(前回からのつづき)
一方、今回の鹿児島の参院選は、どちらに投票すべきかそれほど明らかではない。
というのは、現在の国政は徹底的に政党政治が(悪い意味で)貫かれていて、誰が当選するかというのはさして問題ではなく(もちろん党首が落選するとかは大きいことだが)、結局は議席数のみがものをいう世界である。要するに、「人」よりも「党」を選ぶのが国政選挙である。
今回、鹿児島で立候補している4人を見ると、自民党1人、幸福実現党1人、無所属2人であり、「党を選ぶ」という観点では、実質的には野村 哲郎(自)と下町 和三(民・共・社の推薦=野党統一候補)の2択だろう。
でも野党統一候補、といっても、実際の国政における位置づけが明らかでないのが問題である。当選後にどこかの党に所属するのか、それとも当選後も無所属という不利な立場で活動するのか…。位置づけの如何によっては、大した活動ができない可能性もある。野党統一候補というものを作ったまではよかったが、であれば野党としての共通の(アンチ自民だけでない)価値観をつくるべきだった。でも一方で「自民党以外」という選択肢を用意するだけでも精一杯だったのだろうとも思う。それが現在の野党の限界なのかもしれない。
というわけで、鹿児島だけに限ったことではないが、今回の選挙は「自民・公明か、それ以外か」を問う選挙である。そして私なら、「それ以外」を選ぶ。
最近の自公政権は、かつてのそれとは随分違ったものになってきている。最も強調しなければならないのは改憲の動きである。自民党の出している改憲案を見ると、あからさまに個人の自由や権利を制限し、公の秩序を優先する考えが見て取れる。かつての自民党だったら、こういう方向性を打ち出したかどうか…。もはや自民党は「保守派」ではない。
派閥政治華やかなりし頃の自民党は、内部で百家争鳴ある政党だったので、このような草案がまとまることはなかったと思う。それが最近、急に自民党が一枚岩化してきて、異論を言うのは古い自民党の生き残りのような人たちだけになってしまった。公明党も、長く政権のバランサーとして自民党の独走を抑制する役割を果たしてきたと思うが、最近は軽減税率の導入を強く主張するなど、目先の点数稼ぎに走っている感がある。
私は自民党政権時代に霞ヶ関で働いていたし、元々アンチ自民ではないが、最近の自公政権の動きは不気味すぎてついて行けないと感じる。自民党・公明党のためにも、このあたりで一度立ち止まって考えた方がよい。
かといって、野党に国政を任せられるだけの甲斐性があるのかというとこれも心許ない。人材は少ないし、政策面も薄弱である。とはいっても、今回は政権交代を問う選挙ではないので、とりあえず自公政権を掣肘する意味合いで野党には頑張って欲しい。
と同時に、いつまでも「アンチ自民」だけでは成り立たないということは、民主党政権の時にみんなが痛感していることだ。野党は今後、これまでの利害得失を乗り越えて共通の価値観を作り、それに賛同できないものは去って、新たな力をまとめていく必要があるだろう(今回の選挙の結果如何に関わらず)。
……というわけで、与党にも野党にも上から目線で論評してきたが、じゃあお前はどんな政策を望むのか、という人もいるだろう。
なので、今回の選挙とは直接関係しないこともあるが、この機会に国政に関して普段思っていることを書いてみたい。選挙でもないと、国政について語るということもないので。
……
まず現在の日本が直面している大問題は、内政面では財政再建と経済成長、そして少子高齢化である。
現政権は、財政再建のために増税を予定している。野党はこれに反対しつつも、「財政再建のためにはしょうがないのかな」という感覚も持っているように思われる。しかし歴史的にも、増税のみによって財政再建を成し遂げた国はないと思う。ある程度の増税は必要だとしても、財政再建に必須なのは歳出の抑制である。要するに赤字経営のさなかでの大盤振る舞いを辞めなくてはならない。
そして、最も大きな歳出抑制が必要なのは社会保障関係費である。単純に言えば、例えば年金の減額をする必要がある。ただでさえ年金というのは世代間不公平の温床になっていて、だいたい1955年生まれより上の世代は得をして、その下からは損をする(支払い額より受給額が少なくなる)という構造になっている。まずこれを是正する必要がある。年金制度の実質的な破綻は明らかなので、早いうちに改革した方が傷も小さくなる(厚労省は「年金は破綻しない」と言っているが、要するに給付額をどんどん少なくしていけば破綻しないというだけの話で、それは実際には破綻だと思う)。
さらに医療・福祉(介護保険等)にもメスを入れる必要がある。国民皆保険などのこれまでの日本の医療制度は大変優れたものであったと思うが、もはやそれを維持する余裕はなくなってくるので、患者負担の割合を高めるといった改革(改悪?)を行わなくてはならないだろう。でも最初は一律に負担割合を増やすのではなく、例えば平均入院日数の縮減のような取組が先だ。入院は医療行為の他にホテル的な費用がかかるので医療費の増加への寄与が大きいし、入院日数の縮減は患者の利益にもなる。しかし入院日数を短く抑えようとすると、結局は病床数の削減をしなくてはならない。こうなってくると話が難しいが、難しい話を避けてやりやすい負担割合の増加をやるよりも、業界と向き合った改革が必要だと思う。それには、中医協(中央社会保険医療協議会)の改革というような、地味で難しい課題に取り組まないといけないかもしれない。
しかし、年金を減らして、医療・福祉を改悪するとすれば、このようなことを掲げる政党はとても議席を取れそうではない。これらは特に高齢者層にウケが悪い政策で、彼らの票は非常に大きいし、高齢者でなくても反対する人は多そうだ。だが(政治家は誰も言わないが)こういったことをしなければ財政再建ができないのは明白なのである。よって、「民主制度下においては、財政再建はできない」と言う人すらいる。財政再建を行うために必要な政策は、民主的に否決されるようなものばかりなのだ。極論を言えば、財政再建を行うには民主制度を捨てなくてはならない、ということになる。
もちろん、財政再建を行うために独裁制をとるのは本末顚倒なので、こうした(主に高齢者層への)不利益を緩和させ、なんとか民主的に年金・医療・福祉の低下を実現していかなくてはならない。その手法は私にも見当が付かないが、基本的には社会保障制度の簡素化と、公平さの実現であろう。
「公平さ」、これがこれからの日本社会を作っていく上でのキーワードだと私は思う。
目先の年金・医療・福祉よりも、子ども世代・孫世代まで含めた公平さを選択する人は、今はそんなに多くないかもしれない。でも少なからずそういう人はいる。そういう人に向けたメッセージを発する政党が、少しはあってもいいと思うのだ。
(つづく)
※冒頭画像はこちらからお借りしました。
By Emmanuel Huybrechts from Laval, Canada (Golden Lady Justice, Bruges, Belgium) [CC BY 2.0 (http://creativecommons.org/licenses/by/2.0)], via Wikimedia Commons
2016年7月1日金曜日
2016年6月27日月曜日
争点なき鹿児島県知事選の争点
鹿児島に、選挙の夏が来る。
参議院議員選挙と鹿児島県知事選。世の中の動きに疎い田舎暮らしをしている身としても、今が政治の分水嶺だと感じ始めているこの頃であり、選択肢は少ないにしても(!)真剣に考えるべき選挙が来たと思っている。
というわけで、まずは身近な鹿児島県知事選から。
現職の伊藤祐一郎と、政治記者出身の三反園 訓(みたぞの さとし)の一騎打ちである。
はじめに告白すれば、三反園さんという人を私は知らなかった。 テレビをほとんど見ないので、未だ三反園さんをテレビで見たこともない。しかし、今回の選挙では三反園さんが勝利すべきだと思っている。なぜかというと、既に鹿児島県民の心は、伊藤知事から離れてしまっていると思うからである。
前回(4年前)の選挙の時点でも、既に伊藤知事は鹿児島県民の心を摑んではいなかったと思う。だが、難しい判断を求められる川内原発再稼働のみに争点が先鋭化していたので、結局は多くの業界団体をまとめていた伊藤さんが当選した。しかし当選後も、県民の代表として信任されたという雰囲気は希薄であり、県民の多くが消去法的に伊藤知事を選んだ感があった。さらに、上海航路問題(※1)、ドルフィンポート再開発問題(※2)といった強引なやり方が目立つ問題が起こり、県民は任期途中にしてうんざりしてきていたと思う。
そして、何でもないことのように見えて、人びとに伊藤県政の時代錯誤を強く再確認させたのが、例の「女子にサイン、コサイン教えて何になる」という発言。伊藤知事の強力な地盤である土建業界すら、最近はドボジョ(土木女子)といって女性の活躍を期待しているのに、本来時代を先んじなければならない知事が、業界よりも遅れた感覚でいるという証左になった。
今回の選挙は良くも悪くも争点がない。両氏のマニフェストを見ても書いてあることは大して変わらない。鹿児島の進むべき道は明らかであり、あとはその手法やセンスの違いということなのかもしれない。でも、何をするかよりも、それをどのように実行するか、ということが非常に重要になってきている。
上意下達的にやるのか、下からの意見集約を行うのか。時間がかかってもオープンに進めるのか、閉鎖的だが早急に進めるのか。派閥を作るか、実力本位で人を選ぶか。同じ大規模イベントを実施するにしても、そういうやり方の違いで結果は大きく変わってくる時代である。今回の選挙は、どういう鹿児島を目指すのか、ということではなくて、どうやってそれを目指すのか、という姿勢を問うものだと思う。つまり「県政への姿勢」が争点だ。
三反園さんの実力は、私にとって未知数である。しかし、伊藤知事よりも新しいセンスを持っていることは確実だ。3期12年、鹿児島を率いてきた伊藤知事は、そろそろ後進に道を譲る時期である。鹿児島は、新しいリーダーを待っている。
(つづく)
※1 赤字路線の上海−鹿児島直通便を維持するため、県職員等を大量に上海に出張させようとした問題。当初予算は1億円だったが、県民からの批判を受けて予算を3000万円に縮小した。私としては、これはそれほど悪い話でもないと思ったが…。
※2 予定されている鹿児島国体に向けて、関係各所との調整なくドルフィンポート(という港湾の商業施設と公園)に巨額の予算をかけて新アリーナを建設しようとした問題。批判が殺到して凍結された。(参考→ のぐち英一郎の鹿児島ガイド #1 「ドルフィンポート体育館事件の解説」by ヨホホ研究所)
参議院議員選挙と鹿児島県知事選。世の中の動きに疎い田舎暮らしをしている身としても、今が政治の分水嶺だと感じ始めているこの頃であり、選択肢は少ないにしても(!)真剣に考えるべき選挙が来たと思っている。
というわけで、まずは身近な鹿児島県知事選から。
現職の伊藤祐一郎と、政治記者出身の三反園 訓(みたぞの さとし)の一騎打ちである。
はじめに告白すれば、三反園さんという人を私は知らなかった。 テレビをほとんど見ないので、未だ三反園さんをテレビで見たこともない。しかし、今回の選挙では三反園さんが勝利すべきだと思っている。なぜかというと、既に鹿児島県民の心は、伊藤知事から離れてしまっていると思うからである。
前回(4年前)の選挙の時点でも、既に伊藤知事は鹿児島県民の心を摑んではいなかったと思う。だが、難しい判断を求められる川内原発再稼働のみに争点が先鋭化していたので、結局は多くの業界団体をまとめていた伊藤さんが当選した。しかし当選後も、県民の代表として信任されたという雰囲気は希薄であり、県民の多くが消去法的に伊藤知事を選んだ感があった。さらに、上海航路問題(※1)、ドルフィンポート再開発問題(※2)といった強引なやり方が目立つ問題が起こり、県民は任期途中にしてうんざりしてきていたと思う。
そして、何でもないことのように見えて、人びとに伊藤県政の時代錯誤を強く再確認させたのが、例の「女子にサイン、コサイン教えて何になる」という発言。伊藤知事の強力な地盤である土建業界すら、最近はドボジョ(土木女子)といって女性の活躍を期待しているのに、本来時代を先んじなければならない知事が、業界よりも遅れた感覚でいるという証左になった。
今回の選挙は良くも悪くも争点がない。両氏のマニフェストを見ても書いてあることは大して変わらない。鹿児島の進むべき道は明らかであり、あとはその手法やセンスの違いということなのかもしれない。でも、何をするかよりも、それをどのように実行するか、ということが非常に重要になってきている。
上意下達的にやるのか、下からの意見集約を行うのか。時間がかかってもオープンに進めるのか、閉鎖的だが早急に進めるのか。派閥を作るか、実力本位で人を選ぶか。同じ大規模イベントを実施するにしても、そういうやり方の違いで結果は大きく変わってくる時代である。今回の選挙は、どういう鹿児島を目指すのか、ということではなくて、どうやってそれを目指すのか、という姿勢を問うものだと思う。つまり「県政への姿勢」が争点だ。
三反園さんの実力は、私にとって未知数である。しかし、伊藤知事よりも新しいセンスを持っていることは確実だ。3期12年、鹿児島を率いてきた伊藤知事は、そろそろ後進に道を譲る時期である。鹿児島は、新しいリーダーを待っている。
(つづく)
※1 赤字路線の上海−鹿児島直通便を維持するため、県職員等を大量に上海に出張させようとした問題。当初予算は1億円だったが、県民からの批判を受けて予算を3000万円に縮小した。私としては、これはそれほど悪い話でもないと思ったが…。
※2 予定されている鹿児島国体に向けて、関係各所との調整なくドルフィンポート(という港湾の商業施設と公園)に巨額の予算をかけて新アリーナを建設しようとした問題。批判が殺到して凍結された。(参考→ のぐち英一郎の鹿児島ガイド #1 「ドルフィンポート体育館事件の解説」by ヨホホ研究所)
2016年6月23日木曜日
南さつま市が「サイクルツーリズムの実現」で地域おこし協力隊を募集中
今、南さつま市が「地域おこし協力隊」の募集をしている(受付期間:2016年6月23日〜7月15日。例によって短い)。
今回の募集は、「サイクルツーリズムの実現」がテーマである。
南さつま市は、合併前の旧加世田市から引き継いだ「自転車によるまちづくり」を旗印の一つに掲げていて、これまでも自転車関係の様々なイベントを行ってきた。
特に、過酷だが景観の素晴らしい自転車大会「ツール・ド・南さつま」は、特に広報らしい広報をしていないにも関わらず(と思うのですが、実際はどこかで宣伝されてるんでしょうか?)、かなり人気の自転車レースとして成長してきており、自転車関連の取り組みの成功例と呼べるだろう。
だが、こういってはなんだが、これらが「まちづくり」になっているかというと覚束ない。これまでのイベントはどちらかというと単発的・お祭り的であり、仮に観光政策だけを見たとしても「まちづくり」というような恒常的な形をなしていないように思う。
また、「自転車によるまちづくり」もスローガン的(とりあえず言っているだけ的)であり、市政の他の部分との関連も薄く(例えば、健康のために自転車に乗りましょう、とか言うわけでもなく)、対外的にも強く打ち出してはいなかったと思う。
それが、どうしてこのタイミングで改めて自転車に注目してきたのか、ちょっとよくわからないが、 要項に「国内・海外からのサイクリストの受入業務」とあるのを見ると、自転車の国際的イベントの誘致の話があり、それに対応するために英語と自転車が出来る人を配置したくて、それならば地域おこし協力隊で、という話なのかもしれない。
でもそうでなくても、これまでの南さつま市の自転車まちづくり政策は中途半端なところがあって、旧南薩鉄道の廃線跡を自転車ロード(りんりんロード)として整備したまではよかったが、せっかく整備したその道があまり有効に活用されていないとか、同じく南薩鉄道の廃線跡が自転車専用道になっている日置市とはほとんど連携していないとか、「どうせやるならもっとやったらいいのになあ」というころがいろいろあった。今回の募集が、そうしたところにも手を入れるような意気込みでされているならとてもいいことだ。実際に要項にも、「広域サイクル・ルートの開発に向けた企画・調整」とあるので期待が持てる(南九州市の方とも連携したらよいと思う。お茶畑を自転車で走ったら気持ちよさそう)。
私自身は自転車はあまり乗らないし自転車競技にも詳しくないので、南さつま市の「自転車によるまちづくり」がどこを向かって進めばいいのかよくわからない。でも「ツール・ド・南さつま」に参加された方の話を伺うと、南さつまの海沿いの道はとにかくすごいコースであるということだけは一致しているので、これを活かして行くというのは将来性があるのだと思う。新しい風を期待しています。
今回の募集は、「サイクルツーリズムの実現」がテーマである。
南さつま市は、合併前の旧加世田市から引き継いだ「自転車によるまちづくり」を旗印の一つに掲げていて、これまでも自転車関係の様々なイベントを行ってきた。
特に、過酷だが景観の素晴らしい自転車大会「ツール・ド・南さつま」は、特に広報らしい広報をしていないにも関わらず(と思うのですが、実際はどこかで宣伝されてるんでしょうか?)、かなり人気の自転車レースとして成長してきており、自転車関連の取り組みの成功例と呼べるだろう。
だが、こういってはなんだが、これらが「まちづくり」になっているかというと覚束ない。これまでのイベントはどちらかというと単発的・お祭り的であり、仮に観光政策だけを見たとしても「まちづくり」というような恒常的な形をなしていないように思う。
また、「自転車によるまちづくり」もスローガン的(とりあえず言っているだけ的)であり、市政の他の部分との関連も薄く(例えば、健康のために自転車に乗りましょう、とか言うわけでもなく)、対外的にも強く打ち出してはいなかったと思う。
それが、どうしてこのタイミングで改めて自転車に注目してきたのか、ちょっとよくわからないが、 要項に「国内・海外からのサイクリストの受入業務」とあるのを見ると、自転車の国際的イベントの誘致の話があり、それに対応するために英語と自転車が出来る人を配置したくて、それならば地域おこし協力隊で、という話なのかもしれない。
でもそうでなくても、これまでの南さつま市の自転車まちづくり政策は中途半端なところがあって、旧南薩鉄道の廃線跡を自転車ロード(りんりんロード)として整備したまではよかったが、せっかく整備したその道があまり有効に活用されていないとか、同じく南薩鉄道の廃線跡が自転車専用道になっている日置市とはほとんど連携していないとか、「どうせやるならもっとやったらいいのになあ」というころがいろいろあった。今回の募集が、そうしたところにも手を入れるような意気込みでされているならとてもいいことだ。実際に要項にも、「広域サイクル・ルートの開発に向けた企画・調整」とあるので期待が持てる(南九州市の方とも連携したらよいと思う。お茶畑を自転車で走ったら気持ちよさそう)。
私自身は自転車はあまり乗らないし自転車競技にも詳しくないので、南さつま市の「自転車によるまちづくり」がどこを向かって進めばいいのかよくわからない。でも「ツール・ド・南さつま」に参加された方の話を伺うと、南さつまの海沿いの道はとにかくすごいコースであるということだけは一致しているので、これを活かして行くというのは将来性があるのだと思う。新しい風を期待しています。
2016年6月19日日曜日
広葉樹のダイニングテーブルを自作
広葉樹のダイニングテーブルを自作したので自慢したい。
貧乏人のくせに広葉樹のテーブルなんて贅沢だ、という気がするが、古民家である我が家はあまりにも湿気が溜まりすぎていて合板のものはすぐにかびてしまう。これまでは安物(もちろん合板)の小さなテーブルで食事を採っていて、梅雨時期になると側面がふわっとカビで覆われてしまい衛生的でなかった。
子どもたちもだんだん大きくなってきて小さなテーブルは手狭になってきたし、思い切って無垢材でやや大きめの(でも一般的なダイニングテーブルよりは一回り小さい)テーブルを自作することにしたのである。
で、できたのがこれだ(写真がよくなくてすいません。実際の色は上の写真の方がよく再現されてます)。
木材はタモを選んだ。タモは広葉樹の中では安価で加工もしやすく、通販で買いやすい。今回は木材フリーカット通販のマルトクショップで購入した。
木材の材料価格は3万円弱。ツーバイフォーのSPF材で作ったらその価格は数分の1になるわけで、最後までSPFにするかどうか迷ったが、SPFの仕上げ精度はイマイチで天板部分が平面にならないし、スキマもかなりできることが見込まれるので結局タモを選んだ。
天板の側面は、木材の切り口が露出しないように框組(かまちぐみ)風に囲ってみた。今回一番苦労したのはこの構造。丸ノコは普通に切るなら0.2mm程度しか誤差はないが、このように斜めに切るとかなりズレが大きくなる。たぶん1mm近く誤差が出たと思う。両端で1mmずつの誤差が出たら、最大全体で2mmもずれる。テーブルに2mmのスキマがあったら実用上問題なので、スキマは砥の粉(とのこ)を木工用ボンドで溶いたもので埋めておいた。でも今考えてみると、木工用のパテを使った方がよかったかもしれない。
他のところはだいたい上手にできて、切り欠いた部材もキッチリ嵌ったし、強度もそれなりのものになっている。
DIYの本には、「ホームセンターでカットして貰ったらよい」とか、「インパクトドライバで留めれば簡単」みたいに書いてあるが、それだと雑な作りになってしまうので、やはりノコギリとノミの加工をしっかりできるようになることがDIY上達の近道な気がする。
裏側はこんな感じ。
天板は裏から木ネジで留めているだけ。この木ネジがくせ者で、広葉樹は堅いので最初に普通の木ネジを使ったら頭のところでねじ切れる事態が続出。下穴を開けていてもネジの長さが40mmを超えるとトルク(力)が掛かりすぎるようである。
なので、やっぱり広葉樹の場合は高トルク用のスリムネジを使わなくてはならなかった。これは、細身で頭の部分にネジ山がない、堅いステンレスでできたネジ。DIYをしているとこういう細かい所が勉強になる。
足の部分は、写真でははっきりとわからないが八の字にやや広げてみた。角度は85度くらいだったと思う。こういう加工は難しいようでいて、治具(じぐ:作業位置を誘導するために使う道具)を使うとさほど難しくない(でも設計段階でよく計算してしっかり墨つけしておくことが大事。現場合わせでやろうとしても素人の場合うまくいかない)。
表面の塗装は、工務店さんに教えてもらった「クノス」という、こういう家具を作る際の定番らしい自然塗料を使った。これは浸透性のあるオイルで、ニスみたいな人工の樹脂に比べたら耐久性や撥水性は劣るが木の風合いを引き出すのに勝れていて、実際これを塗ったら一気に高級家具みたいになった。
材料費は全部で3万5千円くらいだろうか。こういうテーブルを家具屋で買うと、だいたい10万円くらいすると思う。素人の仕事だからやや割り引いたとしても、8万円クラスのテーブルができたと自負している。
これで冒頭写真のような雰囲気のある写真も撮れるようになったことだし、「南薩の田舎暮らし」の商品写真にも活用出来そうである。何より、食卓の雰囲気が明るく広々となり、生活の充実度がアップした。もちろんカビも来ない(最も重要!)。
これまでの、我がDIYの最高傑作である!
【参考】
木工のDIYは最近センスよく作れるいい参考書がたくさん発売されているが、実際にちゃんとしたものを作ろうと思った時には意外と役に立たないことが多い。木工を趣味にしている知人から教えてもらった『手づくり木工大図鑑』という本は、地味な技術を淡々と語っていて、すぐには役立たないしちょっと高価だがオススメである(中級者を目指す人向け)。
貧乏人のくせに広葉樹のテーブルなんて贅沢だ、という気がするが、古民家である我が家はあまりにも湿気が溜まりすぎていて合板のものはすぐにかびてしまう。これまでは安物(もちろん合板)の小さなテーブルで食事を採っていて、梅雨時期になると側面がふわっとカビで覆われてしまい衛生的でなかった。
子どもたちもだんだん大きくなってきて小さなテーブルは手狭になってきたし、思い切って無垢材でやや大きめの(でも一般的なダイニングテーブルよりは一回り小さい)テーブルを自作することにしたのである。
で、できたのがこれだ(写真がよくなくてすいません。実際の色は上の写真の方がよく再現されてます)。
木材はタモを選んだ。タモは広葉樹の中では安価で加工もしやすく、通販で買いやすい。今回は木材フリーカット通販のマルトクショップで購入した。
木材の材料価格は3万円弱。ツーバイフォーのSPF材で作ったらその価格は数分の1になるわけで、最後までSPFにするかどうか迷ったが、SPFの仕上げ精度はイマイチで天板部分が平面にならないし、スキマもかなりできることが見込まれるので結局タモを選んだ。
天板の側面は、木材の切り口が露出しないように框組(かまちぐみ)風に囲ってみた。今回一番苦労したのはこの構造。丸ノコは普通に切るなら0.2mm程度しか誤差はないが、このように斜めに切るとかなりズレが大きくなる。たぶん1mm近く誤差が出たと思う。両端で1mmずつの誤差が出たら、最大全体で2mmもずれる。テーブルに2mmのスキマがあったら実用上問題なので、スキマは砥の粉(とのこ)を木工用ボンドで溶いたもので埋めておいた。でも今考えてみると、木工用のパテを使った方がよかったかもしれない。
他のところはだいたい上手にできて、切り欠いた部材もキッチリ嵌ったし、強度もそれなりのものになっている。
DIYの本には、「ホームセンターでカットして貰ったらよい」とか、「インパクトドライバで留めれば簡単」みたいに書いてあるが、それだと雑な作りになってしまうので、やはりノコギリとノミの加工をしっかりできるようになることがDIY上達の近道な気がする。
裏側はこんな感じ。
天板は裏から木ネジで留めているだけ。この木ネジがくせ者で、広葉樹は堅いので最初に普通の木ネジを使ったら頭のところでねじ切れる事態が続出。下穴を開けていてもネジの長さが40mmを超えるとトルク(力)が掛かりすぎるようである。
なので、やっぱり広葉樹の場合は高トルク用のスリムネジを使わなくてはならなかった。これは、細身で頭の部分にネジ山がない、堅いステンレスでできたネジ。DIYをしているとこういう細かい所が勉強になる。
足の部分は、写真でははっきりとわからないが八の字にやや広げてみた。角度は85度くらいだったと思う。こういう加工は難しいようでいて、治具(じぐ:作業位置を誘導するために使う道具)を使うとさほど難しくない(でも設計段階でよく計算してしっかり墨つけしておくことが大事。現場合わせでやろうとしても素人の場合うまくいかない)。
表面の塗装は、工務店さんに教えてもらった「クノス」という、こういう家具を作る際の定番らしい自然塗料を使った。これは浸透性のあるオイルで、ニスみたいな人工の樹脂に比べたら耐久性や撥水性は劣るが木の風合いを引き出すのに勝れていて、実際これを塗ったら一気に高級家具みたいになった。
材料費は全部で3万5千円くらいだろうか。こういうテーブルを家具屋で買うと、だいたい10万円くらいすると思う。素人の仕事だからやや割り引いたとしても、8万円クラスのテーブルができたと自負している。
これで冒頭写真のような雰囲気のある写真も撮れるようになったことだし、「南薩の田舎暮らし」の商品写真にも活用出来そうである。何より、食卓の雰囲気が明るく広々となり、生活の充実度がアップした。もちろんカビも来ない(最も重要!)。
これまでの、我がDIYの最高傑作である!
【参考】
木工のDIYは最近センスよく作れるいい参考書がたくさん発売されているが、実際にちゃんとしたものを作ろうと思った時には意外と役に立たないことが多い。木工を趣味にしている知人から教えてもらった『手づくり木工大図鑑』という本は、地味な技術を淡々と語っていて、すぐには役立たないしちょっと高価だがオススメである(中級者を目指す人向け)。
2016年6月16日木曜日
人間讃歌としての砂の祭典へ
今年の「吹上浜 砂の祭典」は、運営側にもほんのちょっとだけ関わらせてもらった。観光協会の関係で、家内が出店(でみせ)の裏方や店番などをしたのである。
それで、「砂の祭典」についていろいろ思うことがあった。
一応、「砂の祭典」を知らない人のために説明すると、これはゴールデンウィークに砂でつくったたくさんの像(砂の彫刻)を展示するイベントで、それに付随して飲食ブースや雑貨ブース、そしてステージイベント(音楽や子ども向けショー)といったものが行われる。夜には音楽に合わせて打ち上げられる花火もあって、今までこの花火を見たことがなかったのだが、今年初めて見てみたら意外と迫力があってすごかった。オススメである。
肝心の砂像はというと、地元の小中学生のものから招待作家のものまでいろいろあり、海外からの招待作家の作品はとても精巧で見応えがある。ちなみにうちの娘(3歳)の一番のお気に入りは地元中学生(だったと思う)が作った人魚だった。
イベント期間は本体が5日間。その後チケットの値段が下がって、ほぼ観覧のみの期間が約1ヶ月ある。以前はもっと短かったようだが、せっかく作った砂像をすぐ壊してしまうのももったいないということでイベント期間が長くなったのだと思われる。
「砂の祭典」が始まったのはもう30年くらい前で、その当時は本当に吹上浜の汀(みぎわ)でやっていたと思う。子どもの頃に、一度行った記憶がある。その後会場が2回変わって、現在は「砂丘の杜 きんぽう」という松林に囲まれた場所でやっている。
さて、このイベントを間近で見てみて感じたことを述べてみたい。運営に携わっている人はカチーンと来るかもしれないし、いわば外野からの感想なので当を得ていない部分もあるかもしれない。素人の雑感として受け取っていただければ幸いである。
まず第1に感じるのは、「ちゃんと費用に見合った成果が出ているのか」ということである。
「砂の祭典」は一応実行委員会方式をとっていて、民間の参画もあるが、基本的には南さつま市役所が音頭を取ってやっているイベントである。予算の面は明らかになっていない(と思う)ので何とも言えないものの、少なくとも役場職員のかなりの数がこのイベントに動員されており、担当職員はゴールデンウィークなしで動かなくてはならず、その人件費だけでも相当だろう。要するに相当な労力がかかったイベントである。
ではこのイベントの成果は何なのかというと、多分役所的には入場者数で図っていて、近年(ここ10年くらい)はとにかくたくさんの人に来てもらおうということでイベントが拡大されてきたような気がする。
おそらく役所としては、砂の祭典を見に南さつまに来てもらって、南さつまを知ってもらう機会を増やそう、メディアに露出する機会を増やそう、という思惑なのだろう。実際、今年は熊本地震への支援を打ち出してNHKの全国版ニュースにも取り上げてもらっており、それなりに意味があるのは間違いない。
しかし税金が投入されている以上、たくさんお客さんが入ったらから良かったね、だけではなくて、ちゃんと費用対効果を検証しないといけない。それは単純な客数ではなくて、お客さんに南さつまの魅力を訴えられたかどうか、近隣への波及効果といったものも考察するべきだ。要するに大事なのは「お客さんを呼んでどうするのか」という目的意識であり、このイベントはディズニーランドとは違うのだから、客数(チケット売上)そのものが目的ではないということである。
その観点からイベントの費用対効果を(数字で計るのではないにしても)出して、今の拡大路線で行くのがよいのかどうか再考したらよいと思う。
第2に、地元の人々の心が離れてはいないか、ということがある。
これは多くの人から聞いたわけではないし、みんなはっきりとはそう言わないが、どうも「砂の祭典に関わるのが最近めんどくさくなってきた」というような人がかなり増えてきている気がする(といっても昔のことも知らないが)。
砂の祭典はその黎明期から市民の参画が進められてきており、砂像の製作はもちろん、実行委員会のメンバーなどいろんな面で市民が関わっている。私自身は直接に関わったことがないが、想像するに、その負担も結構あるのだと思う。
その負担を補う面白さがあればよいが、どうもそれが怪しくなってきているようだ。イベントとしての盛り上がりに欠けるとかそういうことではなく、運営面における長老主義(若い人の意見が通りづらいなど)やマンネリズムといったものが原因で、運営側に携わっても一つのコマとして扱われるといった雰囲気があるのではないかと思う。
イベントというのは生まれたての手作りの時が一番面白いもので、逆にイベントが大きくなっていくにつれて機械的に進める面が大きくなり、運営面でのやりがいが小さくなっていく。大きく成長してしまうと運営の責任も大きくなって無難なやり方を選択することが多くなり、個人のステキな「思いつき」は顧みられなくなってしまう。これはある面ではしょうがないことだ。しかし誰しも、自分のやりたいことがイベントを通じて実現できるとか、一人の人間として尊重・承認されるというようなことがないとわざわざ面倒毎を引き受けたりはしないものだから、やっぱり市民の遊び心を刺激するようなところがないと、ボランティアの人集めをしようとしても難しくなっていくと思う。
そして人々の心が離れてしまうもう一つの原因は、砂の祭典がかなり商業主義的になってしまっていることかもしれない。会場には、小中学生たちや役場職員、地元企業が一生懸命作った砂像も多く、砂像だけを見たらまだまだ地元の手作りイベントの雰囲気は残っている。商業主義的といっても、このイベントで大きな収益が生みだされているということもなさそうで、むしろ赤字が心配なくらいだ。だが集客に力を入れた結果、地元の文化や自然と関係のないものまで盛り込みすぎて、「祭典」の性格が揺らいでいる。ただ人が集まればよいということなら、集客力のある芸能人を呼ぶのが一番手っ取り早いが、仮にそういうことをすれば心ある人が真っ先に離れていくわけで、そういう路線になっていかないかとちょっと心配だ。
長期的に見れば、集客のためにサイドイベントをたくさん盛り込むよりも、価値の中心である「砂像」の文化をゆっくりと育んで、それを愚直に発信していくのがよいと思う。
そして第3に、「吹上浜 砂の祭典」と銘打ちながら、吹上浜とあんまり関係なくなっているということがある。
砂の祭典は、もともと日本三大砂丘の一つである吹上浜という地域資源を活かして何かやろう、ということで始まったイベントだったはずだが、客数増加などの都合で会場が「砂丘の杜 きんぽう」に移ったために、「吹上浜」を銘打ちながら会場からは海岸を見ることができない。初めて来た人は、「あれ、浜はどこにあるんだろう?」と思うに違いない。
会場から海を臨めなくても構わないと思うが、吹上浜との何らかの連結がなくては本当の観光資源を素通りさせてしまうことになりかねない。日本全国的に見ても素晴らしい白砂青松の砂浜「京田海岸」など、近隣には吹上浜の観光スポットがいくつかあるので、そういうところを地道に整備して(現在は駐車場などがない)、砂の祭典に来た人たちに回遊してもらうような工夫をしたらよい。
また、砂や砂丘というものについては現在は素材としてしか扱っていないが、観光の王道は風景と歴史と文化を体感するということにあるので、吹上浜と付き合ってきた南薩の人々の歴史を紐解くような工夫があるとさらによいと思う。
幸いにして、会場の近くには「沙防の碑」がある。このあたりの人は古くから浜から飛んでくる砂に苦労しており、これはその飛砂防備のために広大な松林を植林した宮内善左衛門を顕彰した石碑なのである。また、万之瀬川が運んでくるこの大量の砂は河川氾濫の原因ともなっており、今でこそ「砂」が地域資源となり砂の祭典のような楽しげなイベントをしているが、歴史的には「砂」は迷惑な存在だった。ただ砂像を見るだけでなく、ちょっと足を伸ばして「沙防の碑」まで見てそういった歴史を学べれば、より深いレベルでイベントを楽しむことができ、南さつま市への観光を楽しめると思う。
第4に、これが最も強く感じることであるが、顔の見えないイベントになってしまっている、ということだ。
例えば、お隣の川辺(南九州市)で毎年やっている「Good Neighbors Jamboree」というイベント。主宰の坂口修一郎さんを中心にして、面白いことをやる人の輪ができていて、その人の輪によってイベントが構成されている感がある。もっと卑近な例では、大浦でやってる「大浦 "ZIRA ZIRA" FES」という焼肉フェスでも、実行委員会の人たちが楽しんでやっているから、それに惹きつけられて多くの仲間がやってくる。
一方砂の祭典はどうか。運営側に入ったらまた違う感想を持つだろうとは思うものの、参加者の立場で見てみると、誰が楽しんでやっているのかイマイチよく分からない。WEBサイトでは実行委員会の挨拶文が出ているが、実行委員長の名前も分からないし、どういう人の輪があるのか見えてこない。当然、人の輪がないということはあり得ないので、何かしらの人の輪があるはずだが、その顔が外から見えないのである。
お祭りごとというのは、どんな充実したコンテンツを揃えてもそれだけでは十分でない。むしろ先ほども書いたように、商業主義的にコンテンツを充実させればさせるほど、人の気持ちというのは離れていく部分すらある。コンテンツを「消費」するだけの場になるからだ。では何が必要かというと、それは「人」である。どんなコンテンツもすぐに飽きられる。でも「人」にはなかなか飽きがこない。結局、人間にとって最大の関心事は「人間」なのだ。
お祭りは、人と人とが普段とは違った空気で出会う場所であり、何よりもまず人間性の発露でなければならない。大げさに言えば、お祭りとは「人間讃歌」でなければならない。どんな集客力のあるコンテンツも、そこにいる人間が「人生を楽しんでいる」という場の空気にはかなわない。砂の祭典にそれがあるか、ということが、今後のこのイベントの命運を分けると、私はそう思う。
「顔の見えない」とか「人間讃歌」とか、随分と抽象的なことを書いてしまったが、まずはこのイベントに関わっている人の生き生きとした姿を、どんどん発信していくことから始めたらよい。海外からの招待作家がどんな気持ちで南さつまに来たのか。実行委員会の人たちが何に悩み、何を目指しているのか。ボランティアの人たちの働きぶり。そして実質的な主催者である、南さつま市役所の職員の皆さんの熱い想い! そういうものをSNSとかリーフレットとか、様々な形で伝えていくべきだ。そういう人間の生き様は、決して「消費」されえない「コンテンツ」である。祭典の本当の価値は、砂像とかステージイベントではなくて、そこに関わる人たちの熱意に他ならないのである。そして、それを見て砂の祭典にやってきた人は、絶対に「南さつま」のファンになってくれるだろう。
というわけで、ここまで随分批判的なことを書いたけれども、四半世紀に渡って砂にこだわってきたという歴史は誇れると思うし、せっかく10万人近くの人が訪れるイベントへと成長したのだから、これをもっとよいものにしていって欲しい。
来年は確か第30回目となる節目の年だ。砂像による人間讃歌、そんな「吹上浜 砂の祭典」になることを切に希望する。
それで、「砂の祭典」についていろいろ思うことがあった。
一応、「砂の祭典」を知らない人のために説明すると、これはゴールデンウィークに砂でつくったたくさんの像(砂の彫刻)を展示するイベントで、それに付随して飲食ブースや雑貨ブース、そしてステージイベント(音楽や子ども向けショー)といったものが行われる。夜には音楽に合わせて打ち上げられる花火もあって、今までこの花火を見たことがなかったのだが、今年初めて見てみたら意外と迫力があってすごかった。オススメである。
肝心の砂像はというと、地元の小中学生のものから招待作家のものまでいろいろあり、海外からの招待作家の作品はとても精巧で見応えがある。ちなみにうちの娘(3歳)の一番のお気に入りは地元中学生(だったと思う)が作った人魚だった。
イベント期間は本体が5日間。その後チケットの値段が下がって、ほぼ観覧のみの期間が約1ヶ月ある。以前はもっと短かったようだが、せっかく作った砂像をすぐ壊してしまうのももったいないということでイベント期間が長くなったのだと思われる。
「砂の祭典」が始まったのはもう30年くらい前で、その当時は本当に吹上浜の汀(みぎわ)でやっていたと思う。子どもの頃に、一度行った記憶がある。その後会場が2回変わって、現在は「砂丘の杜 きんぽう」という松林に囲まれた場所でやっている。
さて、このイベントを間近で見てみて感じたことを述べてみたい。運営に携わっている人はカチーンと来るかもしれないし、いわば外野からの感想なので当を得ていない部分もあるかもしれない。素人の雑感として受け取っていただければ幸いである。
まず第1に感じるのは、「ちゃんと費用に見合った成果が出ているのか」ということである。
「砂の祭典」は一応実行委員会方式をとっていて、民間の参画もあるが、基本的には南さつま市役所が音頭を取ってやっているイベントである。予算の面は明らかになっていない(と思う)ので何とも言えないものの、少なくとも役場職員のかなりの数がこのイベントに動員されており、担当職員はゴールデンウィークなしで動かなくてはならず、その人件費だけでも相当だろう。要するに相当な労力がかかったイベントである。
ではこのイベントの成果は何なのかというと、多分役所的には入場者数で図っていて、近年(ここ10年くらい)はとにかくたくさんの人に来てもらおうということでイベントが拡大されてきたような気がする。
おそらく役所としては、砂の祭典を見に南さつまに来てもらって、南さつまを知ってもらう機会を増やそう、メディアに露出する機会を増やそう、という思惑なのだろう。実際、今年は熊本地震への支援を打ち出してNHKの全国版ニュースにも取り上げてもらっており、それなりに意味があるのは間違いない。
しかし税金が投入されている以上、たくさんお客さんが入ったらから良かったね、だけではなくて、ちゃんと費用対効果を検証しないといけない。それは単純な客数ではなくて、お客さんに南さつまの魅力を訴えられたかどうか、近隣への波及効果といったものも考察するべきだ。要するに大事なのは「お客さんを呼んでどうするのか」という目的意識であり、このイベントはディズニーランドとは違うのだから、客数(チケット売上)そのものが目的ではないということである。
その観点からイベントの費用対効果を(数字で計るのではないにしても)出して、今の拡大路線で行くのがよいのかどうか再考したらよいと思う。
第2に、地元の人々の心が離れてはいないか、ということがある。
これは多くの人から聞いたわけではないし、みんなはっきりとはそう言わないが、どうも「砂の祭典に関わるのが最近めんどくさくなってきた」というような人がかなり増えてきている気がする(といっても昔のことも知らないが)。
砂の祭典はその黎明期から市民の参画が進められてきており、砂像の製作はもちろん、実行委員会のメンバーなどいろんな面で市民が関わっている。私自身は直接に関わったことがないが、想像するに、その負担も結構あるのだと思う。
その負担を補う面白さがあればよいが、どうもそれが怪しくなってきているようだ。イベントとしての盛り上がりに欠けるとかそういうことではなく、運営面における長老主義(若い人の意見が通りづらいなど)やマンネリズムといったものが原因で、運営側に携わっても一つのコマとして扱われるといった雰囲気があるのではないかと思う。
イベントというのは生まれたての手作りの時が一番面白いもので、逆にイベントが大きくなっていくにつれて機械的に進める面が大きくなり、運営面でのやりがいが小さくなっていく。大きく成長してしまうと運営の責任も大きくなって無難なやり方を選択することが多くなり、個人のステキな「思いつき」は顧みられなくなってしまう。これはある面ではしょうがないことだ。しかし誰しも、自分のやりたいことがイベントを通じて実現できるとか、一人の人間として尊重・承認されるというようなことがないとわざわざ面倒毎を引き受けたりはしないものだから、やっぱり市民の遊び心を刺激するようなところがないと、ボランティアの人集めをしようとしても難しくなっていくと思う。
そして人々の心が離れてしまうもう一つの原因は、砂の祭典がかなり商業主義的になってしまっていることかもしれない。会場には、小中学生たちや役場職員、地元企業が一生懸命作った砂像も多く、砂像だけを見たらまだまだ地元の手作りイベントの雰囲気は残っている。商業主義的といっても、このイベントで大きな収益が生みだされているということもなさそうで、むしろ赤字が心配なくらいだ。だが集客に力を入れた結果、地元の文化や自然と関係のないものまで盛り込みすぎて、「祭典」の性格が揺らいでいる。ただ人が集まればよいということなら、集客力のある芸能人を呼ぶのが一番手っ取り早いが、仮にそういうことをすれば心ある人が真っ先に離れていくわけで、そういう路線になっていかないかとちょっと心配だ。
長期的に見れば、集客のためにサイドイベントをたくさん盛り込むよりも、価値の中心である「砂像」の文化をゆっくりと育んで、それを愚直に発信していくのがよいと思う。
そして第3に、「吹上浜 砂の祭典」と銘打ちながら、吹上浜とあんまり関係なくなっているということがある。
砂の祭典は、もともと日本三大砂丘の一つである吹上浜という地域資源を活かして何かやろう、ということで始まったイベントだったはずだが、客数増加などの都合で会場が「砂丘の杜 きんぽう」に移ったために、「吹上浜」を銘打ちながら会場からは海岸を見ることができない。初めて来た人は、「あれ、浜はどこにあるんだろう?」と思うに違いない。
会場から海を臨めなくても構わないと思うが、吹上浜との何らかの連結がなくては本当の観光資源を素通りさせてしまうことになりかねない。日本全国的に見ても素晴らしい白砂青松の砂浜「京田海岸」など、近隣には吹上浜の観光スポットがいくつかあるので、そういうところを地道に整備して(現在は駐車場などがない)、砂の祭典に来た人たちに回遊してもらうような工夫をしたらよい。
また、砂や砂丘というものについては現在は素材としてしか扱っていないが、観光の王道は風景と歴史と文化を体感するということにあるので、吹上浜と付き合ってきた南薩の人々の歴史を紐解くような工夫があるとさらによいと思う。
幸いにして、会場の近くには「沙防の碑」がある。このあたりの人は古くから浜から飛んでくる砂に苦労しており、これはその飛砂防備のために広大な松林を植林した宮内善左衛門を顕彰した石碑なのである。また、万之瀬川が運んでくるこの大量の砂は河川氾濫の原因ともなっており、今でこそ「砂」が地域資源となり砂の祭典のような楽しげなイベントをしているが、歴史的には「砂」は迷惑な存在だった。ただ砂像を見るだけでなく、ちょっと足を伸ばして「沙防の碑」まで見てそういった歴史を学べれば、より深いレベルでイベントを楽しむことができ、南さつま市への観光を楽しめると思う。
第4に、これが最も強く感じることであるが、顔の見えないイベントになってしまっている、ということだ。
例えば、お隣の川辺(南九州市)で毎年やっている「Good Neighbors Jamboree」というイベント。主宰の坂口修一郎さんを中心にして、面白いことをやる人の輪ができていて、その人の輪によってイベントが構成されている感がある。もっと卑近な例では、大浦でやってる「大浦 "ZIRA ZIRA" FES」という焼肉フェスでも、実行委員会の人たちが楽しんでやっているから、それに惹きつけられて多くの仲間がやってくる。
一方砂の祭典はどうか。運営側に入ったらまた違う感想を持つだろうとは思うものの、参加者の立場で見てみると、誰が楽しんでやっているのかイマイチよく分からない。WEBサイトでは実行委員会の挨拶文が出ているが、実行委員長の名前も分からないし、どういう人の輪があるのか見えてこない。当然、人の輪がないということはあり得ないので、何かしらの人の輪があるはずだが、その顔が外から見えないのである。
お祭りごとというのは、どんな充実したコンテンツを揃えてもそれだけでは十分でない。むしろ先ほども書いたように、商業主義的にコンテンツを充実させればさせるほど、人の気持ちというのは離れていく部分すらある。コンテンツを「消費」するだけの場になるからだ。では何が必要かというと、それは「人」である。どんなコンテンツもすぐに飽きられる。でも「人」にはなかなか飽きがこない。結局、人間にとって最大の関心事は「人間」なのだ。
お祭りは、人と人とが普段とは違った空気で出会う場所であり、何よりもまず人間性の発露でなければならない。大げさに言えば、お祭りとは「人間讃歌」でなければならない。どんな集客力のあるコンテンツも、そこにいる人間が「人生を楽しんでいる」という場の空気にはかなわない。砂の祭典にそれがあるか、ということが、今後のこのイベントの命運を分けると、私はそう思う。
「顔の見えない」とか「人間讃歌」とか、随分と抽象的なことを書いてしまったが、まずはこのイベントに関わっている人の生き生きとした姿を、どんどん発信していくことから始めたらよい。海外からの招待作家がどんな気持ちで南さつまに来たのか。実行委員会の人たちが何に悩み、何を目指しているのか。ボランティアの人たちの働きぶり。そして実質的な主催者である、南さつま市役所の職員の皆さんの熱い想い! そういうものをSNSとかリーフレットとか、様々な形で伝えていくべきだ。そういう人間の生き様は、決して「消費」されえない「コンテンツ」である。祭典の本当の価値は、砂像とかステージイベントではなくて、そこに関わる人たちの熱意に他ならないのである。そして、それを見て砂の祭典にやってきた人は、絶対に「南さつま」のファンになってくれるだろう。
というわけで、ここまで随分批判的なことを書いたけれども、四半世紀に渡って砂にこだわってきたという歴史は誇れると思うし、せっかく10万人近くの人が訪れるイベントへと成長したのだから、これをもっとよいものにしていって欲しい。
来年は確か第30回目となる節目の年だ。砂像による人間讃歌、そんな「吹上浜 砂の祭典」になることを切に希望する。
2016年5月31日火曜日
マルヤガーデンズで講演をすることになったのですが…。
ここだけの話、今年の11月19日にマルヤガーデンズで講演することになった。演題は未定。今、何をしゃべろうか思案している。
私は東京工業大学の数学科、というバリバリの理系の学校を出ていて、その同窓会(蔵前工業会と言います)の鹿児島県支部では年1回講演イベントを実施している。これは「Tech Garden Salon」といって「アートやカルチャーを楽しむように、テクノロジーの世界を楽しみましょう」というコンセプトの、いわば「テクノロジーをテーマにした社交の場」なんである。そして、今年は私にその講師の役割が回ってきたというわけだ(この同窓会、メンバーがとても少ないのですぐに出番が回ってくる)。
このイベント、初回の一昨年は鹿児島大学の山口教授が「コンクリート」の話を、昨年は鹿児島大学名誉教授の井上先生が「まちづくりと景観」の話をした。教授、名誉教授ときて、学者でもなんでもない、百姓の私の出番なのである。うーん、困った。
同窓会のメンバーからは、「普段何をしているかを話すだけでも面白いと思いますよ」などと茶化され(?)てはいるが、そうなるとほとんどテクノロジーの話が出てこないのでイベントのコンセプトとずれることになる。私の農業は、ブログだけを読むと理論的にやっているように見えるかもしれないが、実際は「理論」は1%だけで残りの99%は「根性」だ。
でも自分の普段やっていることとほとんど関係のないテクノロジーの話なんかすることもできないし、結局話せることといえば、「田舎暮らし」のこと以外にはないような気がする。ただ、「田舎暮らし」について語るといっても、「田舎暮らしは楽しい」と言うつもりもないし(都会暮らしだって楽しいと思う)、特にこれといって主張したいこともない。というより、こちらに移住してきてから4年半も経つが、まだ田舎暮らしに対する確固たる視座というか、立場が定まっていないところがあって、語るに語れない部分がある。
そういう風にウジウジ考えていたのだが、一応仮のテーマを決めましょうということになったので、もう内容は考えずに「田舎」と「工学」を合わせて「田舎工学」について話します、と見得を切った次第である。少しでも「テクノロジー」の要素がないといけないと思うと、やっぱりエンジニアリング=工学の視点が必要なのだ。当然、こんな学問は私の知る限りないので、この架空の学問について話してみようと思う。
さて、「都市工学」というと、これは文字通り都市を作っていく工学で、各種のインフラ設計や都市内のゾーニングといったことを研究対象にする。一方マイナーだが「農村工学」という学問分野もあって、こっちは土地改良(農地の造成)とか水利の問題(農業用ダムの設計や運用)というようなことを扱う。要するに、どちらも「生産性の高い地域を作っていくためのインフラ設計」をテーマにしているわけだ。
そういう考え方でいうと、「田舎工学」の内容はどうなるだろう。「農村工学」と近い部分もあるが、ちょっと根本的に違う気もする。そもそも「田舎」というのが情緒的な概念で、都市とか農村みたいな言葉とは違う。鹿児島市内(南薩の人からすれば都会)は首都圏からみたら「田舎」かもしれないし、そもそも出身地という意味で「田舎」ということもあり、「田舎」を人口密度なんかで定義づけることはできない。
つまり「田舎」は常に「誰かにとっての田舎」なのであり、それを語る「人」を抜きにしては成立しない概念である。ということは、「田舎工学」が田舎を作っていく工学だとしても、まず考えなければならないのはインフラとかより「人」である。そして「田舎」という言葉自体が何か「生産性」と別のベクトルを向いているような気がして、都市工学や農村工学みたいに「発展のためのインフラづくり」そのものを語るのは違うように思う。
講演では、今のところ、私自身がどういう考えで南薩の田舎に移住してきたかということを皮切りにして、 「これからの時代、田舎の方がかえって面白い可能性があるんじゃないか」というような雰囲気を伝え、楽しい田舎暮らしを作っていくとはどういうことなのか、というやや分析的な話に持っていきたいと思っている(現時点で、そういう分析があるわけではありません)。
と、書いてはみたものの、正直いうとどういう話をしたらいいのかやっぱりわからない。私には田舎暮らしに関してこれといって信念とか主張がないのでどうも話の「軸」が定まらない感じである。自分が何を言いたいか、ということより、聴衆が何を聞きたいのか、ということから出発して講演の内容を考えた方が早いかもしれない。
というわけで、ブログの読者のみなさんにお願いである! こんな話が聞きたい、ということがあれば(田舎暮らしに直接関係なくても可)、ぜひご意見をコメント欄にでもお聞かせください。講演内容検討の参考とさせていただきます!
私は東京工業大学の数学科、というバリバリの理系の学校を出ていて、その同窓会(蔵前工業会と言います)の鹿児島県支部では年1回講演イベントを実施している。これは「Tech Garden Salon」といって「アートやカルチャーを楽しむように、テクノロジーの世界を楽しみましょう」というコンセプトの、いわば「テクノロジーをテーマにした社交の場」なんである。そして、今年は私にその講師の役割が回ってきたというわけだ(この同窓会、メンバーがとても少ないのですぐに出番が回ってくる)。
このイベント、初回の一昨年は鹿児島大学の山口教授が「コンクリート」の話を、昨年は鹿児島大学名誉教授の井上先生が「まちづくりと景観」の話をした。教授、名誉教授ときて、学者でもなんでもない、百姓の私の出番なのである。うーん、困った。
同窓会のメンバーからは、「普段何をしているかを話すだけでも面白いと思いますよ」などと茶化され(?)てはいるが、そうなるとほとんどテクノロジーの話が出てこないのでイベントのコンセプトとずれることになる。私の農業は、ブログだけを読むと理論的にやっているように見えるかもしれないが、実際は「理論」は1%だけで残りの99%は「根性」だ。
でも自分の普段やっていることとほとんど関係のないテクノロジーの話なんかすることもできないし、結局話せることといえば、「田舎暮らし」のこと以外にはないような気がする。ただ、「田舎暮らし」について語るといっても、「田舎暮らしは楽しい」と言うつもりもないし(都会暮らしだって楽しいと思う)、特にこれといって主張したいこともない。というより、こちらに移住してきてから4年半も経つが、まだ田舎暮らしに対する確固たる視座というか、立場が定まっていないところがあって、語るに語れない部分がある。
そういう風にウジウジ考えていたのだが、一応仮のテーマを決めましょうということになったので、もう内容は考えずに「田舎」と「工学」を合わせて「田舎工学」について話します、と見得を切った次第である。少しでも「テクノロジー」の要素がないといけないと思うと、やっぱりエンジニアリング=工学の視点が必要なのだ。当然、こんな学問は私の知る限りないので、この架空の学問について話してみようと思う。
さて、「都市工学」というと、これは文字通り都市を作っていく工学で、各種のインフラ設計や都市内のゾーニングといったことを研究対象にする。一方マイナーだが「農村工学」という学問分野もあって、こっちは土地改良(農地の造成)とか水利の問題(農業用ダムの設計や運用)というようなことを扱う。要するに、どちらも「生産性の高い地域を作っていくためのインフラ設計」をテーマにしているわけだ。
そういう考え方でいうと、「田舎工学」の内容はどうなるだろう。「農村工学」と近い部分もあるが、ちょっと根本的に違う気もする。そもそも「田舎」というのが情緒的な概念で、都市とか農村みたいな言葉とは違う。鹿児島市内(南薩の人からすれば都会)は首都圏からみたら「田舎」かもしれないし、そもそも出身地という意味で「田舎」ということもあり、「田舎」を人口密度なんかで定義づけることはできない。
つまり「田舎」は常に「誰かにとっての田舎」なのであり、それを語る「人」を抜きにしては成立しない概念である。ということは、「田舎工学」が田舎を作っていく工学だとしても、まず考えなければならないのはインフラとかより「人」である。そして「田舎」という言葉自体が何か「生産性」と別のベクトルを向いているような気がして、都市工学や農村工学みたいに「発展のためのインフラづくり」そのものを語るのは違うように思う。
講演では、今のところ、私自身がどういう考えで南薩の田舎に移住してきたかということを皮切りにして、 「これからの時代、田舎の方がかえって面白い可能性があるんじゃないか」というような雰囲気を伝え、楽しい田舎暮らしを作っていくとはどういうことなのか、というやや分析的な話に持っていきたいと思っている(現時点で、そういう分析があるわけではありません)。
と、書いてはみたものの、正直いうとどういう話をしたらいいのかやっぱりわからない。私には田舎暮らしに関してこれといって信念とか主張がないのでどうも話の「軸」が定まらない感じである。自分が何を言いたいか、ということより、聴衆が何を聞きたいのか、ということから出発して講演の内容を考えた方が早いかもしれない。
というわけで、ブログの読者のみなさんにお願いである! こんな話が聞きたい、ということがあれば(田舎暮らしに直接関係なくても可)、ぜひご意見をコメント欄にでもお聞かせください。講演内容検討の参考とさせていただきます!
2016年5月29日日曜日
納屋をリノベーションします
実は、明日からうちの納屋のリノベーション工事が始まる。
このあたりの古い家には必ず納屋が附属しているもので、うちも本宅よりも立派な2階建ての納屋があった。でもいつかの台風で2階部分が壊れて改築し今は1階部分しか残っていない。
昔も今も、農業には倉庫が重要であることは言うまでもないが、特に昔は牛に犂(すき)を引かせていたから家に牛がいて、牛を飼うためには納屋が絶対必要だった。写真で分かるように、建物の下半分が石詰みによって作られているのはこのためで、木造だと牛の糞尿によってすぐに材が腐ってしまう。だからこのあたりの古い納屋の下半分(の、特に牛のためのスペース)は石詰みによって作られている。
さらに、牛の糞尿は肥料にしたので、牛のいた区画の下は傾斜がついていて屎尿排水の口があり、下には大きな肥だめの空間がある。ついでに納屋の外には人間用の便所もあって、人間と牛の屎尿はそれぞれ下の肥だめに集められるようになっていた。
化学肥料が使えなかった昭和の半ばまで、これは農業をやっていくための大事な仕組みだったが、牛がいなくなり、化学肥料になって人糞も集めなくなると、この肥だめシステムは無用の長物と化してしまった。それどころか、肥だめには雨水が溜まって(沁み出してきて?)湿気の温床となり、地下の空間は危険な落とし穴にもなった。野良猫がこの肥だめの中に落ちてしまい、それを救出するのに3時間くらいかかった、なんてこともある。
というわけで、この無用の肥だめをなくしてしまうことにした。これから、また肥だめをつかって肥料を作るような時代が来ないとも限らないが、私の考えでは、昔の屎尿肥料の作り方にも非効率なところがあり(※)、仮にそういう時代が来るとしても昔ながらの肥だめシステムを使う必要はないだろうと思う。
具体的な工事としては、肥だめを壊し、埋め、上からコンクリートで塗り固めてしまうというもの。でも工事というものは、マイナス(迷惑施設)だったものがゼロになる、というだけではなかなかやる気が出てこないものである。というわけで、せっかく工事をやるなら、納屋のリノベーションを行って、ここをステキな部屋にしてしまおうというわけである。
そもそもうち(本宅)は築百年の古民家で、間取り的に現代の生活スタイルに合っていないところがあり、子どもたちがもうちょっと大きくなったら一部屋足りなくなる見込みだ。この機会に一部屋作っておけば将来の子ども部屋問題も解決するし、それまでの間は事務所か書斎として使うこともできる。
同世代が次々に新築の家を建てる中、このきったない納屋を子ども部屋にしようというのは忸怩たるものがあるが、加世田のステキな工務店crafta(クラフタ)さんのセンスで、新築するよりステキな空間に生まれ変わる予定である! 私としては密かに南薩の「納屋リノベーション」の先駆事例になったらいいなと期待しているところだ(同じような納屋がこのあたりにはたくさんあるので)。
ところで、こちらに移住してきてから、かなりのお金が工務店さんの方にいっている。本宅のリフォームはさておき、その他にも食品加工所(そういえばこれまでブログに書いていなかったのに気づいたのでいずれ書きます)、農業用倉庫、そして今回の納屋リノベーション。生活や仕事の基盤を作っていくというのは、なによりもまずその「場」を作る事が重要だ。「場」=不動産よりもコンテンツにお金を掛けるべきという考えもあるが、私の場合はまず「場」をしつらえるのを優先するので、これはこれでよかったと思う。
でも農業ではなかなか生活が成り立って行かない中で、どうして納屋リノベーションの予算が出たのかというと、これは当然貯蓄を切り崩して捻出している。そしてこれで都会時代の貯蓄が全て無くなった感じになり、また今年後半から新規就農の補助金も終わるので、これでいよいよ裸一貫でやっていかないといけない。正直、ちょっと不安はあるが、農業でなんとかやっていけないことはない、という見通し(だけ)はある。
お金のない中で、そんなやってもやらなくても困らない工事なんかやめておけ、という人もいるだろうが、私としてはこれも「南薩の田舎暮らし」の重要な基盤の一つだと思っている。生活や仕事の基盤はそろそろ出来てきたので、これからはそれを活かして行く段階になってくる。…と書いていたらだんだんやる気が出てきた。
というわけで「納屋リノベーション」がステキにできあがるか楽しみである。
※ というのは、糞尿を肥料に変えるには発酵させなくてはならず、それにはたくさんの空気(酸素)を必要とする。昔の肥だめは尿も一緒に集めていたためドロドロ状態になっていて、それを別の場所にわざわざワラなどと重ねて入れ発酵させていたようだ。今だったら、ブロアで空気をいれて発酵させるかもしれない。でももっと簡単かつ効率的なのは、糞は糞だけを集めて水気のない状態で発酵させることである。なぜ昔はこうしなかったのかよくわからない。
このあたりの古い家には必ず納屋が附属しているもので、うちも本宅よりも立派な2階建ての納屋があった。でもいつかの台風で2階部分が壊れて改築し今は1階部分しか残っていない。
昔も今も、農業には倉庫が重要であることは言うまでもないが、特に昔は牛に犂(すき)を引かせていたから家に牛がいて、牛を飼うためには納屋が絶対必要だった。写真で分かるように、建物の下半分が石詰みによって作られているのはこのためで、木造だと牛の糞尿によってすぐに材が腐ってしまう。だからこのあたりの古い納屋の下半分(の、特に牛のためのスペース)は石詰みによって作られている。
さらに、牛の糞尿は肥料にしたので、牛のいた区画の下は傾斜がついていて屎尿排水の口があり、下には大きな肥だめの空間がある。ついでに納屋の外には人間用の便所もあって、人間と牛の屎尿はそれぞれ下の肥だめに集められるようになっていた。
化学肥料が使えなかった昭和の半ばまで、これは農業をやっていくための大事な仕組みだったが、牛がいなくなり、化学肥料になって人糞も集めなくなると、この肥だめシステムは無用の長物と化してしまった。それどころか、肥だめには雨水が溜まって(沁み出してきて?)湿気の温床となり、地下の空間は危険な落とし穴にもなった。野良猫がこの肥だめの中に落ちてしまい、それを救出するのに3時間くらいかかった、なんてこともある。
というわけで、この無用の肥だめをなくしてしまうことにした。これから、また肥だめをつかって肥料を作るような時代が来ないとも限らないが、私の考えでは、昔の屎尿肥料の作り方にも非効率なところがあり(※)、仮にそういう時代が来るとしても昔ながらの肥だめシステムを使う必要はないだろうと思う。
具体的な工事としては、肥だめを壊し、埋め、上からコンクリートで塗り固めてしまうというもの。でも工事というものは、マイナス(迷惑施設)だったものがゼロになる、というだけではなかなかやる気が出てこないものである。というわけで、せっかく工事をやるなら、納屋のリノベーションを行って、ここをステキな部屋にしてしまおうというわけである。
そもそもうち(本宅)は築百年の古民家で、間取り的に現代の生活スタイルに合っていないところがあり、子どもたちがもうちょっと大きくなったら一部屋足りなくなる見込みだ。この機会に一部屋作っておけば将来の子ども部屋問題も解決するし、それまでの間は事務所か書斎として使うこともできる。
同世代が次々に新築の家を建てる中、このきったない納屋を子ども部屋にしようというのは忸怩たるものがあるが、加世田のステキな工務店crafta(クラフタ)さんのセンスで、新築するよりステキな空間に生まれ変わる予定である! 私としては密かに南薩の「納屋リノベーション」の先駆事例になったらいいなと期待しているところだ(同じような納屋がこのあたりにはたくさんあるので)。
ところで、こちらに移住してきてから、かなりのお金が工務店さんの方にいっている。本宅のリフォームはさておき、その他にも食品加工所(そういえばこれまでブログに書いていなかったのに気づいたのでいずれ書きます)、農業用倉庫、そして今回の納屋リノベーション。生活や仕事の基盤を作っていくというのは、なによりもまずその「場」を作る事が重要だ。「場」=不動産よりもコンテンツにお金を掛けるべきという考えもあるが、私の場合はまず「場」をしつらえるのを優先するので、これはこれでよかったと思う。
でも農業ではなかなか生活が成り立って行かない中で、どうして納屋リノベーションの予算が出たのかというと、これは当然貯蓄を切り崩して捻出している。そしてこれで都会時代の貯蓄が全て無くなった感じになり、また今年後半から新規就農の補助金も終わるので、これでいよいよ裸一貫でやっていかないといけない。正直、ちょっと不安はあるが、農業でなんとかやっていけないことはない、という見通し(だけ)はある。
お金のない中で、そんなやってもやらなくても困らない工事なんかやめておけ、という人もいるだろうが、私としてはこれも「南薩の田舎暮らし」の重要な基盤の一つだと思っている。生活や仕事の基盤はそろそろ出来てきたので、これからはそれを活かして行く段階になってくる。…と書いていたらだんだんやる気が出てきた。
というわけで「納屋リノベーション」がステキにできあがるか楽しみである。
※ というのは、糞尿を肥料に変えるには発酵させなくてはならず、それにはたくさんの空気(酸素)を必要とする。昔の肥だめは尿も一緒に集めていたためドロドロ状態になっていて、それを別の場所にわざわざワラなどと重ねて入れ発酵させていたようだ。今だったら、ブロアで空気をいれて発酵させるかもしれない。でももっと簡単かつ効率的なのは、糞は糞だけを集めて水気のない状態で発酵させることである。なぜ昔はこうしなかったのかよくわからない。
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