ジラフェス(大浦"ZIRA ZIRA" FES)のタオルが納品された!
タオルへのデザインは初めてだったのでちゃんとイメージ通りの印刷になるか不安だったが、想定以上にちゃんと印刷されていてビックリ。色も業者指定のインクを使わず、自分好みの色を勝手に使ったのにかなり再現性が高かった。業者の方に感謝!
デザインについても、地味すぎるんじゃないかという心配もしていたが、今のところ思った以上に好評をいただいているようである(自画自賛ですいません)。
ちなみに、ポスターでは「当日販売」を謳っているが実際には結構予約で捌けているらしい。「南薩の田舎暮らし」でも予約をとって20枚くらい売れた。このタオルは実用性とかいうよりイベントへの寄附のための商品だから、こうして応援してくれる人がたくさんいるというのは本当にすごいことだと思う。
そういう人が、気分よく500円を払ってくれるようなデザインになっていたら嬉しい。
ちょっと話が逸れるが、お祭りへの寄附をするとタオルならぬ「手ぬぐい」をもらえるところが結構ある。手ぬぐいが欲しくて寄附をする人は皆無だろうが、やっぱり形として何かもらえると寄附というのはしやすい。
それでいつも残念に思うのは、街で高校生がやっている「あしなが育英基金へのご協力をよろしくお願いしまーす」みたいな街頭活動。けなげな高校生が一生懸命頑張っているにしてはお金の集まりがいまいちではないかと心配だ。アレも何か「対価」的なものを準備すれば随分と成果が違ってくるのではないかと思ってしまう。
例えば、アメリカなんかで教会とかクラブ活動のような非営利活動の活動資金集めを行う時に「ベイクセール」というのがある。これは、実質的には寄付集めなのだが、ただ「お金をくださーい」というのではなくて、みんなでドーナツやクッキーなどを焼いて(ベイク=bake)、それを販売するというものである。要するにチャリティバザーを焼き菓子でやるわけだ。
もちろんベイクセールといえば寄附集めであることは道行く人はちゃんとわかっていて、 お菓子を食べたい人を対象にしているというよりは、「がんばってお菓子を焼いたから協力よろしくね」というメッセージを送っているのではないかと思う(実際にベイクセールをやっているところを観たことはないので想像で書いています)。
でもそういう対価があれば、やっぱり寄附はしやすいのが人情なのではないだろうか。対価として釣り合ったものでなくても、何か具体的な形が手に入る方が「ご協力をよろしくお願いしまーす」だけより、財布に手が伸びるような気がする。
ましてやけなげな高校生が作ったお菓子なら、少々高くても買ってあげようという人がいるだろう。そうすれば彼らの寄附集めももっとうまくいくのではないだろうか。
ただ、実際にはこのアイデアを日本で実行するのは難しい。日本では加工食品の販売は規制がやかましく、 アメリカのように気軽に飲食物を販売できないということである(アメリカの規制は未詳ですが)。アメリカでは、庭先でやるレモネードスタンドが子どもの小遣い稼ぎとしてよくあるらしいが、こういうのも日本で(許可を取らないで)やったら違法で、許可を取るには鹿児島県の場合3000円もかかって小遣い稼ぎにならない。
こういう、子どもによる寄附集めとか小遣い稼ぎのようなものの形態にも、食品衛生法の規制みたいな一見無関係なことが遠く影響を及ぼしていて、本当に規制というのは怖ろしいものだと思う。
2015年7月15日水曜日
2015年7月6日月曜日
南さつま市の2つのプレミアム付商品券
先日の土日、加世田ではプレミアム付の商品券が発売された。土曜日は4〜5時間も並んだそうだ。日曜日、私も販売会場の南さつま市民会館を偶然通りかかったが、すごい人出で何事かと思った。
正式名称「地域活性化すまいるアップ・プレミアム付商品券」は、1万円で1万2000円分の商品券が買えるもので、ある意味では2000円をタダで配っているのと同じことだからそこに人が殺到するのは当然である。政府が主導してやっているものだから、全国の多くの自治体で同様な現象が生じたのではないだろうか。
さて、私が気になっているのは、実は南さつま市には2種類のプレミアム付商品券があるということである。私も実際に商品券が発行されるまでそれに気づいていなかった。
なぜ南さつま市に2種類の商品券があるのかというと、商品券は自治体が直接発行するものではなく商工会や商工会議所が発行しているためで、南さつま市には「南さつま市商工会」と「南さつま商工会議所」が並立しているからなのだ。
どうして2つの似たような団体が並立しているのかというと、合併の経緯による。元々どちらの組織も根拠法に基づき、商工会は町村区に、商工会議所は市区に設立されるものであり、本市の場合も旧大浦町、笠沙町、坊津町、金峰町にはそれぞれの商工会が、そして旧加世田市には加世田商工会議所があった。それが南さつま市への合併によっても一つに統合されることなく、それぞれ旧町同士がまとまった「南さつま市商工会」と旧加世田市のみを区域とする「南さつま商工会議所」ができたというわけである。
本来は、南さつま市になったことを契機として全てが「南さつま商工会議所」にまとまるべきだったと思う。当市のような弱小自治体に同様の組織が並立していることは負担でもあり、効率も悪く、スケールメリットも発揮できない。しかしながら商工会と商工会議所は、ほぼ同様の活動をする組織であるにもかかわらず、全く別系統の存在となっているため合併が難しい。
例えば、商工会の所管は中小企業庁であり、商工会議所の所管は経産省であって所管からして違っている。また商工会は県単位組織として鹿児島県商工会連合会、全国組織として全国商工会連合会という縦の組織が存在している。一方で商工会議所は、県単には鹿児島商工会議所、全国組織は日本商工会議所、となっている。このようにそれぞれが別系統のヒエラルキーで活動をやってきた。その中身がほとんど同じものだったとしても歴史的経緯から別別になっているわけで、これが合併するのは困難である。
平成の合併の議論の中でも、商工会側から「商工会を商工会議所に無理に合併するのはやめてくれ」という声が上がったようである。実際には、行政の合併と同時にこうした事業者組織も合併する方が長い目で見れば加盟者の利益になったと思うが、結局は今まであった組織を潰したくない、ということや政治的な事情(全国商工会連合会と日本商工会議所は別に政治活動を行っているから)が優先されたような気がする。それに商工会や商工会議所が目立って意欲的な活動をしているというケースも(残念ながら)少ないと思うので、合併せずに併存していてもそれほどの差し障りはないと判断されたのだと思う。
しかし実際にこうして2つの商品券(のチラシ)を眺めて見ると、南さつま市に2種類の同様の組織があることがとても奇異に感じられる。このプレミアム付商品券の発行が、「南さつま市制施行10周年記念事業」に位置づけられていることもちょっとした皮肉ではないか。商工会と商工会議所が一つにならずに併存していることの象徴、つまり4つの旧町と加世田の断絶を象徴するような商品券なのに(併存していること自体は市の責任ではないが)。「商工会」の商品券は4つの旧町でしか使えないし、「商工会議所」の商品券は加世田でしか使えないのだ。
とはいっても、商工会と商工会議所が一つになるには、実際には合併ではなく商工会が解散して商工会議所に再編されるという手続きが必要で(たぶん)、これまであったものをなくす、という関係者にとっては誠に暗鬱な決断が必要になる。こうした暗鬱な決断を容易にし、小異を捨てて大同に就くための後押しが平成の大合併のアフターケアとして求められていると思う。
正式名称「地域活性化すまいるアップ・プレミアム付商品券」は、1万円で1万2000円分の商品券が買えるもので、ある意味では2000円をタダで配っているのと同じことだからそこに人が殺到するのは当然である。政府が主導してやっているものだから、全国の多くの自治体で同様な現象が生じたのではないだろうか。
さて、私が気になっているのは、実は南さつま市には2種類のプレミアム付商品券があるということである。私も実際に商品券が発行されるまでそれに気づいていなかった。
なぜ南さつま市に2種類の商品券があるのかというと、商品券は自治体が直接発行するものではなく商工会や商工会議所が発行しているためで、南さつま市には「南さつま市商工会」と「南さつま商工会議所」が並立しているからなのだ。
どうして2つの似たような団体が並立しているのかというと、合併の経緯による。元々どちらの組織も根拠法に基づき、商工会は町村区に、商工会議所は市区に設立されるものであり、本市の場合も旧大浦町、笠沙町、坊津町、金峰町にはそれぞれの商工会が、そして旧加世田市には加世田商工会議所があった。それが南さつま市への合併によっても一つに統合されることなく、それぞれ旧町同士がまとまった「南さつま市商工会」と旧加世田市のみを区域とする「南さつま商工会議所」ができたというわけである。
本来は、南さつま市になったことを契機として全てが「南さつま商工会議所」にまとまるべきだったと思う。当市のような弱小自治体に同様の組織が並立していることは負担でもあり、効率も悪く、スケールメリットも発揮できない。しかしながら商工会と商工会議所は、ほぼ同様の活動をする組織であるにもかかわらず、全く別系統の存在となっているため合併が難しい。
例えば、商工会の所管は中小企業庁であり、商工会議所の所管は経産省であって所管からして違っている。また商工会は県単位組織として鹿児島県商工会連合会、全国組織として全国商工会連合会という縦の組織が存在している。一方で商工会議所は、県単には鹿児島商工会議所、全国組織は日本商工会議所、となっている。このようにそれぞれが別系統のヒエラルキーで活動をやってきた。その中身がほとんど同じものだったとしても歴史的経緯から別別になっているわけで、これが合併するのは困難である。
平成の合併の議論の中でも、商工会側から「商工会を商工会議所に無理に合併するのはやめてくれ」という声が上がったようである。実際には、行政の合併と同時にこうした事業者組織も合併する方が長い目で見れば加盟者の利益になったと思うが、結局は今まであった組織を潰したくない、ということや政治的な事情(全国商工会連合会と日本商工会議所は別に政治活動を行っているから)が優先されたような気がする。それに商工会や商工会議所が目立って意欲的な活動をしているというケースも(残念ながら)少ないと思うので、合併せずに併存していてもそれほどの差し障りはないと判断されたのだと思う。
しかし実際にこうして2つの商品券(のチラシ)を眺めて見ると、南さつま市に2種類の同様の組織があることがとても奇異に感じられる。このプレミアム付商品券の発行が、「南さつま市制施行10周年記念事業」に位置づけられていることもちょっとした皮肉ではないか。商工会と商工会議所が一つにならずに併存していることの象徴、つまり4つの旧町と加世田の断絶を象徴するような商品券なのに(併存していること自体は市の責任ではないが)。「商工会」の商品券は4つの旧町でしか使えないし、「商工会議所」の商品券は加世田でしか使えないのだ。
とはいっても、商工会と商工会議所が一つになるには、実際には合併ではなく商工会が解散して商工会議所に再編されるという手続きが必要で(たぶん)、これまであったものをなくす、という関係者にとっては誠に暗鬱な決断が必要になる。こうした暗鬱な決断を容易にし、小異を捨てて大同に就くための後押しが平成の大合併のアフターケアとして求められていると思う。
2015年7月4日土曜日
社会の主導権を若者の手に取り戻す:南さつま市まち・ひと・しごと創生総合戦略へ向けて(その4)
さて、いろいろ書いてきたが「まち・ひと・しごと創生」の戦略といっても、実は「何をするか」はさほど重要ではないと思う。
これは地域おこしとかも同じで、実は「何をするか」は大して問題ではない。ここを勘違いしている人が多く、地域おこしというとすぐに「妙案」はないかと探してしまうのだが、妙案なんてインターネットにいくらでも転がっていて全然不足はしていない。
では何が大事かというと、何をするにしてもそれを「どうやってやるか」ということである。
どんなプロジェクトでも、センスと企画力と行動力のあるリーダーの下でやれば成功間違いなしだし、期待した以上の効果とそれからの意外な展開があるはずだ。だがそんなリーダーがいれば苦労しないわけで、これは無い物ねだりというものだ。
ではどうするか。それは「若い人の力でやる」ということだと思う。若い人の方が、経験豊富な人より優れているかどうか分からない。でも未来は若い人のためにある。「まち・ひと・しごと創生」とかいうことも、結局は若い人が生き生きと暮らしていく地域社会にしていくことが大事なわけで、まずその当事者である若い人が主役にならなければおかしい。
それで心配するのは、田舎(だけでなく都会も一緒なのだが)の各種ブレーンの高齢化である。つまり、何事につけても上席にいるのがお年寄りばかりで、ただでさえ少ない若い人が表に出てきていないということだ。
「大浦まつり実行委員会」みたいな、まあ毒にも薬にもならないような実行委員会でも、やはり中心は街の顔役たちであって、若い人は実働部隊になっている。これは行政が主宰する(または事務局の)各種委員会の人選というのが当て職(自治会連絡会長が委員になるのが決まっているなど、各種の顔役を自動的に委員にする仕組み)になっているからだ。
社会の人口構成自体が高齢化しているのに、それに歩調をあわせてこうした会議も高齢化してしまっては先が危うい。
例えば南さつま市最大のイベントである「吹上浜砂の祭典」もそうだ。これだけのイベントに成長したことは誇ってよいし、先達に感謝もしなくてはならない。でも何かどこかでボタンの掛け違えがあるような気がする。市民に愛されるイベント、からどこか離れていっているようで心配だ。
その背景に、実行委員会の体制があるのではないか。(実行委員長の名前すら公表されていないので伝え聞きによるが)実行委員会が高齢化してマンネリ化し、若手のアイデアを消化できなくなっているのではないか。大切に育てるべき若手の小さな発案を、巨大なイベントを大過なく運営することを優先するあまり踏みつぶしていっているのではないか(想像で批判してごめんなさい)。
「砂の祭典」を行政が巨大な労力を掛けて実施すること自体の賛否もあるようだが、私自身はやることはよいと思う。でもそのやり方が問題だ。ちゃんと若い人が中心になって、若い人の自己実現の機会になれているかということだ。「砂の祭典」だけでなく、市内で行われる様々な行事や事業が、若い人の力の発露となっているか。
だからちょっと過激な案かもしれないが、行政が主宰または事務局を務める会議や組織のチーフ(委員長とか議長とか)は、全て40代以下にすることを提案したい。そして当て職委員の数は半分程度に減らす。多分今のチーフは60〜70代が中心ではないかと思うがこれを30年若返らせる。もちろん委員全体としても若返りを図る。そうするとそこでの議論は全く違うものになってくると思う。
「やりたがる若手がいない。若手が育っていない」などと言うなかれ。あなたがそう思っているその若手は、曖昧な笑顔の裏で「この話の通じないロートルに何と言えば提案が通るのか」と考えを巡らせているはずだ。若手が育っていないと感じるのは、若手が未熟なのではなく高齢者と違う考えの世界に生きているからで、彼らからみれば年寄りの方こそプロジェクトを阻害する存在なのである。
同じことは地方議会についても言える。今の南さつま市議会の平均年齢は60歳を超える。それでは多様性のある未来志向の議論はできない。やはり子育て世代や現役バリバリの人もいないとどうしても議論は時代遅れのものになる。物事の中心には「今」を生きる人がいるべきだ。
だから市民全体として、若い議員候補を育てていかなければならないと思うし、議会自体も現役世代が参加できるような工夫が必要だ。例えば議会を平日の夜開催するとかである。今は議員に立候補できるのはどうしても引退世代か、自営業など時間に自由がきく人が中心になっているので、仕事をしながら、子育てしながら議員もできるようにする環境を作っていくのが大事だと思う。
そして、議員の平均年齢を50代に下げることができたらそれこそ「地方創生」になることは間違いない。
私は、究極的には地域おこしというのは地方自治のリノベーションだと思っている。もっと過激なことを言うなら、地域おこしとは、「地域の主導権を若者の手に取り戻すこと」に他ならないとすら思う。
高齢社会の悪いところというのは、もちろん社会保障の負担とかそういうこともあるが、それ以上に「考え方の古い年寄りが社会の主導権を握る」ことではないか。今のような変革の時代だからこそ、思い切って若手に道を譲ることが必要だ。
思えば明治維新の時もそうだった。明治維新とは、下級武士(若手)によるクーデターと見なせるがなぜあの時代に薩摩の下級武士は急速に力をつけたのか。それは社会が変革の時を迎え、鹿児島−京都・江戸をたびたび(多くは徒歩で)往復しなくてはならなかったので、そういう移動は年寄りには負担が大きく敬遠され、それで自然と若手が行動の中心になったからだ、というのが私の持論である。何しろ当事者として外部といろんな話をしてきているのだから若手の方が強くなる。最初は使いパシリ・伝言鳩的だったのかもしれないが、結局はやりとりの現場にいるものが主導権を握るものである。
一方現代はどうか。高齢者は、健康でありさえすればいつまでも社会の中心に居続けることができる。昔なら集落から役場まで出て行くことだけでも億劫だったが今なら車で数分だ。もちろんそれはいいことだ。年寄りだからといって家の中に閉じこもるようなことはよくない。どんどん外の世界へ出て行ったらよいと思う。しかしそのためにいつまでも若手が地域の顔役の影に隠れるようなことがあってはよくない。
「まち・ひと・しごと創生総合戦略」の主眼は、要するに人口減少への対応をどうするかということであり、それは喫緊の課題である。だがその戦略を年寄りが中心になって作るようなら全く意味はない。これからを生きる若い人が中心になって考えるべきことだ。
もちろん年寄りを置き去りにするつもりはない。彼らは多数派なのだから、黙っていてもその意向は社会経済に色濃く反映されるはずだ。それよりも、耳を澄まして聞くべき若い人の意見、両手で優しく包んで守らなくてはならない未熟なアイデアを大事にして、「これからを生きる人のリアル」をその戦略に反映させていかなくてはならない。
これは地域おこしとかも同じで、実は「何をするか」は大して問題ではない。ここを勘違いしている人が多く、地域おこしというとすぐに「妙案」はないかと探してしまうのだが、妙案なんてインターネットにいくらでも転がっていて全然不足はしていない。
では何が大事かというと、何をするにしてもそれを「どうやってやるか」ということである。
どんなプロジェクトでも、センスと企画力と行動力のあるリーダーの下でやれば成功間違いなしだし、期待した以上の効果とそれからの意外な展開があるはずだ。だがそんなリーダーがいれば苦労しないわけで、これは無い物ねだりというものだ。
ではどうするか。それは「若い人の力でやる」ということだと思う。若い人の方が、経験豊富な人より優れているかどうか分からない。でも未来は若い人のためにある。「まち・ひと・しごと創生」とかいうことも、結局は若い人が生き生きと暮らしていく地域社会にしていくことが大事なわけで、まずその当事者である若い人が主役にならなければおかしい。
それで心配するのは、田舎(だけでなく都会も一緒なのだが)の各種ブレーンの高齢化である。つまり、何事につけても上席にいるのがお年寄りばかりで、ただでさえ少ない若い人が表に出てきていないということだ。
「大浦まつり実行委員会」みたいな、まあ毒にも薬にもならないような実行委員会でも、やはり中心は街の顔役たちであって、若い人は実働部隊になっている。これは行政が主宰する(または事務局の)各種委員会の人選というのが当て職(自治会連絡会長が委員になるのが決まっているなど、各種の顔役を自動的に委員にする仕組み)になっているからだ。
社会の人口構成自体が高齢化しているのに、それに歩調をあわせてこうした会議も高齢化してしまっては先が危うい。
例えば南さつま市最大のイベントである「吹上浜砂の祭典」もそうだ。これだけのイベントに成長したことは誇ってよいし、先達に感謝もしなくてはならない。でも何かどこかでボタンの掛け違えがあるような気がする。市民に愛されるイベント、からどこか離れていっているようで心配だ。
その背景に、実行委員会の体制があるのではないか。(実行委員長の名前すら公表されていないので伝え聞きによるが)実行委員会が高齢化してマンネリ化し、若手のアイデアを消化できなくなっているのではないか。大切に育てるべき若手の小さな発案を、巨大なイベントを大過なく運営することを優先するあまり踏みつぶしていっているのではないか(想像で批判してごめんなさい)。
「砂の祭典」を行政が巨大な労力を掛けて実施すること自体の賛否もあるようだが、私自身はやることはよいと思う。でもそのやり方が問題だ。ちゃんと若い人が中心になって、若い人の自己実現の機会になれているかということだ。「砂の祭典」だけでなく、市内で行われる様々な行事や事業が、若い人の力の発露となっているか。
だからちょっと過激な案かもしれないが、行政が主宰または事務局を務める会議や組織のチーフ(委員長とか議長とか)は、全て40代以下にすることを提案したい。そして当て職委員の数は半分程度に減らす。多分今のチーフは60〜70代が中心ではないかと思うがこれを30年若返らせる。もちろん委員全体としても若返りを図る。そうするとそこでの議論は全く違うものになってくると思う。
「やりたがる若手がいない。若手が育っていない」などと言うなかれ。あなたがそう思っているその若手は、曖昧な笑顔の裏で「この話の通じないロートルに何と言えば提案が通るのか」と考えを巡らせているはずだ。若手が育っていないと感じるのは、若手が未熟なのではなく高齢者と違う考えの世界に生きているからで、彼らからみれば年寄りの方こそプロジェクトを阻害する存在なのである。
同じことは地方議会についても言える。今の南さつま市議会の平均年齢は60歳を超える。それでは多様性のある未来志向の議論はできない。やはり子育て世代や現役バリバリの人もいないとどうしても議論は時代遅れのものになる。物事の中心には「今」を生きる人がいるべきだ。
だから市民全体として、若い議員候補を育てていかなければならないと思うし、議会自体も現役世代が参加できるような工夫が必要だ。例えば議会を平日の夜開催するとかである。今は議員に立候補できるのはどうしても引退世代か、自営業など時間に自由がきく人が中心になっているので、仕事をしながら、子育てしながら議員もできるようにする環境を作っていくのが大事だと思う。
そして、議員の平均年齢を50代に下げることができたらそれこそ「地方創生」になることは間違いない。
私は、究極的には地域おこしというのは地方自治のリノベーションだと思っている。もっと過激なことを言うなら、地域おこしとは、「地域の主導権を若者の手に取り戻すこと」に他ならないとすら思う。
高齢社会の悪いところというのは、もちろん社会保障の負担とかそういうこともあるが、それ以上に「考え方の古い年寄りが社会の主導権を握る」ことではないか。今のような変革の時代だからこそ、思い切って若手に道を譲ることが必要だ。
思えば明治維新の時もそうだった。明治維新とは、下級武士(若手)によるクーデターと見なせるがなぜあの時代に薩摩の下級武士は急速に力をつけたのか。それは社会が変革の時を迎え、鹿児島−京都・江戸をたびたび(多くは徒歩で)往復しなくてはならなかったので、そういう移動は年寄りには負担が大きく敬遠され、それで自然と若手が行動の中心になったからだ、というのが私の持論である。何しろ当事者として外部といろんな話をしてきているのだから若手の方が強くなる。最初は使いパシリ・伝言鳩的だったのかもしれないが、結局はやりとりの現場にいるものが主導権を握るものである。
一方現代はどうか。高齢者は、健康でありさえすればいつまでも社会の中心に居続けることができる。昔なら集落から役場まで出て行くことだけでも億劫だったが今なら車で数分だ。もちろんそれはいいことだ。年寄りだからといって家の中に閉じこもるようなことはよくない。どんどん外の世界へ出て行ったらよいと思う。しかしそのためにいつまでも若手が地域の顔役の影に隠れるようなことがあってはよくない。
「まち・ひと・しごと創生総合戦略」の主眼は、要するに人口減少への対応をどうするかということであり、それは喫緊の課題である。だがその戦略を年寄りが中心になって作るようなら全く意味はない。これからを生きる若い人が中心になって考えるべきことだ。
もちろん年寄りを置き去りにするつもりはない。彼らは多数派なのだから、黙っていてもその意向は社会経済に色濃く反映されるはずだ。それよりも、耳を澄まして聞くべき若い人の意見、両手で優しく包んで守らなくてはならない未熟なアイデアを大事にして、「これからを生きる人のリアル」をその戦略に反映させていかなくてはならない。
2015年7月2日木曜日
流動性の絶対的不足:南さつま市まち・ひと・しごと創生総合戦略へ向けて(その3)
次は商工業の振興について。
商工業の振興というのは業種毎にいろいろ違う施策が必要になってくるから、汎用的なうまいアイデアは湧いてこない。既存店舗の売り上げをどう拡大していくかということに関しては、行政ができることは限られている。短期的にはプレミアム付商品券の販売みたいなことしかないだろうし、長期的に見ても商談会への参加・開催支援みたいなことになってくるだろう。
ただ一つ言えるのは、これから人口減少が確実なわけで今以上に地域外の人へ販売していく商材や方策が求められるのは確実だ。市内の人だけがお客さんというような店は、人口減少によって商売が縮小して行かざるを得ない。鹿児島市に、福岡に、東京に、海外に、と販売の範囲を広げていく支援をすることが長い目で見た商工業の振興になるだろう。
思い切って「Nansatz(南薩)」を世界ブランドにすることを目標にして近隣自治体と協力して販路開拓支援していくくらいのことをしたらいいと思う。
そして、そうした新しい商売をするに当たっては(厳しい言い方だが)既存の企業ではどうしても対応ができなくなるので、ベンチャー企業への支援を充実したらよい。それに、「田舎には注目されていない宝がたくさんある」とよく言われるように、これまで活用されていない資源を掘り起こすためにも新しい企業活動が必要だ。
これも、「南さつま市を日本一起業しやすい街にする」というくらいの目標を掲げて環境整備に取り組んでもらいたい。こんな辺鄙なところでそんなのは無理!と思うのは早計で、こんな辺鄙な日本の端っこだからこそチャレンジを応援するような施策が必要だと思う(前にも似たような記事を書いた)。
そして、それに関して是非とも必要だと思うのが物件の流動化である。これは商工業だけでなく移住者への住宅供給問題とも関係する。
全国的に空き家問題がクローズアップされているが、これにも非常に大きな誤解があるように思う。それは、物件を利用したい人が低迷しているから空き家が増えるのだ、という先入観である。実際には、こんな田舎でも物件を探している人は結構いる。そして見つからないという人も結構いるのである。空き家はたくさんあるのにどうして入居可能な物件が見つからないのか?
それは、空き家が住宅市場に出てこないからである。要するに、家主さんが貸し出さない。なぜ貸し出さないかというと、仏壇があったり(法事の時だけ利用する)、家財道具が未整理のまま置かれていたりするからである。それで、せっかくの家が倉庫となってしまっているケースが非常に多い。
現在政府が力を入れている空き家対策の主眼は、「倒壊しそうな空き家を撤去できるようにしよう」ということにあり、それはそれで必要なことだが、その前に「まだ使える住居をちゃんと利用できるようにしよう」ということの方がもっと大事なことだと思う。このように倉庫になってしまって塩漬けされている物件をちゃんと市場に放出するための施策が必要だ。
具体的には、まず家財道具を片付けることが是非とも必要になるので、「片付け補助金」の導入や片付けのサポートをやってはどうか。「片付け補助金」は既にいくつかの自治体(和歌山県、宇佐市、雲仙市、日南市)などが準備しているので真似たらよい。
また法事の時だけ利用するという場合も、数年に一度の法事のために電気や水道の基本料金を払い続けたり、仏壇を放置しているというのは無駄である。数年に一度ならホテルを利用した方が安くつくし簡単だ。市内のホテルや旅館を利用した法事宿泊プランを作って宣伝していったらいいのではないか。
また、どうしても捨てられない家財がたくさんある場合は、廃校になった小学校などを倉庫として活用して預かる方策も考えられる(例えば一定期間過ぎたら破棄されるなど)。親族に相談しないと家財が処分できない場合、親族が一堂に会して相談するというのは難しいのでこのようにとりあえず外へ持ち出すことができれば片付けも随分進むのではないかと思う。
また、そうした方策を講じたら、そのチラシなどを固定資産税の通知に同封することがとても有効だと思う。当たり前のことだが空き家の持ち主は地元にいないことが多いので、唯一の地元との繋がりが固定資産税の通知である、なんてケースもありそうである。
このように、様々な方策により空き家をちゃんと利用できるようにすれば移住者も自然と増えると思う。近年「古民家」がブームになっているが、古民家というのはほとんど市場に出てこないもので、需要に比べて供給がとても小さい。古民家に移住したい人というのは、日本全国どこでもできる仕事(クリエイターなど)をしている人が多いと思うので、きっと南さつま市に来てくれる人もいるだろう。ここにはまだ使える古民家がたくさんある。
とにかく、田舎における最大の問題は需要不足(借り手・買い手がいない)ではなく、供給不足(貸し手・売り手がいない)にあるというのが私の認識である。
そしてなぜ貸し手・売り手が少ないのかというと、財産を持っている人(多くはお年寄り)がお金に困っていなかったり、たとえ売れても少額なので手間と釣り合わなかったり、貸したり売ったりする財産管理能力に乏しかったり(老人ホームに入っているとか)、地域にいない(つまり不在地主だ)からである。結果、地域内には有効に活用されていない不動産(家、農地など)がたくさん生じている。
この遊休資産を流動化・見える化し、それを必要としている人に(できれば低価格で)譲ることが地域振興にものすごく役立つと思う。
ところで、以前営業に来た銀行の方に「こんな田舎で資産運用を呼びかけても貧乏人ばかりでしょ?」と話を振ってみたら、「とんでもない! 市内と比べたらこっちは預金の桁が違いますよ!」という答えが返ってきた。田舎の人はお金を使うところもなく、多くが親の代からの持ち家で貯金が好きな人が多いらしく、貧乏そうな(失礼!)外面とは裏腹にかなりの預貯金があるのだそうだ。
これも、田舎に存在する遊休資産の一つで、これをどうにか地域振興に繋げることができたらよいと思う。
遊休資産を放出させる方策としては財産税(固定資産税とか)があるが、税金は法律によってしか徴収できないので、条例しか作れない市町村には独自の税金をかけることはできない。だからこれへの対処はキャンペーン的なものになるだろう。
例えば、市で独自に「未来応援基金」のようなものを作ってそれに出資を募るとか。集落単位で呼びかければ結構集まると思う。基金の運用は銀行や証券会社などに委託して(※)、その運用益を有望な事業に投資・分配して、商工業や教育に役立ててはどうか。
以前「ふるさと創生事業」で1億円が全国の市町村にバラマキされた時、(旧)大浦町はそれを教育のための基金にして修学旅行(外国行き)の補助に使っていたそうである。金利の高い時だったからできたことだが、1億円の元本には手をつけず利息のみで修学旅行に宛てていたと聞く。そういう使い方ができないものか。
そこまでは無理でも、多くのお金が集まれば僅かでも運用益が出てくるので、それで次世代の産業や地域社会を作っていくことができたらよい。
あまり活用されていない資産を、それを必要としている人に融通できる環境を作っていくことが今後の田舎には大事になってくるのは確実だ。これからの私たちには何もないところから資産を作っていく余力はもうない。既にある財産を活用して、新しいことを安上がりに成し遂げるしたたかさが必要である。オリンピックの競技場を作り直すような愚行をしてはいけない。地方創生は、田舎に新築物件を作るのではなく、田舎のリノベーションでなくてはならない。
※ ただし、基金というのは透明性を確保して専門家によって運用し、また使用についても公開の議論の下で民主的に進める体制を構築しないとすぐにお金が雲散霧消してしまうので、そういう体制がなく「証券会社に委託」しかできないようだったらやる意味はないと思う。
商工業の振興というのは業種毎にいろいろ違う施策が必要になってくるから、汎用的なうまいアイデアは湧いてこない。既存店舗の売り上げをどう拡大していくかということに関しては、行政ができることは限られている。短期的にはプレミアム付商品券の販売みたいなことしかないだろうし、長期的に見ても商談会への参加・開催支援みたいなことになってくるだろう。
ただ一つ言えるのは、これから人口減少が確実なわけで今以上に地域外の人へ販売していく商材や方策が求められるのは確実だ。市内の人だけがお客さんというような店は、人口減少によって商売が縮小して行かざるを得ない。鹿児島市に、福岡に、東京に、海外に、と販売の範囲を広げていく支援をすることが長い目で見た商工業の振興になるだろう。
思い切って「Nansatz(南薩)」を世界ブランドにすることを目標にして近隣自治体と協力して販路開拓支援していくくらいのことをしたらいいと思う。
そして、そうした新しい商売をするに当たっては(厳しい言い方だが)既存の企業ではどうしても対応ができなくなるので、ベンチャー企業への支援を充実したらよい。それに、「田舎には注目されていない宝がたくさんある」とよく言われるように、これまで活用されていない資源を掘り起こすためにも新しい企業活動が必要だ。
これも、「南さつま市を日本一起業しやすい街にする」というくらいの目標を掲げて環境整備に取り組んでもらいたい。こんな辺鄙なところでそんなのは無理!と思うのは早計で、こんな辺鄙な日本の端っこだからこそチャレンジを応援するような施策が必要だと思う(前にも似たような記事を書いた)。
そして、それに関して是非とも必要だと思うのが物件の流動化である。これは商工業だけでなく移住者への住宅供給問題とも関係する。
全国的に空き家問題がクローズアップされているが、これにも非常に大きな誤解があるように思う。それは、物件を利用したい人が低迷しているから空き家が増えるのだ、という先入観である。実際には、こんな田舎でも物件を探している人は結構いる。そして見つからないという人も結構いるのである。空き家はたくさんあるのにどうして入居可能な物件が見つからないのか?
それは、空き家が住宅市場に出てこないからである。要するに、家主さんが貸し出さない。なぜ貸し出さないかというと、仏壇があったり(法事の時だけ利用する)、家財道具が未整理のまま置かれていたりするからである。それで、せっかくの家が倉庫となってしまっているケースが非常に多い。
現在政府が力を入れている空き家対策の主眼は、「倒壊しそうな空き家を撤去できるようにしよう」ということにあり、それはそれで必要なことだが、その前に「まだ使える住居をちゃんと利用できるようにしよう」ということの方がもっと大事なことだと思う。このように倉庫になってしまって塩漬けされている物件をちゃんと市場に放出するための施策が必要だ。
具体的には、まず家財道具を片付けることが是非とも必要になるので、「片付け補助金」の導入や片付けのサポートをやってはどうか。「片付け補助金」は既にいくつかの自治体(和歌山県、宇佐市、雲仙市、日南市)などが準備しているので真似たらよい。
また法事の時だけ利用するという場合も、数年に一度の法事のために電気や水道の基本料金を払い続けたり、仏壇を放置しているというのは無駄である。数年に一度ならホテルを利用した方が安くつくし簡単だ。市内のホテルや旅館を利用した法事宿泊プランを作って宣伝していったらいいのではないか。
また、どうしても捨てられない家財がたくさんある場合は、廃校になった小学校などを倉庫として活用して預かる方策も考えられる(例えば一定期間過ぎたら破棄されるなど)。親族に相談しないと家財が処分できない場合、親族が一堂に会して相談するというのは難しいのでこのようにとりあえず外へ持ち出すことができれば片付けも随分進むのではないかと思う。
また、そうした方策を講じたら、そのチラシなどを固定資産税の通知に同封することがとても有効だと思う。当たり前のことだが空き家の持ち主は地元にいないことが多いので、唯一の地元との繋がりが固定資産税の通知である、なんてケースもありそうである。
このように、様々な方策により空き家をちゃんと利用できるようにすれば移住者も自然と増えると思う。近年「古民家」がブームになっているが、古民家というのはほとんど市場に出てこないもので、需要に比べて供給がとても小さい。古民家に移住したい人というのは、日本全国どこでもできる仕事(クリエイターなど)をしている人が多いと思うので、きっと南さつま市に来てくれる人もいるだろう。ここにはまだ使える古民家がたくさんある。
とにかく、田舎における最大の問題は需要不足(借り手・買い手がいない)ではなく、供給不足(貸し手・売り手がいない)にあるというのが私の認識である。
そしてなぜ貸し手・売り手が少ないのかというと、財産を持っている人(多くはお年寄り)がお金に困っていなかったり、たとえ売れても少額なので手間と釣り合わなかったり、貸したり売ったりする財産管理能力に乏しかったり(老人ホームに入っているとか)、地域にいない(つまり不在地主だ)からである。結果、地域内には有効に活用されていない不動産(家、農地など)がたくさん生じている。
この遊休資産を流動化・見える化し、それを必要としている人に(できれば低価格で)譲ることが地域振興にものすごく役立つと思う。
ところで、以前営業に来た銀行の方に「こんな田舎で資産運用を呼びかけても貧乏人ばかりでしょ?」と話を振ってみたら、「とんでもない! 市内と比べたらこっちは預金の桁が違いますよ!」という答えが返ってきた。田舎の人はお金を使うところもなく、多くが親の代からの持ち家で貯金が好きな人が多いらしく、貧乏そうな(失礼!)外面とは裏腹にかなりの預貯金があるのだそうだ。
これも、田舎に存在する遊休資産の一つで、これをどうにか地域振興に繋げることができたらよいと思う。
遊休資産を放出させる方策としては財産税(固定資産税とか)があるが、税金は法律によってしか徴収できないので、条例しか作れない市町村には独自の税金をかけることはできない。だからこれへの対処はキャンペーン的なものになるだろう。
例えば、市で独自に「未来応援基金」のようなものを作ってそれに出資を募るとか。集落単位で呼びかければ結構集まると思う。基金の運用は銀行や証券会社などに委託して(※)、その運用益を有望な事業に投資・分配して、商工業や教育に役立ててはどうか。
以前「ふるさと創生事業」で1億円が全国の市町村にバラマキされた時、(旧)大浦町はそれを教育のための基金にして修学旅行(外国行き)の補助に使っていたそうである。金利の高い時だったからできたことだが、1億円の元本には手をつけず利息のみで修学旅行に宛てていたと聞く。そういう使い方ができないものか。
そこまでは無理でも、多くのお金が集まれば僅かでも運用益が出てくるので、それで次世代の産業や地域社会を作っていくことができたらよい。
あまり活用されていない資産を、それを必要としている人に融通できる環境を作っていくことが今後の田舎には大事になってくるのは確実だ。これからの私たちには何もないところから資産を作っていく余力はもうない。既にある財産を活用して、新しいことを安上がりに成し遂げるしたたかさが必要である。オリンピックの競技場を作り直すような愚行をしてはいけない。地方創生は、田舎に新築物件を作るのではなく、田舎のリノベーションでなくてはならない。
※ ただし、基金というのは透明性を確保して専門家によって運用し、また使用についても公開の議論の下で民主的に進める体制を構築しないとすぐにお金が雲散霧消してしまうので、そういう体制がなく「証券会社に委託」しかできないようだったらやる意味はないと思う。
2015年7月1日水曜日
死人が地主の農地:南さつま市まち・ひと・しごと創生総合戦略へ向けて(その2)
人口を維持していくためにはそれ相応の「仕事」がなくてはならない。
というわけでまずは基幹産業の農業から。
農業の振興のためには、最近では6次産業化とか「モノづくりよりコトづくり(ストーリーのある農作物を作る)」みたいなことが言われているがそれはホンの上澄みの話で、本当に必要なのは、生産性の高い農地とその集積、そして安定生産と価格の安定に尽きると思う。要するに使い勝手のよい農地で安定的に生産・販売することが一番だ。
安定生産は品質・収量を一定にすることだから農業技術の話で、価格の安定は市場との関係になって難しいので、行政として取り組めるのは「生産性の高い農地の準備とその集積の支援」になるだろう。
これは農水省が現在進めている「人・農地プラン」でも言われていることでそれなりに取り組みは始まっているものの農地の集積などはなかなか進んでいない。農地というのは動かすのが本当に難しい。長い目で取り組んで行けば徐々に農地の集積も進んでいくだろうが短期的な効果は薄いだろう。
そして報道だけを見ると農地はいくらでも余っているような印象を受けるが実際は逆で、今は農地の奪い合いとも言えるような状況になっている。機械化が進んで農家一人当たりの耕地面積が増えた結果、生産性の高い農地(平らで広い、道がある、他の農地と近いなど)を求める農家が多いからだと思う。実際、農地中間管理機構(農地の貸し借りを仲立ちしてくれる組織)でも農地を借りたいという希望が、貸したいという希望の10倍くらいある状況である。生産性の高い農地は引っ張りだこだ。
一方で、耕作放棄地が多いというのも事実である。南さつま市の場合、統計を見ると耕作地と同じくらいの広さの耕作放棄地と遊休農地がある。これは、他の農地から遠い、狭小である、機械が入っていけない、などそれなりに理由があって耕作されていないわけで、これを無理に耕作地へと変える努力は無意味だ。だが場所がさほど悪くなくても遊んでいるところもある。
それは、以前も触れたが「地主が地元にいない農地」である。地主と連絡がつかなければ借りることはできないのでこれは当然だ。ではなぜ地主さんが土地を遊ばせておくかというと、一言でいうと面倒だからだと思う。農地の固定資産税は僅かなものだし、積極的に借りたいという人が現れなければ放っておくのが楽である。
さらにもっと大きな問題は土地の権利関係にあって、キチンと相続されていない土地がものすごく多いということがある。相続されていないということは、名義上は先代や先々代のもちものになっていて、権利関係がややこしい。こうした土地がどれくらいあるのか統計が見当たらないが、私の近所で考えると相続されている農地の方が僅かで、名義人が死亡している農地の方が多いように見える。 つまり生きている人より死んでいる人の方がたくさんの土地を所有しているという異常な事態が起こっているのである。
なぜ土地の相続がキッチリなされないのかというと、名義変更にかかるお金に比べ土地の値段が僅かであること、そもそも名義変更が困難であること(権利を持つ人と疎遠であったり知らない場合がある)、名義変更しなくてもすぐには困らないこと、などが挙げられる。
しかし長期的に見ると土地の名義人が死亡していることは地域に大きな影響を及ぼす。要するに土地が塩漬けされているのと同じことで、適切に利用していくことができないので基盤整備(土地の形を整えたり道を拡幅したり、利用しやすい農地に造成しなおすこと)もできない。ただでさえ不在地主というのは問題があるのに、それがこの世にすらいない不在地主だというのは問題外である。
実は幕末にも似たようなことがあった。抜地(ぬきち)といって、質草として土地の非公式の貸し借りが行われた結果、所有権が錯綜して代官にも土地の本当の持ち主が誰なのかわからなくなり、適正に年貢を課税することができなくなって村が荒廃する(本当には土地を持っていない人が年貢を納める義務だけ負って没落する)という現象生じている。
戦前にも不在地主の問題でいろいろあって戦後には農地解放が行われたが、農地の所有権が適切に設定されていないという問題は農業の根幹に関わるものであるだけに、一見さほどの影響がないように見えても真摯に対処すべきである。
具体的には名義変更(相続)が行われていない土地の登記変更を役場が支援する(事務手続きの代行・書類作成支援・登記費用の補助など)ということが考えられる。もちろん手始めには、市内にどのくらい「死人が持っている土地」があるのかを割り出して、そのうち有効に利用されていない土地を検分し、10年くらいでこれを全部名義変更する目標を持って予算を組むというような地味な作業をしていく必要がある。
しかし既に状況はかなり末期的であって、現実的に名義変更することが困難な土地がたくさんあるので(共同名義の土地などで関係者が数十人にも上り、印鑑を集めることが無理な土地など)、いずれ法規的な手段によって強制的・自動的に名義を変更する措置を講じなくてはならないと思う。例えば、一定の猶予期間を経て現に固定資産税を払っている人に自動的に名義変更するような特別措置法をつくることが考えられる。そうしないと日本の国土は多くが死人の財産になってしまうのは明らかである。この問題を看過していると確実に国土の荒廃を招くと思う。法務省の英断に期待である。
(つづく)
【2015.7.2アップデート】タイトルを改めました。 「南さつま市まち・ひと・しごと創生総合戦略へ向けて(その1)」→(その2)→(その3)と続くとわかりにくかったので。
というわけでまずは基幹産業の農業から。
農業の振興のためには、最近では6次産業化とか「モノづくりよりコトづくり(ストーリーのある農作物を作る)」みたいなことが言われているがそれはホンの上澄みの話で、本当に必要なのは、生産性の高い農地とその集積、そして安定生産と価格の安定に尽きると思う。要するに使い勝手のよい農地で安定的に生産・販売することが一番だ。
安定生産は品質・収量を一定にすることだから農業技術の話で、価格の安定は市場との関係になって難しいので、行政として取り組めるのは「生産性の高い農地の準備とその集積の支援」になるだろう。
これは農水省が現在進めている「人・農地プラン」でも言われていることでそれなりに取り組みは始まっているものの農地の集積などはなかなか進んでいない。農地というのは動かすのが本当に難しい。長い目で取り組んで行けば徐々に農地の集積も進んでいくだろうが短期的な効果は薄いだろう。
そして報道だけを見ると農地はいくらでも余っているような印象を受けるが実際は逆で、今は農地の奪い合いとも言えるような状況になっている。機械化が進んで農家一人当たりの耕地面積が増えた結果、生産性の高い農地(平らで広い、道がある、他の農地と近いなど)を求める農家が多いからだと思う。実際、農地中間管理機構(農地の貸し借りを仲立ちしてくれる組織)でも農地を借りたいという希望が、貸したいという希望の10倍くらいある状況である。生産性の高い農地は引っ張りだこだ。
一方で、耕作放棄地が多いというのも事実である。南さつま市の場合、統計を見ると耕作地と同じくらいの広さの耕作放棄地と遊休農地がある。これは、他の農地から遠い、狭小である、機械が入っていけない、などそれなりに理由があって耕作されていないわけで、これを無理に耕作地へと変える努力は無意味だ。だが場所がさほど悪くなくても遊んでいるところもある。
それは、以前も触れたが「地主が地元にいない農地」である。地主と連絡がつかなければ借りることはできないのでこれは当然だ。ではなぜ地主さんが土地を遊ばせておくかというと、一言でいうと面倒だからだと思う。農地の固定資産税は僅かなものだし、積極的に借りたいという人が現れなければ放っておくのが楽である。
さらにもっと大きな問題は土地の権利関係にあって、キチンと相続されていない土地がものすごく多いということがある。相続されていないということは、名義上は先代や先々代のもちものになっていて、権利関係がややこしい。こうした土地がどれくらいあるのか統計が見当たらないが、私の近所で考えると相続されている農地の方が僅かで、名義人が死亡している農地の方が多いように見える。 つまり生きている人より死んでいる人の方がたくさんの土地を所有しているという異常な事態が起こっているのである。
なぜ土地の相続がキッチリなされないのかというと、名義変更にかかるお金に比べ土地の値段が僅かであること、そもそも名義変更が困難であること(権利を持つ人と疎遠であったり知らない場合がある)、名義変更しなくてもすぐには困らないこと、などが挙げられる。
しかし長期的に見ると土地の名義人が死亡していることは地域に大きな影響を及ぼす。要するに土地が塩漬けされているのと同じことで、適切に利用していくことができないので基盤整備(土地の形を整えたり道を拡幅したり、利用しやすい農地に造成しなおすこと)もできない。ただでさえ不在地主というのは問題があるのに、それがこの世にすらいない不在地主だというのは問題外である。
実は幕末にも似たようなことがあった。抜地(ぬきち)といって、質草として土地の非公式の貸し借りが行われた結果、所有権が錯綜して代官にも土地の本当の持ち主が誰なのかわからなくなり、適正に年貢を課税することができなくなって村が荒廃する(本当には土地を持っていない人が年貢を納める義務だけ負って没落する)という現象生じている。
戦前にも不在地主の問題でいろいろあって戦後には農地解放が行われたが、農地の所有権が適切に設定されていないという問題は農業の根幹に関わるものであるだけに、一見さほどの影響がないように見えても真摯に対処すべきである。
具体的には名義変更(相続)が行われていない土地の登記変更を役場が支援する(事務手続きの代行・書類作成支援・登記費用の補助など)ということが考えられる。もちろん手始めには、市内にどのくらい「死人が持っている土地」があるのかを割り出して、そのうち有効に利用されていない土地を検分し、10年くらいでこれを全部名義変更する目標を持って予算を組むというような地味な作業をしていく必要がある。
しかし既に状況はかなり末期的であって、現実的に名義変更することが困難な土地がたくさんあるので(共同名義の土地などで関係者が数十人にも上り、印鑑を集めることが無理な土地など)、いずれ法規的な手段によって強制的・自動的に名義を変更する措置を講じなくてはならないと思う。例えば、一定の猶予期間を経て現に固定資産税を払っている人に自動的に名義変更するような特別措置法をつくることが考えられる。そうしないと日本の国土は多くが死人の財産になってしまうのは明らかである。この問題を看過していると確実に国土の荒廃を招くと思う。法務省の英断に期待である。
(つづく)
【2015.7.2アップデート】タイトルを改めました。 「南さつま市まち・ひと・しごと創生総合戦略へ向けて(その1)」→(その2)→(その3)と続くとわかりにくかったので。
2015年6月30日火曜日
子どもを増やす過激なアイデア:南さつま市まち・ひと・しごと創生総合戦略へ向けて(その1)
今、南さつま市では(というかどこの市町村でも)「まち・ひと・しごと創生総合戦略」というのの策定作業を行っている。
私は地域審議会(年に2回開催されて市政に意見をいう会議)の委員をやっているので、何かよいアイデアや提案があればくださいという連絡がきた。私はいわゆるアイデアマンではなく、面白味のないことしか思いつけないが、せっかくの機会なので真面目に考えたいと思う。
まず、大前提となる人口減少への対応から。
国の施策では「東京への人口の一極集中」への対応が喧しく言われていて、要するに東京から地方へ移住する人を増やしましょうという方向性のようだ。だが地方同士が移住先として競争するとなれば限られたパイの奪い合いでしかなく、おそらく移住者へのサービス合戦(移住したら○百万円もらえるとか)になってしまう。それに日本全体で人口減少しているのだから、仮に人口の一極集中が是正されても国全体でみたら人口減少の問題は解決されない。
だからまずは地域の自生的人口増加を図るべきである。つまり少子化対策に力を入れなくてはならない。それも、かなり思いきった施策によって目に見える成果を出すことが必要だ。
例えば、子どもが3人いたら生活費の心配はしなくてもよい、というくらいの制度はできないものか。今のこども手当は、3歳未満15,000円/月、未就学児10,000円/月なので、1歳、3歳、5歳の3人の子どもがいれば年間30万円の補助になる。これを5倍にして、年間150万円が支給されることにすれば田舎ではそれだけでなんとか暮らしていける収入になる。こんな制度があれば今2人の子どもがいる人は3人目を作りやすくなるし、子育て世帯が移住してくる数も増えると思う。政策効果は覿面のハズだ。
一方、子どもの数に比例して補助がもらえる方式だと、より多く子どもを作るインセンティブは実は弱いので、1世帯あたりの子どもの数を増やすという明確な目標があるなら、例えば3人以上の子どもがいる家庭を優遇するような政策(急に補助金の額が上がるとか)をすることも有効かもしれない。
どこにそんな財源があるんだ? と思うかもしれないが、南さつま市の世帯数が約16,000で、6歳未満の子どもがいる世帯数が約1200なので(参考:南さつま市次世代育成支援行動計画【後期計画】)、子どもが2人以上いる世帯数は多分1000はないと思う。これが3人以上だときっと500以下になる。500世帯に150万円配ると7億5000万円。南さつま市の年間予算はだいたい500億円。決して捻出不可能な額ではない。幼児の人口が一人増えると地方交付税交付金がだいたい50万円くらい増えるので(※1)、その意味でも子どもを増やす政策には予算を組みやすいと思う。
もちろん、子育てしやすい環境の整備も必要だ。
私自身小さい子ども2人を抱えているわけだが、ちょっとびっくりするのは保育園に対する市の対応。保育園は基本的に「保育に欠ける子」つまり親が就労などの事情で子どもの面倒を見られない子どもが利用できる施設なので、第2子が誕生した場合に第1子が保育園から追い出される(あるいは第2子が相当小さいうちから保育園に入学させられる)ことが全国的に見られる。つまり、母親が赤ちゃんの面倒をみているならお兄ちゃん・お姉ちゃんの面倒も見られるでしょ? 保育園に入れなくてもよいでしょ? という論理で、確かに待機児童などの問題が逼迫している都市部の場合、これは多少冷淡だが理解できる。
しかしそもそも定員に達していないような保育園が多い田舎で、このような杓子定規なやり方をやるのはおかしい。
一方で、保育園が法律上「保育に欠ける子」に対して法律で位置づけられている以上、行政としてはそのような指導を取らざるを得ないのも理解できる。そこでオススメしたいのが認定こども園制度の活用である。
認定こども園は、いわゆる幼保連携の議論の中で生まれたもので、要するに「幼稚園と保育園のいいところをあわせた制度」である。ただ導入から数年経っても思うように認定こども園は増えていない。その理由は、(幼稚園を主管する)文科省と(保育園の)厚労省の連携不足などによって会計や事務が面倒であり、また支援が十分でないなど、要するに施設側にとってやりやすいものになっていないことにあるようである(※2)。
しかしこの制度は利用者側にはとても評判がよい。これまでの保育園は「共働きでないと利用できない」ものだったし、幼稚園は「午後2時以降の子どもの面倒を見なくてはならない」ものだった(もちろん延長保育の制度もあるが)。それがこの制度によって親の就労状態にかかわらず夕方まで子どもを預かってくれるのだから有り難いのは当然だ。
よって、南さつま市でも公立の幼保施設が認定こども園を目指すのはもちろん、既存の私立保育園・幼稚園も認定こども園となるよう政策的に支援していくのがよいと思う。例えば5年後には全ての保育園・幼稚園が認定こども園になるような目標を作って、行政が事務支援などを行い制度導入に力を合わせたらどうだろうか。
子ども3人いれば生活ができ、さらに市内には認定こども園が充実となれば、出生数の増加と子育て世帯の転入は確実だと思う。
(つづく)
※1 地方交付税交付金は、「基準財政需要額」というものに基づいて交付されていて、これは人口や面積などさまざまな要因で構成されるが、これの単位費用を単純に足しあわせると幼児の場合50万円くらいになる。ただ専門家ではないので間違っている可能性もあります。
※2 本来は幼稚園・保育園という縦割り行政の象徴みたいな2種類の施設ではなく、それらを一度解体して「こども園」という簡明な制度にするべきだったものが、両省の既存の制度と整合するのが困難だったために、いわば2階建て部分としての「認定こども園」制度を作ったことに失敗の原因があると思う。
【2015.7.2アップデート】タイトルを改めました。 「南さつま市まち・ひと・しごと創生総合戦略へ向けて(その1)」→(その2)→(その3)と続くとわかりにくかったので。
私は地域審議会(年に2回開催されて市政に意見をいう会議)の委員をやっているので、何かよいアイデアや提案があればくださいという連絡がきた。私はいわゆるアイデアマンではなく、面白味のないことしか思いつけないが、せっかくの機会なので真面目に考えたいと思う。
まず、大前提となる人口減少への対応から。
国の施策では「東京への人口の一極集中」への対応が喧しく言われていて、要するに東京から地方へ移住する人を増やしましょうという方向性のようだ。だが地方同士が移住先として競争するとなれば限られたパイの奪い合いでしかなく、おそらく移住者へのサービス合戦(移住したら○百万円もらえるとか)になってしまう。それに日本全体で人口減少しているのだから、仮に人口の一極集中が是正されても国全体でみたら人口減少の問題は解決されない。
だからまずは地域の自生的人口増加を図るべきである。つまり少子化対策に力を入れなくてはならない。それも、かなり思いきった施策によって目に見える成果を出すことが必要だ。
例えば、子どもが3人いたら生活費の心配はしなくてもよい、というくらいの制度はできないものか。今のこども手当は、3歳未満15,000円/月、未就学児10,000円/月なので、1歳、3歳、5歳の3人の子どもがいれば年間30万円の補助になる。これを5倍にして、年間150万円が支給されることにすれば田舎ではそれだけでなんとか暮らしていける収入になる。こんな制度があれば今2人の子どもがいる人は3人目を作りやすくなるし、子育て世帯が移住してくる数も増えると思う。政策効果は覿面のハズだ。
一方、子どもの数に比例して補助がもらえる方式だと、より多く子どもを作るインセンティブは実は弱いので、1世帯あたりの子どもの数を増やすという明確な目標があるなら、例えば3人以上の子どもがいる家庭を優遇するような政策(急に補助金の額が上がるとか)をすることも有効かもしれない。
どこにそんな財源があるんだ? と思うかもしれないが、南さつま市の世帯数が約16,000で、6歳未満の子どもがいる世帯数が約1200なので(参考:南さつま市次世代育成支援行動計画【後期計画】)、子どもが2人以上いる世帯数は多分1000はないと思う。これが3人以上だときっと500以下になる。500世帯に150万円配ると7億5000万円。南さつま市の年間予算はだいたい500億円。決して捻出不可能な額ではない。幼児の人口が一人増えると地方交付税交付金がだいたい50万円くらい増えるので(※1)、その意味でも子どもを増やす政策には予算を組みやすいと思う。
もちろん、子育てしやすい環境の整備も必要だ。
私自身小さい子ども2人を抱えているわけだが、ちょっとびっくりするのは保育園に対する市の対応。保育園は基本的に「保育に欠ける子」つまり親が就労などの事情で子どもの面倒を見られない子どもが利用できる施設なので、第2子が誕生した場合に第1子が保育園から追い出される(あるいは第2子が相当小さいうちから保育園に入学させられる)ことが全国的に見られる。つまり、母親が赤ちゃんの面倒をみているならお兄ちゃん・お姉ちゃんの面倒も見られるでしょ? 保育園に入れなくてもよいでしょ? という論理で、確かに待機児童などの問題が逼迫している都市部の場合、これは多少冷淡だが理解できる。
しかしそもそも定員に達していないような保育園が多い田舎で、このような杓子定規なやり方をやるのはおかしい。
一方で、保育園が法律上「保育に欠ける子」に対して法律で位置づけられている以上、行政としてはそのような指導を取らざるを得ないのも理解できる。そこでオススメしたいのが認定こども園制度の活用である。
認定こども園は、いわゆる幼保連携の議論の中で生まれたもので、要するに「幼稚園と保育園のいいところをあわせた制度」である。ただ導入から数年経っても思うように認定こども園は増えていない。その理由は、(幼稚園を主管する)文科省と(保育園の)厚労省の連携不足などによって会計や事務が面倒であり、また支援が十分でないなど、要するに施設側にとってやりやすいものになっていないことにあるようである(※2)。
しかしこの制度は利用者側にはとても評判がよい。これまでの保育園は「共働きでないと利用できない」ものだったし、幼稚園は「午後2時以降の子どもの面倒を見なくてはならない」ものだった(もちろん延長保育の制度もあるが)。それがこの制度によって親の就労状態にかかわらず夕方まで子どもを預かってくれるのだから有り難いのは当然だ。
よって、南さつま市でも公立の幼保施設が認定こども園を目指すのはもちろん、既存の私立保育園・幼稚園も認定こども園となるよう政策的に支援していくのがよいと思う。例えば5年後には全ての保育園・幼稚園が認定こども園になるような目標を作って、行政が事務支援などを行い制度導入に力を合わせたらどうだろうか。
子ども3人いれば生活ができ、さらに市内には認定こども園が充実となれば、出生数の増加と子育て世帯の転入は確実だと思う。
(つづく)
※1 地方交付税交付金は、「基準財政需要額」というものに基づいて交付されていて、これは人口や面積などさまざまな要因で構成されるが、これの単位費用を単純に足しあわせると幼児の場合50万円くらいになる。ただ専門家ではないので間違っている可能性もあります。
※2 本来は幼稚園・保育園という縦割り行政の象徴みたいな2種類の施設ではなく、それらを一度解体して「こども園」という簡明な制度にするべきだったものが、両省の既存の制度と整合するのが困難だったために、いわば2階建て部分としての「認定こども園」制度を作ったことに失敗の原因があると思う。
【2015.7.2アップデート】タイトルを改めました。 「南さつま市まち・ひと・しごと創生総合戦略へ向けて(その1)」→(その2)→(その3)と続くとわかりにくかったので。
2015年6月27日土曜日
かぼちゃは何のために実るのか
かぼちゃは、何のために実るのだろうか?
次世代を残すためでしょ? と思うかもしれないが、ちょっと他の植物のことを考えてみよう。植物が実るのは何のためなのか。
例えばイモ類。イモ類が土の中に丸いイモを作るのは、数ヶ月後の次のシーズンまで生き残るためのタイムカプセルのようなものである。
例えば果樹類。多くの果樹は元々は鳥や動物に食べられてフンとして排出してもらうためで、自分では移動できない植物の移動手段になっている。
もちろんこのように単純には分からない植物も多い。人間が植物を栽培し始めてから約1万年も経っているので野生の形質がほとんど残っていない植物もある。例えばトウガラシなんかは何のために実るのか私にもよくわからない。あれを食べる動物はいないと思うが…。
で、かぼちゃである。かぼちゃの実は何のために成るんだろうか? 正確に言えば、かぼちゃの原種はどのような生存戦略の下で実をならせていたのだろうか?
かぼちゃが栽培植物化されたのはメソアメリカ(メキシコあたり)で、約1万年も前のことである。実はかぼちゃは最古期から栽培されている植物の一つなのだ。
この頃のかぼちゃ原種(正確にはペポカボチャの原種)の果肉は食べられなかったらしい。では何のためにこれを古代人は育てたのかというと、かぼちゃの種を食べていたのだ。そう、かぼちゃは元々種を食べる野菜だった。それから果皮を乾燥させて容れ物にしていた。今で言う瓢箪みたいなものらしい。オルメカ文明やアステカ文明の遺物には、かぼちゃ型の土器や石器が存在するが、これはかぼちゃを容れ物に使っていたことの象徴である。
話を戻すと、要するに、元々かぼちゃというのは果肉は食べられないものだった。
で、ここからは私の推測なのだが、かぼちゃの実は動物に食べられるためではなく、種が発芽する際の栄養パックとして存在したのではないだろうか。つまりかぼちゃの果肉は「肥料」だということだ。
実はかぼちゃというのは大変に肥料分を必要とする。普通の野菜というのは、最初はちょっと痩せたところで発芽させて徐々に追肥していく方が調子がいいように思うのだが、かぼちゃの場合はたくさんの元肥(特に有機質肥料)をあげて肥満気味に育てるのがよいようである。これは野生の頃から変わっていない性質なのかもしれず、そのために肥料分がぎっしり詰まった果肉が存在したのだろう。
つまり、かぼちゃの果肉は腐って肥料になるために存在しており、元々(動物にも!)食べられるものではなかったのかもしれないということだ。そういえばかぼちゃ類は腐ると悪臭を放ち、大抵の動物は寄りつかないがこれは種を食害から保護するための策なのかもしれない。
いつの頃にかぼちゃの果肉が美味しくなるという突然変異が起こったのかはよくわからない。かぼちゃの系統関係というのも、意外と錯綜としていて不明である。日本ではかぼちゃは「西洋カボチャ」「日本カボチャ」「ペポカボチャ」の3つに大きく分かれると書いている資料が多いがこれは日本独自の分類(!)で、英語資料ではこういう分類は見たことがない。
といっても英語圏でも系統的にかぼちゃが分類されているわけではなく、古い古い栽培植物だからその遺伝関係はもうわけがわらからなくなっているのかもしれない。ただ慣用的には、summer squash, winter squash の大きく2つに分けて認識されており、日本で言うセイヨウカボチャは winter squash の acorn squash に当たるようである(これは誰も言っていないようなので間違いかもしれませんが)。
こんな風に、「かぼちゃは何のために実るのか」などということを考えても農業そのものにはあまり役に立たないが、農作業をしながらこういう無駄なことを考えるというのも農業の醍醐味かもしれない。
※冒頭画像はこちらのサイトからお借りしました。→ The Olmec Effigy Vessels
【参考文献】
"The Initial Domestication of Cucurbita pepo in the Americas 10,000 Years Ago" 1997 Bruce D. Smith
次世代を残すためでしょ? と思うかもしれないが、ちょっと他の植物のことを考えてみよう。植物が実るのは何のためなのか。
例えばイモ類。イモ類が土の中に丸いイモを作るのは、数ヶ月後の次のシーズンまで生き残るためのタイムカプセルのようなものである。
例えば果樹類。多くの果樹は元々は鳥や動物に食べられてフンとして排出してもらうためで、自分では移動できない植物の移動手段になっている。
もちろんこのように単純には分からない植物も多い。人間が植物を栽培し始めてから約1万年も経っているので野生の形質がほとんど残っていない植物もある。例えばトウガラシなんかは何のために実るのか私にもよくわからない。あれを食べる動物はいないと思うが…。
で、かぼちゃである。かぼちゃの実は何のために成るんだろうか? 正確に言えば、かぼちゃの原種はどのような生存戦略の下で実をならせていたのだろうか?
かぼちゃが栽培植物化されたのはメソアメリカ(メキシコあたり)で、約1万年も前のことである。実はかぼちゃは最古期から栽培されている植物の一つなのだ。
この頃のかぼちゃ原種(正確にはペポカボチャの原種)の果肉は食べられなかったらしい。では何のためにこれを古代人は育てたのかというと、かぼちゃの種を食べていたのだ。そう、かぼちゃは元々種を食べる野菜だった。それから果皮を乾燥させて容れ物にしていた。今で言う瓢箪みたいなものらしい。オルメカ文明やアステカ文明の遺物には、かぼちゃ型の土器や石器が存在するが、これはかぼちゃを容れ物に使っていたことの象徴である。
話を戻すと、要するに、元々かぼちゃというのは果肉は食べられないものだった。
で、ここからは私の推測なのだが、かぼちゃの実は動物に食べられるためではなく、種が発芽する際の栄養パックとして存在したのではないだろうか。つまりかぼちゃの果肉は「肥料」だということだ。
実はかぼちゃというのは大変に肥料分を必要とする。普通の野菜というのは、最初はちょっと痩せたところで発芽させて徐々に追肥していく方が調子がいいように思うのだが、かぼちゃの場合はたくさんの元肥(特に有機質肥料)をあげて肥満気味に育てるのがよいようである。これは野生の頃から変わっていない性質なのかもしれず、そのために肥料分がぎっしり詰まった果肉が存在したのだろう。
つまり、かぼちゃの果肉は腐って肥料になるために存在しており、元々(動物にも!)食べられるものではなかったのかもしれないということだ。そういえばかぼちゃ類は腐ると悪臭を放ち、大抵の動物は寄りつかないがこれは種を食害から保護するための策なのかもしれない。
いつの頃にかぼちゃの果肉が美味しくなるという突然変異が起こったのかはよくわからない。かぼちゃの系統関係というのも、意外と錯綜としていて不明である。日本ではかぼちゃは「西洋カボチャ」「日本カボチャ」「ペポカボチャ」の3つに大きく分かれると書いている資料が多いがこれは日本独自の分類(!)で、英語資料ではこういう分類は見たことがない。
といっても英語圏でも系統的にかぼちゃが分類されているわけではなく、古い古い栽培植物だからその遺伝関係はもうわけがわらからなくなっているのかもしれない。ただ慣用的には、summer squash, winter squash の大きく2つに分けて認識されており、日本で言うセイヨウカボチャは winter squash の acorn squash に当たるようである(これは誰も言っていないようなので間違いかもしれませんが)。
こんな風に、「かぼちゃは何のために実るのか」などということを考えても農業そのものにはあまり役に立たないが、農作業をしながらこういう無駄なことを考えるというのも農業の醍醐味かもしれない。
※冒頭画像はこちらのサイトからお借りしました。→ The Olmec Effigy Vessels
【参考文献】
"The Initial Domestication of Cucurbita pepo in the Americas 10,000 Years Ago" 1997 Bruce D. Smith
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