以前ちょっとだけ書いたことがあるとおり、私の住んでいる集落は「共生・協働のむらづくり活性化事業」に昨年度まで取り組んでいた。
それで、その活動の一環として、私は農産加工品の試作をすることを命ぜられていた。去年集落でアボカドの苗を40本くらい植えたので、そのアボカドの収穫を見込んで、特にアボカドを利用した加工品を検討してはどうかと言われていた。
それならば、ということで、先日、以前から自分としても興味があったアボカドオイルの搾油に取り組んでみたので、参考までにその次第をここに書いておく。
アボカドオイルというのは、アボカドの果肉を搾って取った油のことである。ゴマ油にしろ菜種油にしろ普通の油というのは種から搾るものだが、その例外がアボカドとオリーブで、これらは果肉を搾って油を採る。果肉を搾ったものは普通「果汁」と呼ばれるわけだから、これらのオイルは果汁から採れる油なのである。
このアボカドオイル、最近健康によいとか美容によいとかでずいぶん注目を集めており、ネットで検索すると記事がたくさん出てくる。自分自身ではアボカドオイルを使ったことがないので効果がどれほどのものなのか分からないが、不飽和脂肪酸の含有量の高さなどがオリーブオイルと近いということで、少なくともオリーブオイル程度の健康オイルではあるらしい。
ちなみに、アボカドオイルのもう一つの特徴は沸点がかなり高いこと(250℃くらい)であり、カラッとした揚げ物に向いているそうである(でも値段が高いので実際には揚げ物には使えない)。
アボカド自体が日本でもかなり市民権を得てきて、この辺境の地(大浦)でもスーパーにアボカドが売っているくらいだから、次はこのアボカドオイルが絶賛注目中なのだ。
とまあ、そんなアボカドオイルを商品化できたら、独特な特産品になるかもしれないということで、アボカドオイルの搾油に取り組んだわけである。
さて、先ほど書いたように、アボカドオイルはその果肉から搾る油なので、最初はオリーブオイル方式で搾油してみようかと思っていた。 つまり、果肉をミキサーにかけて揉み揉みし、出てきた果汁に浮いてきた上澄みの油をとるやり方である(あくまで家庭用のやり方)。
しかし、九電工が熊本の天草でやっている「天草オリーブ園」というところでオリーブオイルの搾油を一度体験したことがあって、 この方法もかなり非効率的であることがわかっていたので、やはり圧力をかけて搾油するほうが簡単なのではないかと思い、今回は果肉を乾燥させてから圧搾する方法でやってみた。
つまり、オリーブオイル方式だと「果肉→果汁・カス→水分・油」と分離して油を採るわけだが、まず果肉を切ってよく乾燥させれば、果肉→(水分乾燥)→カス・油となり、分離する手間が省けるのではないかと目論んだのである。
実際、アボカドの果肉をスライスして乾燥させたら冒頭写真のようになって、もうそのままで油が採れそうな感じになった。写真だとしっとりした感じに見えるが、実際はカラカラに乾燥していて、濡れているように見えるのは浮いてきた油でギトギト・ヌメヌメしているからである。
これを、PITEBA(ピテバ)という機械を使って搾油した。PITEBAは途上国の農家の自立支援のために作られているらしい簡易的な搾油機である。本当はちゃんとした搾油機を使いたかったが、ちゃんとした搾油機は少なくとも10万円以上はするので予算の関係から簡易的なもので我慢することにしたわけだ。
↓PITEBAはこんな感じ。
結果は、正直言ってほとんど搾れなかった。この機械はあくまで種から油を搾る機械で、ちゃんと注意書きにも「オリーブオイルは搾れません」と書いており、果肉を搾ることは想定されていないのである。乾燥させたら大丈夫かなと思ったが、乾燥させてもブヨブヨした果肉はなかなか機械に入っていかず、入っていっても先端のスクリュー部分でうまく圧力が掛からない。
圧力が掛からないから、油がかなり含有された状態でカスが排出されてしまい、無駄が多い。そもそもアボカドに含有されている油分が多いから、それでもそれなりに搾れたが、搾油率は50%以下だったと思う。
採れたアボカドオイル(濾す前)はこんな感じである。香りが独特で、油というより草っぽい香りがする。上質なオリーブオイルも草っぽい香りがするものだが、やはり同じ果汁系オイルであるだけに質感が近いと思った。
また、色もエメラルドグリーン(写真だとちょっとわかりにくいですが)で、オイルっぽくない(葉緑素が溶けているためらしい)。これを濾紙で濾してみると黄色っぽくなって普通のオイルの色に近くなったが、濾す前の方がアボカドっぽくてキレイかもしれない。
しかし、10個のアボカドから採れた油が100gにも満たないくらいだったので、ちょっと搾油の実験としては失敗である。果肉を乾燥させてから搾るにしても、やはりジャッキ式でちゃんと10tくらいの圧力が掛けられるようにしないと搾油率が低すぎて商業的には難しい。
また、オリーブの場合は(抗酸化オイルとか謳ってる割に不思議なのだが)収穫後24時間以内に搾油しないと品質が劣化するとか言っているのに、アボカドの果肉を(今回の場合は2日間も)乾燥させて搾油したら、油が劣化するのではないかというのも気になった。これは今後ちゃんと調べてみないといけない。
ちなみに、実際売っているアボカドオイルはどうやって作っているのかというと、WEBで調べる限りでは果汁を遠心分離して水と油に分けて作っているようである。工業用の遠心分離器はすごく高そうなのでアボカドオイルづくりのために遠心分離器を導入するのはちょっと現実的でないような気もする。やはり、ジャッキとか気軽に手に入るもので搾油できないと難しい。アボカドオイル屋さんになろうというわけではないので、高額な機械の導入は無理である。
ところで、わざわざアボカドからオイルなんか採らないで、アボカドはそのまま食べたらいいじゃん! と思うかもしれない。その通りである。青果で食べられるものは無闇に加工せず、そのまま食べるのが一番だ。国産アボカドは1個250円以上はするとかいうので、わざわざ油を採らないでそのまま売った方が簡単で収益性がよさそうだ。
しかし、アボカドの場合、「受粉樹」というのが必要である。受粉樹というのは、要するに花粉のために育てる樹のことで、これがないと実がとても付きにくくなる。私の場合は受粉樹に「メキシコーラ」という品種を植えている。この品種は寒さに強く生育が旺盛であり、育てやすい品種なのだが、悲しいことにあまり美味しくない。なのでせっかく実がなってもそれを売ることができない。受粉樹もそれなりの本数があるので、これを利用しなくてはもったいないわけだ。
ということで、この「メキシコーラ」という品種からアボカドオイルが採れればとても嬉しいわけである。世界的にもこの品種は油を採るために育てられていることが多いのではないかと推測され、「メキシコーラ」から生まれた「メキシコーラ・グランデ」という品種は油の含有量が特に高いことで有名だそうだ。
とはいうものの、今回、アボカドオイルを初めて搾ってみて、ここでアボカドオイルを商業的に成り立たせるのは難しい感じがした。菜種油のようなシンプルな搾油であっても国産で作るとかなり高額になるのに、アボカドの場合は材料(果実)にも菜種などと比べるとコストが掛かる上、かなり手間がかかる搾油法をも必要とするのでそこが一番のネックじゃないかと思う。そのあたりにあるようなローテクな機材を使って効率よく搾油する方法が出来れば、100mlを2000円で売って採算が合いそうな気がする(予想)。
でもアボカドの栽培をしているところ自体が日本では限られている中、アボカドオイルまで出来れば相当な話題性がある。話のタネとしてであっても、「南薩のアボカドオイル」ができたらこれは面白い。今回は成功とはいえないが、引き続きアボカドオイルづくりに取り組んでみたい(でも実際アボカドが収穫できるようになるのは先の話なので、気長に)。
2016年4月9日土曜日
2016年3月26日土曜日
「薩摩文旦」サワーポメロの定植
以前、サワーポメロには将来性があるのではないかという記事を書いた。
その時は、自分では「これから増やしていこうという気もないが…」と書いていたものの、いろいろ考えてみて、理屈の上ではやっぱりサワーポメロは将来有望だと確信するに至ったので、今年約30本サワーポメロを植えてみた。
時々農作業を手伝ってくれる父も「今時サワーポメロが売れるはずがない」と言っているし、周りにもサワーポメロに力を入れている農家はいないので、ある意味リスクのある選択だが、理詰めで考えてこうだとなったら、それを実行に移してしまうのが私のサガである。
ところで、このサワーポメロというもの、調べてみると実体がはっきりしない。
「サワーポメロ」という柑橘には鹿児島県以外の人は馴染みがないと思うが、それもそのはずで実は「サワーポメロ」という柑橘は存在しない。これはブンタンの一品種「大橘(オオタチバナ)」というものの鹿児島県での通称・愛称であり、柑橘の分類としては単なるブンタンなのである。
昭和の終わり頃、鹿児島県が「大橘」を将来有望なブンタンであるとして生産奨励を行い増産を図ったことがある。この時、「ブンタン(大橘)」では社会へのアピールが足りないということだったのだと思うが、鹿児島県と鹿児島県経済連でこの品種の通称を公募したのである。それで、昭和60年に「サワーポメロ」という通称が定まり今に至っている。年寄りに聞くと「昔はサワーポメロなんかなかった」と言われるが、おそらく、この通称決定以前はこの果物は単に「ブンタン」と呼ばれていたのだろう。
しかし、この名称が定まった時には、時代は既に軽薄短小で食べやすい果物へとシフトしてきていた。ブンタンのように、大きくて皮が剝きにくく、包丁を使って処理しなければならない柑橘は人気が出なかった。結局、「大橘」は増産されたものの、期待されたほどの利益が生まれず、今では県内で40haくらいしか生産されていない。実はまだ生産奨励品目から外れていないらしいが、実際にこれを増やしていこうという農家は少数だと思われる。
さらに、このような経緯で「サワーポメロ」という名称が定まったためもあるのだと思うが、この果物は名称が混乱している。同様のブンタンが熊本県では「パール柑(カン)」という名称で販売されているが、この「パール柑」と「サワーポメロ」が同じものなのか、違うものなのかもあやふやである。
「パール柑」は、鹿児島の垂水の果樹試験場にあったブンタンを原木にして熊本県で育成されたものであるが、これが昭和20年代のことであったために、同じ果物が鹿児島と熊本で違う名称で呼ばれることになった、と言われている。
とまとめたら簡単なのだが、実はそうはいかない。
「パール柑」と「サワーポメロ」は別物だ、という説が存在するのである。曰く、「パール柑」は「サワーポメロ」ではなく、「土佐文旦」だというのである。実際、苗木屋のカタログを見ると「土佐文旦(パールカン)」と書いてある。そして、「土佐文旦(パールカン)がサワーポメロとして販売されていることがあるので注意」などと但し書きがあったりする。どちらが本当なのか。
しかし、今度は「土佐文旦」を調べてみると、これは「サワーポメロ」と同一品種だという情報もあるのだ! 「土佐文旦」は「土佐」とついているが、実はこれも鹿児島の加治木にあったブンタンから増殖させたもので、実際は鹿児島のブンタンであり、その原木がどうやら今で言うサワーポメロかその近縁種だったらしい。これを元に高知県で原木が確立したのが昭和4年の話である。
となると、結局「大橘」=「サワーポメロ」=「パール柑」=「土佐文旦」、ということになるが、苗木屋のカタログでも「サワーポメロ」と「土佐文旦」は別の苗木として販売されており、それどころか収穫時期や果重、果実の特性(ジューシーさなど)も違うと書いてある。うーん、真実はなんなのか。
実は、「大橘」は鹿児島在来のブンタンであり、来歴は不明ながら、いわば自然発生的な品種のようである。つまり誰かが品種改良して作ったものではなく、ブンタンを育てているうちに交配を繰り返していつからか生まれた品種ということになる。なので、現代でいう「品種」にぴったりこないところがあるのだろう。そのため、同じ「大橘」でも様々な変種や亜種が存在して、同一品種が違うものとして認識されたのかもしれない。
そもそも、鹿児島はブンタン類の本場である。中国からブンタンの原種が渡ってきたのが鹿児島の阿久根だという。大橘だけでなく、鹿児島ではかつてたくさんのブンタンが自然発生的に栽培されていたようだ。ブンタンの大きな果実はどことなく南国を彷彿とさせ、鹿児島の南国ムードを演出するのにも一役買っていた。「ボンタンアメ」(鹿児島では、ブンタンは「ボンタン」と発音されることが多い)とか「ざぼんラーメン」はいかにも鹿児島な感じがする(ざぼん=朱欒はブンタンのこと。ざぼんラーメンは鹿児島のラーメンの老舗で、別にラーメンにブンタンが入っているわけではない)。
今から考えると、大橘の「サワーポメロ」という通称があまりよくなかったかもしれない。「サワー」と言いながら酸っぱさが際立っているわけでもないし、どことなく外来の品種のような感じがして地に足がついていない名称である。むしろ鹿児島在来のブンタンであることを誇り、シンプルに「薩摩文旦」で良かったのではないか。そっちの方がずっとわかりやすくて認知が進んだような気がする。
「土佐文旦」で文旦の栽培振興を行った高知県は、今では鹿児島を遙かに凌ぐブンタンの産地となっている。「土佐文旦」から生まれた「水晶文旦」は、非常なる高級品を産み、一玉2000円もする極上品が販売されてもいる。ブンタン栽培の中心地はすっかり高知県になってしまった。
もちろん、鹿児島を改めてブンタンの産地にしていこうというのは、ちょっと無理があるだろう。だが、「大橘」は戦前のブンタン類の中では最高の品種とされていたそうである。高知みたいに上手く栽培・販売はできないにしても、在来の「大橘」はまだ活かす道があるのではないか。改めてその可能性を信じて、「薩摩文旦」を作ってみるのも一興だろう。
【参考】
広報いちき串木野 2015.2 VOL.112 「知っておきたいサワーポメロの話」(p.11)
その時は、自分では「これから増やしていこうという気もないが…」と書いていたものの、いろいろ考えてみて、理屈の上ではやっぱりサワーポメロは将来有望だと確信するに至ったので、今年約30本サワーポメロを植えてみた。
時々農作業を手伝ってくれる父も「今時サワーポメロが売れるはずがない」と言っているし、周りにもサワーポメロに力を入れている農家はいないので、ある意味リスクのある選択だが、理詰めで考えてこうだとなったら、それを実行に移してしまうのが私のサガである。
ところで、このサワーポメロというもの、調べてみると実体がはっきりしない。
「サワーポメロ」という柑橘には鹿児島県以外の人は馴染みがないと思うが、それもそのはずで実は「サワーポメロ」という柑橘は存在しない。これはブンタンの一品種「大橘(オオタチバナ)」というものの鹿児島県での通称・愛称であり、柑橘の分類としては単なるブンタンなのである。
昭和の終わり頃、鹿児島県が「大橘」を将来有望なブンタンであるとして生産奨励を行い増産を図ったことがある。この時、「ブンタン(大橘)」では社会へのアピールが足りないということだったのだと思うが、鹿児島県と鹿児島県経済連でこの品種の通称を公募したのである。それで、昭和60年に「サワーポメロ」という通称が定まり今に至っている。年寄りに聞くと「昔はサワーポメロなんかなかった」と言われるが、おそらく、この通称決定以前はこの果物は単に「ブンタン」と呼ばれていたのだろう。
しかし、この名称が定まった時には、時代は既に軽薄短小で食べやすい果物へとシフトしてきていた。ブンタンのように、大きくて皮が剝きにくく、包丁を使って処理しなければならない柑橘は人気が出なかった。結局、「大橘」は増産されたものの、期待されたほどの利益が生まれず、今では県内で40haくらいしか生産されていない。実はまだ生産奨励品目から外れていないらしいが、実際にこれを増やしていこうという農家は少数だと思われる。
さらに、このような経緯で「サワーポメロ」という名称が定まったためもあるのだと思うが、この果物は名称が混乱している。同様のブンタンが熊本県では「パール柑(カン)」という名称で販売されているが、この「パール柑」と「サワーポメロ」が同じものなのか、違うものなのかもあやふやである。
「パール柑」は、鹿児島の垂水の果樹試験場にあったブンタンを原木にして熊本県で育成されたものであるが、これが昭和20年代のことであったために、同じ果物が鹿児島と熊本で違う名称で呼ばれることになった、と言われている。
とまとめたら簡単なのだが、実はそうはいかない。
「パール柑」と「サワーポメロ」は別物だ、という説が存在するのである。曰く、「パール柑」は「サワーポメロ」ではなく、「土佐文旦」だというのである。実際、苗木屋のカタログを見ると「土佐文旦(パールカン)」と書いてある。そして、「土佐文旦(パールカン)がサワーポメロとして販売されていることがあるので注意」などと但し書きがあったりする。どちらが本当なのか。
しかし、今度は「土佐文旦」を調べてみると、これは「サワーポメロ」と同一品種だという情報もあるのだ! 「土佐文旦」は「土佐」とついているが、実はこれも鹿児島の加治木にあったブンタンから増殖させたもので、実際は鹿児島のブンタンであり、その原木がどうやら今で言うサワーポメロかその近縁種だったらしい。これを元に高知県で原木が確立したのが昭和4年の話である。
となると、結局「大橘」=「サワーポメロ」=「パール柑」=「土佐文旦」、ということになるが、苗木屋のカタログでも「サワーポメロ」と「土佐文旦」は別の苗木として販売されており、それどころか収穫時期や果重、果実の特性(ジューシーさなど)も違うと書いてある。うーん、真実はなんなのか。
実は、「大橘」は鹿児島在来のブンタンであり、来歴は不明ながら、いわば自然発生的な品種のようである。つまり誰かが品種改良して作ったものではなく、ブンタンを育てているうちに交配を繰り返していつからか生まれた品種ということになる。なので、現代でいう「品種」にぴったりこないところがあるのだろう。そのため、同じ「大橘」でも様々な変種や亜種が存在して、同一品種が違うものとして認識されたのかもしれない。
そもそも、鹿児島はブンタン類の本場である。中国からブンタンの原種が渡ってきたのが鹿児島の阿久根だという。大橘だけでなく、鹿児島ではかつてたくさんのブンタンが自然発生的に栽培されていたようだ。ブンタンの大きな果実はどことなく南国を彷彿とさせ、鹿児島の南国ムードを演出するのにも一役買っていた。「ボンタンアメ」(鹿児島では、ブンタンは「ボンタン」と発音されることが多い)とか「ざぼんラーメン」はいかにも鹿児島な感じがする(ざぼん=朱欒はブンタンのこと。ざぼんラーメンは鹿児島のラーメンの老舗で、別にラーメンにブンタンが入っているわけではない)。
今から考えると、大橘の「サワーポメロ」という通称があまりよくなかったかもしれない。「サワー」と言いながら酸っぱさが際立っているわけでもないし、どことなく外来の品種のような感じがして地に足がついていない名称である。むしろ鹿児島在来のブンタンであることを誇り、シンプルに「薩摩文旦」で良かったのではないか。そっちの方がずっとわかりやすくて認知が進んだような気がする。
「土佐文旦」で文旦の栽培振興を行った高知県は、今では鹿児島を遙かに凌ぐブンタンの産地となっている。「土佐文旦」から生まれた「水晶文旦」は、非常なる高級品を産み、一玉2000円もする極上品が販売されてもいる。ブンタン栽培の中心地はすっかり高知県になってしまった。
もちろん、鹿児島を改めてブンタンの産地にしていこうというのは、ちょっと無理があるだろう。だが、「大橘」は戦前のブンタン類の中では最高の品種とされていたそうである。高知みたいに上手く栽培・販売はできないにしても、在来の「大橘」はまだ活かす道があるのではないか。改めてその可能性を信じて、「薩摩文旦」を作ってみるのも一興だろう。
【参考】
広報いちき串木野 2015.2 VOL.112 「知っておきたいサワーポメロの話」(p.11)
2016年3月22日火曜日
縁あってアーモンド栽培がちょっとだけ拡大
アーモンド栽培の記事は、「南薩日乗」の中でも特に反応(アクセス数・コメント)がある。日本でアーモンド栽培に取り組んでいて、それをネットで発信しているところはごく限られているためだと思う。
【参考】アーモンドは無様に失敗中(2015年11月)
【参考】アーモンドはじめました(2014年5月)
そのお陰で、「アーモンド畑を見せて欲しい」という人も結構いる。正直、栽培がうまくいっていないので、実際に見たらガッカリすると思うが、うまくいっていないことも含めて参考になったらと思う。
先日は、突然連絡があって、「アーモンド栽培がうまくいかないのは台木のせいだと思う。自分は苗木屋だからアーモンドの穂木を送ってくれれば適した台木に接いでみる」という話がきた。ブログへのコメントならまだしも、わざわざ電話をくれるなんてただ事ではないし、そういう縁は大切にしたいので早速穂木(ほぎ=新芽がついた枝)を取って送った次第である。
それでさらに、穂木を送ってくれたお礼として、ダベイという品種のアーモンドと黄金桃という受粉用の桃の木の苗木も送って下さった! わざわざ山形から! こちらからお礼しないといけないくらいなのに恐縮である(もちろん、お礼の柑橘を送りましたが)。
というわけで、送られてきたアーモンドも定植したので、アーモンド栽培はちょっとだけ拡大である。この機会に、これまでの反省を込めてアーモンド栽培のポイントをまとめてみたい。(あくまで南薩の気候における栽培です)
ともかく、アーモンドの着目度は高く、これが繋いでくれた縁も既に多い。今のところ全然うまくいっていないが、これでは終われないので、まだまだ悪あがきを続けてみたい。それどころか、詳細はまた別に書くが、アーモンドだけでなく、これからナッツ系を充実させていって、ナッツ園を作っていきたいという計画もある(たぶん、そういうコンセプトでやっている農家は日本でも数少ないはず)。
というわけで、今後のアーモンド栽培にも乞うご期待!(今までが失敗続きなので、期待する要素があまりないですけど、潰滅しない程度を期待してください!)
【参考】アーモンドは無様に失敗中(2015年11月)
【参考】アーモンドはじめました(2014年5月)
そのお陰で、「アーモンド畑を見せて欲しい」という人も結構いる。正直、栽培がうまくいっていないので、実際に見たらガッカリすると思うが、うまくいっていないことも含めて参考になったらと思う。
先日は、突然連絡があって、「アーモンド栽培がうまくいかないのは台木のせいだと思う。自分は苗木屋だからアーモンドの穂木を送ってくれれば適した台木に接いでみる」という話がきた。ブログへのコメントならまだしも、わざわざ電話をくれるなんてただ事ではないし、そういう縁は大切にしたいので早速穂木(ほぎ=新芽がついた枝)を取って送った次第である。
それでさらに、穂木を送ってくれたお礼として、ダベイという品種のアーモンドと黄金桃という受粉用の桃の木の苗木も送って下さった! わざわざ山形から! こちらからお礼しないといけないくらいなのに恐縮である(もちろん、お礼の柑橘を送りましたが)。
というわけで、送られてきたアーモンドも定植したので、アーモンド栽培はちょっとだけ拡大である。この機会に、これまでの反省を込めてアーモンド栽培のポイントをまとめてみたい。(あくまで南薩の気候における栽培です)
- 最重要なのは排水。日当たりも重要だが、それよりも排水がよいところを選ぶこと。大雨が降ったら水が溜まるようなところは絶対に避ける。
- 風には弱いので、台風対策をしっかりすること。丈夫な支柱にくくりつけるべし。
- 土壌は、よく団粒化して通気性がよいところが理想であり、弱アルカリくらいがよさそうである。(私の圃場は粘土質なのでよくない)
- 梅雨時が試練。梅雨に入る前に下草をキレイに刈って、カタツムリ対策に万全を期すこと。
- 雨量の少ない地域の方がうまく栽培できると思う(年間降雨量1000ミリ程度)。
ともかく、アーモンドの着目度は高く、これが繋いでくれた縁も既に多い。今のところ全然うまくいっていないが、これでは終われないので、まだまだ悪あがきを続けてみたい。それどころか、詳細はまた別に書くが、アーモンドだけでなく、これからナッツ系を充実させていって、ナッツ園を作っていきたいという計画もある(たぶん、そういうコンセプトでやっている農家は日本でも数少ないはず)。
というわけで、今後のアーモンド栽培にも乞うご期待!(今までが失敗続きなので、期待する要素があまりないですけど、潰滅しない程度を期待してください!)
2016年3月17日木曜日
農村婦人、婦人部、農業女子
最近、「保育園落ちた日本死ね!!!」というブログ記事が物議を醸している。
私としては、なぜこのブログ記事が賛否両論を巻き起こすのか分からない。日本の子育て支援が薄弱なのは明白で、「そうだそうだ!」となりそうなのに。
この頃は、「保活」なる言葉もあるそうだ。「保育園に入れるようにするための準備活動」のことらしい。希望する人誰でもが簡単に保育園を利用できるようにすべきであり、保育園に入れるために知恵を働かせないといけないというのは異常である。
そんな中、政府は移民労働者の活用も検討しているそうだ。そんなことよりも、働きたいと思っている人が誰でも働けるように、保育園の整備を進めて利用制限の緩和を行い、保育士の待遇改善に努めるという当然のことをやるべきだ。
…という話を枕に持ってきたのは、このところ「農村における女性」ということについて考えているからである。
「女性が活躍できる社会」は実はずっと言われてきたことで、今になって出てきた話題ではない。かつて農村においても「農村婦人」はもっと活躍すべきだという趨勢になったことがある。各地で「農村婦人の家」のような施設(集会所や食品加工所)が出来たり、婦人学級(成人女性の勉強会)の活動が奨励されたり、「今後の農業の発展には女性の力が不可欠だ!」と叫ばれたりもした。
例えば、女性は農産物の加工に取り組め、といったようなことは少なくとも昭和20年代から言われてきた。今の農産加工とはちょっと意味合いが違う部分もあるが、それでも言われていることの変わらなさには驚くものがある。
ところで先日、先進的な取組をしている有名な農事組合法人のリーダーの講話を聞く機会があった。ここは、素晴らしい集落営農の取組と、企業とのコラボによる食品加工、そして自前の物産館の経営などによって農業関係者が全国各地から研修に訪れるところである。
そのリーダーが強調するには、企業とコラボしたり、物産館でイベントをしたり、要するに社会に関わって行く活動をするには、女性の力をいかに活用するかが大事だということである。そのためこの農事組合法人では、婦人部(という名前ではなくもうちょっと今っぽい名前にしていたが、要は婦人部)を設け、その活動を重視しているんだそうだ。
これは(少なくとも鹿児島の)農村で何か事を起こす時には鉄則で、男衆は飲み会の席では「こうしたらよいああしたらよい」と調子のいいことをいうが、実際に何かやることになったら意外と戦力にならず、女性の方がテキパキと事をこなすことが多い。難しいことでなくても、お客さんに対してお茶とお茶請けを出すような地味だが大切な仕事をこなすのが女性で、まさに縁の下の力持ちという感じがする。
うちの集落でもそうで、例えば集落の新年会、鬼火焚き(どんど焼き)、敬老会といったような行事で食事やお酒を準備するのは婦人会であり、自治会組織の一部である婦人会がこうしたイベントでの骨の折れるほとんどの仕事を担っているように感じられる。
しかしながら、先進的な農事組合法人でも「婦人部」があるということには、相当衝撃を受けた。例えば、名のある企業が女性の社員だけまとめて「婦人部」という部署を作っているとしたら、どんな旧態依然とした組織かと愕然とするであろう。それと同じような衝撃を受けたのである。
組織は、あくまでも適材適所で人事をなすべきであって、性別で部署を決めつけるようなことがあってはならないと思うし、それは既に常識だ。女性は婦人部に属してサポート役に回りなさいというような話をしたら、相当な時代錯誤だと思われるだろう。
これは企業だけの話ではない。例えばイベントの実行委員会のような有志組織を作る場合にも、男性と女性で別の組織になっていたとしたら強い違和感があるだろう。少なくとも名目上は、男女を対等なものとして扱う文化がかなり根付いてきた。
それなのに、全国的に見ても先進的な農事組合法人でも、全く自然に「婦人部」が成立していることを見て、農村組織の意識の遅れに暗澹たる気持ちになったところである。
もちろん、この農事組合法人で女性がサポート役として虐げられているかというとそういうことはない。むしろ組織の重要なメンバーとして様々なことに取り組んでいるようで、収益も上げており、この活動にやりがいを見いだしているようだった。それはよいことだと思う。別に女性が搾取されているとは思わない。私が問題とするのは、女性を「婦人部」に所属させて当然とする意識の方である。
集落の場合は、婦人会的なものがあるのはしょうがないことだ。集落全員が参加する活動であれば、属性で分けて組織を作るのが合理的だ。婦人会、青年団、老人会、などなど。本人のやる気とか、適材適所ということを考えると組織が破綻する。なぜなら、集落自治の活動を積極的にやりたいという人は少数派なので、属性によって強制的に人を集めるのでなければ現実的に人が集まってこないからである。
だが企業の場合は違う。基本的には人はそこに所属して何事かをするという意志を持っているわけだから、それを無視して「女性は婦人部へ」というのはおかしいのである。この農事組合法人の場合は集落営農を営んでいるので、半ば自治会的な側面があるのだろう。そう考えると「婦人部」の存在も理解はできる。しかしそうであっても、話を聞くかぎり「婦人部」の必然性は感じられなかった。
組合のリーダーが言うように「婦人部」は活動の要であり、もし「婦人部」的なものがなかったら組織がうまく回らないということがあるのかもしれない。特に九州の女性は、公的な面で表立って動くというのを避けたり、役職を持たないようにする傾向があるから、あえて「婦人部」を設けて、その枠内で活動してもらう方が、当の女性にとってもやりやすいのかもしれない。つまり実際「婦人部」があったほうが効率的なのかもしれない。「婦人部」だからといって軽視されていることはなく、むしろそれが組織の心臓部になっているのなら、これは一種の「女性の活躍」なのも間違いない。
しかし、「婦人部」という言葉からは、どうも「農村組織にとって都合のよい女性の働き」を称揚しているような響きを感じる。
かつての「農村婦人」の運動もそうだった。「今後の農業の発展には女性の力が不可欠だ!」といくら叫んでも、その実は「農業の発展のために女性にはこんなことが期待されている」というだけで、女性を都合の良い駒みたいに扱うことが多かった。正直いうと私自身にもこの発想があるので他人事のように批判してはいけないが、当時(昭和30〜40年代)の資料を読むと、「農家の嫁が果たすべきつとめ」みたいなトーンで物事が書いてあるので、さすがにそれは押しつけすぎなんじゃないかと思う(でも今でもこういうことを考えている人は多い)。
最近の「農業女子」はこれとは違って、「これまで男性の領域と思われていたことも女性がやっていいんだ」という雰囲気があるのでとてもいいことだ。「農業女子」のムーブメントがこれまでの「農村婦人」と大きく違うのはそこで、「農村における女性の仕事はこうあるべき」という押しつけがましいところがなく、「やりたいことがたまたま農業でした」という本人の自発性を基本にしていることである。
「今後の農業の発展には女性の力が不可欠だ!」というなら、女性に期待されるいろいろなことを列挙するのではなく、そもそも女性が働きたいような職場を作っていくことが必要である。そして女性に期待するのではなく、むしろ女性の期待に応えるものでなくてはならない。農業という職場(?)はあまり女性向きでないところがある。畑にトイレはないし、日に焼けるし、オシャレな服を着る機会もない。そういうことを気にしない人だけが「農業女子」になればいいんだ、というのは傲岸というものだ。こういう残念な点を補う魅力を作ったり、できるだけ改善していく努力は必要だ。
そして私は、かつて「農村婦人」に向けられていた押しつけがましい眼差しが、今でも女性に注がれているのではないかと危惧している。いくら「女性の活躍」といっても、あくまで男性にとって都合の良い「女性の活躍」だけが期待されているのではないかと。女性は「婦人部」に所属してやりがいのある仕事をやってください、というような、何かちぐはぐなメッセージがあるような気がする。
私も今後の農業の発展には女性の力が不可欠だと思っているし、日本社会そのものの発展にも女性の力が不可欠だと思っている。それはいうまでもないことである。ある産業や社会が男性の力だけで成り立っていくとしたらそっちの方がおかしい。そのために、少なくとも「婦人部」的なものをなくすべきだ。短期的には「婦人部」があったほうが効率的だとしても、人々の自由意志は効率よりも重要である。
働きたい人が働けるように、子どもを産みたい人が産めるように、そしてそうしたくない人は、無理にそうしなくてもいいように、そういう自由意志を尊重する社会が当たり前になって欲しい。都合のよい「女性の活躍」ではなく、女性がやりたいことを思い切りできる社会になって欲しい。
農村にとって都合の良い役目を果たす女性=「農村婦人」という概念が時代遅れになったことは前進である。時代は変わる。農村すら変わってきたのである。
私としては、なぜこのブログ記事が賛否両論を巻き起こすのか分からない。日本の子育て支援が薄弱なのは明白で、「そうだそうだ!」となりそうなのに。
この頃は、「保活」なる言葉もあるそうだ。「保育園に入れるようにするための準備活動」のことらしい。希望する人誰でもが簡単に保育園を利用できるようにすべきであり、保育園に入れるために知恵を働かせないといけないというのは異常である。
そんな中、政府は移民労働者の活用も検討しているそうだ。そんなことよりも、働きたいと思っている人が誰でも働けるように、保育園の整備を進めて利用制限の緩和を行い、保育士の待遇改善に努めるという当然のことをやるべきだ。
…という話を枕に持ってきたのは、このところ「農村における女性」ということについて考えているからである。
「女性が活躍できる社会」は実はずっと言われてきたことで、今になって出てきた話題ではない。かつて農村においても「農村婦人」はもっと活躍すべきだという趨勢になったことがある。各地で「農村婦人の家」のような施設(集会所や食品加工所)が出来たり、婦人学級(成人女性の勉強会)の活動が奨励されたり、「今後の農業の発展には女性の力が不可欠だ!」と叫ばれたりもした。
例えば、女性は農産物の加工に取り組め、といったようなことは少なくとも昭和20年代から言われてきた。今の農産加工とはちょっと意味合いが違う部分もあるが、それでも言われていることの変わらなさには驚くものがある。
ところで先日、先進的な取組をしている有名な農事組合法人のリーダーの講話を聞く機会があった。ここは、素晴らしい集落営農の取組と、企業とのコラボによる食品加工、そして自前の物産館の経営などによって農業関係者が全国各地から研修に訪れるところである。
そのリーダーが強調するには、企業とコラボしたり、物産館でイベントをしたり、要するに社会に関わって行く活動をするには、女性の力をいかに活用するかが大事だということである。そのためこの農事組合法人では、婦人部(という名前ではなくもうちょっと今っぽい名前にしていたが、要は婦人部)を設け、その活動を重視しているんだそうだ。
これは(少なくとも鹿児島の)農村で何か事を起こす時には鉄則で、男衆は飲み会の席では「こうしたらよいああしたらよい」と調子のいいことをいうが、実際に何かやることになったら意外と戦力にならず、女性の方がテキパキと事をこなすことが多い。難しいことでなくても、お客さんに対してお茶とお茶請けを出すような地味だが大切な仕事をこなすのが女性で、まさに縁の下の力持ちという感じがする。
うちの集落でもそうで、例えば集落の新年会、鬼火焚き(どんど焼き)、敬老会といったような行事で食事やお酒を準備するのは婦人会であり、自治会組織の一部である婦人会がこうしたイベントでの骨の折れるほとんどの仕事を担っているように感じられる。
しかしながら、先進的な農事組合法人でも「婦人部」があるということには、相当衝撃を受けた。例えば、名のある企業が女性の社員だけまとめて「婦人部」という部署を作っているとしたら、どんな旧態依然とした組織かと愕然とするであろう。それと同じような衝撃を受けたのである。
組織は、あくまでも適材適所で人事をなすべきであって、性別で部署を決めつけるようなことがあってはならないと思うし、それは既に常識だ。女性は婦人部に属してサポート役に回りなさいというような話をしたら、相当な時代錯誤だと思われるだろう。
これは企業だけの話ではない。例えばイベントの実行委員会のような有志組織を作る場合にも、男性と女性で別の組織になっていたとしたら強い違和感があるだろう。少なくとも名目上は、男女を対等なものとして扱う文化がかなり根付いてきた。
それなのに、全国的に見ても先進的な農事組合法人でも、全く自然に「婦人部」が成立していることを見て、農村組織の意識の遅れに暗澹たる気持ちになったところである。
もちろん、この農事組合法人で女性がサポート役として虐げられているかというとそういうことはない。むしろ組織の重要なメンバーとして様々なことに取り組んでいるようで、収益も上げており、この活動にやりがいを見いだしているようだった。それはよいことだと思う。別に女性が搾取されているとは思わない。私が問題とするのは、女性を「婦人部」に所属させて当然とする意識の方である。
集落の場合は、婦人会的なものがあるのはしょうがないことだ。集落全員が参加する活動であれば、属性で分けて組織を作るのが合理的だ。婦人会、青年団、老人会、などなど。本人のやる気とか、適材適所ということを考えると組織が破綻する。なぜなら、集落自治の活動を積極的にやりたいという人は少数派なので、属性によって強制的に人を集めるのでなければ現実的に人が集まってこないからである。
だが企業の場合は違う。基本的には人はそこに所属して何事かをするという意志を持っているわけだから、それを無視して「女性は婦人部へ」というのはおかしいのである。この農事組合法人の場合は集落営農を営んでいるので、半ば自治会的な側面があるのだろう。そう考えると「婦人部」の存在も理解はできる。しかしそうであっても、話を聞くかぎり「婦人部」の必然性は感じられなかった。
組合のリーダーが言うように「婦人部」は活動の要であり、もし「婦人部」的なものがなかったら組織がうまく回らないということがあるのかもしれない。特に九州の女性は、公的な面で表立って動くというのを避けたり、役職を持たないようにする傾向があるから、あえて「婦人部」を設けて、その枠内で活動してもらう方が、当の女性にとってもやりやすいのかもしれない。つまり実際「婦人部」があったほうが効率的なのかもしれない。「婦人部」だからといって軽視されていることはなく、むしろそれが組織の心臓部になっているのなら、これは一種の「女性の活躍」なのも間違いない。
しかし、「婦人部」という言葉からは、どうも「農村組織にとって都合のよい女性の働き」を称揚しているような響きを感じる。
かつての「農村婦人」の運動もそうだった。「今後の農業の発展には女性の力が不可欠だ!」といくら叫んでも、その実は「農業の発展のために女性にはこんなことが期待されている」というだけで、女性を都合の良い駒みたいに扱うことが多かった。正直いうと私自身にもこの発想があるので他人事のように批判してはいけないが、当時(昭和30〜40年代)の資料を読むと、「農家の嫁が果たすべきつとめ」みたいなトーンで物事が書いてあるので、さすがにそれは押しつけすぎなんじゃないかと思う(でも今でもこういうことを考えている人は多い)。
最近の「農業女子」はこれとは違って、「これまで男性の領域と思われていたことも女性がやっていいんだ」という雰囲気があるのでとてもいいことだ。「農業女子」のムーブメントがこれまでの「農村婦人」と大きく違うのはそこで、「農村における女性の仕事はこうあるべき」という押しつけがましいところがなく、「やりたいことがたまたま農業でした」という本人の自発性を基本にしていることである。
「今後の農業の発展には女性の力が不可欠だ!」というなら、女性に期待されるいろいろなことを列挙するのではなく、そもそも女性が働きたいような職場を作っていくことが必要である。そして女性に期待するのではなく、むしろ女性の期待に応えるものでなくてはならない。農業という職場(?)はあまり女性向きでないところがある。畑にトイレはないし、日に焼けるし、オシャレな服を着る機会もない。そういうことを気にしない人だけが「農業女子」になればいいんだ、というのは傲岸というものだ。こういう残念な点を補う魅力を作ったり、できるだけ改善していく努力は必要だ。
そして私は、かつて「農村婦人」に向けられていた押しつけがましい眼差しが、今でも女性に注がれているのではないかと危惧している。いくら「女性の活躍」といっても、あくまで男性にとって都合の良い「女性の活躍」だけが期待されているのではないかと。女性は「婦人部」に所属してやりがいのある仕事をやってください、というような、何かちぐはぐなメッセージがあるような気がする。
私も今後の農業の発展には女性の力が不可欠だと思っているし、日本社会そのものの発展にも女性の力が不可欠だと思っている。それはいうまでもないことである。ある産業や社会が男性の力だけで成り立っていくとしたらそっちの方がおかしい。そのために、少なくとも「婦人部」的なものをなくすべきだ。短期的には「婦人部」があったほうが効率的だとしても、人々の自由意志は効率よりも重要である。
働きたい人が働けるように、子どもを産みたい人が産めるように、そしてそうしたくない人は、無理にそうしなくてもいいように、そういう自由意志を尊重する社会が当たり前になって欲しい。都合のよい「女性の活躍」ではなく、女性がやりたいことを思い切りできる社会になって欲しい。
農村にとって都合の良い役目を果たす女性=「農村婦人」という概念が時代遅れになったことは前進である。時代は変わる。農村すら変わってきたのである。
2016年3月11日金曜日
街路樹を育てるという経済政策
先日、南さつま市の下水道問題に関して記事を書いた。
その後下水道問題は、友人のテンダーさんが随分頑張って市議会に意見を届けたが、残念ながらのれんに腕押しというやつで、ほぼ黙殺されてしまった格好である。
【参考】陳情したけど、ガッカリです。南さつま市の公共下水道問題その3(テンダーさんのサイト)
建設自体は既定路線とは思っていたが、1000人近くの署名が集まっていることを真摯に議論しないとは…。それで、論調としては「加世田中心部は税収の中心だからそこに投資するのは当然」というような話になっている模様。かくいう私も、下水道問題にかこつけて書いた2つの記事で述べたように、加世田中心部への重点投資・再開発には賛成である。問題は、それが下水道でいいの? ということだ。
【参考】イケダパン跡地の有効利用
【参考】寄り道と街の発展
でも、上の2つの記事でも、イケダパン跡地を再開発したらどうか、ということ以外には、具体的な再開発の手法についてはほとんど述べていなかった。本町商店街をもっと活性化したら、と言うのは簡単だが、下水道より魅力的な投資が思いつかなかったら絵に描いた餅である。
というわけで、上の2つの記事はネットでもリアルでもとても反響があったので、それに気をよくして、私なりに中心市街地の活性化策を考えてみたいと思う。
さびれた商店街の活性化と聞いてすぐに思いつくのは、イベントとかB級グルメとかコミュニティづくりといった、メディアを賑わすいろいろな事例だろうが、都市計画的に考えると(つまり個別の商店の売り上げを伸ばすということより、賑わいのある地域を作るということを目的に据えるなら)その手法はほとんど一つしかない。それは、集客力のある施設の誘致・創出である。商売というのは、結局人の流れにどう乗るかというところがあるので、集客力がある施設ができさえすれば、そこからどうとでも発展していける。
例えば、加世田本町に市役所の市民課を移転させたらどうだろうか。あるいは、図書館を本町に移転させたらどうだろう? それだけで、人の流れはガラッと変わる。今の南さつま市役所本庁は街の中で孤立していて、人の流れを生みだす力を全く持っていないので、もう少し街の中に入っていって、ヨーロッパにある広場+市庁舎みたいな空間を作っていったら面白いと思う。
しかしながら、集客力のある施設をつくるというのはあまりにも当たり前の活性化策で、面白くもなんともないので、違う観点から提案したいことがある。
それは、街路樹の充実である。
街路樹なんか、ただの飾りじゃないか、というのが大方の反応だろう。もちろん、街路樹を見に街に来る人はいない。街路樹は、集客力のある施設では、全然ない。
それどころか最近は、街路樹なんか邪魔だ、とさえ言われている。 秋に落葉の時を迎えると、バッサリ丸坊主に剪定されてしまう街路樹をたくさん見かける。冒頭写真はちょっと極端な例だが、これくらい無残に剪定された街路樹を見ることは少なくない。どうも、地域住民などから「落ち葉が道路に散乱して汚れる。排水溝が詰まる」といった苦情があるため、このような非情な剪定が行われるそうである。
一見もっともらしい意見だが、美しい樹木をみっともない姿にする方が、ずっと非合理であると私は考える。秋にカサカサと落ち葉を踏みしめる感覚を味わえない方が、よほど損失だ。もちろん、実際には誰かが落ち葉の掃除をする必要はある。しかし多くの地域ではそれくらいのことはやっていけるコミュニティがあると思うし、そうでないにしても、剪定にもお金がかかっているわけで、同じお金をかけるなら、シルバー人材センターに定期的に落ち葉掃除をお願いする方がずっと気が利いている。
でも、街路樹管理者はそう考えていないようだ。やっぱり、街路樹はどんどん剪定されていく。おそらく、あまりに立派になりすぎると電線に邪魔になるという事情もあるのだろう。こうして無残な剪定をされた街路樹は、年々貧相な姿になっていく。本来切るべきでないところを、無配慮に切りまくられるのだから樹勢もどんどん落ちる。樹は年を経るごとに立派になっていくはずなのに、そうならない。樹形が乱れていき、変な形になっていく。それでも管理者は、かえって邪魔にならなくていい、と思っているのかもしれない。
いつからこうなったのだろう。
かつて日本人は、世界でも特異なほど樹を愛する人たちだった。
日本では早くも室町時代から花木の品種改良が始まっており、美しい桜や椿、梅を生みだした。花の品種改良というだけなら、ヨーロッパのチューリップなど様々な事例が歴史に散乱しているが、高木性の花木の大規模な品種改良を行ったのは日本人だけだそうである。
また、植木屋や庭師といった専門業者が出現したのも日本が世界に先駆けており、日本人の樹木の剪定技術は、芸術すら超え、精神修養的な水準にまで到達した。盆栽はその極地である。美しく立派な樹を愛でるということにかけては、日本人は他の人々を圧するところがあったのだ。
さらに、日本語では神を数える助数詞が「柱」であるが、これは太古の昔、樹そのものが神と見なされたことの名残と考える人もいる。神社には必ず「参道」があり、参道には立派な神木が連なっていることが普通であるが、私の考えでは、拝殿や本殿よりも参道の方こそ神社の本体で、聖なる樹の連なる道を歩むという行為が、神社の聖性の本質であると思う。
また、幕末に江戸を訪れた外国人たちは、江戸の街がたくさんの樹に覆われ、あまりに田園的であることに驚き、同時にその美しさに魅了もされた。ヨーロッパの街というのは、森を切り拓いて文明を打ち立てた記念碑的なところがあるが、江戸の街は自然と融和して周りの田園との境がなかったのである。この外国人たちは江戸の街で夥しい数の園芸植物が売られているのを見つけ、買い漁って本国に送った。巣鴨や染井(駒込)は、当時世界最大の花卉・植木栽培センターだったそうである。
このように我々の先祖は、樹木を愛で、それを緻密に管理し、街並みに活かし、また信仰もしてきた。そうした樹との付き合い方は、今の世の中ではほとんど失われてしまったように見える。無残に剪定された街路樹は、その象徴かもしれない。
しかし今でも、我々は立派な樹の下に憩うことを忘れてはいない。縄文杉の前に立てば、それは未だに我々の神であると多くの人は感じるだろう。そんな大げさなものでなくても、立派な樹があるというだけで、そこは何か特別な場所になる。大学のキャンパスには大概立派な並木道があるものだが、大学で学んだことの内容は忘れても、並木道の木陰を歩いた感覚はずっと後まで残るものである。
これは、商店街でも当てはまる。六本木ヒルズ、東京ミッドタウン、丸の内再開発といった近年の東京の大規模再開発事業を見ても、感じの良い街路樹を配置していない事業は皆無である。もちろん、これらの再開発事業において、街路樹が本当に活かされているかというと程度の問題はある。飾り程度の部分もあるだろう。しかし、どんなスタイリッシュなデザインのピカピカのオフィスや、名のあるデザイナーの洒落たテナントがあろうとも、そこに樹の一本もなければなんとなくサマにならないのはなぜか、というのはもっと深く考えてよい問題だ。
東京ですら、街路樹が本当の意味で立派な景観をつくっている商店街というものは少ない。有名なところとしては、原宿の表参道のケヤキ並木くらいだろう。これは文字通り明治神宮の参道であるので、商店街の街路樹というには不適切かもしれないが、この原宿という街に海外のハイブランドが軒を連ねている一因は、このケヤキ並木にあるのではないだろうか。逆に言うと、原宿からケヤキ並木がなくなってしまったら、ただのゴミゴミした街になってしまうかもしれない。表参道の品格を支えているのは、何よりもあの立派なケヤキ並木なのだというのが私の仮説である。
というわけで、加世田の本町商店街を原宿にするのは不可能でも、街路樹を立派にしていったらどうか、というのが私の提案なのだ。
幸いに、既に本町商店街には電柱がなく、街路樹が自由に伸びるスペースがある。今はプラタナスが植わっていたと思うが(間違っていたらすいません)、わざわざ植え替えなくてもこの管理方法を変えて、立派にしていくというだけでも随分変わると思う。プラタナスも古木になるとかなり大きく立派になる樹である。
そんなことで街が活性化するわけないじゃないか、と思うかもしれない。実際、鹿児島市内の大門口通り(金生通りの先)にはとても立派な街路樹があるのに、人通りはまばらである。確かに、立派な樹があるところに人通りがあるのなら、山の中が人だらけになるはずである。いうまでもなく街路樹はそれだけでは人の流れを変えないし、樹はまちづくりの主役ではない。主役はあくまで人間である。だが、先ほど述べたように、どんなに立派な施設があってもそこに樹の一本もなければそこは完全ではないのである。樹は主役を引き立てる重要な脇役なのだ。
もっと正確に言えば、街路樹は、場の雰囲気を左右する存在だ。それあたかも、「あの人がいるとなんだか場がなごむよね」というあの手の人間のようなものだ。それだけで何かを生むわけではないが、それがあることで「場」の未来が明るくなるのである。立派な街路樹を持つ街は、それだけで品格があり、そして品格ある店を呼び寄せる。街路樹だけでは経済政策にならないとしても、街路樹は街の可能性を広げるものだと思う。実際、私は大門口通りにだって面白い未来があるんじゃないかと思っている。なんなら賭をしてみてもいい。
合併前の加世田市は「いろは歌といぬまきの街」を標榜していた。街路樹のイヌマキも、もう少し立派に育てていくべきである。キオビエダシャク(イヌマキにつく害虫)の問題があるにせよ、貧相な街路樹は、それだけで見識の低さを露呈させているようなものだ。
街ぐるみで街路樹を立派にしてみたら、どんなことが起こるんだろうか。ものすごく面白い街になるような気がしてならない。
かつて鹿児島で実際それをしてみた企業がある。鹿児島では知らない人のいない老舗企業、岩崎産業である。岩崎産業は、そもそも戦前に鉄道レールの枕木で財をなした会社で、奄美に広大な広葉樹の森を作るなど林業が根幹の会社だった。その岩崎産業が、戦後、鹿児島の街にヤシなどの熱帯植物を植えまくったのである。
これは、鹿児島を一大観光地にするべく、熱帯っぽいイメージを作るためだったらしい。鹿児島のヤシやフェニックス(太くて大きなシダ植物)が全て岩崎産業の植林なわけではないが、国道沿いに大きなヤシを植えたのは岩崎産業が始めたことだ。今でもいわさきグループのロゴマークはヤシをあしらったものである。
たくさんのヤシが道沿いに植えられた鹿児島が、良いか悪いかはひとまず措く。しかしヤシを植えるという岩崎産業の戦略は、確かに街の風景を変え、鹿児島のイメージを従来とは異なったものへと変えたのだと思う。
もちろん、加世田が無理に街路樹でイメチェンする必要はない。でも立派な木々の木漏れ日の下で買い物できるような商店街は、日本にいくつもないだろう。もし素晴らしい街路樹の通りができたら、それだけで確固とした価値がある。
立派な街路樹を作るにはそれなりに時間がかかる。人口減少や景気の低迷で待ったなしの地方経済にとって、街路樹を整えるというようなことは、随分と悠長な、ノンビリしすぎた活性化策に見えるかもしれない。
でも待ったなしの時だからこそ、あえて百年の計を練らなければならない。激動する政治経済の荒波を、小手先の操舵で上手く乗り切ることよりも、何があっても失われない価値を作っていく方が結局は近道のように思う。
街路樹を育てるという経済政策。いかがだろうか。
その後下水道問題は、友人のテンダーさんが随分頑張って市議会に意見を届けたが、残念ながらのれんに腕押しというやつで、ほぼ黙殺されてしまった格好である。
【参考】陳情したけど、ガッカリです。南さつま市の公共下水道問題その3(テンダーさんのサイト)
建設自体は既定路線とは思っていたが、1000人近くの署名が集まっていることを真摯に議論しないとは…。それで、論調としては「加世田中心部は税収の中心だからそこに投資するのは当然」というような話になっている模様。かくいう私も、下水道問題にかこつけて書いた2つの記事で述べたように、加世田中心部への重点投資・再開発には賛成である。問題は、それが下水道でいいの? ということだ。
【参考】イケダパン跡地の有効利用
【参考】寄り道と街の発展
でも、上の2つの記事でも、イケダパン跡地を再開発したらどうか、ということ以外には、具体的な再開発の手法についてはほとんど述べていなかった。本町商店街をもっと活性化したら、と言うのは簡単だが、下水道より魅力的な投資が思いつかなかったら絵に描いた餅である。
というわけで、上の2つの記事はネットでもリアルでもとても反響があったので、それに気をよくして、私なりに中心市街地の活性化策を考えてみたいと思う。
さびれた商店街の活性化と聞いてすぐに思いつくのは、イベントとかB級グルメとかコミュニティづくりといった、メディアを賑わすいろいろな事例だろうが、都市計画的に考えると(つまり個別の商店の売り上げを伸ばすということより、賑わいのある地域を作るということを目的に据えるなら)その手法はほとんど一つしかない。それは、集客力のある施設の誘致・創出である。商売というのは、結局人の流れにどう乗るかというところがあるので、集客力がある施設ができさえすれば、そこからどうとでも発展していける。
例えば、加世田本町に市役所の市民課を移転させたらどうだろうか。あるいは、図書館を本町に移転させたらどうだろう? それだけで、人の流れはガラッと変わる。今の南さつま市役所本庁は街の中で孤立していて、人の流れを生みだす力を全く持っていないので、もう少し街の中に入っていって、ヨーロッパにある広場+市庁舎みたいな空間を作っていったら面白いと思う。
しかしながら、集客力のある施設をつくるというのはあまりにも当たり前の活性化策で、面白くもなんともないので、違う観点から提案したいことがある。
それは、街路樹の充実である。
街路樹なんか、ただの飾りじゃないか、というのが大方の反応だろう。もちろん、街路樹を見に街に来る人はいない。街路樹は、集客力のある施設では、全然ない。
それどころか最近は、街路樹なんか邪魔だ、とさえ言われている。 秋に落葉の時を迎えると、バッサリ丸坊主に剪定されてしまう街路樹をたくさん見かける。冒頭写真はちょっと極端な例だが、これくらい無残に剪定された街路樹を見ることは少なくない。どうも、地域住民などから「落ち葉が道路に散乱して汚れる。排水溝が詰まる」といった苦情があるため、このような非情な剪定が行われるそうである。
一見もっともらしい意見だが、美しい樹木をみっともない姿にする方が、ずっと非合理であると私は考える。秋にカサカサと落ち葉を踏みしめる感覚を味わえない方が、よほど損失だ。もちろん、実際には誰かが落ち葉の掃除をする必要はある。しかし多くの地域ではそれくらいのことはやっていけるコミュニティがあると思うし、そうでないにしても、剪定にもお金がかかっているわけで、同じお金をかけるなら、シルバー人材センターに定期的に落ち葉掃除をお願いする方がずっと気が利いている。
でも、街路樹管理者はそう考えていないようだ。やっぱり、街路樹はどんどん剪定されていく。おそらく、あまりに立派になりすぎると電線に邪魔になるという事情もあるのだろう。こうして無残な剪定をされた街路樹は、年々貧相な姿になっていく。本来切るべきでないところを、無配慮に切りまくられるのだから樹勢もどんどん落ちる。樹は年を経るごとに立派になっていくはずなのに、そうならない。樹形が乱れていき、変な形になっていく。それでも管理者は、かえって邪魔にならなくていい、と思っているのかもしれない。
いつからこうなったのだろう。
かつて日本人は、世界でも特異なほど樹を愛する人たちだった。
日本では早くも室町時代から花木の品種改良が始まっており、美しい桜や椿、梅を生みだした。花の品種改良というだけなら、ヨーロッパのチューリップなど様々な事例が歴史に散乱しているが、高木性の花木の大規模な品種改良を行ったのは日本人だけだそうである。
また、植木屋や庭師といった専門業者が出現したのも日本が世界に先駆けており、日本人の樹木の剪定技術は、芸術すら超え、精神修養的な水準にまで到達した。盆栽はその極地である。美しく立派な樹を愛でるということにかけては、日本人は他の人々を圧するところがあったのだ。
さらに、日本語では神を数える助数詞が「柱」であるが、これは太古の昔、樹そのものが神と見なされたことの名残と考える人もいる。神社には必ず「参道」があり、参道には立派な神木が連なっていることが普通であるが、私の考えでは、拝殿や本殿よりも参道の方こそ神社の本体で、聖なる樹の連なる道を歩むという行為が、神社の聖性の本質であると思う。
また、幕末に江戸を訪れた外国人たちは、江戸の街がたくさんの樹に覆われ、あまりに田園的であることに驚き、同時にその美しさに魅了もされた。ヨーロッパの街というのは、森を切り拓いて文明を打ち立てた記念碑的なところがあるが、江戸の街は自然と融和して周りの田園との境がなかったのである。この外国人たちは江戸の街で夥しい数の園芸植物が売られているのを見つけ、買い漁って本国に送った。巣鴨や染井(駒込)は、当時世界最大の花卉・植木栽培センターだったそうである。
このように我々の先祖は、樹木を愛で、それを緻密に管理し、街並みに活かし、また信仰もしてきた。そうした樹との付き合い方は、今の世の中ではほとんど失われてしまったように見える。無残に剪定された街路樹は、その象徴かもしれない。
しかし今でも、我々は立派な樹の下に憩うことを忘れてはいない。縄文杉の前に立てば、それは未だに我々の神であると多くの人は感じるだろう。そんな大げさなものでなくても、立派な樹があるというだけで、そこは何か特別な場所になる。大学のキャンパスには大概立派な並木道があるものだが、大学で学んだことの内容は忘れても、並木道の木陰を歩いた感覚はずっと後まで残るものである。
これは、商店街でも当てはまる。六本木ヒルズ、東京ミッドタウン、丸の内再開発といった近年の東京の大規模再開発事業を見ても、感じの良い街路樹を配置していない事業は皆無である。もちろん、これらの再開発事業において、街路樹が本当に活かされているかというと程度の問題はある。飾り程度の部分もあるだろう。しかし、どんなスタイリッシュなデザインのピカピカのオフィスや、名のあるデザイナーの洒落たテナントがあろうとも、そこに樹の一本もなければなんとなくサマにならないのはなぜか、というのはもっと深く考えてよい問題だ。
東京ですら、街路樹が本当の意味で立派な景観をつくっている商店街というものは少ない。有名なところとしては、原宿の表参道のケヤキ並木くらいだろう。これは文字通り明治神宮の参道であるので、商店街の街路樹というには不適切かもしれないが、この原宿という街に海外のハイブランドが軒を連ねている一因は、このケヤキ並木にあるのではないだろうか。逆に言うと、原宿からケヤキ並木がなくなってしまったら、ただのゴミゴミした街になってしまうかもしれない。表参道の品格を支えているのは、何よりもあの立派なケヤキ並木なのだというのが私の仮説である。
というわけで、加世田の本町商店街を原宿にするのは不可能でも、街路樹を立派にしていったらどうか、というのが私の提案なのだ。
幸いに、既に本町商店街には電柱がなく、街路樹が自由に伸びるスペースがある。今はプラタナスが植わっていたと思うが(間違っていたらすいません)、わざわざ植え替えなくてもこの管理方法を変えて、立派にしていくというだけでも随分変わると思う。プラタナスも古木になるとかなり大きく立派になる樹である。
そんなことで街が活性化するわけないじゃないか、と思うかもしれない。実際、鹿児島市内の大門口通り(金生通りの先)にはとても立派な街路樹があるのに、人通りはまばらである。確かに、立派な樹があるところに人通りがあるのなら、山の中が人だらけになるはずである。いうまでもなく街路樹はそれだけでは人の流れを変えないし、樹はまちづくりの主役ではない。主役はあくまで人間である。だが、先ほど述べたように、どんなに立派な施設があってもそこに樹の一本もなければそこは完全ではないのである。樹は主役を引き立てる重要な脇役なのだ。
もっと正確に言えば、街路樹は、場の雰囲気を左右する存在だ。それあたかも、「あの人がいるとなんだか場がなごむよね」というあの手の人間のようなものだ。それだけで何かを生むわけではないが、それがあることで「場」の未来が明るくなるのである。立派な街路樹を持つ街は、それだけで品格があり、そして品格ある店を呼び寄せる。街路樹だけでは経済政策にならないとしても、街路樹は街の可能性を広げるものだと思う。実際、私は大門口通りにだって面白い未来があるんじゃないかと思っている。なんなら賭をしてみてもいい。
合併前の加世田市は「いろは歌といぬまきの街」を標榜していた。街路樹のイヌマキも、もう少し立派に育てていくべきである。キオビエダシャク(イヌマキにつく害虫)の問題があるにせよ、貧相な街路樹は、それだけで見識の低さを露呈させているようなものだ。
街ぐるみで街路樹を立派にしてみたら、どんなことが起こるんだろうか。ものすごく面白い街になるような気がしてならない。
かつて鹿児島で実際それをしてみた企業がある。鹿児島では知らない人のいない老舗企業、岩崎産業である。岩崎産業は、そもそも戦前に鉄道レールの枕木で財をなした会社で、奄美に広大な広葉樹の森を作るなど林業が根幹の会社だった。その岩崎産業が、戦後、鹿児島の街にヤシなどの熱帯植物を植えまくったのである。
これは、鹿児島を一大観光地にするべく、熱帯っぽいイメージを作るためだったらしい。鹿児島のヤシやフェニックス(太くて大きなシダ植物)が全て岩崎産業の植林なわけではないが、国道沿いに大きなヤシを植えたのは岩崎産業が始めたことだ。今でもいわさきグループのロゴマークはヤシをあしらったものである。
たくさんのヤシが道沿いに植えられた鹿児島が、良いか悪いかはひとまず措く。しかしヤシを植えるという岩崎産業の戦略は、確かに街の風景を変え、鹿児島のイメージを従来とは異なったものへと変えたのだと思う。
もちろん、加世田が無理に街路樹でイメチェンする必要はない。でも立派な木々の木漏れ日の下で買い物できるような商店街は、日本にいくつもないだろう。もし素晴らしい街路樹の通りができたら、それだけで確固とした価値がある。
立派な街路樹を作るにはそれなりに時間がかかる。人口減少や景気の低迷で待ったなしの地方経済にとって、街路樹を整えるというようなことは、随分と悠長な、ノンビリしすぎた活性化策に見えるかもしれない。
でも待ったなしの時だからこそ、あえて百年の計を練らなければならない。激動する政治経済の荒波を、小手先の操舵で上手く乗り切ることよりも、何があっても失われない価値を作っていく方が結局は近道のように思う。
街路樹を育てるという経済政策。いかがだろうか。
2016年2月28日日曜日
田舎に移住して農業でもして暮らすか、講座(その3)
今回は移住や就農にあたっての心構え的なものについて。
インターネットで田舎への移住について書かれたものを見ると、田舎の社会に覚悟するように、といった警句がよく目につく。
私自身は、今住んでいる南さつま市では新参者であっても、同じ鹿児島県の吉田町(現・鹿児島市宮之浦町)というところで生まれ育っていて、そもそも田舎人なのであまり田舎の社会が都会と違って云々ということは思わない。それに、田舎といっても鹿児島のことしか知らないし、都会といっても東京・神奈川のことしか知らない。
なので、以下のことは、田舎と都会というような大きなテーマでなく、あくまで私の体験での話として受け取ってもらいたい。ただ、表現上便利なので「田舎」とか「都会」という言葉を使わせてもらうことにする。
私の場合ここは父方の郷里でもあるので、幸いにしてそういうことはなかった(と思う)が、それ以前に田舎の人と都会の人はその気質が大きく違うかというと、そういうこともないと思った。
譬えるなら、田舎に新参者が越してくるというのは、学級に転校生を迎えるようなものだと思ったらよい。そこには、既にいくつかの仲良しグループがあり、グループ同士の微妙な関係があり、グループと距離を置く孤独な幾人かがいたりする。転校生は、そのグループのどれかと仲良くなるか、どれにも属さないで孤独派になるか、または孤独な幾人かをまとめて新たなグループを立ち上げたりすることになる。これは極端な戯画化だとしても、コミュニティというものはどこでもそういう側面がある。都会だろうが田舎だろうが、人間関係の根本にあるそういう力学は共通している。
しかし、都会だったら、引っ越しはそういうのとは全然違う。それこそ、大勢の他人が交わっては離れていくスクランブル交差点を掻き分けていくようなもので、そこにはほとんど人間関係の編み目はなく、コミュニティの圧倒的な空白が存在している。そこに新参者がいることに誰も気にしないし、誰なのか興味もない。だが、それは都会の人が開放的だとか、進歩的だとか、人間関係に冷淡であるとかそういうことではなくて、単に人口密度と人の入れ替わりが激しすぎてそうなっているだけで、都会の人であっても固定的な小グループでコミュニティを作っていれば田舎的な面が出てくるものだ。
要するに、田舎の人と都会の人という2種類の人たちがいるのではなく、同じ人間が田舎と都会という違った環境で生きているというだけのことで、一人ひとりを見てみれば大きな違いはないのではないか、というのが私の感覚である。
だから、移住してくるにしても、田舎だからどうこうと身構える必要はないと思う。とはいっても、先ほど述べたように、田舎に越してくるというのは転校生になるようなものなので、自分から積極的にドアを叩いていかないと周囲に馴染めないというのはあるかもしれない。既にできあがった人間関係の中に「ちょっとごめんください」と入っていくわけだから、そういうのが苦手な人にとってはそれだけでストレスだろう。
インターネットの相談サイトなどで「農業をやってみたいんだけど」といった相談があるときも「都会のもやしっ子には無理」とか「農業をなめるな」といった妙に上から目線の回答がなされることが多い。しかし実際に農家になってみて、そういうアドバイス(?)にはちょっと違和感がある。
例えば、「お前はシステムエンジニアになる覚悟があるのか?」みたいに言われることはほとんどないと思うのだが、多くの職業にはそれになるのにさほどの覚悟は要しない。確かに長い修行が必要な職種(伝統工芸の職人や芸術家など)だとそういう風に言われることもわかるし、実際覚悟がいる転職(収入が激落ちするとか)というのもある。
しかし農業はそこまで長い修行はいらないし、収入は激落ちするがそれは多くの人が覚悟していることだろうし、厳しい仕事といっても連日深夜まで残業するような激務に比べれば随分気楽なものだし、今は都会でフリーター暮らしをする方がよほど覚悟が必要ではないだろうか。田舎には農業でそれなりに幸せに暮らしている人がたくさんいるわけで、本当に覚悟が必要な特殊な職業と比べたらかなり平凡な仕事である。農業を「限られた人しかできない、厳しい仕事」と思わせるのはよくない。
「農業は誰でもできる」は言い過ぎとしても、農業は世界最古のなりわいの一つであり、ことさら覚悟が必要なものではないと思う。もちろん独立就農は自営業の立ち上げだから、サラリーマンになるのとは違う。でも起業するよりはハードルは低い。あまり農業を特殊視せずに、普通の転職と同じように考えたらいい。
ただし、農業の場合は行政の補助がたくさんあるのが災いしてか、お客さん的にというか、「就農したいのでなんとかしてください」というような他力本願の人がいるというのは聞く(実際に会ったことはありません)。そういうのがよくないのは言うまでもない。あくまで普通の転職と同じように、自己責任で自律して行うべきである。
先延ばしせず冷徹果断に経営判断をすることができ、しっかりと計画を練って、そして段取りよく着実に実行する。新しい取組への挑戦や投資は恐れないが手堅い事業を守ることも疎かにしない。研究や勉強に余念がなく、かといって理念的なことに振り回されることなく常に現実に立脚する。地味な仕事も面倒くさがらずに一つ一つ粘り強くこなし、気持ちが途切れることがない。消費者の視点を忘れず優れた営業マンにもなり、販路拡大と有利販売のチャンスを逃さない。……そういう人である。
そんな人、別に農業じゃなくったって大抵の分野で成功するだろ! と思うだろうが、まさにその通りで、現代社会での仕事である以上、農業も他の職業と大きく違うことはなく、他の分野で成功するような人は農業でも成功できると思う。自分がそういうタイプでないという自覚があるなら、農業において大成功する確率は低いことは覚悟しておいた方がよい。ちなみに私も、残念ながらこういう成功向きのタイプではない。
ただし、農業では、他の職業だったら絶対生きていけないよなー、と思うような人が成功していることもあるのも確かである。農協にひたすら卸すというようなシンプルな農業をやる場合は、うまく生産するという一点だけをしっかりすれば他が(例えば人格面で)めちゃめちゃでもちゃんと儲けられるのが農業の特殊性かもしれない。
とはいえ、人生における仕事の意味を考えてみると、成功するかどうか、つまり大儲けや事業拡大できるかどうかということより、向き・不向きも大事である。「田舎に移住して農業でもするか」という人は、そもそも農業で大成功することを夢見ているわけではないと思うので、むしろ向き・不向きの方が重要だろう。
ということで、農業に向いているタイプを考えてみると、まず派手なことより地味な仕事を一人でコツコツこなす方が好きでないといけない。そして独立就農の場合はそこに上司も部下もいないので、サボろうと思えばどこまででもサボれる。だから自主独立の気風があり、自律して仕事を創り出すタイプでないといけない。誰かから言われないと仕事が進まない人には向いていないと思う。かといって、農業は地域でやっていくもので一人ではできないので、あんまり協調性がないのも考えものである。そもそも人付き合いがない人には優良な農地が回ってこない。
そして農業の場合、仕事のインプット(投資や作業量)とアウトプット(収穫量や収益)の対応が短期的にはめちゃくちゃなので、バクチ的なことへの耐性(または選好)が求められる。苦労して育てた作物が台風で潰滅することもあるし、何もしなくても天候に恵まれて豊作な時もある。でも相場が下がって豊作貧乏な場合もあるし、普通にやって平凡な出来でも相場がよくて意外と儲かる時もある。要するに農業は天候まかせ、相場まかせな部分が多かれ少なかれあるわけだから、そういう外部要因の気まぐれに付き合う度量の広さは必要だ。
ただ、一口に農業といっても、穀物、園芸、果樹、畜産、花卉(観賞用の花の栽培)、林産物(キノコ類やタケノコ)、種苗生産などいろいろな農業がある。穀物の場合は、ほぼ全ての作業が機械化可能で、極端に言えば畑の土を一度も踏まないで作付から収穫まで行うのが理想である。逆に園芸作物の場合、毎日畑に足を運び、こまごまとした管理を行わなくてはならない。そこに要求される能力・気質は真逆であると言ってもいい。さらに畜産や花卉なんかは穀物や園芸とはかなり違ったものであって、私もその世界はよくわかっていない。同じ農業の枠組みの中でもサラリーマン的な仕事の世界もあるし、職人的な仕事の世界もある。
つまり本当のことを言えば、農業への向き・不向きといったものは実は存在していなくて、自分に合った農業かそうでないかということしかない。要するに、農業の中でも自分に合ったものを選択していけばいいだけなのだ。でもそれが最初はよくわからないし、そもそもどんな農業が存在しているのかさえ業界の外からは分からない。やはり、どんな農業でもいいから(ただ、畜産だけは他の農業と必要な施設設備が違いすぎるから気をつけるべきだが)とりあえず取り組んでみて、徐々に自分に合った道を探すのがよいと思う。
この一連の記事はあまり夢のあることが書いていないので、これを読んで「よし、田舎に移住して農業をやってみよう!」と思う人は僅かだと思うが、そういう奇特な人にはぜひ田舎に新しい風を起こしてもらいたい。この記事が参考になれば幸いである。
インターネットで田舎への移住について書かれたものを見ると、田舎の社会に覚悟するように、といった警句がよく目につく。
私自身は、今住んでいる南さつま市では新参者であっても、同じ鹿児島県の吉田町(現・鹿児島市宮之浦町)というところで生まれ育っていて、そもそも田舎人なのであまり田舎の社会が都会と違って云々ということは思わない。それに、田舎といっても鹿児島のことしか知らないし、都会といっても東京・神奈川のことしか知らない。
なので、以下のことは、田舎と都会というような大きなテーマでなく、あくまで私の体験での話として受け取ってもらいたい。ただ、表現上便利なので「田舎」とか「都会」という言葉を使わせてもらうことにする。
(8)田舎でも都会でも人間は同じ
よく、田舎の社会は閉鎖的だとか、 因習的だとか、人間関係にがんじがらめにされているとか、地域の顔役がのさばっているとか、いろんな悪口を言われる。事実、そういう面もあるとは思う。さる移住者の人に聞いたら、「結局、本当の仲間としては扱ってくれないんですよね。いつまでもヨソ者で」というようなことを言っていた。私の場合ここは父方の郷里でもあるので、幸いにしてそういうことはなかった(と思う)が、それ以前に田舎の人と都会の人はその気質が大きく違うかというと、そういうこともないと思った。
譬えるなら、田舎に新参者が越してくるというのは、学級に転校生を迎えるようなものだと思ったらよい。そこには、既にいくつかの仲良しグループがあり、グループ同士の微妙な関係があり、グループと距離を置く孤独な幾人かがいたりする。転校生は、そのグループのどれかと仲良くなるか、どれにも属さないで孤独派になるか、または孤独な幾人かをまとめて新たなグループを立ち上げたりすることになる。これは極端な戯画化だとしても、コミュニティというものはどこでもそういう側面がある。都会だろうが田舎だろうが、人間関係の根本にあるそういう力学は共通している。
しかし、都会だったら、引っ越しはそういうのとは全然違う。それこそ、大勢の他人が交わっては離れていくスクランブル交差点を掻き分けていくようなもので、そこにはほとんど人間関係の編み目はなく、コミュニティの圧倒的な空白が存在している。そこに新参者がいることに誰も気にしないし、誰なのか興味もない。だが、それは都会の人が開放的だとか、進歩的だとか、人間関係に冷淡であるとかそういうことではなくて、単に人口密度と人の入れ替わりが激しすぎてそうなっているだけで、都会の人であっても固定的な小グループでコミュニティを作っていれば田舎的な面が出てくるものだ。
要するに、田舎の人と都会の人という2種類の人たちがいるのではなく、同じ人間が田舎と都会という違った環境で生きているというだけのことで、一人ひとりを見てみれば大きな違いはないのではないか、というのが私の感覚である。
だから、移住してくるにしても、田舎だからどうこうと身構える必要はないと思う。とはいっても、先ほど述べたように、田舎に越してくるというのは転校生になるようなものなので、自分から積極的にドアを叩いていかないと周囲に馴染めないというのはあるかもしれない。既にできあがった人間関係の中に「ちょっとごめんください」と入っていくわけだから、そういうのが苦手な人にとってはそれだけでストレスだろう。
(9)就農も普通の転職と同じ
私自身、農業を始めようというとき、多くの人から、それこそ通りすがりのおじさんからも「農業なんてバカな真似はよせ」という声をもらった。 農家から「農業をやっていく覚悟があるのか」というようなことを言われたこともある。インターネットの相談サイトなどで「農業をやってみたいんだけど」といった相談があるときも「都会のもやしっ子には無理」とか「農業をなめるな」といった妙に上から目線の回答がなされることが多い。しかし実際に農家になってみて、そういうアドバイス(?)にはちょっと違和感がある。
例えば、「お前はシステムエンジニアになる覚悟があるのか?」みたいに言われることはほとんどないと思うのだが、多くの職業にはそれになるのにさほどの覚悟は要しない。確かに長い修行が必要な職種(伝統工芸の職人や芸術家など)だとそういう風に言われることもわかるし、実際覚悟がいる転職(収入が激落ちするとか)というのもある。
しかし農業はそこまで長い修行はいらないし、収入は激落ちするがそれは多くの人が覚悟していることだろうし、厳しい仕事といっても連日深夜まで残業するような激務に比べれば随分気楽なものだし、今は都会でフリーター暮らしをする方がよほど覚悟が必要ではないだろうか。田舎には農業でそれなりに幸せに暮らしている人がたくさんいるわけで、本当に覚悟が必要な特殊な職業と比べたらかなり平凡な仕事である。農業を「限られた人しかできない、厳しい仕事」と思わせるのはよくない。
「農業は誰でもできる」は言い過ぎとしても、農業は世界最古のなりわいの一つであり、ことさら覚悟が必要なものではないと思う。もちろん独立就農は自営業の立ち上げだから、サラリーマンになるのとは違う。でも起業するよりはハードルは低い。あまり農業を特殊視せずに、普通の転職と同じように考えたらいい。
ただし、農業の場合は行政の補助がたくさんあるのが災いしてか、お客さん的にというか、「就農したいのでなんとかしてください」というような他力本願の人がいるというのは聞く(実際に会ったことはありません)。そういうのがよくないのは言うまでもない。あくまで普通の転職と同じように、自己責任で自律して行うべきである。
(10)農業の向き・不向き
向き・不向きの前に、どういう人が農業で成功するかというと、こんな人だ。先延ばしせず冷徹果断に経営判断をすることができ、しっかりと計画を練って、そして段取りよく着実に実行する。新しい取組への挑戦や投資は恐れないが手堅い事業を守ることも疎かにしない。研究や勉強に余念がなく、かといって理念的なことに振り回されることなく常に現実に立脚する。地味な仕事も面倒くさがらずに一つ一つ粘り強くこなし、気持ちが途切れることがない。消費者の視点を忘れず優れた営業マンにもなり、販路拡大と有利販売のチャンスを逃さない。……そういう人である。
そんな人、別に農業じゃなくったって大抵の分野で成功するだろ! と思うだろうが、まさにその通りで、現代社会での仕事である以上、農業も他の職業と大きく違うことはなく、他の分野で成功するような人は農業でも成功できると思う。自分がそういうタイプでないという自覚があるなら、農業において大成功する確率は低いことは覚悟しておいた方がよい。ちなみに私も、残念ながらこういう成功向きのタイプではない。
ただし、農業では、他の職業だったら絶対生きていけないよなー、と思うような人が成功していることもあるのも確かである。農協にひたすら卸すというようなシンプルな農業をやる場合は、うまく生産するという一点だけをしっかりすれば他が(例えば人格面で)めちゃめちゃでもちゃんと儲けられるのが農業の特殊性かもしれない。
とはいえ、人生における仕事の意味を考えてみると、成功するかどうか、つまり大儲けや事業拡大できるかどうかということより、向き・不向きも大事である。「田舎に移住して農業でもするか」という人は、そもそも農業で大成功することを夢見ているわけではないと思うので、むしろ向き・不向きの方が重要だろう。
ということで、農業に向いているタイプを考えてみると、まず派手なことより地味な仕事を一人でコツコツこなす方が好きでないといけない。そして独立就農の場合はそこに上司も部下もいないので、サボろうと思えばどこまででもサボれる。だから自主独立の気風があり、自律して仕事を創り出すタイプでないといけない。誰かから言われないと仕事が進まない人には向いていないと思う。かといって、農業は地域でやっていくもので一人ではできないので、あんまり協調性がないのも考えものである。そもそも人付き合いがない人には優良な農地が回ってこない。
そして農業の場合、仕事のインプット(投資や作業量)とアウトプット(収穫量や収益)の対応が短期的にはめちゃくちゃなので、バクチ的なことへの耐性(または選好)が求められる。苦労して育てた作物が台風で潰滅することもあるし、何もしなくても天候に恵まれて豊作な時もある。でも相場が下がって豊作貧乏な場合もあるし、普通にやって平凡な出来でも相場がよくて意外と儲かる時もある。要するに農業は天候まかせ、相場まかせな部分が多かれ少なかれあるわけだから、そういう外部要因の気まぐれに付き合う度量の広さは必要だ。
ただ、一口に農業といっても、穀物、園芸、果樹、畜産、花卉(観賞用の花の栽培)、林産物(キノコ類やタケノコ)、種苗生産などいろいろな農業がある。穀物の場合は、ほぼ全ての作業が機械化可能で、極端に言えば畑の土を一度も踏まないで作付から収穫まで行うのが理想である。逆に園芸作物の場合、毎日畑に足を運び、こまごまとした管理を行わなくてはならない。そこに要求される能力・気質は真逆であると言ってもいい。さらに畜産や花卉なんかは穀物や園芸とはかなり違ったものであって、私もその世界はよくわかっていない。同じ農業の枠組みの中でもサラリーマン的な仕事の世界もあるし、職人的な仕事の世界もある。
つまり本当のことを言えば、農業への向き・不向きといったものは実は存在していなくて、自分に合った農業かそうでないかということしかない。要するに、農業の中でも自分に合ったものを選択していけばいいだけなのだ。でもそれが最初はよくわからないし、そもそもどんな農業が存在しているのかさえ業界の外からは分からない。やはり、どんな農業でもいいから(ただ、畜産だけは他の農業と必要な施設設備が違いすぎるから気をつけるべきだが)とりあえず取り組んでみて、徐々に自分に合った道を探すのがよいと思う。
(11)最後に
率直に言って、農業の経験が全くない人が、しかも全く新参者の土地で、農業でやっていくというのはとても難しいことである。地の利のないところで素人事業を始めるというのは、農業でなくても無謀なことだ。ただ、農業というのはほとんど地元勢によって担われているものであるから、そこに新陳代謝があまりなく、新しい風が入ることの意味もあるように思う。この一連の記事はあまり夢のあることが書いていないので、これを読んで「よし、田舎に移住して農業をやってみよう!」と思う人は僅かだと思うが、そういう奇特な人にはぜひ田舎に新しい風を起こしてもらいたい。この記事が参考になれば幸いである。
2016年2月23日火曜日
「たんかんのオランジェット」と規格外品の有効利用の問題
今日、タンカンの発送作業を行った。
有り難いことに既にたくさんの注文をいただいており、出だしは順調。今年のタンカンは割と味はよいと思うので、ぜひご賞味ください。
【南薩の田舎暮らし】無農薬・無化学肥料のタンカン
ところで、この写真がうちのタンカンだが、タンカンをご注文くださった方は「届いたのはこんなにキレイなやつじゃないぞ!」と思うかもしれない(すいません…)。それもそのはずで、これは収穫した中でもとりわけ大きくて外観のキレイな最上級品だけを選りすぐったものなのである。
市場に出回っているものの中には、それこそ宝石のように美しいタンカンがあるので、この程度で最上級品なんて……と思うかもしれない。というか特に同業者の方はそう思うはずである。でも今の自分の栽培技術の中では、無農薬でこの水準ができたら最高だと思うものを選んだつもりだ。
で、どうして最上級品だけを選りすぐったのかというと、これはそのものを販売するためでなくて、実は「たんかんのオランジェット」という今一番売り出し中のお菓子を作るための材料なのだ。
【参考】オランジェットって何? という方は「南薩の田舎暮らし」のこちら↓の記事をどうぞ。
2月5日のレトロフト金曜市で「たんかんのオランジェット」を販売します
先日、この商品を引っ提げて、商工会がやっている品評会(?)みたいな会に出たら、「規格外品のタンカンを使ってみてはどうか?」という意見が出た。でも皮まで丸ごと使うというこのお菓子の性質上、やはり皮もキレイなものでないと食感も見た目も悪いし、大きさが揃っていないと商品にならないので、やはり大玉で外観秀麗なものを使う以外ないと思う。
最近の農産加工の話題では、「今まで捨てていた規格外品を使って作った」的なものがよく流布されていて、農産加工といえば「青果で流通しにくいB級品の有効利用」という側面ばかりが強調されているように感じる。
しかし、実際に農産加工に取り組んでみればすぐに分かるように、規格外品のように大きさや品質が揃っていない素材を使って加工品を作るのは大変手間がかかる。例えば、ニンジンを作っていると一定割合で又根のニンジンができるものだが、又根のニンジンは洗浄にも皮むきにも手間が余計にかかるし、ニンジンスティックのようなものを作ろうとすれば歩留まりも悪い。加工品づくりの経費がほぼ人件費であるとすれば、そういう扱いにくい素材を無理して使うより、同じ大きさで規格化されたニンジンを使って効率よく製造する方がよほど利益が大きい。
それに、加工品は素材の味次第なところがあり、品質の揃っていない素材を使うのは味の面でも不安が残る。見た目が悪くても美味しい果物や野菜というのがあるのは事実だが、実は美味しい果物や野菜は外観もよいことが多い、というのも事実である。間違いなく美味しい立派な素材を使う方が、品質の高い加工品が楽に作れると思う。
そもそも、今は「農産加工品戦国時代」とでも呼びたくなるような時代である。各地で、オシャレ・今風の農産加工品が次々に開発されている。そんな時に「今まで捨てていたものを有効活用できないか」というような消極的な理由で農産加工をしては成功はおぼつかないような気がする。やはり、「とびきり美味しいものを食べて欲しい」という積極的な理由で開発に入るべきだと思う。
もちろん、それが結果的に規格外品の有効利用になったらなお素晴らしいことである。開発の段階で「廃棄をなくそう」ということを目的の一つにするのもよいことだ。しかし、栽培管理によって収穫物の規格をなるだけ揃える(=規格外品を減らす)という方が農家の本道なのに、規格外品で作った加工品が成功したとすると、むしろ積極的に規格外品を作って材料を確保しなければならないという矛盾が生じる。加工品を作るなら、加工品用の規格を作り、その規格に沿って栽培管理していくという方が結局は効率的であり、規格外品のような量的にも質的にも頼りない存在はアテにするのはリスクである。
規格外品の有効利用は個人の農家レベルで考えてもダメで、やはり経済連(県単位のJA)のような規模で考えなければならない問題だろう。
ちなみに、鹿児島大学の学生がエコスイーツというプロジェクトをやっていて、これは生ゴミからつくった堆肥を使って育てた野菜を使ったスイーツの製造・販売なのだが、これも最初は「捨てられている野菜を救う」ということを考えていたようだ。しかし調査してみると、規格外の野菜などはちゃんと物産館などで売られていて、本当に捨てられているのは思ったほど多くないということがわかった。
こうして、当初は規格外のカボチャの有効利用がメインだったものの、今はむしろスイーツづくりのためにサツマイモを育てるということがメインになっており、やはり「加工品用の規格に沿った栽培管理」の方に重点が移っている。サツマイモ栽培に取り組んだ理由もWEBサイトでの説明によれば「「より高品質な素材を供給したい」という思いを実現するため」とされていて、やはり規格外で品質の安定しない素材を相手にするよりも、高品質な素材を使った方が間違いない、ということを学んだ結果ではないかと思った。
というわけで、農産加工というと「規格外品の有効利用」ということをすぐ思い描きがちであるが、実際にはそういう虫のよい話はそうそうないのである。
話が随分逸れてしまったが、この、私なりに「どこへ出しても恥ずかしくない最高級のタンカン」をつかって作った「たんかんのオランジェット」とクッキーとコンフィチュールのセットが今ネットショップで限定販売中なので、こちらの方もよろしくお願いします!
↓お買い求めはこちらから
【南薩の田舎暮らし】オランジェット入り! 南薩の田舎暮らしのお菓子セット
有り難いことに既にたくさんの注文をいただいており、出だしは順調。今年のタンカンは割と味はよいと思うので、ぜひご賞味ください。
【南薩の田舎暮らし】無農薬・無化学肥料のタンカン
ところで、この写真がうちのタンカンだが、タンカンをご注文くださった方は「届いたのはこんなにキレイなやつじゃないぞ!」と思うかもしれない(すいません…)。それもそのはずで、これは収穫した中でもとりわけ大きくて外観のキレイな最上級品だけを選りすぐったものなのである。
市場に出回っているものの中には、それこそ宝石のように美しいタンカンがあるので、この程度で最上級品なんて……と思うかもしれない。というか特に同業者の方はそう思うはずである。でも今の自分の栽培技術の中では、無農薬でこの水準ができたら最高だと思うものを選んだつもりだ。
で、どうして最上級品だけを選りすぐったのかというと、これはそのものを販売するためでなくて、実は「たんかんのオランジェット」という今一番売り出し中のお菓子を作るための材料なのだ。
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たんかんのオランジェット |
2月5日のレトロフト金曜市で「たんかんのオランジェット」を販売します
先日、この商品を引っ提げて、商工会がやっている品評会(?)みたいな会に出たら、「規格外品のタンカンを使ってみてはどうか?」という意見が出た。でも皮まで丸ごと使うというこのお菓子の性質上、やはり皮もキレイなものでないと食感も見た目も悪いし、大きさが揃っていないと商品にならないので、やはり大玉で外観秀麗なものを使う以外ないと思う。
最近の農産加工の話題では、「今まで捨てていた規格外品を使って作った」的なものがよく流布されていて、農産加工といえば「青果で流通しにくいB級品の有効利用」という側面ばかりが強調されているように感じる。
しかし、実際に農産加工に取り組んでみればすぐに分かるように、規格外品のように大きさや品質が揃っていない素材を使って加工品を作るのは大変手間がかかる。例えば、ニンジンを作っていると一定割合で又根のニンジンができるものだが、又根のニンジンは洗浄にも皮むきにも手間が余計にかかるし、ニンジンスティックのようなものを作ろうとすれば歩留まりも悪い。加工品づくりの経費がほぼ人件費であるとすれば、そういう扱いにくい素材を無理して使うより、同じ大きさで規格化されたニンジンを使って効率よく製造する方がよほど利益が大きい。
それに、加工品は素材の味次第なところがあり、品質の揃っていない素材を使うのは味の面でも不安が残る。見た目が悪くても美味しい果物や野菜というのがあるのは事実だが、実は美味しい果物や野菜は外観もよいことが多い、というのも事実である。間違いなく美味しい立派な素材を使う方が、品質の高い加工品が楽に作れると思う。
そもそも、今は「農産加工品戦国時代」とでも呼びたくなるような時代である。各地で、オシャレ・今風の農産加工品が次々に開発されている。そんな時に「今まで捨てていたものを有効活用できないか」というような消極的な理由で農産加工をしては成功はおぼつかないような気がする。やはり、「とびきり美味しいものを食べて欲しい」という積極的な理由で開発に入るべきだと思う。
もちろん、それが結果的に規格外品の有効利用になったらなお素晴らしいことである。開発の段階で「廃棄をなくそう」ということを目的の一つにするのもよいことだ。しかし、栽培管理によって収穫物の規格をなるだけ揃える(=規格外品を減らす)という方が農家の本道なのに、規格外品で作った加工品が成功したとすると、むしろ積極的に規格外品を作って材料を確保しなければならないという矛盾が生じる。加工品を作るなら、加工品用の規格を作り、その規格に沿って栽培管理していくという方が結局は効率的であり、規格外品のような量的にも質的にも頼りない存在はアテにするのはリスクである。
規格外品の有効利用は個人の農家レベルで考えてもダメで、やはり経済連(県単位のJA)のような規模で考えなければならない問題だろう。
ちなみに、鹿児島大学の学生がエコスイーツというプロジェクトをやっていて、これは生ゴミからつくった堆肥を使って育てた野菜を使ったスイーツの製造・販売なのだが、これも最初は「捨てられている野菜を救う」ということを考えていたようだ。しかし調査してみると、規格外の野菜などはちゃんと物産館などで売られていて、本当に捨てられているのは思ったほど多くないということがわかった。
こうして、当初は規格外のカボチャの有効利用がメインだったものの、今はむしろスイーツづくりのためにサツマイモを育てるということがメインになっており、やはり「加工品用の規格に沿った栽培管理」の方に重点が移っている。サツマイモ栽培に取り組んだ理由もWEBサイトでの説明によれば「「より高品質な素材を供給したい」という思いを実現するため」とされていて、やはり規格外で品質の安定しない素材を相手にするよりも、高品質な素材を使った方が間違いない、ということを学んだ結果ではないかと思った。
というわけで、農産加工というと「規格外品の有効利用」ということをすぐ思い描きがちであるが、実際にはそういう虫のよい話はそうそうないのである。
話が随分逸れてしまったが、この、私なりに「どこへ出しても恥ずかしくない最高級のタンカン」をつかって作った「たんかんのオランジェット」とクッキーとコンフィチュールのセットが今ネットショップで限定販売中なので、こちらの方もよろしくお願いします!
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