自家用のスモモが収穫時期だ。
スモモというと「酸桃」という字から連想されるように酸っぱいという印象を持つ人が多く、事実昔のスモモは酸っぱかったらしいが、近年の栽培種は爽やかな甘さで大変美味しい。
ただし、スモモは非常に傷みやすいため、商品として売る場合は完熟する前に収穫することが多い。そのため販売されているスモモはやや酸っぱいものが多いようだ。
ともかく、傷みやすいというのは市場流通の上では致命的で、運んでいるうちに商品価値が下がってしまうようなものは卸売りが手を出したがらないのは当然である。そのため、スモモというと誰でも知っている身近な果物だが、実は他の主要果実に比べ生産量が桁一つ少なく、約2万トン/年ほどしかない。あまり日本産がないキウイフルーツでも3万トン/年くらいあるわけで、実はとても貴重な果物なのだ(※1)。
実際、ネットショッピングだと1キロあたり2000円以上するような高級スモモばかりが見つかるが、普通のスモモを細心の注意を払って冷蔵輸送するのは割が合わないためだと思う。そういう事情から、安くて美味しいスモモは産地でないと手に入りにくい。
しかも、スモモは山梨・和歌山・長野・山形の4県で生産量の約8割を占めており、全国で栽培可能なのにも関わらずなぜか産地がかなり偏っている。そんな事情から、スモモは多くの人に身近に感じられながら、実際にはほとんど食べられない果物、という不思議な存在だ。
しかし、ここ大浦町では以前スモモ栽培を奨励して苗を配ったことがあるとかで(※2)、多くのスモモが栽培されているらしい。そのため、地元の物産館(大浦ふるさと館)ではシーズンになると1キロあたり250円というかなりの低価格でスモモが売り出されるという。地元の人はこの低価格を当然と思っているが、実はここはスモモの穴場なのではないだろうか。
私も、自家用やおすそわけで消費できない分を「大浦ふるさと館」で売っているが、なかなか市場流通しない樹上完熟・無農薬栽培のスモモを一袋(500g)150円で出している。樹上完熟させたスモモの美味しさは格別で、自分でいうのも何だが1キロあたり300円というのは相当にお買い得だと思う。本当に「大浦ふるさと館」がスモモの穴場として情報通に知られるようになったら面白いのだが。
(※1)ちなみに、以前ビワのことを「全国的には希少」と書いたが、ビワの生産量はさらに桁一つ少なく、5000トン/年くらいである。ビワは暖地でないと育たないのだが、スモモは日本では比較的どこでも栽培可能であることが、この差を生んでいると思う。しかしスモモと同様に傷みやすいビワの場合は、輸送に有利な大都市近郊が産地となっているのに、スモモの産地はそういうことはなく、どうして本文中の4県が産地になったのか不思議だ。
(※2)間違っているかもしれない。未詳。
2012年6月13日水曜日
2012年6月12日火曜日
『果樹栽培の基礎』
本日も雨なので農業の勉強。ということで『果樹栽培の基礎 (農学基礎セミナー)
』(杉浦 明 編著)を読む。
先日読んだ『農業の基礎』と同じく、基本的な考え方を学ぶ本であり、もとは高校の果樹の教科書として執筆されたものということで実践的ではなく、具体の栽培技術については概念的に書かれている程度である。
その内容は、まずは果樹生産の歴史や世界的状況を外観し(第1章)、果樹の生長や果実肥大の仕組みについて解説してから(第2章)、果樹管理の基礎的な技術(剪定、施肥、灌水、施設栽培、加工など)を述べる(第3章)。そして後半は、落葉果樹の栽培・利用法(第4章)、常緑果樹の栽培・利用法(第5章)について概説する、というもの。落葉果樹としては、リンゴ、ナシ、ブドウ、カキ、モモ、スモモ、オウトウ、ウメ、クリ、キウイフルーツ、ブルーベリー、イチジクが取り上げられており、常緑果樹ではカンキツとビワである。
『農業の基礎』と比べて気づくことは、果樹では施肥などの管理にあまり厳密さを求めていないことで、施肥量については『農業の基礎』では複雑な計算式を使って求めていたのに、本書では「果樹のような永年作物では、この算出はきわめて困難である。(中略)標準施肥量を与えてみて、そのときの木の栄養状態をみてかげんする」(p.53)という一見おおざっぱなやり方になっている。
これは、計算式による施肥量の算出が難しいことも一因ではあるが、一回限りの収穫となる一年草の野菜と違い、果樹のような永年作物では、樹勢・樹齢・目的とする樹形などに応じて経年的に管理していく必要があるからだと思う。つまり、計算式に基づいた管理より、樹勢や収量を見ながらの状況に応じた管理が重要になるわけだ。
ちなみに、いろいろな果樹の管理法をざっと眺めていて取り組んでみたいと思ったのは、クリの栽培だ。その理由は、所用労働時間が極端に短いことによる。主要な果樹は年200〜300時間(10aあたり)の労働を要するが、クリでは年100時間を切る。ということで、アクセスのよくない山林に植えるのはぴったりな気がする。放置林になっているうちの山(どこにあるかもよく分からない)をクリ林として活用出来たら面白い。
先日読んだ『農業の基礎』と同じく、基本的な考え方を学ぶ本であり、もとは高校の果樹の教科書として執筆されたものということで実践的ではなく、具体の栽培技術については概念的に書かれている程度である。
その内容は、まずは果樹生産の歴史や世界的状況を外観し(第1章)、果樹の生長や果実肥大の仕組みについて解説してから(第2章)、果樹管理の基礎的な技術(剪定、施肥、灌水、施設栽培、加工など)を述べる(第3章)。そして後半は、落葉果樹の栽培・利用法(第4章)、常緑果樹の栽培・利用法(第5章)について概説する、というもの。落葉果樹としては、リンゴ、ナシ、ブドウ、カキ、モモ、スモモ、オウトウ、ウメ、クリ、キウイフルーツ、ブルーベリー、イチジクが取り上げられており、常緑果樹ではカンキツとビワである。
『農業の基礎』と比べて気づくことは、果樹では施肥などの管理にあまり厳密さを求めていないことで、施肥量については『農業の基礎』では複雑な計算式を使って求めていたのに、本書では「果樹のような永年作物では、この算出はきわめて困難である。(中略)標準施肥量を与えてみて、そのときの木の栄養状態をみてかげんする」(p.53)という一見おおざっぱなやり方になっている。
これは、計算式による施肥量の算出が難しいことも一因ではあるが、一回限りの収穫となる一年草の野菜と違い、果樹のような永年作物では、樹勢・樹齢・目的とする樹形などに応じて経年的に管理していく必要があるからだと思う。つまり、計算式に基づいた管理より、樹勢や収量を見ながらの状況に応じた管理が重要になるわけだ。
ちなみに、いろいろな果樹の管理法をざっと眺めていて取り組んでみたいと思ったのは、クリの栽培だ。その理由は、所用労働時間が極端に短いことによる。主要な果樹は年200〜300時間(10aあたり)の労働を要するが、クリでは年100時間を切る。ということで、アクセスのよくない山林に植えるのはぴったりな気がする。放置林になっているうちの山(どこにあるかもよく分からない)をクリ林として活用出来たら面白い。
2012年6月11日月曜日
(大好きな)シロアリが来襲…!
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シロアリのカップルが成立するところ |
今春、シロアリ防除はしたので、うちで発生したわけではなくて、どこからか飛来したシロアリの群れが侵入したということになるが、すごい数である。
1畳あたり10匹以上はいる。どこでも目を向ければ必ずシロアリが歩いているという風情でなんとも居心地が悪い。
最初のうちは、せっせと取り除いていたが、余りに数が多く、取っても取っても湧いて出てくるので、もはや戦意喪失してしまった。目に見えるところにこれだけいるので、天井裏などはものすごい数だろうし、百匹二百匹殺したところで大同小異だ。防除はしているので、きっと家には居着かないだろう(と信じているが、そうでなかったらどうしよう…)。
ところで、シロアリというのは面白い昆虫で、他の生物が食糧として利用できない木質(リグノセルロースというセルロースやリグニン等の複合体)のみを養分として生きている。リグノセルロースというのは人間が化学的手法を使っても分解が難しい物質なのだが、シロアリは体内に非常に特殊なバクテリアたち(※)を飼っていて、このバクテリアたちに木質を分解させることによってこれを栄養化する。しかもこのバクテリアたちは、なんとシロアリの体内にしか棲息しておらず、シロアリの体外では(今のところ)培養できないという本当に変わった連中である。
分解が難しい木質を食糧とすることから、シロアリは木質の分解者として自然界の炭素循環における非常に重要な地位を占めており、仮にシロアリが不在であったら、地球上は倒木だらけであったろうと言われるほどだ。ちなみにシロアリの起源は、植物が本格的に木質を獲得したのと同じくらい古く、約3億年前に遡る。もしかしたら、シロアリと木は共進化したのかもしれない。
さらに面白いのは、シロアリはその全種が真社会性だということだ。「真社会性」というのは生物学の用語で、ごく簡単に言えば「群れに階級が存在し、特にその中に不妊の階級がある」ということだ。つまり群れには子孫を残せない集団がいて、そいつらは一生を働くだけで終わる。なんだか切ない話だが、生物学的には非常に面白い性質である。
そんなわけでシロアリには昔から関心があり、できることなら巣を継続的に観察したいくらいなのだが、うちは築百年近い純木造住宅なので、もし本当にシロアリが居着けば、ひとたまりもない。そもそも、窓も開けていないのにシロアリの群れが家の中に入ってくるくらい隙間だらけなのがまず問題で、うちにはシロアリ以外にもいろんな昆虫やなんだか正体がわからない生物(?)がたくさん居候している。家内は「こんなに棲みつくなら家賃を払って欲しい」とぼやいていたが、正直、シロアリには仮に家賃を払ってくれても棲みついて欲しくないと思う。
(※)正確にはバクテリアだけでなくて、原生生物も含む。
【参考文献】
「シロアリ腸内原生生物と原核生物の細胞共生」2011年、本郷裕一
2012年6月5日火曜日
「科学的な農業」の基本的考え方を学ぶ本
6月4日に南九州は梅雨入りし、雨模様の天気である。というわけで『新版 農業の基礎 (農学基礎セミナー)』で農業の基本についてお勉強。
本来は、もっと早くに(就農前に)こういう本を読んでいるべきなのだが、とりあえず動いてから考えるという性分なので今になってしまった。
内容は、まず栽培・飼育技術の基礎となる環境や管理法の総論から始め(第1章)、主要植物の栽培法を概説し(第2章)、家畜の飼育の総説を述べ、イヌ、ニワトリ、マウスの飼育法を概説する(第3章)。最後に「農業・農村と私たちの暮らし」と題し農業を巡る趨勢や農業に期待されている役割を述べて終わる(第4章)。
書名に「基礎」と銘打っているだけあって、具体的な栽培技術などはあまり書かれておらず、第2章の栽培法の概説も、農業の考え方を説明するために具体例を引いているという位置づけに思える。つまり本書は栽培技術の基盤となる基本的考え方を学ぶ本なのだが、その大きなメッセージは「科学的な農業を行うためにはどうすればよいか」ということに尽きる。
それを要約すれば、「栽培植物の特性をよく理解して環境を整え、収量の目標を定めて適切な施肥を行い、生育をつぶさに観察して記録し、収穫時には栽培の結果をまとめて評価と反省を行い、次年度の課題を設定する」ということになるだろう。それ自体は、ずっと昔から行われてきたこととは思うが、例えば生育の観察を厳密に行うには科学実験のような記録が必要なように、なんでも厳密に実践しようと思えば科学的にならざるを得ない。
本書では、特に「科学的な農業」という言葉は出てこないが、最小の労力で最大の効果を挙げようとすれば、自然に科学的になっていくのだということが、行間に読み取れる。例えば、限られた紙幅の中であえて一般的でない「マウス」の飼育法を説明しているあたりに著者の科学性へのこだわりを感じることが出来るだろう。
よく「これからの農業は知識集約産業」というようなことが言われるが、本書で当然のように説明されているこのような農業は、農家全員ができるものではないような気がする。というか、私自身、ここまで厳密な管理に基づく農業をする自信が持てないのであった。
本来は、もっと早くに(就農前に)こういう本を読んでいるべきなのだが、とりあえず動いてから考えるという性分なので今になってしまった。
内容は、まず栽培・飼育技術の基礎となる環境や管理法の総論から始め(第1章)、主要植物の栽培法を概説し(第2章)、家畜の飼育の総説を述べ、イヌ、ニワトリ、マウスの飼育法を概説する(第3章)。最後に「農業・農村と私たちの暮らし」と題し農業を巡る趨勢や農業に期待されている役割を述べて終わる(第4章)。
書名に「基礎」と銘打っているだけあって、具体的な栽培技術などはあまり書かれておらず、第2章の栽培法の概説も、農業の考え方を説明するために具体例を引いているという位置づけに思える。つまり本書は栽培技術の基盤となる基本的考え方を学ぶ本なのだが、その大きなメッセージは「科学的な農業を行うためにはどうすればよいか」ということに尽きる。
それを要約すれば、「栽培植物の特性をよく理解して環境を整え、収量の目標を定めて適切な施肥を行い、生育をつぶさに観察して記録し、収穫時には栽培の結果をまとめて評価と反省を行い、次年度の課題を設定する」ということになるだろう。それ自体は、ずっと昔から行われてきたこととは思うが、例えば生育の観察を厳密に行うには科学実験のような記録が必要なように、なんでも厳密に実践しようと思えば科学的にならざるを得ない。
本書では、特に「科学的な農業」という言葉は出てこないが、最小の労力で最大の効果を挙げようとすれば、自然に科学的になっていくのだということが、行間に読み取れる。例えば、限られた紙幅の中であえて一般的でない「マウス」の飼育法を説明しているあたりに著者の科学性へのこだわりを感じることが出来るだろう。
よく「これからの農業は知識集約産業」というようなことが言われるが、本書で当然のように説明されているこのような農業は、農家全員ができるものではないような気がする。というか、私自身、ここまで厳密な管理に基づく農業をする自信が持てないのであった。
蘖(ひこばえ)の森
放置山林となりはてた自家林を整理し、新たに利用しようとしているところだが、この山には、写真のように根元から分岐している雑木がたくさんある。
ここは、少なくとも30年くらい放置されているが、このような木は、かつてはここが里山として利用されていたしるしである。薪などを採るために伐採した木の根元から蘖(ひこばえ)が生え、それが大きく生長することによって、このように王冠状に広がった幹が形成される。
この写真の木は、それぞれの幹は直径20cmもないが、その根元は、直径が1mくらいある。伸びては切られを何度も繰り返しながら、100年以上人間に利用されてきたのかもしれない。この山は明治か大正のころに、私の曾祖父が果樹園として切り拓いたもののようだが、おそらくそれ以前も里山として長く利用されてきたのだろう。
ところで、里山というと、「日本人の原風景」「心のふるさと」などと言われるように、なぜかとてもいいものという暗黙の前提があるような気がするが、私は里山がそんないいものだったとは思わない。利用可能な資源が限られている環境において、小規模の山林を最大限に活用するための山林管理が里山を生んだのであり、多少厳しい言い方をすれば、閉鎖的で貧しい農山村の象徴であるといえなくもない。
しかし、小規模山林を持続的に利用していくという発想は、今になって、最先端の考え方のような気がする。エネルギー・食糧価格の高騰が予想される中、身近な山から継続的に資源を得ることは、今後合理的になっていくと思われるからだ。
里山に「心のふるさと」のような価値がないとは言わないが、私にとってはそれはセンチメンタル過ぎてピンとこないものだ。むしろ、細く長く自然を活用する技術としての価値の方に興味を持つ。しかし、その技術はもう失われたと言ってもよい。どのように木を切り、植え、育て、何を収穫したのか…。何となくは分かっても、細かい管理技術はぼんやりとした彼方にある。残っているのは、物言わぬ蘖の森だけである。
ここは、少なくとも30年くらい放置されているが、このような木は、かつてはここが里山として利用されていたしるしである。薪などを採るために伐採した木の根元から蘖(ひこばえ)が生え、それが大きく生長することによって、このように王冠状に広がった幹が形成される。
この写真の木は、それぞれの幹は直径20cmもないが、その根元は、直径が1mくらいある。伸びては切られを何度も繰り返しながら、100年以上人間に利用されてきたのかもしれない。この山は明治か大正のころに、私の曾祖父が果樹園として切り拓いたもののようだが、おそらくそれ以前も里山として長く利用されてきたのだろう。
ところで、里山というと、「日本人の原風景」「心のふるさと」などと言われるように、なぜかとてもいいものという暗黙の前提があるような気がするが、私は里山がそんないいものだったとは思わない。利用可能な資源が限られている環境において、小規模の山林を最大限に活用するための山林管理が里山を生んだのであり、多少厳しい言い方をすれば、閉鎖的で貧しい農山村の象徴であるといえなくもない。
しかし、小規模山林を持続的に利用していくという発想は、今になって、最先端の考え方のような気がする。エネルギー・食糧価格の高騰が予想される中、身近な山から継続的に資源を得ることは、今後合理的になっていくと思われるからだ。
里山に「心のふるさと」のような価値がないとは言わないが、私にとってはそれはセンチメンタル過ぎてピンとこないものだ。むしろ、細く長く自然を活用する技術としての価値の方に興味を持つ。しかし、その技術はもう失われたと言ってもよい。どのように木を切り、植え、育て、何を収穫したのか…。何となくは分かっても、細かい管理技術はぼんやりとした彼方にある。残っているのは、物言わぬ蘖の森だけである。
2012年6月1日金曜日
南薩一のパティスリー「菓子工房 だるまや」
家内の誕生日ということで、日本最南端の終着駅・枕崎駅の近くにある「菓子工房 だるまや」に行った。
「だるまや」は本格的フランス菓子店。2階には優雅な雰囲気の、広いイートインスペースもある。ここはイートインなどという安っぽい名前は使うべきでなく、フランス風に「Salon de the(サロン・ド・テ=茶館)」と言いたくなるほどの空間だ。
ショーケースに並ぶケーキも非常に美しく、見ただけで美味しいことが分かる。お店の方に「一番人気は?」と聞くと、シュー・ア・ラ・クレーム(シュークリーム)とのこと。これを買うために遠方からわざわざ訪れる客もいるという。
実は私、あまりシュークリームが好きではない。コッテリとしたクリームが大量に入っているお菓子なので、胃がもたれたり、単調な味に飽きたりする。繊細なものが多いフランス菓子の中で、アメリカ風の大味さがある無粋な菓子だと思っている。
しかしこのシュー・ア・ラ・クレーム、まさに極上のおいしさである。クリームはコッテリというよりはさっぱりとしていて、たっぷりと入っているが最後まで爽やかに食べられる。もちろん皮の部分はサクッとした食感で、廉価品によくあるべたべたした感じは微塵もない。しかも1個200円。これは遠方からわざわざ買いに来るのも納得である。
家内と娘が頼んだケーキもちょっと味見させてもらったが、長い修行の果てにしか出せない(と思われる)複雑で深い味わいのおいしさだった。
東京でも、こんなに美味しい洋菓子店はそんなに多くはないと思うし、ましてやこの田舎には場違いなほどの素敵なイートインスペースもあるわけで、この店に来るためだけに枕崎に来ても損はないと思う。こちらに移住してきてからそんなに洋菓子店に行ったわけではいのだが、おそらく、ここは南薩一のパティスリーだろう。
【参考】
なぜか北海道の会社が「だるまや」のお菓子を通販している(しかし、一番人気のシュー・ア・ラ・クレームは売っていない!)。だるまやさん自体の紹介も丁寧で、どうしてこの本格的なフランス菓子店が枕崎にあるのか、ということも分かる。
「どーげん > 菓子工房だるまや」
「だるまや」は本格的フランス菓子店。2階には優雅な雰囲気の、広いイートインスペースもある。ここはイートインなどという安っぽい名前は使うべきでなく、フランス風に「Salon de the(サロン・ド・テ=茶館)」と言いたくなるほどの空間だ。
ショーケースに並ぶケーキも非常に美しく、見ただけで美味しいことが分かる。お店の方に「一番人気は?」と聞くと、シュー・ア・ラ・クレーム(シュークリーム)とのこと。これを買うために遠方からわざわざ訪れる客もいるという。
実は私、あまりシュークリームが好きではない。コッテリとしたクリームが大量に入っているお菓子なので、胃がもたれたり、単調な味に飽きたりする。繊細なものが多いフランス菓子の中で、アメリカ風の大味さがある無粋な菓子だと思っている。
しかしこのシュー・ア・ラ・クレーム、まさに極上のおいしさである。クリームはコッテリというよりはさっぱりとしていて、たっぷりと入っているが最後まで爽やかに食べられる。もちろん皮の部分はサクッとした食感で、廉価品によくあるべたべたした感じは微塵もない。しかも1個200円。これは遠方からわざわざ買いに来るのも納得である。
家内と娘が頼んだケーキもちょっと味見させてもらったが、長い修行の果てにしか出せない(と思われる)複雑で深い味わいのおいしさだった。
東京でも、こんなに美味しい洋菓子店はそんなに多くはないと思うし、ましてやこの田舎には場違いなほどの素敵なイートインスペースもあるわけで、この店に来るためだけに枕崎に来ても損はないと思う。こちらに移住してきてからそんなに洋菓子店に行ったわけではいのだが、おそらく、ここは南薩一のパティスリーだろう。
【参考】
なぜか北海道の会社が「だるまや」のお菓子を通販している(しかし、一番人気のシュー・ア・ラ・クレームは売っていない!)。だるまやさん自体の紹介も丁寧で、どうしてこの本格的なフランス菓子店が枕崎にあるのか、ということも分かる。
「どーげん > 菓子工房だるまや」
2012年5月31日木曜日
ハスクバーナのチェンソーが実は安い
ヤフオクでハスクバーナのチェンソーを購入した。
といっても、チェンソーになじみがない人にとってはよく分からないだろう。ハスクバーナは、スウェーデンに本社を持つ世界的チェンソーメーカーで、いわば、チェンソーの世界での「憧れのメーカー」である。
要は、素人の私が持つのはおこがましいような一流メーカー品なのだが、予算とスペックを考慮して比較検討した結果、この「Husqvarna 445」に行き着いた。
本当は、整備のしやすさなどを考えて新ダイワやゼノアあたりのプロ機を買いたかったのだが、中古でも結構な値段がして必要な排気量の機種だと予算オーバーだった。
一方これは、ハスクバーナ社のセミプロ機の位置づけなのだが、日本メーカーのプロ機並みの排気量と馬力がある。体格のよい欧米人向けだからなのだろうか…? また、メーカーによるリファビッシュ品で、中古ではあるがほぼ新品状態なので、中古品に心配されるような機械の疲労はない(と思う)。
3万2000円ということで凄く安いわけでもないが、命に関わる機械なのでジャンク品を買うより確かなものを買った方がいいし、元値の約8万円を考えるとお得であることは間違いない。それに、
これまでも家には父が買ったチェンソーがあったが、パワー不足で伐木の最中にエンストすることもあり、本格的な山の整備にはパワーのあるチェンソーが必須だった。専業で使うわけではないので安価なものを探していたが、比較検討の結果、ハスクバーナに行き着いたのは自分でも意外だ。他にも、円高のうちに高い外国製品を買っておいた方がいいかもしれない。BOSCHの工具とか。
【参考】Hasqvarna 445
排気量:45.7cc
出力 :2.1kw(2.8馬力)
ガイドバーサイズ:45cm(18インチ)/72コマ
チェーン:21BP・21VP
チェンピッチ:0.325”
重量 :5.1kg
といっても、チェンソーになじみがない人にとってはよく分からないだろう。ハスクバーナは、スウェーデンに本社を持つ世界的チェンソーメーカーで、いわば、チェンソーの世界での「憧れのメーカー」である。
要は、素人の私が持つのはおこがましいような一流メーカー品なのだが、予算とスペックを考慮して比較検討した結果、この「Husqvarna 445」に行き着いた。
本当は、整備のしやすさなどを考えて新ダイワやゼノアあたりのプロ機を買いたかったのだが、中古でも結構な値段がして必要な排気量の機種だと予算オーバーだった。
一方これは、ハスクバーナ社のセミプロ機の位置づけなのだが、日本メーカーのプロ機並みの排気量と馬力がある。体格のよい欧米人向けだからなのだろうか…? また、メーカーによるリファビッシュ品で、中古ではあるがほぼ新品状態なので、中古品に心配されるような機械の疲労はない(と思う)。
3万2000円ということで凄く安いわけでもないが、命に関わる機械なのでジャンク品を買うより確かなものを買った方がいいし、元値の約8万円を考えるとお得であることは間違いない。それに、
- 欧米のセミプロ機はパワーの割に安い。
- 直輸入品なので、円高効果で安くなっている(はず…というかこれが大きい)。
- 直輸入品なので、日本でのサポートが受けられず、取扱説明書も英語しかない。
- ゼノアなどでは標準装備のイージースタート(エンジンをかけるのが楽)でない。
これまでも家には父が買ったチェンソーがあったが、パワー不足で伐木の最中にエンストすることもあり、本格的な山の整備にはパワーのあるチェンソーが必須だった。専業で使うわけではないので安価なものを探していたが、比較検討の結果、ハスクバーナに行き着いたのは自分でも意外だ。他にも、円高のうちに高い外国製品を買っておいた方がいいかもしれない。BOSCHの工具とか。
【参考】Hasqvarna 445
排気量:45.7cc
出力 :2.1kw(2.8馬力)
ガイドバーサイズ:45cm(18インチ)/72コマ
チェーン:21BP・21VP
チェンピッチ:0.325”
重量 :5.1kg
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