2012年3月19日月曜日

カンキツの強みは甘味ではなく、酸味や香りであるということ

先日、大浦町で生産されているカンキツはマイナーなものばかりだ、という記事を書いたのだが、逆にメジャーなカンキツとはどんなものか考えてみた。手元にちゃんとした統計資料がないので主観であるが、消費量から考えてメジャーなカンキツというと、温州ミカングレープフルーツ柚子オレンジレモンイヨカン夏ミカンというところだろうか。

さて、こうして並べてみて気づくことは、あまり甘い果物がないことである。もちろん、温州ミカンは甘いが、これは我が国で約500年もの歴史がある果物だし、種もなく、果実の大きさも適当で皮も剝きやすいという、ほぼ欠点らしい欠点のない優れた果物であるので別格だろう。その他については、香りを楽しむ柚子を筆頭に、酸味を付けるレモン、酸っぱさを楽しむグレープフルーツや夏ミカンなど、オレンジとイヨカン以外は甘さではない味覚・香りが主体の果物と言える。

つまり、温州ミカン以外のメジャーなカンキツは、甘さよりも、酸っぱさや香りを楽しむものとなっているのだ。そもそもカンキツは、柚子、ダイダイ、カボス、スダチ、シークヮーサー、ライムなど料理やお酒にアクセントを付けるための利用が非常に多い。カンキツの強みは甘味ではなく、酸味や香りであると言い切ってもいいと思う。

近年、品種改良によりデコポンなどの甘味の強いカンキツが生み出されているが、そのように考えると、甘味をプッシュする戦略は、カンキツ生産地にとって必ずしもよいものではないのかもしれない。甘いものが食べたければ、ケーキでもチョコレートでも、カンキツの及ばないほど甘いものがたくさんあり、甘味でこれらに勝負することはできない。消費者の側としても、「甘いものが食べたくてカンキツの果実に手を伸ばす」という人は、いないのではないか。むしろ、人々がカンキツに求めているものは清涼感である、と私は思う。

カンキツ産直の市場に行くと、どこでも甘さを売りものにしているのであるが、食糧事情が厳しかった戦後ならばいざ知らず、甘味が溢れている現代において、カンキツが甘味で勝負していくことが難しいのは自明である。むしろ、カンキツ本来の強みである酸味や香りをアピールしていくことが、これからの有効な戦略なのではないか。

だからこそ、私はポンカンには将来性があると思うのである。強い甘さはないが、甘さと酸っぱさのバランスがよく、独特の芳香を有するというポンカンは、カンキツのまさに王道をゆく存在といえよう。

とはいえ、実際にカンキツを食べていると、やはり甘いものがよいのは当然である。酸っぱさをおいしさと感じるバランスは非常に微妙なので、甘い果実を作る方が無難なのは確かだ。周りの方からも「ポンカンなんて流行らないから、デコポンを作った方がよい」と言われるが、甘さと酸っぱさのバランスのおいしさを確立できたなら、ポンカンも多くの人に受け入れられる果物ではないだろうか。

2012年3月18日日曜日

規格外のポンカンで加工品を作りたい

これは、1月のポンカン園の様子である。たくさんのポンカンが落ちているが、これは、自然に落ちたものではない。商品にならない果実を、全て落としてしまった場面なのである。もちろん、普通はこんなに廃棄しないのだが、このポンカン園は生産を停止する予定であったために手入れを簡略化しており、廃棄が大量に生じたのだ。栽培を辞める予定だったところなので、私のような素人に貸してくれたわけである。

というわけで、今年は普通より相当多い量のポンカンが廃棄されたが、一般的に、一次産業の食品廃棄はかなり多い(と思う)。食品の廃棄というと、コンビニなど小売りでの廃棄が問題視されがちであるが、実際は消費者の手元に至るまでの様々な段階で廃棄は生じているのであり、目につく小売りでの廃棄のみを悪者視するのはおかしい。

農業において、生産物の廃棄が生じる原因は主に2つある。

第1に、豊作すぎて農産物の価格が暴落し、出荷するコストより生産物の価格が安くなってしまう場合。これは、ある意味ではやむを得ない。生鮮食料品は保存しにくく、消費量には限界があるため、消費量以上に収穫された農産物は、たとえ現場で廃棄しなかったとしても、どの道どこかで処分せざるをえないからだ。

第2に、収穫物が規格外のものだった場合。流通をスムーズにするためには、生産物の規格化は必須であるが、規格化によって、必然的に「規格外商品」が生じる。曲がったキュウリ、二股になった大根などだ。見た目だけでなく、味でも規格外は生じる。果実で糖度が足りない場合などがそれに当たる。

第1の場合は仕方ないとして、第2の場合ができるだけないように生産者は努力しなければならない。私も、今年はできるだけポンカンの廃棄がないように努力していきたいと思う。しかし、第2の場合は流通の問題でもあるので、ぜひ流通側においてもロスが少なくなるように工夫してもらいたいと思うところである。

また、規格外を減らすといっても、自然のものだから一定の割合でどうしても規格外になってしまう。それを廃棄せずに生かすためには、加工品を生産するのが一般的だ。加工品なら、原材料の見た目が悪くてもあまり関係ない。だから、果実では規格外のものはよくジュースやジャムの原料になる。

現在、大浦町でのポンカンの加工品に、これと言って目立ったものはない。もちろんないわけではないけれども、際だった商品はないと言わざるを得ない。ポンカンは加工に向いていると言われており、各地でもいろいろな商品化がなされているが、特に人気商品となっているような有名な商品はないようだ。

もしかしたら、「果物はそのまま食べてもらうのが一番で、加工品は余り物を処分するための次善の策」という考えがどこかにあって、果物の加工食品作りが盛んにならなかったのかもしれない。しかし、鹿児島のような大消費地から離れたところにある生産地では、食品を加工し、重量や嵩を減らしてから輸送することは、規格外生産物の有無にかかわらず重要なことである。

私は自分で生産することだけでなく、今ある資源をどう生かしていくか、ということに強い興味がある。だから、来年は収穫されたポンカンを使って、何か加工食品を作ってみたい。もちろん、すぐに商品化云々というわけではないけれども、ポンカンのうまい加工法を探りたいと思う。

2012年3月16日金曜日

キンカン、タンカン、ポンカン、デコポン

雨の中、タンカンの剪定をやっていたのだが、ちょっと降雨が激しいので中断して帰ってきた。私はポンカン園を借り受けたのだが、その1/3ほどは実はタンカンである。個人的に、タンカンはあまり好きではないのだが、混植されており分けることはできないので一緒に管理しているのである。

南薩地方は、カンキツ(柑橘類)の栽培が盛んなところである。カンキツの原産はインドや中国南部が多く南国的な果物であり、日本での適地は南西諸島、九州南部、四国、紀伊半島、伊豆半島といった暖地に限られる。だから、南薩のカンキツは地の利を生かした特産物といえよう。南さつま市にも「津貫みかん」「大浦ポンカン」といった地方ブランドが存在しているが、これらは正直、広く認知されているとは言えない。そもそも、一般的にはミカンとポンカンの味の違いを想起できる方が少数派だ。

私の住む南さつま市大浦町では、主に4種類のカンキツが栽培されている。地元の人間にとっては全く違うカンキツだが、外からは「ミカン類」と一緒くたにされ、その違いを敢えて説明されることも少ないと思うので、この機会にまとめてみたい。小さい方から並べる。

キンカン
旬は1月〜3月。ゴルフボールより小さい。皮ごと食べる。そのままでも美味しいが、飽きるので甘煮にして食べることが多い。私は、甘煮にしたキンカン汁を生姜湯で割って飲む「キンカンジンジャー」が好物で、このところ毎日飲んでいる。いつか商品化したいくらいである。

タンカン
旬は2月〜3月。テニスボールより少し小さい感じ。ポンカンとネーブルオレンジの自然交雑種。甘みが強く美味しいが、皮が剝きにくいという(私にとっての)致命的欠点がある。屋久島が産地として有名で、「世界遺産の島のタンカン」という殺し文句にはどこも勝てない気がする。

ポンカン
旬は12月〜1月。ちょうどテニスボールくらい。4種の中で唯一、お歳暮商戦に参加できるカンキツ。甘さと酸っぱさのバランスがよく、上品。また、独特の芳香があり加工にも適している。もちろんそのまま食べても美味しく、皮も剝きやすい。

デコポン
旬は3月〜5月。ソフトボールより大きく、果梗部のデコが特徴的。本当の品種名は「不知火(しらぬい)」で、デコポンはブランド名。非常に甘く、大玉で、ジューシー。良果は1個500円ほどもする高級カンキツである。

こうしてカンキツ4種類を並べてみると、その全てが全国的にはマイナーな存在であることに気づかされる。それは、弱みでもあるし強みでもある。一般的に食べる習慣がない果物を広く販売していくのは困難であるが、逆に言えば開拓されていない市場がまだ存在するということでもある。さらに、これらはマイナーとはいえオンリーワンの特産物ではなく、九州・四国に競争者がいるわけなので、マイナーの中でも特色を出していく必要もある。

これは、一介の零細農家(しかも初心者)の考えるべき問題ではないが、新参者ならばこそ着想できることもあると思うので、追って考えていきたい。

2012年3月14日水曜日

鹿児島県民こそ読むべき『ぼくの鹿児島案内。』

この本『BE A GOOD NEIGHBOR ぼくの鹿児島案内。』は、いわゆる観光案内ではない。編著者である岡本 仁氏が、鹿児島での仕事の合間に出会った素敵なモノについて紹介したエッセイである。

紹介されるものはどれも、観光名所や鹿児島県民イチオシのものではない。むしろ、地元の人達が見過ごしてきた、何気ないもの、どこにでもあるもの、ある意味では田舎くさいものである。

しかし、岡本氏の感性を通して見ると、それが大都会にはない、地に足を下ろした、本当に素敵なものだったことに気づかされる。この本には、私の知らなかった鹿児島を発見させてもらった

都会には、おしゃれな場所がたくさんある。お金を掛ければ、ある程度優れたデザインの、居心地のよい空間はすぐに造りあげることができるだろう。しかし、いろいろな偶然と人間の試行錯誤を経た、地元の歴史と文化に根ざしたものは、お金を掛けても作ることはできない。それは、地元に生きる人間の、人生の上に造りあげられたものだからだ。

そういう素晴らしいものは、鹿児島だけでなく、どんな田舎にも存在すると思う。私は、つまらない田舎なんてないと思っている。数千年前から、この列島のそこかしこに人間が棲みついてきたのであり、いろんな人生が日本中のあらゆるところで展開してきたのである。

だから、鹿児島が他の地域に比べて特に素晴らしい、ということは言えない。とはいえ、鹿児島は九州の中でも独特の気候風土を持ち、古代からの歴史と文物、中央からの地理的遠さなども相まって、外から見てみると、非常に興味深い地域であることは間違いない。鹿児島にすっかりハマってしまった岡本氏の出身が北海道であることは示唆的である。

しかし、その興味深さ、独特さ、素敵さを、しばしば地元の人間は気づかない。それが当たり前だと思い込んでしまう。だから、こうして外の人からその価値を指摘してもらうことは重要だ。この本は、鹿児島観光を考えている人にはあまり役に立たないかもしれない(紹介されている場所が、ちょっと観光の目的地にはならなそうなところが多い)が、むしろ鹿児島の地元の人間こそ読むべきである。

そうすればきっと、鹿児島にある素晴らしいものが再認識できると思う。もちろん、これは岡本氏が思った素晴らしさなので、その全てを読者が素晴らしいと思うかは別だ。岡本氏は、仕事柄かデザインや見た目の面白さに惹かれる部分が多いので、それだけが鹿児島の面白さじゃない、と思う人もいるだろう。でも、これは「ぼくの鹿児島案内」なのだ。十分に主観性が発揮されてよい。百人百様の「ぼくの鹿児島案内」が出来ると思うし、私自身、いずれ自分なりの鹿児島案内を作りたいと思う。

さて、2012年1月に、この続編『BE A GOOD NEIGHBOR 続・ぼくの鹿児島案内。』が発売された。それを、今日買ってきたのである。今度は、どんな発見があるだろうか。

2012年3月13日火曜日

雑木・雑草調べにいい図鑑はありませんか?

祖父の代には田んぼだったところが、すっかり荒蕪地になってしまったので、今開墾をしている。面積は1反5瀬(約1500㎡)ほどで、山間にあり農業機械が入れないという条件の悪いところなので、こうして荒れてしまったのは仕方ないことだと思うが、改めて活用方法を考えていきたい。

我が家はあまり農地を持っていない方だが、畑作であれば、このような開墾をしなくても周囲に借りられる土地がたくさんある。高齢化等で耕作を辞める方が多いので、もっとよい条件の、活用されていない土地が余っているのだ。

だから、開墾の目的は畑作ではない。ここが利用できるようになったら、木を植えたいと思う。借りた土地にも木を植えられないことはないが、やはり樹木は長期的に考えて自分の土地にある方がいい。

現代的な水稲栽培においては、農業機械が入れないことは致命的であるが、この土地は日当たり良好で日照時間も長く、さらに隣に小川があって水が豊かであり、果樹生育には適していると考えられるので、荒蕪地にしておくのはもったいない。

今のところ考えているのは、(シキミ)とアボカドである。樒は仏事に用いる木であるが、木全体に毒性があるため、猪や鹿の害を受けない。山間にある土地なので、山側には樒を植えて害獣よけにしたい。アボカドは、妻の思いつきであるが、国産のものがまだあまり流通していない状態ということなので、収益が期待できる。

そういうわけで、山のように繁茂した木や草をひたすら刈っているのだが、ひとつ気になることがある。それは、もしかしたら有用な木や草も除去しているのではないかということだ。そもそも、私は植物の知識が浅く、雑木や雑草と呼ばれる植物の名前すら分からないものが多いのである。どれが有用かなど分かりようもない。

本当は、せめてその植物の名前くらい分かってから切りたいと思う。それが、植物への最低限の礼儀だという気がする。我が家には植物図鑑一つないので、ぜひ有用な図鑑を購入したいのだが、図書館などで見ても、なかなか「これは使える!」という図鑑が見当たらない。雑木や雑草を調べるのにいい図鑑はないものだろうか。

2012年3月12日月曜日

電機メーカーは素敵なデザインの電力量計を作るべき

移住にあたって、曾祖父が建てた築約百年の古民家をちょっと改装したのだが、電気については、もともと10アンペアしか来ていなかったし、中の配電も相当古くなっていたので全部取り替えた。

当然、電力量計(いわゆる「電気メーター」)も取り替えたのだが、ほとんど取り替えたのがわからないくらい、オールドファッションなものがついている。

どうして、電力量計というのは、数十年前から形が変わっていないのだろう。この数十年間、電力量計にほとんど何のイノベーションも起こっていないというのはかなり不思議である。

もちろん、業務用のものには、時間あたりの最大電力を記録するというようなデジタル式のものがあり、また小型のものもあるらしいが、家庭用はほとんどこの昔ながらのアナログ式電力量計である。大きいし、不格好だし、見た目がよろしくない。

このようなレトロなものが生き残っている最大の理由は、価格だという。デジタル式のものは基盤の寿命が短いため、数十年はもたない。一方で、アナログ式のものはもとが安い上に部品を交換して数十年使える。さらに、アナログ式は不正がしにくく、精度もいいという。

しかし、電力量計の進歩が遅々として進まない最大の原因は、電力量計の製造が規制産業であることにあると思う。電力量計は法律に基づいて正しい計測を行うため、日本電気計器検定所という特別な法人による認可が必要である。この法人は以前は特殊法人だったが、今は「特別民間法人」となっている。これは、法律に基づく民間の法人で、民だか官だかよくわからない曖昧な存在だ。

業界と経産省との癒着がどうだとかいうつもりはないが、少なくとも、規制する方にイノベーションがないので製品にもイノベーションが起こらず、さらに参入障壁が高かったことが製品の進歩を阻害したのだと思う。

しかし、電力量計に技術的なイノベーションが起こらなかったことは、あまり気にならない。電力を正確に計測できれば、多少オールドファッションでもいいと思う。むしろ、デザイン的に進歩しなかったことが残念だ。外からよく見えるところに設置するものだし、大きいし、できれば見た目のよいものの方がいいというのが人情だ。にも関わらず、灰色以外の筐体の電力量計は見たことがないし、形も数十年間変わっていないにしては全く洗練されていない。

いつも目にするものだから、電機メーカーは素敵なデザインの電力量計を作るべきだと思う。例えば、日本家屋、特に古民家の雰囲気に合うものを作って欲しいし、逆に欧風のものがあってもよい。国全体の、こういう何気ないところに美しいデザインが見られるかどうかで、文化や生活の程度が推し量れるのではないだろうか。

生活に身近な山をどう生かすか

荒れ果てた山林
うちは、小さいながらも山林を所有している。祖父の時代、その山林にはポンカンや有用木が植えられていたらしいが、今では荒れ地と化し、蔓植物がはびこり、見るも無惨な様相になっている。当然、ポンカンなど全て枯れてしまっている。

今では林地の外からは全く分からないのだが、そこは段々畑状に整地され、崩れやすい要所には石垣が組んである。祖父か、曾祖父の頃に整備されたものだろう。大正か昭和初期の頃ということになる。人力でこのような整備をする労苦はいかばかりかと思うが、それがすっかりと荒れ果てている様子を見ると、ご先祖達はさぞ残念だろう。

この地方の実情はよく分からないが、基本的には薩摩藩では農民の土地私有が一切認められていなかった。土地は全て藩主(島津家)のものという原則があり、農民はその一時的な利用権を付与されていたに過ぎない。農地に至っては、土地に対する愛着を湧かせぬよう、一定期間ごとに場所替えが行われるという徹底ぶりであった。山林についても同様で、共力山(きょうりょくやま)という農民共有林はあったが、私有林は存在しなかったのである。

だから、明治維新後、自分の農地・山林を所有できるようになったということは、鹿児島の農民にとって非常に大きなことだっただろう。それまでの常識では考えられないほど、土地に愛着を持って管理したと思う。だから、狭い面積の山林を、段々畑にし、石垣を組むという労を執る気にもなったのだろう。造林は数十年単位の仕事であり、私有林でなくてはやる気の起こらない仕事である。自分の代ではものにならなくても、子孫のために汗を流すのだ。

さて、この荒れ放題になった山林をどうするか、が目下の課題である。私は、この山をどうにかするために、鹿児島へ帰郷したと言っても過言ではないのである。日本の山林が抱えている問題は数多いが、人工林(スギ林、ヒノキ林)に関してはほぼ答えが出ている。つまり、健全な林業を振興していくことが重要であるということだ。では、所謂「里山」と呼ばれる雑木林はどうだろうか?

管見の限りでは、日本の雑木林をどうしていくかという、明確な方向性はまだ誰も出せていない。具体的な利益はなくても「心のふるさと」として維持していくべきだ、という人もいれば、管理しても意味(収益)がないので、伐採して人工林にするのがよいという人もいる。どちらも頷けるけれども、私はまだどちらの立場にもなれない。

私は、雑木林のような生活に身近な山林をどうしていくか、ということをじっくり考えてみたい。今のところの考えは、こういった身近な山林は、物質循環の要として雑木林のまま生かすべきというものだ。しかしそのためには、それに見合った収益が上がらなくてはならない。具体的に言えば、山の幸(山菜とか)を売るなりして、山林から儲けがなくてはならない。とすれば、私がとりあえずやるべきなのは、そういった収益が上がるようなビジネスモデル=山林経営モデルを作るということになる。

周りの人からは、「山は、どうせ金と手がかかるばかりでなんにもならないから放っておけ」と忠告されるが、取り組み甲斐のある課題だと思っている。