2016年6月19日日曜日

広葉樹のダイニングテーブルを自作

広葉樹のダイニングテーブルを自作したので自慢したい。

貧乏人のくせに広葉樹のテーブルなんて贅沢だ、という気がするが、古民家である我が家はあまりにも湿気が溜まりすぎていて合板のものはすぐにかびてしまう。これまでは安物(もちろん合板)の小さなテーブルで食事を採っていて、梅雨時期になると側面がふわっとカビで覆われてしまい衛生的でなかった。

子どもたちもだんだん大きくなってきて小さなテーブルは手狭になってきたし、思い切って無垢材でやや大きめの(でも一般的なダイニングテーブルよりは一回り小さい)テーブルを自作することにしたのである。

で、できたのがこれだ(写真がよくなくてすいません。実際の色は上の写真の方がよく再現されてます)。

木材はタモを選んだ。タモは広葉樹の中では安価で加工もしやすく、通販で買いやすい。今回は木材フリーカット通販のマルトクショップで購入した。

木材の材料価格は3万円弱。ツーバイフォーのSPF材で作ったらその価格は数分の1になるわけで、最後までSPFにするかどうか迷ったが、SPFの仕上げ精度はイマイチで天板部分が平面にならないし、スキマもかなりできることが見込まれるので結局タモを選んだ。

天板の側面は、木材の切り口が露出しないように框組(かまちぐみ)風に囲ってみた。今回一番苦労したのはこの構造。丸ノコは普通に切るなら0.2mm程度しか誤差はないが、このように斜めに切るとかなりズレが大きくなる。たぶん1mm近く誤差が出たと思う。両端で1mmずつの誤差が出たら、最大全体で2mmもずれる。テーブルに2mmのスキマがあったら実用上問題なので、スキマは砥の粉(とのこ)を木工用ボンドで溶いたもので埋めておいた。でも今考えてみると、木工用のパテを使った方がよかったかもしれない。

他のところはだいたい上手にできて、切り欠いた部材もキッチリ嵌ったし、強度もそれなりのものになっている。

DIYの本には、「ホームセンターでカットして貰ったらよい」とか、「インパクトドライバで留めれば簡単」みたいに書いてあるが、それだと雑な作りになってしまうので、やはりノコギリとノミの加工をしっかりできるようになることがDIY上達の近道な気がする。

 裏側はこんな感じ。

天板は裏から木ネジで留めているだけ。この木ネジがくせ者で、広葉樹は堅いので最初に普通の木ネジを使ったら頭のところでねじ切れる事態が続出。下穴を開けていてもネジの長さが40mmを超えるとトルク(力)が掛かりすぎるようである。

なので、やっぱり広葉樹の場合は高トルク用のスリムネジを使わなくてはならなかった。これは、細身で頭の部分にネジ山がない、堅いステンレスでできたネジ。DIYをしているとこういう細かい所が勉強になる。

足の部分は、写真でははっきりとわからないが八の字にやや広げてみた。角度は85度くらいだったと思う。こういう加工は難しいようでいて、治具(じぐ:作業位置を誘導するために使う道具)を使うとさほど難しくない(でも設計段階でよく計算してしっかり墨つけしておくことが大事。現場合わせでやろうとしても素人の場合うまくいかない)。

表面の塗装は、工務店さんに教えてもらった「クノス」という、こういう家具を作る際の定番らしい自然塗料を使った。これは浸透性のあるオイルで、ニスみたいな人工の樹脂に比べたら耐久性や撥水性は劣るが木の風合いを引き出すのに勝れていて、実際これを塗ったら一気に高級家具みたいになった。

材料費は全部で3万5千円くらいだろうか。こういうテーブルを家具屋で買うと、だいたい10万円くらいすると思う。素人の仕事だからやや割り引いたとしても、8万円クラスのテーブルができたと自負している。

これで冒頭写真のような雰囲気のある写真も撮れるようになったことだし、「南薩の田舎暮らし」の商品写真にも活用出来そうである。何より、食卓の雰囲気が明るく広々となり、生活の充実度がアップした。もちろんカビも来ない(最も重要!)。

これまでの、我がDIYの最高傑作である!

【参考】
木工のDIYは最近センスよく作れるいい参考書がたくさん発売されているが、実際にちゃんとしたものを作ろうと思った時には意外と役に立たないことが多い。木工を趣味にしている知人から教えてもらった『手づくり木工大図鑑』という本は、地味な技術を淡々と語っていて、すぐには役立たないしちょっと高価だがオススメである(中級者を目指す人向け)。

2016年6月16日木曜日

人間讃歌としての砂の祭典へ

今年の「吹上浜 砂の祭典」は、運営側にもほんのちょっとだけ関わらせてもらった。観光協会の関係で、家内が出店(でみせ)の裏方や店番などをしたのである。

それで、「砂の祭典」についていろいろ思うことがあった。

一応、「砂の祭典」を知らない人のために説明すると、これはゴールデンウィークに砂でつくったたくさんの像(砂の彫刻)を展示するイベントで、それに付随して飲食ブースや雑貨ブース、そしてステージイベント(音楽や子ども向けショー)といったものが行われる。夜には音楽に合わせて打ち上げられる花火もあって、今までこの花火を見たことがなかったのだが、今年初めて見てみたら意外と迫力があってすごかった。オススメである。

肝心の砂像はというと、地元の小中学生のものから招待作家のものまでいろいろあり、海外からの招待作家の作品はとても精巧で見応えがある。ちなみにうちの娘(3歳)の一番のお気に入りは地元中学生(だったと思う)が作った人魚だった。

イベント期間は本体が5日間。その後チケットの値段が下がって、ほぼ観覧のみの期間が約1ヶ月ある。以前はもっと短かったようだが、せっかく作った砂像をすぐ壊してしまうのももったいないということでイベント期間が長くなったのだと思われる。

「砂の祭典」が始まったのはもう30年くらい前で、その当時は本当に吹上浜の汀(みぎわ)でやっていたと思う。子どもの頃に、一度行った記憶がある。その後会場が2回変わって、現在は「砂丘の杜 きんぽう」という松林に囲まれた場所でやっている。

さて、このイベントを間近で見てみて感じたことを述べてみたい。運営に携わっている人はカチーンと来るかもしれないし、いわば外野からの感想なので当を得ていない部分もあるかもしれない。素人の雑感として受け取っていただければ幸いである。

まず第1に感じるのは、「ちゃんと費用に見合った成果が出ているのか」ということである。

「砂の祭典」は一応実行委員会方式をとっていて、民間の参画もあるが、基本的には南さつま市役所が音頭を取ってやっているイベントである。予算の面は明らかになっていない(と思う)ので何とも言えないものの、少なくとも役場職員のかなりの数がこのイベントに動員されており、担当職員はゴールデンウィークなしで動かなくてはならず、その人件費だけでも相当だろう。要するに相当な労力がかかったイベントである。

ではこのイベントの成果は何なのかというと、多分役所的には入場者数で図っていて、近年(ここ10年くらい)はとにかくたくさんの人に来てもらおうということでイベントが拡大されてきたような気がする。

おそらく役所としては、砂の祭典を見に南さつまに来てもらって、南さつまを知ってもらう機会を増やそう、メディアに露出する機会を増やそう、という思惑なのだろう。実際、今年は熊本地震への支援を打ち出してNHKの全国版ニュースにも取り上げてもらっており、それなりに意味があるのは間違いない。

しかし税金が投入されている以上、たくさんお客さんが入ったらから良かったね、だけではなくて、ちゃんと費用対効果を検証しないといけない。それは単純な客数ではなくて、お客さんに南さつまの魅力を訴えられたかどうか、近隣への波及効果といったものも考察するべきだ。要するに大事なのは「お客さんを呼んでどうするのか」という目的意識であり、このイベントはディズニーランドとは違うのだから、客数(チケット売上)そのものが目的ではないということである。

その観点からイベントの費用対効果を(数字で計るのではないにしても)出して、今の拡大路線で行くのがよいのかどうか再考したらよいと思う。

第2に、地元の人々の心が離れてはいないか、ということがある。

これは多くの人から聞いたわけではないし、みんなはっきりとはそう言わないが、どうも「砂の祭典に関わるのが最近めんどくさくなってきた」というような人がかなり増えてきている気がする(といっても昔のことも知らないが)。

砂の祭典はその黎明期から市民の参画が進められてきており、砂像の製作はもちろん、実行委員会のメンバーなどいろんな面で市民が関わっている。私自身は直接に関わったことがないが、想像するに、その負担も結構あるのだと思う。

その負担を補う面白さがあればよいが、どうもそれが怪しくなってきているようだ。イベントとしての盛り上がりに欠けるとかそういうことではなく、運営面における長老主義(若い人の意見が通りづらいなど)やマンネリズムといったものが原因で、運営側に携わっても一つのコマとして扱われるといった雰囲気があるのではないかと思う。

イベントというのは生まれたての手作りの時が一番面白いもので、逆にイベントが大きくなっていくにつれて機械的に進める面が大きくなり、運営面でのやりがいが小さくなっていく。大きく成長してしまうと運営の責任も大きくなって無難なやり方を選択することが多くなり、個人のステキな「思いつき」は顧みられなくなってしまう。これはある面ではしょうがないことだ。しかし誰しも、自分のやりたいことがイベントを通じて実現できるとか、一人の人間として尊重・承認されるというようなことがないとわざわざ面倒毎を引き受けたりはしないものだから、やっぱり市民の遊び心を刺激するようなところがないと、ボランティアの人集めをしようとしても難しくなっていくと思う。

そして人々の心が離れてしまうもう一つの原因は、砂の祭典がかなり商業主義的になってしまっていることかもしれない。会場には、小中学生たちや役場職員、地元企業が一生懸命作った砂像も多く、砂像だけを見たらまだまだ地元の手作りイベントの雰囲気は残っている。商業主義的といっても、このイベントで大きな収益が生みだされているということもなさそうで、むしろ赤字が心配なくらいだ。だが集客に力を入れた結果、地元の文化や自然と関係のないものまで盛り込みすぎて、「祭典」の性格が揺らいでいる。ただ人が集まればよいということなら、集客力のある芸能人を呼ぶのが一番手っ取り早いが、仮にそういうことをすれば心ある人が真っ先に離れていくわけで、そういう路線になっていかないかとちょっと心配だ。

長期的に見れば、集客のためにサイドイベントをたくさん盛り込むよりも、価値の中心である「砂像」の文化をゆっくりと育んで、それを愚直に発信していくのがよいと思う。

そして第3に、「吹上浜 砂の祭典」と銘打ちながら、吹上浜とあんまり関係なくなっているということがある。

砂の祭典は、もともと日本三大砂丘の一つである吹上浜という地域資源を活かして何かやろう、ということで始まったイベントだったはずだが、客数増加などの都合で会場が「砂丘の杜 きんぽう」に移ったために、「吹上浜」を銘打ちながら会場からは海岸を見ることができない。初めて来た人は、「あれ、浜はどこにあるんだろう?」と思うに違いない。

会場から海を臨めなくても構わないと思うが、吹上浜との何らかの連結がなくては本当の観光資源を素通りさせてしまうことになりかねない。日本全国的に見ても素晴らしい白砂青松の砂浜「京田海岸」など、近隣には吹上浜の観光スポットがいくつかあるので、そういうところを地道に整備して(現在は駐車場などがない)、砂の祭典に来た人たちに回遊してもらうような工夫をしたらよい。

また、砂や砂丘というものについては現在は素材としてしか扱っていないが、観光の王道は風景と歴史と文化を体感するということにあるので、吹上浜と付き合ってきた南薩の人々の歴史を紐解くような工夫があるとさらによいと思う。

幸いにして、会場の近くには「沙防の碑」がある。このあたりの人は古くから浜から飛んでくる砂に苦労しており、これはその飛砂防備のために広大な松林を植林した宮内善左衛門を顕彰した石碑なのである。また、万之瀬川が運んでくるこの大量の砂は河川氾濫の原因ともなっており、今でこそ「砂」が地域資源となり砂の祭典のような楽しげなイベントをしているが、歴史的には「砂」は迷惑な存在だった。ただ砂像を見るだけでなく、ちょっと足を伸ばして「沙防の碑」まで見てそういった歴史を学べれば、より深いレベルでイベントを楽しむことができ、南さつま市への観光を楽しめると思う。

第4に、これが最も強く感じることであるが、顔の見えないイベントになってしまっている、ということだ。

例えば、お隣の川辺(南九州市)で毎年やっている「Good Neighbors Jamboree」というイベント。主宰の坂口修一郎さんを中心にして、面白いことをやる人の輪ができていて、その人の輪によってイベントが構成されている感がある。もっと卑近な例では、大浦でやってる「大浦 "ZIRA ZIRA" FES」という焼肉フェスでも、実行委員会の人たちが楽しんでやっているから、それに惹きつけられて多くの仲間がやってくる。

一方砂の祭典はどうか。運営側に入ったらまた違う感想を持つだろうとは思うものの、参加者の立場で見てみると、誰が楽しんでやっているのかイマイチよく分からない。WEBサイトでは実行委員会の挨拶文が出ているが、実行委員長の名前も分からないし、どういう人の輪があるのか見えてこない。当然、人の輪がないということはあり得ないので、何かしらの人の輪があるはずだが、その顔が外から見えないのである。

お祭りごとというのは、どんな充実したコンテンツを揃えてもそれだけでは十分でない。むしろ先ほども書いたように、商業主義的にコンテンツを充実させればさせるほど、人の気持ちというのは離れていく部分すらある。コンテンツを「消費」するだけの場になるからだ。では何が必要かというと、それは「人」である。どんなコンテンツもすぐに飽きられる。でも「人」にはなかなか飽きがこない。結局、人間にとって最大の関心事は「人間」なのだ。

お祭りは、人と人とが普段とは違った空気で出会う場所であり、何よりもまず人間性の発露でなければならない。大げさに言えば、お祭りとは「人間讃歌」でなければならない。どんな集客力のあるコンテンツも、そこにいる人間が「人生を楽しんでいる」という場の空気にはかなわない。砂の祭典にそれがあるか、ということが、今後のこのイベントの命運を分けると、私はそう思う。

「顔の見えない」とか「人間讃歌」とか、随分と抽象的なことを書いてしまったが、まずはこのイベントに関わっている人の生き生きとした姿を、どんどん発信していくことから始めたらよい。海外からの招待作家がどんな気持ちで南さつまに来たのか。実行委員会の人たちが何に悩み、何を目指しているのか。ボランティアの人たちの働きぶり。そして実質的な主催者である、南さつま市役所の職員の皆さんの熱い想い! そういうものをSNSとかリーフレットとか、様々な形で伝えていくべきだ。そういう人間の生き様は、決して「消費」されえない「コンテンツ」である。祭典の本当の価値は、砂像とかステージイベントではなくて、そこに関わる人たちの熱意に他ならないのである。そして、それを見て砂の祭典にやってきた人は、絶対に「南さつま」のファンになってくれるだろう。

というわけで、ここまで随分批判的なことを書いたけれども、四半世紀に渡って砂にこだわってきたという歴史は誇れると思うし、せっかく10万人近くの人が訪れるイベントへと成長したのだから、これをもっとよいものにしていって欲しい。

来年は確か第30回目となる節目の年だ。砂像による人間讃歌、そんな「吹上浜 砂の祭典」になることを切に希望する。

2016年5月31日火曜日

マルヤガーデンズで講演をすることになったのですが…。

ここだけの話、今年の11月19日にマルヤガーデンズで講演することになった。演題は未定。今、何をしゃべろうか思案している。

私は東京工業大学の数学科、というバリバリの理系の学校を出ていて、その同窓会(蔵前工業会と言います)の鹿児島県支部では年1回講演イベントを実施している。これは「Tech Garden Salon」といって「アートやカルチャーを楽しむように、テクノロジーの世界を楽しみましょう」というコンセプトの、いわば「テクノロジーをテーマにした社交の場」なんである。そして、今年は私にその講師の役割が回ってきたというわけだ(この同窓会、メンバーがとても少ないのですぐに出番が回ってくる)。

このイベント、初回の一昨年は鹿児島大学の山口教授が「コンクリート」の話を、昨年は鹿児島大学名誉教授の井上先生が「まちづくりと景観」の話をした。教授、名誉教授ときて、学者でもなんでもない、百姓の私の出番なのである。うーん、困った。

同窓会のメンバーからは、「普段何をしているかを話すだけでも面白いと思いますよ」などと茶化され(?)てはいるが、そうなるとほとんどテクノロジーの話が出てこないのでイベントのコンセプトとずれることになる。私の農業は、ブログだけを読むと理論的にやっているように見えるかもしれないが、実際は「理論」は1%だけで残りの99%は「根性」だ。

でも自分の普段やっていることとほとんど関係のないテクノロジーの話なんかすることもできないし、結局話せることといえば、「田舎暮らし」のこと以外にはないような気がする。ただ、「田舎暮らし」について語るといっても、「田舎暮らしは楽しい」と言うつもりもないし(都会暮らしだって楽しいと思う)、特にこれといって主張したいこともない。というより、こちらに移住してきてから4年半も経つが、まだ田舎暮らしに対する確固たる視座というか、立場が定まっていないところがあって、語るに語れない部分がある。

そういう風にウジウジ考えていたのだが、一応仮のテーマを決めましょうということになったので、もう内容は考えずに「田舎」と「工学」を合わせて「田舎工学」について話します、と見得を切った次第である。少しでも「テクノロジー」の要素がないといけないと思うと、やっぱりエンジニアリング=工学の視点が必要なのだ。当然、こんな学問は私の知る限りないので、この架空の学問について話してみようと思う。

さて、「都市工学」というと、これは文字通り都市を作っていく工学で、各種のインフラ設計や都市内のゾーニングといったことを研究対象にする。一方マイナーだが「農村工学」という学問分野もあって、こっちは土地改良(農地の造成)とか水利の問題(農業用ダムの設計や運用)というようなことを扱う。要するに、どちらも「生産性の高い地域を作っていくためのインフラ設計」をテーマにしているわけだ。

そういう考え方でいうと、「田舎工学」の内容はどうなるだろう。「農村工学」と近い部分もあるが、ちょっと根本的に違う気もする。そもそも「田舎」というのが情緒的な概念で、都市とか農村みたいな言葉とは違う。鹿児島市内(南薩の人からすれば都会)は首都圏からみたら「田舎」かもしれないし、そもそも出身地という意味で「田舎」ということもあり、「田舎」を人口密度なんかで定義づけることはできない。

つまり「田舎」は常に「誰かにとっての田舎」なのであり、それを語る「人」を抜きにしては成立しない概念である。ということは、「田舎工学」が田舎を作っていく工学だとしても、まず考えなければならないのはインフラとかより「人」である。そして「田舎」という言葉自体が何か「生産性」と別のベクトルを向いているような気がして、都市工学や農村工学みたいに「発展のためのインフラづくり」そのものを語るのは違うように思う。

講演では、今のところ、私自身がどういう考えで南薩の田舎に移住してきたかということを皮切りにして、 「これからの時代、田舎の方がかえって面白い可能性があるんじゃないか」というような雰囲気を伝え、楽しい田舎暮らしを作っていくとはどういうことなのか、というやや分析的な話に持っていきたいと思っている(現時点で、そういう分析があるわけではありません)。

と、書いてはみたものの、正直いうとどういう話をしたらいいのかやっぱりわからない。私には田舎暮らしに関してこれといって信念とか主張がないのでどうも話の「軸」が定まらない感じである。自分が何を言いたいか、ということより、聴衆が何を聞きたいのか、ということから出発して講演の内容を考えた方が早いかもしれない。

というわけで、ブログの読者のみなさんにお願いである! こんな話が聞きたい、ということがあれば(田舎暮らしに直接関係なくても可)、ぜひご意見をコメント欄にでもお聞かせください。講演内容検討の参考とさせていただきます!

2016年5月29日日曜日

納屋をリノベーションします

実は、明日からうちの納屋のリノベーション工事が始まる。

このあたりの古い家には必ず納屋が附属しているもので、うちも本宅よりも立派な2階建ての納屋があった。でもいつかの台風で2階部分が壊れて改築し今は1階部分しか残っていない。

昔も今も、農業には倉庫が重要であることは言うまでもないが、特に昔は牛に犂(すき)を引かせていたから家に牛がいて、牛を飼うためには納屋が絶対必要だった。写真で分かるように、建物の下半分が石詰みによって作られているのはこのためで、木造だと牛の糞尿によってすぐに材が腐ってしまう。だからこのあたりの古い納屋の下半分(の、特に牛のためのスペース)は石詰みによって作られている。

さらに、牛の糞尿は肥料にしたので、牛のいた区画の下は傾斜がついていて屎尿排水の口があり、下には大きな肥だめの空間がある。ついでに納屋の外には人間用の便所もあって、人間と牛の屎尿はそれぞれ下の肥だめに集められるようになっていた。

化学肥料が使えなかった昭和の半ばまで、これは農業をやっていくための大事な仕組みだったが、牛がいなくなり、化学肥料になって人糞も集めなくなると、この肥だめシステムは無用の長物と化してしまった。それどころか、肥だめには雨水が溜まって(沁み出してきて?)湿気の温床となり、地下の空間は危険な落とし穴にもなった。野良猫がこの肥だめの中に落ちてしまい、それを救出するのに3時間くらいかかった、なんてこともある。

というわけで、この無用の肥だめをなくしてしまうことにした。これから、また肥だめをつかって肥料を作るような時代が来ないとも限らないが、私の考えでは、昔の屎尿肥料の作り方にも非効率なところがあり(※)、仮にそういう時代が来るとしても昔ながらの肥だめシステムを使う必要はないだろうと思う。

具体的な工事としては、肥だめを壊し、埋め、上からコンクリートで塗り固めてしまうというもの。でも工事というものは、マイナス(迷惑施設)だったものがゼロになる、というだけではなかなかやる気が出てこないものである。というわけで、せっかく工事をやるなら、納屋のリノベーションを行って、ここをステキな部屋にしてしまおうというわけである。

そもそもうち(本宅)は築百年の古民家で、間取り的に現代の生活スタイルに合っていないところがあり、子どもたちがもうちょっと大きくなったら一部屋足りなくなる見込みだ。この機会に一部屋作っておけば将来の子ども部屋問題も解決するし、それまでの間は事務所か書斎として使うこともできる。

同世代が次々に新築の家を建てる中、このきったない納屋を子ども部屋にしようというのは忸怩たるものがあるが、加世田のステキな工務店crafta(クラフタ)さんのセンスで、新築するよりステキな空間に生まれ変わる予定である! 私としては密かに南薩の「納屋リノベーション」の先駆事例になったらいいなと期待しているところだ(同じような納屋がこのあたりにはたくさんあるので)。

ところで、こちらに移住してきてから、かなりのお金が工務店さんの方にいっている。本宅のリフォームはさておき、その他にも食品加工所(そういえばこれまでブログに書いていなかったのに気づいたのでいずれ書きます)、農業用倉庫、そして今回の納屋リノベーション。生活や仕事の基盤を作っていくというのは、なによりもまずその「場」を作る事が重要だ。「場」=不動産よりもコンテンツにお金を掛けるべきという考えもあるが、私の場合はまず「場」をしつらえるのを優先するので、これはこれでよかったと思う。

でも農業ではなかなか生活が成り立って行かない中で、どうして納屋リノベーションの予算が出たのかというと、これは当然貯蓄を切り崩して捻出している。そしてこれで都会時代の貯蓄が全て無くなった感じになり、また今年後半から新規就農の補助金も終わるので、これでいよいよ裸一貫でやっていかないといけない。正直、ちょっと不安はあるが、農業でなんとかやっていけないことはない、という見通し(だけ)はある。

お金のない中で、そんなやってもやらなくても困らない工事なんかやめておけ、という人もいるだろうが、私としてはこれも「南薩の田舎暮らし」の重要な基盤の一つだと思っている。生活や仕事の基盤はそろそろ出来てきたので、これからはそれを活かして行く段階になってくる。…と書いていたらだんだんやる気が出てきた。

というわけで「納屋リノベーション」がステキにできあがるか楽しみである。


※ というのは、糞尿を肥料に変えるには発酵させなくてはならず、それにはたくさんの空気(酸素)を必要とする。昔の肥だめは尿も一緒に集めていたためドロドロ状態になっていて、それを別の場所にわざわざワラなどと重ねて入れ発酵させていたようだ。今だったら、ブロアで空気をいれて発酵させるかもしれない。でももっと簡単かつ効率的なのは、糞は糞だけを集めて水気のない状態で発酵させることである。なぜ昔はこうしなかったのかよくわからない。

2016年5月26日木曜日

「南薩のナッツ園」構想

昨年に引き続き、今年も開墾をしている。

今切り拓いているところは、昨年開墾してアボカドを植えた隣の荒れ地(茶園跡)。畑をどんどん広げたい、という気持ちは今はそんなに強くないが、この荒れ地からイノシシとウサギがたくさんやってくるということと、しばらく経って植えたアボカドが大きくなるとパワーショベルをこの荒れ地に入れるのが難しくなるので、今のうちに切り拓いた方が後が楽そうだ、と思って土地を借り、作業に取りかかった。

しかしもう5月である。昨年も開墾作業をしたのは5月だが、今年も結局ここまで引き延ばしてしまった。本来、開墾というのは冬の仕事である。でも、私の場合冬は柑橘の仕事で忙しく、開墾のような仕事はどうしても今の時期になってしまう。もう梅雨入りする時期なので、今のシーズンでは開墾が終わらないかもしれないが、せめてキリがいいところまでは終わらせたいと思う。

ところで、実は切り拓いた後に何を植えるかが完全には決まっていない。農業委員会には、アボカドを増殖するということで申請を出していて、事実アボカドは20〜30本くらい植えたいと思っているが、未だ収穫できるかどうかもわからないアボカドばっかり植えるのもリスクがあるし(なかなかうまくいっていないのが実態)、どうせリスクがあるのなら別の面白い取組もしたい。

というわけで、今考えているのが「南薩のナッツ園」構想なのである。

私はアーモンド栽培にもトライしていて、これもあまりうまくいっていない。「あまり」どころではなく、アーモンド栽培はかなり難しく、収穫まで漕ぎ付けられるか不透明な状況。でもいろんな人が関心を持ってくれて、応援もしてくれているので、このままでは終われない! とも思っている。そこで、アーモンドだけでなく、この際他のいろいろなナッツ類を植えてみて、「ナッツ園」を作ったら面白いんじゃないかと思ったのだ。

苗木を準備したのは、「マカダミア」、「ペカン」、「カシグルミ」の3種類(5本ずつ)。(このほかに追ってアーモンドも増殖する。)

「マカダミア」はハワイのお土産で定番であることからもわかるように熱帯の植物であるが、意外に耐寒性もあって指宿には大木になっているのがある。また収穫以外はさほど手間もかからないと言われている。今回植えてみるのは「クーパー」という品種である。

「ペカン(ピーカン)」は日本ではあまり馴染みがないが、アメリカでは我が国における落花生のようにおつまみ的に食べられているナッツ(らしい)。アメリカに留学していた友人が栽培を勧めてくれた。それで調べてみたら、収穫までにかなり時間がかかる植物で、実がなるまでに10年以上かかるのだとか。10年以上無収入というのは経済的にかなり厳しいが、そういう厳しいものこそやる価値もある(他にやる人がいないから)。

私もこれまで食べたことがなかったので、先日「Merry lab.」というところのローストナッツを食べてみた。クルミに似ていて、クルミよりもっと脂質を増やしたような味だった。こういうのが出来たら売れるかも! と思って栽培してみることに決めた。

「カシグルミ(菓子胡桃)」は、いわゆる皆さんが食べているクルミである。日本だと長野とかちょっと寒いところで栽培されているので、南薩の暑い気候に合っているかはよくわからない。でもクルミが採れたらお菓子作りにも使えるし、苗木もそんなに特殊なものではないので、気軽な試行錯誤のつもりでやってみたいと思う。

このほか、以前植えてみたがあんまり生育しなかった「ヘーゼルナッツ(西洋ハシバミ)」も植えるかもしれない。 以前定植したところは田んぼの跡地で土壌がよくなかったので、それで生育が不調だったのだと思う。今回は段々畑なので排水もよく、土質も勝れているようなので生育が期待できる。でも、ヘーゼルナッツというのは日本ではなかなか収穫までいかないらしくて(というのは、これも収穫までに長い時間がかかる植物)、まともに収穫している例を知らない。どうなるかわからないが、毒を食らわば皿まで、の気持ちでやってみたい。

この「南薩のナッツ園」構想には家内からも「まだ懲りてないの」というお褒めの言葉(?)をいただいたくらいである。経営が順調でないのに冒険的な作付をするのは一般的にはあまりいいことではないが、そういう無鉄砲をするのは楽しいことでもある。結果が出るのは(出るとして)10年後以降。気長にやっていきたい。


2016年5月14日土曜日

ホヤ的な商売のススメ

先日、加世田に「ダイレックス」がオープンした。ディスカウントストアである。オープンセールは大賑わい。

私も歯医者のついでに寄ってみたら、原価割れ必至の激安価格ばかり(タマネギ1玉9円には、農家的に心の痛みを禁じ得なかった……)。こりゃあ、人が来るはずである。

都会に住む人は、こういう面白味のない量販店が田舎に進出することに寂しさを覚えるかもしれない。このディスカウントストアのせいで、味のある個人商店が潰れてしまわないかと。もっというと、地方都市の衰退に拍車をかけてしまわないかと。

しかし田舎に住むものの実感としては違う。やはり、こうした店の進出は、それなりに街を活気づかせると思う。確かに個人商店はこれに太刀打ちできないが、商店街は既にシャッター通り化しており、潰れるべき小さな商店ももはやあまり残っていない。こうした店と競争しなくてはならないのは、同じようなショッピングセンター(たとえばニシムタ)だ。

「ダイレックス」の隣には、つい先日「ケーズデンキ」ができたばかり。近くには「西松屋」や「すき屋」もできているし、最近の加世田は企業進出が相次いでいる。南さつま市全体では人口はずっと減り続けているが、加世田の中心部に限って言えば人口は増えているくらいで(どこを中心部と見なすかによってどうとでも言えそうだが)、旺盛な需要が維持されているように見える。

ところで、「不況」というのは、要するに需要が供給を下回ることで起きる。作ってもものが売れないというわけだ。なので、不況を解消するには、供給能力を切り下げる(そもそも作るのを辞める)か、需要を増やすかの2つしか方法がない。 供給能力を切り下げるというのは、社会全体でリストラをするということに他ならないから論外で(※)、不況を終わらせる唯一の方法は「需要を増やす」ことなのだ。しかし悲しいことに需要を増やす簡単な方法はない。

なぜなら究極的には、需要というのは誰かの「あれが欲しい」という欲望(とそれに伴う購買能力)に立脚しているからである。必要のないものをどうすれば欲しがってもらえるか、というのが産業革命以降のビジネスが直面してきた難問中の難問なのである。この需要不足、という難問に突き当たっているのが日本の不況だ。

だが、田舎で過ごしていると需要不足をあまり感じない。今流行りの「マイルドヤンキー」の話ではなく、むしろ供給不足の方を強く感じる。つまり、買いたくてもそれを売っている店が近場にないということだ。実際、田舎でのある種のビジネスは殿様商売のようなところがあり、「他に選択肢もないでしょ」みたいな横柄な(というのは言い過ぎにしても、愛想がない)態度を取られることがある。

じゃあ、田舎の企業は大儲けしているのか、というとそんなこともない。需要は不足していないのに大儲けしないのは、「大儲けするほどの需要」はないからだ。

しかし、大儲けするほどの需要がないために、商店自体が少なくなっていき、今となっては南さつまの人も買い物に鹿児島市まで出て行くという人も多いのではないだろうか。休日に谷山(鹿児島市)のイオンに行くと、南さつまの知り合いに会う確率が高い。

つまり、田舎にも需要は確実にあるが、それを満たす供給は少ないのである。ここに田舎でのビジネスチャンスがあると思う。少ない需要をアテにしたビジネスというのは、厳しいようでいて、競争があまりないというメリットもある。

例えば、田舎の食堂を考えてみて欲しい。激安ではないがそれなりにリーズナブルな価格、掃除の行き届いていない店内、大昔から張られっぱなしのポスター、のんびりとした給仕係、いつも同じ顔が座るカウンター、お客と世間話をする店主、といったようなものを。

都会では、同じクラスの店の競争は大変激しい。ファストフードがそれにあたるだろう。きびきび動くレジ打ち、マニュアルに沿って勧められる追加の一品、秒単位で待ち時間を気にする人たち、ピカピカの店内、昼食時のどこか殺気だった雰囲気——。同じような商売なのに、どうしてここまで違うのだろうか? それは、都会では巨大な需要を奪い合うために激烈な競争があり、田舎にはそれがないからだ。

譬えるなら、都会でのビジネスはサメとして生きるようなものだ。投資(生きるためのエネルギー)も大きいが利益も大きい。これはこれでやりがいがある。田舎でのビジネスは、 同じ海で生きるのでも、イソギンチャクとかホヤ(海鞘)として生きるのに似ている。省エネモードで生きていて、目の前に餌が流れてきたときだけ反応する。利益も少ないが投資も少ないので生きている。

投資家として世界を見ると、利益は大きい方がいいに決まっているが、労働者として世界を見ると、利益率が低くても投資が少なくて済むのも魅力的である。というのは、簡単に言うとそんなに働かなくてもいいからだ。言い方を変えると、経営するなら都会のファストフード店の方が魅力的かもしれないが、働くなら田舎の食堂の方が楽かもしれないということだ。もちろん、これは単純化した話なので、実際にはこうはいかないかもしれない。でも多くの人が、薄々思っている。「田舎での仕事は楽だが面白味はない」というように。

確かに、田舎の食堂で一生を終えるのは面白味がないかもしれない。 都会にバラ色の生活があるのなら。しかし、現在の日本ではそこが怪しくなってきている。かつて自由な生き方として称揚された「フリーター」は、今や資本家に買いたたかれる安物の労働者になってしまった。同じ働くなら、田舎の食堂の方が面白い、という世界になりつつあるのではないか

そして、企業を経営するにしても、都会の激しい競争の中で周りに伍していくより、田舎で少ない需要をアテにした「ホヤ的な商売」をする方が、実は面白いことができるような気がしている。確かに売り上げはさほど期待できない。でもなるだけ固定費を抑えて、あんまり売り上げが無くても生きていける、というようなスタイルの商売にすれば、かえって自由な発想でビジネスを組み立てられるのではないか。

固定費を抑えた商売というと、例えば露天商のようなものだ。普通の人は、露天商などマトモな人がやる仕事ではないと思っているだろうが、最近盛んになってきたマルシェとかフリーマーケットは露天商の集合といえる。「南薩の田舎暮らし」がイベントに出店するのも一種の露天商である。

もちろん、専業で身を立てている露天商(縁日に出てくるテキ屋さんのような)の暮らし向きがいいとは思えない。しかし、ブラック企業でボロボロにされるような働き方をするくらいなら、不安定な零細商売でやっていくのも悪くはない。

田舎への移住というと、すぐに「仕事がない」という反応がある。それは事実で、確かに「求人」は少ない(ただし介護関係を除く)。でも仕事がないわけではないと思う。田舎には満たされていない需要が意外とある。 「ダイレックス」が加世田に進出してくるくらいである。私はこうしたお店も肯定するが、でも個人の才気による小さなお店がこの街で生まれたらなお面白い。田舎には大きなチャンスはないかもしれない。でも小さなチャンスがたくさん転がっている。南さつまへ進出してくる、商売の新しい才能を待っています。


※と書いたものの、実は「供給能力の切り下げ」は真面目に検討すべき方策だと私は思っている。

2016年5月9日月曜日

子どもが小学生になると親も大変

少数ながらこのブログをチェックしてくれている人がいるのは知っている。……というわけで、最近あまり更新できていなくてすいません。

というのも、タダでさえ4月というのは田植えやら春作の植え付けやらで忙しいのに、上の娘がこの4月で大浦小学校にめでたく入学して、どうもまだ生活リズムが摑めず、ブログを書く時間が取れずにいた。

まだ子どもが小学校に上がっていない人は、子どもが小学生になっても親にはそこまで関係ないだろ、と思うかもしれない。実際、さほど影響を受けないという親もいるので、みんながみんなそうだ、というわけではない。

でもうちの場合は、(自分がだらしないこともあり)小学校に対応するのに親が苦労している。

まず何に苦労するかというと、子どもを早起きさせないといけない。うちは、大浦小学校から2キロくらい離れたところにあって、子どもの足だと45分はかかる。8時までに始業準備を終えることとされているので、7時には子どもを家から出さないといけない。

そのためには、6時には娘を起こさないといけない。朝の準備をもうちょっと能動的にこなせるようになったら出発30分前に起きるくらいでもいいだろうが、今はまだ「制服に着替えなさい」とかいちいち言ってる段階なので、1時間くらいかけてノンビリ準備させる方がこっちの気が楽である。

で、6時に起こすためには夜は8時半に寝かしたい。この頃の子どもは10時間くらい睡眠を必要とするらしいので、理想的には8時就寝がいいが、それだと早すぎて親の方が対応しきれないので8時半にしている。でも8時半でも十分早い。5時過ぎに学童クラブから帰ってきて就寝するまで3時間くらいしかない計算だ。この間に、ご飯を食べてお風呂に入って次の日の準備をして、本を読んで、となると本当にスケジュールが過密である。実際、このスケジュール通りにいってる日は4日に1回くらいかもしれない。

でも早寝させたら、夜に自分の時間を長く取れるので良い面もある……はずだが、下の子の生活リズムはまだそういう風になっていないので、下の子は10時近くまで起きていることがよくある。そして当然ながら朝寝坊である。結局、何が大変かというと、小学校の上の子と、保育園の下の子という二つの違うリズムで動いている相手を世話しないといけないことなんだろう。両方小学校に上がったら、随分楽になる気がする。

ところで、大浦小学校の新一年生は10人。幸いにしてまだ複式学級ではなく、今後数年はその規模が維持される見通し。大浦小学校は、かつて「南薩一のマンモス校」と呼ばれたらしく、児童数が1500人を超えていたこともあったそうだ。広々とした校庭がかつての賑わいの名残である。今では、この校庭は子どもたちには広すぎるくらいだ。

ちなみに、幸いにして、近くに小学生4年生と3年生の先輩がいるので、朝はその子たちと一緒に登校させてもらっている。

入学して2週間くらいは学校近くまで一緒に歩いて慣れさせた。次の2週間は、その先輩のお家まで送っていった。こうして、朝いちいち送っていくのがまた大変だった。でも今日は、先輩のお家へも独りで歩かせてみた。それで、今日めでたく、家を独りで出て行くということができるようになったのである! よかったよかった(小学生に人気のない道を45分も歩かせていいのか、安全面とか大丈夫なのか。という観点からすると全然よくはないのだが、そこは悩ましいところ)。

というわけで、親の方もだんだん小学校の生活リズムに慣れてきて、ようやく新年度の仕事に身を入れていけそうです。