2016年2月28日日曜日

田舎に移住して農業でもして暮らすか、講座(その3)

今回は移住や就農にあたっての心構え的なものについて。

インターネットで田舎への移住について書かれたものを見ると、田舎の社会に覚悟するように、といった警句がよく目につく。

私自身は、今住んでいる南さつま市では新参者であっても、同じ鹿児島県の吉田町(現・鹿児島市宮之浦町)というところで生まれ育っていて、そもそも田舎人なのであまり田舎の社会が都会と違って云々ということは思わない。それに、田舎といっても鹿児島のことしか知らないし、都会といっても東京・神奈川のことしか知らない。

なので、以下のことは、田舎と都会というような大きなテーマでなく、あくまで私の体験での話として受け取ってもらいたい。ただ、表現上便利なので「田舎」とか「都会」という言葉を使わせてもらうことにする。

(8)田舎でも都会でも人間は同じ

よく、田舎の社会は閉鎖的だとか、 因習的だとか、人間関係にがんじがらめにされているとか、地域の顔役がのさばっているとか、いろんな悪口を言われる。事実、そういう面もあるとは思う。さる移住者の人に聞いたら、「結局、本当の仲間としては扱ってくれないんですよね。いつまでもヨソ者で」というようなことを言っていた。

私の場合ここは父方の郷里でもあるので、幸いにしてそういうことはなかった(と思う)が、それ以前に田舎の人と都会の人はその気質が大きく違うかというと、そういうこともないと思った。

譬えるなら、田舎に新参者が越してくるというのは、学級に転校生を迎えるようなものだと思ったらよい。そこには、既にいくつかの仲良しグループがあり、グループ同士の微妙な関係があり、グループと距離を置く孤独な幾人かがいたりする。転校生は、そのグループのどれかと仲良くなるか、どれにも属さないで孤独派になるか、または孤独な幾人かをまとめて新たなグループを立ち上げたりすることになる。これは極端な戯画化だとしても、コミュニティというものはどこでもそういう側面がある。都会だろうが田舎だろうが、人間関係の根本にあるそういう力学は共通している。

しかし、都会だったら、引っ越しはそういうのとは全然違う。それこそ、大勢の他人が交わっては離れていくスクランブル交差点を掻き分けていくようなもので、そこにはほとんど人間関係の編み目はなく、コミュニティの圧倒的な空白が存在している。そこに新参者がいることに誰も気にしないし、誰なのか興味もない。だが、それは都会の人が開放的だとか、進歩的だとか、人間関係に冷淡であるとかそういうことではなくて、単に人口密度と人の入れ替わりが激しすぎてそうなっているだけで、都会の人であっても固定的な小グループでコミュニティを作っていれば田舎的な面が出てくるものだ。

要するに、田舎の人と都会の人という2種類の人たちがいるのではなく、同じ人間が田舎と都会という違った環境で生きているというだけのことで、一人ひとりを見てみれば大きな違いはないのではないか、というのが私の感覚である。

だから、移住してくるにしても、田舎だからどうこうと身構える必要はないと思う。とはいっても、先ほど述べたように、田舎に越してくるというのは転校生になるようなものなので、自分から積極的にドアを叩いていかないと周囲に馴染めないというのはあるかもしれない。既にできあがった人間関係の中に「ちょっとごめんください」と入っていくわけだから、そういうのが苦手な人にとってはそれだけでストレスだろう。

(9)就農も普通の転職と同じ

私自身、農業を始めようというとき、多くの人から、それこそ通りすがりのおじさんからも「農業なんてバカな真似はよせ」という声をもらった。 農家から「農業をやっていく覚悟があるのか」というようなことを言われたこともある。

インターネットの相談サイトなどで「農業をやってみたいんだけど」といった相談があるときも「都会のもやしっ子には無理」とか「農業をなめるな」といった妙に上から目線の回答がなされることが多い。しかし実際に農家になってみて、そういうアドバイス(?)にはちょっと違和感がある。

例えば、「お前はシステムエンジニアになる覚悟があるのか?」みたいに言われることはほとんどないと思うのだが、多くの職業にはそれになるのにさほどの覚悟は要しない。確かに長い修行が必要な職種(伝統工芸の職人や芸術家など)だとそういう風に言われることもわかるし、実際覚悟がいる転職(収入が激落ちするとか)というのもある。

しかし農業はそこまで長い修行はいらないし、収入は激落ちするがそれは多くの人が覚悟していることだろうし、厳しい仕事といっても連日深夜まで残業するような激務に比べれば随分気楽なものだし、今は都会でフリーター暮らしをする方がよほど覚悟が必要ではないだろうか。田舎には農業でそれなりに幸せに暮らしている人がたくさんいるわけで、本当に覚悟が必要な特殊な職業と比べたらかなり平凡な仕事である。農業を「限られた人しかできない、厳しい仕事」と思わせるのはよくない。

「農業は誰でもできる」は言い過ぎとしても、農業は世界最古のなりわいの一つであり、ことさら覚悟が必要なものではないと思う。もちろん独立就農は自営業の立ち上げだから、サラリーマンになるのとは違う。でも起業するよりはハードルは低い。あまり農業を特殊視せずに、普通の転職と同じように考えたらいい。

ただし、農業の場合は行政の補助がたくさんあるのが災いしてか、お客さん的にというか、「就農したいのでなんとかしてください」というような他力本願の人がいるというのは聞く(実際に会ったことはありません)。そういうのがよくないのは言うまでもない。あくまで普通の転職と同じように、自己責任で自律して行うべきである。

(10)農業の向き・不向き

向き・不向きの前に、どういう人が農業で成功するかというと、こんな人だ。

先延ばしせず冷徹果断に経営判断をすることができ、しっかりと計画を練って、そして段取りよく着実に実行する。新しい取組への挑戦や投資は恐れないが手堅い事業を守ることも疎かにしない。研究や勉強に余念がなく、かといって理念的なことに振り回されることなく常に現実に立脚する。地味な仕事も面倒くさがらずに一つ一つ粘り強くこなし、気持ちが途切れることがない。消費者の視点を忘れず優れた営業マンにもなり、販路拡大と有利販売のチャンスを逃さない。……そういう人である。

そんな人、別に農業じゃなくったって大抵の分野で成功するだろ! と思うだろうが、まさにその通りで、現代社会での仕事である以上、農業も他の職業と大きく違うことはなく、他の分野で成功するような人は農業でも成功できると思う。自分がそういうタイプでないという自覚があるなら、農業において大成功する確率は低いことは覚悟しておいた方がよい。ちなみに私も、残念ながらこういう成功向きのタイプではない。

ただし、農業では、他の職業だったら絶対生きていけないよなー、と思うような人が成功していることもあるのも確かである。農協にひたすら卸すというようなシンプルな農業をやる場合は、うまく生産するという一点だけをしっかりすれば他が(例えば人格面で)めちゃめちゃでもちゃんと儲けられるのが農業の特殊性かもしれない。

とはいえ、人生における仕事の意味を考えてみると、成功するかどうか、つまり大儲けや事業拡大できるかどうかということより、向き・不向きも大事である。「田舎に移住して農業でもするか」という人は、そもそも農業で大成功することを夢見ているわけではないと思うので、むしろ向き・不向きの方が重要だろう。

ということで、農業に向いているタイプを考えてみると、まず派手なことより地味な仕事を一人でコツコツこなす方が好きでないといけない。そして独立就農の場合はそこに上司も部下もいないので、サボろうと思えばどこまででもサボれる。だから自主独立の気風があり、自律して仕事を創り出すタイプでないといけない。誰かから言われないと仕事が進まない人には向いていないと思う。かといって、農業は地域でやっていくもので一人ではできないので、あんまり協調性がないのも考えものである。そもそも人付き合いがない人には優良な農地が回ってこない。

そして農業の場合、仕事のインプット(投資や作業量)とアウトプット(収穫量や収益)の対応が短期的にはめちゃくちゃなので、バクチ的なことへの耐性(または選好)が求められる。苦労して育てた作物が台風で潰滅することもあるし、何もしなくても天候に恵まれて豊作な時もある。でも相場が下がって豊作貧乏な場合もあるし、普通にやって平凡な出来でも相場がよくて意外と儲かる時もある。要するに農業は天候まかせ、相場まかせな部分が多かれ少なかれあるわけだから、そういう外部要因の気まぐれに付き合う度量の広さは必要だ。

ただ、一口に農業といっても、穀物、園芸、果樹、畜産、花卉(観賞用の花の栽培)、林産物(キノコ類やタケノコ)、種苗生産などいろいろな農業がある。穀物の場合は、ほぼ全ての作業が機械化可能で、極端に言えば畑の土を一度も踏まないで作付から収穫まで行うのが理想である。逆に園芸作物の場合、毎日畑に足を運び、こまごまとした管理を行わなくてはならない。そこに要求される能力・気質は真逆であると言ってもいい。さらに畜産や花卉なんかは穀物や園芸とはかなり違ったものであって、私もその世界はよくわかっていない。同じ農業の枠組みの中でもサラリーマン的な仕事の世界もあるし、職人的な仕事の世界もある。

つまり本当のことを言えば、農業への向き・不向きといったものは実は存在していなくて、自分に合った農業かそうでないかということしかない。要するに、農業の中でも自分に合ったものを選択していけばいいだけなのだ。でもそれが最初はよくわからないし、そもそもどんな農業が存在しているのかさえ業界の外からは分からない。やはり、どんな農業でもいいから(ただ、畜産だけは他の農業と必要な施設設備が違いすぎるから気をつけるべきだが)とりあえず取り組んでみて、徐々に自分に合った道を探すのがよいと思う。

(11)最後に

率直に言って、農業の経験が全くない人が、しかも全く新参者の土地で、農業でやっていくというのはとても難しいことである。地の利のないところで素人事業を始めるというのは、農業でなくても無謀なことだ。ただ、農業というのはほとんど地元勢によって担われているものであるから、そこに新陳代謝があまりなく、新しい風が入ることの意味もあるように思う。

この一連の記事はあまり夢のあることが書いていないので、これを読んで「よし、田舎に移住して農業をやってみよう!」と思う人は僅かだと思うが、そういう奇特な人にはぜひ田舎に新しい風を起こしてもらいたい。この記事が参考になれば幸いである。

2 件のコメント:

  1. 私が農業始めた時も、~さんの孫だから畑を貸してくれるってのはありましたね。ただ、高齢者が増えて農地を借りてほしい人が多いのも事実です。
    なので、移住⇒即農業よりも移住して何か他の仕事をしつつ地元の消防団とかに入って仲良くなった人に口利きしてもらったりすればすんなりと受け入れてもらえるような気がします。また、良い条件の農地も探しやすいし、その土地の特性も聞けたりするかもしれません(水はけとか耕作履歴とか作る作物の嫌地かどうかなど)

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    1. 東海林さん

      何か他の仕事をしつつ、ゆっくりと農業を始めることができたら一番いいですね。でも、うちのようなド田舎だと、農業以外の仕事が見当たらない状態なんですけどね(笑) 

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