2013年2月5日火曜日

「神社のリストラ」の産物かもしれない大山祇神社

大浦に大木場(おおこば)という集落があって、そこに大山祇(おおやまつみ)神社がある。巨大な草履を奉納することで知られた神社である。

そこは小さいながらも幽玄な場所なのだが、私にはひとつ気になることがある。それは、まさにその「大山祇神社」という社名である。

というのも、始めに種明かしをすると、これは大山祇神社なんかではない、かもしれないのだ。

では何かというと、古い記録ではこの社は「大木場山神」と呼ばれていて、それが正式な名称である。創建は意外に古く、1382年に遷宮の記録があることから、おそらく700年以上の歴史がある

大山祇神社に改称したのは明治から大正のころで、当時の近代社格制度によるものと思われる。近代社格制度について簡潔に述べるのは難しいが、おおざっぱに言うと、神社の世界を合理化・序列化する制度と言える。

明治に至って国の思想的根本に神道を据えることとした政府は、神仏分離、続いて廃仏毀釈を行って仏教の弾圧を行ったが、実は神道側も相当の痛手を被っている。それまで天神地祇への礼拝は自然発生的に行われていたわけだが、明治という大いなる統合の時代にあって、それでは都合が悪かった。それぞれが礼拝する神が、神々のヒエラルキーの中に位置づけられ、その頂点に天皇がくる、ということでなければならなかった。

その上、日本にはこの狭い国土に多数の神社が犇めいていたので、新道を通したり、新たに土地を切り拓いたりするにあたって、有象無象の神社が邪魔だったという実務的な理由もあった。

そこで、明治政府は神社の合理化・階層化、つまり神社のリストラに乗り出す。行政区画ごとに(正式な)神社は一つと決め、村社 < 郷社 < 県社 < 官社… などと神社を序列化した。さらには、祀られている神が天皇家とは何の縁もない神だと思想的に無意味になるため、祭神および社名も多数変更させられた。つまり都合が悪い場合は、実質的に全く別の神社に作り替えられたのであった。

これにより、水神さま、山神さまなどと呼ばれていた自然発生的な社は、廃止させられるか、合理化によって「由緒ある」祭神に改めることになった。全国の無名の「山神」は、(記紀により山の神の総元締めとなっている)大山祇神へと変更させられたのである。

大山祇神自体は南薩に縁の深い神であって、この地に大山祇神社があることは自然ではあるのだが、もともとの民間信仰では山の神というのは醜い女性であるとされ、一方の大山祇神は男性の神なので性格がかなり異なる。同じ山の神とはいえ似て非なるものだ。

この大山祇神社がそのようにして変容させられた神社であるのか確証はないので、「平安風の貴人の像」というご神体なども実見して確かめなければならないが、おそらく間違いはないだろう。

明治政府の強引な国家統合は、様々な面で日本文化に大きな傷を残したが、神道の受けたそれは、神道自身が国家の道具となり戦争へ荷担した経緯もあってあまり顧みられることはない。しかし、そのあたりを見つめ直さなければ、かつての人々の素朴な信仰は忘却の彼方へと消えてしまう。700年以上もの歴史のある神社を、一時の気の迷いで変容したままにしておいては申し訳ない。大山祇神社は、もうそろそろ「大木場山神」へ戻してはどうか。

2013年1月30日水曜日

とても美味しいがあまり知られていないローカルな山芋

山芋は、美味い

が、「山芋」というだけでは人によって思い浮かべるものが違う。というのも、一般的に山芋と言われているものには、ナガイモツクネイモヤマノイモ(自然薯)、ダイジョの4種類があるためだ。

この中で最も生産量が多く、普通に山芋と認識されているのがナガイモである。大きさが揃っていて流通に有利なためと思われる。これは北海道や青森が産地(というか、この2県の寡占状態)。

その他の生産量は未詳だが、あまり多くはないと思う。関西ではツクネイモのことを山芋と呼ぶらしい。自然薯はご存じのとおり山芋の中でも最も貴重で美味な高級食材。で、話題にしたいのは最後のダイジョ(大薯)である。

このダイジョ、原産地は東南アジアと見られており暖地でなくては育たず、日本では沖縄・奄美・九州南部で産する。食味は自然薯には劣るがナガイモやツクネイモより優れていて、粘りも強く、また上品でもある。すり下ろして出汁を混ぜただけのダイジョの旨さは格別だ。だが、イモの大きさがまちまちであることや、ローカル食材であるためにあまり流通しておらず、都市部で見かけることはまずない(あと、離島からの移入には植物検疫の関係があるようだ)。

しかしこのダイジョ、暖地であれば育てやすく、また山芋類にしては収穫も容易である。さらに、流通量が少ないためか、今のところ単価も高い。食材としての短所は、大きさがまちまちなので規格化・流通しづらいことかと思うが、まだまだ可能性がある作物だと感じさせる。

私は就農にあたって、実はこのダイジョの栽培が一つの目的でもあった。ただ、このあたりには自然薯の栽培組合はあってもダイジョの組合はなく、流通が未整備のようだったので手をつけられなかったのだが、自分でネットショップも開業したことでもあるし、今年はこのダイジョの栽培を少し広げてみたいと思う。

ちなみに、鹿児島銘菓「かるかん」の原料は自然薯と言われているが、実はこのダイジョであることも多いそうだ。自然薯の代わりになるくらい美味い、という一つの証拠でもあるだろう。

2013年1月27日日曜日

ようやく、ショップサイトを開設しました。

ようやく、ついに、農産物等の販売サイトをオープンする運びとなった。

サイト名は、つい数日前まで本ブログのタイトルであった「南薩の田舎暮らし」。

ネーミングについてはいろいろ検討したが、良案が浮かばなかったこともあり、ある程度イメージに近いこの名前を流用することにした。いろいろアドバイスをもらっている方から、「タイトルは超重要。3年掛けて考えるくらいでよい」という言葉もあったので、とりあえずこの名称でいってみたい。

ただ、私が農産物の販路を開拓していきたいターゲットである若い(小さな子どもがいる)女性のことを考えると、「南薩の田舎暮らし」だけだとハナがないため、”Live Natural, Meet Local"(自然を生きる、地域と出会う)というキャッチコピーを添えた。英語を添えるだけで、なんとなく雰囲気が明るくなるからすごい。これもくだんの「ある方」からのアドバイスである。

ちなみに、文法的には”Live Naturally"の方が正しいが、キャッチコピーというのは若干文法から逸脱しているくらいの方がいい、と思う。

本サイトのデザインは、基本的な部分は私がやっているが、ロゴやタイトルなど重要な部分は家内が消しゴムハンコで作り、それを私が加工した。若い女性に受け入れられることを考えると、やはり同じ女性がデザインした方が共感を得られると思うし、何よりオヤジのデザインよりかわいい。家内との共同作業の結果、全部一人で作るよりよほどいいものが出来たと感謝している。

サイトのデザインはできたものの、実は中身の方が大変で、受注管理や顧客管理は実はまだほぼ空っぽの状態。デザインは極論を言えばテキストのみでもいいが、裏方はしっかりしていないと商売が成り立たない。目に見えない所の方が大変なんだなあとしみじみ感じる。最初のうちはいろいろ不手際もあるかもしれないが、暖かく見守っていただければ幸いである。

ついでにショップブログもオープンしているので、今後はそちらもどうぞ。

2013年1月25日金曜日

二つの意味でグルメな野鳥、ヒヨドリ

ポンカンの旬が到来した、のはよかったが、すごいスピードでヒヨドリ(鵯)に喰われ始めた。ヒヨドリとの収穫競争のスタートである。

本当に、やつらの食欲は半端ではない。すでに収穫量が30%以上減っていると思う。しかも、よく熟れた美味しい実から食べる。

ヒヨドリはグルメで、つついた実が美味しくないとほとんど食べずに残すが、美味しいと写真のように全部きれいに食べる。このように完食しているということは、このポンカンが美味しかったという証拠でもある。つまり、私のポンカン園は今ヒヨドリが大量に群がっているが、美味しい実がたくさんできたということでもあるわけだ。

ヒヨドリは主に日本にしかいない鳥だが、祖先はフルーツが多い熱帯の森にいたらしく、花の蜜や果物など甘いものが大好きである(昆虫などはあまり食べない。ちなみに葉物野菜も好き)。 ということで、果樹農家にとってはかなり重要な害鳥だ。先日、ポンカンはその本当の旬にはあまり出荷されないということを書いたが、その理由の一つには、1月下旬には大量のヒヨドリが飛来して、食害がひどいということもあるのだ。

というのも、ヒヨドリは留鳥(一年中いる鳥)だが、冬には北日本からたくさん渡ってくる。そのため、南薩のような暖地には、冬は非常にたくさんのヒヨドリが集まってしまう。ネットを掛けるといった対策をしている農家もいるが、露地ポンカンに限って言えば、なかなかそこまで手は掛けられないというのが実情だ。

ところで、このヒヨドリ、野鳥の中でも最も美味い部類らしく、狩猟をする人の間では好まれている鳥である。食べる方も、食べられる方もグルメというわけだ。特に、ミカン類を食べているヒヨドリは格別に美味いらしい。しかも、毛を毟るのが容易で、解体も簡単と聞く。害鳥対策も必要だが、こんなにたくさんいるので、ぜひ獲って食べてみたいものだ。狩猟免許が欲しくなってきた。

2013年1月23日水曜日

謎だらけの行事:鬼火焚き

1月20日、雨で延期になっていた「鬼火焚き」が行われた。

鬼火焚きは、全国的には「どんど焼き」などと呼ばれている小正月の行事の、九州西南部を中心にした呼び名。呼び方はともかく、日本全国の田舎の風物詩であろう。

この地域では80年前くらいまで鬼火焚きをしていたのだが、延焼してどこかの家が火事になったとかで長く中止されていたらしい。それを十数年前に復活させたものが現在の鬼火焚きで、特段伝統行事的な儀式もないし、由緒あるものではなさそうだが、豪壮に火が燃えるイベントというのは、ただそれだけで面白い。

そもそも鬼火焚き(あるいはどんど焼き)というものは、その由来があれこれと言われてはいるものの、基本的には起源も、日本全国に広まった理由も謎である。全国各地の土着の信仰と習合したために、その意味合いも各地で異なっていて、そこに一貫性のある信仰を見いだすのも難しい。鹿児島の鬼火焚きの場合は、歳神と共に来た悪鬼を祓うという意味があるというが、そんな意識は全くないような気がする。

一方で、 なぜかどんど焼きは一般に子どもの行事とされていて、全国的に子どもが主役である場合が多い。といっても、櫓(やぐら)を組んだり準備をしたりするのは当然に大人の仕事なのだが…。伝統の習俗というのは、内容的なところは移ろいやすいが、形式的なところは変わらないことが多いので、「子どもの行事」というのがその謎を解く鍵のような気もする。

ところで、同じ鬼火焚きでもその内容は地域によって様々である。南さつま市金峰町の白川という集落では、大きな櫓を作り、子どもたちがその中で一夜を明かしてから火をつけるらしい。こんな寒い時になぜ野営しなくてはならないのか、その理論的説明を是非聞いてみたいものだ。もちろん、実際にその鬼火焚きも見てみたい。

ちなみに、南薩の鬼火焚きは元は地味な行事だったのが、北薩からの影響で櫓が巨大化していった可能性があるそうだ。うちの集落の鬼火焚きも、復活の立役者は北薩の出身者である。鹿児島の中でもいろいろ変遷がある。古い記録を調べると面白いかもしれない。

ついでに書くと、私が竹林整備をして除伐した竹が、この鬼火焚きでほぼ全部燃やせたのは本当に有り難かった。正直、処分に困っていたので。

2013年1月22日火曜日

ブログタイトルを変更したついでに反省してみる

ブログのタイトルを「南薩の田舎暮らし」から「南薩日乗」に変えた。

その理由は、今般オープン予定の通販サイトの名前を「南薩の田舎暮らし」にすることにしたためである。タイトルをころころ変えない、というのはWEBサイト運営の原則と思うし、これまでブックマークに登録してくれていた人には悪いけれども、ブログが同名だと運営している側としてもややこしいので、こちらを変えることにした次第である。ただ、無関係ではないので「南薩の田舎暮らし 別棟」とタイトルに添えた。

「日乗」はやや耳慣れない言葉だが、永井荷風の「断腸亭日乗」で知られるように「日々の記録、日記」という意味で、要は、南薩の日々の記録、という意味合いである。

そしてタイトルを変えるついでに、開設して1年たったということもありトップバナー等のデザインも変えてみた。前のバナーはうちの梁を背景にしていたが、今回は庭のスモモの樹である。ちなみに文字は拙いながら自分自身の書。ヘタクソな字でも、やはり活字でなく書き文字を使うと躍動感が出ると思う。前のバナーはかなり地味なデザインだったので、少し明るい雰囲気になった。

さらに、もののついでに、この1年のブログの統計を見てみると、次のような感じである。
  • ユニークユーザー数は約1万人、訪問数は1万8000、ページビュー数は6万5000ページくらい。
  • とはいっても、70%以上は10秒未満で離脱する閲覧なので、実際の訪問数は5000訪問、4万ページビューくらい。新規とリピータの割合は半々。
  • 約30%が地元(鹿児島、加世田)からの閲覧。 
  • 現在の1日平均の訪問数は約100人くらい。
総括すると、別に訪問数や閲覧数に目標があったわけではないが、特に地元からはそこそこ見てもらえた、というところかと思う。

ちなみに、閲覧数が伸びた要因として、早い時期に「Web笠沙」がリンクを貼ってくれたということがあるので、この場を借りて御礼を申し上げたい。もちろん口コミしてくれた人にも感謝である。

このブログは情報量はあると思うが、何しろ悪文というか、教科書のような文体で面白味に欠ける上、記事もやや上から目線になってしまいがちである。だが、それをいつも読んでくれる人がいるのはとても有り難いし、生活の励みにもなっている。タイトルの語呂が悪く変わって申し訳ないが、質を向上させ、価値ある情報を発信していきたいと思うので、今後ともご高覧いただければ幸いである。

2013年1月17日木曜日

ポンカンの本当の旬

先日「ポンカンの収穫をぼちぼちしている」と書いたけれど、実は周りの農家には、もう全て実を収穫してしまっている人も多い。というのも、ポンカンは基本的に御歳暮贈答用の果実であるため、年内に出荷した方が単価が高いからである。

しかし、ポンカンの旬が12月かというと、そうでもない。味が乗って美味しい時期というのは、1月下旬から2月ということになると思う。素朴にはこの時期がポンカンの旬であって、この時期に出荷すればいいと思われるが、実際はこの時期のポンカンは二束三文である。

美味しいポンカンが二束三文で、やや早採りの年内収穫のポンカンが高いというのはなんだかおかしい気がするが、「ポンカンを御歳暮に贈りたい」という消費者のニーズに応えた結果ともいえる。また、2月になるとタンカンを始めとして甘味の強い他の中晩柑類(ミカン以外のカンキツ)が出荷されはじめるため、ポンカンの相対的な価値が下落するという事情もある。

よって、美味しい時期のポンカンが二束三文であることは、別に誰が悪いというわけでもない。だが、農家はできるだけ価格が高い時期に出荷しようとするため、結果として、ポンカンは本当の旬ではない時期に大量に流通することになる。こうなると、普通にポンカンを購入する人はその本当の味を知らない、ということになってしまう。

もちろん、その問題は生産者もよくわかっているのだが、これまでの流通や販路が年内の贈答用出荷を最優先として構築されてきたため、2月にポンカンを売ろうとしても大口の販路がないのである。さらには、早採りした方が樹への負担が少なく、生産が安定するという植物側の事情もある。

しかしながら、ポンカンのような果物は嗜好品である以上、美味しくなければいつか見捨てられてしまう。ポンカンを贈答用に購入する消費者も高齢の方が多いと聞くし、このままだと消費が先細りになると思われる。

現在、カンキツの品種は百花繚乱の観があり、今さらポンカンというのも古くさいが、かつて「東洋のベストオレンジ」と呼ばれたポンカンの魅力は、上述のような事情で市場的には十分に発揮されていない。一番美味しい時期に出荷することが合理的になるように、仕組みを工夫してみたい。