実験的にアーモンドを栽培しているが、それを報告した記事「アーモンドはじめました」に結構反響があって、応援して下さる方が多い。
が、そういう方々には大変申し訳なく、残念な報告をしなくてはならない。というのは、これまでのところ、アーモンド栽培は失敗中である。
私が育てているアーモンドは、スペインから取り寄せた「マルコナ」という品種で、別名「アーモンドの女王」という高貴な通り名がついているが、女王らしく、かなり気むずかしい品種のようである。約50本植えて、今残っているのがたった10本ちょっとしかない。
失敗の要因は、なんといっても雨である。ここはスペインに比べて雨量が桁外れに多いから、やはりその性質に合っていないのだと思う。去年は梅雨時期もそれほど痛まなかったが、今年の暴力的なまでにすさまじい梅雨にはだいぶ参ったようだ。
しかも、この品種はカタツムリへの耐性がほとんどない。梅雨時期は頻繁にカタツムリ取りに出かけたが、今年の梅雨は本当に途切れることなく雨が降ったので、カタツムリがどんどんどんどん湧いてきて、全く追いつかなかった。カタツムリを駆除する農薬も使用したがそれでも被害が大きかった。だいたい、薬剤は雨の時はあまり効果を発揮しないもので、カタツムリ用の農薬もそうである。雨の中農薬を散布した意味があったのかなかったのか、よくわからない。
柑橘の苗木なんかもカタツムリが大きな被害を及ぼすことがあるが、柑橘の場合はどこからともなくマイマイカブリというカタツムリの天敵が現れて、カタツムリを食べてくれる。だから苗木の根元はカタツムリの殻がたくさん落ちていることが多い。でもこのアーモンドの場合、カタツムリはたくさんいるのにマイマイカブリは不思議と全然見なかった。
スペイン料理では「カラコレス」といってカタツムリを煮込み料理にして食べる(私も食べたことがある。もちろん日本のスペイン料理屋さんで)から、スペインにもカタツムリはたくさんいるはずなのに、カタツムリへの耐性がないのは不思議だ。スペインのカタツムリと日本のカタツムリはかなり違うんだろうか。
失敗の要因は、他にも、スペインには存在しない台風とか、イノシシとか、そういうこともあるが、やっぱり一番は雨とそれに付随するカタツムリである。以前「ケッパー」を栽培してみたいと思って調べた時も、雨量が違いすぎてうまくいかなそうだと断念したが、南欧と南薩では、雨が決定的に違うので同じようにはいかないということを今回も痛感した次第である。
でもこれで諦めたらかっこ悪い、というか悔しいので、もう少し工夫をしてみようと思っている。例えば、台木の性質でも相当変わりそうなので、台木を変えてみるといった対策があるのではないか。
というわけで、アーモンドは無様(ぶざま)に失敗中であるが、私のやっている農業はほとんどが無様に失敗しているものだらけで、今のところバッチリうまくいっているものというのもないので、まあそんなもんだと達観したフリをして、ごまかしごまかしやっていこうと思う。
2015年11月26日木曜日
2015年11月24日火曜日
景観をテーマにした講演会@マルヤガーデンズ
Tech Garden Salonというイベントのご案内。
私は東京工業大学、というごつい名前の(鹿児島では)無名の大学を卒業していて、その大学の同窓会が「蔵前工業会」というこれまたごつい名前なのだが、その同窓会活動の一環で今回マルヤガーデンズで12月5日に講演会を行う。
これは、「科学技術がテーマの講演会だとどうしても聴衆にオヤジが多いので、少し砕けた感じにして女性にも聞いてもらえるようなイベントを開こう」ということで始まったもので(あくまでも私の理解です)、今年で2回目である。
今年のテーマは「まちづくりと景観:心地よい景観とともに暮らす」で、講師は東工大の卒業生で鹿児島大学名誉教授の井上佳朗先生。
井上先生は大学時代は機械系だったが心理学の研究室が近かったことから心理学の方に興味を惹かれ、大学院で社会開発工学を専攻、鹿児島大学に赴任して法文学部の教授になったという面白い経歴の人である。
工業大学になぜ心理学の研究室があったのかというと、昔、東工大は随分人文教育に力を入れていて、心理学の宮城音弥とか文学の伊藤 整や江藤 淳、文化人類学の川喜田二郎といった独特な人たちが教授を務めていた。ある意味では人文社会学と科学技術を融和させようとする風土があったから、井上先生も機械系から心理学へ移行するキャリアを積むことが出来たのである。
井上先生の専門は(たぶん)都市計画・開発工学における心理的側面で、要するに街が形成されていく時に、その構造や景観によってどのように居住者の心理が影響されるのかということである。例えば、鹿児島市はJRの線路によって東西が分断されているが、そういうことが住民の気持ちやコミュニティの形成にどう影響を及ぼすのかというようなことなんじゃないかと思う。
井上先生は鹿児島市の景観審議会の会長も務めていて、実務面でも学術面でも鹿児島の景観学をリードする方なのではと私は思っているが、その井上先生から「景観」をテーマにした講義を聞けるということで私もすごく楽しみにしている。
私も景観というものは人の心を考える上ですごく重要な要素だと思っていて、これまでブログでもいくつか景観に関わる記事を書いた。でも正直に言うと、まだ景観の意味を摑みきれないでいる。例えば、いくら景観が重要なものだといっても、景観の価値はどれくらいあるんだろうか?
ヨーロッパの諸都市では、景観をそれこそ共同体の顔や体というくらいに思っていて、第二次大戦で街が灰燼に帰した後も、戦後の金がない時なのにそっくりそのまま(というのは言い過ぎかもしれないがほとんど元通りに)街を古風な景観の通りに再建したほどである。 つまり、欧州諸都市の人間にとって、景観はなけなしの金を出しても惜しくないほど価値があるものだった。
一方日本ではどうか。日本人はほとんど景観に気を掛けないことはよく知られたことで、街を覆う電線、無秩序な看板とネオンサイン、「消費税完納推進の街」みたいな無意味な横断幕、統一感のない街並み、貧弱な街路樹、「立ち入り禁止」「ゴミを捨てるな」といった過剰にうるさい標識といったものが景観を乱しに乱していて、都市と言うよりも街全体が工場のようである。
でも日本人が景観に全く注意を払わないかというとそうではなく、日本人の観光の中心はバカンスとかショッピングよりも「美しい風景を見る」ということに傾いているようで、普段の生活で適わない「美しい風景」を求めて観光地へゆくという面があるような気がする。つまり貴重な時間やお金を使う価値が、風景にはあるわけだ。なのに、普段生活する都市の景観には無頓着であるのは謎の一つで、このあたりから私の思索はこんがらがっていく。
日本人にとって、景観とはどんな価値があるんだろうか? ヨーロッパやアメリカの諸都市とは違った意味づけを日本人はしてきたのだろうか? そして、景観の価値というものがあるなら、それをどうやって計測可能なものにできるのだろうか? そういうことは、素晴らしい風景に囲まれて暮らしている私にとって、最近非常にホットな問題提起なのだ。
たぶん、今回の講演会はこうした理念的な疑問に答えるものというよりは、もっと具体的なテーマを扱うのではないかと思うが、私にとっても風景学のよい入り口になるのではないかと期待している。
ちなみにイベントの当日は、(もちろん有料だけど)ちょっとした飲み物も注文できて、ほんの少しだけサロン的な雰囲気にもなる予定である。東京工業大学同窓会主催のイベントというと随分堅そうで関係者ばっかりというイメージがあると思うが、そのコンセプトは
【情報】
Tech Garden Salon
講演テーマ「まちづくりと景観:心地よい景観とともに暮らす」
講師:鹿児島大学名誉教授(生活環境論、社会開発論) 井上佳朗
日時 2015年12月5日(土)15:30-17:00(15:00開場)
場所 マルヤガーデンズ 7F 入場無料(定員50名)
→詳しくはこちら
私は東京工業大学、というごつい名前の(鹿児島では)無名の大学を卒業していて、その大学の同窓会が「蔵前工業会」というこれまたごつい名前なのだが、その同窓会活動の一環で今回マルヤガーデンズで12月5日に講演会を行う。
これは、「科学技術がテーマの講演会だとどうしても聴衆にオヤジが多いので、少し砕けた感じにして女性にも聞いてもらえるようなイベントを開こう」ということで始まったもので(あくまでも私の理解です)、今年で2回目である。
今年のテーマは「まちづくりと景観:心地よい景観とともに暮らす」で、講師は東工大の卒業生で鹿児島大学名誉教授の井上佳朗先生。
井上先生は大学時代は機械系だったが心理学の研究室が近かったことから心理学の方に興味を惹かれ、大学院で社会開発工学を専攻、鹿児島大学に赴任して法文学部の教授になったという面白い経歴の人である。
工業大学になぜ心理学の研究室があったのかというと、昔、東工大は随分人文教育に力を入れていて、心理学の宮城音弥とか文学の伊藤 整や江藤 淳、文化人類学の川喜田二郎といった独特な人たちが教授を務めていた。ある意味では人文社会学と科学技術を融和させようとする風土があったから、井上先生も機械系から心理学へ移行するキャリアを積むことが出来たのである。
井上先生の専門は(たぶん)都市計画・開発工学における心理的側面で、要するに街が形成されていく時に、その構造や景観によってどのように居住者の心理が影響されるのかということである。例えば、鹿児島市はJRの線路によって東西が分断されているが、そういうことが住民の気持ちやコミュニティの形成にどう影響を及ぼすのかというようなことなんじゃないかと思う。
井上先生は鹿児島市の景観審議会の会長も務めていて、実務面でも学術面でも鹿児島の景観学をリードする方なのではと私は思っているが、その井上先生から「景観」をテーマにした講義を聞けるということで私もすごく楽しみにしている。
私も景観というものは人の心を考える上ですごく重要な要素だと思っていて、これまでブログでもいくつか景観に関わる記事を書いた。でも正直に言うと、まだ景観の意味を摑みきれないでいる。例えば、いくら景観が重要なものだといっても、景観の価値はどれくらいあるんだろうか?
ヨーロッパの諸都市では、景観をそれこそ共同体の顔や体というくらいに思っていて、第二次大戦で街が灰燼に帰した後も、戦後の金がない時なのにそっくりそのまま(というのは言い過ぎかもしれないがほとんど元通りに)街を古風な景観の通りに再建したほどである。 つまり、欧州諸都市の人間にとって、景観はなけなしの金を出しても惜しくないほど価値があるものだった。
一方日本ではどうか。日本人はほとんど景観に気を掛けないことはよく知られたことで、街を覆う電線、無秩序な看板とネオンサイン、「消費税完納推進の街」みたいな無意味な横断幕、統一感のない街並み、貧弱な街路樹、「立ち入り禁止」「ゴミを捨てるな」といった過剰にうるさい標識といったものが景観を乱しに乱していて、都市と言うよりも街全体が工場のようである。
でも日本人が景観に全く注意を払わないかというとそうではなく、日本人の観光の中心はバカンスとかショッピングよりも「美しい風景を見る」ということに傾いているようで、普段の生活で適わない「美しい風景」を求めて観光地へゆくという面があるような気がする。つまり貴重な時間やお金を使う価値が、風景にはあるわけだ。なのに、普段生活する都市の景観には無頓着であるのは謎の一つで、このあたりから私の思索はこんがらがっていく。
日本人にとって、景観とはどんな価値があるんだろうか? ヨーロッパやアメリカの諸都市とは違った意味づけを日本人はしてきたのだろうか? そして、景観の価値というものがあるなら、それをどうやって計測可能なものにできるのだろうか? そういうことは、素晴らしい風景に囲まれて暮らしている私にとって、最近非常にホットな問題提起なのだ。
たぶん、今回の講演会はこうした理念的な疑問に答えるものというよりは、もっと具体的なテーマを扱うのではないかと思うが、私にとっても風景学のよい入り口になるのではないかと期待している。
ちなみにイベントの当日は、(もちろん有料だけど)ちょっとした飲み物も注文できて、ほんの少しだけサロン的な雰囲気にもなる予定である。東京工業大学同窓会主催のイベントというと随分堅そうで関係者ばっかりというイメージがあると思うが、そのコンセプトは
私たちの日常に当り前にある様々なモノの裏には多くの知恵と技術が隠れています。それを知れば世の中の見方さえ変わってしまうかも。アートやカルチャーを楽しむように、今宵はテクノロジーの世界を気軽に楽しんでみませんか。というもので、部外者歓迎というか、むしろごくごく一般の人のために開催するものなので、ぜひお越し下さい。申込不要です。ちなみに、私も当日は一番の下っ端として雑務をする予定。
【情報】
Tech Garden Salon
講演テーマ「まちづくりと景観:心地よい景観とともに暮らす」
講師:鹿児島大学名誉教授(生活環境論、社会開発論) 井上佳朗
日時 2015年12月5日(土)15:30-17:00(15:00開場)
場所 マルヤガーデンズ 7F 入場無料(定員50名)
→詳しくはこちら
2015年11月22日日曜日
「場の活性化」の秘訣
前回の記事で、私は「地域活性化をするよりも、自分がやりたいことをやった方が結果的に地域活性化になる」ということを述べた。
でもこれにはいろいろ反論があるだろう。自分のやりたいことといっても、読書や映画鑑賞のようなものもあるし、極端に言えばぐうたら寝ていたいというのだってあるわけだ。そういうことをやっても、地域活性化に繋がるのか? と。私はそういうものであっても、それをのびのびとできるなら結果的には地域活性化になると信じるが、ちょっと迂遠な感じがするのは否めない。さびれた商店街を何とかしたい、というようなことを考えている人たちにとって、「自分がやりたいことをやりましょう」というのはあまりに悠長なアドバイスだ。また、「私のやりたいことは、まさに地域活性化なんだよ!」というアツい人もいると思う。こういう場合どうしたらよいのか。
時々、地域活性化講座みたいなものがあって、こういう熱心な人たちにいろいろアドバイスしているが、どうも私から見ると正鵠を射ていないものが多い。地域資源を発掘して、それを売り込んでいくためのマーケティングをして戦略を作るとか、そういう軽薄なアドバイスは特に最悪である。
断言するが、地域活性化に「マーケティング」も「戦略」もいらない。
鹿児島市役所のそばに「レトロフト チトセ」という古いビルがある。ここは古本屋やカフェ、気軽なレストランなどがあって私のお気に入りの場所である。遠目に見ると灰色の古いビルだが、中は随分と活気があり、いつも様々な新しい企みがなされていて楽しい。
でもこのビルは、数年前まで文字通り古い雑居ビルで、特にどうということもない場所だったようだ。今のように活気ある場所になったいきさつは詳しくは知らないが、最初から、こういう戦略や青写真があってレトロフトは今のような場所になったんだろうか。どうもそうではないように見える。
これは「戦略」に基づいて場の活性化がなされたというより、リフォームを行ったことを契機として、面白いことを考える人たちがどんどん集まってきて新しい企画が実現し、それに惹かれてやってきた人たちがまた新しい風を入れるという具合に、「人とアイデアの好循環」が生まれた結果ではないか。私が最初にここを訪れたのは2013年で、それからの動きを横目に見ているとそのように感じる。
もちろん、オーナー夫妻の感性も活性化にはすごく重要だったろう。でもそれだけでは、この数年で急にビルに活気が出てきたことの説明が難しい。 やはり運営上の変化があったと考えるべきで、それはリフォームによる外面的な変化もあるが、むしろ人とアイデアを受け入れる「開かれた態度」になったことではなかっただろうか。
場の活性化に成功している他の例を見ても、このことは共通している。その「場」には「人とアイデア」を受け入れる「余白」と「開かれた態度」がまず準備される。すると面白い人が集まってきてやいのやいの騒ぎ出す。楽しい企画が実現し、それに惹かれてまた人が集まってくる。これが活性化のいつものパターンである。そこに場をまとめるためのリーダーシップやセンスは必ずしもいらない。ただし、そういうものがあれば、その活動が長続きし、また高水準の成果を生みやすいということは言える。
そして、こういう活性化が起こるためには、「戦略」はほとんど役立たない。「戦略」に沿って物事を進めるよりも、思いもよらないアイデアをドンドン受け入れていくことこそ必要で、そういう態度であり続けようとするなら、結局「戦略」は無意味になっていく。というより、最初に思い描いていた「戦略」から離れていくことが活性化の証左ともいうべきで、それは人生のドラマのように、私たちを予定調和よりももっと面白い展開へと連れて行ってくれる。
ローカルな事例で申し訳ないが、大浦にある「有木青年隊」もこういう活動の成功例である。有木青年隊は、集落の普通の青年団のように「何歳から何歳までが自動的に所属する」という団体ではなく、やりたい若者が(もちろん女性でも)誰でも入れる。そこに集落の限定もなく、今では集落外に住んでいるメンバーの方が多いくらいじゃないかと思う。
有木青年隊の沿革もよく知らないが、十五夜祭りを盛り上げる活動の一つとして緩く始まり、飲ん方(ノンカタ=宴会)をしているうちに「こうしてみよう、ああしてみよう」と盛り上がり、十五夜祭りから飛び出して、「大浦 “ZIRA ZIRA“ FES」という一大イベントを実行するようにもなった。今では大浦町の顔の一つだ。
この活動も最初から青写真があったというより、若者に自由にやらせようという集落の「開かれた態度」があり、そこにうまく若者たちが集結し「人とアイデアの好循環」が起こった結果に見える。ついでにいうと、「はっちゃける」ことを肯定して、若者のエネルギーの発散を「黙認」ではなく「承認」された行動にしたことも大きい。
一方で、有木青年隊は「何歳から何歳までが自動的に所属する」という団体ではないから、やりたい人がいなければ消滅してしまう。人によっては、そんなんじゃ継続性がない! と不満に思う人もいるだろう。やっぱり婦人会とか青年団とかカッチリした枠組みで継続性がある活動をするほうが確実だ、という意見である。でもつまらない活動が長続きするより、いっときでも面白いことが起こる方がずっといい。
行政による地域活性化の支援などでも「継続性」が条件になっていることが多いが、私からすると継続性などと言ってる時点でつまらないことをしている自覚があるというもので、面白かったら自然に続くし、逆にやってみて面白くなかったらさっさと辞めた方がいい。最初から継続することを条件にするのは愚策である。
ともかく、地域活性化——よりも、私は「場の活性化」と言うべきだと思っているが——をしたいなら、そのための「戦略」を練って何をすべきか考えるよりも、若者のエネルギーを形にできるような「余白」と「開かれた態度」を持つべきである。レトロフトの素晴らしいところは、リフォームの際にこのことを十分にわきまえていたことで(想像です)、たった4㎡のテナントを作って、気軽に小さなビジネスを始められる場を設けたり、人の行き来が活発になるように動線を綿密に計算している点である。
若者は、常に自分の魂が承認される場所を求めている。行き場のないエネルギーを抱えている。そのエネルギーが肯定され、思い描いたことを実現できるフィールドを欲しがっている。場の活性化をしたいなら、まず彼・彼女が存在できる「余白」を設けよう。そして若者がそこに入りやすいように、「開かれた態度」を身につけよう。そうすれば、人は自然と集まってくる。なぜなら、そういう場所は常に不足しているからだ。そんな場ができれば、自然と「人とアイデアの好循環」が起こり、もうそうなったら仕掛け人その人でさえコントロールできないようなステキな物語がたくさん生まれてくるのである。
こういう活性化なら、私は大歓迎である。
でもこれにはいろいろ反論があるだろう。自分のやりたいことといっても、読書や映画鑑賞のようなものもあるし、極端に言えばぐうたら寝ていたいというのだってあるわけだ。そういうことをやっても、地域活性化に繋がるのか? と。私はそういうものであっても、それをのびのびとできるなら結果的には地域活性化になると信じるが、ちょっと迂遠な感じがするのは否めない。さびれた商店街を何とかしたい、というようなことを考えている人たちにとって、「自分がやりたいことをやりましょう」というのはあまりに悠長なアドバイスだ。また、「私のやりたいことは、まさに地域活性化なんだよ!」というアツい人もいると思う。こういう場合どうしたらよいのか。
時々、地域活性化講座みたいなものがあって、こういう熱心な人たちにいろいろアドバイスしているが、どうも私から見ると正鵠を射ていないものが多い。地域資源を発掘して、それを売り込んでいくためのマーケティングをして戦略を作るとか、そういう軽薄なアドバイスは特に最悪である。
断言するが、地域活性化に「マーケティング」も「戦略」もいらない。
鹿児島市役所のそばに「レトロフト チトセ」という古いビルがある。ここは古本屋やカフェ、気軽なレストランなどがあって私のお気に入りの場所である。遠目に見ると灰色の古いビルだが、中は随分と活気があり、いつも様々な新しい企みがなされていて楽しい。
でもこのビルは、数年前まで文字通り古い雑居ビルで、特にどうということもない場所だったようだ。今のように活気ある場所になったいきさつは詳しくは知らないが、最初から、こういう戦略や青写真があってレトロフトは今のような場所になったんだろうか。どうもそうではないように見える。
これは「戦略」に基づいて場の活性化がなされたというより、リフォームを行ったことを契機として、面白いことを考える人たちがどんどん集まってきて新しい企画が実現し、それに惹かれてやってきた人たちがまた新しい風を入れるという具合に、「人とアイデアの好循環」が生まれた結果ではないか。私が最初にここを訪れたのは2013年で、それからの動きを横目に見ているとそのように感じる。
もちろん、オーナー夫妻の感性も活性化にはすごく重要だったろう。でもそれだけでは、この数年で急にビルに活気が出てきたことの説明が難しい。 やはり運営上の変化があったと考えるべきで、それはリフォームによる外面的な変化もあるが、むしろ人とアイデアを受け入れる「開かれた態度」になったことではなかっただろうか。
場の活性化に成功している他の例を見ても、このことは共通している。その「場」には「人とアイデア」を受け入れる「余白」と「開かれた態度」がまず準備される。すると面白い人が集まってきてやいのやいの騒ぎ出す。楽しい企画が実現し、それに惹かれてまた人が集まってくる。これが活性化のいつものパターンである。そこに場をまとめるためのリーダーシップやセンスは必ずしもいらない。ただし、そういうものがあれば、その活動が長続きし、また高水準の成果を生みやすいということは言える。
そして、こういう活性化が起こるためには、「戦略」はほとんど役立たない。「戦略」に沿って物事を進めるよりも、思いもよらないアイデアをドンドン受け入れていくことこそ必要で、そういう態度であり続けようとするなら、結局「戦略」は無意味になっていく。というより、最初に思い描いていた「戦略」から離れていくことが活性化の証左ともいうべきで、それは人生のドラマのように、私たちを予定調和よりももっと面白い展開へと連れて行ってくれる。
ローカルな事例で申し訳ないが、大浦にある「有木青年隊」もこういう活動の成功例である。有木青年隊は、集落の普通の青年団のように「何歳から何歳までが自動的に所属する」という団体ではなく、やりたい若者が(もちろん女性でも)誰でも入れる。そこに集落の限定もなく、今では集落外に住んでいるメンバーの方が多いくらいじゃないかと思う。
有木青年隊の沿革もよく知らないが、十五夜祭りを盛り上げる活動の一つとして緩く始まり、飲ん方(ノンカタ=宴会)をしているうちに「こうしてみよう、ああしてみよう」と盛り上がり、十五夜祭りから飛び出して、「大浦 “ZIRA ZIRA“ FES」という一大イベントを実行するようにもなった。今では大浦町の顔の一つだ。
この活動も最初から青写真があったというより、若者に自由にやらせようという集落の「開かれた態度」があり、そこにうまく若者たちが集結し「人とアイデアの好循環」が起こった結果に見える。ついでにいうと、「はっちゃける」ことを肯定して、若者のエネルギーの発散を「黙認」ではなく「承認」された行動にしたことも大きい。
一方で、有木青年隊は「何歳から何歳までが自動的に所属する」という団体ではないから、やりたい人がいなければ消滅してしまう。人によっては、そんなんじゃ継続性がない! と不満に思う人もいるだろう。やっぱり婦人会とか青年団とかカッチリした枠組みで継続性がある活動をするほうが確実だ、という意見である。でもつまらない活動が長続きするより、いっときでも面白いことが起こる方がずっといい。
行政による地域活性化の支援などでも「継続性」が条件になっていることが多いが、私からすると継続性などと言ってる時点でつまらないことをしている自覚があるというもので、面白かったら自然に続くし、逆にやってみて面白くなかったらさっさと辞めた方がいい。最初から継続することを条件にするのは愚策である。
ともかく、地域活性化——よりも、私は「場の活性化」と言うべきだと思っているが——をしたいなら、そのための「戦略」を練って何をすべきか考えるよりも、若者のエネルギーを形にできるような「余白」と「開かれた態度」を持つべきである。レトロフトの素晴らしいところは、リフォームの際にこのことを十分にわきまえていたことで(想像です)、たった4㎡のテナントを作って、気軽に小さなビジネスを始められる場を設けたり、人の行き来が活発になるように動線を綿密に計算している点である。
若者は、常に自分の魂が承認される場所を求めている。行き場のないエネルギーを抱えている。そのエネルギーが肯定され、思い描いたことを実現できるフィールドを欲しがっている。場の活性化をしたいなら、まず彼・彼女が存在できる「余白」を設けよう。そして若者がそこに入りやすいように、「開かれた態度」を身につけよう。そうすれば、人は自然と集まってくる。なぜなら、そういう場所は常に不足しているからだ。そんな場ができれば、自然と「人とアイデアの好循環」が起こり、もうそうなったら仕掛け人その人でさえコントロールできないようなステキな物語がたくさん生まれてくるのである。
こういう活性化なら、私は大歓迎である。
2015年11月18日水曜日
「地域活性化」はやるべきではありません
先日、「海の見える美術館で珈琲を飲む会 vol.2」を開催しました。来ていただいた方、本当にありがとうございました!
当日の模様については「南薩の田舎暮らし ブログ」の方に書きましたのでよかったらご覧ください。
【南薩の田舎暮らし ブログ】「海の見える美術館で珈琲を飲む会 vol.2」ありがとうございました!
ところで、こういうイベントをしていると、「地域活性化してくれてありがとう!」とか言われることがある。また、新聞記者さんにも「南薩の田舎暮らしは、地域活性化団体とかじゃないんですか?(そうでないと記事に紹介しにくいなあ、みたいなニュアンスで)」と聞かれたりする。
でも、実を言うと私は「地域活性化」には取り組んでいないし、「南薩の田舎暮らし」も商業活動をするときのただの屋号である。ただ、「珈琲を飲む会」とか、先日やった「公民館 de 夜カフェ」なんかは、収益を目的としておらず(というかカンパがなかったら赤字)、気持ちの上では地域貢献活動としてやっているのは確かである。
でも地域貢献は目的の中心ではない。目的の中心は、「自分が楽しいからやりたい」という私のエゴである。美味しいコーヒーを、眺めのよいところで飲んだら美味しい、それを他の人とも共有したい! そういう私のエゴでやっているのが「珈琲を飲む会」である。いわば自分による自分のためのイベントである。地域活性化とか、そういう「高尚な目的」は全然ない。
そもそも、私は「地域活性化」や「地域おこし」はやらない方がいいと思っている。
そういうことに興味があったり、いろいろな取組をしている人と知り合ったりする機会が多いのだが、その現状を見聞きしても、「地域活性化」の内容には問題があることが多い。
そういう取組の最大の問題は、「地域活性化」が一体何を目的としているのか曖昧なことである。「地域」というボンヤリとしたものを相手にしているから、それがどういう状態になったらそれが「活性化」だと言えるのか、あまり考えていない。なので、「とりあえず人の集まるイベントを開いてみよう!」というだけの活動になることが多い。
そうは言っても例えば「地域のお年寄りが喜んでくれたんだからいいじゃないか」みたいに反論する人がいるだろう。でも、最初から「地域のお年寄りを喜ばす」ことが目的なら、その目的に沿って活動を設計すべきであり、「地域活性化」みたいな抽象的な題目ではなく、お年寄りは何を喜ぶのか、という具体的なところから出発するべきである。だが、現実には「結果的に」喜んでくれた、というのが成果として捉えられており、そこに手段と目的と成果の齟齬がある。
これは観光振興なんかでも同じである。「地域活性化」の一つとして、観光振興が注目を集めているが、誰のための観光振興なのか、が曖昧であることが多い。というかほとんどそうである。観光で潤うのは、第1に交通(バス会社とか)と宿泊業、第2に飲食業、第3に物産販売業であるが、こうしたメインのステークホルダーが不在のまま、勝手連的な活動として観光振興が取り組まれることが多い。
我が南さつま市の観光協会の場合どうなのかは知らないが、交通と宿泊業の人はあまり中心的な役割を果たしていないように見える。観光振興というのは、結局はこうした業種の利益を伸ばしていくということが目的なので、まずはこうした業種の企業からプロジェクト毎に協賛金の形でお金を集めて、その範囲でちゃんと利益に繋がる活動をしていくのがよい方法であると思う。
だが、これまで観光地でなかったところは、「観光客が増えるとなんか嬉しいよね!」というようなふわっとした目的の下、観光業には直接関係のない人たちが、良くも悪くも利益を度外視してボランティアで活動しがちである。それは一種のロータリークラブのようなものだから、社会貢献活動をやるフレームワークとしては機能するし、別に悪いことはない。でも長い目で見れば、観光は社会貢献活動ではなく商業活動として成立しなければ意味がない。
だから結局は「○○旅館の売り上げを増やす」というような具体的な成果を見据えていなければ、そういう活動はやりたがり屋の人たちの生きがいづくりの場になってしまう。具体的な成果が想定されていないなら、何かをやったことそれ自体が成果になるからだ。でもそれでは、その活動によって誰が喜ぶのだろうか? この活動を横目に見ている地域の宿泊施設は、実は収益の柱がスポーツ合宿で、観光客なんか全然期待していないのかもしれないのだ。せっかくの「観光振興」なのに、それで喜ぶ業界関係者があまりいなかったら、何のためにやっているのかよくわからない。
つまり何かの活動をする時は、「それによって誰が喜ぶのか」が明確でないといけないと私は思う。 別に、「自分が楽しいから」でも全然問題ない。私は実際、「珈琲を飲む会」は自分が楽しいからしている。また、目的が誰か特定の人を喜ばすことだったらそれももちろんいい。でもよくないのは、「地域の人を喜ばす」とか、「観光客を喜ばす」とか、そういう誰かもわからない人を喜ばそうとすることである。それが「地域活性化」という題目のよくないことだ。
こうなると、「地域活性化」は中身のない「大義」になる。そして「大義」は腐敗の温床であり、その活動に協力的でない人を非難するようになる。「こっちは地域活性化のために頑張ってるのに、あの人は全然協力しない」とか。 でもそれは本当にみんなが参加するべき活動なんだろうか? 実際はやりたい人だけがやればいい活動なのではないだろうか?
というより、「地域活性化」のために「みんなが参加するべき活動」なんてものがあるとすれば、それはもはや「地域活性化」でもなんでもない。参加したくもないものに参加させられるとすれば、地域の活力はなおさら失われるはずだからだ。ただでさえ自分の時間がないなかで、抽象的な「地域活性化」とやらにボランティアで参加しろといわれるなら、そんな地域には住んでいたくない。
だから「やりたい人がやればよい」という活動でない限り、「地域活性化」にはならないと私は思う。一方で、活動の中で、地域のみんなが顔を揃えて話し合いをするとか、そういうことは必要だろうし、自治会などの組織で取り組む場合は、なるだけ多くの人を巻き込む工夫も必須である。正直、全員参加が望ましい活動はある。でも「これに参加することは義務だ」となれば、人心が離れていくのも現実である。この種の活動は、このあたりのバランスがすごく難しい。
結局、「地域活性化」なるものが中身のない理念だからこういう難しい事態が生じるのだろう。だから私は「地域活性化」なんてやめた方がいいと思うのだ。それよりも、個人が、自分がやりたい活動を思い切りやる方が本当の地域活性化になるはずだ。自分の趣味にひたすら没頭するのでもいいし、「地域に花を植えたい」というような活動でもやりたい人でやったらいい。それで喜ぶのが、あくまで「自分」あるいは「自分の知っている人」であるならその活動は健全なものだ。
そして、本当の地域活性化とは、そうした「自分がやりたいこと」をやりやすいように、さまざまなことの心理的・社会的・経済的ハードルを下げることであると思う。私が笠沙美術館を借り切ってイベントをしたことで、「自分も笠沙美術館を借り切ってイベントしてみたい」と思う人が出てきたら、イベントの副次的効果として本当に嬉しい。美術館を借り切ることの心理的ハードルが下がったということだからだ。
「地域活性化」に取り組む人の悪い癖は、「みんな地域資源に気づいていない。地域の魅力を分かっていない。やる気がない」といったように、地域が衰退していくことを不特定多数の人の責任に転嫁しがちなことである。でも地域が衰退していくことは人口動態や経済構造で決まることで、「地域の魅力に無頓着な人」の責任は全くない。
というより、私は「地域の魅力」なんか住民に理解されていなくても、住民一人ひとりがめいめいにやりたいことをしている地域の方がよっぽどいいと思う。むしろ、「地域の魅力」などというものは分かっていない方がいいくらいで、「うちの地域はなんもなくてすいません」というくらいの気持ちでいる方が可愛げがある。
「地域活性化」などという「高尚な目的」よりも、個人の生活の幸せを追求する方が、ずっと大事なことである。
当日の模様については「南薩の田舎暮らし ブログ」の方に書きましたのでよかったらご覧ください。
【南薩の田舎暮らし ブログ】「海の見える美術館で珈琲を飲む会 vol.2」ありがとうございました!
ところで、こういうイベントをしていると、「地域活性化してくれてありがとう!」とか言われることがある。また、新聞記者さんにも「南薩の田舎暮らしは、地域活性化団体とかじゃないんですか?(そうでないと記事に紹介しにくいなあ、みたいなニュアンスで)」と聞かれたりする。
でも、実を言うと私は「地域活性化」には取り組んでいないし、「南薩の田舎暮らし」も商業活動をするときのただの屋号である。ただ、「珈琲を飲む会」とか、先日やった「公民館 de 夜カフェ」なんかは、収益を目的としておらず(というかカンパがなかったら赤字)、気持ちの上では地域貢献活動としてやっているのは確かである。
でも地域貢献は目的の中心ではない。目的の中心は、「自分が楽しいからやりたい」という私のエゴである。美味しいコーヒーを、眺めのよいところで飲んだら美味しい、それを他の人とも共有したい! そういう私のエゴでやっているのが「珈琲を飲む会」である。いわば自分による自分のためのイベントである。地域活性化とか、そういう「高尚な目的」は全然ない。
そもそも、私は「地域活性化」や「地域おこし」はやらない方がいいと思っている。
そういうことに興味があったり、いろいろな取組をしている人と知り合ったりする機会が多いのだが、その現状を見聞きしても、「地域活性化」の内容には問題があることが多い。
そういう取組の最大の問題は、「地域活性化」が一体何を目的としているのか曖昧なことである。「地域」というボンヤリとしたものを相手にしているから、それがどういう状態になったらそれが「活性化」だと言えるのか、あまり考えていない。なので、「とりあえず人の集まるイベントを開いてみよう!」というだけの活動になることが多い。
そうは言っても例えば「地域のお年寄りが喜んでくれたんだからいいじゃないか」みたいに反論する人がいるだろう。でも、最初から「地域のお年寄りを喜ばす」ことが目的なら、その目的に沿って活動を設計すべきであり、「地域活性化」みたいな抽象的な題目ではなく、お年寄りは何を喜ぶのか、という具体的なところから出発するべきである。だが、現実には「結果的に」喜んでくれた、というのが成果として捉えられており、そこに手段と目的と成果の齟齬がある。
これは観光振興なんかでも同じである。「地域活性化」の一つとして、観光振興が注目を集めているが、誰のための観光振興なのか、が曖昧であることが多い。というかほとんどそうである。観光で潤うのは、第1に交通(バス会社とか)と宿泊業、第2に飲食業、第3に物産販売業であるが、こうしたメインのステークホルダーが不在のまま、勝手連的な活動として観光振興が取り組まれることが多い。
我が南さつま市の観光協会の場合どうなのかは知らないが、交通と宿泊業の人はあまり中心的な役割を果たしていないように見える。観光振興というのは、結局はこうした業種の利益を伸ばしていくということが目的なので、まずはこうした業種の企業からプロジェクト毎に協賛金の形でお金を集めて、その範囲でちゃんと利益に繋がる活動をしていくのがよい方法であると思う。
だが、これまで観光地でなかったところは、「観光客が増えるとなんか嬉しいよね!」というようなふわっとした目的の下、観光業には直接関係のない人たちが、良くも悪くも利益を度外視してボランティアで活動しがちである。それは一種のロータリークラブのようなものだから、社会貢献活動をやるフレームワークとしては機能するし、別に悪いことはない。でも長い目で見れば、観光は社会貢献活動ではなく商業活動として成立しなければ意味がない。
だから結局は「○○旅館の売り上げを増やす」というような具体的な成果を見据えていなければ、そういう活動はやりたがり屋の人たちの生きがいづくりの場になってしまう。具体的な成果が想定されていないなら、何かをやったことそれ自体が成果になるからだ。でもそれでは、その活動によって誰が喜ぶのだろうか? この活動を横目に見ている地域の宿泊施設は、実は収益の柱がスポーツ合宿で、観光客なんか全然期待していないのかもしれないのだ。せっかくの「観光振興」なのに、それで喜ぶ業界関係者があまりいなかったら、何のためにやっているのかよくわからない。
つまり何かの活動をする時は、「それによって誰が喜ぶのか」が明確でないといけないと私は思う。 別に、「自分が楽しいから」でも全然問題ない。私は実際、「珈琲を飲む会」は自分が楽しいからしている。また、目的が誰か特定の人を喜ばすことだったらそれももちろんいい。でもよくないのは、「地域の人を喜ばす」とか、「観光客を喜ばす」とか、そういう誰かもわからない人を喜ばそうとすることである。それが「地域活性化」という題目のよくないことだ。
こうなると、「地域活性化」は中身のない「大義」になる。そして「大義」は腐敗の温床であり、その活動に協力的でない人を非難するようになる。「こっちは地域活性化のために頑張ってるのに、あの人は全然協力しない」とか。 でもそれは本当にみんなが参加するべき活動なんだろうか? 実際はやりたい人だけがやればいい活動なのではないだろうか?
というより、「地域活性化」のために「みんなが参加するべき活動」なんてものがあるとすれば、それはもはや「地域活性化」でもなんでもない。参加したくもないものに参加させられるとすれば、地域の活力はなおさら失われるはずだからだ。ただでさえ自分の時間がないなかで、抽象的な「地域活性化」とやらにボランティアで参加しろといわれるなら、そんな地域には住んでいたくない。
だから「やりたい人がやればよい」という活動でない限り、「地域活性化」にはならないと私は思う。一方で、活動の中で、地域のみんなが顔を揃えて話し合いをするとか、そういうことは必要だろうし、自治会などの組織で取り組む場合は、なるだけ多くの人を巻き込む工夫も必須である。正直、全員参加が望ましい活動はある。でも「これに参加することは義務だ」となれば、人心が離れていくのも現実である。この種の活動は、このあたりのバランスがすごく難しい。
結局、「地域活性化」なるものが中身のない理念だからこういう難しい事態が生じるのだろう。だから私は「地域活性化」なんてやめた方がいいと思うのだ。それよりも、個人が、自分がやりたい活動を思い切りやる方が本当の地域活性化になるはずだ。自分の趣味にひたすら没頭するのでもいいし、「地域に花を植えたい」というような活動でもやりたい人でやったらいい。それで喜ぶのが、あくまで「自分」あるいは「自分の知っている人」であるならその活動は健全なものだ。
そして、本当の地域活性化とは、そうした「自分がやりたいこと」をやりやすいように、さまざまなことの心理的・社会的・経済的ハードルを下げることであると思う。私が笠沙美術館を借り切ってイベントをしたことで、「自分も笠沙美術館を借り切ってイベントしてみたい」と思う人が出てきたら、イベントの副次的効果として本当に嬉しい。美術館を借り切ることの心理的ハードルが下がったということだからだ。
「地域活性化」に取り組む人の悪い癖は、「みんな地域資源に気づいていない。地域の魅力を分かっていない。やる気がない」といったように、地域が衰退していくことを不特定多数の人の責任に転嫁しがちなことである。でも地域が衰退していくことは人口動態や経済構造で決まることで、「地域の魅力に無頓着な人」の責任は全くない。
というより、私は「地域の魅力」なんか住民に理解されていなくても、住民一人ひとりがめいめいにやりたいことをしている地域の方がよっぽどいいと思う。むしろ、「地域の魅力」などというものは分かっていない方がいいくらいで、「うちの地域はなんもなくてすいません」というくらいの気持ちでいる方が可愛げがある。
「地域活性化」などという「高尚な目的」よりも、個人の生活の幸せを追求する方が、ずっと大事なことである。
2015年11月5日木曜日
「海の見える美術館で珈琲を飲む会 vol.2」を開催します
11月15日(日)、「海の見える美術館で珈琲を飲む会 vol.2」を開催します!
【チラシ】海の見える美術館で珈琲を飲む会 vol.2
昨年の11月23日、vol.1をやって、思いの外多くの人に来ていただいた。ただ眺めのよいところでコーヒーを飲む、というだけのイベントだったが(主観的に)大好評をいただいて、2回目もしようとその場で決めた。
ただ、vol.1の時は振る舞いコーヒーにしたので、私自身がコーヒーを淹れてばかりでそれ以外のことがほとんどできなかった。せっかく遠方から来ていただいた方とロクにお話しすることもできなくて本当に申し訳なかったと思う。
あと、さすがに遠方から来てコーヒー一杯だけというのも、なんかこちらも申し訳ない気分になったので、地元の人以外を呼ぶならやはりそれなりにコンテンツを準備すべきだったとも思った。
そこで、今回はコンテンツを充実させつつ、自分の役割は極力なくして開催することにした。というわけで、少しだけコンテンツのご紹介。
珈琲:天文館の七味小路にある「古本喫茶 泡沫(うたかた)」さんによる出張販売。昨年はふるまいコーヒーだったので無料だったが、今年は普通に販売になる。でも1杯200円くらいと言っていたから格安だ。ちなみに、「泡沫」さんに出張販売を打診したとき「うち、自家焙煎とかじゃないけどいいんですか?」というのが第一声で、それにすごく好感を持った。そして、それに対して私は、「景色がいいから大丈夫です」と答えた。
写真: 小湊在住のプロの写真家・松元省平さんの全面協力(丸投げとも言う)をいただいて、松元省平写真展「今夜も庭に、星が降る」を開催。これは松元さんが自宅の庭や近所で撮った星空写真の展示会である。昨年はせっかくの展示なのに1日だけだったが、今回は6日間の会期(11月11日〜16日)。やはり美術館でイベントを開催する以上、芸術的な要素もないと寂しい。当日11時からは松元さんに「私の星空散歩」と題してギャラリートークもしていただく予定。
【参考】松元省平 写真展「今夜も庭に、星が降る」を開催します!
古本: 今回一番悩んだのはここで、コーヒーと芸術(写真)と景色、だけでもイベントとして成立すると思うが、やっぱり本に関することもやりたい、ということで武岡の「つばめ文庫」さんにお願いして古本の出張販売をしてもらうことにした。何しろ、古本といえばコーヒー、コーヒーといえば古本、だと私は思っている。
【参考】「つばめ文庫」の出張販売も楽しみ!
そして、当日14時からは店主の小村勇一さんに「困ったときの本頼み! ー生き方に迷っても」の題でちょっとした講演もしてもらう。小村さん自身が、生き方に迷って古本屋になったような面白い人なので私自身も講演がすごく楽しみである。
本との出会いというのは、内容以前に、どこでどうやって出会ったのかというのが大事だと思う。雄大な景色の中で、もしこのイベントに参加していなかったら一生手に取らなかった本を手にとってもらえたらすごく嬉しい。
プチマルシェ:笠沙美術館の周りは山と海で手近なお食事処がないので、坊津の「食堂勝八」さんにお願いして出張販売していただくことにした。名物「双剣鯖ピザ」と「双剣鯖バーガー」がオススメとのこと。実は「バーガー」の方はまだ食べたことがないので、私もすごく楽しみである。その他、昨年、店主の負傷により参加できなかった知る人ぞ知る「ZAKCAR」さんも出店。もちろん「南薩の田舎暮らし」も出店します。
このイベントは、一種のオフ会(インターネットで知り合った人と実際に会う場、というような意味です)にもなっているので、このブログをよく読んで下さっている方には、特に来ていただきたいと思っている。実は、私はネット上の人格と、実際の人格が大きく乖離しているみたいなので、期待されるような会話はできないと思うが、せめてご高覧の御礼を申し上げたい。
というわけで、当日天気が良ければぜひ笠沙美術館にお越しいただき、壮大な景色の中で、コーヒー片手に写真や古本を物色していただければ幸いです(天気が悪かったらイベントの意味があんまりないのでそっとしておいて下さい)。よろしくお願いします。
【情報】海の見える美術館で珈琲を飲む会 vol.2
日時:2015年11月15日(日) 10:00〜17:00
参加費:100円(子ども無料、+カンパ)
場所:笠沙美術館
【チラシ】海の見える美術館で珈琲を飲む会 vol.2
昨年の11月23日、vol.1をやって、思いの外多くの人に来ていただいた。ただ眺めのよいところでコーヒーを飲む、というだけのイベントだったが(主観的に)大好評をいただいて、2回目もしようとその場で決めた。
ただ、vol.1の時は振る舞いコーヒーにしたので、私自身がコーヒーを淹れてばかりでそれ以外のことがほとんどできなかった。せっかく遠方から来ていただいた方とロクにお話しすることもできなくて本当に申し訳なかったと思う。
あと、さすがに遠方から来てコーヒー一杯だけというのも、なんかこちらも申し訳ない気分になったので、地元の人以外を呼ぶならやはりそれなりにコンテンツを準備すべきだったとも思った。
そこで、今回はコンテンツを充実させつつ、自分の役割は極力なくして開催することにした。というわけで、少しだけコンテンツのご紹介。
珈琲:天文館の七味小路にある「古本喫茶 泡沫(うたかた)」さんによる出張販売。昨年はふるまいコーヒーだったので無料だったが、今年は普通に販売になる。でも1杯200円くらいと言っていたから格安だ。ちなみに、「泡沫」さんに出張販売を打診したとき「うち、自家焙煎とかじゃないけどいいんですか?」というのが第一声で、それにすごく好感を持った。そして、それに対して私は、「景色がいいから大丈夫です」と答えた。
写真: 小湊在住のプロの写真家・松元省平さんの全面協力(丸投げとも言う)をいただいて、松元省平写真展「今夜も庭に、星が降る」を開催。これは松元さんが自宅の庭や近所で撮った星空写真の展示会である。昨年はせっかくの展示なのに1日だけだったが、今回は6日間の会期(11月11日〜16日)。やはり美術館でイベントを開催する以上、芸術的な要素もないと寂しい。当日11時からは松元さんに「私の星空散歩」と題してギャラリートークもしていただく予定。
【参考】松元省平 写真展「今夜も庭に、星が降る」を開催します!
古本: 今回一番悩んだのはここで、コーヒーと芸術(写真)と景色、だけでもイベントとして成立すると思うが、やっぱり本に関することもやりたい、ということで武岡の「つばめ文庫」さんにお願いして古本の出張販売をしてもらうことにした。何しろ、古本といえばコーヒー、コーヒーといえば古本、だと私は思っている。
【参考】「つばめ文庫」の出張販売も楽しみ!
そして、当日14時からは店主の小村勇一さんに「困ったときの本頼み! ー生き方に迷っても」の題でちょっとした講演もしてもらう。小村さん自身が、生き方に迷って古本屋になったような面白い人なので私自身も講演がすごく楽しみである。
本との出会いというのは、内容以前に、どこでどうやって出会ったのかというのが大事だと思う。雄大な景色の中で、もしこのイベントに参加していなかったら一生手に取らなかった本を手にとってもらえたらすごく嬉しい。
プチマルシェ:笠沙美術館の周りは山と海で手近なお食事処がないので、坊津の「食堂勝八」さんにお願いして出張販売していただくことにした。名物「双剣鯖ピザ」と「双剣鯖バーガー」がオススメとのこと。実は「バーガー」の方はまだ食べたことがないので、私もすごく楽しみである。その他、昨年、店主の負傷により参加できなかった知る人ぞ知る「ZAKCAR」さんも出店。もちろん「南薩の田舎暮らし」も出店します。
このイベントは、一種のオフ会(インターネットで知り合った人と実際に会う場、というような意味です)にもなっているので、このブログをよく読んで下さっている方には、特に来ていただきたいと思っている。実は、私はネット上の人格と、実際の人格が大きく乖離しているみたいなので、期待されるような会話はできないと思うが、せめてご高覧の御礼を申し上げたい。
というわけで、当日天気が良ければぜひ笠沙美術館にお越しいただき、壮大な景色の中で、コーヒー片手に写真や古本を物色していただければ幸いです(天気が悪かったらイベントの意味があんまりないのでそっとしておいて下さい)。よろしくお願いします。
【情報】海の見える美術館で珈琲を飲む会 vol.2
日時:2015年11月15日(日) 10:00〜17:00
参加費:100円(子ども無料、+カンパ)
場所:笠沙美術館
2015年10月26日月曜日
南さつまの観光政策への放言
前回の記事にも書いたように、南さつま市観光協会のメンバーになった。というわけで、今のうちに南さつま市の観光政策について思うことを書いておきたい。
というのは、私自身観光業に携わっていなくても、観光協会のメンバーとしていろいろな活動に関与していけば、ブログで好き放題論評するというわけにもいかなくなりそうなので、まだ何も役目をいただいていないうちに、観光政策の問題点についてつれづれなるままに放言しておこうという次第である(関係者の皆さんは気分を悪くされると思うので読まないで下さい。すいません)。
まず第1に、インターネットでの情報発信がヘタすぎる。
例えば、本市の最大のウリだと私が思っている「南さつま海道八景」だが、市役所のWEBページには写真だけしか載っておらず、「海道」といいながら全く道について触れられていない。これだけだと、海道八景がどこにあるのかすら分からないという有様。
観光協会のWEBページには、若干の説明があるが、この説明がマウスオーバーで現れる(マウスが写真の上にあるときだけ説明が読める)といういただけない仕様になっている。HTMLをいじるのが面白いとついこういう仕掛けをやってしまうものだが、シンプルに写真とテキストが書いてあった方がよい。なぜなら、実際に観光に来る人が、このページを印刷する可能性があるからで、マウスオーバーテキストだとそれが印刷できない(その上リンク先があるかどうかわかりにくい)。しかも、なんと観光協会のWEBサイトにも「南さつま海道八景」がどこにあるのか、その説明が全くない! せめて国道226号線沿いだというだけでも説明しないと、このページだけでは観光に行きたい人に役立たない。
「南さつま海道八景」については、それなりにちゃんとしたパンフレットを作っているので、パンフレットをそのまま掲載するくらいはしたらよいと思う。
でももしかしたら、「南さつま海道八景」を「本市最大のウリ」だと思っているのは私だけなのかもしれない。「砂の祭典」こそ最大のウリでは? と思う人もいるだろう。しかし、市役所のWEBページを見ても、観光協会のWEBページを見ても「砂の祭典」が本市の一大イベントであるとは全然わからない。観光協会のWEBページなんか、公式ページへのリンクもなく(なぜ?)、随分あっさりした書きぶりになっている。数万人を動員する「砂の祭典」からしてこうだから、他は推して知るべしで、必要な情報、必要なリンク先が全く出てこないというのを強く感じる。
要するに、市役所も観光協会も、インターネットで「南さつま市へ観光に来たい人」に対して必要な情報をほとんど提供していない。何が書いてあるかというと「南さつま市にはこんな観光スポットがあるんですよ!」というアピールである。
しかもそのアピールもヘタクソで、アピールである以上、「押し」や「ウリ」といったものが明確に分からなくてはならないのに、それがなくてあらゆる情報が並列的に載っている。要するに、何かのついでがあれば観たらいいよ、という「田の神」のようなものと、南さつまに来たら是非観るべき、という「南さつま海道八景」のようなものがほぼ同列に並んでいる。これではアピールにならない。
観光というのは、「あれも行きたいこれも行きたい」といってどこかへ行くわけではなく、目的地は大抵一つである。例えば群馬県の水上温泉に行きたい、というときは、まず温泉を調べる。そして温泉だけだと子どもたちが楽しめないから他にないか、といってロープウェイなど近場のレジャー情報を調べ、さらに何か美味しいものが食べられないか、といってグルメ情報を調べる。この場合最も重要なのは「温泉」の情報で、それ以外は「温泉」に付随しているに過ぎない(温泉がなかったら調べなかった情報だということ)。だからアピールするなら、観光地の核となる情報を発信し、それ以外の観光情報はその下に付随する形にしているべきだ。要するに観光情報の階層化が必要なのだ。もっと簡単に言えば、「そのためだけに南さつま市に来る価値がある所」はどこかをしっかり見極めて、アピールはそこだけに注力したらよいと思う。
なお余談ながら、私の考えでは、それは「南さつま海道八景」「亀ヶ丘」「吹上浜(京田海岸)」の3つである。
しかし、実のところを言えば、こうした公の機関は、インターネットで観光スポットをアピールする必要は全然ない。なぜなら、こうしたサイトを訪問している以上、そのページを見ている人は既に何かのきっかけで「南さつま市に行きたいな〜」と思っているはずで、その人は、どの季節に訪問するのがよく、どこをどう巡ったら楽しいか、という具体的な情報を欲しているからである。
そもそも観光協会も市役所も、どこかにアピールポイントを置いた公報というのは苦手である。役所が作った「南さつま海道」のプロモーションビデオにも、金峰町の人から「金峰が入ってない」という意見があったそうだから、役所でこういうのを作るのは本当に難しいと思う。だからやりにくいアピールをやるよりも、既に南さつまに行きたいと思っている人に対して、そういう人が必要とする情報を愚直に出して行く方がよいと思う。
具体的には、観光マップをしっかり作るべきだ。観光協会のWEBサイトは、情報はいろいろあるのに肝心な観光マップがないのが最大の問題だと思う。市役所のWEBサイトも、一応観光マップと銘打っているものはあるが、全く使えないもので残念である。「ちゃんとパンフレットでは観光マップを用意しています。来て頂ければお渡しできます」と考えているとしたらそれは傲慢である。あるならばそれをインターネットに載せるくらいのことはするべきだ。
ついでに言うと、インターネットでの発信はぜひ英語でもすべきだと思う。英語で発信したって見る人はいないでしょ、と思うのは間違いで、日本の観光情報は外国の人にとって常に不足しているので需要はある。他の自治体がなかなか英語での発信ができていない中、南さつま市が英語発信に積極的に取り組めばすぐに頭一つ抜け出ることができるはずだ。
第2に、今あるものを大事にしよう・活用しようという考えが希薄で、イベント的な一過性の取組が多すぎる。
南さつま市は他の観光地に比べて、景観はかなり勝れていると思う。だがその肝心の景観を大事にしようという考えが希薄である。といっても、これは日本の観光地一般に言えることであって、実は南さつま市だけではない。歴史ある京都の街並みでも電柱の埋設が進んでいないし、品のない看板が多い。京都駅の駅舎は街並みとは異質なデザインだし、京都タワーは景観を乱していて本当にない方がいいと思う。京都の人は景観をどう考えているのだろうか。
「南さつま海道八景」も、道脇の草がボウボウである、朽ちた看板がある(しかも内容が「海や川をきれいにしましょう」みたいなものだったりする。看板自身が景観を乱しているというのに)、人工物が邪魔している(ガードレールや電線や廃屋)、といったことで非常に惜しい状況である。
海道八景沿いだけでも、「老朽化した看板の撤去」「新たに設置する看板への規制」「道路清掃作業の頻繁化(国道なので市がやれる範囲で)」「景観を乱す人工物を目立たなくする(例えばガードレールを周囲の環境と調和したものに)」「景観の邪魔になる木の伐採」といった景観の向上への取組が必要だと思う。
他にも、例えば「笠沙美術館」は素晴らしい立地の美術館で、ここだけでも観光の目的地になりうる場所だと思うが、観光に全く役立っていない。私は個人的にここがすごく気に入っているので「海の見える美術館で珈琲を飲む会」を今年も企画しているが、市役所も積極的に使ったらよい。しかしここも、建設以降ほとんど改修が行われていないので各所の扉がさび付いて開けなくなっており、施設を適正に使うことができない。
また、非常につまらないことと思うかもしれないが、公共施設のトイレを清潔に保ったり、現代的に改修したり、入りやすいようにするといったこともすごく大事である。田舎に越してきてつくづく思うことは、トイレに関しては鹿児島は東京に20年遅れているということである。
行く先のトイレにおむつ替えシートがあるかどうかというようなことが、子連れでどこか行くときにすごく重要だし、それ以前に利用したいと思うトイレであることが大事で、「できれば入りたくない」というようなトイレが存在していること自体が(実際に入らなくても)観光客にとっては負担である。
「南さつま海道八景」沿いだけでも、今一度公共トイレの施設設備や清掃体制をチェックすべきだ。例えばトイレが県の施設で管理できないという場合は、県から施設を譲渡・購入して市が管理できるようにし、ストレスなく使えるトイレに変えていったらよい。そして、インターネットやチラシでどこにどのようなトイレがあるかちゃんと発信したらよい。こういう地味なことをするのが本当の観光政策だと私は思う。
しゃかりきになってイベントを企画しなくても、こうした今ある施設や観光スポットをちゃんと維持管理・整備し、ポテンシャルを引き出すことが十分に魅力づくりになるのではないだろうか。
第3に、観光の拠点となる場所がよく分からない。
鹿児島の北の方に蒲生(かもう)という町があって、そこは「蒲生の大クス」という日本一大きなクスノキがあるのが最大のウリなのだが、大クスがある蒲生八幡神社の入り口に蒲生観光交流センターがある。ちょっとしたお土産品とか、観光パンフとかが置いてあって、そのもの自体はどうということはない所だが、こういう施設が最大の観光スポットに付随しているのはうまいと思う。
というのは、まだまだ日本ではインターネットの情報は現実の後追いであることが多く、紙のパンフレットなどの方が情報豊富で正確である。だからパンフレットを各所で配布することは重要なのだが、観光客は律儀に市役所に寄ったりしないし、それ以上に土日は市役所が閉まっている。だから観光協会での配布が重要になるが、南さつま市の観光協会は加世田の市街地にあって観光スポットとは縁がなく、観光ルートと離れている。というより、今の観光協会のオフィスは(リアルの)情報発信の拠点と位置づけられていないから、WEBサイトに開館日や開館時間すら書いていないので観光客には全く使えない。
南さつま市で唯一観光ルート上にあるそういう施設は、坊津の観光案内所だがここも有効に活用されているとは言えない。
私としては、「南さつま海道八景」のちょうど入り口に立地している物産館「大浦ふるさとくじら館」の一部を観光案内所と位置づけて、観光協会が間借りし、そこを情報発信の拠点にしたらよいと思う。物産館は年末・正月を除いてほぼ年中無休なので今の観光協会のように人が居ない日があるという問題も回避できる。そもそも「大浦ふるさとくじら館」は、合併前の大浦町時代に観光案内所的な意味合いもあって作ったものだと聞く。それがいつの間にか物産館だけの施設になっているので、もう一度原点に返るべきだ。これは第2に述べた「今あるものの活用」という話とも繋がる。
観光客というものは、意外と無計画に観光地へとやってくるものなので(私も観光に行くときは大概そうしている)、観光の拠点へと自然と足が延びるというのは大事である。南さつま市の場合、そういう場所がどこなのか私自身判然としないので、わかりやすい観光の拠点を作って、そこを中心としてリアルでの情報発信をしていくのがいいと思う。
第4に、観光の基盤となる歴史と文化に対し、ほとんど関心が払われていない。
多くの観光客は、美しい風景や気持ちの良い温泉、美味しい料理があれば満足すると思われているがそれは大きな間違いで、確かにそういうことは観光の中心ではあるがそれが全てではない。旅行というのは、ただ上質なサービスを受けるためだけに行くのではない。もの凄く美味しい料理を食べたいなら東京の一流レストランに行く方が間違いないし、圧倒的な絶景を観たいなら手つかずの自然が残る外国に行く方がいい。じゃあ、あまりお金をかけないで行く国内旅行が貧乏人のための次善のものかというと実はそうではない。
旅行というものは、自分の生きる土地と違う風土に触れて、暮らしやなりわいの多様性を体験するということも重要な目的だから、国内旅行だって十分に贅沢なのである。つまり風景や温泉や料理そのものも重要だが、それが自分とは異質な風土の元に営まれていることに一層の価値がある。
そして風土というのは、気候や地勢ももちろんだが、それ以上に独自の歴史と文化が重要な構成要素である。歴史とか文化とかは一部の好事家のためのもので、多くの観光客には無縁と考えるのは早計で、そうしたものを是非学びたいと言う人は少数派でも、旅先で聞く風変わりな(歴史の教科書に出てこない)歴史話は多くの人が耳を傾けて「へ〜」と頷くものだ。なぜならそれは「自分は今、違う文化圏に来ているんだ」と確認できることだからである。
そういう意味で、土地の神社仏閣は言うに及ばず、博物館や埋蔵文化財センターといった地味な施設も実は観光にすごく重要な意義を有している。それは直接観光客が訪れる所ではないかもしれないが、観光に深みを与え、ただの街歩きを歴史の重みを感じる散策に変える基盤を提供するものだからである。
南さつま市には、そういう施設として「歴史交流館 金峰」「坊津歴史資料センター 輝津館」「笠沙恵比寿(の展示室)」があるが、最も博物館として充実している「輝津館」ですらWEBサイトを持っていないのが残念だ。「輝津館」は学芸員も擁しているし、企画展も意欲的に開催しているので、その情報を実直に発信していけば南さつまの観光にもっと寄与すると思う。
さらに言えば、こうしたものの裾野を成す各地の「史談会」なんかも意外と重要で、観光ガイドの質は「史談会」を抜きにしては語れないと私は思う。これまでの行政は「史談会」を良くて文化活動、ひょっとすると年寄りの暇つぶしと見ていた節があるが、公益的な価値があるものとして取り上げ、史談会誌の発行を助成するなどの支援をしたらいい。
ともかく、今の南さつま市は「どんな歴史や文化を持っているのか?」という観光客の疑問に対してぴったりとした答えを持っていないように感じる。鑑真が上陸したとか、島津日新公の拠点であったとか、断片的なことしか語られていない。市制施行10周年でもあることだし、簡単でもよいから「南さつま市の歴史と文化」についてまとめたらよいと思う。
・・・というわけで、とりあえず4点述べたが、真面目に考えたらもっとたくさん出そうな気がする。でも最初に「関係者の方は読まないで下さい」と書いたように、私としては「この意見を採り上げろ」とは全然思っていない(というかブログの記事なんか現実的に影響力が全然ないので)。
でも間違えて関係者の方が読んでしまった場合、何かの参考になれば幸いである。
というのは、私自身観光業に携わっていなくても、観光協会のメンバーとしていろいろな活動に関与していけば、ブログで好き放題論評するというわけにもいかなくなりそうなので、まだ何も役目をいただいていないうちに、観光政策の問題点についてつれづれなるままに放言しておこうという次第である(関係者の皆さんは気分を悪くされると思うので読まないで下さい。すいません)。
まず第1に、インターネットでの情報発信がヘタすぎる。
例えば、本市の最大のウリだと私が思っている「南さつま海道八景」だが、市役所のWEBページには写真だけしか載っておらず、「海道」といいながら全く道について触れられていない。これだけだと、海道八景がどこにあるのかすら分からないという有様。
観光協会のWEBページには、若干の説明があるが、この説明がマウスオーバーで現れる(マウスが写真の上にあるときだけ説明が読める)といういただけない仕様になっている。HTMLをいじるのが面白いとついこういう仕掛けをやってしまうものだが、シンプルに写真とテキストが書いてあった方がよい。なぜなら、実際に観光に来る人が、このページを印刷する可能性があるからで、マウスオーバーテキストだとそれが印刷できない(その上リンク先があるかどうかわかりにくい)。しかも、なんと観光協会のWEBサイトにも「南さつま海道八景」がどこにあるのか、その説明が全くない! せめて国道226号線沿いだというだけでも説明しないと、このページだけでは観光に行きたい人に役立たない。
「南さつま海道八景」については、それなりにちゃんとしたパンフレットを作っているので、パンフレットをそのまま掲載するくらいはしたらよいと思う。
でももしかしたら、「南さつま海道八景」を「本市最大のウリ」だと思っているのは私だけなのかもしれない。「砂の祭典」こそ最大のウリでは? と思う人もいるだろう。しかし、市役所のWEBページを見ても、観光協会のWEBページを見ても「砂の祭典」が本市の一大イベントであるとは全然わからない。観光協会のWEBページなんか、公式ページへのリンクもなく(なぜ?)、随分あっさりした書きぶりになっている。数万人を動員する「砂の祭典」からしてこうだから、他は推して知るべしで、必要な情報、必要なリンク先が全く出てこないというのを強く感じる。
要するに、市役所も観光協会も、インターネットで「南さつま市へ観光に来たい人」に対して必要な情報をほとんど提供していない。何が書いてあるかというと「南さつま市にはこんな観光スポットがあるんですよ!」というアピールである。
しかもそのアピールもヘタクソで、アピールである以上、「押し」や「ウリ」といったものが明確に分からなくてはならないのに、それがなくてあらゆる情報が並列的に載っている。要するに、何かのついでがあれば観たらいいよ、という「田の神」のようなものと、南さつまに来たら是非観るべき、という「南さつま海道八景」のようなものがほぼ同列に並んでいる。これではアピールにならない。
観光というのは、「あれも行きたいこれも行きたい」といってどこかへ行くわけではなく、目的地は大抵一つである。例えば群馬県の水上温泉に行きたい、というときは、まず温泉を調べる。そして温泉だけだと子どもたちが楽しめないから他にないか、といってロープウェイなど近場のレジャー情報を調べ、さらに何か美味しいものが食べられないか、といってグルメ情報を調べる。この場合最も重要なのは「温泉」の情報で、それ以外は「温泉」に付随しているに過ぎない(温泉がなかったら調べなかった情報だということ)。だからアピールするなら、観光地の核となる情報を発信し、それ以外の観光情報はその下に付随する形にしているべきだ。要するに観光情報の階層化が必要なのだ。もっと簡単に言えば、「そのためだけに南さつま市に来る価値がある所」はどこかをしっかり見極めて、アピールはそこだけに注力したらよいと思う。
なお余談ながら、私の考えでは、それは「南さつま海道八景」「亀ヶ丘」「吹上浜(京田海岸)」の3つである。
しかし、実のところを言えば、こうした公の機関は、インターネットで観光スポットをアピールする必要は全然ない。なぜなら、こうしたサイトを訪問している以上、そのページを見ている人は既に何かのきっかけで「南さつま市に行きたいな〜」と思っているはずで、その人は、どの季節に訪問するのがよく、どこをどう巡ったら楽しいか、という具体的な情報を欲しているからである。
そもそも観光協会も市役所も、どこかにアピールポイントを置いた公報というのは苦手である。役所が作った「南さつま海道」のプロモーションビデオにも、金峰町の人から「金峰が入ってない」という意見があったそうだから、役所でこういうのを作るのは本当に難しいと思う。だからやりにくいアピールをやるよりも、既に南さつまに行きたいと思っている人に対して、そういう人が必要とする情報を愚直に出して行く方がよいと思う。
具体的には、観光マップをしっかり作るべきだ。観光協会のWEBサイトは、情報はいろいろあるのに肝心な観光マップがないのが最大の問題だと思う。市役所のWEBサイトも、一応観光マップと銘打っているものはあるが、全く使えないもので残念である。「ちゃんとパンフレットでは観光マップを用意しています。来て頂ければお渡しできます」と考えているとしたらそれは傲慢である。あるならばそれをインターネットに載せるくらいのことはするべきだ。
ついでに言うと、インターネットでの発信はぜひ英語でもすべきだと思う。英語で発信したって見る人はいないでしょ、と思うのは間違いで、日本の観光情報は外国の人にとって常に不足しているので需要はある。他の自治体がなかなか英語での発信ができていない中、南さつま市が英語発信に積極的に取り組めばすぐに頭一つ抜け出ることができるはずだ。
第2に、今あるものを大事にしよう・活用しようという考えが希薄で、イベント的な一過性の取組が多すぎる。
南さつま市は他の観光地に比べて、景観はかなり勝れていると思う。だがその肝心の景観を大事にしようという考えが希薄である。といっても、これは日本の観光地一般に言えることであって、実は南さつま市だけではない。歴史ある京都の街並みでも電柱の埋設が進んでいないし、品のない看板が多い。京都駅の駅舎は街並みとは異質なデザインだし、京都タワーは景観を乱していて本当にない方がいいと思う。京都の人は景観をどう考えているのだろうか。
「南さつま海道八景」も、道脇の草がボウボウである、朽ちた看板がある(しかも内容が「海や川をきれいにしましょう」みたいなものだったりする。看板自身が景観を乱しているというのに)、人工物が邪魔している(ガードレールや電線や廃屋)、といったことで非常に惜しい状況である。
海道八景沿いだけでも、「老朽化した看板の撤去」「新たに設置する看板への規制」「道路清掃作業の頻繁化(国道なので市がやれる範囲で)」「景観を乱す人工物を目立たなくする(例えばガードレールを周囲の環境と調和したものに)」「景観の邪魔になる木の伐採」といった景観の向上への取組が必要だと思う。
他にも、例えば「笠沙美術館」は素晴らしい立地の美術館で、ここだけでも観光の目的地になりうる場所だと思うが、観光に全く役立っていない。私は個人的にここがすごく気に入っているので「海の見える美術館で珈琲を飲む会」を今年も企画しているが、市役所も積極的に使ったらよい。しかしここも、建設以降ほとんど改修が行われていないので各所の扉がさび付いて開けなくなっており、施設を適正に使うことができない。
また、非常につまらないことと思うかもしれないが、公共施設のトイレを清潔に保ったり、現代的に改修したり、入りやすいようにするといったこともすごく大事である。田舎に越してきてつくづく思うことは、トイレに関しては鹿児島は東京に20年遅れているということである。
行く先のトイレにおむつ替えシートがあるかどうかというようなことが、子連れでどこか行くときにすごく重要だし、それ以前に利用したいと思うトイレであることが大事で、「できれば入りたくない」というようなトイレが存在していること自体が(実際に入らなくても)観光客にとっては負担である。
「南さつま海道八景」沿いだけでも、今一度公共トイレの施設設備や清掃体制をチェックすべきだ。例えばトイレが県の施設で管理できないという場合は、県から施設を譲渡・購入して市が管理できるようにし、ストレスなく使えるトイレに変えていったらよい。そして、インターネットやチラシでどこにどのようなトイレがあるかちゃんと発信したらよい。こういう地味なことをするのが本当の観光政策だと私は思う。
しゃかりきになってイベントを企画しなくても、こうした今ある施設や観光スポットをちゃんと維持管理・整備し、ポテンシャルを引き出すことが十分に魅力づくりになるのではないだろうか。
第3に、観光の拠点となる場所がよく分からない。
鹿児島の北の方に蒲生(かもう)という町があって、そこは「蒲生の大クス」という日本一大きなクスノキがあるのが最大のウリなのだが、大クスがある蒲生八幡神社の入り口に蒲生観光交流センターがある。ちょっとしたお土産品とか、観光パンフとかが置いてあって、そのもの自体はどうということはない所だが、こういう施設が最大の観光スポットに付随しているのはうまいと思う。
というのは、まだまだ日本ではインターネットの情報は現実の後追いであることが多く、紙のパンフレットなどの方が情報豊富で正確である。だからパンフレットを各所で配布することは重要なのだが、観光客は律儀に市役所に寄ったりしないし、それ以上に土日は市役所が閉まっている。だから観光協会での配布が重要になるが、南さつま市の観光協会は加世田の市街地にあって観光スポットとは縁がなく、観光ルートと離れている。というより、今の観光協会のオフィスは(リアルの)情報発信の拠点と位置づけられていないから、WEBサイトに開館日や開館時間すら書いていないので観光客には全く使えない。
南さつま市で唯一観光ルート上にあるそういう施設は、坊津の観光案内所だがここも有効に活用されているとは言えない。
私としては、「南さつま海道八景」のちょうど入り口に立地している物産館「大浦ふるさとくじら館」の一部を観光案内所と位置づけて、観光協会が間借りし、そこを情報発信の拠点にしたらよいと思う。物産館は年末・正月を除いてほぼ年中無休なので今の観光協会のように人が居ない日があるという問題も回避できる。そもそも「大浦ふるさとくじら館」は、合併前の大浦町時代に観光案内所的な意味合いもあって作ったものだと聞く。それがいつの間にか物産館だけの施設になっているので、もう一度原点に返るべきだ。これは第2に述べた「今あるものの活用」という話とも繋がる。
観光客というものは、意外と無計画に観光地へとやってくるものなので(私も観光に行くときは大概そうしている)、観光の拠点へと自然と足が延びるというのは大事である。南さつま市の場合、そういう場所がどこなのか私自身判然としないので、わかりやすい観光の拠点を作って、そこを中心としてリアルでの情報発信をしていくのがいいと思う。
第4に、観光の基盤となる歴史と文化に対し、ほとんど関心が払われていない。
多くの観光客は、美しい風景や気持ちの良い温泉、美味しい料理があれば満足すると思われているがそれは大きな間違いで、確かにそういうことは観光の中心ではあるがそれが全てではない。旅行というのは、ただ上質なサービスを受けるためだけに行くのではない。もの凄く美味しい料理を食べたいなら東京の一流レストランに行く方が間違いないし、圧倒的な絶景を観たいなら手つかずの自然が残る外国に行く方がいい。じゃあ、あまりお金をかけないで行く国内旅行が貧乏人のための次善のものかというと実はそうではない。
旅行というものは、自分の生きる土地と違う風土に触れて、暮らしやなりわいの多様性を体験するということも重要な目的だから、国内旅行だって十分に贅沢なのである。つまり風景や温泉や料理そのものも重要だが、それが自分とは異質な風土の元に営まれていることに一層の価値がある。
そして風土というのは、気候や地勢ももちろんだが、それ以上に独自の歴史と文化が重要な構成要素である。歴史とか文化とかは一部の好事家のためのもので、多くの観光客には無縁と考えるのは早計で、そうしたものを是非学びたいと言う人は少数派でも、旅先で聞く風変わりな(歴史の教科書に出てこない)歴史話は多くの人が耳を傾けて「へ〜」と頷くものだ。なぜならそれは「自分は今、違う文化圏に来ているんだ」と確認できることだからである。
そういう意味で、土地の神社仏閣は言うに及ばず、博物館や埋蔵文化財センターといった地味な施設も実は観光にすごく重要な意義を有している。それは直接観光客が訪れる所ではないかもしれないが、観光に深みを与え、ただの街歩きを歴史の重みを感じる散策に変える基盤を提供するものだからである。
南さつま市には、そういう施設として「歴史交流館 金峰」「坊津歴史資料センター 輝津館」「笠沙恵比寿(の展示室)」があるが、最も博物館として充実している「輝津館」ですらWEBサイトを持っていないのが残念だ。「輝津館」は学芸員も擁しているし、企画展も意欲的に開催しているので、その情報を実直に発信していけば南さつまの観光にもっと寄与すると思う。
さらに言えば、こうしたものの裾野を成す各地の「史談会」なんかも意外と重要で、観光ガイドの質は「史談会」を抜きにしては語れないと私は思う。これまでの行政は「史談会」を良くて文化活動、ひょっとすると年寄りの暇つぶしと見ていた節があるが、公益的な価値があるものとして取り上げ、史談会誌の発行を助成するなどの支援をしたらいい。
ともかく、今の南さつま市は「どんな歴史や文化を持っているのか?」という観光客の疑問に対してぴったりとした答えを持っていないように感じる。鑑真が上陸したとか、島津日新公の拠点であったとか、断片的なことしか語られていない。市制施行10周年でもあることだし、簡単でもよいから「南さつま市の歴史と文化」についてまとめたらよいと思う。
・・・というわけで、とりあえず4点述べたが、真面目に考えたらもっとたくさん出そうな気がする。でも最初に「関係者の方は読まないで下さい」と書いたように、私としては「この意見を採り上げろ」とは全然思っていない(というかブログの記事なんか現実的に影響力が全然ないので)。
でも間違えて関係者の方が読んでしまった場合、何かの参考になれば幸いである。
2015年10月23日金曜日
「すべての人が楽しめるよう創られた旅行セミナー in 南さつま」へ参加
ほとんど観光に関する活動はしていないが南さつま市観光協会のメンバーになった。
それで先日、「すべての人が楽しめるよう創られた旅行セミナー in 南さつま」という講演会に参加してきた。
正直、このセミナータイトルがなんだか胡散臭い感じで、あんまり期待はしていなかったのだが、意外と面白かったので内容を紹介したい。
講師は日本バリアフリー観光推進機構の理事長であり、また「水族館プロデューサー」でもある中村 元さん。中村さんは「バリアフリー観光」の日本での提唱者であるらしい。「僕がバリアフリー観光が大事だと言ってるのは、集客のためです!」という身も蓋もない話からスタート。中村さんは福祉系の人たちとはかなり違う風貌で、良くも悪くも「プロデューサー」らしい怪しげな雰囲気がある。
「バリアフリー観光」なるものの発端は15年ほど前に遡る。当時、三重県の北川知事が「伊勢志摩への集客のためにイベントばっかりやってるけど全然成果ない。これまでと違った考えで観光推進やってみよう」ということで若手を集めて議論させた。その時集められた一人が、当時鳥羽水族館の副館長をしていた中村さんである。
中村さんはひょんなことから海外のリゾート地で「バリアフリー観光」が行われていることを知り、これを伊勢志摩への集客に使えないかと考えた。だがメンバーは大反対。障害者への偏見なども強い時代(その後『五体不満足』でだいぶ変わったという)で、「障害者から金取らないとやっていけないくらい伊勢志摩は落ちぶれたのかっ!」という意見まで出たという。
そのため中村さんは水族館のお客さんのデータをとって障害者の市場がどれくらいあるのか推定してみた。結果、水族館の入館者数に占める障害者の割合は0.5%に過ぎないが、介助者と一緒に来るため障害者には4人連れが多く、結果0.5%×4人=2%が障害者に関係するお客さんだということがわかった。
一方、全日本人に占める障害者の割合は3%なので、水族館に来る障害者もこの割合にまで上がったとして、やはり介助者と一緒に4人組で入館すると仮定すれば、この2%は3%×4人=12%まで増やすことができる。こうなると集客の可能性としてはかなり大きい。
しかも障害者に優しい施設は、高齢者にも優しい。特に後期高齢者は歩行や排便に障害者と同じような困難を抱えている場合がある(和式便器は使えないとか)ので、なかなか外に出たがらないということがある。後期高齢者が人口に占める割合は12%もあるので、この人たちがお客さんになってくれるとすればマーケットとしてはかなり有望だ。
そういうことで中村さんはメンバーを説得し、伊勢志摩で「バリアフリー観光」に取り組むこととなったのであった。
中村さんはまずバリアフリーマップを作ることにしたが、障害を持つ友人から「バリアフリーマップなんか信用できない!」と言われた。その理由は、バリアフリーマップは障害者が作っていないから、実際にはバリアフリーでないのに「バリアフリートイレ」があるというだけでバリアフリーと表示されていたり(トイレ自体はバリアフリーなのだが、トイレに行くまでに障害があるとか)、バリアフリーを謳うとトラブルを誘発するということで実際にはバリアフリーの部屋があるホテルがそう書いていなかったり(何か問題があったときに「バリアフリーって書いてるのに対応してないじゃないか!」みたいなクレームがある)、 要するに全然使えないというわけである。
ということで、中村さんはちゃんと障害者と一緒に実地で見て回ってマップを作ることとし、しかもバリアフリーかバリアフリーでないか、という2項対立ではなく、どこにどの程度のバリア(障壁=段差の高さ、傾斜の角度、などなど)があるのかというマップを作った。要するに、「バリアフリー観光」を謳ってはいるが「バリアフリー」という概念はここにはなく、人は何をバリア(障壁)と思うのかはそれぞれ違うのだから、全てのバリア(になりうるもの)を網羅して調査したのである。
しかもそれをマップ化するだけでなく、そこで収集した情報を集積させて、障害の程度に応じてどの施設・観光地が利用可能かをアドバイスする拠点「伊勢志摩バリアフリーツアーセンター」をつくった。マップを作るところまではある意味では誰でも思いつく話だが、このセンターを作ったのが中村さんのイノベーションであると思う。
というのは、全てのバリアを網羅するというような野心的な情報収集になってくると、「ここに10cmの段差、その次に5cmの段差・・・」というような内容になって、とてもじゃないがマップどころかWEBサイトでもこれをわかりやすく案内することはできない。どうしても、そこに人が介在して「あなたの障害の程度ならここなら大丈夫」というような案内が必要になる。そしてそれ以上に、ホテルは旅館業法で宿泊客を拒否することは事実上できないから、実際には対応できない障害者を泊めてしまうというトラブルを防ぐため、こうしたセンターが必要なのである。
しかしこのセンターの真の価値は、障害の程度や介助者の状況によって利用可能な施設を差配する、ということにあるわけではない! そうではなく、その障害を持ったお客さんの、こんな観光をしたい、という気持ちを叶えることを中心に考えていることがこのセンターのすごいところである。例えば、温泉に入りたいというお客さんならば、「ここの温泉宿は段差があって介助者が2人必要だけど、段差を乗り越えれば露天風呂の家族湯に入れる」というような案内をする。ただ施設が整っていて、「バリアフリー」なホテルを案内するだけでない、というところがミソだ。
そもそも、「バリアフリー」なところを巡るだけだったらそれは福祉施設の視察みたいなもので観光とはいえない。観光にはバリアはつきもので、旅から全てのバリアを取り除こうとする方がおかしい。というより、ある程度のバリア=障壁がなかったら、美しい風景も残っていないわけで、観光の醍醐味はそのバリアを乗り越えて、美しい景色とか温泉とかにたどり着くところにある。そういう意味では「バリアフリー観光」は自己矛盾な言葉で、観光は全行程がバリアフリーであったら成り立たないのである。
だったら「バリアフリー観光」は何がバリアフリーなのか? ということである。歩道の段差をなくし、トイレをユニバーサルトイレにし、 エレベーターを設置する、それはもちろんバリアフリー化ではあるが、バリアフリーの本体ではない。バリアフリーの本体は、そうした情報を発信し、旅行の計画段階で、どこそこにバリアがあって、それを自分なら超えられるかどうか事前に検討できる、という状態を作ったことである。人間、行ったら困るかもしれない場所には行きたくないものだ。だが、それがどのくらいの困難さなのか事前に分かっていたら、介助者の準備も出来るし、少なくとも行けるかどうかの検討ができる。
つまり、障害者にとっての真のバリアとは、段差とかトイレとかいうことよりも、そうしたことが事前にわからないという「情報不足」だったのである。
そして、障害者が行きやすい場所は、「障害者が行けるんなら自分達も大丈夫だろう」ということで後期高齢者も行きやすい。そして多くの人が行く場所は、もっと多くの人を呼び寄せる。このようにして、伊勢志摩では非常なる集客増を成し遂げたのである。
中村さんは、施設をバリアフリーに改修するコンサル的な仕事も請け負っており、その際のアドバイスもちゃんと障害者の人たちの意見を聞いて行っている。というか多分、中村さんは人の意見を聞き出すのが上手で、「バリアフリー観光」がうまくいったのも、そのコンセプトがどうこうというより、中村さんの人の意見を聞き出す力に依っている部分が大きいような気がした。
例えば、最初のコンサルの仕事を請け負った時、ホテルの一室をバリアフリーに改装するにはどうするか、というのを障害者同士のワークショップ形式で議論してもらったそうだが、そこで出た最初の意見が「テレビは大きい方がいい」だったという。 「車イスだと一度部屋に入ると出るのが億劫、だからテレビを見ていることが多いが、そのテレビが家のテレビより小さかったらイヤだから」というのがその意見。私は、この意見が最初に出たということを聞いてナルホドと唸った。
というのは、こういう話し合いをすると、最初はどうしても優等生的な意見が出がちである。「段差をなくす」など真面目で当たり障りのない意見が出てから、そういう意見が尽きたときに「ところで、テレビは大きい方がいいんだけどね」みたいに冗談めかしていう意見が「本当の意見」であることが多い。そして、大抵そういう「本当の意見」は笑い話として処理され黙殺される。私は行政が住民の意見を聞く会議、みたいなものに結構参加している方だと思うが、そういう場面は何度も見て来た。
だがこの場合、「テレビは大きい方がいい」という個人の欲望に基づいた「本当の意見」がまず最初に出てきているわけで、それは中村さんの人柄によるのか、雰囲気作りのうまさによるのか分からないが、とにかくすごい。しかもこの意見は即採用された。こうなると「本当の意見」はドンドン出てくる。
人の意見を聞いてプロジェクトを動かして行くというのは簡単そうに見えて実に難しいことで、油断していると真面目で形式的な意見しか出ないつまらない場になったり、逆に「そうだよねー」「それもいいね〜」みたいに出た意見が全肯定される馴れ合いの場になったりする。 こうなるといくら「意見を聞く場」を設定しても「本当の意見」が出てこない。様々な場面において、障害者の「本当の意見」を聞いて、それに基づいてバリアフリー観光を進めたことが成功の秘訣だったのではないかと思う。
そして、中村さんのプロジェクトの核には、障害者の意見であったり、実地で調べたバリアの情報であったり、実直な情報収集があるということも重要だ。観光政策というと、すぐに「アピールが足りない!」とかいう人が出てきて、イベントをしたりゆるキャラを作ったり、要するに「露出度競争」に勝たないといけないと考える人が多いが、これは全くの愚策だと思う。もちろんアピールは大切だが観光地がやる自己アピールは往々にして自画自賛のオンパレードになりがちであり、一般の観光客に対してさほど価値を提供しない。
それよりも、観光地の情報を実直に収集してわかりやすく発信し、それを集積する拠点を設けるという地味な仕事の方に価値がある。中村さんの話も、「バリアフリー観光」というコンセプトに騙されて、「いやー南さつまにはまだバリアフリーは早い」みたいに誤解する人がいないか心配だ。バリアフリー云々は全く重要ではなく、大事なのは、「来て欲しい人がちゃんとこちらまで来やすいように、その人たちの意見をちゃんと聞いた上で時間と手間をかけて情報収集し、整理・発信し、対話し続けていく体制を整えること」なのである。つまり中村さんは、観光政策におけるごくごく当たり前のことを実直にやるべしと言っているだけなのだ。
しかし、その当たり前のことが出来ていない自治体のなんと多いことか! イベント、ゆるキャラ、B級グルメ。「起死回生のグッドアイデア」を探して手近な成果を求める観光地は多い。そしてその多くが一過性の成果しか得られないのは当然だ。こんな自治体ばかりの中で、地味でも実直な観光政策の王道を行けば、きっと道は開けるはずだ。王道こそ往き易し。妙案など何もなくても、南さつま市へと足を運んでくれる人はきっと増えるだろう。
それで先日、「すべての人が楽しめるよう創られた旅行セミナー in 南さつま」という講演会に参加してきた。
正直、このセミナータイトルがなんだか胡散臭い感じで、あんまり期待はしていなかったのだが、意外と面白かったので内容を紹介したい。
講師は日本バリアフリー観光推進機構の理事長であり、また「水族館プロデューサー」でもある中村 元さん。中村さんは「バリアフリー観光」の日本での提唱者であるらしい。「僕がバリアフリー観光が大事だと言ってるのは、集客のためです!」という身も蓋もない話からスタート。中村さんは福祉系の人たちとはかなり違う風貌で、良くも悪くも「プロデューサー」らしい怪しげな雰囲気がある。
「バリアフリー観光」なるものの発端は15年ほど前に遡る。当時、三重県の北川知事が「伊勢志摩への集客のためにイベントばっかりやってるけど全然成果ない。これまでと違った考えで観光推進やってみよう」ということで若手を集めて議論させた。その時集められた一人が、当時鳥羽水族館の副館長をしていた中村さんである。
中村さんはひょんなことから海外のリゾート地で「バリアフリー観光」が行われていることを知り、これを伊勢志摩への集客に使えないかと考えた。だがメンバーは大反対。障害者への偏見なども強い時代(その後『五体不満足』でだいぶ変わったという)で、「障害者から金取らないとやっていけないくらい伊勢志摩は落ちぶれたのかっ!」という意見まで出たという。
そのため中村さんは水族館のお客さんのデータをとって障害者の市場がどれくらいあるのか推定してみた。結果、水族館の入館者数に占める障害者の割合は0.5%に過ぎないが、介助者と一緒に来るため障害者には4人連れが多く、結果0.5%×4人=2%が障害者に関係するお客さんだということがわかった。
一方、全日本人に占める障害者の割合は3%なので、水族館に来る障害者もこの割合にまで上がったとして、やはり介助者と一緒に4人組で入館すると仮定すれば、この2%は3%×4人=12%まで増やすことができる。こうなると集客の可能性としてはかなり大きい。
しかも障害者に優しい施設は、高齢者にも優しい。特に後期高齢者は歩行や排便に障害者と同じような困難を抱えている場合がある(和式便器は使えないとか)ので、なかなか外に出たがらないということがある。後期高齢者が人口に占める割合は12%もあるので、この人たちがお客さんになってくれるとすればマーケットとしてはかなり有望だ。
そういうことで中村さんはメンバーを説得し、伊勢志摩で「バリアフリー観光」に取り組むこととなったのであった。
中村さんはまずバリアフリーマップを作ることにしたが、障害を持つ友人から「バリアフリーマップなんか信用できない!」と言われた。その理由は、バリアフリーマップは障害者が作っていないから、実際にはバリアフリーでないのに「バリアフリートイレ」があるというだけでバリアフリーと表示されていたり(トイレ自体はバリアフリーなのだが、トイレに行くまでに障害があるとか)、バリアフリーを謳うとトラブルを誘発するということで実際にはバリアフリーの部屋があるホテルがそう書いていなかったり(何か問題があったときに「バリアフリーって書いてるのに対応してないじゃないか!」みたいなクレームがある)、 要するに全然使えないというわけである。
ということで、中村さんはちゃんと障害者と一緒に実地で見て回ってマップを作ることとし、しかもバリアフリーかバリアフリーでないか、という2項対立ではなく、どこにどの程度のバリア(障壁=段差の高さ、傾斜の角度、などなど)があるのかというマップを作った。要するに、「バリアフリー観光」を謳ってはいるが「バリアフリー」という概念はここにはなく、人は何をバリア(障壁)と思うのかはそれぞれ違うのだから、全てのバリア(になりうるもの)を網羅して調査したのである。
しかもそれをマップ化するだけでなく、そこで収集した情報を集積させて、障害の程度に応じてどの施設・観光地が利用可能かをアドバイスする拠点「伊勢志摩バリアフリーツアーセンター」をつくった。マップを作るところまではある意味では誰でも思いつく話だが、このセンターを作ったのが中村さんのイノベーションであると思う。
というのは、全てのバリアを網羅するというような野心的な情報収集になってくると、「ここに10cmの段差、その次に5cmの段差・・・」というような内容になって、とてもじゃないがマップどころかWEBサイトでもこれをわかりやすく案内することはできない。どうしても、そこに人が介在して「あなたの障害の程度ならここなら大丈夫」というような案内が必要になる。そしてそれ以上に、ホテルは旅館業法で宿泊客を拒否することは事実上できないから、実際には対応できない障害者を泊めてしまうというトラブルを防ぐため、こうしたセンターが必要なのである。
しかしこのセンターの真の価値は、障害の程度や介助者の状況によって利用可能な施設を差配する、ということにあるわけではない! そうではなく、その障害を持ったお客さんの、こんな観光をしたい、という気持ちを叶えることを中心に考えていることがこのセンターのすごいところである。例えば、温泉に入りたいというお客さんならば、「ここの温泉宿は段差があって介助者が2人必要だけど、段差を乗り越えれば露天風呂の家族湯に入れる」というような案内をする。ただ施設が整っていて、「バリアフリー」なホテルを案内するだけでない、というところがミソだ。
そもそも、「バリアフリー」なところを巡るだけだったらそれは福祉施設の視察みたいなもので観光とはいえない。観光にはバリアはつきもので、旅から全てのバリアを取り除こうとする方がおかしい。というより、ある程度のバリア=障壁がなかったら、美しい風景も残っていないわけで、観光の醍醐味はそのバリアを乗り越えて、美しい景色とか温泉とかにたどり着くところにある。そういう意味では「バリアフリー観光」は自己矛盾な言葉で、観光は全行程がバリアフリーであったら成り立たないのである。
だったら「バリアフリー観光」は何がバリアフリーなのか? ということである。歩道の段差をなくし、トイレをユニバーサルトイレにし、 エレベーターを設置する、それはもちろんバリアフリー化ではあるが、バリアフリーの本体ではない。バリアフリーの本体は、そうした情報を発信し、旅行の計画段階で、どこそこにバリアがあって、それを自分なら超えられるかどうか事前に検討できる、という状態を作ったことである。人間、行ったら困るかもしれない場所には行きたくないものだ。だが、それがどのくらいの困難さなのか事前に分かっていたら、介助者の準備も出来るし、少なくとも行けるかどうかの検討ができる。
つまり、障害者にとっての真のバリアとは、段差とかトイレとかいうことよりも、そうしたことが事前にわからないという「情報不足」だったのである。
そして、障害者が行きやすい場所は、「障害者が行けるんなら自分達も大丈夫だろう」ということで後期高齢者も行きやすい。そして多くの人が行く場所は、もっと多くの人を呼び寄せる。このようにして、伊勢志摩では非常なる集客増を成し遂げたのである。
中村さんは、施設をバリアフリーに改修するコンサル的な仕事も請け負っており、その際のアドバイスもちゃんと障害者の人たちの意見を聞いて行っている。というか多分、中村さんは人の意見を聞き出すのが上手で、「バリアフリー観光」がうまくいったのも、そのコンセプトがどうこうというより、中村さんの人の意見を聞き出す力に依っている部分が大きいような気がした。
例えば、最初のコンサルの仕事を請け負った時、ホテルの一室をバリアフリーに改装するにはどうするか、というのを障害者同士のワークショップ形式で議論してもらったそうだが、そこで出た最初の意見が「テレビは大きい方がいい」だったという。 「車イスだと一度部屋に入ると出るのが億劫、だからテレビを見ていることが多いが、そのテレビが家のテレビより小さかったらイヤだから」というのがその意見。私は、この意見が最初に出たということを聞いてナルホドと唸った。
というのは、こういう話し合いをすると、最初はどうしても優等生的な意見が出がちである。「段差をなくす」など真面目で当たり障りのない意見が出てから、そういう意見が尽きたときに「ところで、テレビは大きい方がいいんだけどね」みたいに冗談めかしていう意見が「本当の意見」であることが多い。そして、大抵そういう「本当の意見」は笑い話として処理され黙殺される。私は行政が住民の意見を聞く会議、みたいなものに結構参加している方だと思うが、そういう場面は何度も見て来た。
だがこの場合、「テレビは大きい方がいい」という個人の欲望に基づいた「本当の意見」がまず最初に出てきているわけで、それは中村さんの人柄によるのか、雰囲気作りのうまさによるのか分からないが、とにかくすごい。しかもこの意見は即採用された。こうなると「本当の意見」はドンドン出てくる。
人の意見を聞いてプロジェクトを動かして行くというのは簡単そうに見えて実に難しいことで、油断していると真面目で形式的な意見しか出ないつまらない場になったり、逆に「そうだよねー」「それもいいね〜」みたいに出た意見が全肯定される馴れ合いの場になったりする。 こうなるといくら「意見を聞く場」を設定しても「本当の意見」が出てこない。様々な場面において、障害者の「本当の意見」を聞いて、それに基づいてバリアフリー観光を進めたことが成功の秘訣だったのではないかと思う。
そして、中村さんのプロジェクトの核には、障害者の意見であったり、実地で調べたバリアの情報であったり、実直な情報収集があるということも重要だ。観光政策というと、すぐに「アピールが足りない!」とかいう人が出てきて、イベントをしたりゆるキャラを作ったり、要するに「露出度競争」に勝たないといけないと考える人が多いが、これは全くの愚策だと思う。もちろんアピールは大切だが観光地がやる自己アピールは往々にして自画自賛のオンパレードになりがちであり、一般の観光客に対してさほど価値を提供しない。
それよりも、観光地の情報を実直に収集してわかりやすく発信し、それを集積する拠点を設けるという地味な仕事の方に価値がある。中村さんの話も、「バリアフリー観光」というコンセプトに騙されて、「いやー南さつまにはまだバリアフリーは早い」みたいに誤解する人がいないか心配だ。バリアフリー云々は全く重要ではなく、大事なのは、「来て欲しい人がちゃんとこちらまで来やすいように、その人たちの意見をちゃんと聞いた上で時間と手間をかけて情報収集し、整理・発信し、対話し続けていく体制を整えること」なのである。つまり中村さんは、観光政策におけるごくごく当たり前のことを実直にやるべしと言っているだけなのだ。
しかし、その当たり前のことが出来ていない自治体のなんと多いことか! イベント、ゆるキャラ、B級グルメ。「起死回生のグッドアイデア」を探して手近な成果を求める観光地は多い。そしてその多くが一過性の成果しか得られないのは当然だ。こんな自治体ばかりの中で、地味でも実直な観光政策の王道を行けば、きっと道は開けるはずだ。王道こそ往き易し。妙案など何もなくても、南さつま市へと足を運んでくれる人はきっと増えるだろう。
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