2012年12月26日水曜日

隼人の南洋的神話=海幸・山幸——南薩と神話(4)

黒瀬海岸(撮影:向江新一さん)
南さつま市笠沙に「黒瀬海岸」という海岸があり、ここは一風変わった伝説を持つ。

なんでも、天孫ニニギは高千穂峰に降臨した後、舟で南下し、たどり着いたのがここ黒瀬海岸だということで、うら寂しい漁港に神代聖蹟「瓊瓊杵尊御上陸之地」という仰々しい石碑も建っている。またこの故事に因み、ここは別名「神渡海岸」ともいう。

正統派の記紀神話では舟で南下したというエピソードはないわけで、これはローカルな神話なのだが、だからこそ面白い。というのも、神さまが海の向こうからやってくる、という神話はポリネシアなど南洋の神話に多く、古代の隼人たちの海人的性格を示唆しているように思われるからだ(ちなみに遊牧民系だと、神さまは天から降りてくる場合が多い)。

ニニギの息子たちの海幸彦・山幸彦の神話は、そういう海人たる隼人が記紀へ持ち込んだ神話だろう。話の筋はこうである。山幸は海幸に「仕事道具を交換しよう」と持ちかけ釣針を借りるが、海に釣針を落としてしまう。その弁償に1000個の釣針を新たに作ったが海幸は「元の釣針を返せ」と納得しない。山幸が途方に暮れていると、塩椎神(シオツチのカミ)が来て「この”間なし勝間の小舟”に乗ってワタツミ(海神)の宮へ行きなさい」と言う。その通りにいくと海神の宮に着き、そこで出会った海神の娘、豊玉姫と結ばれ3年を過ごす。

そして山幸はふと海幸とのケンカを思い出し、海神に相談すると、海神はいろいろな魚を集めて釣針の行方を問う。そこで鯛の喉に例の釣針が引っかかっていることが判明。山幸は海神から「塩盈珠(しおみつたま)」「塩乾珠(しおふるたま)」という水を自在に操る宝物をもらい、釣針とともに帰還。この道具を使い海幸を懲らしめ、その結果海幸は山幸に服従を誓って物語が終わる。

この神話は南薩に残る神話でも最も中心的、かつローカル性が確実なものだろう。例えば、金峰町の双子池はコノハナサクヤ姫が海幸たち兄弟を産んだところというし、笠沙町の仁王崎は「二王の崎」の意であって、海幸山幸が兄弟ゲンカをしたところという。また枕崎は山幸が”間なし勝間の小舟”に乗って最初に付いた場所といい、枕崎の旧名「鹿篭(かご)」はこれに由来するという。ついでに、指宿には「指宿のたまて箱」の由来でもある竜宮伝説が伝えられているが、竜宮伝説=浦島太郎物語は海幸・山幸の神話の変形なのだろうと考える人もいる。もちろん海幸・山幸の神話は南薩だけに伝えられているものではなく、安曇氏の海神信仰も混淆しているようだが、物語の原型は隼人たちのものだっただろう。

ところで、海幸山幸の話は神話学的には「釣針喪失譚」と呼ばれ、南洋に多く分布しており、特にミクロネシアのパラオ島、インドネシアのケイ諸島、スラウェシ島にはこれと酷似した神話がある。どうも、隼人族はこうした南洋系の人々と近い関係にあったようだ。

ちなみに、前の記事で紹介した「天皇が短命なのは醜いイワナガ姫を拒否したため」という神話も、類似のそれがインドネシアからニューギニアの南洋に分布しており、中でもスラウェシ島のある部族が伝えている神話とは非常に共通点が多い。

このような事実から推測すると、隼人たちは黒潮に乗って南洋から来たか、あるいは南洋の人々と共通の祖先を持つ人々だったのだろう。事実、金峰町の高橋貝塚からは南洋でしか採れないゴホウラという貝の腕輪の半加工品が日本で唯一発見されているし、吹上浜の伝統的な漁具のカタギテゴという魚籠(びく)は日本では南九州にしか存在しないが、東南アジアには広く分布している。

ぼくの鹿児島案内。』の著者、岡本 仁さんは「鹿児島は東南アジアの最北端と言っているが、これは案外的外れではなく、鹿児島は文化的には東南アジアと共通項が多いのである。

それはさておき、神話に話を戻すと、この山幸彦が天皇家の祖先であり、海幸彦が隼人阿多の君の祖先ということになっている。つまり、阿多隼人は天孫から分かれた天皇家の親戚ということになっているのである。記紀神話は各氏族の天皇家との関係を示す寓話という側面があるので、天皇家と親戚ということ自体は特筆大書すべきものではないが、天孫から分かれた子孫という設定は格が高いので、隼人たちの朝廷における重要性を示しているとも考えられる。

ただし、正統派の記紀神話解釈では、この神話は、隼人の祖(海幸)が天皇家(山幸)に服属を誓うということで、隼人族が朝廷に服属すべき由来を説明したものとされている。南薩の神話の中心である海幸・山幸の神話が、朝廷への服属の神話にさせられているというのも、なんとも皮肉なものだ。そもそも、海に生きる海幸彦が、海神を味方につけた山幸彦にやっつけられるという話自体、皮肉な展開なのだけれど。

【参考文献】
『日本神話の源流』1975年、吉田敦彦
『海の古代史 ー東アジア地中海考ー』2002年、千田 稔 編著
『古事記』1963年、倉野憲司 校注

2 件のコメント:

  1. はじめまして、とても参考になるお話を拝見させてもらいました。
    インドネシアのケイ諸島の神話だと、釣針喪失譚はもともと魚が泳ぐ雲海で釣りをする天神たちの話で、
    三男パルパラが長男ヒアンに復讐する場面では、寝ている長男の上に酒をおき、起きた時に酒をこぼさせるわけですが、
    あわてて長男がこぼれた酒を集めようと雲を掻いたときに地上が見えたので、
    いろいろ調べた結果よさそうな所なので、兄妹たちが地上に降臨して民族の祖先となったという話です。

    このように、天から祖が降臨する神話は遊牧民だけでなく、海洋民にもよく見られる神話なので、
    記紀や新撰姓氏録などで隼人が天孫氏族にされているのは設定や服属の都合というより、もともと隼人も天孫降臨神話を持っていたんじゃないかなと思います。

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    1. コメントありがとうございます。

      お詳しいですねー。びっくりいたしました。天孫降臨が遊牧民だけのものではないという話、ごもっともです。大まかな傾向があるというだけで、カッチリと分けられるものではないですね。

      なお、隼人が天孫氏族にされている理由は、私自身は大和朝廷の最初期は、畿内勢力と隼人勢力の連合政権であったためなのではないかと考えています。それが、次第に違いの利害が対立してそういう関係が解消され、結果的に隼人の反乱にまで繋がっていき、神話の解釈が隼人=服属民というように変化していったのではないかなと思っています。まあ、こういうのは考古学というよりロマンの世界ですから、言うだけならなんとでも言えますけどね…。

      そして、隼人自身も天孫降臨説話を持っていたのではないかという指摘もなかなか面白いですね。大変勉強になりました。ありがとうございました。

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