2022年4月26日火曜日

初の著書『明治維新と神代三陵——廃仏毀釈・薩摩藩・国家神道』

初めての本が、この6月に出版の運びとなった。

『明治維新と神代三陵——廃仏毀釈・薩摩藩・国家神道』というタイトルだ。

管見の限り、「神代三陵」をテーマにした本は史上初ではないかと思う。神代三陵を知っている人自体が少なく、「何それ?」という状態なのを考えると、これまで神代三陵についての本がなかったのも当然かもしれない。

しかし、神代三陵という存在は、なかなかに面白い。

神代三陵とは、日本の神話に登場する天皇家の祖先、天孫ニニギノミコト、その子のホホデミノミコト、その子ウガヤフキアエズノミコトの陵墓である。ちなみにウガヤフキアエズの子どもが神武天皇だ。

この3柱の神々の陵墓は
可愛(えの)山陵」=薩摩川内市
高屋(たかや)山上陵」=霧島市
吾平(あいら)山上陵」=鹿屋市
と全てが鹿児島県に確定されており、宮内庁が管理している。

もちろん、「神」の墓、などというものを額面通りに受け取るわけにはいかない。そもそも神自体がいたかどうかもわからない。というより、神々が実在したとは、科学的に考えてありえないのである。しかし実在しないものの墓があるわけがないのだから、日本政府の公式見解としては、ニニギノミコト以下の神々は確かに存在したのだ、ということになる。

ではなぜ、四角四面で頭の堅い日本政府が、神々を現実のものとして扱っているのだろうか。それは、明治維新からの国家運営において、国家が神話を現実化しようと試みたからなのだ。日本は世界に冠たる「神の国」であるとしつらえるために必要だったことの一つが、神代三陵だったのである。

戦後にはそうした狂気じみた政策は是正されたが、神代三陵は引き続き宮内庁が管理しており、未だに国家公認の「神」の墓としての性格を失っていない。これは、宮内庁が積極的に残したというよりも、おそらくはさしたる議論もなく戦前からの管理が続いてきただけなのだろう。しかし、科学的な世界観が浸透した現代において、明治時代の置き土産である神代三陵が変わらず鹿児島にあり続けていることに、興味を覚えるのは私だけではないだろう。

そして、ニニギノミコトの天孫降臨を中心とする神話を「日向(ひむか)神話」というが、これの舞台は日向国、今の宮崎県であるから、神代三陵が全て鹿児島にあることには奇異な感じがする。宮崎県には西都原古墳群など立派な古墳がたくさんあり、逆に鹿児島にはあまり大規模な古墳はない。にも関わらず、なぜ明治政府は神代三陵を全て鹿児島に宛てたのであろうか。

これまで、「神代三陵が全て鹿児島に確定されたのは、薩摩閥の政治力のためだ」といわれてきた。誰しもそう思うに違いない。私が神代三陵について調べ始めたのも、薩摩閥の影響が具体的にどのようなものだったのかを検証しようとしたことが発端だ。結論を言えば、確かに薩摩閥の影響は大きかった。しかし不思議なことに、鹿児島の側から神代三陵を求めた形跡は一切ない。明治政府の宗教政策全体にわたって薩摩閥の影響は大きく、神道の国教化を進めたのは薩摩閥であるといっても過言ではない。それでも神代三陵については、鹿児島からの要望ではなく、むしろ国家の都合によって決定したものなのだ。

これまでも、歴代天皇陵の創出については多くの研究の蓄積がある。幕末明治の政権において天皇陵がどのような役割を負わされてきたか、そしてそれがどのように改変されてきたを辿れば、それが”国家”の創出に一役買ってきたことが理解できる。

幕末に至るまで、歴代の天皇陵は崇敬されることもなく、あるいは耕作され、あるいは山となり、日常の風景に溶け込んできた。それを讃仰すべき存在に替えたのは、「文久の修陵」と呼ばれる宇都宮藩の建白によって始まった事業だ。この事業では田んぼの中のたった2尺の塚だったところが神武天皇の陵墓に造成された。以来、多くの天皇陵が矢継ぎ早に確定され、整備されてきたのである。日本を急ごしらえの”近代国家”にするために。

言うまでもなく、神代三陵の創出も、こうした天皇陵の造成事業の一環である。だがそれが特殊なのは、歴代天皇陵については、一応、歴史的な存在と見なせたのに、神代三陵については、確定するのが神話の世界を現実化するもの以外ではありえなかった点だ。どうしてそんな無茶が可能になったのだろうか。そこには確かに薩摩閥の動向が大きく関わっていたのである。

本書はこうした観点から神代三陵という存在を考察し、神代三陵を明治維新史に位置づけたものである。

なお、本書は本ブログで「なぜ鹿児島に神代三陵が全てあるのか」と題して連載した記事を元にしており、それに2割くらい加筆修正した感じである。ブログ記事を書いている頃は、出版するとまでは思っていなかったので、今から考えると書き方に甘い点(特に先行研究への言及)も見受けられるが、今の自分の力量だと思ってそのままにした。

版元は、京都の法藏館。仏教書専門の出版社であり、創業400年を超える日本最古の出版社である。仏教書だけでなく、『黒田俊雄著作集』など歴史と宗教の研究書を数々出版してきた老舗だ。ただし、本書は専門書でも論文でもなく、一般向けの読み物である。

【参考】法藏館
https://pub.hozokan.co.jp/

どうしてこんな立派な出版社から、私のような無名・在野・しかも農家(!)、という売れそうな要素が一つもない著者の本が出るのか。当然こちらから持ち込んだからだが、コネもなく、私自身断られるとばかり思っていた。ところが法藏館さんは、著者の属性は度外視し、あくまでも内容を見て出版することを決定してくださったのである。変な言い方だが「さすが老舗は違う」と感心してしまった。

また、帯に掲載する文については、松岡正剛さんからいただいた。読書界では知らぬ人のない知の巨人であり、 私自身、学生時代からずっと尊敬し憧れてきた人である。これももちろん、ダメもとで法藏館さんにお願いしてもらったものだ。断られて当然と思っていたものの、ご快諾いただいて「で、我々は、神々をどうしたいのか。」というコピーをいただいた。歴史を俯瞰した、核心を突くコピーを書いてくださったことに感謝である。このコピーに惹かれて手にとってくれる方も多いに違いない。

(なお、法藏館さんが松岡正剛事務所に依頼したので、どうして松岡正剛さんが快諾して下さったのか詳しくはわからない。内容を評価してくださったのは間違いないと思うが…。)

出版までの作業は多くの方とのご縁があり、ダメもとだったはずの本の出版が、これ以上ない形で実現したことに自分自身ビックリである。

だが、ある意味では本を出すだけなら誰でも出来る(お金さえ出せば(笑))。大事なことは、それがちゃんと売れて読者に届き、あわよくば次の展開へと繋がっていくことである。著者割り当てもかなりの部数あるので、それを売らなければならないという現実的問題もあるが、ここだけの話、今回は初版の印税は著者に入らないので、自分の利益のために売りたいわけではない。

神代三陵を多くの人に知ってもらい、明治政府の宗教行政史を再考する機会となることが本書の目的である。そして今、右傾化しつつある日本において、神話を現実化するという、明治政府の間違いが再び繰り返されないように釘を刺すことができれば、望外の喜びである。

どうぞよろしくお願いします。 

【プロフィール】窪 壮一朗

1982年鹿児島生まれ。東京工業大学理学部数学科卒。2004年文部科学省入省、2008年退職。鹿児島県南さつま市大浦町に移住し、「南薩の田舎暮らし」の屋号で柑橘栽培を中心とする農業・食品加工業・ブックカフェ営業を手がける傍ら、郷土史や幕末以降の宗教行政史を研究。著作に『鹿児島西本願寺の草創期—なぜ鹿児島には浄土真宗が多いのか—』(私家版)がある。ブログ「南薩日乗」運営。

★Amazonページ
https://amzn.to/3SyFO8W

 ※直接の知人のみなさんは、私から直接買ってもらえるとすごく助かります! 

【その他のサイトでも取り扱っています】

  • 楽天ブックス
  • 紀伊國屋書店
  • セブンネットショッピング
  • honto
  • e-hon 全国書店ネットワーク
  • ヨドバシ.com
  • TSUTAYA online
  • Honya Club.com
  • HMV&BOOKS online
  • bookfanプレミアム

 


2022年4月1日金曜日

生徒の自由は制限できて当然だという間違った考えについて

この春、上の娘が中学生になる。

地元の公立中学だが、うちはやや僻地に住んでいるので結構遠い。ちゃんと計ってはいないが、家から4kmくらいありそうである。

当然、自転車通学になる。というわけで、中学校から自転車通学の申請書を出してくれとの指示があった。

その申請書を見て、私は「はぁ? おかしいんじゃないの??」と思ってしまった。

「いや、自転車通学の申請なんかどこでもやってるでしょ」「普通でしょ」と思う人が多いに違いない。それはそうだと思う。でもよくよく考えてみると、これはとてもおかしいことなのだ。どこがどうおかしいのかちょっと説明させて欲しい。

まず大前提として、道路交通法を守る限りは、日本では誰でも公道を自転車で通ることができる。

中学生も小学生も、自転車に乗るのは自由である。事実、うちの娘は自転車で友だちの家に遊びに行っている。それに誰の許可を必要とすることはない。もちろん親は、子どもが自転車(や遠出)に慣れないうちは、遠くに行かせないとか、交通量の多いところには行かせないとかするかもしれないが、それはあくまでも安全上の配慮からすることで、基本的に「子どもが自転車に乗る権利」を尊重する。

お店も同じである。「うちの店には自転車で来ないでください」なんてことは、どんな店でも言えない。人には自転車で移動する自由があるからだ。一方で、「うちには駐輪場がないです。店の前に自転車を路駐しないでください」は全然アリだ。これは実質的に自転車で来店することを制限してはいるが、「自転車を利用する自由」を制限しているわけではないからだ。

もう少し分かりやすく言うと、「うちには駐輪場がないです」の方は、あくまでもお店の管理責任が及ぶ範囲のことだけしか制限していない。店には自転車が駐められないと言っているだけで、別の場所の駐輪場を利用するなら店に自転車で来たっていいことになる。一方で、「うちの店には自転車で来ないでください」の方は、本来店側には全く制限する権利のない、店に来るまでの方法を制限しているからNGなのである。この2つが、似て非なるものであることをまず理解して欲しい。

では中学校の自転車通学の申請はどうか?

これは、どう考えても「うちの店には自転車で来ないでください」式のやり方である。自転車通学に許可が必要だなんて馬鹿げている。何しろ、中学校以外のところはどこへでも自転車で行くことができるのに、中学校に自転車で行くには許可が必要だなんてことがあるわけがないのだ。

「いや、でも家が近い人に自転車を使わせるのはちょっと…」という人もいるかもしれない。実際、うちの中学の場合も自転車通学の許可要件は「通学距離が1.5km以上あること」である。だが、実のところ距離で要件を定めるのは不合理だ。しかもそのことには、中学校自身も薄々感づいているようだ。

というのは、先日あった入学説明会でも中学校から「距離は自己申告ですので、1.5kmに100m足りないから申請できないとかそんなことはないので〜」と言っていたからだ。許可要件が合理的でないから、こういう「柔軟な対応」が出てくるのだ。

通学距離が1.5kmの人は自転車通学がOKで、1.4kmの人はダメなのは理屈に合わない(それが規則だから、という理由以外では)。では1.3kmはどうか? 500mなら? どこにラインを引くべきなのか? 結局、元来誰でも自由に自転車で学校に来ていいはずなのに、そこに無理矢理1.5kmという自転車通学の許可要件を定めているだけであり、どこにも合理的なラインはないのである。だからこそ中学校は距離要件に関しては「柔軟な対応」をするわけだ。しかし「柔軟な対応」が必要なくらいなら、最初からそういう要件は設けない方がずっと合理的なのである。

「でも家が近い人もみんな自転車で通学していいわけ?」と思う人もいるだろう。私は全然構わないと思う。各人が、一番疲れない、楽に登校できる方法で登校したらよいと思う。人によってはそれが「不公平」だというかもしれないが、そもそも家から学校への距離が違う以上、どんな交通手段を用いたとしても不公平である。学校に近い人の自転車通学を禁じたとしても、遠い人の通学が楽になるわけではない。

だが、現実的に駐輪場の数が限られていて、生徒全員が自転車通学すると駐輪できない! という場合は、通学距離が短い人から駐輪場の利用を制限されるのはもちろん合理的である。先ほどの譬えでいえば、 「うちには駐輪場がないです」式の制限なら理解できる。生徒の自転車を使う自由を制限しているのではなく、あくまで駐輪場という学校施設の管理上の都合を言っているに過ぎないからだ。

だから私の主張をまとめるとこうだ。

「「自転車通学の許可申請」は、中学校には本来は規制する権限がない「生徒が公道を自転車で移動する自由」を制限しているのでよくない。あくまでも学校施設の都合からの「駐輪場の利用許可申請」にすべきである。」

「いや、ほぼおんなじことじゃん!」と感じる人もいるに違いない。どっちにしろ実質的には自転車通学を規制するのだから。だがその細かい違いには、日本の学校にありがちな問題が現れている。それは「中学校には本来規制する権限がない」ことでも制限できて当然という、中学校の認識である。いや、中学校の方では「中学校には本来規制する権限がない」なんてことすら見えていないに違いない。ただ、「中学校は生徒の自由を制限できて当然だ」と思っているのである。民主制の社会では、本来、人が当然に持っている自由を制限するということは簡単なことではないにも関わらずだ。

行政が人々の自由を制限したり、義務を課したりする際には、通常「法律」の制定が必要になる。どういう要件の時に制限できるかといったことを定めるのは「政令」(閣議決定)で、要件の細かい内容を定めるのは「省令」(大臣が定める)である。でも普通は、国会を経ない「政令」とか「省令」だけでは、自由の制限そのものをすることはできない。それくらい、自由を制限することは重いことだ。

そして人々の方は、理由なく自由の制限をされることには反発しなくてはならない。なぜなら、今我々が享受している自由は、先人が戦って手に入れたもので、その戦いは静かにでも続けない限りは、再びなくなってしまうものだからである。

だが中学校というところは、そうした権力と自由の関係を全く理解していないようだ。例えば、中学校には非合理的な校則が多い。うちの中学では下着の色まで決まっている。もちろん馬鹿げた校則である。しかしそもそも、どうして中学校は校則というものを定める権限があるのだろうか。

実は校則は、法令の上では全く位置づけられていない。中学校には、校則を定める法的な権限はないのである。ただ、学校長が学校運営を行う上での決まりを定められるだけだ。しかしながら、その点があまり学校や教育委員会には認識されていないようだ。そうでなければ「中学校は生徒の自由を制限できて当然だ」なんて思うはずはないのである。

「いや、そんなこと思っていませんよ」というのであれば、今すぐ「自転車通学の許可申請」を「駐輪場の利用許可申請」に変更して下さい、といいたい。「いやあそれにはこういう事情があって…」と言い訳するのは目に見えている。生徒の自由よりも、「諸般の事情」が優先されるのが、残念ながら今の公立中学校であろう。

ちなみにうちの娘が進学する中学校は、生徒数が50人くらいの過疎の中学校である。当然駐輪場の数も十分だ。教室も校庭も体育館も、本当にひろびろ使える人数である。そして生徒の方も、規則でその自由を制限しなくても、自分たちでよりよい学校生活を作っていくことができる子たちばかりだ。

中学校では、不条理に自由を制限されることを覚えるよりも、人が本来持っているはずの自由を守っていく力をつけて欲しい。入学前から、自転車通学の許可申請書を前にしてそんなことを思っている。