今般『写真アルバム 南薩の昭和』という本が刊行された。昭和の頃の南薩の写真を、地域の人達や行政からかき集めた、そんな本である。パラパラとめくってみると、なかなか興味深い写真が並んでいる。
実は、これに私も十枚程度の写真を提供したので、今日謹呈で贈られてきたところである。
この写真提供に関しては、少し心残りがある。
というのも、我が家に残っていた古い写真からいくつかをピックアップして出版者の方に提供したのだが、編集の最終段階になって、大浦地域の写真提供が他の地域に比べて極端に少ないということを伺った。既に写真提供の締め切りは過ぎていたが、改めて我が家の写真庫を見直したところ、未整理の写真や大浦小学校・中学校の古い卒業アルバムが出てきて、例えば亀ヶ丘の頂上に巨大なパラボラアンテナがあった様子など、大浦の昭和を垣間見ることができる写真が結構たくさん見つかったのである。
だが、締め切りが過ぎていたため、当然だがそれらの写真を提供することはできなかった。提供して掲載された写真もそれなりの写真だったと思うが、それらと同じくらい貴重な写真をこういう機会にアーカイブに残せなかったことが残念である。
それにしても、こういう、地域の写真アルバムの制作はこんなものなのかも知れないが、制作の仕方には驚かされた。写真提供ができるという連絡をしたら出版社(の下請け?)が写真をスキャンしに来て、それだけで終わりだったからだ。写真の謂われとか、背景情報などを取材するのかと思っていたのだが、話をしてもメモすら取らなかったので不審に思っていたところ、キャプションの執筆は各地域で適当な人に下請けさせていたようだ。
キャプションの執筆を担った人も、写真提供者からの話がないと書きにくかっただろう。というより、提供者からの話を元に書くのが当然の制作の仕方だと思うが、出版社はどう考えていたのだろう。
一応付言しておくと、私が提供した分の写真に関しては、そのキャプションは私が執筆や確認に関与しているので、他の写真も結局はそういう対応を取ったのかもしれない。しかし、であれば、最初に写真のスキャンをする時についでに取材していればより効率的であり、やはり出版社のやり方は謎である。せめて雑談のメモぐらい取ればキャプション執筆者の労苦は半減したはずだ。
というように、編集に関してはどうも怪しいところがあるものの、南薩の昭和を覗く貴重な写真がたくさん並んでいるアルバムに、僅かではあれ我が家から写真を提供できたことは喜ばしい。自分としても記念になったし、枯れ木も山の賑わい程度ではあっても社会貢献になったのではないだろうか。
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