先日、南さつま市役所が「加世田のかぼちゃ」のチラシを作りたいということで、なんと「南薩の田舎暮らし」でデザインを受注した!
「加世田のかぼちゃ」は県のブランド指定を受けてから20年以上経つが、対外的に「こういうものですよ」と説明する資料が乏しく、全国的には(というより鹿児島県内でも)全然認知されていないので、そういうチラシでも作ってもらいたいと思っていたところである。
それをかぼちゃを栽培している自分が構成・デザインできるということで、受注自体とても嬉しかった。だが、こういう資料を農家自身がデザインするということはすごく珍しいことで、もしこれで「やっぱり農家クオリティだよね」と言われるようなことがあれば次に続かない。それに少額とは言え税金を使って作るものだから、納得できる水準のものを作ろうと、素人ながら「あーでもないこーでもない」と悩みながら連夜作業し、つい先日入稿したところである(正直、プロには及ばない出来ですが)。
→加世田のかぼちゃPR小冊子
※データサイズの問題からだいぶ画像を粗くしています
ところで、この冊子を製作する過程でいろいろ取材し、ビックリしたことがある。それは、一応ブランド野菜であるにも関わらず、「加世田のかぼちゃ」が「加世田のかぼちゃ」として売られているところがどうやらないようなのだ!
何を言っているかというと、これはJAが集荷し、市場や相対取引で「加世田のかぼちゃ」として出荷されるわけだが、「加世田のかぼちゃ」という言葉にブランド力がないためか、実際の小売店では単に「鹿児島産」として売られているらしいのである!
市場出荷の場合、これを買っていった卸業者がどのように販売するか追跡はできないので、少数の例外はあると思うが、大まかにいって、「加世田のかぼちゃ」は市場では単に「鹿児島産かぼちゃ」として取引・販売されているのだ。
正直、このことが分かった時、生産者の一人として悲しく思った。「加世田のかぼちゃ」は知られていないマイナーなブランドなのではなく、ブランドですらなかったということなのだ。でも、そもそも「加世田のかぼちゃ」とは何かを対外的に説明してこなかったわけで、それもやむを得ないかもしれない。私もこうして資料にまとめるまで、「加世田のかぼちゃ」が他のかぼちゃとどう違って、何が特徴なのかということを、明確に認識していなかったような気がする。
そしてだからこそ、こういうチラシの意味がある。たぶんこのチラシを読めば、単に「鹿児島県産」だけだと伝わらない栽培のこだわりがわかり、他のかぼちゃと区別したくなるのではないかと思うからだ。今後、小売店などでこのチラシが共に置かれ、「加世田のかぼちゃ」が「加世田のかぼちゃ」として売られるようになることを切に願っている。
※チラシに書いた内容は、後日改めてブログにアップしたいと思います(上のリンク先と同じですが、なにせ読みにくいので)。
2015年3月19日木曜日
2015年3月12日木曜日
有機農業とフェアトレード
「絶対のこだわりがある!」というわけではないけれど、一応私は有機農業を実践している(つもり)。
以前「有機農業の是非を検証する」というやや小難しい記事でも書いたが、これは別に「安全・安心」とかのためではなく、環境の保全を念頭において取り組んでいることである。
「南薩の田舎暮らし」でも無農薬の柑橘を販売しており(認証を取らないと「有機」の文字は使えないので「無農薬」と表示しています)、味のことはさておいて、価格だけで見れば、無農薬の柑橘としてはほとんど日本最安で提供していると思う。
もちろんその価格設定は私の営業努力の足りなさと商才のなさを反映しているものであって、別に安売りしたくて安売りしているわけではない。が、一方で無農薬だからといってことさら高価格にもしたくないと思う。というのも、私は「農薬かかっててもそんなに気にしないし」という普通の人にも買ってもらいたいと思っているからである。
「多少高くてもやっぱり無農薬じゃなきゃね!」という人に買って頂くのはもちろん嬉しいが、そういう人は少数派であって、そういう人たちだけを見ていては自分の世界を狭めることになる。それに本来、農薬の使用・不使用などということは消費者は気にとめる必要がないはずだ。なぜなら、市場に流通するものはどれも安全なものであるべきだからだ。一応、売り文句として「南薩の田舎暮らし」でも今は「無農薬」を謳っているが、将来的にはそういうことを言わなくてもよいような感じにできたらいいと思う。
今の有機農産物は、とにかく「安全・安心」とか「美味しい」とか、要するに一種の高級品として販売されていることが多いので、それがなかなか広まっていかない要因の一つだろう(※)。欧州の諸国と比べ、日本では有機農業の割合がかなり低いが、「有機農産物=高級品」というイメージは日欧でどのような違いがあるのか(ないのか)知りたいところである。
ただ、価格に見合うだけの品質があれば、有機農産物を高級品として販売することにはなんの問題もない。だが以前の記事で述べたように、その価値にはまだ「イメージ」にすぎない部分もある。そこでふと思うのは、いわゆる「フェアトレード」と有機農業の類似である。
フェアトレードはよく知られている通り、発展途上国の農産物などを公正な価格・やり方で取引することで、要するに「搾取的でない当たり前の取引」である。こういう言葉があるのは「フェアトレード」でない取引が多いためで、代表的なのはカカオ豆だろう。
カカオの一大産地といえばコート・ジ・ボアールで、ここでは児童労働など劣悪な労働によって安価なカカオが生産されている。発展途上国の企業や組合にバーゲニングパワー(交渉を優位に進めていける能力)がないために、先進国の企業に安く買いたたかれ、そういう悲惨な状況に陥ったのである。
それを解消し、生産者に適正な賃金を払うため、最近では「フェアトレード」のチョコレートが販売されている。しかし搾取的な取引を行わず、生産者が十分にやっていける価格でカカオを買い取ろうと思えば、その結果チョコも髙くならざるをえない。だからフェアトレードのチョコは少し高い。では、消費者は何に対してそのプレミアム(価格の上乗せ分)を支払っているのであろうか?
フェアトレードだからといって、品質がよいわけではないし、「安全・安心」でもない。つまり消費者は、自らの便益のためにプレミアムを支払うわけではないのである。 消費者は、「公正さ」そのもののためにそれを支払っているとしか考えられない。
つまりこの場合消費者は、公正に生産され、取引されたものを使うべきだ、という社会的責任に対して価格の上乗せ分を支払っているのだと思う。すなわち、フェアトレードの商品というのは(いい意味で)消費者目線ではないのである。それは、便利な生活を享受する先進国の人間たるもの、えげつない取引で不当に安く作られたものは使うべきでない、という矜恃に訴えかけるものだ。
翻って有機農産物について考えてみる。有機農業(農産物)とフェアトレードは非常に似ている点がある。それはどちらも
そういう形で流通すれば、例えば外食産業などで有機農産物を使う割合が少し増えるかもしれない(企業の社会的イメージを向上させるから)。今は、有機農産物が高価格なこともあって、ごく限られた市場しか持っていないが、CSR(企業の社会的責任)に訴えるような商品であれば、違った市場を開拓できるのではないだろうか?
とはいっても、私が有機農業のお手本にすべきだと考えるフェアトレード自体、流通全体で考えるとものすごく狭い世界である。一応市場規模は順調に拡大しているようだが、フェアトレード=当たり前の取引が「普通」になるには長い時間がかるだろう。
だが、「安全・安心なものを食べたい」「美味しいものを食べたい」という(有機農業でなくても応えられる)消費者のニーズに応えるよりも、 環境に対して「公正」であれという矜恃へと訴える方が、有機農業推進にとってはすがすがしいやり方だと、私には思えるのである。
※最大の要因は、日本の農産物の流通のしくみにあるのだと思う。
以前「有機農業の是非を検証する」というやや小難しい記事でも書いたが、これは別に「安全・安心」とかのためではなく、環境の保全を念頭において取り組んでいることである。
「南薩の田舎暮らし」でも無農薬の柑橘を販売しており(認証を取らないと「有機」の文字は使えないので「無農薬」と表示しています)、味のことはさておいて、価格だけで見れば、無農薬の柑橘としてはほとんど日本最安で提供していると思う。
もちろんその価格設定は私の営業努力の足りなさと商才のなさを反映しているものであって、別に安売りしたくて安売りしているわけではない。が、一方で無農薬だからといってことさら高価格にもしたくないと思う。というのも、私は「農薬かかっててもそんなに気にしないし」という普通の人にも買ってもらいたいと思っているからである。
「多少高くてもやっぱり無農薬じゃなきゃね!」という人に買って頂くのはもちろん嬉しいが、そういう人は少数派であって、そういう人たちだけを見ていては自分の世界を狭めることになる。それに本来、農薬の使用・不使用などということは消費者は気にとめる必要がないはずだ。なぜなら、市場に流通するものはどれも安全なものであるべきだからだ。一応、売り文句として「南薩の田舎暮らし」でも今は「無農薬」を謳っているが、将来的にはそういうことを言わなくてもよいような感じにできたらいいと思う。
今の有機農産物は、とにかく「安全・安心」とか「美味しい」とか、要するに一種の高級品として販売されていることが多いので、それがなかなか広まっていかない要因の一つだろう(※)。欧州の諸国と比べ、日本では有機農業の割合がかなり低いが、「有機農産物=高級品」というイメージは日欧でどのような違いがあるのか(ないのか)知りたいところである。
ただ、価格に見合うだけの品質があれば、有機農産物を高級品として販売することにはなんの問題もない。だが以前の記事で述べたように、その価値にはまだ「イメージ」にすぎない部分もある。そこでふと思うのは、いわゆる「フェアトレード」と有機農業の類似である。
フェアトレードはよく知られている通り、発展途上国の農産物などを公正な価格・やり方で取引することで、要するに「搾取的でない当たり前の取引」である。こういう言葉があるのは「フェアトレード」でない取引が多いためで、代表的なのはカカオ豆だろう。
カカオの一大産地といえばコート・ジ・ボアールで、ここでは児童労働など劣悪な労働によって安価なカカオが生産されている。発展途上国の企業や組合にバーゲニングパワー(交渉を優位に進めていける能力)がないために、先進国の企業に安く買いたたかれ、そういう悲惨な状況に陥ったのである。
それを解消し、生産者に適正な賃金を払うため、最近では「フェアトレード」のチョコレートが販売されている。しかし搾取的な取引を行わず、生産者が十分にやっていける価格でカカオを買い取ろうと思えば、その結果チョコも髙くならざるをえない。だからフェアトレードのチョコは少し高い。では、消費者は何に対してそのプレミアム(価格の上乗せ分)を支払っているのであろうか?
フェアトレードだからといって、品質がよいわけではないし、「安全・安心」でもない。つまり消費者は、自らの便益のためにプレミアムを支払うわけではないのである。 消費者は、「公正さ」そのもののためにそれを支払っているとしか考えられない。
つまりこの場合消費者は、公正に生産され、取引されたものを使うべきだ、という社会的責任に対して価格の上乗せ分を支払っているのだと思う。すなわち、フェアトレードの商品というのは(いい意味で)消費者目線ではないのである。それは、便利な生活を享受する先進国の人間たるもの、えげつない取引で不当に安く作られたものは使うべきでない、という矜恃に訴えかけるものだ。
翻って有機農産物について考えてみる。有機農業(農産物)とフェアトレードは非常に似ている点がある。それはどちらも
- そうでないものと比べやや高価になる。
- 多くの消費者にとっては、そうでないものと比べ価値の違いが明確でない。
- 利益を受けるのは、消費者というよりも生産者側もしくは環境である。
そういう形で流通すれば、例えば外食産業などで有機農産物を使う割合が少し増えるかもしれない(企業の社会的イメージを向上させるから)。今は、有機農産物が高価格なこともあって、ごく限られた市場しか持っていないが、CSR(企業の社会的責任)に訴えるような商品であれば、違った市場を開拓できるのではないだろうか?
とはいっても、私が有機農業のお手本にすべきだと考えるフェアトレード自体、流通全体で考えるとものすごく狭い世界である。一応市場規模は順調に拡大しているようだが、フェアトレード=当たり前の取引が「普通」になるには長い時間がかるだろう。
だが、「安全・安心なものを食べたい」「美味しいものを食べたい」という(有機農業でなくても応えられる)消費者のニーズに応えるよりも、 環境に対して「公正」であれという矜恃へと訴える方が、有機農業推進にとってはすがすがしいやり方だと、私には思えるのである。
※最大の要因は、日本の農産物の流通のしくみにあるのだと思う。
2015年2月18日水曜日
露地栽培のしらぬいはなぜかもの凄く痛みやすい
「しらぬい(デコポンの登録商標で知られている柑橘)」に不思議なことがある。施設栽培だと数ヶ月保管できるのに、露地栽培だと3週間くらいで傷んでしまう! どうしてなんだろうか?
ちょっと調べてみても、その本質的な原因が分からない。一方、対策というのはそれなりに研究されていて、小さなキズにも弱いからキズ付けないように収穫しましょうとか、そういう細かいことも含めていろんなアドバイスがある。でも肝心の原因が茫洋としていて、露地栽培と施設栽培で決定的に違うことがなんなのかがよくわからない。果実表面の微生物の様相に問題があるんだろうが…。
それに、痛み方も少し変わっている。普通のミカン類は、表面のキズや何かから青カビが侵入してやがて腐っていくことが多いが、しらぬいの場合、青カビももちろんつくが皮の部分からボヨンボヨンになって弱っていく痛み方の方が多いような気がする。あと、樹上で腐ってしまう割合も多いと思う。これも原因がよくわからない。
ちなみに、皮の部分がボヨンボヨンになっても、果肉の方はまだ無事で意外にイケることも多い。でもそうなるともう数日でダメになってしまう。だから売り物にはならない。
しらぬいは皮がゴツくて頑丈な印象があるのに、実際はもの凄く痛みやすいのである。それが施設栽培になると、逆にかなり長持ちするようになるのが一層不思議なのである。こういう果物、ほかにあるんだろうか?
そして、もの凄く痛みやすいということは、なかなか売りにくいということでもある。在庫を抱えているとどんどん不良品が増えていくわけで、時限爆弾的な商品だ。だから、一度にドカッと売りたくなる。でもそうすると、新しいお客さんとの出会いは少ない。「南薩の田舎暮らし」でも、予約を取って販売した上、例によってA-Zかわなべにも卸したので、もはや在庫は10セットくらいしかない状況である。
販売期間はあと1週間もないかもしれない。この短い期間に、新しいお客さんと出会えたらいいなと思っている。
↓ご購入はこちらから
「無農薬・無化学肥料のしらぬい」
ちょっと調べてみても、その本質的な原因が分からない。一方、対策というのはそれなりに研究されていて、小さなキズにも弱いからキズ付けないように収穫しましょうとか、そういう細かいことも含めていろんなアドバイスがある。でも肝心の原因が茫洋としていて、露地栽培と施設栽培で決定的に違うことがなんなのかがよくわからない。果実表面の微生物の様相に問題があるんだろうが…。
それに、痛み方も少し変わっている。普通のミカン類は、表面のキズや何かから青カビが侵入してやがて腐っていくことが多いが、しらぬいの場合、青カビももちろんつくが皮の部分からボヨンボヨンになって弱っていく痛み方の方が多いような気がする。あと、樹上で腐ってしまう割合も多いと思う。これも原因がよくわからない。
ちなみに、皮の部分がボヨンボヨンになっても、果肉の方はまだ無事で意外にイケることも多い。でもそうなるともう数日でダメになってしまう。だから売り物にはならない。
しらぬいは皮がゴツくて頑丈な印象があるのに、実際はもの凄く痛みやすいのである。それが施設栽培になると、逆にかなり長持ちするようになるのが一層不思議なのである。こういう果物、ほかにあるんだろうか?
そして、もの凄く痛みやすいということは、なかなか売りにくいということでもある。在庫を抱えているとどんどん不良品が増えていくわけで、時限爆弾的な商品だ。だから、一度にドカッと売りたくなる。でもそうすると、新しいお客さんとの出会いは少ない。「南薩の田舎暮らし」でも、予約を取って販売した上、例によってA-Zかわなべにも卸したので、もはや在庫は10セットくらいしかない状況である。
販売期間はあと1週間もないかもしれない。この短い期間に、新しいお客さんと出会えたらいいなと思っている。
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2015年2月12日木曜日
「加世田かぼちゃ」の30年
今、ちょっとワケあって「加世田のかぼちゃ」の歴史を調べている。歴史といってもたかだが30年とちょっとのことだ。
それで、2012年が「かごしまブランド」に指定されてから20年ということで記念大会が開催されており、その冊子を貸してもらって見てみた。その冊子にはこれまでの歩みということで試作が始まった1976年からの主な出来事がまとめられており、大変参考になった。
その歴史を簡単に述べると、「栽培が始まった頃は天候にも恵まれ豊作が続き順調に生産量が拡大したが、次第に天候不良や疫病の発生に見舞われるようになり、近年では不作が常態化するようになった」とまとめられる。
ちょっと趣味的になるが、その様子を下のような表に整理してみた。「主な出来事」の欄を眺めているだけでもなんとなく風向きが悪くなってきている様子が感じられるが、よりわかりやすいのは「生産性」の欄である。
「生産性」は、便宜的に出荷量を作付面積で割ったものである。これは正確な単位面積当たりの収穫量とは異なる。なぜなら、作付面積も出荷量も、本来は春作と秋作それぞれの計算が必要だからである。しかし便宜的な合算でも、その年の雰囲気を摑むことはできるだろう。
そして「生産性」の欄には、これまた便宜的に、〜15:赤色、15〜20:黄色、20〜:水色、と色をつけてみた。年を経るにつれて赤色が多くなっていることが一目瞭然である。というか最近は赤色しかない。
「加世田のかぼちゃ」のあゆみ
このように見てみると「加世田のかぼちゃ」が次第に衰微しつつある様が見て取れ、生産者として薄ら寒い気持ちになるのだが、本当に危機感を抱くべきなのは不作が続いていることよりもむしろ、近年の「産地としての動きのなさ」かもしれない。
というのは、順調な栽培が続いた”青色の時代”を経て「かごしまブランド」の産地指定を受け、その後”黄色の時代”にも「朝日農業賞」「MBC賞」を受賞したり「かぼちゃサミット」を開催したりといった動きがあった。もしかしたら積極的に行ったものではないのかもしれないが、結果的にブランドの認知を挙げ、産地が一丸となる方向ができたのではないかと思う。
しかし、それに続く”赤色の時代“には、そういった動きが全くない。おそらく、天候不良に苦しんで思うように結果が出ないため萎縮し、積極的な手を打つことができなかったのだろう。 天候不良というのは如何ともしがたいので、生産量の低迷などはしょうがない。だがだからこそ、産地として埋没しないようにする努力をしなければジリ貧になっていくのではないだろうか。
私は「加世田かぼちゃ」の歴史を振り返るにあたり、「なんだかんだ言っても20年以上の積み重ねがあるわけだから、それなりにいろんな取り組みがあったのでは?」と思っていた。が、これまでの所、取り組みは栽培技術の面に限られているように見える。
栽培技術の進歩は重要だが、ブランドだってただ自称しているだけではその真価は発揮されない。実直に生産するだけでなくて、産地として前向きに動く姿勢を見せ、新たな市場を開拓していくきっかけづくりをしていく努力が必要だと思う。微力ながら、私も一生産者としてそれに取り組んでいきたい。
それで、2012年が「かごしまブランド」に指定されてから20年ということで記念大会が開催されており、その冊子を貸してもらって見てみた。その冊子にはこれまでの歩みということで試作が始まった1976年からの主な出来事がまとめられており、大変参考になった。
その歴史を簡単に述べると、「栽培が始まった頃は天候にも恵まれ豊作が続き順調に生産量が拡大したが、次第に天候不良や疫病の発生に見舞われるようになり、近年では不作が常態化するようになった」とまとめられる。
ちょっと趣味的になるが、その様子を下のような表に整理してみた。「主な出来事」の欄を眺めているだけでもなんとなく風向きが悪くなってきている様子が感じられるが、よりわかりやすいのは「生産性」の欄である。
「生産性」は、便宜的に出荷量を作付面積で割ったものである。これは正確な単位面積当たりの収穫量とは異なる。なぜなら、作付面積も出荷量も、本来は春作と秋作それぞれの計算が必要だからである。しかし便宜的な合算でも、その年の雰囲気を摑むことはできるだろう。
そして「生産性」の欄には、これまた便宜的に、〜15:赤色、15〜20:黄色、20〜:水色、と色をつけてみた。年を経るにつれて赤色が多くなっていることが一目瞭然である。というか最近は赤色しかない。
「加世田のかぼちゃ」のあゆみ
年 | 主な出来事 | 作付面積(ha) | 出荷量(t) | 生産性 |
1976年 | 春かぼちゃ試作 | |||
1977年 | 春かぼちゃ本格的栽培開始 秋かぼちゃ試作 |
3 | 75 | 25.0 |
1978年 | 秋かぼちゃ本格的栽培開始 | 9 | 153 | 17.0 |
1979年 | 台風による被害 | 14 | 184 | 13.1 |
1980年 | 30 | 487 | 16.2 | |
1981年 | 50 | 1160 | 23.2 | |
1982年 | 晩霜による大被害 | 84 | 1820 | 21.7 |
1983年 | 台風による被害、疫病大発生 | 88.8 | 1195 | 13.5 |
1984年 | 100.8 | 2220 | 22.0 | |
1985年 | 92.5 | 2110 | 22.8 | |
1986年 | 95.1 | 2300 | 24.2 | |
1987年 | 103 | 2212 | 21.5 | |
1988年 | 124.5 | 2498 | 20.1 | |
1989年 | 安定生産 | 111.5 | 2277 | 20.4 |
1990年 | 台風による被害 | 107 | 1988 | 18.6 |
1991年 | かごしまブランド産地指定 秋かぼちゃ台風被害により収穫皆無 |
116 | 1747 | 15.1 |
1992年 | 朝日農業賞受賞 | 93 | 2298 | 24.7 |
1993年 | 晩霜による被害 記録的長雨による2番果着果不良 MBC賞受賞 |
107.7 | 1915 | 17.8 |
1994年 | 春先の低温、日照不足で生育遅れ 輸入かぼちゃとの競合で価格低迷 |
105.3 | 2106 | 20.0 |
1995年 | 92.1 | 1564 | 17.0 | |
1996年 | かぼちゃサミットを開催 | 95.1 | 1818 | 19.1 |
1997年 | 天候不良による減収 | 104.2 | 1669 | 16.0 |
1998年 | 春かぼちゃ、天候不良による減収 | 102.2 | 1505 | 14.7 |
1999年 | 天候不良、台風による減収 | 79.1 | 1222 | 15.4 |
2000年 | 春かぼちゃ疫病が大発生 | 73.3 | 1092 | 14.9 |
2001年 | 単価安 産地指定10周年記念大会開催 |
70.8 | 1194 | 16.9 |
2002年 | 天候不良や疫病による減収 | 67.6 | 1097 | 16.2 |
2003年 | 天候不良や疫病による減収 | 75.2 | 1295 | 17.2 |
2004年 | 台風被害による大幅な減収 | 76.7 | 918 | 12.0 |
2005年 | 台風被害による大幅な減収 | 70.5 | 1068 | 15.1 |
2006年 | 春かぼちゃ天候不良による品質低下 秋かぼちゃ豊作 |
68.7 | 946 | 13.8 |
2007年 | 天候不良による減収 | 71.2 | 1025 | 14.4 |
2008年 | 天候不良による減収 | 70.6 | 795 | 11.3 |
2009年 | 天候不良による減収 | 72.5 | 964 | 13.3 |
2010年 | 天候不良や疫病による減収 | 74.7 | 801 | 10.7 |
2011年 | 天候不良による減収 | 72.9 | 724 | 9.9 |
このように見てみると「加世田のかぼちゃ」が次第に衰微しつつある様が見て取れ、生産者として薄ら寒い気持ちになるのだが、本当に危機感を抱くべきなのは不作が続いていることよりもむしろ、近年の「産地としての動きのなさ」かもしれない。
というのは、順調な栽培が続いた”青色の時代”を経て「かごしまブランド」の産地指定を受け、その後”黄色の時代”にも「朝日農業賞」「MBC賞」を受賞したり「かぼちゃサミット」を開催したりといった動きがあった。もしかしたら積極的に行ったものではないのかもしれないが、結果的にブランドの認知を挙げ、産地が一丸となる方向ができたのではないかと思う。
しかし、それに続く”赤色の時代“には、そういった動きが全くない。おそらく、天候不良に苦しんで思うように結果が出ないため萎縮し、積極的な手を打つことができなかったのだろう。 天候不良というのは如何ともしがたいので、生産量の低迷などはしょうがない。だがだからこそ、産地として埋没しないようにする努力をしなければジリ貧になっていくのではないだろうか。
私は「加世田かぼちゃ」の歴史を振り返るにあたり、「なんだかんだ言っても20年以上の積み重ねがあるわけだから、それなりにいろんな取り組みがあったのでは?」と思っていた。が、これまでの所、取り組みは栽培技術の面に限られているように見える。
栽培技術の進歩は重要だが、ブランドだってただ自称しているだけではその真価は発揮されない。実直に生産するだけでなくて、産地として前向きに動く姿勢を見せ、新たな市場を開拓していくきっかけづくりをしていく努力が必要だと思う。微力ながら、私も一生産者としてそれに取り組んでいきたい。
2015年2月6日金曜日
サワーポメロの不思議
この時期、近所の物産館では「サワーポメロ」がものすごく安売りされている。3個くらい入って150円とか、そういう激安値である。これはブンタンの仲間だから大きいのが3個入っていれば2キロ近くあるが、それが150円だから全然利益は出ない商売だ。
しかしサワーポメロ、といってもピンと来ない人が多いに違いない。サワーポメロは通称で、品種名は大橘(おおたちばな)という。熊本では「パール柑」と呼ばれている。といっても、やはりピンと来ない人が多いであろう。サワーポメロは、鹿児島・熊本のご当地柑橘ともいうべきものだ。
これが激安で売られているのはいろいろ理由があるが、基本的には市場性があまりないからだと思う。つまり、あまり市場では取り扱われていない。市場で流通しないから売りにくい。売りにくいから安くなる。ではどうして取り扱われていないのか、というと、多分生産量が少ないからだ。
ところが面白いことに、このあたりで柑橘類を生産している人の畑には、隅っこの方に必ずといってよいほどこのサワーポメロが1、2本植えられている。自家用で育てているのである。自家用だから元より出荷のことは考えていない。だがたった2本でも収穫は結構な量になるから、余った分を物産館に出しているのである。余ったものの処分だから150円くらいの激安に設定されているのだと思う。
しかしここに一つ不思議がある。ミカン農家自身が自家用に植えるくらいだから美味しい柑橘のはずなのに、なぜ生産量が少なく市場性があまりないのだろうか?
実際、「柑橘類の中でサワーポメロが一番好き!」とか「柑橘類はサワーポメロ以外は食べない」という人もいるくらいなのだ。ちょっと好き嫌いは分かれる果物で(というのは皮が剝きにくいのが一番嫌われる点)、みんなに好かれるというものではないが、はまる人にははまる味だ。
どんな味かというと、ブンタンのぷちぷち感はそのままにすごくジューシーにして甘酸っぱくした感じである(サワー(酸っぱい)が冠されているがそれほど酸味は強くない)。それから香りがすごく爽やかなのも特徴である。剝きにくい皮のことを考えなければ、もっと市場で取引されてもおかしくない。
しかも、生産量の少なさは栽培が難しいのが理由ではない。というか、柑橘類の中では栽培はどちらかというと容易な方ではないかと思う。ではなぜ生産量が少なく市場性があまりないのか?
私の推測だが、それはこのあたりの人びとが「サワーポメロは自家用の果物」「サワーポメロは高く売れるはずがない」と思い込んでいるせいではないかと思う。つまりサワーポメロに将来性を感じていない。柑橘のように「一度植えたら簡単に植え替えはできない」というような作物の場合、定植の際は最も有望そうな品種を選ぶのが当然である。その結果、生産量が少なくなって市場にあまり流通しないため、さらに有望に見えなくなる。そういう負のフィードバックの結果、サワーポメロは自家用に1、2本植える程度のご当地柑橘に甘んじているのではないだろうか。
だとすれば、サワーポメロの価値は過小評価されているということになる。もしかしたら、これを真面目に売ろうとすればそれなりに結果がでるのではないか?といっても、私自身はサワーポメロはやはり2本しか栽培していないし、これから増やしていこうという気もないが…(あ、やはり将来性を自分も感じていなかったのかもしれません(笑))。
しかしサワーポメロ、といってもピンと来ない人が多いに違いない。サワーポメロは通称で、品種名は大橘(おおたちばな)という。熊本では「パール柑」と呼ばれている。といっても、やはりピンと来ない人が多いであろう。サワーポメロは、鹿児島・熊本のご当地柑橘ともいうべきものだ。
これが激安で売られているのはいろいろ理由があるが、基本的には市場性があまりないからだと思う。つまり、あまり市場では取り扱われていない。市場で流通しないから売りにくい。売りにくいから安くなる。ではどうして取り扱われていないのか、というと、多分生産量が少ないからだ。
ところが面白いことに、このあたりで柑橘類を生産している人の畑には、隅っこの方に必ずといってよいほどこのサワーポメロが1、2本植えられている。自家用で育てているのである。自家用だから元より出荷のことは考えていない。だがたった2本でも収穫は結構な量になるから、余った分を物産館に出しているのである。余ったものの処分だから150円くらいの激安に設定されているのだと思う。
しかしここに一つ不思議がある。ミカン農家自身が自家用に植えるくらいだから美味しい柑橘のはずなのに、なぜ生産量が少なく市場性があまりないのだろうか?
実際、「柑橘類の中でサワーポメロが一番好き!」とか「柑橘類はサワーポメロ以外は食べない」という人もいるくらいなのだ。ちょっと好き嫌いは分かれる果物で(というのは皮が剝きにくいのが一番嫌われる点)、みんなに好かれるというものではないが、はまる人にははまる味だ。
どんな味かというと、ブンタンのぷちぷち感はそのままにすごくジューシーにして甘酸っぱくした感じである(サワー(酸っぱい)が冠されているがそれほど酸味は強くない)。それから香りがすごく爽やかなのも特徴である。剝きにくい皮のことを考えなければ、もっと市場で取引されてもおかしくない。
しかも、生産量の少なさは栽培が難しいのが理由ではない。というか、柑橘類の中では栽培はどちらかというと容易な方ではないかと思う。ではなぜ生産量が少なく市場性があまりないのか?
私の推測だが、それはこのあたりの人びとが「サワーポメロは自家用の果物」「サワーポメロは高く売れるはずがない」と思い込んでいるせいではないかと思う。つまりサワーポメロに将来性を感じていない。柑橘のように「一度植えたら簡単に植え替えはできない」というような作物の場合、定植の際は最も有望そうな品種を選ぶのが当然である。その結果、生産量が少なくなって市場にあまり流通しないため、さらに有望に見えなくなる。そういう負のフィードバックの結果、サワーポメロは自家用に1、2本植える程度のご当地柑橘に甘んじているのではないだろうか。
だとすれば、サワーポメロの価値は過小評価されているということになる。もしかしたら、これを真面目に売ろうとすればそれなりに結果がでるのではないか?といっても、私自身はサワーポメロはやはり2本しか栽培していないし、これから増やしていこうという気もないが…(あ、やはり将来性を自分も感じていなかったのかもしれません(笑))。
2015年2月4日水曜日
近所の中学校で講演させてもらいました
先日、近所の大笠(だいりゅう)中学校で講演をしてきた。名目としては「立志記念講演」ということで、中学2年生を対象としたもの。
立志式というのは、どうも全国的な風習ではないようだが、要は立志の時(15歳)を迎えたことを祝い、大人になる自覚を深める行事である。最近は「式」のようなことはしないことも多いのだということで、「式」の代わりに講演が行われ、それに呼ばれていったというわけである。
どうして私などに講演を依頼してきたのかはよく分からないが(町内で頑張っている人に話を聞こう、というような趣旨らしい)、「こういう話をしてほしい!」というような明確な要望もなかったので、普段の授業では聞くことがないであろう刺激的な話をしようということにした。
その内容と言えば、「これからの時代を生き抜くための教養講座」と題して、「君たちが大人になる頃は日本にとって大変厳しい時代になっていて、ぼやぼやしているとどうしようもない人生が待っている。しかも田舎モノには大変なハンデがあるのだから、危機感を抱くべきだ。これからの時代を生き抜くため、英語、インターネット、デジタルツールを使いこなそう!」というような感じである。
このメッセージがどれくらい中学生に実感をもって伝わったのか、正直心許ない。なにしろ、与えられた70分という時間の中で、約100ページ(!)ものスライドを使用し、まくし立てるように発表した。今流行りのスティーブ・ジョブズ流のエレガントなプレゼンテーションとは真逆の講演だったと思う。
だが、聴講してくれた中学生(30人くらい?)の一人でも、何か感じとり、これからの人生を歩む参考にしてくれたら望外の喜びである。そして、中学生にとっては内容がぎゅっと詰まった講演だったと思うが、最後まで真面目に聴講してくれたみなさんに感謝である。自分にとってもいい経験になりました。
立志式というのは、どうも全国的な風習ではないようだが、要は立志の時(15歳)を迎えたことを祝い、大人になる自覚を深める行事である。最近は「式」のようなことはしないことも多いのだということで、「式」の代わりに講演が行われ、それに呼ばれていったというわけである。
どうして私などに講演を依頼してきたのかはよく分からないが(町内で頑張っている人に話を聞こう、というような趣旨らしい)、「こういう話をしてほしい!」というような明確な要望もなかったので、普段の授業では聞くことがないであろう刺激的な話をしようということにした。
その内容と言えば、「これからの時代を生き抜くための教養講座」と題して、「君たちが大人になる頃は日本にとって大変厳しい時代になっていて、ぼやぼやしているとどうしようもない人生が待っている。しかも田舎モノには大変なハンデがあるのだから、危機感を抱くべきだ。これからの時代を生き抜くため、英語、インターネット、デジタルツールを使いこなそう!」というような感じである。
このメッセージがどれくらい中学生に実感をもって伝わったのか、正直心許ない。なにしろ、与えられた70分という時間の中で、約100ページ(!)ものスライドを使用し、まくし立てるように発表した。今流行りのスティーブ・ジョブズ流のエレガントなプレゼンテーションとは真逆の講演だったと思う。
だが、聴講してくれた中学生(30人くらい?)の一人でも、何か感じとり、これからの人生を歩む参考にしてくれたら望外の喜びである。そして、中学生にとっては内容がぎゅっと詰まった講演だったと思うが、最後まで真面目に聴講してくれたみなさんに感謝である。自分にとってもいい経験になりました。
2015年1月26日月曜日
突然の訃報に接して
新聞にも出たが、同じ集落の大いなる先輩である窪 俊夫おじさんが先日不慮の事故で亡くなった。
農業の傍ら、教育委員長や森林組合長といった要職を歴任され、勲五等瑞宝章まで受章していたが、全く尊大な感じはなく、誰に対しても気さくな方だった。
それに経歴もさることながら、90歳を超えても未来へ向けた夢を描いているようなところがあって、しかもただ夢を描くだけでなく、老齢にしてそれを少しでも実現しようとする行動力があった。その生きる姿勢にはいつも頭が下がるような思いがしていたところである。
実は昨年、俊夫おじさんに「これまでの人生の話を聞かせてください」と頼んで話を聞かせてもらい、それを筆記して「聞き書きによる自分史」を作ろうと企てていた。しかしこの突然の訃報に接し、あえなくその計画は頓挫した。もちろん、話を聞く時間は作ろうと思えば作れたはずだ。私に少し積極性が足りなかった。でも俊夫おじさんも90歳を超えてもまだまだお元気だし、急ぐこともないだろう、と思っていたのだ。
だから、作りかけの「自分史」は中途半端なところで唐突に打ち切られることになった。本当に残念なことで、生前もっと話を聞いておけばよかったという後悔に堪えない。
しかし作りかけの部分は、既に公表は差し支えないということで確認してもらっていたし、これを公表することが私なりの弔いだと思うので、ここに公表することにする。
これは俊夫おじさんが生まれてから昭和40年くらいまでの人生を語ったもので、特に何かの役に立つものでもない。歴史的に重要な事実が含まれているわけでもない。しかし戦前を生きた人たちが、どんな風に人生を歩んできたのか、ということを考える時、その一例として何かの参考になるのではないかという思いで書き留めたものである。
↓リンクをクリックしてご覧ください(PDF)
『聞き書きによる「俊夫おじさん」の自分史』
農業の傍ら、教育委員長や森林組合長といった要職を歴任され、勲五等瑞宝章まで受章していたが、全く尊大な感じはなく、誰に対しても気さくな方だった。
それに経歴もさることながら、90歳を超えても未来へ向けた夢を描いているようなところがあって、しかもただ夢を描くだけでなく、老齢にしてそれを少しでも実現しようとする行動力があった。その生きる姿勢にはいつも頭が下がるような思いがしていたところである。
実は昨年、俊夫おじさんに「これまでの人生の話を聞かせてください」と頼んで話を聞かせてもらい、それを筆記して「聞き書きによる自分史」を作ろうと企てていた。しかしこの突然の訃報に接し、あえなくその計画は頓挫した。もちろん、話を聞く時間は作ろうと思えば作れたはずだ。私に少し積極性が足りなかった。でも俊夫おじさんも90歳を超えてもまだまだお元気だし、急ぐこともないだろう、と思っていたのだ。
だから、作りかけの「自分史」は中途半端なところで唐突に打ち切られることになった。本当に残念なことで、生前もっと話を聞いておけばよかったという後悔に堪えない。
しかし作りかけの部分は、既に公表は差し支えないということで確認してもらっていたし、これを公表することが私なりの弔いだと思うので、ここに公表することにする。
これは俊夫おじさんが生まれてから昭和40年くらいまでの人生を語ったもので、特に何かの役に立つものでもない。歴史的に重要な事実が含まれているわけでもない。しかし戦前を生きた人たちが、どんな風に人生を歩んできたのか、ということを考える時、その一例として何かの参考になるのではないかという思いで書き留めたものである。
↓リンクをクリックしてご覧ください(PDF)
『聞き書きによる「俊夫おじさん」の自分史』
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