2015年6月5日金曜日

「メガ農協」と日本の農協——農協小考(その3)

オレンジジュースで有名な「サンキスト」のブランドを所有する「サンキスト・グローワーズ」は、実は普通の意味での企業ではなく「農協」である。農協が「サンキスト」のような強力なブランドを持っていることは、日本の農協のイメージからはちょっと信じられない。

ヨーロッパにもこういう「メガ農協」はある。例えばオランダの巨大乳業メーカーであるフリースランド・カンピーナ(日本ではフリコチーズで知られる)は、そのものは農協ではないが同名の農協が所有する企業で、10億ユーロ以上の売り上げと2万人の従業員がおり、その農協にはオランダ、ベルギー、デンマークに約2万人の組合員がいる。

ヨーロッパには村落単位の小さな農協もあるが、こうしたメガ農協もたくさんあって、近年は特に国際的な合併が盛んになってきて農協が巨大化・国際化していく傾向があるという。

さて、こうした農協は日本で言うところの「専門農協」であり、例えばサンキストは柑橘専門の農協だし、フリースランド・カンピーナは酪農の農協である。当然、日本の農協のように共済や信用事業(銀行)を兼業しているわけではない。一方日本では、農産物の流通の赤字(あるいは低利益)を金融部門の利益で補填している収益構造があり、それは農産物の流通が利幅の小さい事業であることからやむを得ないことと見なされている。しかし海外の農協では農産物の流通のみで立派に経営が成り立っているのである。どうして海外の農協は農産物の流通のみで利益を出すことができるのだろうか?

既に述べたように、欧州においても農協はその黎明期には金融や肥料の購買、農産物の流通などさまざま事業を兼業する「総合農協」として構想された。「ドイツ農協運動の父」と呼ばれるライファイゼンは、農協の単位をカトリック教会の教区として企画し、農協の根底に信仰の共同体を据えていた。カトリックの教区というのは全員が顔見知りであり、宗教儀礼だけでなく村落生活全般にわたる連帯意識があった。そういうわけだったから、当初借金組合として出発したライファイゼンの農協は、生活協同の組合として農業経営全般へと取り扱いを総合化していく素地があったのである。

ところが、時代が進むにつれドイツの農協の事業は整理され、やがて専門農協へと分化していく。例えば、1960年の時点ではドイツの協同組合銀行(日本でいうJAバンク)が農産物の流通や資材の購買を兼業している割合は76%だったが、2004年にはそれが19%に低下している。

なぜこのように専門へと分化していく動きが起こったのだろうか。実はドイツでも、農産物の流通などより金融部門の方が利益率がよかった、という事情があるようである。ということは、日本と同じく「農産物の流通の赤字を金融部門の利益で補填」というような構造があったのかもしれない。だが農協の合併などを期に、不採算部門をより広域の専門農協に売却するということが相次いで、結果として専門農協化が推し進められたらしい。

考えてみれば、協同組合というものは、利害を共有する人間によって構成されていなければ上手く経営できないものである。畜産農家と野菜農家は、同じ地域に住んでいてもあまり利害を共有しておらず、同じ組織でいるメリットは小さい。それよりも、違う地域でも畜産農家同士、野菜農家同士の方が同じ目標や経営課題を共有し、同じ施設設備を必要とする。だから、「地域に根ざした」組合よりも、業種ごとの組合の方が効率的に経営できるはずだ。そういうことから、ドイツでは村落ごとにあった「総合農協」が解体され、次第に地域を越えた「専門農協」へと整理されてきたのであろう。

そして、専門農協化することにより経営を効率化・高度化して農産物の流通だけで利益を出していくことができるようになったのだと思う。

ではなぜ日本では同じような動きがなかったのだろうか。専門農協化が農協にとっての唯一の冴えたやり方だとも思わないが、専門農協は世界的な主流となっていて日本のような総合農協は日本・韓国・台湾だけのトレンドだ。日本で専門農協へと再編していく動きはどうして存在しなかったのか。

一つは、日本の農業は明治から昭和半ばまでの長い期間、米も作れば野菜もつくる、牛も飼えば茶も育てるといった零細複合経営が主流で作物毎の専門農家があまり存在しなかったということが理由として挙げられる。だがこれはヨーロッパなどでも同じことで、有畜複合経営(家畜、穀物、野菜などを組み合わせる農業)はかつてのヨーロッパ農業の特色でもある。現代のこういう農家はヨーロッパでは複数の専門農協に加入している。だからこれはあまり説得的ではない。

もっと本質的な理由は、日本では農協が「農政の実行機関」と位置づけられて国家によってその形が定められ、自由な経営が行われなかったからである。やや過激な表現を使えば、農協は国家による農村支配の道具だった。このため、かつての全戸加入の強制や、市町村・都道府県・国という行政の3段階に対応した系統3段階制といった世界に類を見ない行政との相即不離の仕組みとなっていた。農村はこうした管理機構を受け入れる代わりに、特に米作において手厚い保護を受けることができたのである。


だが協同組合の本質は組合員の自主・自律性にある。共同組合とは、利用するもの、出資するもの、管理するものが一体であるという、究極の自律的組織である。そしてその根底には、組合員の連帯意識が必要である。かつてそれは村落の仲間だったのかもしれないが、連帯意識の範囲は時代に応じて移っていくものであり、地域が限定されていること自体が協同組合の理念に反すると思う。

日本の農協の歴史を紐解けば、その歴史はほとんど農政史そのものと変わらないものであって、常に上(国家)からの指示によって動かされてきた。そのため、本来は民主的組織であるはずの農協が、今の時代にあっても「組合員の意見を集約して経営する」という形になっておらず、そのための仕組みも未整備なところが多い。そしてそれ以上に、組合員自身が「農協は自分たちが経営するもの」との意識を持っておらず、農協に対して他人事的になってしまっている。

現在の農協改革も、これまでの歴史と全く同じく、上からの指示のみによって動かされている。下(組合員)からの発意がないのだからしょうがない、というのも一理ある。しかしこの調子だと、日本の農協は真の意味での協同組合にならないままではないか。

農家は農協に何を求めるのか。何を提供し何を得るのか。どのような仲間と一緒にやっていくのか。農家は、どのような存在になっていきたいのか。そういった根本を見つめないままに弥縫的に改革をしても絶対にうまくいかない。

もちろん、農協にはこれまで辿ってきた歴史があり、地域単位の総合農協という現状がある。それを無視して、ヨーロッパ流の専門農協に変えようとしてもいきなりは無理だしそれが本当に日本に合っているかもわからない。一度全部壊して新しく造ろうとするやり方もまた危険なものであり、変えられるところから地道に改善していく下からの努力が必要だ。

例えば、部会活動(農協では、果樹部会、園芸部会など部会に分かれて出荷・販促・技術向上などが図られている)をより実質化するような地味なことが、引いては農協の改善に繋がっていくように思う。世界では「メガ農協」が誕生しているからといって日本の農協も徒に大規模化を目指す必要はないし、むしろ部会のような小さな単位に注目することが有益ではないか。組合員が連帯意識をもち、当事者意識を持てる範囲での活動を実質化して、農協本体はそれを支えるインフラ化していくのが一つのあり方ではないかと思う。

【参考文献】
独仏協同組合の組合員制度」2006年、斉藤由理子
Agricultural cooperatives in Europe - main issues and trends" 2010, cogeca
農協のかたち」(農業協同組合新聞の連載記事)2013年、太田原高昭

2015年5月29日金曜日

大浦"ZIRA ZIRA" FES 2015が開催されます!

今年も「大浦 ”ZIRA ZIRA“ FES」が開催される!
(大浦の若者が主催する大規模な焼肉パーティです)

7月19日(日)15:30〜18:30、場所はなんと亀ヶ丘にて。2015年現在、多分日本一眺めのよい焼肉パーティになるはずである。申込制なので、参加希望の方は「おおうら元気づくり委員会事務局 0993-62-2110」まで。

で、昨年に引き続き告知ポスターもデザインさせてもらったが、今回はあわせて当日販売グッズのタオルのデザインも担当した。

タオルという長細い枠の中に何を表現しようかとあれこれ悩んだが、ふと大浦を囲う山の稜線というテーマを思いついた。開催場所も亀ヶ丘ということで山の上だし、大浦は三方を山に囲まれていて稜線が長く、タオルのような横長のものに表現するには最適である。

そこで大浦町中央部あたりからの写真を繋ぎ合わせて、ベザイテン(弁財天)→長屋山→磯間嶽→陣の尾→亀ヶ丘→高ボ子山(タカボネやま) という長い山稜を描いた。もっとも写真を単純にトレースしたわけではなく、人間の視覚は高低差に敏感であるため高さをちょっと強調したり、より特徴的な形が見える写真を選ぶなど、ある地点から見た現実そのままの山稜線というより「みんなの心の中にある大浦の山々」を表現したつもりである。

で、いきなり話が抽象的になるが、私は「地域の風景」は人間のアイデンティティの形成に一役どころか二役も三役もかっていると思っている。特に特徴的な山容というのはそうだ。つまり、山を仰ぐ風景というのは「自分はここに住んでいる(orここで育った)」という強い感覚を呼び覚ますものだ。そしてその風景を共有することは、人々に連帯意識を抱かせるものである。

古い民話には、「山と山との喧嘩」というテーマがよく登場する。大浦にも磯間嶽と野間嶽(笠沙にあります)が喧嘩した民話が残る。野間嶽は磯間嶽に向かって石の矢を射たがそれが磯間嶽まで届かずに落ちた。今も久保・柴内集落の外れにある鏃(やじり)の形をした「矢石」という大きな石はこのとき落ちたものとされる。

こういう話では、自分の地域への誇りが「擬人化された山」に仮託されているわけだ。その山が他の地域の山と喧嘩するということは、他の地域との確執や優劣の比較がその背景にあったのだろう。山は、とかく「おらが村」的な意識(我が村が一番、というような意識)を惹起するものである。

今ではそんな意識ないのでは? と思うかもしれないが、例えばこのタオルに登場する磯間嶽は、その山容がかなり特徴的であることもあり、それぞれの地域の人が「ここから眺めるのがやっぱり一番だ」と今でも内心思っている。客観的な指標の上では「おらが村」的な意識は持ちようがない世の中だが、自分が住む地域が一番よいところだと思っていたいのが人間である。

桜島の灰にいくら悩まされても、鹿児島市民が桜島を憎みきれないどころか非常なる愛着を抱いているのもそのせいだと思う。大げさに言えば、桜島を否定することは、自分のアイデンティティを否定することに等しい。桜島を眺めるという、ただそれだけのことが鹿児島市民の連帯意識を作っているのではないか。

鹿児島市は政令指定都市になるため南北に細長い無理な合併をしたが、道路交通の事情だけでなく、桜島が西側から見える場所、という共通点があるために錦江湾南岸に延びていったのだと思う。

そういうわけで、タオルが細長いから山稜線を描いたというだけでなく、大浦という地域の連帯意識の象徴として山を表現してみたつもりである。

ちなみにこのタオルの販売による収益はFESの運営に当てられる。このタオルが欲しい! という人は僅かで、実際には地域のお祭りイベントへの寄附として購入する人がほとんどだと思うが、少しでもこのデザインが収益に役だって欲しい。

(後日「南薩の田舎暮らし」でも販売しますので、「大浦の若者を応援したい!」という方がいたら是非購入してください)

2015.6.19アップデート
「南薩の田舎暮らし」で500円+送料で販売しております! どうぞよろしくお願いします。

2015年5月21日木曜日

EUにおける農協の立ち位置——農協小考(その2)

農協の市場シェア(濃い色がシェア高)同報告書より
2012年、EUは「農家組合への支援(Support for Farmers' Cooperatives)」という報告書を出した(邦訳は『EUの農協—役割と支援策』)。EU加盟国の農協の活動状況をまとめたもので、農協に関するEU横断的な調査としては初めてのものだという。EUにおける農協の立ち位置というものに興味を持って、これを斜め読みしてみた。

内容に立ち入る前に、なぜ今になってEUが農協に注目するのか? ということについて触れておきたい。この報告書ではこうした調査が行われる背景については簡単にしか述べていないが、少し邪推するとこうだ。

実は一昔前まで、EUの予算の2/3くらいは農業補助金だった。EUは巨大な自由貿易圏を構築したが、TPPが特に農業分野で喧しい議論を惹起しているごとく、自由貿易によって農業はとても大きな影響を受ける。そこで自由貿易圏の構築と歩調を合わせて農業への手厚い保護政策が実施されたのである。

しかし保護政策は一時的なものであるべきだ。なぜなら、いつまでも保護を続けるならば自由貿易の意味がないからである。そういうわけで、農業補助金の割合は漸次減らされてきて、今では30%くらいになっているはずである。

しかもEUが中東欧にまで拡大して農業保護の意味合いも変わってきた。EUを一つの経済圏として見た時、農業従事者は約5%もいて耕地面積は1億8000万ha以上もあるのである。EUにとって農業は保護すべきマイノリティではなくて、中心的で巨大な産業になってきた。

一方で中東欧勢の参加は、農業における域内の生産性格差の問題をも生んでいる。オランダやフランスといった高生産性の農業国と、ルーマニアのような弱い農業の国が同じ土俵で競争しなくてはならないというのは大変なことである。

そういうわけで、EUとしては域内の農業の均衡ある成長をしてもらいたいという希望があるのだと思う(でないといつまでも農業補助金が減らない)。その期待の表れとしてこのような報告書を出して、各国の政策担当者へ「組合への支援で農業を強くしましょう」というメッセージを送っているのだと思う。

というわけで、日本では農協というと時代遅れで非効率的なものというイメージがあるが、EUは農協(農家組合)を農業の競争力強化における重要な役割を果たすものと捉えており、農家には農協の設立を強く勧奨している。事実強い農業国である域内先進国では農協のシェアが大きい傾向があり、後進的な地域で農協の存在感は小さい(我々のイメージとは逆かもしれない)。実は、農協という存在は先進国的なものなのである。

もちろん一言に農協といっても、EUにおける農協と日本の農協はかなり違う。一番大きな違いは日本の農協が「総合農協」であるということである。「総合農協」というのは、肥料や資材の購買、共済、銀行機能、農産物の流通など、農家の生活全般の事業を取り扱う農協のことである。EUにおける農協は、そうした機能毎に個別化しているのはもちろん、取り扱う農産物毎にも分かれていることが多い。例えば、畜産の組合、野菜の組合、といったようなことだ。

そしてもう一つ大きい違いは、日本の農協は全国の農協が全中を頂点とするヒエラルキー組織によって統合されているのに比べ、EUではそうした連合組織は国毎にあったりなかったりで、さほど中央集権的ではないということである。

ただ、EU域内には27カ国もあるわけで、その内実はかなり多様である。日本との違いも大きいが、域内27カ国ごとの違いもまた大きい。何しろ旧社会主義国の場合は集団農場の残滓などもあって全く状況が異なる。だからこういう調査を見る場合、違いよりも共通性を見る方が有益だ。

さてその内容は、(1)域内における農協の現状、(2)組織運営(internal governance)の実態、(3)フード・チェインにおける農協の役割の考察、(4)国際的に活動している農協、(5)中東欧の国における農協の現状、(6)農村発展における農協の役割、(9)法制度および支援策、(10)競争力の問題、(11)提言、である(目次通りではありません)。

具体的な内容をいちいち説明するのは辞めて、興味深かった点について二三述べたい。

まず、本報告書は「農家組合への支援」を銘打っており、加盟国(特に農協が未整備な中東欧国)へ向けて「農協を支援して農業を強化しましょう」というスタンスであるにもかかわらず、正直に「公的な支援の有無と農協のパフォーマンスにははっきりとした関係はありませんでした」と明言しているところである。

では農協のパフォーマンスと最も強い相関があるのは何かというと、それは組織運営だそうだ。「我々の研究によると、理事会構成に関する専門的な構造やポリシー、組合員のインセンティブは農協のパフォーマンスに影響する。[一人一票制ではない]比例配分票(Proportional voting right)、プロフェッショナル・マネジメント、外部による監督、地縁ではなく専門性や生産物に基づいてリーダーを選ぶこと、こうしたものは全て農協のパフォーマンスによい効果を与える」(訳が生硬ですいません…)

また、「多くの農協で、マネジメントや監督には改善の余地がある」としており、EUの農協も経営が万全というところばかりではなさそうである。さらに、「政策担当者は、理事や経営者を組合員がチェックする機構についてより注意を払うべきだ」としていて、農協の組合員が経営に関与しなくなる傾向は日本と共通のものがあるようだ。

こうしたことからの当然の帰結かもしれないが、小規模で組合員一人ひとりの関与が大きい農協の方がパフォーマンスがよいとのこと。実際、EUには小規模農協が多く、日本でいうところの村落単位くらいの農協が普通のようである。

だが一方で、最近の流通環境の変化はこうした農協にも変革を促している。特に国際的に活動する小売りの力が大きくなってきたことで、従来の小規模農協は交渉力が小さく不利な状況になりつつある。そのため最近ではEUでも農協の合併(特に国境をまたいだ合併!)が盛んになってきた。そこで本報告書でも、そうした合併への支援策が求められているとしている。

ここは少々矛盾を感じるところで、経営としては組合員が連帯意識を感じられるような小規模のものがよいとしながらも、実際の流通環境の中では大規模化せざるを得ないというところに難しさがある。

また、農協の設立・成長にとって必要なものは「リーダーシップと人的資源」であるとしているところも日本と状況が全く同じである。「それには、社会的・経済的な能力、また組織運営の能力と、組織の成長のために使える十分な時間と余力が必要である。農協の設立後は、組合員もリーダーも、高度化(professionalisation)に十分に気を使うべきだ」

こういう調子で、この報告書は単なる現状報告を超えて、いわば「農協の経営学」とでもいいたいような内容を持っている。

本報告書を読むと、農協にまつわる問題は日本とEUで共通している部分が大きいと感じるし、その目指す姿も意外と近いと思う。EU(の先進国)の農業は、とかく成功モデルとして語られることが多く、その紹介も「出羽の守」的になりがちだ。しかしそれを無闇に称讃するのではなく同じ課題を共有する仲間として比較してみれば、日本の農協の長所短所が見えてくるし、改革によって目指すべきものがなんなのかも見えてくるのではないかと思う。

2015年5月16日土曜日

ライファイゼンバンクとJAバンク——農協小考(その1)

現政権で行われている農協改革は、そもそも農業の振興を目的としていないように見える。だからあまり関心はないのだが、日本の農協のあり方を考えるいい機会であるようにも思う。

農協改革が喧しく言われるようになったのも、農協の票田としての価値が低下してその存立基盤が弱体化していることの現れだし、一度「農協とはどうあるべきなのか」を広く議論したらよいと思う。

私自身、日頃疑問に思っていることを整理してみたい気持ちもあるし、ちょっとだけ農協のあり方を考えてみたい(予め言っておきますが結論は出ません)。

さて、私が一番問題意識を感じているのは「農協の収益構造」である。

以前の記事(1,2)で、「農協は、農産物の流通部門は赤字で、その赤字を保険・金融関係の収益で補填している」というようなことを書いた。「本業」と思われている農産物の流通(集荷・販売)は収益事業ではないどころか財務諸表にも載っていない事業で、逆に保険(共済)や金融(信用)の方こそ財務諸表の主戦場なのである。

だがそれがゆゆしき問題であるかどうかは一考を要する。例えば、郵便局も「本業」の郵便事業は創業以来ずっと赤字であり、その赤字を簡易保険や郵貯の利益で補填するという農協と似たような収益構造がある。 それがさほど問題視されないのは、このような構造に対する社会的承認と組織内での合意があるからである。

農協の場合も、ある意味ではそれに似た合意があったのだと思う。しかし、であるならば、どうしてそのような合意が形成されたのか、ということが問題になってくる。

そしてもう一つの疑問は、農産物の流通の赤字を他から補填するという収益構造は必然なのかということである。郵便の場合、全国一律たったの52円でハガキを届けるというような、法に定められた無理な事業を行っていることから赤字は必然であろう。だが農協の行う農産物の集荷・販売については薄利なのが予見されるとしてもそれほどの無理はなさそうだ。とてもこのような収益構造が必然とは思えない。

実際、欧州先進国の農協にはそういう構造はなさそうである。というか、欧州では農産物の集荷・販売などと金融事業は別の組合が行うのが普通で、日本のように農産物の集荷・販売、肥料や資材の共同購入、金融事業、保険事業など全てを担ういわゆる「総合農協」はないようである。

しかし実は、日本の農協は19世紀末にドイツで生まれた農協をお手本の一つとして作られたものであり、かつてはドイツでも総合農協があったようである。それが次第に機能毎に分離して現在の姿になってきたようだ。

ちょっとこの動きは興味深いので、ドイツの農協の歴史的経緯について簡単に触れておく。

ドイツで農協が生まれた19世紀末は農村が疲弊して、その日の暮らしにも困る貧農がたくさんいた時代だった。折しも天候不順や新大陸からの新しい病害虫によって農業の生産性が低下するとともに、農村にも貨幣経済の波が押し寄せ、現金収入に乏しい農民が貧民化していくという状況にあった。

こうした農村の悲惨なありさまを変えようとしたのがドイツの農協の産みの親、フリードリヒ・ライファイゼンである。ライファイゼンは今で言えば社会事業家であって、例えば明日のパンにも困る人たちのために、パンを共同で焼いて廉価に販売する「パン焼き組合」を起こすなど、慈善に頼るのではなく農民自身の共助と自助によって生活改善を行う活動をしていた。

そのライファイゼンが、ドイツ西南部のアンハウゼン村というところで借金組合を起こしたのがドイツの農協の起源である。その頃、農民は金を借りようにも普通の金融業者から相手にされなかった。仕方なく高利貸しに頼り、べらぼうな金利を取られることでさらに貧民化してゆくという悪循環が起こっていた。

そこでライファイゼンは、農民を組織化して互いに無限責任を負わせる(つまり誰かが破産したら残りの全員がその連帯保証人になる)ことにより信用力を高め、金融業者からまとめて金を借りて、それを農民同士で低利融資する仕組みを作った。

これはまさに現代のインドにおいてムハマド・ユヌスが行ったマイクロファイナンスと相似な事業である。マイクロファイナンスには功罪両面があり、多分ライファイゼンのやり方もよいことづくめではなかったのだろうが、この仕組みは大成功してドイツ各地で同様の取り組みが行われた。それだけでなく、その評判を聞きつけた外国の人たちも草の根レベルから政府レベルまでこぞって真似をしたのである。

それが現在まで各地で続く「ライファイゼンバンク」の濫觴だ。現在、ドイツのライファイゼンバンクはドイツ国内で第2位の預金規模を誇るメガバンクに成長しており、これを真似して作られたオーストリアのライファイゼンバンクも預金規模では同国内1位である。同様の農業協同組合銀行は、フランス(クレディ・アグリコル)、オランダ(ラボバンク)でも国内1位のメガバンクに成長している。

しばしば、日本の農協は銀行になってしまった、と嘆かれることがあるが、銀行業は歴史的経緯を見れば元々農協の事業の柱であり、その批判は的外れであると思う。少なくとも、欧州先進国においても農業協同組合銀行がメガバンクとして残っているところを見ると、農業協同組合銀行そのものは社会にとって必要なものだった。

ただ、日本の農業協同組合銀行、つまりJAバンクが銀行として適正に運営されているのかというのは別問題である。ちゃんとした統計が見つからなかったが、どうも欧州のライファイゼンバンクらと比べ、JAバンクは農林水産業への貸付比率が低いようである(違っていたらすいません)。

ライファイゼンバンクが農民(や小規模商工業者)から集めた資金を再び農業への貸付に環流させているのと比べ、JAバンクの場合は90兆円もの預金規模がありながら、20兆円ほどしか貸付に回っていない。もちろんJAバンクも農村・農業への融資は行っているが、欧州各国の農村信用組合銀行に比べてその機能が弱く、集めた資金は農業分野というより一般の資金運用に回っている割合が多いようである。

同じような機能を持ちながら、日本と欧州各国の 信用組合銀行になぜこのような違いが生まれたのかというのは興味ある問題であるが、それはさておき、農協のあり方を考える上においては、JAの銀行機能の肥大ということを問題にするのではなく、むしろそれがちゃんと農林水産業の振興に役立ってきたのか、そしてこれからはどのような役割を担うべきなのか、という視点が必要だと思う。

現状、JAバンクは農村において年金受け取りの窓口としての機能が大きいような支店も多いような気がする(主観です)。だがそれで十分とは誰も思っていないだろう。一方、ライファイゼンバンクなども時代の変化を受けて融資先や営業形態を大分変化させているようであり、組織形態や根拠法なども変わりつつある。農業信用組合銀行のあり方は、世界的にも岐路に立っている。

(つづく)

2015年5月2日土曜日

耕作放棄地と土地の私有

アボカド畑を広げよう! ということで久志へ向かう県道沿いの耕作放棄地を借り受けて開墾し、ここに100本のアボカドを植える予定である。

今、この荒れ地を借りる手はずを踏んでいるところなのだが、これはなかなか大変な仕事である。

というのも、土地を借りるためにはその管理者と交渉しなければならないわけで、まずその管理者を見つけなくてはならない。だから地元のアレコレに詳しい人などに「ここの土地を借りるなら誰に聞いたらいいですか?」と尋ね回ることになる。

でも管理が出来ていないから荒れ地になっているわけで、どこの誰が管理しているのかというのが分からない場合がかなりある。

役所に行って調べればいいじゃないか、と思うかもしれないが、役所で分かるのは土地の名義人までだ。土地の名義人は、相続の手続きをちゃんとしていなかったりして2代前のままになっていたりすることがあり、そのまま名義人=管理者であることはむしろ稀である。名義人を手がかりにして、現在の管理人を探すのは自力でやらなくてはならない。

今回も、そういう土地が一筆あった。名義人(当然ながらとうに亡くなっている)を手がかりに、大浦町のことなら何でも知ってるトシナモン(古老)に伺ったところ、親類縁故みな大阪に移住していったが、ただ一人90歳のおばあちゃんが野下という集落に残っているから、そのおばあちゃんに聞いてみろという。

さっそく家を訪ねてみると、ちょうど数日前に大阪から戻ってきたところ、というそのおばあちゃんと会うことができ、大阪にいるというおばあちゃんの弟がその土地の管理者(固定資産税を払っている)ということで、ようやく借りる算段をつけることができた。

でもタイミングが悪ければそのおばあちゃんにも会えなかったかもしれない。というのも、子どもや親類がおばあちゃんを大阪に呼び寄せようとしている真っ最中だという。おばあちゃんの家は、90歳の人が住むにはあまりに不便なところで、森閑とした杉林の中に、寂しく他の家からも孤立して建っているので、もしもの時にも絶対に誰も助けに来ないようなところである。それを心配して、大阪で面倒を見ようというわけだ。

しかしおばあちゃんは、やはり住み慣れた大浦がいいといって、数日前、半年ぶりに大浦に戻ってきたところだったのだ。こんな寂しいところでも、長く腰を落ち着けたところはいいものなのだな、としみじみと思った。

それはさておき、もしそのおばあちゃんが故郷を懐かしんで戻ってこなければ、土地を借りることが出来たかどうか分からない。

名義人から管理者を割り出す作業は役所にはできない(固定資産税を納付している人を教えることは法律上できないし、その人の連絡先を教えるなど論外である)ので、管理者に繋がる線が途切れれば、そこでゲーム・オーバーになる。

今、こういう耕作放棄地はそういう線がかろうじて地元で繋がっている最後の時代かもしれない。あと10年もすれば、名義人は3代前となってしまい、管理人が誰なのか、トシナモンでもわからなくなる。というか、そういう古いことを知っているトシナモンが死んでいなくなる。

すでに山林ではそういうことが起こっている。山林は共同名義になっている場合も多く名義人と管理人の関係が複雑なため、事実上相続の手続きができない土地がたくさんあって、塩漬けになっているところが多い。管理の責任が曖昧になってしまって適切な除伐ができなくなり、せっかく伐期を迎えた杉林が放置されているのである(もちろん、木材価格低迷のため、利益率が低くなったということがその原因であるが)。

先日、空き家については固定資産税の納付記録を(役所内部で)照合することが可能となる特別措置法が成立したが、同様のことが耕作放棄地でも必要になるだろう。そうしないと、耕作放棄地を借り受けることが事実上できなくなってしまう。

まあ、もう誰が管理しているのか全く不明な土地だったら、勝手に使えばいいじゃないか、という人もいるが、それは文明国家の土台である「法の支配」を揺るがす行為であると思う。早いもの勝ちで土地が使えるとなるとおかしなことになる。

最近できた農地中間管理機構というのも、(1)現に農地を管理している人が、(2)機構に管理を委託し、(3)集積された農地を機構が農業者に貸し出す、という形なので、今の時点で管理者が管理を放棄しているような耕作放棄地、つまり(1)が不在の土地はそのスコープに入ってこない。

それに全国的に、農地中間管理機構から土地を借りたいという人・団体はかなり多いが、機構に土地の管理を委託したいという人は少ない。要するに農地の貸し手不足という問題がある。耕作放棄地問題というと、後継者不足が原因だと思われがちなのであるが、真の原因はそれではなく、土地の所有者・管理者・利用者の間の流通の不具合であるというのが私の実感である。

これを解消するためには、農地の私有ということそのものを考える必要があると思う。戦後の農地改革で、不在地主からタダ同然で土地を買い上げ、実際にそこで耕作していた小作人に安く払い下げたのが現在の農地の私有の直接的起源であるが、もしかしたらそれと同様のことをやる必要があるかもしれない。

乱暴なことをいうと、管理が放棄された土地に関しては国が接収して安く払い下げるということが合理的だろう。しかし改めて考えてみると、もはや農地を私有する必要もなく、農家にとって必要なのはその土地の利用権のみで、自分が耕作する期間借り受けることができれば十分だ。

そもそも土地を私有するということ自体、深く考えれば難しい問題で、例えば「空」は売り買いすることができないのに、なぜ「地面」は売り買いできて未来永劫自分の子孫が排他的に使えるのか? というのは容易に答えが出ない。山や川や畑や田んぼは個人の所有物である以前に共同体の財産であり、共同体として受け継いで行くべきものである。

綺麗な水や気持ちのよい空気が、大きな価値がありながらどんなお金持ちでも所有できないものであるのと同様、土地だって真の意味で所有することはできないのではないか? これを考えていくと全体主義にまで行き着いてしまう危険性があるが、そういうことを考えずに、弥縫策のみで現在の土地問題を解決しようとするのはまた危険であると思う。

かつてアメリカへ入植してきた白人は、先住民(ネイティブアメリカン)から土地を強奪したのではなかった。先住民が居住していた広大な土地を、形式上、合法的に購入したのである(もちろん、それは詐称的な取引であることが多かったが)。土地の購入を持ちかけられた先住民は、土地の所有権が紙切れ一枚で決まってしまうことを奇妙に思ったという。

先住民のチーフ・シアトル(シアトル首長)は、土地の購入を打診してきた合衆国政府に対して見事な手紙で答えた。「我々は知っている。大地は人間のものではなく、人間が大地のものだと言うことを」(※)

【参考文献】
※『神話の力』2010年、ジョーゼフ・キャンベル&ビル・モイヤーズ 飛田茂雄 訳
チーフ・シアトルの手紙は有名。こちらに引用されているのでご関心があれば。

2015年4月28日火曜日

アボカド栽培も3年目

2年前にアボカドの苗木を50本ほど植えたが、それが遂に花をつけるようになった(ちなみに3本枯れました)。

といっても、アボカドの花は5000に1つしか着果しないと言われているので、たくさん開花しても実がなるまでには至らないと思われる。収穫できるのは多分あと2年はかかるだろう。

でも苗木1年生・2年生の2年については、試行錯誤の結果、どうにか順調に生育させる方法がわかってきたようである。

ものの本には管理方法がいろいろ書いているが、いろいろやってみて思うのはそういう書物ではアメリカ式のやり方を安直に勧めているような感じがするということだ。例えば書物では、バーク堆肥を元肥にしてBMヨウリンをどかっと入れて…というような植え付け方法が勧奨されている。そして逆に剪定などはほとんど必要としないと言っている。が、日本の零細農業のやり方からするとどうも違和感がある。

私が思うに、日本でアボカドを栽培しようという場合、pH矯正のことはさておいて、元肥はほぼ必要なく、追肥のみでよいのではないかと思う(というのは大木にする必要がないので)。逆に、剪定については丁寧にした方がよく、収穫作業や管理作業がしやすいように樹形をシンプルに整えるのがよいと思う。特に夏期は2週間に1度くらい芽欠き作業を行って、余計な弱い枝を出さないように管理するのが肝要と感じた。

ただ、そういうやり方で2年間やってみて人の背丈くらいまで生長したものの、これからの管理も手探りなので、後から考えて「あー、やっぱり書物に書いてあった方が正しかった」と後悔する日が来るかもしれない。正直言うと、「これからどういう管理をしたらいいんだろう」と不安なところもあって、まだ栽培には自信がない。

でもとりあえず定植して2年間の管理はなんとかできることがわかったので、今年はアボカドを更に2反(20a)ほど増やしてみることにした。本数でいうと、100本くらいである。耕作放棄地を開墾して、5月にはアボカドをまた植えることにしたい。

2015年4月17日金曜日

無投票当選に思う(その2)

(前回からのつづき)

私の提案は、県議会議員選挙については一つの選挙区をもっと大きくし、「南薩」くらいの規模にすべきだということである。

しかしそうなると、立候補者にとって選挙運動が過大な負担となってしまうおそれがある。そこで選挙制度の改善が必要になるわけだが、そもそも、現在の選挙運動に納得している人は誰もいないだろう。

選挙運動の基本は、21世紀の今でも「どぶ板選挙」である。街頭に立って「みなさんおはようございます。○○でございます。いってらっしゃいませ」というような挨拶を行う「辻立ち」、街宣車でひたすら候補者名を連呼する「連呼行為」、そして道行く人に握手と挨拶を求める活動などなど。街頭演説や個人演説会も多少は行われるが、有権者の関心事であるはずの政策議論はほとんどなされないまま投票日を迎えるというのが普通の選挙である。

要は、日本の選挙はひたすらに「露出度競争」になってしまっている。その政策の中身よりも、名前を何度でも刷り込むことが選挙に勝つ秘訣だとでも言わんばかりである。

どうしてこんな中身のない選挙戦が行われているのだろうか。

世の中では、「日本人にはまだ民主主義が根付いていないから」「日本人の民度の低さの現れ」というような主張がたくさん出回っていて、それも一理はある。日本人は確かに、多くの人びとの意見を糾合して政治的主張にしていくのが苦手である。 また、「どぶ板選挙」をやたら慫慂している人たち(主に高齢者)もいて、そういう地を這いずり回るような選挙運動こそが立候補者の衷心の証しであると受け取っている。中身がない「○○でございます。いってらっしゃいませ」のような言葉を繰り返すことは一種の苦行で、その苦行をやり遂げること自体に意味があると考えているのかもしれない。

しかし私は、そういう見方に与しない。日本人は確かに欧米風の民主主義は発展しなかったが、違った民主主義が育っていて、選挙の際の人びとの眼差しは冷静でバランスのとれたものなのではないかと思う。

ではなぜ選挙戦が「露出度競争」なのか。

私の考えでは、それは公職選挙法の規定と、現在の選挙のやり方のせいである。

まず、公職選挙法について。よく知られているように、街宣車から「○○でございます! よろしくお願いいたします!」とひたすら呼びかける「連呼行為」は、公職選挙法によって生まれたものである。本来、街宣車から呼びかけるにしても、少しは政策的な内容があってもよさそうなものなのにそうする人が誰もいないのは、法律上許されている車上での選挙運動が連呼だけだからである(公職選挙法第140条の2第1項)。

ちなみに、走行中の自動車で(連呼行為以外の)選挙運動をするのは違反である(同法第141条の3)。 さらに、走行中の車上以外から「連呼行為」をするとこれも違法なのである(同法第140条の2)! 同法により基本的に禁止されている「連呼行為」が、その法の抜け道である街宣車によって助長されているというのは皮肉が効いている。

公職選挙法をつぶさに見ていくと、こういう調子で現在の選挙の実態と、その規定する理想とが乖離していることに気づく。法の理想としては、連呼行為や個別訪問、ハガキ、ポスター、ビラの大量配布などによる「露出度競争」を抑制しようということがある(ハガキ、ポスター、ビラの配布上限数も決められている(同法第142条、第143条、第144条など))。しかし実際には、そういう理想とは裏腹に現在の選挙運動は「露出度競争」に堕しているのである。

どうして法の理想は実現されていないのか?

それは、現在の選挙のやり方に問題があるからだ。日本の選挙は、立候補者に過大な負担を求めるものだと思う。世界的に見て異常に高い供託金はもちろんだが、選挙運動そのものにも問題がたくさんある。

まず、現在の選挙が「露出度競争」だからということもあるが、非常にマンパワーを必要とする。要するに人手がかかる。また行政の支援が少ない(ポスター掲示は自治体によっては自治体がしてくれるが、それくらいではないか?)。またメディアも政治的に中立という建前があるからか選挙の内容そのものに深入りしない。選挙を側面支援する市民の取り組みも少ない。

そしてその結果として、選挙運動が候補者任せのものになってしまっている。そんなの当たり前じゃないか、と思うかもしれないが、そのために候補者は一から独力で選挙運動を組み立てる必要があり、その労力は非常に大きい。

例えば、選挙期間中のスケジュールが予め組まれていたら選挙運動はかなり楽になる(はず)。○日目と○日目には公開討論会、×日目と×日目には中央公民館での演説、△日目にはメディアの企画…というような共通メニューがあり、それ以外が自由行動の選挙運動である、という形になると候補者にとって楽で、有権者にとってもより候補者の主張を理解することができるようになるように思う。ただ、公開討論会のようなことを行政が主催すると問題も起こりうるので、理想的には第三者(市民団体等)が主催すべきかもしれない。

また、こういう「お膳立て」がなく独力で選挙運動を組み立てなければならず、マンパワーが必要であることの副産物として、選挙運動が後援会頼みになるということがある(候補者の演説のうまさなどがあまり関係なく、後援会の組織力がものをいうという意味)。世襲議員がなぜ多いのかということの理由の一つに、後援会に依存した選挙運動という背景があるのではないだろうか。

そういうわけで、私は選挙のやり方を次のように改めるべきだと思う。
  1. 公職選挙法の規定を見直し、時代と実態に合ったものに変える。「連呼行為」などこれまで原則的に禁止されていたのに抜け道的に常習されているものを本当に禁止する。
  2. 候補者が独力で選挙運動を一から組み立てていくのではなく、選挙運動に共通メニューを導入し、自然に政策論議が深まっていくような仕組みとする。
  3. 供託金も含め候補者の選挙にかかる負担を減らす。その代わり選挙期間を長くする(じっくりと政策論議する時間が必要である)。

これまでの選挙というものは「人生を賭ける」くらいでないと出られないものだった。そういう覚悟がある人が政治家になるならそれもよかったのかもしれない。しかし高すぎるハードルは新規参入者を減らし、世襲議員が増加するに至った。そして最近では、立候補者が足りず無投票当選が問題になっている。

今こそ、立候補へのハードルを下げるべき時が来ていると思う。しかも私は、それで政治家の質が下がるとは思わない。むしろ、これまで政治家という「賤業」を避けてきた優れた人たちが参入してくる可能性もあると考える。「どぶ板選挙」のような、人の尊厳が蔑ろにされるような仕事を、優れた頭脳と資質を持った人たちはしたくないものである。

「露出度競争」を辞め 、「どぶ板選挙」を終わらせて、立候補者に存分に政策論議を奮っていただく場になるよう、選挙を変えなくてはいけない。

「日本人には、まだまだ民主主義は早い。日本の選挙なんてこの程度さ」とシニカルになるなかれ。 「ピグマリオン効果」というものがある。要するに「優れた人として扱われれば、本当に優れた人になってしまう」というものである。先述の通り、私は日本人には欧米とは違うがそれなりに成熟した民主主義があると思っている。「大人の選挙制度」に変えれば、きっと内容が伴ってくると思う。