2015年6月30日火曜日

子どもを増やす過激なアイデア:南さつま市まち・ひと・しごと創生総合戦略へ向けて(その1)

今、南さつま市では(というかどこの市町村でも)「まち・ひと・しごと創生総合戦略」というのの策定作業を行っている。

私は地域審議会(年に2回開催されて市政に意見をいう会議)の委員をやっているので、何かよいアイデアや提案があればくださいという連絡がきた。私はいわゆるアイデアマンではなく、面白味のないことしか思いつけないが、せっかくの機会なので真面目に考えたいと思う。

まず、大前提となる人口減少への対応から。

国の施策では「東京への人口の一極集中」への対応が喧しく言われていて、要するに東京から地方へ移住する人を増やしましょうという方向性のようだ。だが地方同士が移住先として競争するとなれば限られたパイの奪い合いでしかなく、おそらく移住者へのサービス合戦(移住したら○百万円もらえるとか)になってしまう。それに日本全体で人口減少しているのだから、仮に人口の一極集中が是正されても国全体でみたら人口減少の問題は解決されない。

だからまずは地域の自生的人口増加を図るべきである。つまり少子化対策に力を入れなくてはならない。それも、かなり思いきった施策によって目に見える成果を出すことが必要だ。

例えば、子どもが3人いたら生活費の心配はしなくてもよい、というくらいの制度はできないものか。今のこども手当は、3歳未満15,000円/月、未就学児10,000円/月なので、1歳、3歳、5歳の3人の子どもがいれば年間30万円の補助になる。これを5倍にして、年間150万円が支給されることにすれば田舎ではそれだけでなんとか暮らしていける収入になる。こんな制度があれば今2人の子どもがいる人は3人目を作りやすくなるし、子育て世帯が移住してくる数も増えると思う。政策効果は覿面のハズだ。

一方、子どもの数に比例して補助がもらえる方式だと、より多く子どもを作るインセンティブは実は弱いので、1世帯あたりの子どもの数を増やすという明確な目標があるなら、例えば3人以上の子どもがいる家庭を優遇するような政策(急に補助金の額が上がるとか)をすることも有効かもしれない。

どこにそんな財源があるんだ? と思うかもしれないが、南さつま市の世帯数が約16,000で、6歳未満の子どもがいる世帯数が約1200なので(参考:南さつま市次世代育成支援行動計画【後期計画】)、子どもが2人以上いる世帯数は多分1000はないと思う。これが3人以上だときっと500以下になる。500世帯に150万円配ると7億5000万円。南さつま市の年間予算はだいたい500億円。決して捻出不可能な額ではない。幼児の人口が一人増えると地方交付税交付金がだいたい50万円くらい増えるので(※1)、その意味でも子どもを増やす政策には予算を組みやすいと思う。

もちろん、子育てしやすい環境の整備も必要だ。

私自身小さい子ども2人を抱えているわけだが、ちょっとびっくりするのは保育園に対する市の対応。保育園は基本的に「保育に欠ける子」つまり親が就労などの事情で子どもの面倒を見られない子どもが利用できる施設なので、第2子が誕生した場合に第1子が保育園から追い出される(あるいは第2子が相当小さいうちから保育園に入学させられる)ことが全国的に見られる。つまり、母親が赤ちゃんの面倒をみているならお兄ちゃん・お姉ちゃんの面倒も見られるでしょ? 保育園に入れなくてもよいでしょ? という論理で、確かに待機児童などの問題が逼迫している都市部の場合、これは多少冷淡だが理解できる。

しかしそもそも定員に達していないような保育園が多い田舎で、このような杓子定規なやり方をやるのはおかしい。

一方で、保育園が法律上「保育に欠ける子」に対して法律で位置づけられている以上、行政としてはそのような指導を取らざるを得ないのも理解できる。そこでオススメしたいのが認定こども園制度の活用である。

認定こども園は、いわゆる幼保連携の議論の中で生まれたもので、要するに「幼稚園と保育園のいいところをあわせた制度」である。ただ導入から数年経っても思うように認定こども園は増えていない。その理由は、(幼稚園を主管する)文科省と(保育園の)厚労省の連携不足などによって会計や事務が面倒であり、また支援が十分でないなど、要するに施設側にとってやりやすいものになっていないことにあるようである(※2)。

しかしこの制度は利用者側にはとても評判がよい。これまでの保育園は「共働きでないと利用できない」ものだったし、幼稚園は「午後2時以降の子どもの面倒を見なくてはならない」ものだった(もちろん延長保育の制度もあるが)。それがこの制度によって親の就労状態にかかわらず夕方まで子どもを預かってくれるのだから有り難いのは当然だ。

よって、南さつま市でも公立の幼保施設が認定こども園を目指すのはもちろん、既存の私立保育園・幼稚園も認定こども園となるよう政策的に支援していくのがよいと思う。例えば5年後には全ての保育園・幼稚園が認定こども園になるような目標を作って、行政が事務支援などを行い制度導入に力を合わせたらどうだろうか。

子ども3人いれば生活ができ、さらに市内には認定こども園が充実となれば、出生数の増加と子育て世帯の転入は確実だと思う。


(つづく)

※1 地方交付税交付金は、「基準財政需要額」というものに基づいて交付されていて、これは人口や面積などさまざまな要因で構成されるが、これの単位費用を単純に足しあわせると幼児の場合50万円くらいになる。ただ専門家ではないので間違っている可能性もあります。

※2 本来は幼稚園・保育園という縦割り行政の象徴みたいな2種類の施設ではなく、それらを一度解体して「こども園」という簡明な制度にするべきだったものが、両省の既存の制度と整合するのが困難だったために、いわば2階建て部分としての「認定こども園」制度を作ったことに失敗の原因があると思う。

【2015.7.2アップデート】タイトルを改めました。 「南さつま市まち・ひと・しごと創生総合戦略へ向けて(その1)」→(その2)→(その3)と続くとわかりにくかったので。

2015年6月27日土曜日

かぼちゃは何のために実るのか

かぼちゃは、何のために実るのだろうか?

次世代を残すためでしょ? と思うかもしれないが、ちょっと他の植物のことを考えてみよう。植物が実るのは何のためなのか。

例えばイモ類。イモ類が土の中に丸いイモを作るのは、数ヶ月後の次のシーズンまで生き残るためのタイムカプセルのようなものである。

例えば果樹類。多くの果樹は元々は鳥や動物に食べられてフンとして排出してもらうためで、自分では移動できない植物の移動手段になっている。

もちろんこのように単純には分からない植物も多い。人間が植物を栽培し始めてから約1万年も経っているので野生の形質がほとんど残っていない植物もある。例えばトウガラシなんかは何のために実るのか私にもよくわからない。あれを食べる動物はいないと思うが…。

で、かぼちゃである。かぼちゃの実は何のために成るんだろうか? 正確に言えば、かぼちゃの原種はどのような生存戦略の下で実をならせていたのだろうか?

かぼちゃが栽培植物化されたのはメソアメリカ(メキシコあたり)で、約1万年も前のことである。実はかぼちゃは最古期から栽培されている植物の一つなのだ。

この頃のかぼちゃ原種(正確にはペポカボチャの原種)の果肉は食べられなかったらしい。では何のためにこれを古代人は育てたのかというと、かぼちゃの種を食べていたのだ。そう、かぼちゃは元々種を食べる野菜だった。それから果皮を乾燥させて容れ物にしていた。今で言う瓢箪みたいなものらしい。オルメカ文明やアステカ文明の遺物には、かぼちゃ型の土器や石器が存在するが、これはかぼちゃを容れ物に使っていたことの象徴である。

話を戻すと、要するに、元々かぼちゃというのは果肉は食べられないものだった。

で、ここからは私の推測なのだが、かぼちゃの実は動物に食べられるためではなく、種が発芽する際の栄養パックとして存在したのではないだろうか。つまりかぼちゃの果肉は「肥料」だということだ。

実はかぼちゃというのは大変に肥料分を必要とする。普通の野菜というのは、最初はちょっと痩せたところで発芽させて徐々に追肥していく方が調子がいいように思うのだが、かぼちゃの場合はたくさんの元肥(特に有機質肥料)をあげて肥満気味に育てるのがよいようである。これは野生の頃から変わっていない性質なのかもしれず、そのために肥料分がぎっしり詰まった果肉が存在したのだろう。

つまり、かぼちゃの果肉は腐って肥料になるために存在しており、元々(動物にも!)食べられるものではなかったのかもしれないということだ。そういえばかぼちゃ類は腐ると悪臭を放ち、大抵の動物は寄りつかないがこれは種を食害から保護するための策なのかもしれない。

いつの頃にかぼちゃの果肉が美味しくなるという突然変異が起こったのかはよくわからない。かぼちゃの系統関係というのも、意外と錯綜としていて不明である。日本ではかぼちゃは「西洋カボチャ」「日本カボチャ」「ペポカボチャ」の3つに大きく分かれると書いている資料が多いがこれは日本独自の分類(!)で、英語資料ではこういう分類は見たことがない。

といっても英語圏でも系統的にかぼちゃが分類されているわけではなく、古い古い栽培植物だからその遺伝関係はもうわけがわらからなくなっているのかもしれない。ただ慣用的には、summer squash, winter squash の大きく2つに分けて認識されており、日本で言うセイヨウカボチャは winter squash の acorn squash に当たるようである(これは誰も言っていないようなので間違いかもしれませんが)。

こんな風に、「かぼちゃは何のために実るのか」などということを考えても農業そのものにはあまり役に立たないが、農作業をしながらこういう無駄なことを考えるというのも農業の醍醐味かもしれない。

※冒頭画像はこちらのサイトからお借りしました。→ The Olmec Effigy Vessels

【参考文献】
"The Initial Domestication of Cucurbita pepo in the Americas 10,000 Years Ago" 1997 Bruce D. Smith

2015年6月19日金曜日

子どもへ読み聞かせる日本の昔話

本と出会うイベント、の構想を書いたので本の話もしてみよう。

毎晩、私は子どもたちに本を読んであげる。下の子はまだ2歳なのでごく簡単な絵本だが、上の子は5歳なので絵本だけでなく文字だけの本も読み聞かせしている。別に子どもの教育のためにということではなくて、寝る前の儀式みたいなもので読むのはなんでもいいのだが、どうせ読むなら自分自身が面白い方がよい。

それで、日本の昔話を一度ちゃんと読んでみたいと思っていたので、昨年『日本の昔話1 はなさかじい』という本を買った。おざわとしお先生の再話である。

多くの昔話の本がある中でこの本を選んだのにはいくつか理由がある。

まず、このシリーズは伝承された話を忠実に再現(再話といいます)していて創作や脚色がない。他のお手軽な日本昔話本は話を簡略化していたり、当時の道具を(子どもには理解できないといって)出さなかったり、現代の倫理観から結末が変わるなどヘンテコな改変があってよくない。その点このシリーズは採録された話をそのままの形で提示しようとしており、ちゃんと出典が明示されていて信用できる(ただし採録されたそのままの姿ではなく、標準語に改変している。昔話はずっとお国言葉・方言で語られてきた)。

ただ、やっぱり子どもにはちょっと難しい言葉も出てくる。一番難しいのは昔の道具の名前で、「長持」とか「かます(ムシロで作った袋)」なんかは今の子どもは絶対に分からない。が、そういう言葉が出てきても子どもは驚異的な言語感覚によって「なんか入れるための道具だな」くらいのことはちゃーんと推測できるので、実は読み聞かせにはあまり支障はない。

そしてこの本を選んだ理由のその2は、再話しているおざわとしお(小澤俊夫)さんである。実は私はこの小澤先生がFM福岡でやっているラジオ「昔話へのご招待」をPodcastで愛聴していて、農作業中によく聞いているのだ。

小澤先生は元は大学教授でドイツ文学が専門。メルヒェンなどドイツの口承文学を研究するうち昔話に魅せられ日本の昔話も採録・研究するようになった。大学退官後、全国で「昔ばなし大学」という市民講座的なものを立ち上げ、小澤昔ばなし研究所を主宰。民俗学的な考察など学究的アプローチもある一方で、子どもへ昔話を語る活動もあり、アカデミアと草の根の両輪で活躍されている方である。

ちなみに小澤先生の弟が有名な指揮者の小澤征爾さんであり、息子さんはミュージシャンの小澤健二さん。他にも小澤一族には学術と芸術の分野で著名な人がたくさんいる。

ラジオではこの小澤先生が昔話にまつわるアレコレを語るわけだが、その内容は雑学的なものというよりも、究極的には「子どもにどう向き合うか」という話になっていく。その語り口は、「この人は本当に子どもが好きで、子どもが成長していくことに全幅の信頼を置いているんだなあ」と思わされるもので、それだけでこのラジオは気持ちがいい。

翻って自分のことを考えてみると、子どもをぞんざいに扱っている時もあり反省させられる。だからせめて寝る前の読み聞かせくらい毎日欠かさずしたいと思う。このシリーズは5巻で300の話が再話されていて、今のところ2巻の『したきりすずめ』までほぼ全部の話を一度は読んだが、本当に毎日読んでいたら300の話があと2年くらいで全部読めそうである(でも実際には毎日というわけではないです)。

ところで先日ブックオフに行ったら『初版グリム童話集 ベストセレクション』という本が200円で売っていたので買ってみた。小澤先生が昔話の世界に入るきっかけとなったグリム童話である。ついでに言えば、「元の話を改変しない。脚色しない。そのままの形で採録する」というような本シリーズの方針は、実は既にグリム兄弟が打ち出していたもので、グリム兄弟はちゃんと出典(どこどこ地方の誰さんにいつ聞いた話か)まで残している。グリム兄弟はものすごく先駆的な仕事をした人たちなんだということも小澤先生のラジオで知った。

それはともかく、やはりまだグリム童話はうちの子には難しかったようである。日本語訳もあまりよくなく、もうちょっと平明な訳の方がよかった(童話なんだから平明に訳して欲しい)。それに文化の違いなのか、なんだかストーリーがしっくりこないところがあって、私にも意味がよくわからない話があった(なんでそこがそうなるのー! とツッコミを入れたいような話が多い)。

というわけで、まずはやっぱり日本の昔話から読み聞かせを続けたい。

2015年6月15日月曜日

景色の中で本と出会うイベントをやったら楽しそう

こちらに越してきて3年と半年。ようやく本を読む余裕が出てきた。

いや、実を言うと相変わらず生活には余裕がない。本なんか読んでる暇があったらやるべきことが本当はたくさんある。が、そういう諸々の些事をうっちゃって本でも読んじゃおうか…、という精神的余裕(横着ともいう)が出てきた。いいことなのか悪いことなのか。

もちろんこの3年半の間も全く読書をしていなかったわけではないけれども、必要だから読む本とか、調べ物をするために読む本が多く、要は目的のある読書がほとんどだった。でも最近、何の役にも立たない本を読む気になってきた。例えば詩集とか。

それで、ただ自分がなんとなく本を読むだけでなくて、本にまつわる何か(イベント?)をできないかと考えるようになった。

都会では本をテーマにしたイベントが割とあって、読書会、ブクブク交換(物々交換のもじりで本の交換)、ビブリオバトル(本のオススメ合戦)といった草の根のイベントから、数年前の話にはなるが松岡正剛氏のブック・パーティ・スパイラル(本をテーマにした講演+社交会)みたいなハイソサイエティの取り組みまで様々なものがある。

でも、当たり前だが田舎にはそういうものがない。田舎の人は都会の人に比べて総じて本を読まないというのは多分本当で、予算が少ないにしても図書館の貧弱さは目を覆うばかりだし(もちろん自治体によります)、書店・古書店も本当に少ない。でも田舎の人が本を読まないというのは知的レベルの問題ではなくて、ただ「電車通勤」がないからだというのが私の仮説である。

当たり前のことだけど、田舎にも読書家はいるし、何かよい本があれば読みたいというくらいに思っている人はたくさんいる、と思う。そして、自分の世界を広げてくれるような本や体験を待っている人もそれなりにいる。少なくとも私自身はそう思っている。私はたいそうな読書家というわけではないし、愛書家でもないけれども、「本と出会う」のは好きである。そういうイベントをしたら自分も楽しいし喜ぶ人もいるかもしれない。

ただ、良書を探すというような単純な話になると、別に田舎とか都会とか関係ないし、インターネット上で探す方が効率がいい。ひょっとすると、Amazonのオススメ機能くらいで事足りるのかもしれない。

つまり、ただ「情報」を目的とするなら「田舎」でやる意味はない。それは都会でやっていることのミニチュア版をやるだけの取り組みになってしまいそうな気がする。

それに価値がないというわけではないだろうが、でもせっかく田舎で何かやるなら、都会ではできないようなことをした方がもっと楽しい。

例えば、本に関するイベントをするのでも、景色の素晴らしいところでやってみるとか。景色と本は全然関係ないでしょ、と思うのは早計だ。本というのはただ情報が詰め込まれた紙の束ではなくて、人格と同じように「本格」がある。その本とどこでどうやって(誰の紹介で!)出会ったのかというのは意外と(どころではなく超弩級に)重要だ。

そう考えると、昨年やった「笠沙美術館で珈琲を飲む会」のvol.2(今年も是非やりたい)のテーマとして「本」を取り上げたら面白いかもしれないと思いついた。実は去年のvol.1の時も、古書店に出張販売してもらう構想はあったのだ。だが、雨天の時の対応が大変なのと直前まで決まらなかったいろいろなことがあってできなかった。

今年はこの構想をもう少しちゃんと考えて、笠沙美術館で珈琲を飲みつつ景色と本を眺める会にしてみよう。日本のコーヒー文化では、「コーヒーと(JAZZと)古本」が分かちがたく結びついているので筋はいいはずである。ついでに、あとJAZZがあれば最高だ。

というわけで、何かボンヤリと企画のアイデアがあるが、でもやっぱりボンヤリとして茫洋としている段階である。もしグッドアイデア(やご希望)があればドシドシお寄せください(他力本願)。

2015年6月12日金曜日

アボカドを植えました。が…

予定していた開墾が「一応」終わってアボカドの苗を植えた。これで約120本アボカドを栽培していることになる。

「一応」というのは、予定地全てを借り受けることが出来なかったからである。もちろん全て内諾は取っていたのだが、いざ契約(使用貸借契約)の段になって、ある地主さんが「やっぱり貸せない」と役場に言ってきたそうだ。

理由は(直接聞いていないので)よく分からないが、「自分も長くないので10年間の契約だとどうなるかわからないから」というようなことだったらしい。「2、3年だったら大丈夫なんだが」とのこと。

こういう、耕作放棄地だったようなところが(仮に管理者が亡くなったとしても)10年そこらでどうこうなるものでもないと思うので(そもそも20年以上耕作放棄地で荒れっぱなしだったのに!)、その理由はいまいちピンと来ないのだが地主さんがそう言ってるんでは手も足もでない。

なので、予定地が500㎡ほど狭くなって、予定した本数を全て植えることができなかった。苗木は既に発注した後だったのでベーコンという品種が8本余ってしまった。うーん、この8本をどうしよう。たぶん定植後に2本くらい枯れるので、2本は予備としても6本余る。1本4200円するので無駄にはできない。

とりあえず暫くはポットで栽培して補植に備えつつ、もし必要な人が近所にいたらお分けすることにしたいと思う。ちなみにこの品種だけで植えてもなかなか実がならないはずなので、もし植えたいという人は受粉樹は自分で用意してください。

2015年6月5日金曜日

「メガ農協」と日本の農協——農協小考(その3)

オレンジジュースで有名な「サンキスト」のブランドを所有する「サンキスト・グローワーズ」は、実は普通の意味での企業ではなく「農協」である。農協が「サンキスト」のような強力なブランドを持っていることは、日本の農協のイメージからはちょっと信じられない。

ヨーロッパにもこういう「メガ農協」はある。例えばオランダの巨大乳業メーカーであるフリースランド・カンピーナ(日本ではフリコチーズで知られる)は、そのものは農協ではないが同名の農協が所有する企業で、10億ユーロ以上の売り上げと2万人の従業員がおり、その農協にはオランダ、ベルギー、デンマークに約2万人の組合員がいる。

ヨーロッパには村落単位の小さな農協もあるが、こうしたメガ農協もたくさんあって、近年は特に国際的な合併が盛んになってきて農協が巨大化・国際化していく傾向があるという。

さて、こうした農協は日本で言うところの「専門農協」であり、例えばサンキストは柑橘専門の農協だし、フリースランド・カンピーナは酪農の農協である。当然、日本の農協のように共済や信用事業(銀行)を兼業しているわけではない。一方日本では、農産物の流通の赤字(あるいは低利益)を金融部門の利益で補填している収益構造があり、それは農産物の流通が利幅の小さい事業であることからやむを得ないことと見なされている。しかし海外の農協では農産物の流通のみで立派に経営が成り立っているのである。どうして海外の農協は農産物の流通のみで利益を出すことができるのだろうか?

既に述べたように、欧州においても農協はその黎明期には金融や肥料の購買、農産物の流通などさまざま事業を兼業する「総合農協」として構想された。「ドイツ農協運動の父」と呼ばれるライファイゼンは、農協の単位をカトリック教会の教区として企画し、農協の根底に信仰の共同体を据えていた。カトリックの教区というのは全員が顔見知りであり、宗教儀礼だけでなく村落生活全般にわたる連帯意識があった。そういうわけだったから、当初借金組合として出発したライファイゼンの農協は、生活協同の組合として農業経営全般へと取り扱いを総合化していく素地があったのである。

ところが、時代が進むにつれドイツの農協の事業は整理され、やがて専門農協へと分化していく。例えば、1960年の時点ではドイツの協同組合銀行(日本でいうJAバンク)が農産物の流通や資材の購買を兼業している割合は76%だったが、2004年にはそれが19%に低下している。

なぜこのように専門へと分化していく動きが起こったのだろうか。実はドイツでも、農産物の流通などより金融部門の方が利益率がよかった、という事情があるようである。ということは、日本と同じく「農産物の流通の赤字を金融部門の利益で補填」というような構造があったのかもしれない。だが農協の合併などを期に、不採算部門をより広域の専門農協に売却するということが相次いで、結果として専門農協化が推し進められたらしい。

考えてみれば、協同組合というものは、利害を共有する人間によって構成されていなければ上手く経営できないものである。畜産農家と野菜農家は、同じ地域に住んでいてもあまり利害を共有しておらず、同じ組織でいるメリットは小さい。それよりも、違う地域でも畜産農家同士、野菜農家同士の方が同じ目標や経営課題を共有し、同じ施設設備を必要とする。だから、「地域に根ざした」組合よりも、業種ごとの組合の方が効率的に経営できるはずだ。そういうことから、ドイツでは村落ごとにあった「総合農協」が解体され、次第に地域を越えた「専門農協」へと整理されてきたのであろう。

そして、専門農協化することにより経営を効率化・高度化して農産物の流通だけで利益を出していくことができるようになったのだと思う。

ではなぜ日本では同じような動きがなかったのだろうか。専門農協化が農協にとっての唯一の冴えたやり方だとも思わないが、専門農協は世界的な主流となっていて日本のような総合農協は日本・韓国・台湾だけのトレンドだ。日本で専門農協へと再編していく動きはどうして存在しなかったのか。

一つは、日本の農業は明治から昭和半ばまでの長い期間、米も作れば野菜もつくる、牛も飼えば茶も育てるといった零細複合経営が主流で作物毎の専門農家があまり存在しなかったということが理由として挙げられる。だがこれはヨーロッパなどでも同じことで、有畜複合経営(家畜、穀物、野菜などを組み合わせる農業)はかつてのヨーロッパ農業の特色でもある。現代のこういう農家はヨーロッパでは複数の専門農協に加入している。だからこれはあまり説得的ではない。

もっと本質的な理由は、日本では農協が「農政の実行機関」と位置づけられて国家によってその形が定められ、自由な経営が行われなかったからである。やや過激な表現を使えば、農協は国家による農村支配の道具だった。このため、かつての全戸加入の強制や、市町村・都道府県・国という行政の3段階に対応した系統3段階制といった世界に類を見ない行政との相即不離の仕組みとなっていた。農村はこうした管理機構を受け入れる代わりに、特に米作において手厚い保護を受けることができたのである。


だが協同組合の本質は組合員の自主・自律性にある。共同組合とは、利用するもの、出資するもの、管理するものが一体であるという、究極の自律的組織である。そしてその根底には、組合員の連帯意識が必要である。かつてそれは村落の仲間だったのかもしれないが、連帯意識の範囲は時代に応じて移っていくものであり、地域が限定されていること自体が協同組合の理念に反すると思う。

日本の農協の歴史を紐解けば、その歴史はほとんど農政史そのものと変わらないものであって、常に上(国家)からの指示によって動かされてきた。そのため、本来は民主的組織であるはずの農協が、今の時代にあっても「組合員の意見を集約して経営する」という形になっておらず、そのための仕組みも未整備なところが多い。そしてそれ以上に、組合員自身が「農協は自分たちが経営するもの」との意識を持っておらず、農協に対して他人事的になってしまっている。

現在の農協改革も、これまでの歴史と全く同じく、上からの指示のみによって動かされている。下(組合員)からの発意がないのだからしょうがない、というのも一理ある。しかしこの調子だと、日本の農協は真の意味での協同組合にならないままではないか。

農家は農協に何を求めるのか。何を提供し何を得るのか。どのような仲間と一緒にやっていくのか。農家は、どのような存在になっていきたいのか。そういった根本を見つめないままに弥縫的に改革をしても絶対にうまくいかない。

もちろん、農協にはこれまで辿ってきた歴史があり、地域単位の総合農協という現状がある。それを無視して、ヨーロッパ流の専門農協に変えようとしてもいきなりは無理だしそれが本当に日本に合っているかもわからない。一度全部壊して新しく造ろうとするやり方もまた危険なものであり、変えられるところから地道に改善していく下からの努力が必要だ。

例えば、部会活動(農協では、果樹部会、園芸部会など部会に分かれて出荷・販促・技術向上などが図られている)をより実質化するような地味なことが、引いては農協の改善に繋がっていくように思う。世界では「メガ農協」が誕生しているからといって日本の農協も徒に大規模化を目指す必要はないし、むしろ部会のような小さな単位に注目することが有益ではないか。組合員が連帯意識をもち、当事者意識を持てる範囲での活動を実質化して、農協本体はそれを支えるインフラ化していくのが一つのあり方ではないかと思う。

【参考文献】
独仏協同組合の組合員制度」2006年、斉藤由理子
Agricultural cooperatives in Europe - main issues and trends" 2010, cogeca
農協のかたち」(農業協同組合新聞の連載記事)2013年、太田原高昭