「2017吹上浜 砂の祭典」が始まった。
会場に林立する素晴らしい砂像の数々。特に海外からの招待作家さんの砂像は精巧で芸術性も高く、祭典終了後に壊すのが惜しいほどだ。
「砂の祭典」はこの砂像が主役なのは間違いない。それだけでも十分楽しめる。
…そうではあるが、せっかくこのイベントに来るのなら、ちょっと足を伸ばして吹上浜の汀(みぎわ)まで行ってみてほしい。会場から県立吹上浜海浜公園に移動して、公園入り口から徒歩10分くらいで海岸まで行ける。
そこには見渡す限り砂浜が続いていて、海の彼方からは波濤の音が響いている。
「砂の祭典」は、元々、この「吹上浜」を活かそうというイベントだった。30年前、アメリカのサンディエゴで勃興しつつあったサンドアートの噂を聞いて、吹上浜の砂をアメリカに送って見てもらい、「きめが細かくサンドアートに適している」と太鼓判をもらったことからこのイベントが始まった。
始まりは、吹上浜の砂だった。
実際、吹上浜まで行って砂に触れてみると分かる。非常にきめが細かくて、パウダースノーのような美しい砂である。この前子どもたちを連れて行ったら、「アナと雪の女王」ごっこをし始めたくらいだ。この砂を、さらさらと手で弄んでいるだけで心が落ちつく。
手で砂をすくい、指の隙間から、砂時計のように砂がこぼれ落ちるのを感じてみる。全て落ちきって、手をはたくと、汚れも何もない。非常に清浄な、気持ちのよい砂である。
では、なぜここに素晴らしい砂があるのだろう。しかも日本三大砂丘の一つとされるほど、長大で、しかも幅が広い砂浜が広がっているのだろうか。
ポイントは2つあると思う。一つは、鹿児島のシラスの土壌である。脆い細粒の土壌が鹿児島を厚く覆っていて、これは浸食も受けやすいことから雨でどんどん川に流れていく。これが砂丘の原料供給を担っている。
もう一つは、吹上浜にそそぐ万之瀬川(やその他のいくつかの川)である。シラスを浸食してきた川は、大量のシラスの土砂を海に放出する。しかし吹上浜の海岸線は、海流的にそうなのか、地形的にそうなのかはわからないが、どんどん土砂を放出するというよりは、割合にこの土砂が溜まっていきやすいようである。だから、吹上浜のような長大な砂丘ができたのであろう。
つまり、「砂の祭典」の元を辿っていくと、鹿児島の人が昔から苦労し続けているシラス土壌に行き着く。この脆い土壌のお陰で、鹿児島は崖崩れなどの風水害が多いし、シラス台地は農業生産性が低く、長く貧乏な農業に甘んじるしかなかった。
「砂の祭典」の中で、そんな地質の話まで遡るのはちょっとハードルが高いのかもしれない。でも人間の文化を育む風土というものは、地質や気候、そこにある自然が作ってきたものだから、せっかくイベントをするのなら、そういう掘り下げもしていったらいいと思う。
そういう考えで、私は「砂の祭典」の広報部員として、今回「吹上浜と砂文化」という7本の記事を公式ホームページに書いた。
1.吹上浜の松林をつくった宮内一族
2.サンディーくんのモデル! 吹上浜のウミガメ
3.国の天然記念物、ハマボウの群落
4.世界で約3000羽しかいない野鳥クロツラヘラサギがやってくる
5.特産「砂丘らっきょう」
6.話題の野菜「長命草」が沿岸に自生
7.吹上浜には多くのクジラやイルカが来遊
こういう記事、書いている自分がいうのもなんだが、集客には全く役に立たないと思う。広報部員としては、もっと集客に繋がる派手な仕事をした方がよっぽど生産的かもしれない。
でも、ただ賑やかなイベントをしていますよ、というだけではなくて、その背景にどんな自然や歴史があるのか、そうした風土とどう人は付き合ってきたのか、ということがないと、はやりイベント事というのは空疎になる。だって、人を集めたいだけなら人気の芸能人を呼んでくる方がよっぽど効果がある。だがそれが中心になってしまうと、なぜ吹上浜でするのか? という根幹が揺らぐ。
こういう記事を読んで勉強したら、イベントが一層楽しくなる、とは言わない。実際あんまりイベント内容と関係ない。でもイベントの主催者側として、やっぱり「砂の祭典」のルーツは吹上浜で、「我々は吹上浜を大切に思っています」という姿勢が見えなかったら、根幹があやふやなな感じがするのである。
「砂の祭典、何のためにやってるの?」という人は多い。イベントとしては赤字だし、波及効果はあると思うもののはっきりとはわからない。関係者は、GWは働きづめになって(しかもボランティアも多い)、疲弊してしまう。
もちろん地域の活性化に一役買っていることは確かだ。熱意ある人も多い。決して無意味なイベントではない。でもやはり、地域活性化というボンヤリとした目的しか見えないところがある。
だから、私としては、「吹上浜の環境保全」を「砂の祭典」の目的(の一つ)に位置づけたらいいと思う。
例えば、広大な松林は、実はマツクイムシやシロアリの被害で枯れたり植樹したりを繰り返している。だから、「砂の祭典」の時に植樹活動なんかできないか。また、「砂の祭典」の時期はちょうど、ウミガメの産卵シーズンにもあたっている。現在は、ウミガメのモニタリングすら十分ではない。ウミガメが産卵しやすい砂浜を維持するための活動(ゴミ拾いとか)も取り入れられる。万之瀬川河口付近の干潟の環境ももっと改善して、野鳥観察会を祭典に組み合わせられないか。ここが九州でも有数の野鳥スポットになったら面白い。ホエールウォッチングだって組み合わせられるかもしれない。「砂の祭典」が、吹上浜の自然のモニタリングと展示機能を備えたら面白い。
こういうアイデアは、やっぱり地味で、集客力はないに決まっている。あるいは、費用対効果が悪すぎる。でもそういう芯のある活動は、どこに出しても恥ずかしくないもので、市民が誇れるものだ。「砂の祭典」のような街ぐるみでやっているイベントは、市民全員が誇れるイベントにならなければならない。
そのためには、「砂の祭典」が立脚しているものがなんなのか、我々は何に価値を感じ、何を次世代に伝えていきたいのか、そういうことを見直さなければならないと思う。
私の書いた7本の記事は、そこまでのスコープは持っていないが、そういう見直しに少しでも役立てば幸いである。
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