先輩農家と共同で(というか、おんぶにだっこで)秋かぼちゃを作らせてもらえることになって、早速作業が始まっているが、今日は台風の影響でお休み。
水稲収穫後の田んぼを使うのだが、今日だけでなく天気に恵まれず作業が思うように進まない。秋かぼちゃは台風の影響をモロに受けるので博打性が高いらしいが、既に負け博打の様相を呈しており、天候の好転を願うばかり。
ところで、春にかぼちゃを作りますという記事を書いたのだが、その結果を書くのを忘れていた。約100株作って、収穫はコンテナ10個分くらい。個数にして(まともなのは)70個くらいだった。総じて大きさは十分だったが、早く葉が枯れてしまったこともあって、味に濃厚さは足りなかった。やはり農薬を使わなかったのが大きかったと思う。
家内が、そのかぼちゃを使ってコンフィチュールを作ってくれた。コンフィチュールというのは、簡単に言えばフランス風のジャム。素朴なだけに素材の味がよく出て、甘いかぼちゃで作ったこいつはとても美味。我が子(2歳)が喜んでパンに付けて食べている。ついでにそれらしいラベルを作ってみたら、商品としていけそうな気がしてきた。
かぼちゃというと、煮付けで食べるのがスタンダードだと思うが、「加世田かぼちゃ」はせっかくのブランド野菜なのだから、利用法も含めて独自色があってもよいと思う。高級野菜だから料亭等で使われているのだと思うが、それでは一般への認知は進まないし、ブランド野菜としてのアイコン(象徴)的な商品があるといいのではないか。
このコンフィチュールがそのような商材になることを期待するものではいが、金を掛けて大規模なキャンペーンをするのでない限り、草の根の試行錯誤がブランドを作るわけで、美味しいかぼちゃが出来たら、その利用法もいろいろ工夫・発信していきたい(正確には、家内に工夫してもらいたい…)。
2012年8月27日月曜日
2012年8月24日金曜日
スイートコーンの2つの弱点
トウモロコシ(スイートコーン)の収穫である。
実が揃っているし、割ときれいに出来たが、全体として見れば、結果は悪い。というのも、約1割が野生動物(ムジナ?)に食われ、7割がアワノメイガの侵入を受け、全く無傷なのは1割程度、食害部分の除去などでなんとか利用可能のを含めても3割程度しかなく、約1000株のうち出荷可能なのはたったの300株しかない。アワノメイガというのはトウモロコシの大害虫。だが、逆に言えばこいつらさえ防除すれば、トウモロコシに被害を及ぼす病害虫はほとんどない。
もちろん、薬剤散布をして防除すればアワノメイガの被害は防げたわけだが、最初だからあえて無農薬でやってみた。ものの本にも「2〜3回は薬剤散布が必要」と書いてあるし、周りの方にも「薬はかけなきゃだめ」と言われていたけれど、 本当にそうかどうか、実際にやってみないと納得できない性分なので、まあ授業料と思えばよい。なお、除穂(無駄な雌穂を取り除く)の際に食害は気づいていたので、これは予想された結果ではある。
また、こちらは特にこだわりがあったわけではないが、化学肥料を使わず、有機肥料のみで作ったので、一応定義的には有機栽培だ(※)。ただ、「有機栽培」という言葉は、現在の法の枠組みでは認証を受けないと使えないので、販売の際にも有機栽培と言うことは出来ず、別段有利になるわけでもない。 まあ、慣行農法で作った場合に比べてどれだけ安全性や食味が増しているかというと、正直そんなに変わらないような気はするが。
ちなみに、トウモロコシ(スイートコーン)を作った理由は、時期的なものはもちろんだが、穀物として面白いと思ったこともある。米や麦といった穀物は、炭水化物の摂取を主な目的としているので、良質な(美味しい)炭水化物を効率的に大量に産出できるように品種改良が進んだ。一方トウモロコシの場合は、19世紀に入って在来の甘い品種が改良され、スイートコーンが出来た。穀物なのに、甘味を楽しむ方向に品種改良が進んだのは興味深い。「甘い米」や「甘い麦」はないのに、同じイネ科なのに不思議だ。
早速食べてみると、生でも食べられるし、茹でれば甘く美味しい。なにしろ、トウモロコシというのは採ったらその瞬間から劣化していく作物なので、採れたてのスイートコーンが一番美味しい。 ただ、美味しい採れたてを食べられるのは、栽培している人やその周りの人だけなので、アワノメイガ以外のスイートコーンの弱点はまさにそこにあるとも思う。
※ 有機栽培というのは、無農薬(正確には有機認証された農薬以外使わない)かつ化学肥料を使わない栽培。
実が揃っているし、割ときれいに出来たが、全体として見れば、結果は悪い。というのも、約1割が野生動物(ムジナ?)に食われ、7割がアワノメイガの侵入を受け、全く無傷なのは1割程度、食害部分の除去などでなんとか利用可能のを含めても3割程度しかなく、約1000株のうち出荷可能なのはたったの300株しかない。アワノメイガというのはトウモロコシの大害虫。だが、逆に言えばこいつらさえ防除すれば、トウモロコシに被害を及ぼす病害虫はほとんどない。
もちろん、薬剤散布をして防除すればアワノメイガの被害は防げたわけだが、最初だからあえて無農薬でやってみた。ものの本にも「2〜3回は薬剤散布が必要」と書いてあるし、周りの方にも「薬はかけなきゃだめ」と言われていたけれど、 本当にそうかどうか、実際にやってみないと納得できない性分なので、まあ授業料と思えばよい。なお、除穂(無駄な雌穂を取り除く)の際に食害は気づいていたので、これは予想された結果ではある。
また、こちらは特にこだわりがあったわけではないが、化学肥料を使わず、有機肥料のみで作ったので、一応定義的には有機栽培だ(※)。ただ、「有機栽培」という言葉は、現在の法の枠組みでは認証を受けないと使えないので、販売の際にも有機栽培と言うことは出来ず、別段有利になるわけでもない。 まあ、慣行農法で作った場合に比べてどれだけ安全性や食味が増しているかというと、正直そんなに変わらないような気はするが。
ちなみに、トウモロコシ(スイートコーン)を作った理由は、時期的なものはもちろんだが、穀物として面白いと思ったこともある。米や麦といった穀物は、炭水化物の摂取を主な目的としているので、良質な(美味しい)炭水化物を効率的に大量に産出できるように品種改良が進んだ。一方トウモロコシの場合は、19世紀に入って在来の甘い品種が改良され、スイートコーンが出来た。穀物なのに、甘味を楽しむ方向に品種改良が進んだのは興味深い。「甘い米」や「甘い麦」はないのに、同じイネ科なのに不思議だ。
早速食べてみると、生でも食べられるし、茹でれば甘く美味しい。なにしろ、トウモロコシというのは採ったらその瞬間から劣化していく作物なので、採れたてのスイートコーンが一番美味しい。 ただ、美味しい採れたてを食べられるのは、栽培している人やその周りの人だけなので、アワノメイガ以外のスイートコーンの弱点はまさにそこにあるとも思う。
※ 有機栽培というのは、無農薬(正確には有機認証された農薬以外使わない)かつ化学肥料を使わない栽培。
2012年8月22日水曜日
『万世歴史散策』を届けてもらいました。
南さつま市にある小さな街「万世(ばんせい)」、そこの歴史についての本が自費出版されたというニュースを見て、早速編著者の窪田 巧さんに電話してみた。記事に連絡先が書いてあったからだ。
本を買いたいというと、「もう手元にある分は全部売れちゃったんですよ」とのこと。「でも、鹿児島市内の大木建設設計事務所に販売を卸してるんですが在庫があったかも。連絡してみて下さい」と言われ、そこに電話するとあと2冊だけあるとのこと。取りに伺うと言うと、「自分は大浦出身だから、お盆に帰郷した時についでに持って行きますよ」と言う。世の中には親切な人がいたもんだ。
届けて頂いた際に話を伺うと、大木建設の方と窪田さんが(高校の?)同級生である関係で、鹿児島県内の販売を大木建設が担っているらしい。
早速読んでみると、歴史散策の書名が示すとおり興味の赴くままに、昔話や万世に縁ある事物の取材、地名の由来の推測などが並べられている。書きたいことを書いた、というような内容で、著者自身が「卒業文集の延長」と言うとおり、およそ一般読者のことは考えられていないが、万世出身の人などは涙を流して喜ぶような本だと思う。これぞ自費出版の正しいあり方だ。
私自身にとっても、なるほどと思わせるところが随所にあり、地域史の勉強のよい参考書になった。丁字屋、南薩鉄道、鮫島氏…などなど、個別のことについてはまた改めて気が向いた時に書きたいが、いろいろヒントを与えてもらったと思う。こういう地域の歴史本が、もっとたくさん出てほしいものだ。
それにしても、著者の窪田さん、全盲というのが凄い。奥さんはさぞかし献身的な協力をされたのだと思う。だが、ニュース記事では「妻と二人三脚で」と書いてあったが、本書にはまえがきにも編集後記にも、奥さんへの言及はない。女は黙って俺について来い的な、(でも実際は裏で奥さんが大活躍してる)典型的な鹿児島の夫婦なんだろうか…?
本を買いたいというと、「もう手元にある分は全部売れちゃったんですよ」とのこと。「でも、鹿児島市内の大木建設設計事務所に販売を卸してるんですが在庫があったかも。連絡してみて下さい」と言われ、そこに電話するとあと2冊だけあるとのこと。取りに伺うと言うと、「自分は大浦出身だから、お盆に帰郷した時についでに持って行きますよ」と言う。世の中には親切な人がいたもんだ。
届けて頂いた際に話を伺うと、大木建設の方と窪田さんが(高校の?)同級生である関係で、鹿児島県内の販売を大木建設が担っているらしい。
早速読んでみると、歴史散策の書名が示すとおり興味の赴くままに、昔話や万世に縁ある事物の取材、地名の由来の推測などが並べられている。書きたいことを書いた、というような内容で、著者自身が「卒業文集の延長」と言うとおり、およそ一般読者のことは考えられていないが、万世出身の人などは涙を流して喜ぶような本だと思う。これぞ自費出版の正しいあり方だ。
私自身にとっても、なるほどと思わせるところが随所にあり、地域史の勉強のよい参考書になった。丁字屋、南薩鉄道、鮫島氏…などなど、個別のことについてはまた改めて気が向いた時に書きたいが、いろいろヒントを与えてもらったと思う。こういう地域の歴史本が、もっとたくさん出てほしいものだ。
それにしても、著者の窪田さん、全盲というのが凄い。奥さんはさぞかし献身的な協力をされたのだと思う。だが、ニュース記事では「妻と二人三脚で」と書いてあったが、本書にはまえがきにも編集後記にも、奥さんへの言及はない。女は黙って俺について来い的な、(でも実際は裏で奥さんが大活躍してる)典型的な鹿児島の夫婦なんだろうか…?
2012年8月21日火曜日
古民家の音響は、素晴らしい
意外かも知れないが、古民家の音響は極めていい。
私は一応ちょっとしたアンプで音楽を聞いているが、スピーカーはいらなくなったミニコンポのスピーカーだし、耳は悪いし、音に特別こだわるタイプではないけれど、それでも違いがわかるくらい、音の質がいい。
古民家の音響がよい理由は、その構造にある。
我が家は昔、天井裏で蚕を飼っていたようで、天井裏に割と広い空間がある。古民家であれば、蚕ならずとも米倉庫や藁置き場になっていたり、天井裏の空間が活用されていたことが多いだろう。
また、部屋の仕切りがあまりないことも相まって、オーディオから発せられた音がこの天井裏の空間を通じて家全体に共鳴し、よく響く。しかも、不明瞭な響き方ではなくて、一音一音が明晰に、繊細に鳴り響く。オーディオから一番離れた部屋にいても、音楽が不思議なくらい自然に聞こえる。これは、鉄筋コンクリートの建物に比べ、無用な音の反射がないからとも思う。コンクリートの壁は、むやみやたらに音を反射させるのでよくない。
つまり、古民家にオーディオを置けば、家そのものが楽器になり共鳴するのだ。特に中低音の響きには艶があり、中音域の奥行きが豊かに聞こえる。ジャズやクラシックを聴くのには最高の環境と思う。ただ、ポップスやロックで、高音がキンキンしているような曲の場合、もしかしたら迫力が削がれてしまっているような気もする。まあ、何事にも一長一短はある。
ちなみに、家そのものが共鳴するため、家の外にも音楽がよく聞こえ、都会であれば騒音問題になりそうなほどだ。ここは田舎で家もまばらだから深夜でもない限り気にする必要はないだろうが…。
古民家は音響がいいというのは何も私だけが言っているのではなく、ネットを見てみると結構いろいろな人が古民家で音響を楽しんでいるみたいだし、先日伺った美山のたけずみ屋さん たけずみ本舗では古民家にバカでかいスピーカーが鎮座して最高の音響環境を演出していた。
音響の基本はまず空間(部屋)であって、そう言う意味では、古民家はオーディオマニアの家として一つの選択肢だと思う。まあ、そのためだけの部屋(オーディオルーム)には及ばないのかもしれないが、リタイア後に、古民家に移り住むオーディオマニアがいてもおかしくないレベルだと思っている(私自身はオーディオマニアではないので戯れ言にすぎないけれど)。
私は一応ちょっとしたアンプで音楽を聞いているが、スピーカーはいらなくなったミニコンポのスピーカーだし、耳は悪いし、音に特別こだわるタイプではないけれど、それでも違いがわかるくらい、音の質がいい。
古民家の音響がよい理由は、その構造にある。
我が家は昔、天井裏で蚕を飼っていたようで、天井裏に割と広い空間がある。古民家であれば、蚕ならずとも米倉庫や藁置き場になっていたり、天井裏の空間が活用されていたことが多いだろう。
また、部屋の仕切りがあまりないことも相まって、オーディオから発せられた音がこの天井裏の空間を通じて家全体に共鳴し、よく響く。しかも、不明瞭な響き方ではなくて、一音一音が明晰に、繊細に鳴り響く。オーディオから一番離れた部屋にいても、音楽が不思議なくらい自然に聞こえる。これは、鉄筋コンクリートの建物に比べ、無用な音の反射がないからとも思う。コンクリートの壁は、むやみやたらに音を反射させるのでよくない。
つまり、古民家にオーディオを置けば、家そのものが楽器になり共鳴するのだ。特に中低音の響きには艶があり、中音域の奥行きが豊かに聞こえる。ジャズやクラシックを聴くのには最高の環境と思う。ただ、ポップスやロックで、高音がキンキンしているような曲の場合、もしかしたら迫力が削がれてしまっているような気もする。まあ、何事にも一長一短はある。
ちなみに、家そのものが共鳴するため、家の外にも音楽がよく聞こえ、都会であれば騒音問題になりそうなほどだ。ここは田舎で家もまばらだから深夜でもない限り気にする必要はないだろうが…。
古民家は音響がいいというのは何も私だけが言っているのではなく、ネットを見てみると結構いろいろな人が古民家で音響を楽しんでいるみたいだし、先日伺った美山のたけずみ屋さん たけずみ本舗では古民家にバカでかいスピーカーが鎮座して最高の音響環境を演出していた。
音響の基本はまず空間(部屋)であって、そう言う意味では、古民家はオーディオマニアの家として一つの選択肢だと思う。まあ、そのためだけの部屋(オーディオルーム)には及ばないのかもしれないが、リタイア後に、古民家に移り住むオーディオマニアがいてもおかしくないレベルだと思っている(私自身はオーディオマニアではないので戯れ言にすぎないけれど)。
2012年8月19日日曜日
地味な雑草ヤブラン、実は有用?
ポンカン園の下草払いをしたら、雑草の合間にたくさんのヤブラン属の花が咲いていた。ヤブランにしては小さく、また群落が小規模なのでコヤブランかヒメヤブランだろうか。辞典での知識しかないのでよくわからない。
ヤブランは藪蘭と書くが、ランの仲間ではなくユリの仲間(※1)で、日本全国に自生する可憐な花の野草。斑入りの栽培種もあって園芸として育てている人もいる。しかし、見た目の派手さがなく地味なため、あまり好んで植えられているものではないと思う(もしかしたらこれが人気の地域もあるかもしれないが)。
私のポンカン園でも勝手に生えてきているわけで、さらにそれを時々下草払いしているので全く生長が奮わない。私はこういう何気ない小さな花が好きなので、できればこれを残したいと思うが、下草払機をブンブン振り回している時に、小さな草を保護する心の余裕はない…。
そもそも、林床など光の少ないところでよく育つだけでなく、幅広い気候に対応したヤブラン属は日本ではありふれた雑草で、ほとんど有り難がられていない。特に農業ではそうだろう。
しかしこのヤブラン、150〜200年前に日本から米国に移入されており、米国の特に南西部では被覆植物として非常にメジャーな存在になっている。米国での使われ方は、芝と似ており、芝の生やしにくい場所や歩道との境界などに植えているケースが多いようだ。そのため、ヤブランは英語ではlilyturf(ユリ芝)とかborder grass(境界草)という(※2)。芝よりも手入れの手間が少なく、花も楽しめて、土壌と気候の適応性が大きいということで、ヤブランは公園整備やガーデニングの脇役として重要な地位を占めているのだ。
より身近なはずの日本でそのような使われ方があまり見ないのは不思議だ。私はポンカン園の林床をヤブランにしてしまったら、下草刈りの手間が激減するのではないかと思っているが(※3)、具体的にはどうやって増やすかがちょっと課題だ。ジワジワと拡大させるのは可能だが、ヤブランは実生で増やすのが難しく、確実には株分けで増やすらしいが、これは現実的ではないからだ。
さらについでに書くと、ヤブランの種子は進化的に面白い存在だ。被子植物なのに果実の部分がなくて、黒くてまん丸い、まるで実のような種だけがついている。これは果実を作るエネルギーを節約し、種を果実に擬態させることで、鳥が果実と間違えて食べることを期待しているのではないか、と言われている。具体的にはイヌツゲとかアオツヅラフジの実に似ているというが、全体像が違いすぎるのでこんなのに騙される鳥がいるのか疑問もある…。
以前イネ科植物はほぼ果実を作らないということを書いたのだが、ヤブランの場合は果実を完全に捨て去っていて種は剝きだしであり、被子植物の果実進化の極北ともいうべき存在であると思う。ヤブランは進化的にも面白く、ガーデニングにも有用なのに、ほとんど注目されないのである。ちなみに、その根は大葉麦門冬という漢方薬にもなるらしいのだが。
※1 APG植物分類体系では、ユリ科ではなく、スズラン科またはクサスギカズラ科に分類されており、まだ確定していないものと見受けられる。
※2 細かい話だが、grassは正確にはイネ科の雑草を指すので訳がちょっと不正確…。
※3 カンキツのヤブランによる草生栽培というのは既に試験した人がいるらしいが、その結果は知らない。(『農業技術体系』の8巻に記載があるらしい)
ヤブランは藪蘭と書くが、ランの仲間ではなくユリの仲間(※1)で、日本全国に自生する可憐な花の野草。斑入りの栽培種もあって園芸として育てている人もいる。しかし、見た目の派手さがなく地味なため、あまり好んで植えられているものではないと思う(もしかしたらこれが人気の地域もあるかもしれないが)。
私のポンカン園でも勝手に生えてきているわけで、さらにそれを時々下草払いしているので全く生長が奮わない。私はこういう何気ない小さな花が好きなので、できればこれを残したいと思うが、下草払機をブンブン振り回している時に、小さな草を保護する心の余裕はない…。
そもそも、林床など光の少ないところでよく育つだけでなく、幅広い気候に対応したヤブラン属は日本ではありふれた雑草で、ほとんど有り難がられていない。特に農業ではそうだろう。
しかしこのヤブラン、150〜200年前に日本から米国に移入されており、米国の特に南西部では被覆植物として非常にメジャーな存在になっている。米国での使われ方は、芝と似ており、芝の生やしにくい場所や歩道との境界などに植えているケースが多いようだ。そのため、ヤブランは英語ではlilyturf(ユリ芝)とかborder grass(境界草)という(※2)。芝よりも手入れの手間が少なく、花も楽しめて、土壌と気候の適応性が大きいということで、ヤブランは公園整備やガーデニングの脇役として重要な地位を占めているのだ。
より身近なはずの日本でそのような使われ方があまり見ないのは不思議だ。私はポンカン園の林床をヤブランにしてしまったら、下草刈りの手間が激減するのではないかと思っているが(※3)、具体的にはどうやって増やすかがちょっと課題だ。ジワジワと拡大させるのは可能だが、ヤブランは実生で増やすのが難しく、確実には株分けで増やすらしいが、これは現実的ではないからだ。
さらについでに書くと、ヤブランの種子は進化的に面白い存在だ。被子植物なのに果実の部分がなくて、黒くてまん丸い、まるで実のような種だけがついている。これは果実を作るエネルギーを節約し、種を果実に擬態させることで、鳥が果実と間違えて食べることを期待しているのではないか、と言われている。具体的にはイヌツゲとかアオツヅラフジの実に似ているというが、全体像が違いすぎるのでこんなのに騙される鳥がいるのか疑問もある…。
以前イネ科植物はほぼ果実を作らないということを書いたのだが、ヤブランの場合は果実を完全に捨て去っていて種は剝きだしであり、被子植物の果実進化の極北ともいうべき存在であると思う。ヤブランは進化的にも面白く、ガーデニングにも有用なのに、ほとんど注目されないのである。ちなみに、その根は大葉麦門冬という漢方薬にもなるらしいのだが。
※1 APG植物分類体系では、ユリ科ではなく、スズラン科またはクサスギカズラ科に分類されており、まだ確定していないものと見受けられる。
※2 細かい話だが、grassは正確にはイネ科の雑草を指すので訳がちょっと不正確…。
※3 カンキツのヤブランによる草生栽培というのは既に試験した人がいるらしいが、その結果は知らない。(『農業技術体系』の8巻に記載があるらしい)
2012年8月14日火曜日
カリフォルニアに移住した下村ルイさんの話
以前少しだけ紹介した『続・ぼくの鹿児島案内。』に大浦と枕崎に関する記事があるので紹介したい。
本書は、北海道出身の編集者である岡本 仁さんが、鹿児島の友人知人に紹介されたり、ふとしたきっかけで知った「鹿児島のよかもん」を紹介する本の第2弾である。観光案内のガイドブックではなく、生活者としての素朴な感性から、地元にいるとなかなか気づかない素敵な場所を紹介してくれている。
本書の内容は、鹿児島のあれこれに関する岡本氏のエッセイと氏の友人知人による鹿児島のいいもの紹介なのだが、そこに「ルイさん聞いた話。」というカリフォルニアで出会った鹿児島出身の方の話が唐突に挟まっていて、これが写真を除くと3ページしかないのだが興味深い。
この話は余韻が豊かで、要約するとその滋味が失われるが紹介のためにまとめると、
以前書いたように、南薩からは多くのカリフォルニア移民があったので、時代といえばそれまでだが、興味のなかったアメリカに移民し、しかも本来の目的である洋裁での自立ができずに、写真だけで結婚を決めた旦那さんと農業で暮らしていくことになるという、今から考えるとちょっと場当たり的な人生が興味深い。
それ以上に興味深いのは、数奇な運命といえなくもないものの、こうして、一般的には平凡な女性の人生のスケッチが3ページとはいえ本書で紹介されていること自体だ。この女性の親類は、この記事を知っているのだろうか。そして旦那さんの姓は下村で、大浦では上ノ門集落の方と見受けられるが、どなたかルイさんをご存じの方はいるだろうか。
特に立派なことが書かれているわけでもないし、知人なら知っている話なのかもしれないが、誰か、彼女を知っている方に、この記事をぜひ読んでもらいたいと思った次第である。こうして、思いもよらない所で、彼女の人生が紹介されているということを。
本書は、北海道出身の編集者である岡本 仁さんが、鹿児島の友人知人に紹介されたり、ふとしたきっかけで知った「鹿児島のよかもん」を紹介する本の第2弾である。観光案内のガイドブックではなく、生活者としての素朴な感性から、地元にいるとなかなか気づかない素敵な場所を紹介してくれている。
本書の内容は、鹿児島のあれこれに関する岡本氏のエッセイと氏の友人知人による鹿児島のいいもの紹介なのだが、そこに「ルイさん聞いた話。」というカリフォルニアで出会った鹿児島出身の方の話が唐突に挟まっていて、これが写真を除くと3ページしかないのだが興味深い。
この話は余韻が豊かで、要約するとその滋味が失われるが紹介のためにまとめると、
- 下村ルイ(旧姓:長野)さんは、今カリフォルニアで、一人で農業をして暮らしている。ルイさんが作る日本式の野菜はファーマーズ・マーケットでも評判だ。
- ルイさんは枕崎の西鹿篭で生まれたが、父親は若い頃渡米しスタンフォード大学で学んでおり、帰朝後には立神の区長もしていた人物。
- ルイさん自身はアメリカへの興味はなかったが、仕事にしていた洋裁は鹿児島では需要が少なく、アメリカに行けば暮らしが立つと思い1960年に渡米。しかしアメリカ人は既製服を着こなせることがわかり洋裁を断念。
- やはりアメリカに住んでいた義姉の紹介で、カリフォルニアで農業をしていた大浦出身の男性を紹介され(なかば無理矢理?)結婚。それ以来夫婦で農業をして生活していたが旦那さんが亡くなり、ファーマーズ・マーケットへの出店もやめていたが、しばらくして一人で再開。
- 鹿児島には母親が亡くなった1987年に帰ったのが最後。
以前書いたように、南薩からは多くのカリフォルニア移民があったので、時代といえばそれまでだが、興味のなかったアメリカに移民し、しかも本来の目的である洋裁での自立ができずに、写真だけで結婚を決めた旦那さんと農業で暮らしていくことになるという、今から考えるとちょっと場当たり的な人生が興味深い。
それ以上に興味深いのは、数奇な運命といえなくもないものの、こうして、一般的には平凡な女性の人生のスケッチが3ページとはいえ本書で紹介されていること自体だ。この女性の親類は、この記事を知っているのだろうか。そして旦那さんの姓は下村で、大浦では上ノ門集落の方と見受けられるが、どなたかルイさんをご存じの方はいるだろうか。
特に立派なことが書かれているわけでもないし、知人なら知っている話なのかもしれないが、誰か、彼女を知っている方に、この記事をぜひ読んでもらいたいと思った次第である。こうして、思いもよらない所で、彼女の人生が紹介されているということを。
2012年8月12日日曜日
複雑な来歴を持つ素朴な行事——お盆
お盆である。引っ越してきてから初めてのお盆で、こちらではどういう風にお盆を過ごすべきなのかよくわからない。スーパーなどにはお盆用の飾り付け(干菓子とか灯籠とか)が売っているが…。
お盆は、日本の三大休暇の一つであり誰にとってもなじみ深い行事だが、実はなかなか奥が深い。これは一般的には仏教行事と思われているが、実は仏教との関連は薄く、教義的な意味合いも曖昧であり、不思議で複雑な習俗である。
お盆の直接的な由来となっているのは仏教行事の「盂蘭盆(うらぼん)」であるが、お盆は盂蘭盆そのものではなく、特に「祖先の霊が帰ってくる」というお盆の中心的観念はもともとの仏教にはない。丁稚が実家への帰省するかつての習慣である「藪入り」と、祖先の霊が帰ってくるという民間信仰、そして盂蘭盆が習合したのがお盆ということになるだろう。
さらに盂蘭盆というのも、実はインド由来の仏教にはない。これは「盂蘭盆経」という中国で作られた経典を典拠としているが、その内容を要約すると「祖先の供養のために7月15日には僧に供物を差し上げなさい」ということで、お供えの対象は祖先の霊ではなく僧になっている。もともとの仏教では祖霊祭祀の観念は希薄であったわけで、忠孝を重視する中国人が、僧への供物を中国的に合理化した結果が盂蘭盆経なのだろう。
そして、その供物を差し上げる日が7月15日というのは、道教の中元節に関連して設定されたものだろう。中元節というのは、中元の日=旧暦7月15日に、人間を愛してその罪を許してくれる中元地官(または地官大帝)という神にお供え物をして、日頃犯した罪の許しを乞うというイベントであり、日本の「お中元」の起源でもある。仏教側とすれば、7月15日にお供え物をする習慣を利用して、その対象を僧や寺院に変えようとしたに違いない。
また、盂蘭盆という不思議な名称の起源に関してはいろいろな説があるが、この行事はゾロアスター教の祖霊祭との類似が指摘されており、古代イランの言葉で霊魂を意味する「ウルヴァン」が語源ではないかという説が提出されている。ゾロアスター教は、日本人にはなじみの薄い宗教だが、シルクロードを通じてかなり大きな影響を日本文化に与えており、その可能性は十分にある。
このように考えてみると、お盆の成立には、ゾロアスター教、道教、仏教、日本の民間信仰とさまざまな宗教や民俗が混淆しており、歴史的に大変複雑な由来を持っている。しかし、実際のお盆というのは、親戚が集まり、先祖に感謝するというとても素朴な行事であって、難しい教義的な意味づけを要しないし、夏の一番暑い時に休むという合理的な目的もあり、日本社会によく合っている。
祖霊祭祀はもともとの仏教にはないとか、教義的純粋性をいいだすとお盆は仏教的には不純なのであるが、私はこういう民間信仰の素朴な行事は大切にすべきではないかと思う。だが、素朴であるだけにその内容は各地で異なり、鹿児島の場合、そうめんを食べるとか、大豆入りの味噌汁を飲むとかいろいろあるらしいが、全体像がよくわからない。それが受け継いでいくべき伝統なのかどうかすらわからないのだが、一度は伝統的な鹿児島のお盆を過ごしてみたいと思う。
【参考文献】
『道教百話』 1989年、窪 徳忠
『ゾロアスター教』 2008年、青木 健
お盆は、日本の三大休暇の一つであり誰にとってもなじみ深い行事だが、実はなかなか奥が深い。これは一般的には仏教行事と思われているが、実は仏教との関連は薄く、教義的な意味合いも曖昧であり、不思議で複雑な習俗である。
お盆の直接的な由来となっているのは仏教行事の「盂蘭盆(うらぼん)」であるが、お盆は盂蘭盆そのものではなく、特に「祖先の霊が帰ってくる」というお盆の中心的観念はもともとの仏教にはない。丁稚が実家への帰省するかつての習慣である「藪入り」と、祖先の霊が帰ってくるという民間信仰、そして盂蘭盆が習合したのがお盆ということになるだろう。
さらに盂蘭盆というのも、実はインド由来の仏教にはない。これは「盂蘭盆経」という中国で作られた経典を典拠としているが、その内容を要約すると「祖先の供養のために7月15日には僧に供物を差し上げなさい」ということで、お供えの対象は祖先の霊ではなく僧になっている。もともとの仏教では祖霊祭祀の観念は希薄であったわけで、忠孝を重視する中国人が、僧への供物を中国的に合理化した結果が盂蘭盆経なのだろう。
そして、その供物を差し上げる日が7月15日というのは、道教の中元節に関連して設定されたものだろう。中元節というのは、中元の日=旧暦7月15日に、人間を愛してその罪を許してくれる中元地官(または地官大帝)という神にお供え物をして、日頃犯した罪の許しを乞うというイベントであり、日本の「お中元」の起源でもある。仏教側とすれば、7月15日にお供え物をする習慣を利用して、その対象を僧や寺院に変えようとしたに違いない。
また、盂蘭盆という不思議な名称の起源に関してはいろいろな説があるが、この行事はゾロアスター教の祖霊祭との類似が指摘されており、古代イランの言葉で霊魂を意味する「ウルヴァン」が語源ではないかという説が提出されている。ゾロアスター教は、日本人にはなじみの薄い宗教だが、シルクロードを通じてかなり大きな影響を日本文化に与えており、その可能性は十分にある。
このように考えてみると、お盆の成立には、ゾロアスター教、道教、仏教、日本の民間信仰とさまざまな宗教や民俗が混淆しており、歴史的に大変複雑な由来を持っている。しかし、実際のお盆というのは、親戚が集まり、先祖に感謝するというとても素朴な行事であって、難しい教義的な意味づけを要しないし、夏の一番暑い時に休むという合理的な目的もあり、日本社会によく合っている。
祖霊祭祀はもともとの仏教にはないとか、教義的純粋性をいいだすとお盆は仏教的には不純なのであるが、私はこういう民間信仰の素朴な行事は大切にすべきではないかと思う。だが、素朴であるだけにその内容は各地で異なり、鹿児島の場合、そうめんを食べるとか、大豆入りの味噌汁を飲むとかいろいろあるらしいが、全体像がよくわからない。それが受け継いでいくべき伝統なのかどうかすらわからないのだが、一度は伝統的な鹿児島のお盆を過ごしてみたいと思う。
【参考文献】
『道教百話』 1989年、窪 徳忠
『ゾロアスター教』 2008年、青木 健
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