2024年7月22日月曜日

忘れられた民具のゆくえ

最近、奈良県立民俗文化博物館が旧館するというニュースがTwitterで話題になった。

「維新は文化を大事にしない」という批判のコメントが多かったが、同博物館には、精査なく民具等を受け入れており、しかも整理が十分にできていなかったという反省もあるようだ。

実は、似たような問題が南さつま市にも存在する。これはあんまり知られていない話だ。

加世田の白亀(徳久整形外科をちょっと入ったところ)に、かつて県立果樹試験場南薩支場があった。柑橘類の試験栽培を行っていた場所である。平成4年にこれが廃止されて、土地建物は旧加世田市に移管された。今もこの建物は残っているのだが(冒頭写真)、じつは、この建物の中に大量の民具が保管されているのである。

どうしてこんなところに民具があるのかというと、こんな事情がある。加世田市では、景気が良かった頃に博物館をつくる計画があった。万世にある「天文潟砂丘」という場所に建設する予定だったと聞く。

当時は行政の予算が有り余っていたので、いわゆる「箱もの行政」と言われるように、いろんな施設が建設された。その中の一つに博物館があったのだ。加世田市ではその準備のため、学芸員を採用して、民具の収集を行った。

ところがその後、行政の懐事情は徐々に悪くなり、博物館の構想も凍結された。

そして、収集した大量の民具だけが残された。加世田には今も図書館の3階に「郷土資料館」があるが、ここに民具を展示するスペースはなく、収蔵庫のようなものもおそらくほとんどない。そんなわけで、空いていた県立果樹試験場南薩支場跡を「文化財センター」という名称にして、とりあえず行き場のない民具をここに保管することにした、ということのようだ。

しかし、その「とりあえず」 がもう20年以上も経過している。中の民具はどのような状態なのだろうか。防虫の処理などしているのだろうか。そもそも、何が保管されているか把握している人はいるのだろうか。加世田市が周辺自治体と合併して南さつま市になってからは、どのような扱いになっているのだろう。

こんなことは、南さつま市役所でも、ほとんど気にする人はいない。「民具? よくわからん」が市長はもちろん、行政職員の正直な気持ちではないだろうか。これらの民具は、すっかり忘れられたのである。

さて、今、なぜ私がこの民具についてここで書いているのかというと、南さつま市では今、箱物整備のタイミングになっているからだ。

きっかけは、加世田にある南薩地域振興局の南九州市への移転が決定されたことだ。本当は、その跡地に県が何らかの施設を作ってくれればいいのだが、県はそんなお金はないとしているので、南さつま市はその跡地を県から無償で譲ってもらうことにした。そして南さつま市の本坊市長はここに「南さつま交流プラザ(仮称)」を建設することを表明、令和6年度はその調査にかかる予算が計上された。

さらに、別の話ではあるが、加世田の「市民会館」(行政の教育部局と大ホールと市民センターがある建物)が老朽化しているため、大ホールが解体されることが決定されており(隣に「いししへホール」があるため)、教育部局の棟は建て替えする計画である。

また、図書館や郷土資料館が入っている建物も老朽化しているため、おそらく「南さつま交流プラザ(仮称)」にその機能が移管されるのではないかと思う。そして市民センターの機能のいくらかもこちらが担うことになるのだと思う。

となると、気になるのは郷土資料館の扱いである。

合併後、加世田市および旧4町の展示施設は、なんだか中途半端な扱いが続いてきた。合併前には、加世田市が「郷土資料館」、金峰町が「歴史交流館 金峰」、大浦町が「郷土資料室」、笠沙町が「郷土資料室」と「笠沙恵比寿の博物館」、坊津町が「輝津館(きしんかん)」という6つの施設があった。合併後も、施設自体が廃止された「笠沙恵比寿の博物館」を除いて、これらは一応存続してきた。ただ、大浦と笠沙の「郷土資料室」は、ほとんど有名無実化しているのが現状だ。

何が中途半端かというと、それぞれが惰性的かつ個別的に存続してきたことである。これでは、合併のメリットを活かしているとはいいがたい。

そんなわけで、この箱物整備のタイミングで、南さつま市の展示施設の在り方について改めて考えてみるべきだと思う。あわせて、塩漬けになっているあの民具についても、この機会に見直し、管理や調査研究、展示をしていってはどうか、というのが私の提案なのである。

展示施設について理想的なのは、全てを統合し一つの博物館を設立することであるが、「歴史交流館 金峰」と「輝津館」はそれぞれが南さつま市の規模からすると立派すぎる施設なので、廃止はもったいないし難しい。だが別個に存在するとしても、お互いに有機的な連携を図っていくべきだ。

せめて、大浦と笠沙の「郷土資料室」は、すでに有名無実化しているので加世田に統合したらよい。そして塩漬けになっている民具も含め、加世田に「南さつま市郷土資料館」を設立、そして「歴史交流館 金峰」と「輝津館」はその分館に位置づける、というのが一番自然な案である。場所は、現在の図書館がある建物を全部(1~3階)使うこととすればよい。1階の行政部署は市民会館の建て替え部分に、2階の図書館は「南さつま交流プラザ」に移転させればよいと思う。

この案の問題は、この建物自体が老朽化しつつあることだが、耐震工事などはしていたと思うのでまだしばらくは使えるのではないだろうか。

中には「まだあの建物が使えるなら、民具なんかを置くのではなくて、もっと役に立つ使い方をしたらいいんじゃない?」という人もいそうである。そもそも「そんなことにお金を使うより、生活困窮者や子育て世代への支援、高齢者福祉とか移住促進に使う方が有意義では?」という考えだってアリだ。

もちろん、南さつま市の財政がカツカツなら、私だって「残念だけど民具は後回しにしよう」と思うところだ。だが実際、「南さつま交流プラザ(仮称)」を建設したり、市民会館の一部を建て替えたりする余裕はあるわけだ。それに南さつま市では幸いなことにふるさと納税の成績がよい。人口減少が始まっている南さつま市にとって、今は、市民生活に直結しない展示施設をつくれる最後のチャンスというタイミングであると私は思う。今やらなかったら、忘れられた民具は、廃屋で朽ち果てる可能性が高い。

収集した民具はモノをいわない。たとえ放っておいても、奈良県立民俗文化博物館の場合とは違って誰も文句は言わなそうだ。そんなことになぜお金や労力をかけないといけないのか。声を挙げている人、困っている人はたくさんいるというのに。

だが、それを言ったら、困っていてもモノを言えない人は意外と多い。そういう人を放っておいても、たいていは何も問題は起こらない。そんな風にして、声なき弱者を切り捨て続けてきたのが、今の日本ではないか。

儲かるものや、役立つものや、権威ある人の後援を受けているものを大事にするのはバカでもできるが、儲からないもの、すぐに役立たないもの、誰の後ろ盾もないもの、そういうものを大事にするには、「見識」がいる。

実際、収集された民具が有効活用されないとしても、どれほどの文化的損失があるのか、私にはわからない(だいたい、その民具を見たこともない)。だが少なくとも、現在保管している民具の扱いを検討するくらいの「見識」がある町に、住みたいものである。

2024年6月25日火曜日

鹿児島銀行が全代理店を廃止した話

今年の1月11日、私の住む大浦町の「鹿児島銀行 大浦代理店」が廃止された。

というか、鹿児島県内にある鹿児島銀行の全代理店(18店)が2024年2月までに廃止されたという。

冒頭の写真は、もう今は取り壊されて跡形も無くなっている大浦代理店の在りし日の姿である。

鹿児島銀行が全代理店を廃止したのは、第1には代理店の来店客数の減少による合理化であり、第2にはネットで手続きが完結する体制が充実してきたからであり、第3には代理店の意味が小さくなってきたことである。

第3の点に関し、鹿児島銀行の松山澄寛頭取(当時)は取材に応えて、「金利が高いときは預金を集めて貸せば確実に利ざやがあったが今はマイナス金利。代理店の歴史的な役割は終わった」と述べている。要するに「代理店なんて儲からない」という身も蓋もない話だ。

【参考】鹿児島銀行代理店を移転統合へ|朝日新聞(2023年9月1日)
https://www.asahi.com/articles/ASR8072X3R80TLTB003.html

田舎の代理店なんて昔から赤字だろう、というのは誤解らしく、田舎の人は貯金が好きなため(というより、田舎ではあまりお金を使う場所がないため)、この小さな代理店の見た目とは裏腹に、かなりのお金が集まったのだという。田舎では定期預金の比重が高く、都会とは桁が違うお金が集まったと銀行マンから聞いたことがある。

では、今はどうなのかというと、確かに利用者は少なくなり、定期預金を集める意味は全くない。2024年になってゼロ金利政策は終わりを告げたが、それでもお金は金融市場に滞留している状況で、「歴史的役割は終わった」と言われてもしょうがない。

一方、全代理店の閉鎖で削減されるコストは年間約5300万円だそうだ。5300万円というと大きいようでも、鹿児島銀行の親会社「九州フィナンシャルグループ」の2024年3月期決算短信を見てみると、営業利益が384億円ある。鹿児島銀行だけでも営業利益は120億円くらいのようだ。これに比べると、5300万円なんかは誤差の範囲といって差し支えない。削減の意味はあまりないコストではなかろうか。

そもそも鹿児島銀行の第9次中期経営計画(2024−26)では「接点・対話・課題解決 No.1」をコンセプトに掲げ、「お客様との接点を強化」とか「持続可能な地域社会の実現に貢献」といった言葉が並んでいる。

【参考】鹿児島銀行 第9次中期経営計画
https://www.kagin.co.jp/library/300_ir/pdf/keiei_plan/09_cyuki_keieiplan.pdf

この計画は全代理店廃止後のものだとはいえ、田舎の人間にとっては「たいしたコストじゃなかった代理店を廃止しておいて、接点・対話とか持続可能な地域社会云々なんてバカにしてるのか」と思ってしまう。

「そうはいっても、鹿児島銀行は営利企業なのだから、コストカットはやむを得ない。実際、田舎の代理店なんて一円の得にもならないんだし」と思う人もいるだろう。

それはそうだ。しかし意外なことに、営利企業の活動は、田舎への富の再配分に大きな役割を果たしてきた。例えば、Aコープ(鹿児島県経済連の子会社のスーパー)の商品の値段は、大浦町でも鹿児島市でも変わらない。たぶん県内一律ではないだろうか。JAのガソリンスタンドの値段は、それよりは一律ではないが、それでも価格差は大きくない。こうした企業では、店舗ごとの利益率が異なっても、できるだけ同一料金にする努力が払われている。

また、指宿枕崎線(の指宿−枕崎区間)は廃線が取り沙汰されているが、ここは年間3億円以上の赤字路線となっている。これをお金の流れから見ると、JR九州が都市部で稼いだお金を南薩につぎ込んでくれているとも言える。

ある程度大きな企業は、それ自体が公共的な意味を持っており、そのサービスが広い範囲で提供されることで、結果的に田舎への富の分配を担ってくれているのである。例えば、大浦町のJAのガソリンスタンドは、基本的にずっと赤字だという話だが、だからといって閉鎖の危機にあるかというとそうではない。JA南さつまにとっては、その店舗は赤字であっても、その赤字額が経営的に耐えられるものであれば、管内にあまねくサービスを提供することに意味があるからである。 

田舎では、過疎によってまたさらに過疎化が進む、という過疎化のスパイラルが起こっている。これは自然に起こっている面はあるが、その動きを助長しているのは他でもない行政だ。市町村合併によって、地域に役所(支所)が無くなり、学校が統合され、公共施設が閉鎖される。本来は、行政の施設は営利的なものではないのだから、そこに住民がいるかぎり維持されてもおかしくないのだが、平成不況以降、役場の方がコスト意識に厳しくなってしまった。

公共サービスは儲からなくて当たり前なのに、公共サービスに収益性を求めるのが最近の流れだ。指宿枕崎線を運行しているはJR九州は、ちゃんと利益が出ている企業なのですぐには廃線にはならないと思うが、これが肥薩おれんじ鉄道のように行政による運営になると、「経営状態が悪い」といってすぐに廃線の危機になってしまう。税金の無駄と見なされるからだ。民間の方が逆にお金に鷹揚な態度を示しているのは面白い。

それは、民間企業は度量が広いが、行政はせせこましい……というのではなく、民間企業は、全体として利益が出てさえいれば、細かいところで損失が出ていても気にしなくて済むからだ。それだからこそ、光通信は日本のかなりの面積をカバーし、携帯電話のアンテナは田舎にも立ち、Amazonの送料無料サービスはかなりの僻地でも対応している。それによって、田舎に住む人たちが、都会とさほど変わらない文明的生活を送れるのである。

もちろん島嶼部など、もうちょっと条件の厳しい人たちは、そうともいえないかもしれない。それでも、大企業の提供するサービスが田舎に住む者にとって心強い味方なのは変わらない。田舎の生活というと、今にも潰れそうな個人商店が支えている……というイメージがあるが、実際には、田舎こそ大企業の商業活動のおかげを蒙っている、というのが田舎に住む私の実感である。

そう考えてみると、鹿児島銀行が目先の5300万円を浮かすために、鹿児島県の僻地に存在していた代理店を廃止したことは、単なるコスト削減以上の意味があるように思われる。鹿児島銀行は鹿児島全体を対象とした大企業であることを諦めて、鹿児島市を中心とした都市部のみを対象とする存在になるのだろう。そもそも、ネットで取引ができるから代理店はいらない、というのなら地銀の存在意義自体がなく、メガバンクを頼った方がいい。

鹿児島県民にとっての鹿児島銀行の一番の存在意義は、「あちこちに鹿銀ATMがあること」。これに尽きるのではないか。コスト削減というのであれば、代理店廃止はやむを得ないとしても、せめてATMだけは残してほしかった。商売をしていると、現金売上を入金することができないのでとても困るのである。

全代理店廃止後、鹿児島銀行の頭取に就任した郡山明久さんは「地銀であることに徹底的にこだわりたい」とインタビューに答えていた。その真意はわからないが、それが「鹿児島」を大事にしたいということなのであれば、地方の大企業らしく、田舎にもあまねくサービスを展開してもらいたい。目先の利益のみに捕らわれない地銀になることを期待している。

2024年6月20日木曜日

農地を利用されやすくする法改正で、逆に耕作放棄地を助長する「机上の空論」

ほとんど報道されないが、今、農業をする上での困った事態が起こっている。

簡単にいうと、ある種の農地が借りられなくなるのである。

これは今のところ誰も声を挙げていない大変な問題だと思うので解説したい。

さて、農家は自分の土地で作物を育てていると思っている人もいるかもしれない。「農家になるには農地を買わないと」と思っている新規就農者希望者も少なくない。だがそれは誤解で、多くの農家は農地を借りて農業をしている。少なくとも私の住む大浦町では農地を借りて農業をしている人の方が多数派だ。

それは、現代の農業は、もはや「先祖伝来の土地を守っていく」というようなものではないからだ。農業も、他の事業と同じだと思ったらよい。飲食店がテナントを借りるのが普通なのと理由は一緒なのだ。だから、農地の貸し借りがスムーズにできることは、現代の農業においてはきわめて重要である。

全国的にも、土地の貸し借りを通じて大規模農家へと農地を集積していくことが求められ、農水省は強力にそれを推進している。

その具体的な手段となっているのが、「地域計画」と呼ばれるものだ。

これは、その地域での農業の将来像と、農地一筆ごとの10年後の耕作者を示した地図(「目標地図」という)のセットで構成されるものである。その目的を一言でいえば、農地が利用されやすくなるようにすることだ(農用地の効率的かつ総合的な利用)と農水省は言っており、具体的にはバラバラにある農地を集積し、農業の効率を上げることである。

目標地図について。下のPDF資料より

この「地域計画」は、まさに「机上の空論」で、少なくとも大浦町の実態からして策定の意味は薄いと思う。というのは、効率的に利用できる集団化した農地は引く手あまたで、農業の大規模化に伴って自然と集約化していくが、狭い・不整形・孤立している・傾斜がきついなどの人気のない農地は、計画を作ったとしても耕作放棄地化していかざるをえないからである。「地域計画」のための農家同士の話し合いは決して無駄ではないと思うが、計画自体は作ろうが作られまいが、大浦町の農業の10年後の姿はほぼ変わらないと断言できる。

さて、2023年(令和5年)の「農業経営基盤強化促進法」という法律の改正で、この「地域計画」の策定が必要となったが、この法律では、「農用地の効率的かつ総合的な利用」のために、もう一つ重要な規定がある。それが「農地中間管理機構」に関する定めである。

【参考】農水省の資料(PDF)
農業経営基盤強化促進法等の一部を改正する法律について

「農地中間管理機構」は、一般的に「農地バンク」と呼ばれている。農水省の説明では、「農地バンクは、分散している農地をまとめて引き受けて、一団の形で受け手に再配分する機能を有する」ものだそうだ。これを聞くと、例えば田舎に活用していない農地を所有している人は「農地バンクに土地を引き受けてもらおう」と思うかもしれない。だが実は、「農地をまとめて引き受ける」という機能は実際にはなく、「農地バンク」の名称は有名無実である。

ではどういう仕組みかというと、こんな感じである。

「農地を借りたいAさんが、空いている農地を探して、その所有者Bさんに連絡し条件を伝え快諾してもらった。それを農業委員会に伝えると、農業委員会から農地バンクに連絡が行き、農地バンクを介してAさんはBさんの土地を借りる契約を行う。契約については農業委員会で審査・認定する」…とまあこんな風だ。

つまり「農地バンク」は、農地を借りたい人・借りたい人の斡旋をするのではなくて、あくまで話がまとまった後で契約を仲介する機能なのだ。

なお、農地バンクの仕組みができたのは比較的最近のことだが、それ以前から農地の貸し借りには農業委員会が仲介することになっていた。なお、わざわざ農業委員会が介在することは一見ややこしいが、例えば宅地の貸し借りにはもっとずっとややこしい手続きや不動産仲介業者が必要なことを考えると、比較的手間の少ない仕組みである。

ともかく「農地バンク」は、現場の人間にとっては必要ない仲介業者だという感じがする。「農地バンク」を通さないといけないおかげで、必要な書類も増え、手続きにかかる時間も倍くらいになった。国の統計だと、「農地バンク」の扱う農地がうなぎ登りになっていて、あたかも「農地バンク」の仕組みがうまくいっているように見えるが、これは既存の土地の貸し借りを「農地バンク」を通したものにわざわざ借り換えているからで、それ自体が一つの手間である。

このように、国は「農地バンク」が農地集積のツールだといわんばかりのことを言っているが、実際には単なる中間業者であって、それ自体に農地集積の機能があるわけではない。そもそも、「農地バンク」に農地集積の機能がないからこそ、「地域計画」を定めて、農地一筆ごとの10年後の耕作者まで決めようとしているわけである。

つまり、 「農業経営基盤強化促進法」の2つの柱である「地域計画」と「農地バンク」は、そのどちらもが地域の農業にとって有効なものではない、というのが農家である私の実感だ。私は農業委員の下働き的な役目である「農地利用最適化推進委員」という役をやっているが、農業委員や農地利用最適化推進委員の多くも、「また国がややこしい計画を作れと言ってきたなー。そんな形式ばっかりのことをやってる場合じゃないのに」と思っている。

しかしこれは、まだ冒頭に言った「大変な問題」ではない。実は、本当の問題はこれからである。

「農業経営基盤強化促進法」では、目立たないがもう一つ大きな改正点がある。それは、農地の貸し借りには必ず「農地バンク」を介さなければならなくなった、ということだ。

これは、「農地バンク」を通じて土地を集積していこうという政策の一環だろう。一見、それ自体には、面倒なだけで大きな問題はないように思える……が、実はそうではないのだ。

それは、「農地バンク」は都道府県単位で設置されており、県レベルの業務であることと関係がある。県は、市町村に比べて格段に融通が効かない。特に「農地バンク」は土地の名義にうるさいのだ。

田舎には、相続の登記がなされておらず、土地の名義が先代・先々代のままになっている土地が膨大に存在している。田舎では、相続登記に必要になるお金(司法書士への依頼料)に比べ、土地の評価額がものすごく低いため、「価値のない土地のために、司法書士にお金を払いたくない」ということで相続登記されていない土地が多いのである。

また、大浦町の場合は、「別にわざわざ登記なんてしなくてもいいよね」という風潮があったような気がする(例えば土地交換が登記なしで行われていたりする)。 

というわけで、大浦町には、土地の名義人がすでに死亡している農地がたくさんある。これまで、そうした農地を貸し借りするには、現にその土地を管理している人の同意を得さえすればよかった。それは大抵、その土地の固定資産税を払っている人と等しく、それほど難しい話ではなかったし、実際、管理人の同意がありさえすれば問題は起こらなかったのである。

ところが、「農地バンク」を介してそのような土地の貸し借りをする場合には、土地の相続権を持つ人の過半数の同意が必要だという。これはかなり難しい。まず現に土地を管理している人の協力を得て、相続人全員を探す必要があるからだ(実際に同意を得るのは過半数でいいが、全員を確定させないと、その過半数が何人になるのかがわからないため)。その上で、過半数に農地の貸し借りについて同意を得る必要がある。

ちなみに、農地の借地料は、このあたりでは10aあたり1万円以下が相場である。とすると、たったそれだけのために、このような面倒な仕事はしたくないのが人情だ。というわけで、行政からは、「相続登記がされていない土地は、事実上借りられなくなる」と説明されている。現在は、経過措置のためにまだ「農地バンク」を介さない農地の貸し借りが可能なのだが、この経過措置が令和7年(2025)3月で終了する。

つまり、2025年4月から、相続登記されていない農地が借りられなくなる。これが大問題なのである。

相続登記されていない土地が、ごく少数のことであれば、これはたいした問題ではない。しかし法務省によれば、日本の所有者不明土地(相続登記がなされていないことで、所有者がわからない土地)をあわせると九州全体の土地面積より広いという。このほとんどは山林であるとは思うが、農地についてもかなり多いことは想像に難くない。

このため、法務省は今年の5月から相続登記を義務化した。これで新たな所有者不明土地の発生は防げるのではないかと思われる。だが、これまでに発生した所有者不明土地に対しては、一応、登記を求めることにはなっているが、一朝一夕では解消しないのは明らかである。

では、現に今、相続登記されていない農地を借りて耕作している場合、2025年4月以降はどうしたらいいのか? 新たな契約が結べないだけで、今の貸借契約が否定されるわけではないので、しばらくは何も問題ない。ところがその契約期間(最長10年)が終えたら、その土地を借りることはできなくなる。正確に言えば、農業委員会を通した契約ができなくなる。ではどうするかというと、貸し手と借り手の相対契約によって借りるしかない。これを「闇小作」という。

かつて、農業委員会は「闇小作」を撲滅するように働いてきた。これはいろんな面でトラブルの元だったからだ。ところが、2025年4月以降は、現実的に「闇小作」でしか借りられない農地が存在するようになってしまう。農業委員会事務局も「大きな声ではいえないが、相続登記されていない農地については、もう「闇小作」でやってもらうしかないと思います」と匙を投げている。

皮肉なのは、この原因となった「農業経営基盤強化促進法」の「改正」が「農地が利用されやすくなるように」という目的で行われていることだ。それなのに、農地が利用されやすくなるどころか、逆に「闇小作」を推進することになるとは政策立案者もビックリではないだろうか。

では、「闇小作」で何が問題か。先ほど「トラブルの元」と書いたものの、実はそれよりもずっと重要なことがある。それは、農家の公的な経営面積は、あくまでも農業委員会を通して借りた農地の面積だということだ。「闇小作」では、いくらたくさん作っていても、経営面積として認められない。あくまで「闇」なのだ。

そして、この公的な経営面積に応じて、各種の補助金や優遇措置が受けられるのである。例えば、農家は免税軽油の購入が可能だが、これも経営面積に応じた割り当てを受ける。最近は肥料価格が高騰しているため、肥料への補助金があるが、これも経営面積に応じた上限がある。経営面積が補助金等の基盤となっているため、「闇小作」は農家としてはできるだけやりたくないのである。

こうなると、2025年4月以降、相続登記されていない農地は、できるだけ耕作しない方が得だ、ということになる。 

「農業経営基盤強化促進法」の「改正」の背景として、農水省は「農業者の減少や耕作放棄地の拡大がさらに加速化し、地域の農地が適切に利用されなくなる懸念」をあげている。にも関わらず、この「改正」によって、現に耕作している農地の放棄を助長していることを、農水省の担当者は理解しているのだろうか?

確言するが、彼らは絶対に理解していないと思う。それは、農水省が現場を見ずに机上の空論だけで農政をやっているからだ。これは、私だけでなく多くの農家が肌で感じていることだ。

相続登記されていない土地の貸し借りについては、せめて「相続登記の義務化」によって、大方の農地の相続がキチンとなされるまでは従前の通りとしてもらいたい。そうでなければ、法制間の整合性がとれないではないか。

どうせ「机上の空論」であるならば、せめて「机上の空論」としては辻褄を合わせていただきたいものだ。

2024年4月4日木曜日

奄美に行ってきました(その2)

前回からのつづき)

今回の旅の目的地(の一つ)は、奄美の西南部の端にある瀬戸内町古仁屋だ。

古仁屋の港には、瀬戸内町のコミュニティFM「せとうちラジオ放送(せとラジ)」の放送局がある。その事務局長、「さとぴー」こと長井聡子さんの案内で、奄美をご案内いただくというのが今回の番組だ。

【参考】せとうちラジオ放送
https://setoradi768.themedia.jp/

番組についてはテレビで見ていただくとして(放送は5月とのことですが、日程は不明です)、瀬戸内町について説明したい。

さて、奄美大島の経済の中心は、島の北西の方にある奄美市だ。人口は3万人ほど。一方、瀬戸内町は、島の南東に位置し、奄美市からは車で1時間ちょっと。しかもぐねぐね山道をゆくので1時間よりかなり遠く感じる(私があんまり車移動が好きではないのもある)。瀬戸内町の人口は8千人くらいである。

私の実家がある旧吉田町の人口が9千人くらいだから、ほぼ一緒だ。そして、漁港を中心としてぎゅっと町がまとまっている感じは、枕崎市によく似ている。

さとぴーさんの案内で、この町を少しだけ歩いた。

強く感じたのは、8千人の町にしては、小商いの店がとても多いことだ。古仁屋には、食料品店や雑貨屋(オシャレな雑貨屋ではなく、トイレットペーパーとか洗剤とかを売っている雑貨屋のこと)、パン屋、酒屋、種苗店といった小さな店が散在している。飲食店や飲み屋が多いのは観光地だから当たり前とも思うが、明らかに地元利用が中心の店が多い気がする。喫茶店も何店もあった。人口8千人の町にライブハウスまであったのにはビックリした。町営の火葬場まであるそうである。もちろん小学校から高校まで揃っている。

そもそも、人口がたった8千人の町にラジオ放送局まであるってすごくないか。

要するに、古仁屋はなんだか豊かなのだ。

それは奄振(あましん)のおかげだろう、という人もいるかもしれない(奄振=奄美群島振興開発関係予算)。だが地元の小さな餅屋「大城もち屋」に、若い後継者が帰ってきた、というような豊かさは、奄振だけでは説明がつかない。

【参考】大城もち屋 ←ここでお土産に「りゆび餅」を買った。
https://r.goope.jp/amami-ooshiro/

なぜ古仁屋は豊かなのか。その大きな理由は、逆説的であるが、奄美市から車で1時間ちょっとという「不便さ」にあると思われた。

というのは、県本土では車で1時間ならたいしたことはないが、ぐねぐね山道を1時間以上だとなかなか気軽に行き来するものではない。結果的に、瀬戸内町の人はたいがいの用事を古仁屋で済ますことになる。さとぴーさん曰く「なんでも古仁屋で揃う。奄美まで行く必要はない」のである。話を聞いてみたところ、ないものは産婦人科とタクシーくらいだという。

これを経済の面からいえば、瀬戸内町では地域内でお金が循環している、ということだ。

私の家から、宇宿のイオンまで車で約1時間半であるが、休日にイオンに行くと地元の知り合いにバッタリ会うことは多い。わざわざ1時間半かけて、田舎からイオンにお金を落としに行っているわけだ(笑)

これが古仁屋の場合は、イオンに行かずに地元でお金を使っている。だから小商いが多いのだろう。そしてこれは、若者が小さな店を始めるのにもいい環境だと思った。人口8千人の町に大きな需要は見込めないが、地元の人が来てくれるというのが、小さな店にとっては(特にはじめたばかりは)一番大事なことなのだ。古仁屋には、大きなチャンスはないかもしれないが、小さなチャンスはたくさん転がっている。

よく「これからは、不便な地域が残る」と言われるのは、こういうことだろう。

例えば、宮崎県の椎葉村。椎葉村の場合も、延岡市まで車で2時間。独立した経済圏を構築せざるを得なかった場所である。こういうところが、かえって存続しているのだ。

もちろん、古仁屋も椎葉村も、ただ不便だから残っている、というわけではないだろう。両方、地元の人の努力があったからこそなのはいうまでもない。でも、古仁屋が奄美市まで車で30分の位置にあったとしたら、きっと今のように小商いの店がたくさんある町にはなっていなかったのではないかと思う。

私の実家の旧吉田町は、人口規模は似たようなものだが、小商いの店はそれほど多くないことがそれを例証している。旧吉田町の人は、いつでも吉野に買い物に行けるからだ。薩摩吉田インターが近くにあるため、鹿児島市内や姶良イオンにもすぐ行ける。こういう場所では地域内でお金が循環することはない。

町にとって不便さは、一般的にはマイナスだ。だが古仁屋の場合は、それがプラスの面ももたらしている。植林をしていなかったのがかえって奄美にとってよかったように、田舎では近代化のセオリー(常識)と逆の方がよい結果をもたらすことは多い。

そもそも、田舎は「近代化」から取り残されたから田舎なのだ。もちろん、田舎の人間だってスマホを使い、キャッシュレス決済をし、ハイブリッド自動車に乗る。「近代化」は田舎にだって必要だ。

だが、そこでは都市とはちょっと違った「近代化」が必要だ、ということなんだろう。

人口8千人の町にラジオ局を作ることは、効率から考えたら無駄だ。だが、そういうことが町の豊かさを作る。そういう無駄を許容する「近代化」、合理性一辺倒とは違う「近代化」が、田舎には求められている。

2024年4月2日火曜日

奄美に行ってきました(その1)

先日、テレビの企画で奄美大島に行かせてもらった。

NHKかごしまの「ローカルフレンズ」というコーナーのロケで、これまでに「ローカルフレンズ」として出演した人が奄美大島を観光する、という内容の企画である。私は2月に「ローカルフレンズ」に出演させてもらったので、その末席を汚したというわけである。

その企画のことはさておき、私は人生で初めて奄美に行ったので、その印象などを書き留めておきたい。

奄美空港に到着して、目的地の瀬戸内町までは車でおよそ2時間。その途中はずっと山か海しか見えないのだが、すぐに気づいたのは山に杉が全くないことだった。

では、奄美の森は手つかずの自然が残っているのかというと、実はそうではない。2021年、奄美大島や徳之島、沖縄本島など(の一部)が世界自然遺産に登録されたが、奄美大島の場合、登録地のほとんどが二次林(人の手が入った森林)なのである。

かつての奄美大島では林業は主要な産業の一つだった。奄美大島の林業を語る上では岩崎産業の存在が大きく、岩崎産業は奄美大島に1万2000ヘクタールもの大森林を所有していた。島の全体面積が約7万2000ヘクタールなので、実に島の20%もの大地主だったことになる。岩崎産業が奄美大島でどのような林業を行っていたのかは私は詳しくは知らないが、島の森林を見たところ、整然と植林されたような区画は皆無だったので、おそらく造林(植林)はほとんど行っていなかったものとみられる。

本土では盛んに杉が植林されていた時期(戦後)に、どうして奄美大島では全く植林されなかったのか。政策的な理由があったのかもしれないし、自然の回復力が高かったため、あえて植林しなくてもよいという考えだったのかもしれない。

なにしろ植林にはかなり手間がかかる。植林して数年間は下草払いをする必要があり、草払機が普及する前は造林鎌で行う重労働だった(草払機があっても重労働である)。ハブのいる奄美の森では危険も伴っただろう。要するに、植林はコスト的に見合わなかった、ということが理由ではないだろうか。

それは手抜きともいえなくもないが、植林がされなかったことで、結果的に、奄美の山ではスダジイを中心とする自然の植生が回復し、多くの野生動物が保全されることとなった。真面目に造林していなかったのがかえってよかったのだ。

ちなみに、世界自然遺産の登録にあたって最大の障壁になったのが、登録予定地の大部分が岩崎産業の社有地であったことだ。結論を言えば、岩崎産業は4000ヘクタールもの土地を国に売却することでこの問題は決着した。奄美の人たちの岩崎産業に対する思いは複雑なものがありそうである。

ところで、現在の奄美大島の林業はどうなっているのかというと、車中から森林の様子をずっと見ていたが、全く林業が行われている形跡がなかった。かつて島を支えた林業は壊滅した模様である。

というか、林業だけでなく、建設業と漁業以外には、島には産業らしい産業がほとんど見受けられない。サトウキビ以外の農業は見ることができず、水田は皆無といってよかった。畜産もわずかのようなので、仮に農業をやるとしても堆肥の調達に苦労しそうである。私は柑橘農家なので、奄美大島といえばタンカンというイメージがあったが、産業的に行われているタンカン園は一カ所も目に入らなかった。

要するに、島には仕事があんまりなさそうなのだ。

やはり島は貧しいのか。目的地の瀬戸内町古仁屋で、その続きを考えることにしよう。

(つづく)

2024年3月26日火曜日

海は「みんなのもの」。洋上風力発電事業の利害関係者とは…

吹上浜に巨大な風車を100基以上建てるという、吹上浜沖の洋上風力発電事業について、2024年9月の南さつま市議会(令和5年第3回定例会)で、計画縮小が明らかになった。

本坊市長の答弁をまとめると次の2点になる。

  • 6月下旬、事業者から県・市に対し、南さつま市海域での事業計画を凍結する旨の連絡があった。
  • よって、本市は当該事業の協議会構成員から外れた。

計画の縮小は喜ばしいが、気になったのは「南さつま市海域」という表現である。というのは、海は全て国の管轄であり、「南さつま市海域」なる概念は行政に存在しない

では、事業者(インフラックスという業者)が言っている「南さつま市海域」とは何なのか。いくら考えても分からないので、県の情報公開制度を使って事業者から提出された計画変更資料を取り寄せてみた。それが冒頭の画像である(提出された資料をトリミングして作成)。

これを見て、事業者の考える「南さつま市海域」は一発で分かった。

それは、変更前事業の区域にある「加世田漁協」「笠沙漁協」「県漁協南さつま支所」の範囲を指していたのである。そしてこの資料により、洋上風力発電事業を進める上で、いかに漁協の存在感が大きいかも再認識させられた。

そもそも、洋上風力事業は、国がある海域を「促進区域」として指定しなくてはスタートできないが、国がその指定を行うにあたって、利害関係者との調整を行うために設けるのが「協議会」という組織である。そして漁協は、この「協議会」の重要なメンバーになる。基本的には、漁協が反対していたら事業は進まない、と考えてよい。 

よって、事業者側としても漁協を味方につけるためにいろいろと工夫しており、それによって各地の漁協から「洋上風力発電事業に賛成」といった陳情がなされていることも周知の通りである。吹上浜沖の洋上風力事業については、私の知るところ、沿岸の漁協は概ね賛成している状況である。

そんな中、(明確に反対の意思表示はしていないが)賛成していないのが「笠沙漁協」だ。

もし、「笠沙漁協」が協議会に参加して、いつまでも賛成しなかったら、その事業を進める事は極めて難しい。冒頭の資料で「笠沙漁協」「県漁協南さつま支所」が赤くなっているが、もしかしたら、これは両漁協が洋上風力発電に賛成していないことを示しているのかもしれない。

そして、おそらくそれが事業者が「南さつま市海域」での事業計画を凍結した理由の一つなのだ。

また、凍結の理由としてもう一つ考えられるのが、「南さつま市海域」では他の事業者が洋上風力発電事業を計画していないことだ。

この図は、2023年5月19日の南日本新聞の記事「薩摩半島西方沖 洋上風力発電計画 沿岸5市対応割れる」に掲載されていた図である。

吹上浜沖も含め、現在3つの事業者が薩摩半島西方沖で洋上風力発電事業を計画しているが、日置市・南さつま市沖についてはインフラックス社のみがその事業想定海域としている。

県・国としては、風力発電事業の需要の高い海域を「促進区域」に指定するわけだが、この図を見ても分かる通り、薩摩川内市沖やいちき串木野市沖は2事業者の計画区域が重なっているから需要が高い。逆に南さつま市沖は1事業者のみなので、需要は低いということになる。

だから、インフラックス社としては、漁協の賛成が得られていないこと、他の事業者の計画がなく需要が低いと県から見られていることを踏まえ、計画を縮小したのだろう。

ところで、いちき串木野市沖は3事業者全てが計画区域としていて、この中では最も需要が高い海域となっている。

しかも、いちき串木野市はこれら周辺の自治体の中で、唯一(といってもいいと思う)、洋上風力発電に極めて前向きである。

いちき串木野市は2021年から風力発電の勉強会のような独自の協議会を立ち上げており、2023年度も「いちき串木野市洋上風力発電調査研究協議会」を立ち上げている(上述の「協議会」とは全く別)。これらの取り組みからは、はっきりと「洋上風力発電を誘致したい」という方向性が感じられる。

さらに、本日(2024年3月26日)の南日本新聞によれば、県の洋上風力発電に関する研究会で、同市から「いちき串木野市沖に絞った海域」で国に情報提供する案が提案されたという。この「情報提供」を行うことで、国は「促進区域」に指定するかどうかの検討を開始することになっているので、これはいわば、事業計画スタートの提案である。

もちろん、いちき串木野市が洋上風力発電を誘致したいのなら、他の自治体にいる人間(私)がとやかくいうようなことではないのかもしれない。

だが、「南さつま市海域」がないように、「いちき串木野市海域」もない。海はあくまでも「みんなのもの」(国の管轄)である。いちき串木野市が推進しているからといって、他の自治体や他市の住民を「利害関係者」から除外して進めることになると、ちょっとおかしいと思う。

そもそも、先ほどの「県の洋上風力発電に関する研究会」自体が半ば秘密裡に行われているような会で、これについては「関係者のみで進めましょう」という旧来の密室政治的な臭いを感じる。協議会が非公開になるのはわかるとして、その準備段階の研究会すら公開しないというのは解せない。県のやり方は県民の疑心暗鬼を招くものだ。

ところで、「促進区域」の指定にあたって「協議会」を設置すると先ほど書いたが、実はその前段階として「有望区選定」を行うというステップがある。そしてこの「有望区選定」の条件の一つが、「利害関係者を特定し、協議会開始の同意を得ていること」なのである。つまり、洋上風力発電事業がスタートするにあたっては、最初に「利害関係者」を特定する作業が必要となる。

逆に言えば、この「利害関係者」に入らなければ、いくら反対しても聞いてもらえない、ということだ。 もしいちき串木野市沖で洋上風力発電事業が行われるとしても、日置市や南さつま市といった関係自治体の関係者も含めた協議会で合意を得て進めるのであれば、まだ納得できる。しかし、今のところ、直接の利害関係者(自治体、漁協)に限って協議会を構成しようという方針のようだ。

その意味で気になるのが、冒頭の市長答弁の「よって、本市は当該事業の協議会構成員から外れた」という部分だ。計画後の事業区域も、金峰町の海岸の近傍であり、もちろん笠沙や大浦からも洋上風車がバッチリ見えることになる。にもかかわらず南さつま市が協議会に参画できないというのはどういうわけなのだろう。直接ではないかもしれないが、南さつま市民も利害関係者ではないのか。

繰り返すが、海は「みんなのもの」である。なるべく開かれた形で議論し、公明正大に事業を進めてもらいたい。

2024年3月20日水曜日

鹿児島市は、スタジアムに血道を上げるのは大概にして、市民生活に向き合ってください

鹿児島市のスタジアムの建設予定地として、北埠頭案が棄却された。

北埠頭も、ドルフィンポートと同様に無理な案なのは最初からわかりきったことだったが、県から引導を渡される形で、ようやく否決された格好だ。

この、スタジアムをめぐる鹿児島市(下鶴市長)のやり方は、なんだか地に足が付いていない感じがして仕方がない。

今回は、それに関係があるような、ないような話である。

さて、私は、今の鹿児島市宮之浦町の出身である。合併前は吉田町と言った。実家は薩摩吉田インターの近くで、小学校は「宮小学校」だ。

私の両親は、今もそこに健在なのだが、そこで困っていることがあるという。

それは、校区コミュニティセンターの出入り口と駐車場の問題である。

鹿児島市では、公民館を小学校区毎に整備することとし、宮小学校の近くに「宮校区コミュニティセンター」が建設された。現在、ここでは放課後児童クラブ(いわゆる学童)が行われており、私の母もその事務を手伝っている。

鹿児島市が校区コミュニティセンターを作ってくれたのは有り難いが、問題は、ここが非常に使いづらい土地の形であることだ。

https://maps.app.goo.gl/YHgr5kWXnSsnFVBQ9

具体的には冒頭の地図を見ていただければと思うが(コミュニティセンターは灰色屋根の建物)、改修前の旧県道のカーブした部分が県有地として残されており(赤線で囲った部分)、土地が現県道と変な形で接続しているのである。しかもこの赤線部分は、周りから一段盛り上がる形になっていて、今はなんとか駐車場として使ってはいるものの、非常に出入りがしづらい構造である。

それに、知っている人はわかると思うが、県道16号(鹿児島吉田線)は、結構交通量が多く、しかもここは坂になっているので、下りはかなりのスピードを出す人がいる。しかもちょうどここが微妙にカーブしているため見通しが悪く、この使いづらい駐車場に出入りするのは危険である。特に、学童のお迎えの時間がラッシュ時なのでなおさらだ。

そこで、ここの利用者からは、赤線部分の県有地を市に購入してもらって、平坦な駐車場(というか車の旋回地)にしてほしいという要望が出されている。県としては、当然使い道のない土地なので、かなり低価格で市に売却したい意向があることも確認済みだ。

ところが! 鹿児島市は、ここを駐車場にするつもりはないという。「現在、鹿児島市としては新たに土地を購入することはしない方針」というのが理由だそうだ。

そんなまさか! 北埠頭の土地を何十億円かで購入することを検討していた市がいうセリフとはとても思えないではないか。

スタジアムが必要ないとは言わない。

しかし、こういうところこそ、市民生活に直結するもので、お金を使うべきだと私は思う。金額も、スタジアムに比べれば100分の1も必要ない。もちろん、ここの駐車場問題とスタジアムは無関係だ。だが私には、鹿児島市がこういう問題に向き合わないことと、スタジアムのようなパフォーマンス的ハコモノにばかり注力していることは、地に足が付いていないという点で共通の態度を感じる。

古代ローマでは、緊縮財政をとりながら、それに不満を抱く市民に娯楽を提供するために豪華なコロッセオが造られた。もしかしたら、鹿児島市のスタジアムもそれと同じなのではないだろうか。鹿児島市は、市民生活に向き合うのではなく、市民の目を誤魔化そうとしているのではないか。

こういう、地味な市民生活の問題を一つひとつ解決することで、スタジアムをどうすべきかも見えてくるのではないかと、そう思っている。