2012年5月30日水曜日

洋画家・佳月 優さんに会う。

ギャラリー併設のサロンスペース
母校(東工大)の同窓会活動で知り合ったAさんから、日置市吹上町で自身のアトリエと「Gallery 野月舎(やがっしゃ)」を営んでいる洋画家の佳月 優さんをご紹介いただいた。

Gallery 野月舎(とアトリエ)は昭和60年に廃校になった野首小学校の校舎が利用されており、まるで時間が止まったような古い木造校舎が郷愁を誘う。ちなみにこの校舎、保存状態が元々よかったのではない。ギャラリーになる前は電子部品の会社がここを工場として利用していたためいろいろな手が入っていた上、廃屋同然になっていたという。それを、佳月さんが様々な人の協力を借りながら元来の姿に近づけ、魅力を引き出したのである。画家が廃校をギャラリーとして甦らせるというこの稀有な取組は、鹿児島県で唯一、文部科学省による「廃校リニューアル50選」に選ばれている。ともかく、ここは一見しただけで心臓を射貫かれるような素敵な場所だ。

佳月さんは、私とは初対面であるにもかかわらず、率直に、温和に、さまざまなことを語ってくれた。地域のこと、この校舎のこと、人との出会いのこと…。まるで、人の世の有様を静かに描いてくれるかのように。その話は非常に勉強になったのだけど、その話の内容をここに書くのは辞めておこうと思う。また、佳月さんについての下手な紹介もしないでおきたい。ちょっとWEBを検索すれば、こんな田舎で一人静かに絵を描いているのが不思議なほどの画才の人だということが分かるだろう。

そして、直接詳しくは伺わなかったのだけれど、2006年に日展会員・審査員等の要職を辞し、無位無冠で活動されていると聞き、不遜ながら、官僚を辞めて南薩に移住してきた自分と重ね合わせた次第である。もちろん、キャリア官僚を辞める人間は多いが、日展の会員を辞める人間などほとんどいない。重ね合わせるのはおこがましいだろう。

しかし、当たり前のことを当たり前にやるという単純なことが、組織の枠の中で生きていると難しくなることがある。私の知る若手官僚の多くは、日本を変えたいという夢を持ち、能力もやる気もある素晴らしい人達だ。だが、組織の中で生きるうち、組織の限界を知り、人間関係に絡め取られ、個人の頑張りでは解決不能な問題に直面する。そして、自分の力ではどうしようもないのさ、とすら思わなくなり、組織の歯車になってゆくのが悲しい現実である。

さすがに、画家の世界にはこんなことはないだろうが、組織に依って生きるということに関しては、画家も官僚も似たような悩みを抱えているのかもしれない、と勝手に想像した次第である。もしかしたら、全然違うかもしれないが…。

それはさておき、吹上町の野首という辺鄙なところに、世にも素敵なギャラリーがあるということは、地域の人間としてもっと誇ってもよいと思う。「それより、コンビニやスーパーが欲しいなあ」というのは田舎に住んでいる人間としては切実な願いではあるが、世界的に見れば、こんなギャラリーが身近にある方が、よほど贅沢なのである

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