2012年4月17日火曜日

現代の(機械化された)田植えは、重労働ではありません。

田植えの時期である。先輩農家の手伝いで田植え作業の日々が続いている。

大浦町は早期米の生産地なので、一般的な田植えの時期(5月〜6月)に比べると1ヶ月以上早いが、これでも近くの金峰町に比べれば遅い田植えである。金峰町では、「超早場米」といって7月には出荷する水稲生産をしており、これは実は本土では一番早いお米らしい。

さて古来、田植えは収穫と並んで重要な稲作の中心行事であり、非常に重労働なこともあって、一種のお祭りであった。田植えはあまりに重労働だったので、お祭りにしなくてはやってられなかったのだと思う。

ところが、水稲は農業の中でも最も機械化されている作物の一つで、正直、現代の田植えは、体力的にはそんなに大変ではない。田植え自体は機械がするわけで、人がやることは機械操作や苗の補給くらいしかやることはない。むしろ、機械のメンテナンスや調整、(機械がスムーズに田植えできるように水田を整地する)代掻きといった、事前準備の方が大変である(もっと遡れば、播種=箱苗づくりはかなり大変である)。

田植えは時間的拘束が長いし、単調な作業が続くし、泥を触るので手が荒れるといったことはあるけれども、それ自体は重労働とは言えなくなった。機械での作業をするためのお膳立てのような昔とは違った面で大変さはあるが、現代の田植えは少数の人員でこなすことが出来るし、普段の農作業と大きな差はなく、かつてのように農耕儀礼を必要とするような特別な作業ではなくなってきている。

それは、効率化・省力化されたということだから耕作者にとってはいいことだが、重労働と結びついた文化が失われてしまったという面では、少し寂しい面もある。特に、昔田植えの時に歌われていた作業歌である「田植え歌」というのがなくなってしまったことは、一つの音楽文化の喪失であり、私には残念だ。

0 件のコメント:

コメントを投稿