次は商工業の振興について。
商工業の振興というのは業種毎にいろいろ違う施策が必要になってくるから、汎用的なうまいアイデアは湧いてこない。既存店舗の売り上げをどう拡大していくかということに関しては、行政ができることは限られている。短期的にはプレミアム付商品券の販売みたいなことしかないだろうし、長期的に見ても商談会への参加・開催支援みたいなことになってくるだろう。
ただ一つ言えるのは、これから人口減少が確実なわけで今以上に地域外の人へ販売していく商材や方策が求められるのは確実だ。市内の人だけがお客さんというような店は、人口減少によって商売が縮小して行かざるを得ない。鹿児島市に、福岡に、東京に、海外に、と販売の範囲を広げていく支援をすることが長い目で見た商工業の振興になるだろう。
思い切って「Nansatz(南薩)」を世界ブランドにすることを目標にして近隣自治体と協力して販路開拓支援していくくらいのことをしたらいいと思う。
そして、そうした新しい商売をするに当たっては(厳しい言い方だが)既存の企業ではどうしても対応ができなくなるので、ベンチャー企業への支援を充実したらよい。それに、「田舎には注目されていない宝がたくさんある」とよく言われるように、これまで活用されていない資源を掘り起こすためにも新しい企業活動が必要だ。
これも、「南さつま市を日本一起業しやすい街にする」というくらいの目標を掲げて環境整備に取り組んでもらいたい。こんな辺鄙なところでそんなのは無理!と思うのは早計で、こんな辺鄙な日本の端っこだからこそチャレンジを応援するような施策が必要だと思う(前にも似たような記事を書いた)。
そして、それに関して是非とも必要だと思うのが物件の流動化である。これは商工業だけでなく移住者への住宅供給問題とも関係する。
全国的に空き家問題がクローズアップされているが、これにも非常に大きな誤解があるように思う。それは、物件を利用したい人が低迷しているから空き家が増えるのだ、という先入観である。実際には、こんな田舎でも物件を探している人は結構いる。そして見つからないという人も結構いるのである。空き家はたくさんあるのにどうして入居可能な物件が見つからないのか?
それは、空き家が住宅市場に出てこないからである。要するに、家主さんが貸し出さない。なぜ貸し出さないかというと、仏壇があったり(法事の時だけ利用する)、家財道具が未整理のまま置かれていたりするからである。それで、せっかくの家が倉庫となってしまっているケースが非常に多い。
現在政府が力を入れている空き家対策の主眼は、「倒壊しそうな空き家を撤去できるようにしよう」ということにあり、それはそれで必要なことだが、その前に「まだ使える住居をちゃんと利用できるようにしよう」ということの方がもっと大事なことだと思う。このように倉庫になってしまって塩漬けされている物件をちゃんと市場に放出するための施策が必要だ。
具体的には、まず家財道具を片付けることが是非とも必要になるので、「片付け補助金」の導入や片付けのサポートをやってはどうか。「片付け補助金」は既にいくつかの自治体(和歌山県、宇佐市、雲仙市、日南市)などが準備しているので真似たらよい。
また法事の時だけ利用するという場合も、数年に一度の法事のために電気や水道の基本料金を払い続けたり、仏壇を放置しているというのは無駄である。数年に一度ならホテルを利用した方が安くつくし簡単だ。市内のホテルや旅館を利用した法事宿泊プランを作って宣伝していったらいいのではないか。
また、どうしても捨てられない家財がたくさんある場合は、廃校になった小学校などを倉庫として活用して預かる方策も考えられる(例えば一定期間過ぎたら破棄されるなど)。親族に相談しないと家財が処分できない場合、親族が一堂に会して相談するというのは難しいのでこのようにとりあえず外へ持ち出すことができれば片付けも随分進むのではないかと思う。
また、そうした方策を講じたら、そのチラシなどを固定資産税の通知に同封することがとても有効だと思う。当たり前のことだが空き家の持ち主は地元にいないことが多いので、唯一の地元との繋がりが固定資産税の通知である、なんてケースもありそうである。
このように、様々な方策により空き家をちゃんと利用できるようにすれば移住者も自然と増えると思う。近年「古民家」がブームになっているが、古民家というのはほとんど市場に出てこないもので、需要に比べて供給がとても小さい。古民家に移住したい人というのは、日本全国どこでもできる仕事(クリエイターなど)をしている人が多いと思うので、きっと南さつま市に来てくれる人もいるだろう。ここにはまだ使える古民家がたくさんある。
とにかく、田舎における最大の問題は需要不足(借り手・買い手がいない)ではなく、供給不足(貸し手・売り手がいない)にあるというのが私の認識である。
そしてなぜ貸し手・売り手が少ないのかというと、財産を持っている人(多くはお年寄り)がお金に困っていなかったり、たとえ売れても少額なので手間と釣り合わなかったり、貸したり売ったりする財産管理能力に乏しかったり(老人ホームに入っているとか)、地域にいない(つまり不在地主だ)からである。結果、地域内には有効に活用されていない不動産(家、農地など)がたくさん生じている。
この遊休資産を流動化・見える化し、それを必要としている人に(できれば低価格で)譲ることが地域振興にものすごく役立つと思う。
ところで、以前営業に来た銀行の方に「こんな田舎で資産運用を呼びかけても貧乏人ばかりでしょ?」と話を振ってみたら、「とんでもない! 市内と比べたらこっちは預金の桁が違いますよ!」という答えが返ってきた。田舎の人はお金を使うところもなく、多くが親の代からの持ち家で貯金が好きな人が多いらしく、貧乏そうな(失礼!)外面とは裏腹にかなりの預貯金があるのだそうだ。
これも、田舎に存在する遊休資産の一つで、これをどうにか地域振興に繋げることができたらよいと思う。
遊休資産を放出させる方策としては財産税(固定資産税とか)があるが、税金は法律によってしか徴収できないので、条例しか作れない市町村には独自の税金をかけることはできない。だからこれへの対処はキャンペーン的なものになるだろう。
例えば、市で独自に「未来応援基金」のようなものを作ってそれに出資を募るとか。集落単位で呼びかければ結構集まると思う。基金の運用は銀行や証券会社などに委託して(※)、その運用益を有望な事業に投資・分配して、商工業や教育に役立ててはどうか。
以前「ふるさと創生事業」で1億円が全国の市町村にバラマキされた時、(旧)大浦町はそれを教育のための基金にして修学旅行(外国行き)の補助に使っていたそうである。金利の高い時だったからできたことだが、1億円の元本には手をつけず利息のみで修学旅行に宛てていたと聞く。そういう使い方ができないものか。
そこまでは無理でも、多くのお金が集まれば僅かでも運用益が出てくるので、それで次世代の産業や地域社会を作っていくことができたらよい。
あまり活用されていない資産を、それを必要としている人に融通できる環境を作っていくことが今後の田舎には大事になってくるのは確実だ。これからの私たちには何もないところから資産を作っていく余力はもうない。既にある財産を活用して、新しいことを安上がりに成し遂げるしたたかさが必要である。オリンピックの競技場を作り直すような愚行をしてはいけない。地方創生は、田舎に新築物件を作るのではなく、田舎のリノベーションでなくてはならない。
※ ただし、基金というのは透明性を確保して専門家によって運用し、また使用についても公開の議論の下で民主的に進める体制を構築しないとすぐにお金が雲散霧消してしまうので、そういう体制がなく「証券会社に委託」しかできないようだったらやる意味はないと思う。
2015年7月2日木曜日
2015年7月1日水曜日
死人が地主の農地:南さつま市まち・ひと・しごと創生総合戦略へ向けて(その2)
人口を維持していくためにはそれ相応の「仕事」がなくてはならない。
というわけでまずは基幹産業の農業から。
農業の振興のためには、最近では6次産業化とか「モノづくりよりコトづくり(ストーリーのある農作物を作る)」みたいなことが言われているがそれはホンの上澄みの話で、本当に必要なのは、生産性の高い農地とその集積、そして安定生産と価格の安定に尽きると思う。要するに使い勝手のよい農地で安定的に生産・販売することが一番だ。
安定生産は品質・収量を一定にすることだから農業技術の話で、価格の安定は市場との関係になって難しいので、行政として取り組めるのは「生産性の高い農地の準備とその集積の支援」になるだろう。
これは農水省が現在進めている「人・農地プラン」でも言われていることでそれなりに取り組みは始まっているものの農地の集積などはなかなか進んでいない。農地というのは動かすのが本当に難しい。長い目で取り組んで行けば徐々に農地の集積も進んでいくだろうが短期的な効果は薄いだろう。
そして報道だけを見ると農地はいくらでも余っているような印象を受けるが実際は逆で、今は農地の奪い合いとも言えるような状況になっている。機械化が進んで農家一人当たりの耕地面積が増えた結果、生産性の高い農地(平らで広い、道がある、他の農地と近いなど)を求める農家が多いからだと思う。実際、農地中間管理機構(農地の貸し借りを仲立ちしてくれる組織)でも農地を借りたいという希望が、貸したいという希望の10倍くらいある状況である。生産性の高い農地は引っ張りだこだ。
一方で、耕作放棄地が多いというのも事実である。南さつま市の場合、統計を見ると耕作地と同じくらいの広さの耕作放棄地と遊休農地がある。これは、他の農地から遠い、狭小である、機械が入っていけない、などそれなりに理由があって耕作されていないわけで、これを無理に耕作地へと変える努力は無意味だ。だが場所がさほど悪くなくても遊んでいるところもある。
それは、以前も触れたが「地主が地元にいない農地」である。地主と連絡がつかなければ借りることはできないのでこれは当然だ。ではなぜ地主さんが土地を遊ばせておくかというと、一言でいうと面倒だからだと思う。農地の固定資産税は僅かなものだし、積極的に借りたいという人が現れなければ放っておくのが楽である。
さらにもっと大きな問題は土地の権利関係にあって、キチンと相続されていない土地がものすごく多いということがある。相続されていないということは、名義上は先代や先々代のもちものになっていて、権利関係がややこしい。こうした土地がどれくらいあるのか統計が見当たらないが、私の近所で考えると相続されている農地の方が僅かで、名義人が死亡している農地の方が多いように見える。 つまり生きている人より死んでいる人の方がたくさんの土地を所有しているという異常な事態が起こっているのである。
なぜ土地の相続がキッチリなされないのかというと、名義変更にかかるお金に比べ土地の値段が僅かであること、そもそも名義変更が困難であること(権利を持つ人と疎遠であったり知らない場合がある)、名義変更しなくてもすぐには困らないこと、などが挙げられる。
しかし長期的に見ると土地の名義人が死亡していることは地域に大きな影響を及ぼす。要するに土地が塩漬けされているのと同じことで、適切に利用していくことができないので基盤整備(土地の形を整えたり道を拡幅したり、利用しやすい農地に造成しなおすこと)もできない。ただでさえ不在地主というのは問題があるのに、それがこの世にすらいない不在地主だというのは問題外である。
実は幕末にも似たようなことがあった。抜地(ぬきち)といって、質草として土地の非公式の貸し借りが行われた結果、所有権が錯綜して代官にも土地の本当の持ち主が誰なのかわからなくなり、適正に年貢を課税することができなくなって村が荒廃する(本当には土地を持っていない人が年貢を納める義務だけ負って没落する)という現象生じている。
戦前にも不在地主の問題でいろいろあって戦後には農地解放が行われたが、農地の所有権が適切に設定されていないという問題は農業の根幹に関わるものであるだけに、一見さほどの影響がないように見えても真摯に対処すべきである。
具体的には名義変更(相続)が行われていない土地の登記変更を役場が支援する(事務手続きの代行・書類作成支援・登記費用の補助など)ということが考えられる。もちろん手始めには、市内にどのくらい「死人が持っている土地」があるのかを割り出して、そのうち有効に利用されていない土地を検分し、10年くらいでこれを全部名義変更する目標を持って予算を組むというような地味な作業をしていく必要がある。
しかし既に状況はかなり末期的であって、現実的に名義変更することが困難な土地がたくさんあるので(共同名義の土地などで関係者が数十人にも上り、印鑑を集めることが無理な土地など)、いずれ法規的な手段によって強制的・自動的に名義を変更する措置を講じなくてはならないと思う。例えば、一定の猶予期間を経て現に固定資産税を払っている人に自動的に名義変更するような特別措置法をつくることが考えられる。そうしないと日本の国土は多くが死人の財産になってしまうのは明らかである。この問題を看過していると確実に国土の荒廃を招くと思う。法務省の英断に期待である。
(つづく)
【2015.7.2アップデート】タイトルを改めました。 「南さつま市まち・ひと・しごと創生総合戦略へ向けて(その1)」→(その2)→(その3)と続くとわかりにくかったので。
というわけでまずは基幹産業の農業から。
農業の振興のためには、最近では6次産業化とか「モノづくりよりコトづくり(ストーリーのある農作物を作る)」みたいなことが言われているがそれはホンの上澄みの話で、本当に必要なのは、生産性の高い農地とその集積、そして安定生産と価格の安定に尽きると思う。要するに使い勝手のよい農地で安定的に生産・販売することが一番だ。
安定生産は品質・収量を一定にすることだから農業技術の話で、価格の安定は市場との関係になって難しいので、行政として取り組めるのは「生産性の高い農地の準備とその集積の支援」になるだろう。
これは農水省が現在進めている「人・農地プラン」でも言われていることでそれなりに取り組みは始まっているものの農地の集積などはなかなか進んでいない。農地というのは動かすのが本当に難しい。長い目で取り組んで行けば徐々に農地の集積も進んでいくだろうが短期的な効果は薄いだろう。
そして報道だけを見ると農地はいくらでも余っているような印象を受けるが実際は逆で、今は農地の奪い合いとも言えるような状況になっている。機械化が進んで農家一人当たりの耕地面積が増えた結果、生産性の高い農地(平らで広い、道がある、他の農地と近いなど)を求める農家が多いからだと思う。実際、農地中間管理機構(農地の貸し借りを仲立ちしてくれる組織)でも農地を借りたいという希望が、貸したいという希望の10倍くらいある状況である。生産性の高い農地は引っ張りだこだ。
一方で、耕作放棄地が多いというのも事実である。南さつま市の場合、統計を見ると耕作地と同じくらいの広さの耕作放棄地と遊休農地がある。これは、他の農地から遠い、狭小である、機械が入っていけない、などそれなりに理由があって耕作されていないわけで、これを無理に耕作地へと変える努力は無意味だ。だが場所がさほど悪くなくても遊んでいるところもある。
それは、以前も触れたが「地主が地元にいない農地」である。地主と連絡がつかなければ借りることはできないのでこれは当然だ。ではなぜ地主さんが土地を遊ばせておくかというと、一言でいうと面倒だからだと思う。農地の固定資産税は僅かなものだし、積極的に借りたいという人が現れなければ放っておくのが楽である。
さらにもっと大きな問題は土地の権利関係にあって、キチンと相続されていない土地がものすごく多いということがある。相続されていないということは、名義上は先代や先々代のもちものになっていて、権利関係がややこしい。こうした土地がどれくらいあるのか統計が見当たらないが、私の近所で考えると相続されている農地の方が僅かで、名義人が死亡している農地の方が多いように見える。 つまり生きている人より死んでいる人の方がたくさんの土地を所有しているという異常な事態が起こっているのである。
なぜ土地の相続がキッチリなされないのかというと、名義変更にかかるお金に比べ土地の値段が僅かであること、そもそも名義変更が困難であること(権利を持つ人と疎遠であったり知らない場合がある)、名義変更しなくてもすぐには困らないこと、などが挙げられる。
しかし長期的に見ると土地の名義人が死亡していることは地域に大きな影響を及ぼす。要するに土地が塩漬けされているのと同じことで、適切に利用していくことができないので基盤整備(土地の形を整えたり道を拡幅したり、利用しやすい農地に造成しなおすこと)もできない。ただでさえ不在地主というのは問題があるのに、それがこの世にすらいない不在地主だというのは問題外である。
実は幕末にも似たようなことがあった。抜地(ぬきち)といって、質草として土地の非公式の貸し借りが行われた結果、所有権が錯綜して代官にも土地の本当の持ち主が誰なのかわからなくなり、適正に年貢を課税することができなくなって村が荒廃する(本当には土地を持っていない人が年貢を納める義務だけ負って没落する)という現象生じている。
戦前にも不在地主の問題でいろいろあって戦後には農地解放が行われたが、農地の所有権が適切に設定されていないという問題は農業の根幹に関わるものであるだけに、一見さほどの影響がないように見えても真摯に対処すべきである。
具体的には名義変更(相続)が行われていない土地の登記変更を役場が支援する(事務手続きの代行・書類作成支援・登記費用の補助など)ということが考えられる。もちろん手始めには、市内にどのくらい「死人が持っている土地」があるのかを割り出して、そのうち有効に利用されていない土地を検分し、10年くらいでこれを全部名義変更する目標を持って予算を組むというような地味な作業をしていく必要がある。
しかし既に状況はかなり末期的であって、現実的に名義変更することが困難な土地がたくさんあるので(共同名義の土地などで関係者が数十人にも上り、印鑑を集めることが無理な土地など)、いずれ法規的な手段によって強制的・自動的に名義を変更する措置を講じなくてはならないと思う。例えば、一定の猶予期間を経て現に固定資産税を払っている人に自動的に名義変更するような特別措置法をつくることが考えられる。そうしないと日本の国土は多くが死人の財産になってしまうのは明らかである。この問題を看過していると確実に国土の荒廃を招くと思う。法務省の英断に期待である。
(つづく)
【2015.7.2アップデート】タイトルを改めました。 「南さつま市まち・ひと・しごと創生総合戦略へ向けて(その1)」→(その2)→(その3)と続くとわかりにくかったので。
2015年6月30日火曜日
子どもを増やす過激なアイデア:南さつま市まち・ひと・しごと創生総合戦略へ向けて(その1)
今、南さつま市では(というかどこの市町村でも)「まち・ひと・しごと創生総合戦略」というのの策定作業を行っている。
私は地域審議会(年に2回開催されて市政に意見をいう会議)の委員をやっているので、何かよいアイデアや提案があればくださいという連絡がきた。私はいわゆるアイデアマンではなく、面白味のないことしか思いつけないが、せっかくの機会なので真面目に考えたいと思う。
まず、大前提となる人口減少への対応から。
国の施策では「東京への人口の一極集中」への対応が喧しく言われていて、要するに東京から地方へ移住する人を増やしましょうという方向性のようだ。だが地方同士が移住先として競争するとなれば限られたパイの奪い合いでしかなく、おそらく移住者へのサービス合戦(移住したら○百万円もらえるとか)になってしまう。それに日本全体で人口減少しているのだから、仮に人口の一極集中が是正されても国全体でみたら人口減少の問題は解決されない。
だからまずは地域の自生的人口増加を図るべきである。つまり少子化対策に力を入れなくてはならない。それも、かなり思いきった施策によって目に見える成果を出すことが必要だ。
例えば、子どもが3人いたら生活費の心配はしなくてもよい、というくらいの制度はできないものか。今のこども手当は、3歳未満15,000円/月、未就学児10,000円/月なので、1歳、3歳、5歳の3人の子どもがいれば年間30万円の補助になる。これを5倍にして、年間150万円が支給されることにすれば田舎ではそれだけでなんとか暮らしていける収入になる。こんな制度があれば今2人の子どもがいる人は3人目を作りやすくなるし、子育て世帯が移住してくる数も増えると思う。政策効果は覿面のハズだ。
一方、子どもの数に比例して補助がもらえる方式だと、より多く子どもを作るインセンティブは実は弱いので、1世帯あたりの子どもの数を増やすという明確な目標があるなら、例えば3人以上の子どもがいる家庭を優遇するような政策(急に補助金の額が上がるとか)をすることも有効かもしれない。
どこにそんな財源があるんだ? と思うかもしれないが、南さつま市の世帯数が約16,000で、6歳未満の子どもがいる世帯数が約1200なので(参考:南さつま市次世代育成支援行動計画【後期計画】)、子どもが2人以上いる世帯数は多分1000はないと思う。これが3人以上だときっと500以下になる。500世帯に150万円配ると7億5000万円。南さつま市の年間予算はだいたい500億円。決して捻出不可能な額ではない。幼児の人口が一人増えると地方交付税交付金がだいたい50万円くらい増えるので(※1)、その意味でも子どもを増やす政策には予算を組みやすいと思う。
もちろん、子育てしやすい環境の整備も必要だ。
私自身小さい子ども2人を抱えているわけだが、ちょっとびっくりするのは保育園に対する市の対応。保育園は基本的に「保育に欠ける子」つまり親が就労などの事情で子どもの面倒を見られない子どもが利用できる施設なので、第2子が誕生した場合に第1子が保育園から追い出される(あるいは第2子が相当小さいうちから保育園に入学させられる)ことが全国的に見られる。つまり、母親が赤ちゃんの面倒をみているならお兄ちゃん・お姉ちゃんの面倒も見られるでしょ? 保育園に入れなくてもよいでしょ? という論理で、確かに待機児童などの問題が逼迫している都市部の場合、これは多少冷淡だが理解できる。
しかしそもそも定員に達していないような保育園が多い田舎で、このような杓子定規なやり方をやるのはおかしい。
一方で、保育園が法律上「保育に欠ける子」に対して法律で位置づけられている以上、行政としてはそのような指導を取らざるを得ないのも理解できる。そこでオススメしたいのが認定こども園制度の活用である。
認定こども園は、いわゆる幼保連携の議論の中で生まれたもので、要するに「幼稚園と保育園のいいところをあわせた制度」である。ただ導入から数年経っても思うように認定こども園は増えていない。その理由は、(幼稚園を主管する)文科省と(保育園の)厚労省の連携不足などによって会計や事務が面倒であり、また支援が十分でないなど、要するに施設側にとってやりやすいものになっていないことにあるようである(※2)。
しかしこの制度は利用者側にはとても評判がよい。これまでの保育園は「共働きでないと利用できない」ものだったし、幼稚園は「午後2時以降の子どもの面倒を見なくてはならない」ものだった(もちろん延長保育の制度もあるが)。それがこの制度によって親の就労状態にかかわらず夕方まで子どもを預かってくれるのだから有り難いのは当然だ。
よって、南さつま市でも公立の幼保施設が認定こども園を目指すのはもちろん、既存の私立保育園・幼稚園も認定こども園となるよう政策的に支援していくのがよいと思う。例えば5年後には全ての保育園・幼稚園が認定こども園になるような目標を作って、行政が事務支援などを行い制度導入に力を合わせたらどうだろうか。
子ども3人いれば生活ができ、さらに市内には認定こども園が充実となれば、出生数の増加と子育て世帯の転入は確実だと思う。
(つづく)
※1 地方交付税交付金は、「基準財政需要額」というものに基づいて交付されていて、これは人口や面積などさまざまな要因で構成されるが、これの単位費用を単純に足しあわせると幼児の場合50万円くらいになる。ただ専門家ではないので間違っている可能性もあります。
※2 本来は幼稚園・保育園という縦割り行政の象徴みたいな2種類の施設ではなく、それらを一度解体して「こども園」という簡明な制度にするべきだったものが、両省の既存の制度と整合するのが困難だったために、いわば2階建て部分としての「認定こども園」制度を作ったことに失敗の原因があると思う。
【2015.7.2アップデート】タイトルを改めました。 「南さつま市まち・ひと・しごと創生総合戦略へ向けて(その1)」→(その2)→(その3)と続くとわかりにくかったので。
私は地域審議会(年に2回開催されて市政に意見をいう会議)の委員をやっているので、何かよいアイデアや提案があればくださいという連絡がきた。私はいわゆるアイデアマンではなく、面白味のないことしか思いつけないが、せっかくの機会なので真面目に考えたいと思う。
まず、大前提となる人口減少への対応から。
国の施策では「東京への人口の一極集中」への対応が喧しく言われていて、要するに東京から地方へ移住する人を増やしましょうという方向性のようだ。だが地方同士が移住先として競争するとなれば限られたパイの奪い合いでしかなく、おそらく移住者へのサービス合戦(移住したら○百万円もらえるとか)になってしまう。それに日本全体で人口減少しているのだから、仮に人口の一極集中が是正されても国全体でみたら人口減少の問題は解決されない。
だからまずは地域の自生的人口増加を図るべきである。つまり少子化対策に力を入れなくてはならない。それも、かなり思いきった施策によって目に見える成果を出すことが必要だ。
例えば、子どもが3人いたら生活費の心配はしなくてもよい、というくらいの制度はできないものか。今のこども手当は、3歳未満15,000円/月、未就学児10,000円/月なので、1歳、3歳、5歳の3人の子どもがいれば年間30万円の補助になる。これを5倍にして、年間150万円が支給されることにすれば田舎ではそれだけでなんとか暮らしていける収入になる。こんな制度があれば今2人の子どもがいる人は3人目を作りやすくなるし、子育て世帯が移住してくる数も増えると思う。政策効果は覿面のハズだ。
一方、子どもの数に比例して補助がもらえる方式だと、より多く子どもを作るインセンティブは実は弱いので、1世帯あたりの子どもの数を増やすという明確な目標があるなら、例えば3人以上の子どもがいる家庭を優遇するような政策(急に補助金の額が上がるとか)をすることも有効かもしれない。
どこにそんな財源があるんだ? と思うかもしれないが、南さつま市の世帯数が約16,000で、6歳未満の子どもがいる世帯数が約1200なので(参考:南さつま市次世代育成支援行動計画【後期計画】)、子どもが2人以上いる世帯数は多分1000はないと思う。これが3人以上だときっと500以下になる。500世帯に150万円配ると7億5000万円。南さつま市の年間予算はだいたい500億円。決して捻出不可能な額ではない。幼児の人口が一人増えると地方交付税交付金がだいたい50万円くらい増えるので(※1)、その意味でも子どもを増やす政策には予算を組みやすいと思う。
もちろん、子育てしやすい環境の整備も必要だ。
私自身小さい子ども2人を抱えているわけだが、ちょっとびっくりするのは保育園に対する市の対応。保育園は基本的に「保育に欠ける子」つまり親が就労などの事情で子どもの面倒を見られない子どもが利用できる施設なので、第2子が誕生した場合に第1子が保育園から追い出される(あるいは第2子が相当小さいうちから保育園に入学させられる)ことが全国的に見られる。つまり、母親が赤ちゃんの面倒をみているならお兄ちゃん・お姉ちゃんの面倒も見られるでしょ? 保育園に入れなくてもよいでしょ? という論理で、確かに待機児童などの問題が逼迫している都市部の場合、これは多少冷淡だが理解できる。
しかしそもそも定員に達していないような保育園が多い田舎で、このような杓子定規なやり方をやるのはおかしい。
一方で、保育園が法律上「保育に欠ける子」に対して法律で位置づけられている以上、行政としてはそのような指導を取らざるを得ないのも理解できる。そこでオススメしたいのが認定こども園制度の活用である。
認定こども園は、いわゆる幼保連携の議論の中で生まれたもので、要するに「幼稚園と保育園のいいところをあわせた制度」である。ただ導入から数年経っても思うように認定こども園は増えていない。その理由は、(幼稚園を主管する)文科省と(保育園の)厚労省の連携不足などによって会計や事務が面倒であり、また支援が十分でないなど、要するに施設側にとってやりやすいものになっていないことにあるようである(※2)。
しかしこの制度は利用者側にはとても評判がよい。これまでの保育園は「共働きでないと利用できない」ものだったし、幼稚園は「午後2時以降の子どもの面倒を見なくてはならない」ものだった(もちろん延長保育の制度もあるが)。それがこの制度によって親の就労状態にかかわらず夕方まで子どもを預かってくれるのだから有り難いのは当然だ。
よって、南さつま市でも公立の幼保施設が認定こども園を目指すのはもちろん、既存の私立保育園・幼稚園も認定こども園となるよう政策的に支援していくのがよいと思う。例えば5年後には全ての保育園・幼稚園が認定こども園になるような目標を作って、行政が事務支援などを行い制度導入に力を合わせたらどうだろうか。
子ども3人いれば生活ができ、さらに市内には認定こども園が充実となれば、出生数の増加と子育て世帯の転入は確実だと思う。
(つづく)
※1 地方交付税交付金は、「基準財政需要額」というものに基づいて交付されていて、これは人口や面積などさまざまな要因で構成されるが、これの単位費用を単純に足しあわせると幼児の場合50万円くらいになる。ただ専門家ではないので間違っている可能性もあります。
※2 本来は幼稚園・保育園という縦割り行政の象徴みたいな2種類の施設ではなく、それらを一度解体して「こども園」という簡明な制度にするべきだったものが、両省の既存の制度と整合するのが困難だったために、いわば2階建て部分としての「認定こども園」制度を作ったことに失敗の原因があると思う。
【2015.7.2アップデート】タイトルを改めました。 「南さつま市まち・ひと・しごと創生総合戦略へ向けて(その1)」→(その2)→(その3)と続くとわかりにくかったので。
2015年6月27日土曜日
かぼちゃは何のために実るのか
かぼちゃは、何のために実るのだろうか?
次世代を残すためでしょ? と思うかもしれないが、ちょっと他の植物のことを考えてみよう。植物が実るのは何のためなのか。
例えばイモ類。イモ類が土の中に丸いイモを作るのは、数ヶ月後の次のシーズンまで生き残るためのタイムカプセルのようなものである。
例えば果樹類。多くの果樹は元々は鳥や動物に食べられてフンとして排出してもらうためで、自分では移動できない植物の移動手段になっている。
もちろんこのように単純には分からない植物も多い。人間が植物を栽培し始めてから約1万年も経っているので野生の形質がほとんど残っていない植物もある。例えばトウガラシなんかは何のために実るのか私にもよくわからない。あれを食べる動物はいないと思うが…。
で、かぼちゃである。かぼちゃの実は何のために成るんだろうか? 正確に言えば、かぼちゃの原種はどのような生存戦略の下で実をならせていたのだろうか?
かぼちゃが栽培植物化されたのはメソアメリカ(メキシコあたり)で、約1万年も前のことである。実はかぼちゃは最古期から栽培されている植物の一つなのだ。
この頃のかぼちゃ原種(正確にはペポカボチャの原種)の果肉は食べられなかったらしい。では何のためにこれを古代人は育てたのかというと、かぼちゃの種を食べていたのだ。そう、かぼちゃは元々種を食べる野菜だった。それから果皮を乾燥させて容れ物にしていた。今で言う瓢箪みたいなものらしい。オルメカ文明やアステカ文明の遺物には、かぼちゃ型の土器や石器が存在するが、これはかぼちゃを容れ物に使っていたことの象徴である。
話を戻すと、要するに、元々かぼちゃというのは果肉は食べられないものだった。
で、ここからは私の推測なのだが、かぼちゃの実は動物に食べられるためではなく、種が発芽する際の栄養パックとして存在したのではないだろうか。つまりかぼちゃの果肉は「肥料」だということだ。
実はかぼちゃというのは大変に肥料分を必要とする。普通の野菜というのは、最初はちょっと痩せたところで発芽させて徐々に追肥していく方が調子がいいように思うのだが、かぼちゃの場合はたくさんの元肥(特に有機質肥料)をあげて肥満気味に育てるのがよいようである。これは野生の頃から変わっていない性質なのかもしれず、そのために肥料分がぎっしり詰まった果肉が存在したのだろう。
つまり、かぼちゃの果肉は腐って肥料になるために存在しており、元々(動物にも!)食べられるものではなかったのかもしれないということだ。そういえばかぼちゃ類は腐ると悪臭を放ち、大抵の動物は寄りつかないがこれは種を食害から保護するための策なのかもしれない。
いつの頃にかぼちゃの果肉が美味しくなるという突然変異が起こったのかはよくわからない。かぼちゃの系統関係というのも、意外と錯綜としていて不明である。日本ではかぼちゃは「西洋カボチャ」「日本カボチャ」「ペポカボチャ」の3つに大きく分かれると書いている資料が多いがこれは日本独自の分類(!)で、英語資料ではこういう分類は見たことがない。
といっても英語圏でも系統的にかぼちゃが分類されているわけではなく、古い古い栽培植物だからその遺伝関係はもうわけがわらからなくなっているのかもしれない。ただ慣用的には、summer squash, winter squash の大きく2つに分けて認識されており、日本で言うセイヨウカボチャは winter squash の acorn squash に当たるようである(これは誰も言っていないようなので間違いかもしれませんが)。
こんな風に、「かぼちゃは何のために実るのか」などということを考えても農業そのものにはあまり役に立たないが、農作業をしながらこういう無駄なことを考えるというのも農業の醍醐味かもしれない。
※冒頭画像はこちらのサイトからお借りしました。→ The Olmec Effigy Vessels
【参考文献】
"The Initial Domestication of Cucurbita pepo in the Americas 10,000 Years Ago" 1997 Bruce D. Smith
次世代を残すためでしょ? と思うかもしれないが、ちょっと他の植物のことを考えてみよう。植物が実るのは何のためなのか。
例えばイモ類。イモ類が土の中に丸いイモを作るのは、数ヶ月後の次のシーズンまで生き残るためのタイムカプセルのようなものである。
例えば果樹類。多くの果樹は元々は鳥や動物に食べられてフンとして排出してもらうためで、自分では移動できない植物の移動手段になっている。
もちろんこのように単純には分からない植物も多い。人間が植物を栽培し始めてから約1万年も経っているので野生の形質がほとんど残っていない植物もある。例えばトウガラシなんかは何のために実るのか私にもよくわからない。あれを食べる動物はいないと思うが…。
で、かぼちゃである。かぼちゃの実は何のために成るんだろうか? 正確に言えば、かぼちゃの原種はどのような生存戦略の下で実をならせていたのだろうか?
かぼちゃが栽培植物化されたのはメソアメリカ(メキシコあたり)で、約1万年も前のことである。実はかぼちゃは最古期から栽培されている植物の一つなのだ。
この頃のかぼちゃ原種(正確にはペポカボチャの原種)の果肉は食べられなかったらしい。では何のためにこれを古代人は育てたのかというと、かぼちゃの種を食べていたのだ。そう、かぼちゃは元々種を食べる野菜だった。それから果皮を乾燥させて容れ物にしていた。今で言う瓢箪みたいなものらしい。オルメカ文明やアステカ文明の遺物には、かぼちゃ型の土器や石器が存在するが、これはかぼちゃを容れ物に使っていたことの象徴である。
話を戻すと、要するに、元々かぼちゃというのは果肉は食べられないものだった。
で、ここからは私の推測なのだが、かぼちゃの実は動物に食べられるためではなく、種が発芽する際の栄養パックとして存在したのではないだろうか。つまりかぼちゃの果肉は「肥料」だということだ。
実はかぼちゃというのは大変に肥料分を必要とする。普通の野菜というのは、最初はちょっと痩せたところで発芽させて徐々に追肥していく方が調子がいいように思うのだが、かぼちゃの場合はたくさんの元肥(特に有機質肥料)をあげて肥満気味に育てるのがよいようである。これは野生の頃から変わっていない性質なのかもしれず、そのために肥料分がぎっしり詰まった果肉が存在したのだろう。
つまり、かぼちゃの果肉は腐って肥料になるために存在しており、元々(動物にも!)食べられるものではなかったのかもしれないということだ。そういえばかぼちゃ類は腐ると悪臭を放ち、大抵の動物は寄りつかないがこれは種を食害から保護するための策なのかもしれない。
いつの頃にかぼちゃの果肉が美味しくなるという突然変異が起こったのかはよくわからない。かぼちゃの系統関係というのも、意外と錯綜としていて不明である。日本ではかぼちゃは「西洋カボチャ」「日本カボチャ」「ペポカボチャ」の3つに大きく分かれると書いている資料が多いがこれは日本独自の分類(!)で、英語資料ではこういう分類は見たことがない。
といっても英語圏でも系統的にかぼちゃが分類されているわけではなく、古い古い栽培植物だからその遺伝関係はもうわけがわらからなくなっているのかもしれない。ただ慣用的には、summer squash, winter squash の大きく2つに分けて認識されており、日本で言うセイヨウカボチャは winter squash の acorn squash に当たるようである(これは誰も言っていないようなので間違いかもしれませんが)。
こんな風に、「かぼちゃは何のために実るのか」などということを考えても農業そのものにはあまり役に立たないが、農作業をしながらこういう無駄なことを考えるというのも農業の醍醐味かもしれない。
※冒頭画像はこちらのサイトからお借りしました。→ The Olmec Effigy Vessels
【参考文献】
"The Initial Domestication of Cucurbita pepo in the Americas 10,000 Years Ago" 1997 Bruce D. Smith
2015年6月19日金曜日
子どもへ読み聞かせる日本の昔話
本と出会うイベント、の構想を書いたので本の話もしてみよう。
毎晩、私は子どもたちに本を読んであげる。下の子はまだ2歳なのでごく簡単な絵本だが、上の子は5歳なので絵本だけでなく文字だけの本も読み聞かせしている。別に子どもの教育のためにということではなくて、寝る前の儀式みたいなもので読むのはなんでもいいのだが、どうせ読むなら自分自身が面白い方がよい。
それで、日本の昔話を一度ちゃんと読んでみたいと思っていたので、昨年『日本の昔話1 はなさかじい』という本を買った。おざわとしお先生の再話である。
多くの昔話の本がある中でこの本を選んだのにはいくつか理由がある。
まず、このシリーズは伝承された話を忠実に再現(再話といいます)していて創作や脚色がない。他のお手軽な日本昔話本は話を簡略化していたり、当時の道具を(子どもには理解できないといって)出さなかったり、現代の倫理観から結末が変わるなどヘンテコな改変があってよくない。その点このシリーズは採録された話をそのままの形で提示しようとしており、ちゃんと出典が明示されていて信用できる(ただし採録されたそのままの姿ではなく、標準語に改変している。昔話はずっとお国言葉・方言で語られてきた)。
ただ、やっぱり子どもにはちょっと難しい言葉も出てくる。一番難しいのは昔の道具の名前で、「長持」とか「かます(ムシロで作った袋)」なんかは今の子どもは絶対に分からない。が、そういう言葉が出てきても子どもは驚異的な言語感覚によって「なんか入れるための道具だな」くらいのことはちゃーんと推測できるので、実は読み聞かせにはあまり支障はない。
そしてこの本を選んだ理由のその2は、再話しているおざわとしお(小澤俊夫)さんである。実は私はこの小澤先生がFM福岡でやっているラジオ「昔話へのご招待」をPodcastで愛聴していて、農作業中によく聞いているのだ。
小澤先生は元は大学教授でドイツ文学が専門。メルヒェンなどドイツの口承文学を研究するうち昔話に魅せられ日本の昔話も採録・研究するようになった。大学退官後、全国で「昔ばなし大学」という市民講座的なものを立ち上げ、小澤昔ばなし研究所を主宰。民俗学的な考察など学究的アプローチもある一方で、子どもへ昔話を語る活動もあり、アカデミアと草の根の両輪で活躍されている方である。
ちなみに小澤先生の弟が有名な指揮者の小澤征爾さんであり、息子さんはミュージシャンの小澤健二さん。他にも小澤一族には学術と芸術の分野で著名な人がたくさんいる。
ラジオではこの小澤先生が昔話にまつわるアレコレを語るわけだが、その内容は雑学的なものというよりも、究極的には「子どもにどう向き合うか」という話になっていく。その語り口は、「この人は本当に子どもが好きで、子どもが成長していくことに全幅の信頼を置いているんだなあ」と思わされるもので、それだけでこのラジオは気持ちがいい。
翻って自分のことを考えてみると、子どもをぞんざいに扱っている時もあり反省させられる。だからせめて寝る前の読み聞かせくらい毎日欠かさずしたいと思う。このシリーズは5巻で300の話が再話されていて、今のところ2巻の『したきりすずめ』までほぼ全部の話を一度は読んだが、本当に毎日読んでいたら300の話があと2年くらいで全部読めそうである(でも実際には毎日というわけではないです)。
ところで先日ブックオフに行ったら『初版グリム童話集 ベストセレクション』という本が200円で売っていたので買ってみた。小澤先生が昔話の世界に入るきっかけとなったグリム童話である。ついでに言えば、「元の話を改変しない。脚色しない。そのままの形で採録する」というような本シリーズの方針は、実は既にグリム兄弟が打ち出していたもので、グリム兄弟はちゃんと出典(どこどこ地方の誰さんにいつ聞いた話か)まで残している。グリム兄弟はものすごく先駆的な仕事をした人たちなんだということも小澤先生のラジオで知った。
それはともかく、やはりまだグリム童話はうちの子には難しかったようである。日本語訳もあまりよくなく、もうちょっと平明な訳の方がよかった(童話なんだから平明に訳して欲しい)。それに文化の違いなのか、なんだかストーリーがしっくりこないところがあって、私にも意味がよくわからない話があった(なんでそこがそうなるのー! とツッコミを入れたいような話が多い)。
というわけで、まずはやっぱり日本の昔話から読み聞かせを続けたい。
毎晩、私は子どもたちに本を読んであげる。下の子はまだ2歳なのでごく簡単な絵本だが、上の子は5歳なので絵本だけでなく文字だけの本も読み聞かせしている。別に子どもの教育のためにということではなくて、寝る前の儀式みたいなもので読むのはなんでもいいのだが、どうせ読むなら自分自身が面白い方がよい。
それで、日本の昔話を一度ちゃんと読んでみたいと思っていたので、昨年『日本の昔話1 はなさかじい』という本を買った。おざわとしお先生の再話である。
多くの昔話の本がある中でこの本を選んだのにはいくつか理由がある。
まず、このシリーズは伝承された話を忠実に再現(再話といいます)していて創作や脚色がない。他のお手軽な日本昔話本は話を簡略化していたり、当時の道具を(子どもには理解できないといって)出さなかったり、現代の倫理観から結末が変わるなどヘンテコな改変があってよくない。その点このシリーズは採録された話をそのままの形で提示しようとしており、ちゃんと出典が明示されていて信用できる(ただし採録されたそのままの姿ではなく、標準語に改変している。昔話はずっとお国言葉・方言で語られてきた)。
ただ、やっぱり子どもにはちょっと難しい言葉も出てくる。一番難しいのは昔の道具の名前で、「長持」とか「かます(ムシロで作った袋)」なんかは今の子どもは絶対に分からない。が、そういう言葉が出てきても子どもは驚異的な言語感覚によって「なんか入れるための道具だな」くらいのことはちゃーんと推測できるので、実は読み聞かせにはあまり支障はない。
そしてこの本を選んだ理由のその2は、再話しているおざわとしお(小澤俊夫)さんである。実は私はこの小澤先生がFM福岡でやっているラジオ「昔話へのご招待」をPodcastで愛聴していて、農作業中によく聞いているのだ。
小澤先生は元は大学教授でドイツ文学が専門。メルヒェンなどドイツの口承文学を研究するうち昔話に魅せられ日本の昔話も採録・研究するようになった。大学退官後、全国で「昔ばなし大学」という市民講座的なものを立ち上げ、小澤昔ばなし研究所を主宰。民俗学的な考察など学究的アプローチもある一方で、子どもへ昔話を語る活動もあり、アカデミアと草の根の両輪で活躍されている方である。
ちなみに小澤先生の弟が有名な指揮者の小澤征爾さんであり、息子さんはミュージシャンの小澤健二さん。他にも小澤一族には学術と芸術の分野で著名な人がたくさんいる。
ラジオではこの小澤先生が昔話にまつわるアレコレを語るわけだが、その内容は雑学的なものというよりも、究極的には「子どもにどう向き合うか」という話になっていく。その語り口は、「この人は本当に子どもが好きで、子どもが成長していくことに全幅の信頼を置いているんだなあ」と思わされるもので、それだけでこのラジオは気持ちがいい。
翻って自分のことを考えてみると、子どもをぞんざいに扱っている時もあり反省させられる。だからせめて寝る前の読み聞かせくらい毎日欠かさずしたいと思う。このシリーズは5巻で300の話が再話されていて、今のところ2巻の『したきりすずめ』までほぼ全部の話を一度は読んだが、本当に毎日読んでいたら300の話があと2年くらいで全部読めそうである(でも実際には毎日というわけではないです)。
ところで先日ブックオフに行ったら『初版グリム童話集 ベストセレクション』という本が200円で売っていたので買ってみた。小澤先生が昔話の世界に入るきっかけとなったグリム童話である。ついでに言えば、「元の話を改変しない。脚色しない。そのままの形で採録する」というような本シリーズの方針は、実は既にグリム兄弟が打ち出していたもので、グリム兄弟はちゃんと出典(どこどこ地方の誰さんにいつ聞いた話か)まで残している。グリム兄弟はものすごく先駆的な仕事をした人たちなんだということも小澤先生のラジオで知った。
それはともかく、やはりまだグリム童話はうちの子には難しかったようである。日本語訳もあまりよくなく、もうちょっと平明な訳の方がよかった(童話なんだから平明に訳して欲しい)。それに文化の違いなのか、なんだかストーリーがしっくりこないところがあって、私にも意味がよくわからない話があった(なんでそこがそうなるのー! とツッコミを入れたいような話が多い)。
というわけで、まずはやっぱり日本の昔話から読み聞かせを続けたい。
2015年6月15日月曜日
景色の中で本と出会うイベントをやったら楽しそう
こちらに越してきて3年と半年。ようやく本を読む余裕が出てきた。
いや、実を言うと相変わらず生活には余裕がない。本なんか読んでる暇があったらやるべきことが本当はたくさんある。が、そういう諸々の些事をうっちゃって本でも読んじゃおうか…、という精神的余裕(横着ともいう)が出てきた。いいことなのか悪いことなのか。
もちろんこの3年半の間も全く読書をしていなかったわけではないけれども、必要だから読む本とか、調べ物をするために読む本が多く、要は目的のある読書がほとんどだった。でも最近、何の役にも立たない本を読む気になってきた。例えば詩集とか。
それで、ただ自分がなんとなく本を読むだけでなくて、本にまつわる何か(イベント?)をできないかと考えるようになった。
都会では本をテーマにしたイベントが割とあって、読書会、ブクブク交換(物々交換のもじりで本の交換)、ビブリオバトル(本のオススメ合戦)といった草の根のイベントから、数年前の話にはなるが松岡正剛氏のブック・パーティ・スパイラル(本をテーマにした講演+社交会)みたいなハイソサイエティの取り組みまで様々なものがある。
でも、当たり前だが田舎にはそういうものがない。田舎の人は都会の人に比べて総じて本を読まないというのは多分本当で、予算が少ないにしても図書館の貧弱さは目を覆うばかりだし(もちろん自治体によります)、書店・古書店も本当に少ない。でも田舎の人が本を読まないというのは知的レベルの問題ではなくて、ただ「電車通勤」がないからだというのが私の仮説である。
当たり前のことだけど、田舎にも読書家はいるし、何かよい本があれば読みたいというくらいに思っている人はたくさんいる、と思う。そして、自分の世界を広げてくれるような本や体験を待っている人もそれなりにいる。少なくとも私自身はそう思っている。私はたいそうな読書家というわけではないし、愛書家でもないけれども、「本と出会う」のは好きである。そういうイベントをしたら自分も楽しいし喜ぶ人もいるかもしれない。
ただ、良書を探すというような単純な話になると、別に田舎とか都会とか関係ないし、インターネット上で探す方が効率がいい。ひょっとすると、Amazonのオススメ機能くらいで事足りるのかもしれない。
つまり、ただ「情報」を目的とするなら「田舎」でやる意味はない。それは都会でやっていることのミニチュア版をやるだけの取り組みになってしまいそうな気がする。
それに価値がないというわけではないだろうが、でもせっかく田舎で何かやるなら、都会ではできないようなことをした方がもっと楽しい。
例えば、本に関するイベントをするのでも、景色の素晴らしいところでやってみるとか。景色と本は全然関係ないでしょ、と思うのは早計だ。本というのはただ情報が詰め込まれた紙の束ではなくて、人格と同じように「本格」がある。その本とどこでどうやって(誰の紹介で!)出会ったのかというのは意外と(どころではなく超弩級に)重要だ。
そう考えると、昨年やった「笠沙美術館で珈琲を飲む会」のvol.2(今年も是非やりたい)のテーマとして「本」を取り上げたら面白いかもしれないと思いついた。実は去年のvol.1の時も、古書店に出張販売してもらう構想はあったのだ。だが、雨天の時の対応が大変なのと直前まで決まらなかったいろいろなことがあってできなかった。
今年はこの構想をもう少しちゃんと考えて、笠沙美術館で珈琲を飲みつつ景色と本を眺める会にしてみよう。日本のコーヒー文化では、「コーヒーと(JAZZと)古本」が分かちがたく結びついているので筋はいいはずである。ついでに、あとJAZZがあれば最高だ。
というわけで、何かボンヤリと企画のアイデアがあるが、でもやっぱりボンヤリとして茫洋としている段階である。もしグッドアイデア(やご希望)があればドシドシお寄せください(他力本願)。
いや、実を言うと相変わらず生活には余裕がない。本なんか読んでる暇があったらやるべきことが本当はたくさんある。が、そういう諸々の些事をうっちゃって本でも読んじゃおうか…、という精神的余裕(横着ともいう)が出てきた。いいことなのか悪いことなのか。
もちろんこの3年半の間も全く読書をしていなかったわけではないけれども、必要だから読む本とか、調べ物をするために読む本が多く、要は目的のある読書がほとんどだった。でも最近、何の役にも立たない本を読む気になってきた。例えば詩集とか。
それで、ただ自分がなんとなく本を読むだけでなくて、本にまつわる何か(イベント?)をできないかと考えるようになった。
都会では本をテーマにしたイベントが割とあって、読書会、ブクブク交換(物々交換のもじりで本の交換)、ビブリオバトル(本のオススメ合戦)といった草の根のイベントから、数年前の話にはなるが松岡正剛氏のブック・パーティ・スパイラル(本をテーマにした講演+社交会)みたいなハイソサイエティの取り組みまで様々なものがある。
でも、当たり前だが田舎にはそういうものがない。田舎の人は都会の人に比べて総じて本を読まないというのは多分本当で、予算が少ないにしても図書館の貧弱さは目を覆うばかりだし(もちろん自治体によります)、書店・古書店も本当に少ない。でも田舎の人が本を読まないというのは知的レベルの問題ではなくて、ただ「電車通勤」がないからだというのが私の仮説である。
当たり前のことだけど、田舎にも読書家はいるし、何かよい本があれば読みたいというくらいに思っている人はたくさんいる、と思う。そして、自分の世界を広げてくれるような本や体験を待っている人もそれなりにいる。少なくとも私自身はそう思っている。私はたいそうな読書家というわけではないし、愛書家でもないけれども、「本と出会う」のは好きである。そういうイベントをしたら自分も楽しいし喜ぶ人もいるかもしれない。
ただ、良書を探すというような単純な話になると、別に田舎とか都会とか関係ないし、インターネット上で探す方が効率がいい。ひょっとすると、Amazonのオススメ機能くらいで事足りるのかもしれない。
つまり、ただ「情報」を目的とするなら「田舎」でやる意味はない。それは都会でやっていることのミニチュア版をやるだけの取り組みになってしまいそうな気がする。
それに価値がないというわけではないだろうが、でもせっかく田舎で何かやるなら、都会ではできないようなことをした方がもっと楽しい。
例えば、本に関するイベントをするのでも、景色の素晴らしいところでやってみるとか。景色と本は全然関係ないでしょ、と思うのは早計だ。本というのはただ情報が詰め込まれた紙の束ではなくて、人格と同じように「本格」がある。その本とどこでどうやって(誰の紹介で!)出会ったのかというのは意外と(どころではなく超弩級に)重要だ。
そう考えると、昨年やった「笠沙美術館で珈琲を飲む会」のvol.2(今年も是非やりたい)のテーマとして「本」を取り上げたら面白いかもしれないと思いついた。実は去年のvol.1の時も、古書店に出張販売してもらう構想はあったのだ。だが、雨天の時の対応が大変なのと直前まで決まらなかったいろいろなことがあってできなかった。
今年はこの構想をもう少しちゃんと考えて、笠沙美術館で珈琲を飲みつつ景色と本を眺める会にしてみよう。日本のコーヒー文化では、「コーヒーと(JAZZと)古本」が分かちがたく結びついているので筋はいいはずである。ついでに、あとJAZZがあれば最高だ。
というわけで、何かボンヤリと企画のアイデアがあるが、でもやっぱりボンヤリとして茫洋としている段階である。もしグッドアイデア(やご希望)があればドシドシお寄せください(他力本願)。
2015年6月12日金曜日
アボカドを植えました。が…
予定していた開墾が「一応」終わってアボカドの苗を植えた。これで約120本アボカドを栽培していることになる。
「一応」というのは、予定地全てを借り受けることが出来なかったからである。もちろん全て内諾は取っていたのだが、いざ契約(使用貸借契約)の段になって、ある地主さんが「やっぱり貸せない」と役場に言ってきたそうだ。
理由は(直接聞いていないので)よく分からないが、「自分も長くないので10年間の契約だとどうなるかわからないから」というようなことだったらしい。「2、3年だったら大丈夫なんだが」とのこと。
こういう、耕作放棄地だったようなところが(仮に管理者が亡くなったとしても)10年そこらでどうこうなるものでもないと思うので(そもそも20年以上耕作放棄地で荒れっぱなしだったのに!)、その理由はいまいちピンと来ないのだが地主さんがそう言ってるんでは手も足もでない。
なので、予定地が500㎡ほど狭くなって、予定した本数を全て植えることができなかった。苗木は既に発注した後だったのでベーコンという品種が8本余ってしまった。うーん、この8本をどうしよう。たぶん定植後に2本くらい枯れるので、2本は予備としても6本余る。1本4200円するので無駄にはできない。
とりあえず暫くはポットで栽培して補植に備えつつ、もし必要な人が近所にいたらお分けすることにしたいと思う。ちなみにこの品種だけで植えてもなかなか実がならないはずなので、もし植えたいという人は受粉樹は自分で用意してください。
「一応」というのは、予定地全てを借り受けることが出来なかったからである。もちろん全て内諾は取っていたのだが、いざ契約(使用貸借契約)の段になって、ある地主さんが「やっぱり貸せない」と役場に言ってきたそうだ。
理由は(直接聞いていないので)よく分からないが、「自分も長くないので10年間の契約だとどうなるかわからないから」というようなことだったらしい。「2、3年だったら大丈夫なんだが」とのこと。
こういう、耕作放棄地だったようなところが(仮に管理者が亡くなったとしても)10年そこらでどうこうなるものでもないと思うので(そもそも20年以上耕作放棄地で荒れっぱなしだったのに!)、その理由はいまいちピンと来ないのだが地主さんがそう言ってるんでは手も足もでない。
なので、予定地が500㎡ほど狭くなって、予定した本数を全て植えることができなかった。苗木は既に発注した後だったのでベーコンという品種が8本余ってしまった。うーん、この8本をどうしよう。たぶん定植後に2本くらい枯れるので、2本は予備としても6本余る。1本4200円するので無駄にはできない。
とりあえず暫くはポットで栽培して補植に備えつつ、もし必要な人が近所にいたらお分けすることにしたいと思う。ちなみにこの品種だけで植えてもなかなか実がならないはずなので、もし植えたいという人は受粉樹は自分で用意してください。
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