ)」なんかは、書店であるにもかかわらず、どこに何の本があるかがにわかには分からず、本同士の有機的な連環にそって本が配置されているという革命的な手法が面白かった。この本屋も、四角いスペースに四角い棚という普通の本屋ではなく、回廊的な不整形の棚の配置をしていた。そしてもちろん、この本屋も、「探していた本を見つける」ための場所ではなく(それならもはやAmazonで十分)、ここに来ていなかったら出会わなかったかもしれない一冊と出会うための場所として構想されたのである。

少し事例が煩瑣に過ぎたかもしれないが、クリック一つで欲しいものにアクセス出来る時代になっており、田舎においてもリアルの購買活動の比重は「予期せぬものとの出会い」に移って来つつあるのではないか。その際に求められるのは、碁盤の目上に整然と区画された合理的な空間設計ではなく、ゆるくカーブした道にやや不規則にものが配置されていくという(前時代的なものとされていた!)かつての商店街的な場所なのだ。カーブしているかしていないかなんて些末なことと感じるかもしれないが、土地の構造は人間の心理に意外なほど大きな影響を及ぼしている。

そういう意味で、本町の商店街にはリノベーションのチャンスがあると思っている。適度にカーブして見通しはよくないが閉鎖感はなく開放的な場所。商売のインフラとして、本町の商店街の地相には魅力がある。

地相と言えば、天文館が中央駅前の開発で随分さびれたと言われても、やはり歩いて楽しい街としては中央駅なんかより天文館の方が断然上で、そのことだけでも暫くは天文館は生まれ変わり続けるという確信が持てる。事実、最近天文館はかつてとは違った街としてまた盛り上がって来ているような気がする。

同じように、加世田の本町もこのあたりで生まれ変わってみてはどうだろうか。

※冒頭画像はイオン九州のサイトより拝借しました。

14 件のコメント:

  1. カルディコーヒーファーム へ行くとわくわくしますね。
    好きな店は全部ごちゃごちゃとしてます。 
    カオスですね。 
    イベント会場でも通りごとにお客さんの多い通路は決まって
    出店者がごちゃごちゃと籠やら看板やら、
    はみ出さんばかりにならんでますよね。 
    田舎は寄り道店がないのは確かで、
    歩いて駅まで行こうとすると、
    歩道が整備されてないことに気がつきました。
    片側しか歩道がなかったりで。
    街ですと歩道が整備され、歩いたり自転車で移動するのに
    苦を感じないです。
    そういう意味では、田舎には、個人商店的なお店ができても
    車が基本になるので、面白い町並みはまず作れない。小さい店が集まって
    面白い町になると 必然的に人が寄ってきて、の流れはまず今の田舎ではむりなんでしょうね。
    加世田の商店街も 行きましたが、
    わくわく感はなかったです。
    若い人のお店がどんどん作られることが活性化してきた証拠になると思うので、
    若い人がお店作り出来ない町はきっとだめなんだと思ったりです。。。
    わくわくする街並み加世田の商店街は作りやすいとは思います。
    が、しかし加世田は結構堅実な土地柄なので、よそ者は商売しずらいとった話はよく聞きますよ。
    地元の人は地元の顔見知りでしか買わないって。
    結構鹿児島のあるあるみたいな感じで。
    そういう面も活性化しずらい原因なのかもとおもったりもします。

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    1. コメントありがとうございます。
      「若い人がお店作り出来ない町はきっとだめなんだ」というのは全く同意です。そこから新しい物語が生まれてくる街でないと、結局未来はないのだと思います。
      それから、商業地としての加世田の難しさですが、「堅実な土地柄」というのは実際どうかわかりませんが、少なくとも空き店舗が多い割には地価がまだ高いということがよく言われますね。要するに地主さんがお金に困っていないので、土地の値下がりが起こってないようです。「地元の人は地元の顔見知りでしか買わない」というのも、もしかしたら高齢の方にはあるかもしれませんね。でも逆に言えば、顔見知りになっちゃえば(多少高かったりしても)買ってくれるということでもありますね。加世田が若い人が夢を実現できるフィールドになることを願っています。

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  2. こんにちは。追記になりますが、 1度考えたことがあるのですが、
    顔見知りになるまで、待てるのか? ということです。
    そこまで待つ間に 力尽きる町ではだめだということ。

    地域にもよりますが、
    新しい店や人から物を買ってあげる応援してくれる町もあります。
    又、新しい人やよそ者にびっくりしない、ウエルカムな土地柄も。
    鹿屋、枕崎、金峰などはそんな空気を感じます。

    そういった意味では、遊びに行くのも、仕事に行くのも 
    楽しいですよね。
    真逆だとやはり買い物でも、ドライブがてらでも足を運びにくいです。
    そういう意味では加世田は少しもったいない気がします。

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    1. 加世田の人も相当新しもの好きなところはあると思いますよ。すき屋が出来た時に行列ができたのにはビックリしました。最近、大浦や笠沙の方から若い人が加世田に引っ越して行っているので、加世田の守旧的なムードは変わっていくのではないかと思います。加世田というと、何だか賞味期限が過ぎた街みたいな感じがあるのかもしれませんが、まだまだこれから発展していってほしいですね。その意味では、「遊びに行くのも、仕事にいくのも楽しい街」でないといけませんね!

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  3. 長い直線を歩くと疲れを感じるのは確かにそうだなぁと感じます。微妙なカーブによる見通せない通りの利点がシュッピングモールにあったとは気付きませんでした!残念ながら加世田方面は交通の面で不利なのは明白で鉄道が通ってないのが商業が盛んな土地との大きな差であり仕方がない部分が大きいと感じます。商店街にあえて出店する程、日常に人通りは少なく車移動の田舎では道路沿いの店舗が目に付き有利に感じます。池田パン跡地にシュッピングモール的な物を作るのは大賛成です。築地みたいに数年ごとに入れ替える様な制度にして開業したい若い人を格安で店舗を貸し出して新しい風を呼び込めるような場所にしてはどうでしょうか?その横に子供たちが遊べるような公園と休息出来る様なスペースを作れば人が集まる場所になり得る様な気がします。下水道は採算が合わない処か必要性がいまいち分からず首を傾げてしまいますね(-.-)
    どちらにしろ水道管の耐久年数が終わりに迫っていてどうせ直すなら新しく作り替えようという話から出た話なんじゃないですかね?馬鹿げた話です。
    よそ者に冷たいのは日常に地域の違う人達と交流する機会が無く近くの狭い限られた空間で済ませる事が多いからだと思います。保守的な地域で抵抗する人達が多いと思いますが、多様性な理解が進めば意外と懐が深い人達であるとも思うのでその変の問題はクリア出来る様な気がします。

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    1. ニャン吉さん、コメントありがとうございます。
      「開業したい若い人を格安で店舗を貸し出して新しい風を呼び込めるような場所にしてはどうでしょうか?」まさにこういうことが必要だと思います。狭小店舗でもいいので、センスのよい風貌の建物にして、若い人のやる気を形に出来るようなフィールドがあったら最高ですね!
      下水道については、詳しくは私も知らないのですが、経緯としてはやはり公共事業的側面が強いようです。それ自体はいいと思うんですけど、どうせやるならもっと夢のある開発とセットにして欲しいですね!
      私は、ある意味ヨソ者なんですが、誰にでも馴れ馴れしくしているからか、あんまり冷たい仕打ちを受けたことはありません。でも閉鎖的なところは確かにあると思います。関係者のみで仕組みができあがってしまっているようなことが多々ありますね。でもおっしゃるように、つきあってみれば意外にオープンなところもあるので、これから変わって行くと信じています!

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  4. コメントありがとうございます! 
    馴れ馴れしいくらいが重要で田舎だからアットホーム的な人が多い訳ではなくて、他者への風当たりは強く周りの目を気にして本音で意見を交わすのが下手な人達だという弱点がある感じですね。
    これは環境から作られた部分が大きいので、よそ者とされる人達との付き合いが増えれば自然と解消される事と思います。ショッピングモールはチェーン店が入っている様な在り来たりな物じゃなくて個性的な個人で営んでるショップの集まる形が魅力的で良いと思います。
    チェーン店は客の飽きが早く、ショッピングモールは意外と閉鎖に追い込まれる所も多いです。
    近場で言えば川辺のAZが量販店としては一通り揃う大きな店があるので、物だけじゃなくワクワク出来る空間を作る事が一番大事で、色々なイベント事が小規模でも出来るようになると面白いと思います。
    フリーマーケットでも落語でも新進気鋭のロックバンドのコンサートでも何でも良いから知恵を出し合って柔軟に対応出来るスペースが在れば新しい風は自然と吹き込んで来て今まで見向きもしなかった人達も呼び込み発展するでしょう。
    風狂さんの作られる農作物もスペースを借りて簡易的なカフェ的なのか屋台的なものかは分かりませんがワンコイン500円くらいでスペースを借りて季節ごとに旬の農作物を調理して振る舞える様になれば、趣味程度で作られた多種多様な珍しい物も注目される事間違いないです!とりあえず色々なアイデアを形に出来る場所が欲しいですね!

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    1. ニャン吉さん、おっしゃること全て、もっともですね! 私もショッピングモールには学ぶべきところがあるとは思いますが、加世田にありきたりのショッピングモールは必要ないと思います。それよりも、おっしゃるような小規模で個人の自由度がきくテナントや、ちょっとしたイベントができる「場」があるといいなと思います。田舎の人にはアイデアがないとか、意欲がないとかめちゃくちゃ言われるんですけど、本当は「場」がないだけなんじゃないかと思います。私が本当にやりたいのは、実はその「場」づくりなのかもしれません!(農業は本当にやりたいことと違うという意味じゃないですよ!)

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  5. 風狂さんのような方に賛同して頂けるとは嬉しい限りです(-.-)
    池田パン跡地も手付かずで無駄に固定資産税を払い続けている状態でしたら一度このような構想を提案して話せば快く快諾してくれる様な気もしますがどうなんでしょうかね?以前書かれていましたがアウトレット的な店舗を出店されていたり、加世田には思い入れも伺えるので、当時の経営者が健在で居られたら加世田の文化、経済発展の為に人肌脱いでくれそうな気がします。市民が主役で運営される自由な空間を作って欲しいですね!ストリートミュージシャンやストリートダンサー、自作のアートな作品を展示表現出来ない人達やマイナーだが素晴らしい趣味特技を持っている人など自己表現する場所が無く燻っている人々を呼び寄せて文化芸術を育む町として確立された暁には鹿児島市内から加世田方面に人が流れる様な逆行する現象が起こる事もあるでしょう!

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    1. イケダパンの方は以前から市の方に購入してもらいたいという意向はあったんじゃないですかね。というか、跡地にある倉庫は今も市が借りていて、竹田神社の六月灯の灯ろうを保管していて、実際上市役所が使っていますからね。問題は市役所側なのですが、実は私は既に何度かイケダパン跡地の有効活用は市役所に提案したことがあります! が、なんだかダメみたいですね。なんででしょうね。おっしゃるように、加世田にステキな「場」ができたら鹿児島市からも人が来ると思うんですけどね!

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  6. そうなんですか。倉庫じゃなく有効活用して欲しいものです!思い出したのですが風狂さんは三遊亭歌之助という鹿児島出身の落語家はご存知ですか?もしご存知なければ是非聞いてみて下さい!落語の面白さが全く分からない自分でも面白いと思います。YouTubeの動画も在りますがラジオ感覚で音声のみで聞くのが一番楽しめます!CDも出てますので図書館に置いて在れば借りて聞いてみて下さい!置いて無ければTSUTAYAで在庫があれば貸し出し出来るかも知れません。

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    1. もちろん知ってますよ! 面白いですよね。落語は歌之介以外も面白いですよ。桂米朝とか好きです。

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  7. ニャン吉さん、風狂さんのご意見 とっても感慨深く 地域再生や活性化のおはなしとして勉強になりました。 加世田が南薩の中心地になってゆくときっと楽しいのだろうなと考える次第でした(^^)

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    1. コメントありがとうございます。加世田にはもっと発展して行ってほしいですね! 私も勝手連ながらまだまだ考えてみたいと思います。

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