2012年2月14日火曜日

蒲生林業小史~蒲生町めぐり(その6)

私は今、「森の研修館かごしま」というところで林業就業支援講習を受けているのだが、この研修所は鹿児島県森林技術総合センター(旧・鹿児島県林業試験場)の敷地の一角にある。

蒲生町にこのような施設があるのは偶然ではなく、ここが林業の町でもあったことを示している。

蒲生林業の始まりは、約350年前の島津久通(ひさみち)の殖産政策に遡る。久通は宮之城領主であったが薩摩藩の家老となり、藩内の殖産興業に努めた。久通は鉱業(金山)や和紙製造とともに造林にも力を入れ、藩外から優良な杉の品種を導入し、植林を進めた。材木消費の中心地へと通じる錦江湾へ注ぐ別府川(前郷川と後郷川)がある蒲生は、材木の搬出に河川が必須であった当時の林業には好適だった。

蒲生の林業が盛んになったのは、この地の造林制度が特殊なものだったことも影響した。江戸時代の蒲生では、士農工商の身分にかかわらず、荒地を開墾して造林をしたものはその生育度合いに応じて収益を得られる制度になっており、造林者の権利が保護されていた。薩摩藩では、一般に有用木は土地の所有者によらず藩の財産であり、これを自由に伐採したり売ったりすることは出来なかったが、蒲生ではこの特殊な制度により、土地を持たない多くの人々が造林に参加できたのだった。

こうして、300年以上も市井の人々の手で直挿造林(つまりクローン)が繰り返される中で、「蒲生メアサ杉」という、材質がよく、心材が赤橙色を呈し光沢のある地方品種が生まれたのである。

明治後になっても、この制度は国や町村との分収林として存続した。これにより、蒲生林業の山は一カ所の造林面積が極めて小面積で、かつ個人共有が多いという独特の私有林形態を生み出しもした。大正4年の調査によると、全所有者の81%が0.5町(約0.5ha)以下の零細所有者で占められており、ほとんどが農閑期を利用した副業的林業だった。

つまり、蒲生林業は小規模零細経営の林業だったのである。小面積経営が続き、大規模な経営を行う指導者がいなかったことは、一方では他県の林業地に立ち後れる原因ともなった。

ちなみに、明治以後終戦まで蒲生林業の指導的役割を担ったのは「蒲生士族共有社」である。共有社は、明治維新前後に武器購入等のため士族たちが官有林の払下げを受けて立木を売却したことを発端とし、荒地の開墾に努めるとともに、明治20年に杉の挿木造林を始めて以来、終戦まで山林経営を行った。

共有社は、旧士族の相互扶助的な役割も果たしたが、耕作や林業経営による利益を教育や育英事業に用いるなど、その活動は目先の利益のみを考えたものではなかった。しかし一方では、旧士族のみでの共有地による事業を続けたことは、皮肉にも、いつまでも小面積経営の林業が続く一因にもなったと言われる。

なお、昭和3年に鹿児島県立林業研究場の設置が決まった際、町制が敷かれて間もない蒲生町は、伝統的な林業の地としてこの誘致に名乗りを上げ、土地と建物の無償提供を申し出た。県はこれを了承し、蒲生町の寄附により、昭和4年10月、ここに県立林業研究場が開場したのである。ちなみに、土地は当時空き地となっていた蒲生町旭尋常高等小学校跡地が用いられた。また、この際、蒲生士族共有社も多額の寄付を行っている。

研究場の開場式では、全町あげての歓待が行われ、娘手踊、棒踊、太鼓踊、安来節などが披露された。また、当日の蒲生町では全戸国旗を掲揚して祝意を表したという。蒲生町民がいかに林業研究場の設置を熱望したかが偲ばれる。ちなみに、これは県立の林業試験場としては全国で最も早い設置だったのである。

この林業研究場は、後に名称を林業試験場と改め発展を続け、現在では「鹿児島県森林技術総合センター」となっている。

さて、戦後に至り、杉を中心とした林地という蒲生林業の性格は変わらなかったが、造林方法が直挿から挿木へと変わったこと、オビスギのような成長の早い品種の導入が増えたこと、農家林的造林が減り公社等による組織的造林が増えたことなどの変化もあった。

今でも蒲生には過去に植林された良質の杉林が多く残っており、林業が盛んな町である。しかしながら、蒲生林業は農家の余剰労働力により盛んになったものであるだけに、人口減少や社会構造の変化を受けてこの地の林業の在りようは変わっていかざるを得ない。蒲生林業の今後に期待したい。

【参考】
杉は各地で地方品種が生まれており、その品種は極めて多いが、大別すれば2種類に分けられる。すなわち「メアサ杉」と「オビ杉」である。メアサ杉は美しい良材が取れるが成長が遅く、戦前によく植えられた。オビ杉は成長が早く、戦後の植林で主に植えられたもので、花粉症の原因となる大量の花粉を飛ばす。


【参考文献】
『鹿児島県林業史』1993年、鹿児島県林業史編さん協議会
『50年のあゆみ』1980年、鹿児島県林業試験場/林業試験場創立50周年記念事業協賛会

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