2012年7月28日土曜日

爽やかな苦み「ゴーヤとキュウリの塩麹入り酢の物」

近年、沖縄料理ブームでゴーヤの消費が首都圏でも伸びていると思うが、都会の方はどうやって食べているのだろうか(ちなみに、ゴーヤは鹿児島ではニガゴイという)。

印象としては、ゴーヤチャンプルの利用が中心で、それ以外の定番レシピは特にないように思う。また、どんな調理法があるのかと思ってクックパッドで調べて見ると約1万ものレシピがあるが、やはり「苦くない」を売りにした料理が多いように見受けられる。ただ、苦いのがいやなら、敢えてゴーヤを食べる必要もなく、他の夏野菜を食べたほうがいいような気もしてきて複雑な気持ちになるところだ。

もちろん、ゴーヤの苦さを強調する料理は論外ではあるが、爽やかな苦みを活かした、素材の味わいを引き出した料理ができれば最高である。家内が作った「ゴーヤとキュウリの塩麹入り酢の物」が、まさにそんな感じの逸品だったのでここでレシピを紹介したい。

●ゴーヤとキュウリの塩麹入り酢の物

<材料>
キュウリ……………1本       合わせ酢…………大さじ4
ゴーヤ………………1本       本だし…………小さじ1/2
塩麹……小さじ山盛り1

<作り方>
(1)ゴーヤとキュウリを薄くスライスしボールに入れる(当然、ゴーヤのワタは取る)。
(2)さらに塩麹を入れて軽く揉み、15分程度休ませる。
(3)水気が出てくるので、絞った後で本だしと合わせ酢で和える。
(4)冷蔵庫で15分程度冷やしたら食べ頃。

これは、とても爽やかな料理で、夏にぴったりの味覚だ。また、苦みが気になる人は、調理法でどうこうするよりも苦みの強くないゴーヤを使うことの方が有効だと思う。うちでは今夏、鹿児島の在来種である「大長れいし」を家庭菜園で育てて使っているが、これは苦みが強くなく生で食べるにはとてもよい品種だ(※)。ただ、スーパー等では、わざわざ品種まで表示されていることはほとんどないが…。

なお、「大長れいし」の特徴は、長細くてひょろっとした形で、あまり緑色が濃くなくてどちらかというと白っぽいということである。ちなみに沖縄のゴーヤは丸っこくて緑色が濃いものが多い(実はこっちも育てている)。緑色が深い方が栄養があるような印象があるが、別に栄養的には変わらないそうだ。


※ 「在来品種は苦みが強い」と説明されることが多いのだが、栽培法などによっても苦みは変わってくるので、一概には言えない。あまり新顔のゴーヤを食べたことがないので、実は新しい品種の方がもっと苦みがないのかもしれないが…。

2012年7月26日木曜日

土壌・肥料と病害診断の基礎知識

先日来の頴娃農業開発総合研修センターでの研修の2回目。今回のテーマは、土壌・肥料と病害診断の基礎知識。今回は、あまりナルホドという話はなかったのだが、例によって備忘としてまとめておこう。

土壌・肥料の基礎知識
(1)養分同士で吸収を阻害したり(拮抗作用)、促進したりする。拮抗作用の方が多いので適正な養分バランスは難しい。
(2)土壌の化学的性質を改善するのは施肥:ちなみに、養分が作物に吸収される程度は土壌のpHによって違うので、土壌を適正なpHに調整することは作物の生育を助けるだけでなく肥料の節約にもなる。
(3)土壌の物理的性質を改善するのは堆肥施用や深耕、排水対策やイネ科緑肥栽培。
(4)土壌の生物的性質を改善するのは堆肥施用。
(5)堆肥の施用はおろそかになりがちだが、確実に収量を上げるので有効。
(6)定期的に土壌診断を受け、客観的に土壌の様態を確認することが重要。

病害診断の基礎知識
(1)病害は急速に進行することはない。毎日圃場を観察し、ちょっとした変化を見逃さなければ早めの対応ができる。
(2)病害が圃場のどこに発生しているのか、どのように広がっているのか、発生起点は茎なのか葉なのか等を観察し、適切な防除法を選択する。
(3)病害の特徴を知り、天候や作物の状態から病害の危険性を予測するとともに、効果的な防除を行うことが重要。
(4)地域振興局でも、連絡をいただければ無料で病害診断をしているので、気軽に連絡してほしい。

今回の研修は、その内容よりも「肥料・土壌改良資材一覧」という資料をもらえたことが意義が深かったような気がする。この資料、27ページにわたって具体的な肥料商品の特徴と含有成分を一覧にしたものでとてもわかりやすく、今後の施肥設計を考える上でも有用なものだと思った。

2012年7月25日水曜日

「タカジビナ」の正体

先日「タカジビナ」を頂いたので、茹でて、そのまま食べた。味付けも何もなく、そのままで美味しい

タカジビナは、鹿児島の海沿いでは昔おやつだったらしく、父や母は子供の頃これを海で獲って、(ご飯時を待たずに)すぐに茹でて食べていたそうだ。たくさん食べるようなものではないけれども、料亭などで前菜として出てくるような上品さと旨味があり、今ではおやつというよりはちょっとした高級食材という感じだろう。

ところで、「タカジビナ」は地方名でこれを検索してもヒットしない。ビナは鹿児島の方言で巻き貝のことだ。ある方に伺うと正式な和名は「サラサバテイラ(更紗馬蹄螺)」というとのこと。この貝はむしろ沖縄での地方名「高瀬貝(タカセガイ)」で浸透しているもの。高瀬貝は貝ボタンの原料としても有名で、また貝自体を磨くことで美しい輝きを持つ工芸品にもなる。

ところがここに一つ問題がある。辞典等では、サラサバテイラは奄美以南の太平洋海域に分布すると書いてあり、鹿児島で獲れるとはどこにも記載がない。タカジビナは、本当にサラサバテイラ=高瀬貝なんだろうか? 大きさも少し違うし、同種ではないのでは?

気になって少し調べて見ると、形態的特徴と生息域から推測するとどうもタカジビナの正体はバテイラのようで、こちらは尻高(シッタカ)という名前で広く流通している。これは北海道南部から九州までの太平洋側に分布するという。ところが、北海道南部から九州までの日本海側では同種の亜種であるオオコシダカガンガラが分布しているらしい。南薩の海岸は大西洋と日本海が出会うところであるために、タカジビナがどちらの種なのか生息域からでは判断がつかないが、たぶんバテイラだろう。あるいは、両者の中間的な存在なのかもしれない。

ともかく、魚介のように生活に密着し、遠方に運ばれない商品は地方だけで流通が完結するため、地方名と一般的な和名がリンクする機会がなく、様々な地方名が並列する場合が多い。それはそれで豊かな文化なのだけれど、そうすると全国的な位置づけがよくわからなくなってしまうという弊害もある。もしタカジビナがバテイラであれば、これは特に地方の特産ということではなくて、本州以南では割とメジャーな魚介類である。

ちなみに、タカジビナは「大浦ふるさと館」でよく売られている。タカジビナは(鹿児島では)自家消費が多くあまり流通していない印象があるのでこれは貴重なのかもしれない。 ご賞味されたい方はおいでになってはいかがだろうか。


【補足】7/26 アップデート
鹿児島でも「タカジビナ」ではなくて、「サンカクビナ」とか「タカジリ」と呼んでいる地方もあるようだ。タカジリ=高尻であって「尻高」を逆にした呼び方だし、どうもタカジビナ=バテイラ=尻髙で間違いなさそうだ。また、「タカジビナ」は多分「タカジリビナ」が約まった言い方なんだろう。

【補足その2】7/28 アップデート
「大浦ふるさと館」で売っている様子を見たら、タカジビナ=ギンタカハマと説明されていた。そして売られている貝は確かにギンタカハマの特徴である。どうも、タカジビナと言われている貝には、バテイラとギンタカハマが混ざっていて、厳密には区別されていないようだ。

加世田鍛冶を受け継ぐ「志耕庵」

南さつま市の加世田麓に、一見蕎麦屋風の「志耕庵」がある。これは実は、蕎麦屋ではなくて加世田鍛冶の工房なのだ。先日ふと入ってお話を伺ったら、その成り立ちが奮っている。

発端は10年ほど前、市役所を定年退職した鮫島健志氏が、加世田鍛冶最後の職人と呼ばれた阿久根丈夫氏に弟子入りをお願いしたこと。加世田鍛冶は約400年前から続く伝統工芸であるが、大量生産品に押され年々職人が減り続け、遂に阿久根氏一人となって伝統の断絶が目前となっていたのであった。伝統が失われてはならないという危機感を抱いた鮫島氏は、自分がそれを引き継ごうとしたのである。

しかし、阿久根氏は最初それを拒絶したという。事務仕事をしていた人間に鍛冶が務まるとは思えないし、定年後の人間に教えてもものになるかわからない、と。それでも鮫島氏は諦めず、阿久根氏の元へ日参し、それに根負けした阿久根氏は「それじゃあ、まず作業場を作れ」と指示、それで出来たのが志耕庵だということだ。

今では、鮫島氏だけでなく加世田鍛冶の伝統を絶やすまいという思いを持った人が阿久根氏に弟子入りし、志耕庵では「鹿児島県指定伝統的工芸品」の証が冠された商品を作るまでになっている。というわけで、家内が小ぶりの包丁(2300円)を早速購入した。

ところで、加世田鍛冶というのは名君 島津日新斎忠良が奨励したといわれ、貧乏武士が多かった加世田周辺で郷士の副業として導入されたものだった。特に家督を継ぐことができない武士の次男三男は農民と変わらない暮らしを余儀なくされたことから、技術職として多くの武士がこれに取り組み、武士の3割が従事していたという記録もある。

加世田鍛冶の特徴は、荒々と鍛え上げられた丈夫な構造で、正直見た目はよくなく優美さはないが、実用的で男性的な魅力がある。ただし、刃物は加世田鍛冶の中心ではなく、明治以前は「加世田釘」と呼ばれた角釘が中心的商材だったようだ。薩摩藩では大工は武士の職業とされていたため、同じ武士への原料供給として釘の製造が盛んになったのかもしれない。

南薩地域は海岸の砂丘などで砂鉄がよく採れたため、かつてタタラ製鉄が盛んで知覧がその中心だったらしいが、頴娃方面で採られた砂鉄を花渡川(けどがわ)に沿って運搬、久木野・上津貫方面で製鉄が行われ、それによって加世田鍛冶が成り立っていたらしい。しかし今では、それを物語るのは、加世田に残る鉄山という地名くらいしかない。

製鉄や鍛冶というものは、現代の工業的生産の方が圧倒的に効率がよく、多少使いやすいとか切れ味がよいとかいっても、伝統的工芸品が競争していくのは困難だ。特に加世田鍛冶のように、高級品ではない日用の鉄器を作る鍛冶業ではそうである。かつて貧乏武士が糊口を凌ぐために行った加世田鍛冶であるが、若い人が経済的に自立する手段としてはその役割を終えたといえよう。

しかし志耕庵では、鮫島氏の他にも定年後に鍛冶業に取り組んだ方もいて、これは新しい伝統工芸の継承の姿かもしれないという気もする。「定年後の趣味」と言えるような甘いものではないと思うが、約400年の伝統を受け継ぐ仕事というのは、厳しい修行やつらい作業を乗り越えるだけの魅力もあるのだと思う。

「ちょっとの間だけでも、加世田鍛冶の伝統を絶やさないようにすることができればと思ってます」と工房の方はおっしゃったが、定年後に活動する「ちょっとの間」が連綿と繋がっていけば、その伝統は消えないのかもしれない。

【参考資料】
『鹿児島の工芸』 1982年、飯野 正毅
『加世田市史』 1968年、加世田市史編さん委員会

2012年7月21日土曜日

苔庭を目指して、コケ植物を知る

勝手に生えてきた庭の苔
「京都の寺みたいに、庭がコケで覆われたらかっこいいなあ…」と思って、まずコケ植物について勉強することにし、『苔の話―小さな植物の知られざる生態』(秋山弘之著)という本を読んだのだが、コケ植物はなかなか面白い。

まず、コケ植物の著しい特徴は、普通に私たちが見るコケというのは配偶体であるということだ。シダ植物も裸子植物も被子植物も、いわゆる植物体は胞子体である。配偶体というのは精子と卵子(配偶子)を作るため(だけ)の世代をいい、染色体を1セット(n)しか持っていない(胞子体は染色体を2セット(2n)持っている)。コケ植物の場合、これらが受精して作られる胞子体は配偶体に寄生して一時期しか存在しないのだが、普通の植物ではこれが逆で、配偶体こそ胞子体に寄生しているのである。つまり、コケ植物の生活環は、普通の植物と完全に逆転しているのである。

これを読んだ時、私は大きな衝撃を受けた。これまで、(藻類→)コケ植物→シダ植物という具合に直線的かつ連続的な植物の進化を考えていたのだが、コケ植物とシダ植物には非常な断絶があったということになる。コケ植物が維管束と根を獲得してシダ植物になったのではなくて、シダ植物はそれまでと全く違う仕組みで植物体を構築したということになり、俄然シダ植物の起源にも興味が湧いてくるところだ。ちなみに、最初に陸上に進出したのがコケ植物の祖先なのかシダ植物の祖先なのかはまだわかっていないそうである。

さらに、コケ植物は苔類蘚類ツノゴケ類の3系統(綱)で構成され、これらは高い確率で独立系統なのだという。つまり、コケ植物というまとまったグループがあるわけではなくて、3つの植物グループの便宜的な総称が「コケ植物」ということらしい。こうなってくると、「そもそもコケ植物とは何なのか?」ということも曖昧になってくる。

このほかにもびっくりするような事実がたくさんあり、例えば
  • 極寒の極地から熱帯雨林まで広く適応しているだけでなく、実は乾燥にも強く、乾燥した場所に生えているコケの方が多い
  • コケ植物には一般に抗菌性があり、黴が生えることはほとんどない。
  • 地球上の陸地面積の少なくとも1%がミズゴケの湿原で占められているらしい。
といったところだ。

しかし一番びっくりしたのは、「コケ植物の専門家は日本にほんのわずかしかいません。アマチュアの詳しい人を含めても、せいぜい30人程度でしょう」という記載だ。日本には苔庭や苔玉など苔を楽しむ文化もあり、温暖湿潤な気候もあって苔は非常に身近なものなのに、こんなに狭い業界だったなんて…。海外ではどうなんだろう?

ところで、元々の目的だった庭を苔庭にする方法だが、一言でいうと「自然に生えてくるまで1、2年間は毎日水を撒くこと」らしい。苔を植えるなどはよくなく、自然に生えてきた苔を大切にするほうが合理的だということだ。このため、苔が生えやすい環境を整えるのは大事で、常緑樹を植えて日陰を作るとか、肥料を与えず排水をよくするといったことが必要になる。

しかし、1、2年間も毎日水を撒くのは一苦労だし、そもそもその間生えてくる雑草をどうするのかという気になる。苔は生えるところには勝手にどんどん生えてくるのに、生やしたいところに生やすのは結構大変だということがわかった。

病害虫・農薬使用の基礎知識

南九州市の頴娃農業開発総合研修センターで開催された「農業基礎講座」に参加した。初回のテーマは病害虫・農薬使用についての基礎知識について。

こういう研修は、なんとなく思っていたことが明確になったり、独学だとよくわからない業界の「常識」について学べたりするのがよい。説明事項は全て常識的なことと思われたが、大変参考になった。というわけで、重要と感じた点を備忘のためにまとめておく。

(1)まず、病害虫の防除の基本的考え方は、病気は事前予防が、害虫は初期対処が基本だということだ。つまり、病気を予防する薬剤散布は防除暦に従って行う必要があるが、害虫の場合は圃場を観察し、一定以上の害虫が発生した場合のみ行って初めて効果がある。
(2)よって、害虫予防を効果的に行うためには、害虫の発生に大きな影響を及ぼす温度や降雨などの天候をよく把握し、圃場の観察を行い、薬剤散布のベストタイミングを判断することが必要となる。
(3)圃場の観察は、印象論ではなく「葉何枚あたり害虫に冒された葉が何枚ある」などデータで把握するとともにそれを記録し、防除の効率や正確性を向上させていくことが有効である。
(4)そのためには、どのような害虫がどういう性質を持ち、どのような被害を及ぼすのかを知り、圃場の見方を養うことが必要である。
(5)また、効果的な防除のためには薬剤の性質を理解するとともに、「農薬登録情報提供システム」などを用い、適正な薬剤使用をしなくてはならない。
(6)さらに、薬剤のみに頼らず、物理的手段・生物的手段も用いて総合的な防除を行うことが重要だ。

講義を通じてのメッセージの一つは、「防除歴に機械的に従って行う”カレンダー的防除”は非効率的」ということだ。しかし、カレンダー的防除にならないためには、圃場を観察し防除適期を判断する目を養わなくてはならない。

それは一般論としてはわかるが、個別作物でこれを考えると、結局「いろいろ試行錯誤しながら勉強してください」ということなるのだろうか…?

2012年7月19日木曜日

「通貨を発行して、借りて、使え」は妥当なのか

田舎暮らしには関係がないが、大変お世話になっている先輩農家の方から「三橋貴明氏のブログに書いていることの妥当性はどうなの?」というご質問を受けたので、整理の意味で少し書いてみたい。

私は経済学は独学だから経済学的な妥当性を検証することはできないし、三橋氏自身が主流派経済学者とは違う見方を提供することを売りにしているわけだから、学問的な検証には意味があまりないと思う。そこで、一読者として納得感があるかどうかを主眼にしてみることにした。

まず、三橋貴明氏の主張をまとめてみる。ブログには雑多な記事があったが、その一々を検討することは不可能だから本質的と思われるところだけを抽出すると、
【主張1】デフレ下では金融政策だけでは景気回復の効果はない。
【主張2】デフレは需要不足が原因だから、金融政策とあわせて財政政策を行うべき。
【主張3】具体的には、建設国債を発行し日銀が引き受け、公共事業をすべき。
【主張4】日本国債のほとんどは国内債務なのでたくさん借金しても破綻の心配はない。
【主張5】財政再建に必要なのは経済成長であり、将来の経済成長のために今政府が投資すべき。
というところになるだろうか。氏はこうした主張をキャッチフレーズ的に「通貨を発行して、借りて、使え」とまとめている。

まず、【主張1】については、「流動性の罠」と呼ばれ経済学的にももはやコンセンサスと思われるし、「失われた20年」で日本人は経験的にこれを体感しており全く同意である。

次の【主張2】の「財政政策をすべき」というのは、デフレ(需要不足)が不況の原因であれば方策の一つとしてはありうる。デフレの解消には、おおざっぱに言って①構造改革による生産性の向上(※)、②財政政策、③インフレ期待形成という3つの方策があるが、①は政府が機敏に出来るものではないから現実性が低いし、③は「近い将来にインフレが起きそうだ」と国民の意識を変えることであるが、政府がちょっと何か言ったくらいで国民の意識を変えることは難しい。だから、消去法で②財政政策というのはわからなくない。

しかし「本当に日本の不況の原因は需要不足なのか? もっと深い原因があるのでは?」というのが既に90年代末から言われてきており、「需要不足説」はちょっと弱い。また、デフレ(需要不足)は不況の原因ではなく、不況になったからデフレになったということで因果関係が逆だと思う。日本の長期不況の原因は「高度経済成長期に形成された政治経済の構造が成長期を過ぎても温存され、成熟国家としてのシステムが未熟だからだ」というのがよく指摘されるところで、多分これが本質だ。

ちょっと話が飛ぶが【主張5】も仰るとおりで、経済成長なくして増税のみで財政再建するのは不可能であり、何らかの将来への投資をしなくてはならないのは当然だ。であればこそ、「高度経済成長期に形成された政治経済システム」の改革は急務なはずで、氏の論調ではそこがあまり触れられないのは不思議だ。

ところで、日本の経済構造が旧来型のように感じるのが、21世紀的な産業での立ち後れだ。自動車や家電といった20世紀的産業では(幸運が重なったこともあって)世界的に成功したのに、IT産業や半導体、金融といった21世紀的な産業では、日本の企業の世界での存在感はほとんどないのはその象徴と思える。要は、世界的な産業動態の変化に適応できなかったのである。得意分野だったはずの家電でも、液晶事業が韓国勢に惨敗するなど、昔日の面影はなくなってきている。そういう、個別企業の競争の集積が国全体の経済成長につながるわけで、不況なのは需要不足だけではなくて、要は世界企業との競争に負けてきたということも一因だ。

だが、もっと大きい潜在的問題は、今後の日本の人口トレンドである。高齢化と人口減少で労働力が減ることで、確実に生産性が低下することが予測されており、政治経済のシステムは変わって行かざるを得ない。社会保障や年金の制度改革も必要だし、所得再分配の形も変えて行かなくてはならない。もちろん産業構造も変革を迫られる。しかも、労働力減少に適切に対応したとしても今後の劇的な経済成長は望めないため、その変革は実入りが少なく、苦々しいものとなるだろう。そうした将来が漠然と予期されるからこそ、不透明な将来に備えて消費が抑制される面もあり、仮に暗鬱としたものであれ、成熟国家としての姿が早く見えるようにすべきと思う。

とはいえ、それは本筋であっても政治的にも極めて難しい作業になるので、とりあえずできることを、と言う意味で財政政策(公共事業)というのはわからなくもない。だが、納得感があるかというと、正直ないと思う。

ということで話を戻して次は【主張3】だが、まず公共事業について考えてみる。氏は、「日本の国土は災害が多発するので防災の観点からの公共事業が必要なのに、公共事業費は年々減少を続けているのは危険。また高度経済成長期に作ったインフラがメンテナンスを必要としている。現在金利が低迷しているのだから資金調達が安価にできるわけで、今こそ公共事業を行うべき」という趣旨のことを言うが、これには説得力がない。

防災云々というのは、今後10年で200兆円もの公共事業を行うという自民党の「国土強靱化基本法案」に載っかっている部分もあるのだが、今千年に一度のような災害に備えるより、復興支援にお金を掛けた方が効率的かつ現実的ではなかろうか。またインフラのメンテナンスが今後必要になるというのは本当にその通りで、これはこれで大問題だと思うが、既存のインフラのメンテナンスは生産性向上に寄与しない(現状維持するだけ)なので、経済を好転させる力はない。また、安価にできるから今公共事業をすべきというのは安易な考えで、バブル期前後の公共事業で金がある時にばらまいて無駄で非効率的な施設やインフラといった負の遺産がたくさんできたことの反省がないように思われる。

なお、氏は震災以前には、東京や大阪など大都市のインフラを整備せよという主張をされており、私はそれは納得するところだが、震災以降それをあまり言っていないようで残念だ。国家全体の生産性はほとんど大都市の生産性とイコールになるので、経済成長させるために大都市のインフラを公共事業で整えるということであれば話がわかったのだが…。

さらに、その公共事業を建設国債を発行して日銀に引き受けさせて行うということの意味が私にはよくわからない。氏はブログで「わたくしが発行しろと言っている国債は「建設国債」であり、赤字国債ではありません。」ということを主張されておられたが、この二つはどう違うのか? 根拠法と償還期限が違うだけで実質同じものなのだが…(事実、国債は一種類しかなく、額面に「建設国債」とか書いているわけではない)。

また、日銀に引き受けさせるという話は、民間に余剰資金がないからというよりは、氏の持論であるインフレを引き起こさせるためということかと思われるが、これは方策としてはよくなさそうだ。日銀が国債買い入れをするのは日常茶飯事ではあるが、強制的に引き受けさせるとなると話は別で、市場には「日本は国債を市中消化できなくなっている」というサインを送ることになり、長期金利の上昇を招く。すると累積700兆円もの国債の利率が借り換えに従って順次上昇し、国債の利払いだけで大変なことになる。

氏は、「デフレ状況下でなぜインフレの心配をするのか」とよく書かれるのだが、今、日本がインフレになると国債の利払いが加速度的に増えることになって、それだけで財政破綻するおそれが高まるのだから、デフレ下にあってもインフレを警戒するのは当然のことである。また、将来の低成長が予測される状況では、インフレが起こる前兆としてデフレが起こりうることが理論的に示されてもいる。さらに氏は「インフレになれば国債の実質残高も減る」と主張するが、それはなってみないとわからないことで、実際は金利の上昇スピードの方が早いこともあるのだから予断を許さない。要は、インフレになるといいこともあるが、悪いこともあるということだ。

ということで次に【主張4】だが、これも全く納得感がない。破綻(デフォルト)しない理由として「円建て・国内債務」を挙げているが、これは氏が言うほどの強みではないと思う。円建てなので、金利が上昇しても日本銀行による金融政策で適切な範囲にコントロールできるというが、これまでの日銀のていたらくを見ているとそんなことは信用できないし、国内債務が多いというのは、少しの変化で国内の金融機関等が甚大な影響を受けるということであって、むしろ慎重になるべき要素だ。

例えば、国債がデフォルト(債務不履行)しなくても、格付けが数段階落ちるだけで大混乱になる。なぜなら、金融機関はある程度の格付け以上の債券等で資金運用することになっているところが多いので、より安全性の高い債券に乗り換える必要性が出てくることで、日本国債が暴落してしまう可能性もあるのだ。国債が暴落すると、日本の金融機関のバランスシートは大打撃を受け、自己資本比率が悪化して金の貸し出しができなくなってしまう。氏は破綻=デフォルトと定義されているようだが、国内債務が多い日本国債の場合はデフォルトまでいかなくても金融機関に混乱を引き起こす可能性があるわけで、破綻するしない以前の問題が大きいと思う。

さて、再び【主張5】だが、先述の通り経済成長が重要というのは仰る通りであるが、公共事業でそれが成し遂げられるかというと答えは否である。大都市はともかく、国土全体で見れば有用な土木事業は多くが既に実施済みで、今後新しい道路などを作っても将来の生産性を上げることはできないだろう。生産性を上げるための方法は経済学的にはまだ確立していないが、公正な競争が行われることが重要だから、基本的にはルール(規制・税制など)の整備、通貨・金融システムの安定、(競争の舞台となる)大都市のインフラ整備などが標準的な方策と思われる。日本が特に後れているのはルールの整備なのだから、そこに手を付ける方が有効ではないか。もちろんそれですぐに需要が生まれるわけではないが、長い目で見ると結局そちらの方がいいと思う。

まとめると、
【主張1】→常識的な見解
【主張2】→財政政策は手の一つだが、需要不足が本当に不況の原因なのか一考の余地あり。
【主張3】→公共事業で生産性は上がらないので、結局無駄では? また日銀に国債を引き受けさせてインフラを起こそうというのも一長一短ある。
【主張4】→破綻するしない以前の問題が大きすぎる。
【主張5】→その通りだが、公共事業では将来への投資にならない。
というところだろうか。

結論としては、見るべきものがないとは言えないが、床屋談義以上の価値があるとも思えない。いわゆるリフレ派とかニュー・ケインジアンとか、氏のような考え方の勢力は一定程度あるのでそれは異端ではないけれども、であればこそ、氏もよく言及するポール・クルーグマンなど本家本元の主張を聞いた方が有用だ。

とはいえ、彼は作家であるのだから、もしかしたら本当に本質の部分というのは本に書いていて、ブログには書いていないのかもしれない。そういう可能性もあるけれども、少なくとも私は彼の著書を買って読む気にはなれなかった。なお、私の経済学的知識は若干古い面があって、もしかしたらこの記事にとんでもない間違いがあるかもしれないので、自分でいうのもなんだがあまり真に受けないようにされたい。


※ 氏は需要不足の時に生産性を向上させたら(供給力を上げたら)もっと需要不足になってしまうからいかん、と主張しているが、長期的な生産性が上がったら将来の所得が増える期待が形成されるので消費が刺激される、という理屈。

2012年7月14日土曜日

「人・農地プラン」の抱える問題点

現在農林水産省が進めている「人・農地プラン」作成へ向けた笠沙・大浦地域での説明会・話し合いがあった。

が、事前の周知がよくなかったのか、参加者は私含めてたったの4名。プラン作成へ向けた話し合いは別途機会を設けて行われることになり、当日は制度の説明のみ。

人・農地プラン」というのは、端的に言えば「大規模農家を育成するために、農地の集積を行う」ための計画である。そのために、自給的農家や兼業農家などへは耕作しないよう促し、農地の利用を白紙委任することを求める(その代わり交付金が出る)。

日本の農業の問題点の一つが、兼業農家・自給的農家など生産性の低い農家の存在であることはよく指摘されることではあるが、どうもこの施策は釈然としない。世界的にも、農業の効率化は「機械化による大規模化」で成し遂げられるというのはいわば標準理論であるが、このような施策を今行う必然性はあるのだろうか?

というのも、農業の高齢化トレンドからいって、今後十数年で耕作を辞める農家がかなり多く存在するのは確実で、大枚をはたいて農地集積を図らずとも、政策目的である農業経営体の大規模化は自然に実現されそうな気がする。

しかも、「日本の農業は小規模農家が多く非効率的だ」ということが長く言われてきたがこれは本当なのだろうか。海外の一人あたり耕地面積は日本の10〜30倍程度あるのは事実だが、逆に言えば、日本の10〜30倍もの耕作を行わなければ経営が成立しないということでもあり、そういう観点からはこれは望ましい状況でもなんでもない。むしろ、海外に比べ1/30〜1/10の面積で農業が成り立つ日本という国は、極めて効率的な農業を行っているのではないか。

もちろん、農産物価格で海外に水をあけられているのは事実だ。しかし、主要先進国であれば農業はどこも補助金産業である。また、海外においても小規模家族経営の農業が見直されはじめており、企業経営的な大規模経営に比べ、持続可能で地域に根ざした農業ができるのみならず、経営的にも成功し始めているところもあると聞く。

というわけで、大規模経営が効率的というのも近年自明ではなくなってきており、それだけでも「人・農地プラン」には疑問符がつくところである。それに、日本農業が抱えている最大の問題は、流通機構の未熟さであると思われるので、本来はそこに手を付けるべきではないのだろうか。ほとんどの農産物はJAが流通を担い、あとは個人販売という二極化した状況は望ましくない。

最近のアグリビジネス界隈での話題が、「(生産者の顔が見える)直販所」「大手スーパーや飲食チェーンとの契約栽培」「インターネットでの直販」など、いずれも流通に関する取組であることは示唆的だ。逆に、大規模化で成功した農家のニュース、というのは聞いたことがない。直販や契約栽培といった出口がしっかりしているから大規模化に取り組めるのであって、大規模化自体は経営目的になりえないと思う。

その意味で、「人・農地プラン」の最大の問題は、大規模化する経営体に対するメリットが全く見えないことだ。どうも、「農業経営体は大規模化したくても土地が足りなくて出来ていないのだから、その機会がありさえすれば大規模化するはずだ!」という根拠のない仮説に立脚した施策のような気がしてならない。

とはいうものの、「それぞれの集落・地域において徹底的な話し合いを行い、集落・地域が抱える人と農地の問題を解決」していこうという「人・農地プラン」の基本的な考え方は悪くないと思う。農業は、地域の土地をどうやって利用していくかという側面もあるので、そういう話し合いを設ける価値は大きい。ただ、その結果、その地域がどういう農業をしていくかは地域ごとに様々なはずで、「経営の大規模化」を既定路線にするのは、ちょっと無理があるのではないかと感じる次第である。

2012年7月12日木曜日

南薩地域ニューファーマーの集い

先日、「平成24年度南薩地域ニューファーマーの集い」なるものに参加した。

これは、南薩地域振興局(県の出先機関)が主催(※)するもので、今年度に新規就農した者に対し相互の交流や各種制度などの情報提供を行うもの。対象者(つまり新規就農者)は南薩地域で30名。内訳は、枕崎市2名、南さつま市6名、南九州市22名で、かなり南九州市(頴娃、知覧、川辺)に偏っている。

なお作物の内訳で見ると、さつまいもが12名で一番多く(意外だ)、茶が11名、野菜6名、水稲4名と続く(以下略)。なお新規就農者が南九州市に偏っている理由は、お茶の生産農家の後継者数がこの地域に多いためである。何しろ、全国2位の生産量を誇る鹿児島茶だが、南薩地域はその最も大きな生産拠点であるのだから、これは当然といえば当然だ。もちろんお茶を巡る状況は厳しいものがあるとはいえ、新規就農者の雰囲気を見る限り、先行きが暗いというわけでもなさそうだ。

自己紹介で一言ずつ抱負を述べる場面があったが、多くが「規模拡大を目指したい」「安心安全な農作物を作りたい」「経営の安定を図りたい」のどれかに言及しており、それだけで近年の農業を巡るトレンドを垣間見る思いがする。ちなみに私は「山を活かした農業ができれば」と発言し、今思えばやや茫漠としたコメントになってしまった気がする。

集いでは、県が設けている制度である指導農業士・女性農業経営士・農業なんでも相談員が紹介されるとともに、南薩地域における農業青年クラブも紹介された。特に、そのうち旧頴娃町のKEファーマーズからは、九州・沖縄地区青年農業者会議において鹿児島県代表として発表された茶の商品開発プロジェクトのプレゼンテーションも行われた。

全体を通して心に残ったのは、「農業は、絶対に一人ではできない。仲間と一緒に農業をしなくてはならない」というメッセージだ。新規就農者はほとんどの面でベテランに劣るなか、土地や設備などに関してはむしろ厳しい条件でやっていかなくてはならないので、助け合いは必須である。私自身としても、いろいろな方に支えられながらなんとか農家としてやっていこうとしているところなので、初心を忘れず、周りの人達に感謝しながら、また少しでも役に立てるように頑張りたいと思った。

※正確には、「南薩地区指導農業士会」「南薩地域農政推進協議会」「南薩地域振興局農林水産部」の共催。

2012年7月3日火曜日

古民家は、実は黴に弱い?

梅雨である。本当に鬱陶しい。

鬱陶しいだけでなく、家中が黴(カビ)だらけになってしまう。畳の茣蓙は新しくしたので多少黴が生えるのは覚悟していたが、掃除しても3、4日でまた生えてくるというのは想像以上だ。

それだけでなく、もう黴が生えそうなものにはすべて生えてくる…というくらいあらゆるものが黴だらけになる。写真は、掛けてあった洋服が黴た様子だが、ブルーチーズみたいに全体に黴が生えている。これ、洗濯したら復活するだろうか…。

ところで、現代の木造住宅は機密性が高い上、外気との温度差が大きいので結露しやすく黴が発生しやすいと言われるが、うちは築百年近い古民家である。多少リフォームしているとは言え、基本構造は変わっていないのに、こんなに黴が生えるのは釈然としない。これまで住んできた「機密性の高い住宅」でもこんなに黴が生えたことはないのだ。

そもそも、伝統的日本家屋が黴に強い、ということは本当なのだろうか。高温多湿な日本の夏によく適応して風通しをよくしているとは言え、それが黴に強いということにはならない。例えば、 伝統的な保管庫、つまり「土蔵」は締め切りが基本であり、風通しをよくするよりもむしろ土壁による湿度調節機能によって黴を防いでいたと考えられる。

これは考えてみれば当然で、梅雨時は外気も過湿状態にあるわけなので、いくら換気をしても湿度が下がるわけではない。気温が高くなった時の雨上がりなどは、外気の方がムワっとして湿度が高いくらいだし、機密性が低いから黴が生えないというわけではないだろう。

ただ、空気の滞留するところには黴が生えやすいのは事実だ。つまり、家の風通しをよくすれば、黴の生える箇所は確かに減る。だから伝統的日本家屋では黴の生えるところは比較的少なかったのだと思う。ただ、それは黴対策=湿度対策が出来ていたからではなく、単に環境が外気と似ていたからであり、「日本家屋の知恵」などと誇るべきものではない。

そして、桐箪笥のような、それ自体に湿度調節機能が存在するような家具が発達したのも、家自体は黴に弱かったからではないかという気がする。つまり、伝統的日本家屋は、普通言われているのとは違って大して黴に強くなかったのかもしれない。ということは、我が家の黴との戦いは、これからも毎年負け戦になるのだろうか…。