2015年10月23日金曜日

「すべての人が楽しめるよう創られた旅行セミナー in 南さつま」へ参加

ほとんど観光に関する活動はしていないが南さつま市観光協会のメンバーになった。

それで先日、「すべての人が楽しめるよう創られた旅行セミナー in 南さつま」という講演会に参加してきた。

正直、このセミナータイトルがなんだか胡散臭い感じで、あんまり期待はしていなかったのだが、意外と面白かったので内容を紹介したい。

講師は日本バリアフリー観光推進機構の理事長であり、また「水族館プロデューサー」でもある中村 元さん。中村さんは「バリアフリー観光」の日本での提唱者であるらしい。「僕がバリアフリー観光が大事だと言ってるのは、集客のためです!」という身も蓋もない話からスタート。中村さんは福祉系の人たちとはかなり違う風貌で、良くも悪くも「プロデューサー」らしい怪しげな雰囲気がある。

「バリアフリー観光」なるものの発端は15年ほど前に遡る。当時、三重県の北川知事が「伊勢志摩への集客のためにイベントばっかりやってるけど全然成果ない。これまでと違った考えで観光推進やってみよう」ということで若手を集めて議論させた。その時集められた一人が、当時鳥羽水族館の副館長をしていた中村さんである。

中村さんはひょんなことから海外のリゾート地で「バリアフリー観光」が行われていることを知り、これを伊勢志摩への集客に使えないかと考えた。だがメンバーは大反対。障害者への偏見なども強い時代(その後『五体不満足』でだいぶ変わったという)で、「障害者から金取らないとやっていけないくらい伊勢志摩は落ちぶれたのかっ!」という意見まで出たという。

そのため中村さんは水族館のお客さんのデータをとって障害者の市場がどれくらいあるのか推定してみた。結果、水族館の入館者数に占める障害者の割合は0.5%に過ぎないが、介助者と一緒に来るため障害者には4人連れが多く、結果0.5%×4人=2%が障害者に関係するお客さんだということがわかった。

一方、全日本人に占める障害者の割合は3%なので、水族館に来る障害者もこの割合にまで上がったとして、やはり介助者と一緒に4人組で入館すると仮定すれば、この2%は3%×4人=12%まで増やすことができる。こうなると集客の可能性としてはかなり大きい。

しかも障害者に優しい施設は、高齢者にも優しい。特に後期高齢者は歩行や排便に障害者と同じような困難を抱えている場合がある(和式便器は使えないとか)ので、なかなか外に出たがらないということがある。後期高齢者が人口に占める割合は12%もあるので、この人たちがお客さんになってくれるとすればマーケットとしてはかなり有望だ。

そういうことで中村さんはメンバーを説得し、伊勢志摩で「バリアフリー観光」に取り組むこととなったのであった。

中村さんはまずバリアフリーマップを作ることにしたが、障害を持つ友人から「バリアフリーマップなんか信用できない!」と言われた。その理由は、バリアフリーマップは障害者が作っていないから、実際にはバリアフリーでないのに「バリアフリートイレ」があるというだけでバリアフリーと表示されていたり(トイレ自体はバリアフリーなのだが、トイレに行くまでに障害があるとか)、バリアフリーを謳うとトラブルを誘発するということで実際にはバリアフリーの部屋があるホテルがそう書いていなかったり(何か問題があったときに「バリアフリーって書いてるのに対応してないじゃないか!」みたいなクレームがある)、 要するに全然使えないというわけである。

ということで、中村さんはちゃんと障害者と一緒に実地で見て回ってマップを作ることとし、しかもバリアフリーかバリアフリーでないか、という2項対立ではなく、どこにどの程度のバリア(障壁=段差の高さ、傾斜の角度、などなど)があるのかというマップを作った。要するに、「バリアフリー観光」を謳ってはいるが「バリアフリー」という概念はここにはなく、人は何をバリア(障壁)と思うのかはそれぞれ違うのだから、全てのバリア(になりうるもの)を網羅して調査したのである。

しかもそれをマップ化するだけでなく、そこで収集した情報を集積させて、障害の程度に応じてどの施設・観光地が利用可能かをアドバイスする拠点「伊勢志摩バリアフリーツアーセンター」をつくった。マップを作るところまではある意味では誰でも思いつく話だが、このセンターを作ったのが中村さんのイノベーションであると思う。

というのは、全てのバリアを網羅するというような野心的な情報収集になってくると、「ここに10cmの段差、その次に5cmの段差・・・」というような内容になって、とてもじゃないがマップどころかWEBサイトでもこれをわかりやすく案内することはできない。どうしても、そこに人が介在して「あなたの障害の程度ならここなら大丈夫」というような案内が必要になる。そしてそれ以上に、ホテルは旅館業法で宿泊客を拒否することは事実上できないから、実際には対応できない障害者を泊めてしまうというトラブルを防ぐため、こうしたセンターが必要なのである。

しかしこのセンターの真の価値は、障害の程度や介助者の状況によって利用可能な施設を差配する、ということにあるわけではない! そうではなく、その障害を持ったお客さんの、こんな観光をしたい、という気持ちを叶えることを中心に考えていることがこのセンターのすごいところである。例えば、温泉に入りたいというお客さんならば、「ここの温泉宿は段差があって介助者が2人必要だけど、段差を乗り越えれば露天風呂の家族湯に入れる」というような案内をする。ただ施設が整っていて、「バリアフリー」なホテルを案内するだけでない、というところがミソだ。

そもそも、「バリアフリー」なところを巡るだけだったらそれは福祉施設の視察みたいなもので観光とはいえない。観光にはバリアはつきもので、旅から全てのバリアを取り除こうとする方がおかしい。というより、ある程度のバリア=障壁がなかったら、美しい風景も残っていないわけで、観光の醍醐味はそのバリアを乗り越えて、美しい景色とか温泉とかにたどり着くところにある。そういう意味では「バリアフリー観光」は自己矛盾な言葉で、観光は全行程がバリアフリーであったら成り立たないのである。

だったら「バリアフリー観光」は何がバリアフリーなのか? ということである。歩道の段差をなくし、トイレをユニバーサルトイレにし、 エレベーターを設置する、それはもちろんバリアフリー化ではあるが、バリアフリーの本体ではない。バリアフリーの本体は、そうした情報を発信し、旅行の計画段階で、どこそこにバリアがあって、それを自分なら超えられるかどうか事前に検討できる、という状態を作ったことである。人間、行ったら困るかもしれない場所には行きたくないものだ。だが、それがどのくらいの困難さなのか事前に分かっていたら、介助者の準備も出来るし、少なくとも行けるかどうかの検討ができる。

つまり、障害者にとっての真のバリアとは、段差とかトイレとかいうことよりも、そうしたことが事前にわからないという「情報不足」だったのである。

そして、障害者が行きやすい場所は、「障害者が行けるんなら自分達も大丈夫だろう」ということで後期高齢者も行きやすい。そして多くの人が行く場所は、もっと多くの人を呼び寄せる。このようにして、伊勢志摩では非常なる集客増を成し遂げたのである。

中村さんは、施設をバリアフリーに改修するコンサル的な仕事も請け負っており、その際のアドバイスもちゃんと障害者の人たちの意見を聞いて行っている。というか多分、中村さんは人の意見を聞き出すのが上手で、「バリアフリー観光」がうまくいったのも、そのコンセプトがどうこうというより、中村さんの人の意見を聞き出す力に依っている部分が大きいような気がした。

例えば、最初のコンサルの仕事を請け負った時、ホテルの一室をバリアフリーに改装するにはどうするか、というのを障害者同士のワークショップ形式で議論してもらったそうだが、そこで出た最初の意見が「テレビは大きい方がいい」だったという。 「車イスだと一度部屋に入ると出るのが億劫、だからテレビを見ていることが多いが、そのテレビが家のテレビより小さかったらイヤだから」というのがその意見。私は、この意見が最初に出たということを聞いてナルホドと唸った。

というのは、こういう話し合いをすると、最初はどうしても優等生的な意見が出がちである。「段差をなくす」など真面目で当たり障りのない意見が出てから、そういう意見が尽きたときに「ところで、テレビは大きい方がいいんだけどね」みたいに冗談めかしていう意見が「本当の意見」であることが多い。そして、大抵そういう「本当の意見」は笑い話として処理され黙殺される。私は行政が住民の意見を聞く会議、みたいなものに結構参加している方だと思うが、そういう場面は何度も見て来た。

だがこの場合、「テレビは大きい方がいい」という個人の欲望に基づいた「本当の意見」がまず最初に出てきているわけで、それは中村さんの人柄によるのか、雰囲気作りのうまさによるのか分からないが、とにかくすごい。しかもこの意見は即採用された。こうなると「本当の意見」はドンドン出てくる。

人の意見を聞いてプロジェクトを動かして行くというのは簡単そうに見えて実に難しいことで、油断していると真面目で形式的な意見しか出ないつまらない場になったり、逆に「そうだよねー」「それもいいね〜」みたいに出た意見が全肯定される馴れ合いの場になったりする。 こうなるといくら「意見を聞く場」を設定しても「本当の意見」が出てこない。様々な場面において、障害者の「本当の意見」を聞いて、それに基づいてバリアフリー観光を進めたことが成功の秘訣だったのではないかと思う。

そして、中村さんのプロジェクトの核には、障害者の意見であったり、実地で調べたバリアの情報であったり、実直な情報収集があるということも重要だ。観光政策というと、すぐに「アピールが足りない!」とかいう人が出てきて、イベントをしたりゆるキャラを作ったり、要するに「露出度競争」に勝たないといけないと考える人が多いが、これは全くの愚策だと思う。もちろんアピールは大切だが観光地がやる自己アピールは往々にして自画自賛のオンパレードになりがちであり、一般の観光客に対してさほど価値を提供しない。

それよりも、観光地の情報を実直に収集してわかりやすく発信し、それを集積する拠点を設けるという地味な仕事の方に価値がある。中村さんの話も、「バリアフリー観光」というコンセプトに騙されて、「いやー南さつまにはまだバリアフリーは早い」みたいに誤解する人がいないか心配だ。バリアフリー云々は全く重要ではなく、大事なのは、「来て欲しい人がちゃんとこちらまで来やすいように、その人たちの意見をちゃんと聞いた上で時間と手間をかけて情報収集し、整理・発信し、対話し続けていく体制を整えること」なのである。つまり中村さんは、観光政策におけるごくごく当たり前のことを実直にやるべしと言っているだけなのだ。

しかし、その当たり前のことが出来ていない自治体のなんと多いことか! イベント、ゆるキャラ、B級グルメ。「起死回生のグッドアイデア」を探して手近な成果を求める観光地は多い。そしてその多くが一過性の成果しか得られないのは当然だ。こんな自治体ばかりの中で、地味でも実直な観光政策の王道を行けば、きっと道は開けるはずだ。王道こそ往き易し。妙案など何もなくても、南さつま市へと足を運んでくれる人はきっと増えるだろう。

2015年10月12日月曜日

人口減少の中で「地域の活力」を維持するために(パブコメ募集中)

現在、南さつま市では、まち・ひと・しごと創生総合戦略「光りが織り成す協奏プラン」のパブコメを行っている。

これについては、策定にあたって市民からの意見募集を行っており、私も以前ブログに書いたとおりいろいろ考えて8件ほど意見を送った。

【参考】送った意見の元になったブログ記事
ざっと見たところ、私の送った意見はひとつも採用されていないようで正直ガッカリしているが、めげてもいられないので、パブコメにもまた違った角度から意見を提出してみようと思っている。

もう一度この「まち・ひと・しごと創生総合戦略」について説明すると、要するに「これから人口減少や高齢化が激しくなるわけだけど、どうする?」という方向性を定めるものである。

私は、人口減少や高齢化によって失われるものは「地域の活力」だと思う。よって、地域の活力を高める施策が必要だ。そして「地域の活力」というのは結局は一人ひとりの活動量に起因するのだから、人口減少の中で「地域の活力」を維持するには、一人ひとりの活動量を上げていなくてはならないということになる。

それをネガティブな面で言えば、自治会の奉仕活動を今よりもっと頑張らなくてはならないとか(草払いの一人当たり面積が増えるなど)、PTA活動の負担が増えるというようなことになる。でもそんなことを今まで以上に頑張ってまで、抽象的な「地域の活力」とやらを維持したいと思う人は少数派である。

だから一人ひとりの活動量を上げるには、みんなが自分の好きなことに取り組む必要がある。好きなことならたくさんやっても負担にならない。だから、人口減少の中で「地域の活力」を維持するためには、誰もが「好きなことに思いきり取り組める」ようになるような環境整備が必要だというのが私の考えだ。

一方で、高齢化によって現役世代の負担が増えることも間違いない。特に介護が必要な老齢の両親を抱えた人なんかは、「好きなことに思いきり取り組める」わけもなく、自分を犠牲にしている現状がある。施設に入れるにしても家計的に厳しかったり、希望の施設に入れなかったりして困っている人も多い。

それに、「好きなことに思いきり取り組む」にも先立つものがいる。 私自身が経済的には底辺の生活をしていて、ある程度のお金がないと趣味もへったくれもできない。それなのにただでさえ少ない収入が社会保障費に取られていくとすれば、どんどん社会は萎縮してしまうだろう。

だから煎じ詰めれば、人口減少や高齢化への対応策として最も必要なことは、若者(現役世代)の労働生産性を上げて所得を向上させること、に尽きるのではないか。所得が増えれば好きなこともできるし、所得が増えなくても自由に使える時間を増やせる。それにお金があれば高齢者の介護もそれほど負担なくできる。

そして、これは私の持論でかつ極論だが、日本の労働生産性の上昇を阻んでいるのは50代以上の人たちの存在である。
上の図でわかるように日本の人口ピラミッドには65歳くらいを中心にして団塊世代があり、この世代が日本の社会を長期低迷に陥れている主要な要因であると私は思う。もちろん、この世代の人一人ひとりに大きな問題があるというわけではない。そうではなくて問題はこの人口構成そのものである。

こういう図が出ると、メディアではすぐに「社会保障費の負担が〜」という即物的な話題になって、それはそれで大きな問題だがそれよりもっと大きな問題がある。それは心理的な問題で、「元気な高齢者」が多すぎる社会は、若い人の考えが通りづらい社会になってしまうということだ(50代はまだ「高齢者」ではないですが)。

こういう社会では、企業や団体での議論が時代遅れなものばかりとなり、若い人の真っ当な意見が通らなくなる。それにより、様々な活動が世界の潮流から乗り遅れて、ますます経済力・活力がなくなり時代遅れが横行する。いや、すでに日本社会はそういう悪循環に陥っていると思う。

一方、戦後すぐの1950年の人口ピラミッドを見てみるとどうか。この社会は随分と活気があったはずだ。事実若い人が中心になって、どんどん新しいことに取り組んでいた。無様な失敗も多かったが、今のように間違いを恐れて萎縮するようなこともなかった。もちろん戦争の傷跡の残る時代であり、ものも金もなく、人々の生活は苦しかった。この頃は「好きなことに思いきり取り組める」ような社会ではなかった。

だが若者の労働生産性を上げるためには、こういう社会を目指す必要がある。つまり、若者が中心になって物事を動かして行く社会に。引いては、今の時代にあった効率的な働き方、暮らし方へと変えていく必要がある。

話を戻して、南さつま市のまち・ひと・しごと創生総合戦略(案)を見てみると、このような視点はほとんどないと言わざるを得ない。この戦略の主要な目標値(2020年に向けたもの)は、
  • 新たな産業の事業化 5件
  • 延入込客数 200万人
  • 企業誘致や就業支援等による新たな雇用 100人
  • 市民の産業関連施策に関する満足度 10%増
  • 安心して暮らせるまちと感じる人の割合 10%増
  • 少子化関連施策に関する満足度 10%増
の6件なのである。私なら、基本目標に「生産年齢の平均所得を10%上昇」を掲げたいところだ(※)。その10%を何で稼ぐかは別に考えなくてはならないにしても、これくらい実現できなくては人口減少の中で「地域の活力」を維持していくことなんて出来るはずがない。

人口減少社会への対応策は、「一億総活躍」などというものではなく、平成版「所得倍増計画」でなくてはならないと思う。

【情報】
パブリックコメント まち・ひと・しごと創生人口ビジョン・総合戦略(案)について
→10月19日までなので期間がありませんが、ご関心があるところだけでも見て意見を出してみて下さい。最初に南さつま市の人口動態に関する説明、市民へのアンケート結果があって、36ページからが戦略の本体です。

パブリックコメント 「第2次南さつま市行政改革大綱(案)」に対する意見募集について
こっちはついでですが、行政改革大綱についても10月25日までパブコメしています。

※正確に言えば、労働生産性を上げることが必要であり、所得は上昇しなくてもいいと思う。というのは、労働時間を短くしてもよいのであって、究極的にいえば暮らしの「ゆとり」が増えればよいのである。でも行政が掲げる目標である以上、計測不能な「ゆとり」よりも「所得」くらい味気ない目標の方がいいと思う。

2015年10月9日金曜日

状態のよい廃校校舎が、利用されるのを待っています

今年の4月に閉校した南さつま市の久木野小学校。廃校になったその校舎が、新たなアイデアで活用されるのを待っている!

南さつま市は現在、この廃校の校舎について「地域と共存しながら、活力ある地域振興に資するような事業者等を募集」している。4月に廃校になってからまだ半年ほど、このようなスピード感で事業者募集がなされていることに敬意を表したい。

というのも、廃校校舎の利用・活用についてはどうしても後手の対応になりがちである。その最大の原因は所管が教育委員会であることで、ただでさえ合併や閉校に伴う事務処理に追われる中、別に急ぐ必要もない廃校利用の検討なんかは自然と後回しにされるからだ。

その検討も、地域住民の意向を聞いたり、「とりあえず公民館(地域住民の活動拠点施設という意味で)にしておきましょうか」みたいな暫定的な処置をしているうちに建物のメンテナンスが必要になってきたりして、結局活用できずに取り壊すしかなくなる、なんてことも多い。また学校の校舎の場合、文教施設整備補助金という国のお金を使って建設することから、教育に関係する施設以外に勝手に転用できないという規制もあった(最近緩和されて、この転用は随分簡単になった)。

そういう全体的な傾向を考えると、この旧・久木野小学校の校舎はかなり状態がいい!

今年の3月まで使っていたから当然だが普通に使う分には改装はいらないし、何より平成15年に大規模改修が行われていてキレイかつ耐震面も万全。この素晴らしい施設を何と無償貸与してもらえるという募集である!(ただし土地の貸付は有償だそうです)

このような条件のよい案件なので、ぜひ多くの積極的な事業者にご検討いただきたいと、他人事ながら願っている次第である。というのも、このことは市役所のWEBサイトでひっそりと告知されているだけで、こういう案件を探している都市部の事業者のアンテナに引っかからないのではないかと心配だ。

ちなみにあんまり(というかほとんど)知られていないが、文科省はこういう廃校の活用募集の情報をまとめているので、めざとい事業者はこういうのを逐次チェックして優良物件を探しているのかもしれないが…。

ところで、南さつま市の久志中学校の校舎も同様の提案を募集していて、こちらはちょっと校舎の状態が良くない(でも景観はこっちの方が勝れているかも)。閉校になったのも5年前のことだし、どうせ募集をするならもっと早くにすればよかったのに…、というのが実感だ。だがこういう経験があって、久木野小学校の場合はスピーディに提案募集に踏み切ったと思うので市政は前進しているとも思う。

とはいっても、極端に言えば募集するだけなら誰でもできる。この情報を本当に求めている人・事業者のところに届けるところまで含めて一連の仕事だろう。都市部で説明会を開いたり、その筋の人(廃校の利活用を進めている団体とかがあります)と顔を繋いだりするなど、今後の積極的な広報と働きかけを期待したいところである。

というわけで、このブログをご覧のみなさんも、「あの人、この校舎を使いたいと思うのでは?」という心当たりがありましたらぜひ情報をシェアして下さい。募集に期限は切られておりませんが、逆に言うと早い者勝ちみたいなのでご検討はお早めに!

【情報】
旧久木野小学校校舎活用の募集について 
旧久志中学校校舎活用の募集について

~未来につなごう~「みんなの廃校」プロジェクト ←文部科学省がやってる廃校活用を進める取り組み

2015年10月6日火曜日

世界の多様性——棚田を巡る旅(その5)

エドワード・O・ウィルソンという学者がいる。「社会生物学」という学問を開拓した人の一人で、アリの世界的権威だ。その学者が、環境保護についてこんなことを言っている。我々は自然のことが本能的に好きであり、特に多様な生物が生きている状態が好きである。だから環境保護をすることは、人間の本性に適っているのだ、と。

これは要するに「人間は多様な自然が好きだから環境保護するのは適切だ」ということに近いわけで、最初に読んだときは(私は当時社会生物学を勉強していてウィルソンの本を熱心に読んでいたので)「社会生物学についてはもの凄い炯眼なのに、随分浅はかなことを言うものだ」とガッカリしたものだ。環境保護は、人間の自然に対する責任から説明すべきことであって、自然が好きとか嫌いとか、そういう好みの問題ではないはずだ。

しかしそれから暫く経ち、よくよく考えてみると、このウィルソンの考え方はそれほど的まずれではないような気がしてきた。それどころか、浅はかだったのは私の方だったのかもしれないと思うようになった。

ものごとの価値、というものは、絶対的な何か(例えば神)によって決まっているものではない(無神論的には)。全ての価値は、あくまで人間にとっての価値でしかない。もし仮に人間が絶滅してしまえば、ベートーヴェンの交響曲のスコアも、ツタンカーメンの黄金のマスクも、何の価値もない。いや、「価値」ということを考えることすらできない。

保護すべき「自然の価値」というのも同じである。我々が考えることが出来るのは、あくまで「人間にとっての自然の価値」でしかないわけだ。だとしたら、それは具体的にそれは何なのか。キレイな空気や水、素晴らしい景観、朝の鳥のさえずり、そういうものが与えてくれる、物質的・精神的な心地よさ、それが「人間にとっての自然の価値」なんだろうか。

でもそうだとすれば、我々が環境保護をしたいと思うのは、あくまでも自分たちの周辺だけのはずだ。自分たちに物質的・精神的な心地よさを与えてくれるのは、近場の自然だけだからである。でも実際には、自分から遙かに遠く離れた場所のことであっても「絶滅の危機にある生物」のことを知れば、ちゃんと保護してあげないと! と思うのが人間だ。

しかし、その「絶滅の危機にある生物」が実際に絶滅したからと言って自分が不利益を蒙ることは一つもない。身の回りの自然さえ心地よければ、自分の心地よさが減ずることはないからだ。でもやはり普通の人は、できればどんな種類の生物だって絶滅しない方がいいと思っている。ということは、「人間にとっての自然の価値」は、決して自分が直接的に感じる物質的・精神的な心地よさ、だけではないのだ。

ウィルソンは、人間は本能的に自然を好むと考え、「バイオフィリア仮説」という風変わりな仮説を提示した。「バイオフィリア仮説」とは、人間と生物システム(生物全体やその環境)との間には本能的な結びつきがあるのだ、とするもので、人間が生物多様性を好むのもこの性向に由来するのだという。乱暴に言うと、我々は、仮に自分が直接触れたり見たりできなくても、多様な生物が生きている世界にいる(と感じる)のが本能的に好きなのだという。

ということは、「人間にとっての自然の価値」は、直接的に受ける何かの便益というより、「我々人類は生命に溢れた星に生きているんだ」と実感できるところにある。確かに我々は、その理由はうまく説明できなくても、小惑星の衝突によって生物の大部分が絶滅した状態の地球よりも、多様な生物が繁栄し生命に溢れた地球の方が好きである。それが仮に、人間がいない世界だったとしても。人間は、自分が自然とどのような関わりをしていようとも、問答無用で「命溢れる星」が好きなのだと思う。

それだけではない。生物多様性が好きなのと同じで、我々は世界そのものの多様性も好きである(これをウィルソンが言っているか忘れたが)。

例えば、数千の言語が消滅の危機にあるというが、どうして弱小言語を保護しなければならないのだろうか。多くの言語は、言語学的な意味を除いては、世界にほとんど何の便益も提供しない。要するに、消滅しても誰も困る人がいない。なくなってしまったらもう二度と甦らせることはできないということで、博物学的な価値はあるかもしれないが、普通の人には関係のないことだ。それでも、言語が一つ消滅するという場面を知れば、多くの人は哀惜の念を抱くものだ。最後の話者が話す、もうその人以外は誰も理解できなくなってしまった言葉を愛おしく思う。

消えゆく伝統工芸だって同じことだ。伝統の技が消えつつあると知れば、どうにかして存続させられないものか、と思う。もはやその技は、誰にも必要とされていないものなのに(だから消滅しかかっている)。物事が、経済的にまたは文化的に、役目を終えて消えていくのは自然なことだ。でもそれを無理に延命させようとするのが人間だ。なぜか。

我々は、きっと世界の多様性そのものを愛しているのだ、本能的に。

自分とは無関係でも、奇妙な言語を話す人たちが存在していて欲しいし、自分は絶対に買わなくても、伝統工芸品がいつまでもどこかで作られていて欲しい。これは一面ではエゴである。伝統工芸品がいつまでも作られていて欲しいなら、本来ならそれを買うべきだ。買って作り手を応援することこそ、消費社会の中での正しい選択だ。だが多くの人は、別にその伝統工芸品が欲しいから、その技が消えるのを惜しむのではない。そうではなくて、自分が絶対買わないような製品でも、とにかくどこかにはそれが売られている、という豊かな世界が好きなのである。

我々は、どんな遠くまで出かけていっても、まだその先に知らない世界がある、というようなワンダーランドが好みらしい。理屈ではなく本能的に。それは実際に遠くに出かけるからではない。遠くに出かけて知らないものを知るのが好きなのではなくて、「仮に」出かけたら面白いものが見られるはずの世界で生きている、という感覚でいたいのだ。

……随分議論が遠回りしてきたが、棚田の価値、というものをぐるぐる考えていたら、結局ここに行き着いた。

棚田の価値は、作っている人自身にとってはいろいろある。集落の象徴的な景観を維持することとか、集落活性化の中心にするとか。でも外の人にとっての価値は何なのかというのが疑問だった。景観とか活性化とかが価値の中身なら、それはあくまで内輪の価値に過ぎない。棚田は、その地域の人たちがやりたいなら勝手にやればいい、というようなものだということになる。だが棚田の保全には多くの人が興味を持っており、確かに何らかの価値を感じている。

「棚田は日本の原風景だから保全すべき」という人もいる。でも棚田が日本の原風景なのかもちょっと疑問だし(意外と新しいものが多い)、原風景だったら保全すべきだ、というのも論理に飛躍がある。ボットン便所(木の桶がただおいているだけの便所)だって日本の農村の原風景だったと思うが、誰も実際に使うべきと主張している人はいない。

棚田を保全することの価値はきっと、棚田そのものがどうこうということではない。それは、消滅しつつある言語とか、消えゆく伝統工芸の技へ哀惜の念を抱くのと同じことなんじゃないだろうか。つまり、我々は棚田のような「役目を終えたもの」でも、存続している多様性のある世界に住みたいのである。効率や合理性を追求した通り一辺倒の「農業」だけじゃなくて、非効率で非合理的な、棚田の耕作のような「マツリゴト」も行われている世界に住みたいのである。棚田そのものに価値を感じているというより、棚田のようなものでも捨て去りはしない「世界」を愛しているのではないか。

もちろん、多様性があればなんでもいいというものではない。世界には紛争が溢れ、児童労働や人身売買が横行している。そういうものがいくら多様であっても、人間はそれに価値は感じない。百の不幸があるよりは、一つの幸福があった方がよい。多様性よりは人類の福祉が優先される。それがたぶん、ボットン便所を保全すべきという声が上がらない理由だと思う。でも逆に言えば、そういうデメリットがない限り、明確なメリット(価値や便益)を何も提供しなくても、我々はいろんなものが世界に存在していて欲しいと願う「生まれながらの多様性愛好者」である。

きっとそれは、環境の変化に備えた生き残り戦略なんだろう。環境が変化したとき、これまでゴミだったものが生き残りの鍵になるかもしれない。現代の社会では、棚田の耕作は趣味的なもので、あってもなくても産業的にはどうでもいいが、ひょっとすると何らかの環境変化によって、棚田耕作の技術が日本の農業を救うことならないとも限らない。世界は多様であった方が、誰かが生き残る確率は高くなる。みんなが同じ方向を向いていれば、みんなが破滅してしまうかもしれない。世界の多様性は、ただの好みの問題ではなくて、人類が生き残るための切実な要請である

私が考える棚田の価値はそういうことだ。棚田の耕作そのものに価値があるのかどうかわからない。だが、棚田のような割に合わない営みが確かに行われているこの世界には、価値がある。

効率や合理性だけでない、豊かな世界をつくるピースの一つ、それが私にとっての棚田の価値である。

2015年10月1日木曜日

(私がパッケージデザインした)狩集農園の「おうちでたべているお米」がA-Zかわなべで販売中

ちょっと宣伝。

今日から、A-Zかわなべに狩集農園の「おうちでたべているお米」が並んでいるので、南薩にお住まいの方は是非チェックして欲しい。

以前もブログに書いたが、このお米のパッケージは私がデザインさせてもらったもの。特にこれは、A-Zかわなべで店頭販売することを考えてデザインしたものだったから、こうして無事店頭に並んで嬉しい。郵便局の通信販売(ふるさと小包)とか物産館での販売では、パッケージの良し悪しは売れ行きにはあんまり関係ないと思うが、こういう多くの人が訪れるお店ではやっぱり商品の顔というのは大事だ。

A-Zは、ちょっと見境がないくらいアイテム数を充実させているお店なので、お米だけでもものすごくたくさんの種類がある。たぶん40種類以上はあると思う。その中で、このパッケージはそれなりに独自性があって目立つと思う(自画自賛)から、ちょっとはこのデザインがお役に立てるのではないだろうか。

というか、本当にお米だけでもすごい種類が置かれているから、訳が分からないくらいだ。一般の消費者はこのたくさんの商品の中からどうやって選んでいるんだろう。

しかも、似たようなものばかり、…といったら失礼かもしれないが、本当に大同小異なものがたくさんある。お米はあまり差別化できない商材だとしても、パッケージのデザインからそこに書いてあることまで似ているから、消費者としてはどれを選んでいいのか分からない。

でも値段はいろいろで、5kg入りで比べると、最安値は990円、最高値は2690円だった。この値段の差が何に起因するのか、商品説明だけではよくわからない。複数原料米であるとか、昨年の米であるとか、極端な安値商品には理由があるだろうが、中心価格帯である1300円のお米と1800円のお米の違いはパッケージを見てもはっきりとは分からない。もちろん食べたら違いがあるのかもしれないが…。

こういう、大同小異の商品がたくさん置かれているというのは、野菜とか肉みたいな原材料食品の陳列棚としては異例なことで、米が特別である。野菜は、小売りの常識として、通常一店舗には一種類の商品しか置かない。例えば、ニンジンを売るなら、鹿児島県産ニンジン200円、○○県産ニンジン250円、○×ブランドニンジン350円、みたいに並べて売ることは普通ない。ニンジンならニンジンで、普通は1種類しかないものだ。

どうしてかというと、野菜のようにいつも買う商品では、「どれにしようかなー」と考えるのが消費者としては面倒で、このように数種類ある場合は迷ってしまって買い物のリズムが崩れる。何も考えずにニンジンを買い物かごに入れる方が、消費者としても余計なことを考えずに済むし、お店の方としても商品管理がしやすい。要するに、野菜はわざわざ選んで買うようなものではないのだ。

肉の場合はちょっと違って、いくつかのグレードを用意するのが普通だ。安い肉、普通の肉、ちょっと高い肉、銘柄肉、といったように。しかしそれにしても、大同小異の肉が並ぶということは普通はありえない。グレードごとには1種類が基本である。

だが米は違う。米はなぜか大同小異の商品がたくさん並べられていることが多い。これは私にとって謎である。その方が売れ行き(利益)がいいのだろうか。多くの消費者が、様々な銘柄や産地の米を食べ比べたり、いくつかの商品をローテーションで買っているということはなさそうだが…。

こういう陳列棚は、原材料食品というより嗜好品のそれに近い。米の陳列棚に似ているのは、ワインの陳列棚だ。ワインの棚も、値段的にも内容的にも大同小異の(なんてことを言ったらワイン通に叱られるが)ワインがたくさん並んでいる。でも嗜好品の場合、大同小異というのは悪いことではなくて、微妙な差異を楽しむものだからこれはよく分かる。だが米の場合、 消費者が微妙な差異を楽しんでいるようにも思えない。

というのは、ワインはスペック(?)が細かく表現されるが(酸味がどうだとかフルーティだとか) 、お米についてはそういうのはあまり聞かない。大同小異なものを売っていく場合、大抵細かい違いを強調する方向でマーケティングされていくことが多いが(例えば大衆車がそんな感じ)、お米では細かい違いが強調されるなんてこともない。どれもこれも、「キレイな水」とか、「こだわりの」とか、「愛情たっぷり」とかそういうことが書いてある。これでどうやってみんなお米を選んでいるのか本当に不思議だ。

というわけで、A-Zかわなべではみなさんさぞお米選びに苦労しているのではないかと思う。でも今なら、何も考えずに狩集農園の「おうちでたべているお米」を手にとっていただければ大丈夫。比較考量する必要がなくて楽です! ちなみに、価格はこのたくさんのお米の中で2番目に高く、2390円(ちなみに最高値2690円のお米は京都丹波のお米だった)。でも(あまりアピールされていないが)無農薬のお米だから安いくらい。どうぞよろしくお願いいたします。

2015年9月29日火曜日

不屈の松尾集落——棚田を巡る旅(その4)

旅は最終目的地、熊本県あさぎり町須恵の松尾集落へ。

ここの集落には棚田はない。棚田の研修なのに最後に見るのは棚田ではなく、鳥獣害の防除についてだ。

この松尾集落もまたすごいところにある。市街地からの距離はさほどでもないが、つづら折りの坂道をぐぐっと登ったところにあり、急傾斜地ばかりで集落内に平地が少ない。傾斜の激しいところには栗、やや緩やかなところは茶や梨、そして耕作が困難なところにはワラビが栽培(勝手に生えているのを収穫しているだけかも?)されている。村を見下ろす山一つが集落の農地、という感じで意外にも農地は多く計17ヘクタールもあるという。

松尾集落の取組で注目されているのは、これらの農地を守る鳥獣害防止の電牧柵の設置である。

近年鳥獣害がどこでもひどくなってきて、柵の設置やその共同化などは多くの地域でやられている。松尾集落もシカ、イノシシ、サルの被害を防ぐために柵を設置していたが思うように被害が軽減しない。そこで集落でよく話し合って効果的な設置方法に変え、見事鳥獣害を激減させることに成功したのである。こうして書くと普通の話なのだが、松尾集落は検討から設置に至るまでの作業を非常に合理的かつ実直にやっていて、そこが他の地域と少し違うところだ。

具体的には、まず被害状況を詳細に調べた。どこからイノシシやシカが入りやすいか。どうして柵を設置しているのにそれが破られるか。それをマッピングして専門家にも意見を仰ぎ、どのような防除が効果的か調査した。そして守るべき農地の優先順位を決め、農地の団地化を行った。それまではなるだけ広い範囲を柵で囲うことを考えていたが、むしろ狭く囲った団地を何カ所もつくることにした。こうすることで、柵が破られた場合もどこが破られたか特定しやすくし、また団地ごとに責任者を定めることで管理の手を届きやすくしたのである。

柵は全額補助で手に入れた。つまり集落の負担はゼロ円。だが設置は自分たちでしなければならない。柵は現物支給で、年度末までに設置検査があるので短期間で設置する必要がある。そこで学生ボランティアなども動員して作業は一気に行い、2015年までの3年間で総延長6キロもの柵を設置した。このような取組で鳥獣害をほとんど防止することに成功したのである。

さて、この松尾集落のすごさは、集落民がたった4戸9人しかいない中でこうした取組をしているところである。そのうち半数はお年寄りで戦力外なので、実質5人(!)くらいでやっているわけだ。まず、たった4戸で集落機能が維持されていること自体がすごい。

そして、鳥獣害とは関係ないが、松尾集落では毎年「桜祭り」というイベントをしていて、これには3000人から5000人もの人出があるという。このお祭りは集落にある「遠山桜」という桜を大勢の人に見てもらうためにやっているもので、実行委員会形式を取っているので実施メンバーは集落民だけというわけではないものの、こんな小さな集落が5000人も集めるイベントをやるというのがビックリである。

松尾集落がこうした活動ができるのは、「中山間地直接支払制度」のお陰でもある。 「中山間地直接支払制度」というのは、大雑把に言うと、傾斜地など耕作に不利な農地をちゃんと維持していくなら面積に応じて補助金をあげます、という制度である。松尾集落はたった9人の集落でも農地は17ヘクタールもあるので、一年あたり200万円くらいの補助金が下りる。これを活動資金にして少人数でも前向きな取組ができるのである。

しかし本質的には、集落への愛情、というようなものが活動を支えている。

そもそも、松尾集落の鳥獣害対策の特色はその合理性と効率性にあるのだが、このような不利な農地で耕作を続けて行くこと自体は非合理であり非効率的である。今の時代、もう少し生産性の高い農地に移動していくことも不可能ではないし、集落に専業農家は2戸しかないので農地の維持に高いコストをかけなくてはならないわけでもなさそうだ。

どうしてここまでして、たった4戸でこの耕作に適さない農地を維持しているのか、自治会長さんに聞いてみた。

「この集落は、昭和29年に開拓入植でできた集落です」自治会長さんがそう話し始める。

発端は須恵村がやった農家の「次三男対策事業」。要するに相続する農地がない農家の次男三男を募って、近場の山を開墾させて新天地を作った。そうやって8戸の農家が入植したのが松尾集落の起源だという。今の人たちはその2世。開墾にも苦労したが、村の役所の人も随分苦労したらしい。それで2世は親たちから「俺たちの受けた恩を忘れないでくれ」とことある事に聞かされて育ったらしい。そして親たちが苦労して開拓したこの地を守っていくことがその期待に応えることだと、2世の人たちは考えているんだそうだ。

私はこの話を聞いて衝撃を受けた。こんな不利な農地を開墾させるなんて、普通なら「こんな山奥に追いやられた」と被害者意識を持ってもおかしくないくらいなのに、開拓入植1世は新天地を与えられたことを感謝し、2世はその気持ちを受け継いで、不合理・非効率な農地の維持に取り組んでいるのである。ほとんど「シーシュポスの岩」を押し上げるような取組に…。

それで、たった4戸の限界集落になっても「俺たちの代で松尾集落を終わらせるわけにはいかない」と意気込んでいる。高齢化で耕作が難しくなった農地があれば集落で共同耕作する農地としてなんとか耕作放棄地化しないようにしているし、それもできなくなればワラビ園にしている。鳥獣害防止は合理的なやり方をしているが、それ以外はほとんどド根性の世界だと思った。

この集落の様子は、日光の棚田とか、鬼の口の棚田とは随分違うように見える。棚田の維持は景観の面の価値が大きいことが多いが、松尾集落の農地はキレイな景観というわけではない。もちろん観光的な価値もほとんどない。先祖伝来の農地というわけでもなく、せいぜい親世代からの農地であって、歴史的・文化的価値もない。それでも、松尾集落の人たちはその農地を大事に思っている。

どうしてなんだろう?自分の親が苦労して切り拓いた農地だから、という説明は、何か納得できないところがある。親が苦労してつくり上げたものをすげなく捨ててしまう子どもはいくらでもいる。むしろそれが普通で、親とは違った面で発展して行こうとするところに世代交代の意味があると思う。親と同じ苦労をしたがる子どもというのはかなり変わっている。

私は、未だにその答えがよく摑めないでいる。しかし一つ言えることは、松尾集落が「開拓者精神」でつくられた強いアイデンティティを持っているということである。たった1世代の間にこの集落は、困難を切り拓いていく精神と、村を見下ろす圧倒的な立地とで、我こそ松尾集落なり、という個性を獲得したようだ。松尾集落の人たちが失いたくないのは、一つひとつの農地というより、そういう強固なアイデンティティなのではないか。もっと楽な仕事や生き方があるとしても、それをしないのが松尾集落の魂なのかもしれない。

(つづく)

2015年9月21日月曜日

一勝地の温泉宿から——棚田を巡る旅(その3)

研修の宿は、球磨川の支流のほとりにある、球磨村の一勝地温泉「かわせみ」。温泉宿自体が棚田の上にあるという、棚田の研修としては出来すぎた立地である。

ここ「一勝地(いっしょうち)」は、縁起のよい地名であることから、一勝地駅の切符が受験生のお守りになったり、駅近くにある「一勝地阿蘇神社」で勝負の験担ぎをするといったことが行われていて、一種のパワースポット的に扱われている。

しかし地元の人に聞いたところ、「一勝地」は元は「一升内」と書いたそうだ。これは鎌倉時代にこの地を治めた地頭の一升内下野守に由来するらしいが、「一枚の田んぼから一升の米しか穫れないような小さな田んぼが多い」ということが語源であると考えられている。これが縁起のよい「一勝地」に変わったのは明治の頃で、「一升内」では意味合いが悪すぎることから、敢えて縁起のよい字を選んで改めたのだそうだ。

その「一升内」の地名はダテではなく、確かにここらには狭い田んぼがすごく多い。そして温泉宿から歩いて15分くらいのところには、これも日本の棚田百選に選ばれている「鬼の口棚田」がある。

「鬼の口棚田」は研修先ではなかったので説明は聞けなかったが、後から調べたところによれば「日光の棚田」のような特別な取り組みはしておらず、地域の昔ながらの小規模耕作農家によって守られているそうである。

「特別な取り組み」はなくとも、この棚田はよく守られていて、ざっと見たところ荒れているところがない。どの田んぼもしっかりと耕作されていて、美しい。しかも、(インターネットに載っていた情報なので信憑性は低いが)ことさら棚田米とかで高級品として売られているわけでもないらしい。物産館には棚田米みたいなものは置いてあったが、少なくとも「鬼の口棚田米」を大々的に販売しているという様子ではなかった。

「日光の棚田」みたいに、活性化の取り組みによって再生した棚田ももちろん興味深いが、私はこういう地域の人々が自然体で維持してきた棚田の方にもっと関心がある。手間ばかりかかって実入りの少ない棚田を、どうして一勝地の人々は維持してきたのだろう。こんな狭い田んぼで不如意な米作りをするよりも、人吉に出て行って働いた方がよっぽど収入になるだろうに。

ただし、耕作放棄地は増えてきているそうだ。温泉宿の隣にあったゲートボール場は放棄された棚田を潰してできたものらしい。それでも、あたりにある主だった棚田にはちゃんと稲が靡いている。この地域の人にとって棚田の耕作を続ける意味はなんなのか、とても知りたくなった。

ところで、宿泊先の一勝地温泉「かわせみ」は、村営の旅館だがなかなか立派な宿である。泉質が優れているとかで遠方からの客も結構多いらしい。元は竹下内閣の地方創生事業(いわゆる一億円バラマキ)で出来た宿で、隣には「石の交流館」という石造りの立派な施設(あんまり稼働してなさそうな感じがしたが)もある。

一億円バラマキの地方創生事業は、政策効果が不明確だとか、無駄なハコモノの乱立の原因になったとか、評判がいまいちだけれども、これを奇貨として役立てた自治体には地域振興にしっかりと役立っており、今の小うるさい「地方創生」なんかよりいいんじゃないかという気がする。もちろん、バブルの頃の上げ潮の中のお金と、現在の汲々とした中でのお金は全然意味合いが違うから比較はできないが…。

そして温泉宿から不思議な工場(こうば)が見えたので何かと思って地元の人に聞いてみたら、熊本に唯一残った「椨粉(たぶこ)」の製粉工場であった。「椨粉」というのは、タブノキの樹皮などを細かく砕いて作る粉で、水を加えると粘性が大きく様々な形に成形が可能で焚いても無臭なことから、蚊取り線香などの下地材(線香粘結剤)として使われてきた。今では化学的に下地材を作れるため普通の蚊取り線香には使われておらず、高級なお香のみに使われているそうだ。

かつて熊本は、良質なタブノキがたくさん採れたことで椨粉の工場がたくさんあったらしい。山地に住んでいた人たちは、耕作地が少ないこともあり農閑期にはタブノキの枝葉を採って椨粉の製粉工場へ売りに行ったということだ。

現在では、そういうライフスタイルもなさそうだし、それ以上にタブノキ自体が輸入品になっているので椨粉の製粉工場はどんどん廃れて、熊本県にここしか製粉工場は残っていない。そしてここも、もうタブノキの枝葉を地域の人から買い入れるシステムは採っておらず、タブノキ自体は輸入品を使っているみたいである。

ちなみに多分全国で唯一だと思うが、鹿児島の大隅にある工場(実はここが経営しているところ)だけが国内のタブノキを買い入れて製粉しているということだ。私はタブノキをお香の下地材に使うということも知らなかったので、外から眺めるだけとはいえこういう工場の存在を知ったことはとても勉強になった。

こういう渓流の地というのは、今でこそ土地が狭くて耕作地が少なく、貧乏たらしく見えるが、水力がエネルギーとして重要だった頃には、意外と恵まれた土地だったとも言える。椨粉の製粉工場があったのも、渓流を利用して水車を回し、タブノキの枝葉を粉砕する大きな臼を稼働できたからである。

逆に、平地というのは広大な農地があっても動力が少なく、製粉のように大きな力を利用する産業には恵まれなかった。そこはあくまで単純な農産物生産の地であり、原材料の供給者の地位に甘んずるしかなかった。一方、球磨川は今でこそ自然がいっぱいの観光地というイメージがあるが、かつては上流で伐採した木を筏に組んで八代湾まで運ぶ林業の重要な道だったし、日本で最も早くダムが栄えて電力供給が発達したところの一つでもある。そして、豊富な森林資源と電力を使って製紙会社も栄えた立派な「産業の川」だったのである。

棚田だけでなく、急峻な山々とか渓谷とか、嶮しい自然環境というのがハンディキャップだと思うのは現代だからこそで、かつてはそれがエネルギーと資源に恵まれた「蜜の流れる土地」であった。いや、実際には、今でもそこはエネルギーと資源に恵まれているはずなのだ。とはいっても、それを活かしづらい産業システムになっているというのは事実で、椨粉を作ろうにも東南アジアからの輸入品があり、ダムはもはや撤去される時代だ。かつて球磨川が産業の川として栄えた頃とは、随分経済の仕組みが変わった。

しかし今の経済の仕組みが絶対不変のものであるわけではない。それどころか、経済の仕組みなんてものはもの凄くフラジャイルな(=壊れやすい)もので、それが健全に構築されたものであればある程どんどん変わって行く。棚田や急峻な山々が、再び「経済的に」脚光を浴びる時が来ないとも限らない。というより、既に来つつあるというような気もする。

不利な状況での遅れた農業だと思っていたものが、世の中の方が一回り逆回転して最先端の農業になってしまうことだってあるのではないか。 景観とか集落活性化だけでない、棚田の価値の転換を生きているうちに見れるかもしれない。

(つづく)