2015年9月18日金曜日

日光の棚田——棚田を巡る旅(その2)

(前回からの続き)

研修の一行を乗せたバスは球磨川を離れ、支流に分け入り、次第に山道に入っていく。ようやくバスが通れるほどの狭い道になり、バスは集落内へ。ここが目的のところか、と思ったが、バスはさらに山奥へ。

そして、バスがギリギリ曲がれるかどうか、というつづら折りの急峻な道を登り始めた。曲がるのも大変だが、登るのもエンジンの最大トルクのギリギリ。そして、そういうカーブをやっとのことで曲がったところで、案内の方がバスを止めた。「ここからはバスは進めません」

青くなるバスの運転手。こんな道をバックで戻れというのか、とどよめく車内。そこから歩いて100メートルほど登った先に、目的の日光(にちこう)集落はあった(結局、バスの運転手はカーブのところを何度も切り返してUターンできた)。

集落の様子は、日本の山奥というより、もはやマチュピチュである。 急峻な山肌にへばりついているような家々。多分、今の時代には建築許可が下りないであろう家ばかりだ(今は崖から何メートル離れるべしとかいう規制があります)。

でも家そのものは結構立派な家が多く、私の集落よりも上等な家が多いように感じた。

網野善彦がいうには、耕作地の少ない山の中だからといって経済力が低いというわけではなく、近代以前の社会においては山の中の方に交易の拠点があるなどでむしろ山手の方が豊かな場合も多いという。ここはそれを例証するような集落だ。林業景気の時に豊かになったのかもと思ったが、あるいは藩政時代から続く豊かな集落なのかもしれない。

目的の棚田は、集落からさらに標高を100メートルほど登ったところにある。全体の面積は1ヘクタールくらいで、かなり急な勾配のところに小さな石を積み上げて、本当に猫の額のような田んぼがだくさん作られている。

田んぼの耕作は、基本的に全て手作業だそうである。もちろん収穫したお米は天日干し。田植えも稲刈りも機械を使わず人の手でやる。耕耘機は使っているようだったが、もしかしたら狭い田んぼは鍬でやっているかもしれない。機械を使った方が非効率的なくらい、狭い田んぼが多い。

そしてその作業は、集落民が総出でやっているそうだ。詳しくは「日光の棚田活性会」が発信しているのでご参照ありたい。

日光の棚田は1999年に農水省によって「日本の棚田百選」の一つに認定された。が、認定後も耕作放棄地の増加は続き、遂に耕作農家は1戸のみになってしまっていた。そんな折、荒廃の様子がメディアに取り上げられ、その報道で県が慌てて活性化をてこ入れしたそうである。農林省に認定されながらそれを放置してきた無策を嗤われたくなかったのかもしれない。

その後先述の「日光の棚田活性会」が発足し、耕作放棄地になっていた田んぼの草刈りをしたり、害獣防除の柵を共同化したりして共同耕作の体制を整え、今では棚田の主な部分は田んぼ・畑になっている。

棚田で作られたお米というと高級品というイメージがあり、確かに日光でも高額で販売しているものの、売れ行きがいいとはいえず、正直赤字だという。しかし日光の方が言うには、「採算とか考えていたらやれませんね。もう農業というよりは、完全にマツリゴトです」と。

棚田で、今の時代に米を作る意味は何なのだろう、というのが私の疑問だった。これがその答えの一つかもしれない。棚田での米作りは、マツリゴト、つまり祭祀や伝統芸能みたいなものなんだと。お祭りというのは、基本的に儲かるものではない。むしろそれは消費の場であって、普段の生活でコツコツと貯めたものを一気に蕩尽することに意味がある。棚田はかつては生産の場であったが、今ではもはや消費の場なのだろうか。

でも集落内ではお祭り事として棚田の耕作をしているとしても、ただ集落が一体になって盛り上がるイベントということだけではその意味を解いたことにはならない。例えば、同じイベント事といっても、棚田の耕作は夏祭りみたいなものとはやっぱり違う。ましてや、同じイベント事なら集落で年一度の慰安旅行なんかに行く方がよほど手軽で楽しいかもしれない。どうしてそこまで苦労して棚田を耕作するのか。

やはり棚田の維持の目的は、景観の面が大きいのだとは思う。特に日光の棚田は集落の貴重な耕作の場であったわけで、きっと集落民にとって象徴的な意味がある。そこが美しく維持されていることには、情緒的なものであれ、集落民にとって大きな価値がある。「先祖が切り拓いた土地で、自分の親なんかがそこで苦労してるの知ってますから」そんな言葉も聞かれた。

でもそれならば、なぜ一度棚田は荒れたのか、ということを問わなくてはならない。農水省の棚田百選に指定されながら、荒廃が続いていったのはどうしてなのか。集落民にとって象徴的な価値がある場所なのにもかかわらず、どうして荒れるに任せていたのか。

やっぱりそれは単純なことで、単に「あえてやろうという人がいなかった」というだけのことのような気がする。象徴的な価値があるといっても、苦労は多いのに得るものは少ない仕事であり、仮に棚田再生なんかに取り組まずに荒廃したとしても、困る人も誰もいない。

「日光の棚田活性会」のリーダーは定年後に集落に戻ってきた人で、「年金で生活はできるが、何もしないというのも物足りない」というところから、このプロジェクトに力を入れているというのが実際だと話されていた。そういう、利益を度外視しても奮闘してやろうという人がいなければ棚田の再生はできなかっただろう。要するに、棚田を再生する価値とか意味があったからこのプロジェクトが動いたのではなく、動機はともあれやる気と行動力のある人がいたから動いた、というのが現実だろう。

もちろんリーダーの情念だけで集落が動くものでもない。利益を度外視してでもやりたいと多くの人が思うようなことでなければ集落全体の取組にはならないわけで、やっぱりそれだけの魅力が棚田にはあるはずだ。

一方で、利益を度外視とはいっても、ずっと赤字だったら情熱だけでは続けられない。収支が合うということでなくても、象徴的なもの以外の価値を生みださなくてはその場限りのプロジェクトに終わってしまうような気がする。

だから、棚田再生には、景観とか、祖先が切り拓いた土地への愛情とか、そういう象徴的な価値があるのはいいとして、それを何か「具体的な価値」に変換する仕組みがないとダメなんだろう。 日光の棚田の場合、その「具体的な価値」が何なのか、正直なところいまいちよく分からない。もしかしたら、この小さな集落に注目が集まるということ自体がその価値かもしれないし、棚田をきっかけにした集落の活性化がその価値かもしれない。

でも棚田があるような集落は、象徴的どころか現実的な困難にぶち当たっているところが多い。高齢化や後継者の不在、 産業の欠如、鳥獣害、空き家対策、不在地主問題などなど…。棚田のような「象徴的な」ものに取り組むよりは、もっと現実的な問題へ対処するほうがよっぽど価値が高いのではないか? 消滅の危機にあるような集落が、景観なんか気にしている余裕はあるのか?

ここが難しいところで、理屈で考えれば現実的な問題を一つひとつ解決していく方がもちろんいいのだが、理屈だけでは人は動かないというのもまた現実である。それに、こうした集落が直面している問題は抜本的な解決が難しいもので、一つひとつ取り組めば解決の道筋が見えるかというと、真面目に考えれば考えるほど絶望するようなものばかりである。

であれば、棚田のような「象徴的な」ものによって人々の心を動かし、集落の将来を考えて何かやってみようという最初の一歩を踏み出させるのはとても有効なことで、それには象徴的どころか、極めて具体的な、現実的な価値がある。要するに、棚田の維持・保全というのは一見「現状維持」に見えるがそうではなく、集落の「自己変革」の道具としても考えられるのかもしれない。

「マツリゴト」はお祭りという意味もあるが、本来の意味は「政」つまり政治である。何もしなければ老いて死んでしまう集落に、変革を催す政治の中心をつくるというのが、今の時代に棚田を耕作することの意味なのかもしれない。

(つづく)

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