2012年9月3日月曜日
「日本版アグロフォレストリー」という考え方
アグロフォレストリー(Agroforestry)をご存じだろうか? 私は、鹿児島でこれを実行できたらいいなと思っている。
アグロフォレストリーとは、Agro=農とForestry=林業を組み合わせた言葉で、普通「農林複合経営」とか「混農林業」と訳される。これは環境にやさしい持続可能な農法であるとともに、森林の再生にも役立ち、かつ農家の収入の安定も図られるということで、近年、熱帯地域途上国の農業戦略として非常に注目を集めている。
具体的にどのようなものかというと、熱帯雨林を伐採(または焼畑)した跡地を利用するのだが、ここに例えばトウモロコシやコショウをまず植える。そして平行してバナナやカカオを植える。さらにマホガニーなど換金性の高い材となる樹も植える。ついでに、アサイーなどの果樹も植えておく。
するとどうなるか。1、2年目はトウモロコシが収穫できる。3年目くらいになるとコショウやバナナが収穫できる。6年くらい経つとカカオが収穫できる。カカオは高収益をもたらす樹木だが、定植からしばらく収入がないのがネックだ。このやり方だと、カカオによる収益がない間、収入を得ることができる上、日陰を好むカカオにマホガニーなどによって樹陰を提供することもできる。
アグロフォレストリーの面白いのはここからで、カカオの単一栽培が目的ではなく、アサイー(高木の果樹)が採れたり、他の果樹からの収入も細々と確保しながら農業を続け、30〜40年後にはマホガニーも伐採することができ一時的ではあるが高収入が得られる。結果として、多様な樹種が育つ森が再生することから、アグロフォレストリーは「森をつくる農業」とも言われる。
これを始めたのは、ブラジルのトメアスというところに入植した日本人、日系人である。彼らは最初、コショウの農園を経営していた。入植者の常として、必死に働いていたのだと思う。しかし、ある時コショウが病害虫の被害を受けて破産状態になってしまう。そのとき現住民の暮らしを見て思う。「なぜ、彼らは必死に働いているわけでもないのに飢えないのだろうか?」
現住民は、手近にあるいろいろな果樹を利用して、どんな気候や病害虫が発生してもなんらかの食料が確保できるように暮らしていたのであった。「これを自分たちもできないだろうか?」こうしてアグロフォレストリーが始まった、と言われる。
コショウの大規模栽培の方が収益は高いが、ひとたび病害虫が発生すれば大きな被害を受ける。つまり大規模栽培はハイリスク・ハイリターンなのだ。一方、様々な果樹を混植し、その樹陰で野菜を栽培することは効率は落ちるが、病害虫の被害を受けにくく、定常的な収益が期待できる。つまりローリスク・ローリターンだ。
しかし、単一作物大規模栽培と違って、流通が複雑になるという決定的弱点をアグロフォレストリーは持っている。いくら定常的に果樹が収穫できても、それが少量であれば、遠方まで売ることは難しく、現金収入に結びつかない。今、ブラジル政府は国を挙げてアグロフォレストリーを推進しているが、彼らがやっているのは他品種生産のジュース工場の建設だ。個別の農家の収穫は少なくても、それをジュースにしてパックすれば長く保管できるし遠方まで出荷できる。最近、東京などでは見慣れない熱帯果実のジュースを売るスタンドを見かけるが、これはアグロフォレストリーの成果でもあると思う。
アグロフォレストリーは新しい言葉だが、世界中で、特に東アジアでは古くから行われていた農法だ。日本でかつて行われていた焼畑農法も一種のアグロフォレストリーで、焼畑の後数年間はソバ、ヒエ、ダイコン、カブ、サトイモ、マメなどを育て、さらにコウゾやミツマタなどを植えて換金性の高い植物で10年くらい利用した後、スギの植林を行うというスギの造林法があった。特に土佐ではそういう造林が最近まで行われていたという。
また、単一作物の大規模栽培が世界中で進んだ結果、病害のグローバル化と深刻化の度合いは増している。植物検疫の制度は今のところなんとか機能しているが、人とモノの移動の活発化によってリスクは増大する一方だ。一方アグロフォレストリーは、作物の他品種少生産によって病害虫リスクも低減でき、ほとんど農薬を使わずにすむという。
こういうことから、アグロフォレストリーは途上国政策を行う者にとって非常に重要なツールになりつつあるが、私は、これは熱帯途上国だけに有効な手法ではないと思う。 熱帯雨林は実は土地が痩せていて、一度伐採すると森林の再生が難しいということからアグロフォレストリーの一つの存在意義がある。対して日本では耕作放棄地は勝手に森へと戻っていくので、わざわざ「森を作る農業」は必要ないのではないか、という人もいるだろう。
しかし、アグロフォレストリーは、元々森林の再生を目的として発想されたのではなくて、持続可能でローリスクな農業を目指してできたものだ。その理念や方法は日本でもあり得るのではないか。流通が複雑化するという欠点も、インターネットを通じた直販を利用すれば克服できるような気がする。
つまり私が実行してみたいのは、「日本版アグロフォレストリー」だ。日本人・日系人がブラジルで考案したアグロフォレストリーを、改めて日本でやってみたらどうか。実は、この入植者には鹿児島出身の人も多くいたのだ。熱帯雨林ではない、温帯気候の下でどんなアグロフォレストリーができるのかわからないが、賞揚されてやまない「里山」も一種のアグロフォレストリーであったわけで、きっと面白いことができると思っている。
【参考URL】
「アグロフォレストリー 森をつくる農業(1)(2)(3)」 3本立ての動画(youtube)。見るのに時間はかかるが、この動画を見るのが一番わかりやすい。冒頭の動画はこれ。
「アグロフォレストリー」という発想。 竹の専門家でもある内村悦三氏が語ったアグロフォレストリー。
アマゾンの里山 トメアスでのアグロフォレストリーを取材した記事。
多様性保つ「森をつくる農業」アグロフォレストリーの先進地 毎日新聞の記事。
World Agroforestry Center ケニアのナイロビにあるアグロフォレストリー研究の総本山(英語)。南米で始まったアグロフォレストリーを、アフリカでも根付かせようと活動している。
2012年8月30日木曜日
頴娃町出身のユニークな音楽家:サカキマンゴー
鹿児島県の頴娃町出身のユニークな音楽家に、サカキマンゴーさんという人がいる。
この人は、地元の祭りで偶然聞いたアフリカ音楽に魅せられ、大学ではスワヒリ語(アフリカ東海岸で話されている言葉)を専攻、休学してアフリカ縦断の旅に出て、その後リンバ(親指ピアノ)という民俗楽器と出会う。そして、「七色の声を持つ男」と呼ばれた著名なリンバ奏者フクウェ・ザウォセ氏になんとタンザニアまで行って弟子入り。
こうして、サカキマンゴーさんは本場のアフリカ音楽を学んだが、自らが演奏するのは、リンバによる浮遊感のあるリズムを活かしながらも、それを日本でも違和感なく聞けるようにアレンジしたオリジナルソングだ。それは、日本語、スワヒリ語、鹿児島弁を自由に行き来した不思議な音楽である。
鹿児島弁で歌詞を書くミュージシャンは長渕 剛氏を筆頭に少なくないが、やはり鹿児島の人に向けて書いている場合が多いような気がする。サカキマンゴーさんの場合は、活動の拠点は東京やアフリカで、必ずしもリスナーに鹿児島県民が多いわけではないように見える(県内で特にCDが売れているとも聞かない)。むしろ、鹿児島弁の土着的な表情がアフリカ音楽に合致しているということで、鹿児島弁を使っているように思われる。
それにしても、頴娃という鹿児島でもかなりディープな(?)地方から、相当にディープなアフリカ音楽を奏でる人が出てくるというのは面白い。冒頭に貼り付けた曲が収録された『オイ!リンバ Oi!limba』というアルバムを購入して聴いてみたが、全体的ポップな感じになっているので、私としては、さらにディープな方向に突き進んでもらいたいと思う。
2012年8月27日月曜日
「加世田かぼちゃ」で作った「かぼちゃのコンフィチュール」
先輩農家と共同で(というか、おんぶにだっこで)秋かぼちゃを作らせてもらえることになって、早速作業が始まっているが、今日は台風の影響でお休み。
水稲収穫後の田んぼを使うのだが、今日だけでなく天気に恵まれず作業が思うように進まない。秋かぼちゃは台風の影響をモロに受けるので博打性が高いらしいが、既に負け博打の様相を呈しており、天候の好転を願うばかり。
ところで、春にかぼちゃを作りますという記事を書いたのだが、その結果を書くのを忘れていた。約100株作って、収穫はコンテナ10個分くらい。個数にして(まともなのは)70個くらいだった。総じて大きさは十分だったが、早く葉が枯れてしまったこともあって、味に濃厚さは足りなかった。やはり農薬を使わなかったのが大きかったと思う。
家内が、そのかぼちゃを使ってコンフィチュールを作ってくれた。コンフィチュールというのは、簡単に言えばフランス風のジャム。素朴なだけに素材の味がよく出て、甘いかぼちゃで作ったこいつはとても美味。我が子(2歳)が喜んでパンに付けて食べている。ついでにそれらしいラベルを作ってみたら、商品としていけそうな気がしてきた。
かぼちゃというと、煮付けで食べるのがスタンダードだと思うが、「加世田かぼちゃ」はせっかくのブランド野菜なのだから、利用法も含めて独自色があってもよいと思う。高級野菜だから料亭等で使われているのだと思うが、それでは一般への認知は進まないし、ブランド野菜としてのアイコン(象徴)的な商品があるといいのではないか。
このコンフィチュールがそのような商材になることを期待するものではいが、金を掛けて大規模なキャンペーンをするのでない限り、草の根の試行錯誤がブランドを作るわけで、美味しいかぼちゃが出来たら、その利用法もいろいろ工夫・発信していきたい(正確には、家内に工夫してもらいたい…)。
水稲収穫後の田んぼを使うのだが、今日だけでなく天気に恵まれず作業が思うように進まない。秋かぼちゃは台風の影響をモロに受けるので博打性が高いらしいが、既に負け博打の様相を呈しており、天候の好転を願うばかり。
ところで、春にかぼちゃを作りますという記事を書いたのだが、その結果を書くのを忘れていた。約100株作って、収穫はコンテナ10個分くらい。個数にして(まともなのは)70個くらいだった。総じて大きさは十分だったが、早く葉が枯れてしまったこともあって、味に濃厚さは足りなかった。やはり農薬を使わなかったのが大きかったと思う。
家内が、そのかぼちゃを使ってコンフィチュールを作ってくれた。コンフィチュールというのは、簡単に言えばフランス風のジャム。素朴なだけに素材の味がよく出て、甘いかぼちゃで作ったこいつはとても美味。我が子(2歳)が喜んでパンに付けて食べている。ついでにそれらしいラベルを作ってみたら、商品としていけそうな気がしてきた。
かぼちゃというと、煮付けで食べるのがスタンダードだと思うが、「加世田かぼちゃ」はせっかくのブランド野菜なのだから、利用法も含めて独自色があってもよいと思う。高級野菜だから料亭等で使われているのだと思うが、それでは一般への認知は進まないし、ブランド野菜としてのアイコン(象徴)的な商品があるといいのではないか。
このコンフィチュールがそのような商材になることを期待するものではいが、金を掛けて大規模なキャンペーンをするのでない限り、草の根の試行錯誤がブランドを作るわけで、美味しいかぼちゃが出来たら、その利用法もいろいろ工夫・発信していきたい(正確には、家内に工夫してもらいたい…)。
2012年8月24日金曜日
スイートコーンの2つの弱点
トウモロコシ(スイートコーン)の収穫である。
実が揃っているし、割ときれいに出来たが、全体として見れば、結果は悪い。というのも、約1割が野生動物(ムジナ?)に食われ、7割がアワノメイガの侵入を受け、全く無傷なのは1割程度、食害部分の除去などでなんとか利用可能のを含めても3割程度しかなく、約1000株のうち出荷可能なのはたったの300株しかない。アワノメイガというのはトウモロコシの大害虫。だが、逆に言えばこいつらさえ防除すれば、トウモロコシに被害を及ぼす病害虫はほとんどない。
もちろん、薬剤散布をして防除すればアワノメイガの被害は防げたわけだが、最初だからあえて無農薬でやってみた。ものの本にも「2〜3回は薬剤散布が必要」と書いてあるし、周りの方にも「薬はかけなきゃだめ」と言われていたけれど、 本当にそうかどうか、実際にやってみないと納得できない性分なので、まあ授業料と思えばよい。なお、除穂(無駄な雌穂を取り除く)の際に食害は気づいていたので、これは予想された結果ではある。
また、こちらは特にこだわりがあったわけではないが、化学肥料を使わず、有機肥料のみで作ったので、一応定義的には有機栽培だ(※)。ただ、「有機栽培」という言葉は、現在の法の枠組みでは認証を受けないと使えないので、販売の際にも有機栽培と言うことは出来ず、別段有利になるわけでもない。 まあ、慣行農法で作った場合に比べてどれだけ安全性や食味が増しているかというと、正直そんなに変わらないような気はするが。
ちなみに、トウモロコシ(スイートコーン)を作った理由は、時期的なものはもちろんだが、穀物として面白いと思ったこともある。米や麦といった穀物は、炭水化物の摂取を主な目的としているので、良質な(美味しい)炭水化物を効率的に大量に産出できるように品種改良が進んだ。一方トウモロコシの場合は、19世紀に入って在来の甘い品種が改良され、スイートコーンが出来た。穀物なのに、甘味を楽しむ方向に品種改良が進んだのは興味深い。「甘い米」や「甘い麦」はないのに、同じイネ科なのに不思議だ。
早速食べてみると、生でも食べられるし、茹でれば甘く美味しい。なにしろ、トウモロコシというのは採ったらその瞬間から劣化していく作物なので、採れたてのスイートコーンが一番美味しい。 ただ、美味しい採れたてを食べられるのは、栽培している人やその周りの人だけなので、アワノメイガ以外のスイートコーンの弱点はまさにそこにあるとも思う。
※ 有機栽培というのは、無農薬(正確には有機認証された農薬以外使わない)かつ化学肥料を使わない栽培。
実が揃っているし、割ときれいに出来たが、全体として見れば、結果は悪い。というのも、約1割が野生動物(ムジナ?)に食われ、7割がアワノメイガの侵入を受け、全く無傷なのは1割程度、食害部分の除去などでなんとか利用可能のを含めても3割程度しかなく、約1000株のうち出荷可能なのはたったの300株しかない。アワノメイガというのはトウモロコシの大害虫。だが、逆に言えばこいつらさえ防除すれば、トウモロコシに被害を及ぼす病害虫はほとんどない。
もちろん、薬剤散布をして防除すればアワノメイガの被害は防げたわけだが、最初だからあえて無農薬でやってみた。ものの本にも「2〜3回は薬剤散布が必要」と書いてあるし、周りの方にも「薬はかけなきゃだめ」と言われていたけれど、 本当にそうかどうか、実際にやってみないと納得できない性分なので、まあ授業料と思えばよい。なお、除穂(無駄な雌穂を取り除く)の際に食害は気づいていたので、これは予想された結果ではある。
また、こちらは特にこだわりがあったわけではないが、化学肥料を使わず、有機肥料のみで作ったので、一応定義的には有機栽培だ(※)。ただ、「有機栽培」という言葉は、現在の法の枠組みでは認証を受けないと使えないので、販売の際にも有機栽培と言うことは出来ず、別段有利になるわけでもない。 まあ、慣行農法で作った場合に比べてどれだけ安全性や食味が増しているかというと、正直そんなに変わらないような気はするが。
ちなみに、トウモロコシ(スイートコーン)を作った理由は、時期的なものはもちろんだが、穀物として面白いと思ったこともある。米や麦といった穀物は、炭水化物の摂取を主な目的としているので、良質な(美味しい)炭水化物を効率的に大量に産出できるように品種改良が進んだ。一方トウモロコシの場合は、19世紀に入って在来の甘い品種が改良され、スイートコーンが出来た。穀物なのに、甘味を楽しむ方向に品種改良が進んだのは興味深い。「甘い米」や「甘い麦」はないのに、同じイネ科なのに不思議だ。
早速食べてみると、生でも食べられるし、茹でれば甘く美味しい。なにしろ、トウモロコシというのは採ったらその瞬間から劣化していく作物なので、採れたてのスイートコーンが一番美味しい。 ただ、美味しい採れたてを食べられるのは、栽培している人やその周りの人だけなので、アワノメイガ以外のスイートコーンの弱点はまさにそこにあるとも思う。
※ 有機栽培というのは、無農薬(正確には有機認証された農薬以外使わない)かつ化学肥料を使わない栽培。
2012年8月22日水曜日
『万世歴史散策』を届けてもらいました。
南さつま市にある小さな街「万世(ばんせい)」、そこの歴史についての本が自費出版されたというニュースを見て、早速編著者の窪田 巧さんに電話してみた。記事に連絡先が書いてあったからだ。
本を買いたいというと、「もう手元にある分は全部売れちゃったんですよ」とのこと。「でも、鹿児島市内の大木建設設計事務所に販売を卸してるんですが在庫があったかも。連絡してみて下さい」と言われ、そこに電話するとあと2冊だけあるとのこと。取りに伺うと言うと、「自分は大浦出身だから、お盆に帰郷した時についでに持って行きますよ」と言う。世の中には親切な人がいたもんだ。
届けて頂いた際に話を伺うと、大木建設の方と窪田さんが(高校の?)同級生である関係で、鹿児島県内の販売を大木建設が担っているらしい。
早速読んでみると、歴史散策の書名が示すとおり興味の赴くままに、昔話や万世に縁ある事物の取材、地名の由来の推測などが並べられている。書きたいことを書いた、というような内容で、著者自身が「卒業文集の延長」と言うとおり、およそ一般読者のことは考えられていないが、万世出身の人などは涙を流して喜ぶような本だと思う。これぞ自費出版の正しいあり方だ。
私自身にとっても、なるほどと思わせるところが随所にあり、地域史の勉強のよい参考書になった。丁字屋、南薩鉄道、鮫島氏…などなど、個別のことについてはまた改めて気が向いた時に書きたいが、いろいろヒントを与えてもらったと思う。こういう地域の歴史本が、もっとたくさん出てほしいものだ。
それにしても、著者の窪田さん、全盲というのが凄い。奥さんはさぞかし献身的な協力をされたのだと思う。だが、ニュース記事では「妻と二人三脚で」と書いてあったが、本書にはまえがきにも編集後記にも、奥さんへの言及はない。女は黙って俺について来い的な、(でも実際は裏で奥さんが大活躍してる)典型的な鹿児島の夫婦なんだろうか…?
本を買いたいというと、「もう手元にある分は全部売れちゃったんですよ」とのこと。「でも、鹿児島市内の大木建設設計事務所に販売を卸してるんですが在庫があったかも。連絡してみて下さい」と言われ、そこに電話するとあと2冊だけあるとのこと。取りに伺うと言うと、「自分は大浦出身だから、お盆に帰郷した時についでに持って行きますよ」と言う。世の中には親切な人がいたもんだ。
届けて頂いた際に話を伺うと、大木建設の方と窪田さんが(高校の?)同級生である関係で、鹿児島県内の販売を大木建設が担っているらしい。
早速読んでみると、歴史散策の書名が示すとおり興味の赴くままに、昔話や万世に縁ある事物の取材、地名の由来の推測などが並べられている。書きたいことを書いた、というような内容で、著者自身が「卒業文集の延長」と言うとおり、およそ一般読者のことは考えられていないが、万世出身の人などは涙を流して喜ぶような本だと思う。これぞ自費出版の正しいあり方だ。
私自身にとっても、なるほどと思わせるところが随所にあり、地域史の勉強のよい参考書になった。丁字屋、南薩鉄道、鮫島氏…などなど、個別のことについてはまた改めて気が向いた時に書きたいが、いろいろヒントを与えてもらったと思う。こういう地域の歴史本が、もっとたくさん出てほしいものだ。
それにしても、著者の窪田さん、全盲というのが凄い。奥さんはさぞかし献身的な協力をされたのだと思う。だが、ニュース記事では「妻と二人三脚で」と書いてあったが、本書にはまえがきにも編集後記にも、奥さんへの言及はない。女は黙って俺について来い的な、(でも実際は裏で奥さんが大活躍してる)典型的な鹿児島の夫婦なんだろうか…?
2012年8月21日火曜日
古民家の音響は、素晴らしい
意外かも知れないが、古民家の音響は極めていい。
私は一応ちょっとしたアンプで音楽を聞いているが、スピーカーはいらなくなったミニコンポのスピーカーだし、耳は悪いし、音に特別こだわるタイプではないけれど、それでも違いがわかるくらい、音の質がいい。
古民家の音響がよい理由は、その構造にある。
我が家は昔、天井裏で蚕を飼っていたようで、天井裏に割と広い空間がある。古民家であれば、蚕ならずとも米倉庫や藁置き場になっていたり、天井裏の空間が活用されていたことが多いだろう。
また、部屋の仕切りがあまりないことも相まって、オーディオから発せられた音がこの天井裏の空間を通じて家全体に共鳴し、よく響く。しかも、不明瞭な響き方ではなくて、一音一音が明晰に、繊細に鳴り響く。オーディオから一番離れた部屋にいても、音楽が不思議なくらい自然に聞こえる。これは、鉄筋コンクリートの建物に比べ、無用な音の反射がないからとも思う。コンクリートの壁は、むやみやたらに音を反射させるのでよくない。
つまり、古民家にオーディオを置けば、家そのものが楽器になり共鳴するのだ。特に中低音の響きには艶があり、中音域の奥行きが豊かに聞こえる。ジャズやクラシックを聴くのには最高の環境と思う。ただ、ポップスやロックで、高音がキンキンしているような曲の場合、もしかしたら迫力が削がれてしまっているような気もする。まあ、何事にも一長一短はある。
ちなみに、家そのものが共鳴するため、家の外にも音楽がよく聞こえ、都会であれば騒音問題になりそうなほどだ。ここは田舎で家もまばらだから深夜でもない限り気にする必要はないだろうが…。
古民家は音響がいいというのは何も私だけが言っているのではなく、ネットを見てみると結構いろいろな人が古民家で音響を楽しんでいるみたいだし、先日伺った美山のたけずみ屋さん たけずみ本舗では古民家にバカでかいスピーカーが鎮座して最高の音響環境を演出していた。
音響の基本はまず空間(部屋)であって、そう言う意味では、古民家はオーディオマニアの家として一つの選択肢だと思う。まあ、そのためだけの部屋(オーディオルーム)には及ばないのかもしれないが、リタイア後に、古民家に移り住むオーディオマニアがいてもおかしくないレベルだと思っている(私自身はオーディオマニアではないので戯れ言にすぎないけれど)。
私は一応ちょっとしたアンプで音楽を聞いているが、スピーカーはいらなくなったミニコンポのスピーカーだし、耳は悪いし、音に特別こだわるタイプではないけれど、それでも違いがわかるくらい、音の質がいい。
古民家の音響がよい理由は、その構造にある。
我が家は昔、天井裏で蚕を飼っていたようで、天井裏に割と広い空間がある。古民家であれば、蚕ならずとも米倉庫や藁置き場になっていたり、天井裏の空間が活用されていたことが多いだろう。
また、部屋の仕切りがあまりないことも相まって、オーディオから発せられた音がこの天井裏の空間を通じて家全体に共鳴し、よく響く。しかも、不明瞭な響き方ではなくて、一音一音が明晰に、繊細に鳴り響く。オーディオから一番離れた部屋にいても、音楽が不思議なくらい自然に聞こえる。これは、鉄筋コンクリートの建物に比べ、無用な音の反射がないからとも思う。コンクリートの壁は、むやみやたらに音を反射させるのでよくない。
つまり、古民家にオーディオを置けば、家そのものが楽器になり共鳴するのだ。特に中低音の響きには艶があり、中音域の奥行きが豊かに聞こえる。ジャズやクラシックを聴くのには最高の環境と思う。ただ、ポップスやロックで、高音がキンキンしているような曲の場合、もしかしたら迫力が削がれてしまっているような気もする。まあ、何事にも一長一短はある。
ちなみに、家そのものが共鳴するため、家の外にも音楽がよく聞こえ、都会であれば騒音問題になりそうなほどだ。ここは田舎で家もまばらだから深夜でもない限り気にする必要はないだろうが…。
古民家は音響がいいというのは何も私だけが言っているのではなく、ネットを見てみると結構いろいろな人が古民家で音響を楽しんでいるみたいだし、先日伺った美山のたけずみ屋さん たけずみ本舗では古民家にバカでかいスピーカーが鎮座して最高の音響環境を演出していた。
音響の基本はまず空間(部屋)であって、そう言う意味では、古民家はオーディオマニアの家として一つの選択肢だと思う。まあ、そのためだけの部屋(オーディオルーム)には及ばないのかもしれないが、リタイア後に、古民家に移り住むオーディオマニアがいてもおかしくないレベルだと思っている(私自身はオーディオマニアではないので戯れ言にすぎないけれど)。
2012年8月19日日曜日
地味な雑草ヤブラン、実は有用?
ポンカン園の下草払いをしたら、雑草の合間にたくさんのヤブラン属の花が咲いていた。ヤブランにしては小さく、また群落が小規模なのでコヤブランかヒメヤブランだろうか。辞典での知識しかないのでよくわからない。
ヤブランは藪蘭と書くが、ランの仲間ではなくユリの仲間(※1)で、日本全国に自生する可憐な花の野草。斑入りの栽培種もあって園芸として育てている人もいる。しかし、見た目の派手さがなく地味なため、あまり好んで植えられているものではないと思う(もしかしたらこれが人気の地域もあるかもしれないが)。
私のポンカン園でも勝手に生えてきているわけで、さらにそれを時々下草払いしているので全く生長が奮わない。私はこういう何気ない小さな花が好きなので、できればこれを残したいと思うが、下草払機をブンブン振り回している時に、小さな草を保護する心の余裕はない…。
そもそも、林床など光の少ないところでよく育つだけでなく、幅広い気候に対応したヤブラン属は日本ではありふれた雑草で、ほとんど有り難がられていない。特に農業ではそうだろう。
しかしこのヤブラン、150〜200年前に日本から米国に移入されており、米国の特に南西部では被覆植物として非常にメジャーな存在になっている。米国での使われ方は、芝と似ており、芝の生やしにくい場所や歩道との境界などに植えているケースが多いようだ。そのため、ヤブランは英語ではlilyturf(ユリ芝)とかborder grass(境界草)という(※2)。芝よりも手入れの手間が少なく、花も楽しめて、土壌と気候の適応性が大きいということで、ヤブランは公園整備やガーデニングの脇役として重要な地位を占めているのだ。
より身近なはずの日本でそのような使われ方があまり見ないのは不思議だ。私はポンカン園の林床をヤブランにしてしまったら、下草刈りの手間が激減するのではないかと思っているが(※3)、具体的にはどうやって増やすかがちょっと課題だ。ジワジワと拡大させるのは可能だが、ヤブランは実生で増やすのが難しく、確実には株分けで増やすらしいが、これは現実的ではないからだ。
さらについでに書くと、ヤブランの種子は進化的に面白い存在だ。被子植物なのに果実の部分がなくて、黒くてまん丸い、まるで実のような種だけがついている。これは果実を作るエネルギーを節約し、種を果実に擬態させることで、鳥が果実と間違えて食べることを期待しているのではないか、と言われている。具体的にはイヌツゲとかアオツヅラフジの実に似ているというが、全体像が違いすぎるのでこんなのに騙される鳥がいるのか疑問もある…。
以前イネ科植物はほぼ果実を作らないということを書いたのだが、ヤブランの場合は果実を完全に捨て去っていて種は剝きだしであり、被子植物の果実進化の極北ともいうべき存在であると思う。ヤブランは進化的にも面白く、ガーデニングにも有用なのに、ほとんど注目されないのである。ちなみに、その根は大葉麦門冬という漢方薬にもなるらしいのだが。
※1 APG植物分類体系では、ユリ科ではなく、スズラン科またはクサスギカズラ科に分類されており、まだ確定していないものと見受けられる。
※2 細かい話だが、grassは正確にはイネ科の雑草を指すので訳がちょっと不正確…。
※3 カンキツのヤブランによる草生栽培というのは既に試験した人がいるらしいが、その結果は知らない。(『農業技術体系』の8巻に記載があるらしい)
ヤブランは藪蘭と書くが、ランの仲間ではなくユリの仲間(※1)で、日本全国に自生する可憐な花の野草。斑入りの栽培種もあって園芸として育てている人もいる。しかし、見た目の派手さがなく地味なため、あまり好んで植えられているものではないと思う(もしかしたらこれが人気の地域もあるかもしれないが)。
私のポンカン園でも勝手に生えてきているわけで、さらにそれを時々下草払いしているので全く生長が奮わない。私はこういう何気ない小さな花が好きなので、できればこれを残したいと思うが、下草払機をブンブン振り回している時に、小さな草を保護する心の余裕はない…。
そもそも、林床など光の少ないところでよく育つだけでなく、幅広い気候に対応したヤブラン属は日本ではありふれた雑草で、ほとんど有り難がられていない。特に農業ではそうだろう。
しかしこのヤブラン、150〜200年前に日本から米国に移入されており、米国の特に南西部では被覆植物として非常にメジャーな存在になっている。米国での使われ方は、芝と似ており、芝の生やしにくい場所や歩道との境界などに植えているケースが多いようだ。そのため、ヤブランは英語ではlilyturf(ユリ芝)とかborder grass(境界草)という(※2)。芝よりも手入れの手間が少なく、花も楽しめて、土壌と気候の適応性が大きいということで、ヤブランは公園整備やガーデニングの脇役として重要な地位を占めているのだ。
より身近なはずの日本でそのような使われ方があまり見ないのは不思議だ。私はポンカン園の林床をヤブランにしてしまったら、下草刈りの手間が激減するのではないかと思っているが(※3)、具体的にはどうやって増やすかがちょっと課題だ。ジワジワと拡大させるのは可能だが、ヤブランは実生で増やすのが難しく、確実には株分けで増やすらしいが、これは現実的ではないからだ。
さらについでに書くと、ヤブランの種子は進化的に面白い存在だ。被子植物なのに果実の部分がなくて、黒くてまん丸い、まるで実のような種だけがついている。これは果実を作るエネルギーを節約し、種を果実に擬態させることで、鳥が果実と間違えて食べることを期待しているのではないか、と言われている。具体的にはイヌツゲとかアオツヅラフジの実に似ているというが、全体像が違いすぎるのでこんなのに騙される鳥がいるのか疑問もある…。
以前イネ科植物はほぼ果実を作らないということを書いたのだが、ヤブランの場合は果実を完全に捨て去っていて種は剝きだしであり、被子植物の果実進化の極北ともいうべき存在であると思う。ヤブランは進化的にも面白く、ガーデニングにも有用なのに、ほとんど注目されないのである。ちなみに、その根は大葉麦門冬という漢方薬にもなるらしいのだが。
※1 APG植物分類体系では、ユリ科ではなく、スズラン科またはクサスギカズラ科に分類されており、まだ確定していないものと見受けられる。
※2 細かい話だが、grassは正確にはイネ科の雑草を指すので訳がちょっと不正確…。
※3 カンキツのヤブランによる草生栽培というのは既に試験した人がいるらしいが、その結果は知らない。(『農業技術体系』の8巻に記載があるらしい)
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