家内が今年もアイスクリームを作ってくれた。
美味い!
手作りすると大抵のものはびっくりするほど美味しいが、ことアイスクリームは市販品とは雲泥の差である。この味はハーゲンダッツといい勝負で、クリーミーさと濃厚さではハーゲンダッツに勝っているかもしれない。
なぜアイスクリームは手作りすると美味しいのか。というか、なぜ市販品は研究開発の末にできた商品のはずなのにそれほどは美味しくないのか。 これには理由がある。
それは、アイスクリームには賞味期限を表示しなくてもよいからなのだ(あくまでも私個人の考えです)。
業界団体が言うには、冷凍庫で保存すれば品質の低下は僅かなものでアイスクリームには賞味期限はいらないのだ、ということになっているが、実際に手作りしてみるとアイスクリームも品質は漸減していくもので、製造後2週間くらいが賞味期限ではないかと思う。
もちろん手作りでは工場並みの衛生管理はしていないわけで単純には比べられない。それに一番違うのは原材料。アイスクリームとして市販されているもののほとんどには、卵が入っていない(ハーゲンダッツには入っています)。が、お家で手作りするときは卵黄を入れた方が絶対美味しい。
でも卵を入れると、コストも高くなるし、時間による劣化の問題も出てくるのだと思う(たぶん業務用冷蔵庫の-25℃だと大丈夫なんだろうが、家庭用冷蔵庫だと-18℃なので劣化していくのでは)。そうなると、賞味期限を設定しなくてもよいのが商材としてのアイスクリームのいいところなのに、賞味期限を定めなくてはならなくなってくる。
しかしながら実際には、アイスクリームには賞味期限はつけづらい。というのは、スーパーの店頭などでの販売においては、アイスクリームの冷凍庫は賞味期限を管理するということがなされていないので(当たり前)、ある特定の商品だけ賞味期限管理をしてもらうということはちょっと現実的でないからだ。
そういうわけで、アイスクリームは美味しさよりも棚持ち(保存性)を優先させる製造が行われているような気がする。もちろん他の加工食品も、美味しさが最優先というのはほとんどないだろう。コスト、賞味期限、製造法、流通などさまざまな条件の中で作られている。でもアイスクリームの場合は、賞味期限を設定しなくてもよいということから、特に保存性重視の商品になっているのではないか。
みなさんも一度アイスクリームを卵黄入りで手作りしてみて、その味の違いを実感されたらよいと思う。デキストリン(増粘多糖類)で粘度を調整したアイスクリームと、卵でクリーミーになったアイスクリームは口当たりが全く別物である。
ちなみにアイスクリームは道具を使わず全くの手作りというのは結構難しいので、うちでは貝印のアイスクリームメーカーを使っています。オススメです。
2015年7月18日土曜日
2014年8月5日火曜日
狩集農園の「おうちで食べているお米」は手間かかってます
7月は、梅雨が明けてから雨が全く降らず憎らしいほどの晴天が続いていたのに、8月に入ってからは気の早い台風がきて、梅雨が舞い戻ったみたいな天気になった。
このあたりは早期水稲の産地なので、稲刈りは7月終わりから8月に行う。ちょうどこれから稲刈り、という時期にこの天候で、米農家は弱っているだろう。それに、大型で強い台風11号が不気味に北上してきつつある。稲穂が垂れた今、強い台風が来てしまうと稲が軒並み倒伏して、商品価値がガタ落ちするのは必定。天候の悪い中、急いで稲刈りをするわけにもいかず、出来ることは祈祷くらいしかない。
「南薩の田舎暮らし」で予約受付中の「狩集農園の「おうちで食べているお米」」も収穫前である。手間をかけて作られたお米だから、半ば他人事ながら心配しているところである。
なにしろ、狩集さんが作っている水田は、写真のように山間部にあって一枚あたりの面積が狭い。ということは、作業の効率も悪いし、何より畦(あぜ)が多い。畦が多いと畦の草払いをする時間と労力が大きい。南九州では、本州以北では考えられないほど雑草の勢いがもの凄いので、草払いはかなりコストを食う仕事である。単純に比べて、1枚の田んぼが1haもあるような平地と、こういう山間部での米作りでは、3倍くらい労力の差があると思う。
でも農協に出荷したら山間部だろうが平地と当然同じ条件で取引されるわけだから、これは勝ち目のない勝負である。というわけで、狩集さんは直販に力を入れていて、無農薬のお米を作っている。
無農薬、と一言でいうと、ただ薬を使わないだけ、という単純なことのようだが、意外に細かいところで手間がかかる。 例えば、苗を作る時には種子も消毒するし培土(苗箱に入れる土)も消毒する。これを消毒しないと、苗床に雑菌が入って苗が病気になってしまうことがあって省略することはできないらしい。
ではどうするかというと、まず種は薬剤を使わず温湯消毒を行う。これは、60℃くらいの大きなお風呂みたいなものに種を数分間漬ける方法である。簡単に言うと熱殺菌だ。だが漬けすぎると種自体がゆだってしまうので、タイミングを計るのが大事になるし、そもそも大きなお風呂みたいな設備を準備するのが大変だ。場所もとるしもちろんお金もかかる。薬剤で消毒するならタンクに薬剤を混ぜればすむが、大量の水の温度を一定の温度に保つにはそれなりの設備を要する。
次に培土の消毒だが、これも熱殺菌した土を使う。これは個人ではできないので、わざわざ熱殺菌した土を購入するわけだ。たかが箱苗の土ということで、1箱あたりの量は僅かだが、狩集さんの場合それを1000箱以上作るわけで、トン単位の土を購入している。さらに、箱苗に稲の種子(つまり籾です)を播く時には、有機栽培でも使える微生物農薬を用いている。無害な細菌を人為的に増殖させることで、雑菌の繁殖を抑えるのである。
早期水稲の場合、定植後の病気などはさほど心配しなくてもいいらしいが、問題なのは雑草の管理である。狩集さんは今年、ある機械によって除草を行うことで、直販分の水稲は完全に無農薬で作ったということだが、機械でやると言っても、除草剤を使うよりも手間も時間もかかる作業である。
こうして大変な手間を掛けて米作りをしているのは、広大な平地で効率的に作られている米と勝負しようと思ったら味で差別化する必要があるからだ。山間部の方の有利な点といえば清流しかないとも言えるわけで、これを活かして美味い米を作るために敢えて手間のかかる無農薬の米作りをしているのである。
水がきれいということは米作りにはすごく重要で、水の取り込み口付近の稲は常に元気がある、ということだけとってみても、きれいな水が豊富に供給されるということが健全な稲の育成に不可欠なのは明白だ。狩集農園の「おうちで食べているお米」は、磯間山麓の清流を使って作られた米である。
「南薩の田舎暮らし」ではこの新米5kgを2500円(+送料一律500円)で予約受付しているが、インターネットで調べるかぎり、無農薬のお米としてはかなり安い。ちなみに、狩集さんは郵便局の窓口を通じてもこのお米を販売していて、そちらでは送料込み2980円なので、1袋だけ買うなら郵便局の方がさらに少し安い。
この価格で販売しているのでうちの利益はほとんどない(どころか1袋だけの購入の場合にはちょっとだけ赤字になる)が、いつもお世話になっている狩集さんのブランド力を挙げていく勝手連的お手伝いをする意味もあって取り組んでいる。ともかく、美味しいのもお得なのも間違いないのでぜひよろしくお願いします。予約は8月10日まで。あと1週間ないのでお見逃しのなきよう(収穫時期の関係で延長する場合もあります)。
お申し込みはこちらから。
【参考】
しかも精米もすごく手間がかかっている。→ 狩集農園のこだわり精米機
このあたりは早期水稲の産地なので、稲刈りは7月終わりから8月に行う。ちょうどこれから稲刈り、という時期にこの天候で、米農家は弱っているだろう。それに、大型で強い台風11号が不気味に北上してきつつある。稲穂が垂れた今、強い台風が来てしまうと稲が軒並み倒伏して、商品価値がガタ落ちするのは必定。天候の悪い中、急いで稲刈りをするわけにもいかず、出来ることは祈祷くらいしかない。
「南薩の田舎暮らし」で予約受付中の「狩集農園の「おうちで食べているお米」」も収穫前である。手間をかけて作られたお米だから、半ば他人事ながら心配しているところである。
なにしろ、狩集さんが作っている水田は、写真のように山間部にあって一枚あたりの面積が狭い。ということは、作業の効率も悪いし、何より畦(あぜ)が多い。畦が多いと畦の草払いをする時間と労力が大きい。南九州では、本州以北では考えられないほど雑草の勢いがもの凄いので、草払いはかなりコストを食う仕事である。単純に比べて、1枚の田んぼが1haもあるような平地と、こういう山間部での米作りでは、3倍くらい労力の差があると思う。
でも農協に出荷したら山間部だろうが平地と当然同じ条件で取引されるわけだから、これは勝ち目のない勝負である。というわけで、狩集さんは直販に力を入れていて、無農薬のお米を作っている。
無農薬、と一言でいうと、ただ薬を使わないだけ、という単純なことのようだが、意外に細かいところで手間がかかる。 例えば、苗を作る時には種子も消毒するし培土(苗箱に入れる土)も消毒する。これを消毒しないと、苗床に雑菌が入って苗が病気になってしまうことがあって省略することはできないらしい。
ではどうするかというと、まず種は薬剤を使わず温湯消毒を行う。これは、60℃くらいの大きなお風呂みたいなものに種を数分間漬ける方法である。簡単に言うと熱殺菌だ。だが漬けすぎると種自体がゆだってしまうので、タイミングを計るのが大事になるし、そもそも大きなお風呂みたいな設備を準備するのが大変だ。場所もとるしもちろんお金もかかる。薬剤で消毒するならタンクに薬剤を混ぜればすむが、大量の水の温度を一定の温度に保つにはそれなりの設備を要する。
次に培土の消毒だが、これも熱殺菌した土を使う。これは個人ではできないので、わざわざ熱殺菌した土を購入するわけだ。たかが箱苗の土ということで、1箱あたりの量は僅かだが、狩集さんの場合それを1000箱以上作るわけで、トン単位の土を購入している。さらに、箱苗に稲の種子(つまり籾です)を播く時には、有機栽培でも使える微生物農薬を用いている。無害な細菌を人為的に増殖させることで、雑菌の繁殖を抑えるのである。
早期水稲の場合、定植後の病気などはさほど心配しなくてもいいらしいが、問題なのは雑草の管理である。狩集さんは今年、ある機械によって除草を行うことで、直販分の水稲は完全に無農薬で作ったということだが、機械でやると言っても、除草剤を使うよりも手間も時間もかかる作業である。
こうして大変な手間を掛けて米作りをしているのは、広大な平地で効率的に作られている米と勝負しようと思ったら味で差別化する必要があるからだ。山間部の方の有利な点といえば清流しかないとも言えるわけで、これを活かして美味い米を作るために敢えて手間のかかる無農薬の米作りをしているのである。
水がきれいということは米作りにはすごく重要で、水の取り込み口付近の稲は常に元気がある、ということだけとってみても、きれいな水が豊富に供給されるということが健全な稲の育成に不可欠なのは明白だ。狩集農園の「おうちで食べているお米」は、磯間山麓の清流を使って作られた米である。
「南薩の田舎暮らし」ではこの新米5kgを2500円(+送料一律500円)で予約受付しているが、インターネットで調べるかぎり、無農薬のお米としてはかなり安い。ちなみに、狩集さんは郵便局の窓口を通じてもこのお米を販売していて、そちらでは送料込み2980円なので、1袋だけ買うなら郵便局の方がさらに少し安い。
この価格で販売しているのでうちの利益はほとんどない(どころか1袋だけの購入の場合にはちょっとだけ赤字になる)が、いつもお世話になっている狩集さんのブランド力を挙げていく勝手連的お手伝いをする意味もあって取り組んでいる。ともかく、美味しいのもお得なのも間違いないのでぜひよろしくお願いします。予約は8月10日まで。あと1週間ないのでお見逃しのなきよう(収穫時期の関係で延長する場合もあります)。
お申し込みはこちらから。
【参考】
しかも精米もすごく手間がかかっている。→ 狩集農園のこだわり精米機
2014年7月31日木曜日
鹿児島の甘口醤油再考
先日、醤油の記事を書いた。そこで、鹿児島の甘い醤油の甘さは人工甘味料に由来するものだという説明をした。
自分では人工甘味料をさほど悪く思っていないので書いた時は気づかなかったが、記事を読んで「鹿児島の甘い醤油ってあまりよいものではなかったの?」と思った人もいたかもしれない。食に関しては、「人工」とつくとそれだけでマイナスのイメージがついてまわるものである。
また、鹿児島の醤油についてはもう少し調べてみたいこともある。そんなわけで、鹿児島の甘口醤油の人工甘味料について改めて考えてみることにしよう。
さて、唐突に話題が変わるようだが、皆さんは普段どんなキムチを食べるだろうか? スーパーで売っているのはほとんど「甘辛キムチ」だし、人気のある「牛角キムチ」(写真は牛角のサイトから借用しました)とか「ご飯がススム」なんかも甘辛なので、たぶんほとんどの人は甘辛キムチを食べていると思う。
でも、キムチは元々甘くないものだ。味の主体は唐辛子の辛さと塩分であって、発酵に由来する甘み・旨味の成分はわずかなアクセントであるにすぎない。しかし日本人には本場のキムチは辛いだけで箸が進まないため、日本ではキムチを甘口にするという工夫がなされた。というわけで、本来はかなり辛い・鹹い(しおからい)キムチを甘口にしようとすると、当然ながら大量の砂糖が必要になる。漬け汁の主成分は砂糖になってしまい、砂糖まみれの漬物という、本来のキムチとはかなりかけ離れたものになる(でもそういうものも売っています)。
では、「牛角キムチ」とか「ご飯がススム」はどうしているかというと、砂糖は入っておらず、人工甘味料が使われているのである。確か、これらはアセスルファムカリウムが使われていたと思う。これは砂糖の200倍の甘さがあり、カロリーはない。キムチにごく微量添加するだけで甘口キムチができ、カロリーも増やさないのである。
人工甘味料それ自体が健康的かどうかはさておき、砂糖を節約できるという点では間違いなく健康的である。そもそも、現代人は甘みに慣れすぎていて、甘みに対して相当鈍感になっている。食品を甘口にする場合、相当な砂糖を入れないと、十分に甘いと感じないのである。だから、必然的に砂糖摂りすぎの危険性ある。人工甘味料の存在意義は、そこにある。
人工甘味料は、元々は高価な砂糖を代用するために開発されたが、砂糖がコモディティ化して以降は、高機能な(カロリーがないとか)ものが期待されて発展してきた。
その結果、現在では人工甘味料は健康的と認められているものも多く、食べても虫歯にならないキシリトール(※)、カロリーゼロのアセスルファムカリウムなどは有名だろう。弱い発癌性があるとして規制された悪名高い(?)サッカリンも、2010年には米国で全く毒性がないものとされて規制リストから外れ(日本ではまだ規制されている)、むしろ砂糖を節約する健康的なものと考えられはじめている。
コーラなんかにはものすごい量の砂糖が入っているから、この甘みの半分でもサッカリンが代用すれば、いくばくか体への負担も軽減されるわけだ。そしてサッカリンにもカロリーはない。
鹿児島の甘い砂糖に使われているのは、このサッカリンなのだが、実は単に砂糖の節約という面ではなくて、味の都合もあるらしい。先日の記事を書いた後で南薩の醤油屋さんである丁子屋の方に教えてもらったのだが、丁子屋ではサッカリンを抜こうと何度か試みたものの、抜くことが難しかったそうだ。
というのも、サッカリンの甘味を砂糖で代用してみると、ヌメっとした甘さになり、甘ったるくなって使い物にならなくなったらしい。他の代用品でもダメだったそうだ。サッカリンは舌にピリッとしたものを感じる独特のコクがあるため、これが鹿児島の醤油の甘味になくてはならないものだと再認識したそうである。
そうしたさまざまな事情を考えてみると、鹿児島の甘口醤油はナショナルブランドの擡頭で現在苦境に立っていると思うが、活路もありそうな気がする。元々鹿児島で甘口醤油が普及したのは、各家庭での砂糖の消費量を節約できたからという私の仮説が正しければ、これは現在の社会でも価値のあることである。甘口の醤油を使うことで料理の際の砂糖は少しであっても減らせるわけだから、ほんの少し健康的なレシピになる。
例えば、「鹿児島の甘口醤油を使って料理の砂糖をスプーン1杯減らしましょう」というようなキャンペーンをしたら、鹿児島の甘口醤油の元々の価値が生きるのではないか。元々は甘みを求める県民の需要に応じて作られた甘口醤油が、今度は健康志向に合致するとしたら面白い。いつかも書いたが、鹿児島は「周回遅れのトップランナー」である。トクホとかカロリーゼロが持てはやされている昨今、既に合成甘味料による「お袋の味」が確立している鹿児島だからこそ、「料理から砂糖を減らす甘口醤油」なんてのを全国に発信するのはどうだろうか。
※キシリトールは天然に存在する物質なので正確には人工甘味料ではないが、微生物による工業的な合成も行われている。
自分では人工甘味料をさほど悪く思っていないので書いた時は気づかなかったが、記事を読んで「鹿児島の甘い醤油ってあまりよいものではなかったの?」と思った人もいたかもしれない。食に関しては、「人工」とつくとそれだけでマイナスのイメージがついてまわるものである。
また、鹿児島の醤油についてはもう少し調べてみたいこともある。そんなわけで、鹿児島の甘口醤油の人工甘味料について改めて考えてみることにしよう。
さて、唐突に話題が変わるようだが、皆さんは普段どんなキムチを食べるだろうか? スーパーで売っているのはほとんど「甘辛キムチ」だし、人気のある「牛角キムチ」(写真は牛角のサイトから借用しました)とか「ご飯がススム」なんかも甘辛なので、たぶんほとんどの人は甘辛キムチを食べていると思う。
でも、キムチは元々甘くないものだ。味の主体は唐辛子の辛さと塩分であって、発酵に由来する甘み・旨味の成分はわずかなアクセントであるにすぎない。しかし日本人には本場のキムチは辛いだけで箸が進まないため、日本ではキムチを甘口にするという工夫がなされた。というわけで、本来はかなり辛い・鹹い(しおからい)キムチを甘口にしようとすると、当然ながら大量の砂糖が必要になる。漬け汁の主成分は砂糖になってしまい、砂糖まみれの漬物という、本来のキムチとはかなりかけ離れたものになる(でもそういうものも売っています)。
では、「牛角キムチ」とか「ご飯がススム」はどうしているかというと、砂糖は入っておらず、人工甘味料が使われているのである。確か、これらはアセスルファムカリウムが使われていたと思う。これは砂糖の200倍の甘さがあり、カロリーはない。キムチにごく微量添加するだけで甘口キムチができ、カロリーも増やさないのである。
人工甘味料それ自体が健康的かどうかはさておき、砂糖を節約できるという点では間違いなく健康的である。そもそも、現代人は甘みに慣れすぎていて、甘みに対して相当鈍感になっている。食品を甘口にする場合、相当な砂糖を入れないと、十分に甘いと感じないのである。だから、必然的に砂糖摂りすぎの危険性ある。人工甘味料の存在意義は、そこにある。
人工甘味料は、元々は高価な砂糖を代用するために開発されたが、砂糖がコモディティ化して以降は、高機能な(カロリーがないとか)ものが期待されて発展してきた。
その結果、現在では人工甘味料は健康的と認められているものも多く、食べても虫歯にならないキシリトール(※)、カロリーゼロのアセスルファムカリウムなどは有名だろう。弱い発癌性があるとして規制された悪名高い(?)サッカリンも、2010年には米国で全く毒性がないものとされて規制リストから外れ(日本ではまだ規制されている)、むしろ砂糖を節約する健康的なものと考えられはじめている。
コーラなんかにはものすごい量の砂糖が入っているから、この甘みの半分でもサッカリンが代用すれば、いくばくか体への負担も軽減されるわけだ。そしてサッカリンにもカロリーはない。
鹿児島の甘い砂糖に使われているのは、このサッカリンなのだが、実は単に砂糖の節約という面ではなくて、味の都合もあるらしい。先日の記事を書いた後で南薩の醤油屋さんである丁子屋の方に教えてもらったのだが、丁子屋ではサッカリンを抜こうと何度か試みたものの、抜くことが難しかったそうだ。
というのも、サッカリンの甘味を砂糖で代用してみると、ヌメっとした甘さになり、甘ったるくなって使い物にならなくなったらしい。他の代用品でもダメだったそうだ。サッカリンは舌にピリッとしたものを感じる独特のコクがあるため、これが鹿児島の醤油の甘味になくてはならないものだと再認識したそうである。
そうしたさまざまな事情を考えてみると、鹿児島の甘口醤油はナショナルブランドの擡頭で現在苦境に立っていると思うが、活路もありそうな気がする。元々鹿児島で甘口醤油が普及したのは、各家庭での砂糖の消費量を節約できたからという私の仮説が正しければ、これは現在の社会でも価値のあることである。甘口の醤油を使うことで料理の際の砂糖は少しであっても減らせるわけだから、ほんの少し健康的なレシピになる。
例えば、「鹿児島の甘口醤油を使って料理の砂糖をスプーン1杯減らしましょう」というようなキャンペーンをしたら、鹿児島の甘口醤油の元々の価値が生きるのではないか。元々は甘みを求める県民の需要に応じて作られた甘口醤油が、今度は健康志向に合致するとしたら面白い。いつかも書いたが、鹿児島は「周回遅れのトップランナー」である。トクホとかカロリーゼロが持てはやされている昨今、既に合成甘味料による「お袋の味」が確立している鹿児島だからこそ、「料理から砂糖を減らす甘口醤油」なんてのを全国に発信するのはどうだろうか。
※キシリトールは天然に存在する物質なので正確には人工甘味料ではないが、微生物による工業的な合成も行われている。
2014年3月24日月曜日
無謀にもベルガモット栽培にトライします
先日、ベルガモットを20本ばかり定植した。
ベルガモットという植物にぴんと来る人は僅かだと思うが、アールグレイの香り付けにつかうカンキツだというと、なんとなくイメージが湧くかもしれない。アールグレイは、青採りしたベルガモットの皮で香り付けした紅茶なのである。
私はアールグレイが割と好きなのだが、実は市場で出回っているアールグレイのほとんどは化学合成された香料が使用されており、本当にベルガモットによって香り付けされているものは少ない。だからこそ、ベルガモットが栽培できれば、本物のアールグレイを飲みたい人からの需要が期待できる。というわけで、ベルガモットに着目したのである。
だが、アールグレイのほとんどが化学合成された香料を使っているのにはわけがある。古くからベルガモットの産地はイタリアのカラブリア(イタリアをブーツと見なした時の爪先にあたる地域)だったが、なぜかカラブリア以外ではベルガモットがうまく育たなかったのである。生産地が限られていたため、アールグレイが世界的な人気商品となってベルガモットの需要が高まると、カラブリアのベルガモット生産者は大儲けしたらしい。だが、ベルガモットの精油があまりにも高価になったため代替の化学合成の香料が開発され、今ではアールグレイといえば化学香料が当たり前になってしまった。
後に、コートジボワールの象牙海岸でもベルガモットは栽培されるようになるが、今でもベルガモットの産地はごく限られている。その理由が気候にあるのか、土壌にあるのか、はたまた門外不出の栽培技術にあるのか、よくわからない。だから、この南薩でベルガモットがちゃんと経済的に成り立つ栽培ができるのか全く不透明である。
だが、南薩では枕崎の「姫ふうき」など紅茶生産が盛り上がっているところなので、本当に「南薩のアールグレイ」ができたら面白い。当然日本には他に産地はないので、特色ある商品になるだろう。
ちなみに、ハイヤーリビングのアールグレイは、本当のベルガモット精油を使っている(ような感じがする)のでオススメである。特にアイスで飲むと美味しい。
ベルガモットという植物にぴんと来る人は僅かだと思うが、アールグレイの香り付けにつかうカンキツだというと、なんとなくイメージが湧くかもしれない。アールグレイは、青採りしたベルガモットの皮で香り付けした紅茶なのである。
私はアールグレイが割と好きなのだが、実は市場で出回っているアールグレイのほとんどは化学合成された香料が使用されており、本当にベルガモットによって香り付けされているものは少ない。だからこそ、ベルガモットが栽培できれば、本物のアールグレイを飲みたい人からの需要が期待できる。というわけで、ベルガモットに着目したのである。
だが、アールグレイのほとんどが化学合成された香料を使っているのにはわけがある。古くからベルガモットの産地はイタリアのカラブリア(イタリアをブーツと見なした時の爪先にあたる地域)だったが、なぜかカラブリア以外ではベルガモットがうまく育たなかったのである。生産地が限られていたため、アールグレイが世界的な人気商品となってベルガモットの需要が高まると、カラブリアのベルガモット生産者は大儲けしたらしい。だが、ベルガモットの精油があまりにも高価になったため代替の化学合成の香料が開発され、今ではアールグレイといえば化学香料が当たり前になってしまった。
後に、コートジボワールの象牙海岸でもベルガモットは栽培されるようになるが、今でもベルガモットの産地はごく限られている。その理由が気候にあるのか、土壌にあるのか、はたまた門外不出の栽培技術にあるのか、よくわからない。だから、この南薩でベルガモットがちゃんと経済的に成り立つ栽培ができるのか全く不透明である。
だが、南薩では枕崎の「姫ふうき」など紅茶生産が盛り上がっているところなので、本当に「南薩のアールグレイ」ができたら面白い。当然日本には他に産地はないので、特色ある商品になるだろう。
ちなみに、ハイヤーリビングのアールグレイは、本当のベルガモット精油を使っている(ような感じがする)のでオススメである。特にアイスで飲むと美味しい。
2014年1月16日木曜日
私のかぼちゃの応援者
![]() |
撮影:高品様 |
「南薩の田舎暮らし」で1個1200円で売っているかぼちゃのことである。
その方は野菜ソムリエの高品 和代さんといい、1回3人までという少数精鋭の料理教室「ベジフルクッキングサポート築地」を主宰されている。この方が大変に親切で、私のかぼちゃを気に入っていただいたということで感想を送ってくれたり、アドバイスをくれたりと目をかけてくださっている。
そういうことで「ブログで紹介してもよろしいですか」と伺ったところ、次のようなコメントもわざわざ送ってくれたのである(!)。世の中には親切な人がいるものだ。
かぼちゃが届いて最初、少し茹でて食べてみた時は「んー、こんなものかな」と普通に美味しかったのですが、生産者さんおすすめの食べ方で、少し長めに蒸したらびっくり! 甘さもぐんと増して、とろけるような食感。普段食べていたホクホクかぼちゃにありがちな重たさ(喉につまる感じ)も無く、大きめサイズなのにあっという間にペロリと食べてしまいました。その他、ブイヨンでじっくり煮てポタージュも作りましたが、まろやかにできて美味しかったです。私は野菜ソムリエとして料理教室を開いていますが、生徒さんからも「今まで食べてたかぼちゃと違う!」と言われました。またリピ買いしたいと思います。ちなみに、ここで書いて頂いている「生産者さんおすすめの食べ方」というのは、「かぼちゃを切ってクッキングシートにくるみ、オーブンで40分ほど蒸し焼きにする」というものである。ちなみに、これにホイップした生クリームを添えると、それだけでスイーツ的なものになる。かぼちゃを蒸し焼きにしただけのものがスイーツになるわけがない、と感じるだろうが、なんだかんだでシンプルに料理するのが一番美味しいと思し、甘みも十分だ。
それから、スーパーで買うかぼちゃの99%はカットもののため、切ることに抵抗(苦手意識)がある、という指摘もいただいたが、私には全くそういう認識はなかったので勉強になった。確かに、よく熟したかぼちゃはとても堅く、これを包丁で真っ二つにするのは男性でも力のいる作業である。
その他、ナルホドと感じさせられる指摘をいくつか受けたので、できるところから徐々に改善していきたいと思っている。かぼちゃというのはネット通販で扱うには相当に不利な商材で、
- かさばるので輸送費が高く付く。
- 嗜好品ではないので、わざわざ取り寄せることがない。
- 2kgの大玉が送られてきても1回では食べきらないし、冷蔵庫の場所をとる。
2013年9月6日金曜日
とも屋の「欧風銘菓 マドレーヌ」
南さつま市小湊(こみなと)に「とも屋」というお菓子屋さんがある。昔ながらのお菓子屋さんで、外観・内装などで目を引く店ではないが、そこのマドレーヌはパッケージデザインが秀逸である。他の商品はどうということもないのに、なぜかこのマドレーヌのデザインだけレトロかわいくて愛嬌がある。
トリコロール(赤・青・白)と「マドレ〜ヌ」の絶妙な書き文字。そして周りの唐草風模様。しかもこれらがシールなどではなく、アルミのマドレーヌ型に直接印刷されている。こういう風に焼き菓子の型が直接パッケージデザインとなっているのは最近珍しい(昔は結構あったようだ)。
そして、この丸形がいい。最近売っているマドレーヌはこういう丸形ではなくて、貝形をしているものが多い。もともとマドレーヌというのは貝形にアイデンティティがあって、本場フランスには丸形のマドレーヌはなく、丸形は日本独自のものという。だから、最近の貝形マドレーヌの方が「正しい」のであるが、日本では昔はマドレーヌといえば丸形だったわけで、何か「これぞ日本のマドレーヌ」と感じさせられる。
しかも、この日本風マドレーヌに「欧風銘菓」と銘打っているのがさらにいい。この「欧風」は、「日本人の憧れの中だけに存在していたヨオロッパ」なのだろう。そもそも、このマドレーヌ、シロップ(かリキュール)漬けのドライフルーツ(?)が入っていて、中はマドレーヌというよりパウンドケーキ風である。フランス菓子というよりも、田舎の茶飲み話に最適で、食べ応えのある落ちつく味である。
つまり、このマドレーヌは「欧風銘菓」を謳っているが、現実の欧州には存在していなかったもので、大げさに言えば、かつての日本人が「欧風」として思い描いたものなのだ。
そもそも、日本の海外文化の受容というものは、この約二千年間そういう調子だった。大陸の文化をそのまま受け入れるのではなく、断片的に入ってくるそれをなんとか繋ぎ合わせ、時に誤読し、時に深読みし、「理想化された海外」あるいは「きっとそうに違いない海外」をつくり上げてきた。
こうした営みを、稀代の編集者である松岡正剛氏は「日本という方法」という言葉で解説している。要は、コンテンツそのものよりもそのコンテンツをどう料理(編集)するかというところに日本らしさはあるんだよ、という話である。
日本らしければいい、というものでもないが、本場のものをそのままに受け入れずに、無意識的であれそれを我々の生活の間尺に合うようにアレンジするのは一つの創造的行為である。丸形マドレーヌが日本で生まれた理由も、単に貝の焼き型が手元になかったからという単純な理由によるのだろうが、そのお陰で日本でマドレーヌがこんなに普及したのではないだろうか。貝型にこだわっていたら、これほどは広まらなかったように思う。
こういう「かつての日本人が本場風として思い描いたもの」は、今ではもうめっきり少なくなって、本当に本場のもの(とされているもの)か、あるいは手軽な代用品ばかりになってしまったように感じる。とも屋のマドレーヌは、デザインの秀逸さもさることながら、なんだか手の届かないところに「本場」があった古き良き時代を伝えるものに思えるので、これからもずっとこの形で残っていって欲しい。
トリコロール(赤・青・白)と「マドレ〜ヌ」の絶妙な書き文字。そして周りの唐草風模様。しかもこれらがシールなどではなく、アルミのマドレーヌ型に直接印刷されている。こういう風に焼き菓子の型が直接パッケージデザインとなっているのは最近珍しい(昔は結構あったようだ)。
そして、この丸形がいい。最近売っているマドレーヌはこういう丸形ではなくて、貝形をしているものが多い。もともとマドレーヌというのは貝形にアイデンティティがあって、本場フランスには丸形のマドレーヌはなく、丸形は日本独自のものという。だから、最近の貝形マドレーヌの方が「正しい」のであるが、日本では昔はマドレーヌといえば丸形だったわけで、何か「これぞ日本のマドレーヌ」と感じさせられる。
しかも、この日本風マドレーヌに「欧風銘菓」と銘打っているのがさらにいい。この「欧風」は、「日本人の憧れの中だけに存在していたヨオロッパ」なのだろう。そもそも、このマドレーヌ、シロップ(かリキュール)漬けのドライフルーツ(?)が入っていて、中はマドレーヌというよりパウンドケーキ風である。フランス菓子というよりも、田舎の茶飲み話に最適で、食べ応えのある落ちつく味である。
つまり、このマドレーヌは「欧風銘菓」を謳っているが、現実の欧州には存在していなかったもので、大げさに言えば、かつての日本人が「欧風」として思い描いたものなのだ。
そもそも、日本の海外文化の受容というものは、この約二千年間そういう調子だった。大陸の文化をそのまま受け入れるのではなく、断片的に入ってくるそれをなんとか繋ぎ合わせ、時に誤読し、時に深読みし、「理想化された海外」あるいは「きっとそうに違いない海外」をつくり上げてきた。
こうした営みを、稀代の編集者である松岡正剛氏は「日本という方法」という言葉で解説している。要は、コンテンツそのものよりもそのコンテンツをどう料理(編集)するかというところに日本らしさはあるんだよ、という話である。
日本らしければいい、というものでもないが、本場のものをそのままに受け入れずに、無意識的であれそれを我々の生活の間尺に合うようにアレンジするのは一つの創造的行為である。丸形マドレーヌが日本で生まれた理由も、単に貝の焼き型が手元になかったからという単純な理由によるのだろうが、そのお陰で日本でマドレーヌがこんなに普及したのではないだろうか。貝型にこだわっていたら、これほどは広まらなかったように思う。
こういう「かつての日本人が本場風として思い描いたもの」は、今ではもうめっきり少なくなって、本当に本場のもの(とされているもの)か、あるいは手軽な代用品ばかりになってしまったように感じる。とも屋のマドレーヌは、デザインの秀逸さもさることながら、なんだか手の届かないところに「本場」があった古き良き時代を伝えるものに思えるので、これからもずっとこの形で残っていって欲しい。
【情報】
とも屋菓子舗
〒897-1122 鹿児島県南さつま市加世田小湊7664
0993-53-9202
2013年7月17日水曜日
アーモンドの品種と植物検疫
開墾作業中である。
かつてカンキツが植えられ、この5〜6年ほど耕作がされていなかった所を借りることができた。既に果樹は枯れるか弱るか切られるかしているし、セイタカアワダチソウが人の背より伸びているが、逆に自由に植栽計画を考える楽しみもある。
というわけで、以前から注目しているオリーブと、思いつきのような話だがアーモンドを植えられないか検討している。
アーモンドというとどういう樹なのか全く見当がつかない人がほとんどと思うが、アーモンドはモモの仲間で日光と乾燥を好み、栽培適地がカンキツと似ている。世界的に有名なアーモンドの産地にはカリフォルニア、スペイン、そしてイタリアのシチリア島があり、これら全てがオレンジの名産地であることを考えると、同じくカンキツの産地である南薩でもアーモンド栽培ができるのではないか、と期待させられる。
ちなみに、一般的なアーモンドのイメージは「チョコの中に入っているもの」「おつまみのナッツ」あたりだろうが、アーモンドは紀元前から地中海沿岸では大変重要な作物とされており、お菓子や料理の材料として必要不可欠なものだ。地中海のアーモンドは日本に輸入されている米国産の大量生産品と比べ格段に美味しいと言われ、イタリア料理においては主役級の役割を果たす。
そこでアーモンド栽培に取り組んでみたいと思い、苗木を探しているのだが、これが全く見つからない。趣味の園芸用の苗木はインターネットで売っているが、品種の明らかなものはほとんどなく、品種が明示されているものも「ダベイ」という品種のものしかない。ダベイはかつて米国で栽培されたが不振で放棄された過去の品種であり、これを今さら経済生産するのは理に適わない。いろいろ調べてみると、どうやら、日本には現在世界の主要品種のアーモンドは入ってきていないようだ。
私が是非とも手に入れたいと思っているのは、「アーモンドの女王」と呼ばれるスペインの主要品種「マルコナ」か、シチリアの主要品種である「パルマ/ギルジェンティ」種である。これらが日本の湿潤な気候に耐えうるのかはよく分からないが、少し調べてみるとこれらにはめちゃくちゃ美味しそうな雰囲気があり、食べてみたいと思わされる。できるならこういう美味しそうなやつを育ててみたいのが人情だ。
しかしこういった品種の苗は日本には見当たらない。というのは、周知の通り日本ではアーモンドが経済生産されていないので、これらを輸入しようという奇特な人がいないためだろう。というのも、植物検疫の関係で、アーモンドを輸入するのはかなり手間がかかるからだ。植物検疫というのは、世界的な病害虫の蔓延を防ぐためにある種の植物については輸入に大変気を使うという仕組みである。アーモンドのような果樹については、海外から取り寄せる場合は1年間も隔離栽培を行って、病害虫に冒されていないことを確認した上でないと輸入できないのである。
1年間も特別のビニールハウスで隔離しなくてはならないというのはかなりのコストなので、これを誰もやりたがらないのは当然だ。そのため、日本で今流通しているアーモンドの苗というのは、かなり昔に米国からアーモンドを導入しようとした時に輸入した苗の子孫なのではないかと思われる。果樹を輸入するというのは大変なのだ。
こういう事情から、果樹の世界というのは、意外にグローバルではない。野菜や穀物は結構品種がグローバル化しているのだが、果樹の場合は輸出入が簡単でないために各国で独自の品種改良が行われており、いい意味でも悪い意味でもガラパゴス化しているわけだ。
例えばイタリアは世界的な栗の名産地で、日本でも「イタリア産の栗」といえば栗の中でも美味しいものと考えられているが、イタリアの栗の品種(例えばピエモンテ)は日本にはこれまで入ってきていなかった。日本でも栗の栽培は盛んなのに、植物検疫が面倒だからピエモンテ栗を日本に導入しようという人がいなかったのである。最近、熊本の方がピエモンテ栗を輸入し、日本でも栽培する「マロンプロジェクト」という取組をやっているが、こうした例は稀有であり、輸入に手間がかかる上に気候風土が合わないリスクもある海外の品種を敢えて手に入れようとする人はほとんどいない。
だが、一度やってみたいと思うとやってみずにはおれない性分なので、是非とも地中海のアーモンドの品種を導入したい。何かよい方法があればいいのだが、今のところ良案が浮かばない。苗ではなくタネの場合は検疫が免除される(場合がある)ので、アーモンドのタネを個人輸入して実生で育てるというのが現実的だが、それですら簡単ではなさそうである。でも「マロンプロジェクト」ならぬ「南薩のアーモンドプロジェクト」ができたら面白い。いい知恵があったらお貸し願いたい。
かつてカンキツが植えられ、この5〜6年ほど耕作がされていなかった所を借りることができた。既に果樹は枯れるか弱るか切られるかしているし、セイタカアワダチソウが人の背より伸びているが、逆に自由に植栽計画を考える楽しみもある。
というわけで、以前から注目しているオリーブと、思いつきのような話だがアーモンドを植えられないか検討している。
アーモンドというとどういう樹なのか全く見当がつかない人がほとんどと思うが、アーモンドはモモの仲間で日光と乾燥を好み、栽培適地がカンキツと似ている。世界的に有名なアーモンドの産地にはカリフォルニア、スペイン、そしてイタリアのシチリア島があり、これら全てがオレンジの名産地であることを考えると、同じくカンキツの産地である南薩でもアーモンド栽培ができるのではないか、と期待させられる。
ちなみに、一般的なアーモンドのイメージは「チョコの中に入っているもの」「おつまみのナッツ」あたりだろうが、アーモンドは紀元前から地中海沿岸では大変重要な作物とされており、お菓子や料理の材料として必要不可欠なものだ。地中海のアーモンドは日本に輸入されている米国産の大量生産品と比べ格段に美味しいと言われ、イタリア料理においては主役級の役割を果たす。
そこでアーモンド栽培に取り組んでみたいと思い、苗木を探しているのだが、これが全く見つからない。趣味の園芸用の苗木はインターネットで売っているが、品種の明らかなものはほとんどなく、品種が明示されているものも「ダベイ」という品種のものしかない。ダベイはかつて米国で栽培されたが不振で放棄された過去の品種であり、これを今さら経済生産するのは理に適わない。いろいろ調べてみると、どうやら、日本には現在世界の主要品種のアーモンドは入ってきていないようだ。
私が是非とも手に入れたいと思っているのは、「アーモンドの女王」と呼ばれるスペインの主要品種「マルコナ」か、シチリアの主要品種である「パルマ/ギルジェンティ」種である。これらが日本の湿潤な気候に耐えうるのかはよく分からないが、少し調べてみるとこれらにはめちゃくちゃ美味しそうな雰囲気があり、食べてみたいと思わされる。できるならこういう美味しそうなやつを育ててみたいのが人情だ。
しかしこういった品種の苗は日本には見当たらない。というのは、周知の通り日本ではアーモンドが経済生産されていないので、これらを輸入しようという奇特な人がいないためだろう。というのも、植物検疫の関係で、アーモンドを輸入するのはかなり手間がかかるからだ。植物検疫というのは、世界的な病害虫の蔓延を防ぐためにある種の植物については輸入に大変気を使うという仕組みである。アーモンドのような果樹については、海外から取り寄せる場合は1年間も隔離栽培を行って、病害虫に冒されていないことを確認した上でないと輸入できないのである。
1年間も特別のビニールハウスで隔離しなくてはならないというのはかなりのコストなので、これを誰もやりたがらないのは当然だ。そのため、日本で今流通しているアーモンドの苗というのは、かなり昔に米国からアーモンドを導入しようとした時に輸入した苗の子孫なのではないかと思われる。果樹を輸入するというのは大変なのだ。
こういう事情から、果樹の世界というのは、意外にグローバルではない。野菜や穀物は結構品種がグローバル化しているのだが、果樹の場合は輸出入が簡単でないために各国で独自の品種改良が行われており、いい意味でも悪い意味でもガラパゴス化しているわけだ。
例えばイタリアは世界的な栗の名産地で、日本でも「イタリア産の栗」といえば栗の中でも美味しいものと考えられているが、イタリアの栗の品種(例えばピエモンテ)は日本にはこれまで入ってきていなかった。日本でも栗の栽培は盛んなのに、植物検疫が面倒だからピエモンテ栗を日本に導入しようという人がいなかったのである。最近、熊本の方がピエモンテ栗を輸入し、日本でも栽培する「マロンプロジェクト」という取組をやっているが、こうした例は稀有であり、輸入に手間がかかる上に気候風土が合わないリスクもある海外の品種を敢えて手に入れようとする人はほとんどいない。
だが、一度やってみたいと思うとやってみずにはおれない性分なので、是非とも地中海のアーモンドの品種を導入したい。何かよい方法があればいいのだが、今のところ良案が浮かばない。苗ではなくタネの場合は検疫が免除される(場合がある)ので、アーモンドのタネを個人輸入して実生で育てるというのが現実的だが、それですら簡単ではなさそうである。でも「マロンプロジェクト」ならぬ「南薩のアーモンドプロジェクト」ができたら面白い。いい知恵があったらお貸し願いたい。
2013年7月12日金曜日
日本かぼちゃ界の最高峰 vs 加世田のかぼちゃ
「栗マロンかぼちゃ」という、なんだかとても重複感のある名前を持つブランドかぼちゃをご存じだろうか?
これは、1個2000円程度、(基本的には通販でしか売っていないようなので)送料を含めると1個3千円近くという、かぼちゃとしては相当高額なブランド品、私の知る限りでは日本かぼちゃ界の最高峰である。
私は、一応「加世田のかぼちゃ」を暫くは作っていこうと思っているわけだが、実際のところ「加世田のかぼちゃ」がどれくらい美味しいのかということに疑問を抱き、この最高峰のかぼちゃを取り寄せて食べ比べてみることにした。というのも、確かに「加世田のかぼちゃ」は大変美味しいかぼちゃだと思うが、井の中の蛙なのかもしれない、とも思うからである。大体、かぼちゃなんて真面目に食べ比べしたことがない。
で、結果だが、確かに「栗マロンかぼちゃ」の方が美味い。が、その差は思ったほど大きくない、と思った。
シンプルな料理で比べた方がよいということで、「栗マロンかぼちゃ」を切ってオーブンで蒸し焼きにしてみたが、オーブンから出した時に広がる蜜のような甘い香りがすごい。これは「加世田のかぼちゃ」にはなく、まるでメープルシロップの香りのような、お菓子のような香りで、とてもかぼちゃとは思えない。
だが、味や食感は、まあこういう言い方をしてしまうと実も蓋もないが、所詮はかぼちゃである。「まさか、こんなかぼちゃが存在するなんて…!」というような驚きを期待していた方が悪いのかもしれない。かぼちゃとしては文句なく大変美味しいけれども、1個2000円以上という値段に見合った味なのかどうかはよく分からない。というか、「加世田のかぼちゃ」の最良のものの味と、だいたい同じくらいだと思う。
しかし、決定的に違うものがある。パッケージとパンフレットである。たかがかぼちゃのくせに、フルーツキャップでくるまれ冷蔵便で配達される上、WEBで説明していることも含めて、「栗マロンかぼちゃ」がいかに手間がかかり、いかに美味しいのか、また熟度の見極め方と言ったようなことが数ページにわたって書かれたパンフレットが同封されている。高級フルーツでも、ここまでやっているのは少ないと思う。
ちなみに、「栗マロンかぼちゃ」は栽培にやたら手間がかかる、ということなのだが、そこで説明されていることのほとんどは「加世田のかぼちゃ」でもやっていることだ。まあだからこそ大体同じ味になるのだと思うが、こういうブランド化の努力をしたことで、「栗マロンかぼちゃ」と「加世田のかぼちゃ」には(少なくともWEB上の存在感の点では)雲泥の差がついている。
産地や小売りにはそれぞれの思惑があるので、どちらが正しい戦略なのかは分からないが、日本かぼちゃ界の最高峰とそれなりに比べられる美味しさを持ちながら、「加世田のかぼちゃ」が一般的にはほぼ無名なのはもったいない。手間がかかる割には儲けが薄いということで生産が漸減しつづけている「加世田のかぼちゃ」だが、そのポテンシャルは決して低くはないと再確認した次第である。
これは、1個2000円程度、(基本的には通販でしか売っていないようなので)送料を含めると1個3千円近くという、かぼちゃとしては相当高額なブランド品、私の知る限りでは日本かぼちゃ界の最高峰である。
私は、一応「加世田のかぼちゃ」を暫くは作っていこうと思っているわけだが、実際のところ「加世田のかぼちゃ」がどれくらい美味しいのかということに疑問を抱き、この最高峰のかぼちゃを取り寄せて食べ比べてみることにした。というのも、確かに「加世田のかぼちゃ」は大変美味しいかぼちゃだと思うが、井の中の蛙なのかもしれない、とも思うからである。大体、かぼちゃなんて真面目に食べ比べしたことがない。
で、結果だが、確かに「栗マロンかぼちゃ」の方が美味い。が、その差は思ったほど大きくない、と思った。
シンプルな料理で比べた方がよいということで、「栗マロンかぼちゃ」を切ってオーブンで蒸し焼きにしてみたが、オーブンから出した時に広がる蜜のような甘い香りがすごい。これは「加世田のかぼちゃ」にはなく、まるでメープルシロップの香りのような、お菓子のような香りで、とてもかぼちゃとは思えない。
だが、味や食感は、まあこういう言い方をしてしまうと実も蓋もないが、所詮はかぼちゃである。「まさか、こんなかぼちゃが存在するなんて…!」というような驚きを期待していた方が悪いのかもしれない。かぼちゃとしては文句なく大変美味しいけれども、1個2000円以上という値段に見合った味なのかどうかはよく分からない。というか、「加世田のかぼちゃ」の最良のものの味と、だいたい同じくらいだと思う。
しかし、決定的に違うものがある。パッケージとパンフレットである。たかがかぼちゃのくせに、フルーツキャップでくるまれ冷蔵便で配達される上、WEBで説明していることも含めて、「栗マロンかぼちゃ」がいかに手間がかかり、いかに美味しいのか、また熟度の見極め方と言ったようなことが数ページにわたって書かれたパンフレットが同封されている。高級フルーツでも、ここまでやっているのは少ないと思う。
ちなみに、「栗マロンかぼちゃ」は栽培にやたら手間がかかる、ということなのだが、そこで説明されていることのほとんどは「加世田のかぼちゃ」でもやっていることだ。まあだからこそ大体同じ味になるのだと思うが、こういうブランド化の努力をしたことで、「栗マロンかぼちゃ」と「加世田のかぼちゃ」には(少なくともWEB上の存在感の点では)雲泥の差がついている。
産地や小売りにはそれぞれの思惑があるので、どちらが正しい戦略なのかは分からないが、日本かぼちゃ界の最高峰とそれなりに比べられる美味しさを持ちながら、「加世田のかぼちゃ」が一般的にはほぼ無名なのはもったいない。手間がかかる割には儲けが薄いということで生産が漸減しつづけている「加世田のかぼちゃ」だが、そのポテンシャルは決して低くはないと再確認した次第である。
2013年6月9日日曜日
笠沙恵比寿の「たかえびバーガー」
先日、笠沙恵比寿に「たかえびバーガー」を食べに行った。
このためだけに行ったのだが、レストランに着くと「たかえびバーガーはカフェタイム(14時〜)にしかやっていないんですよ〜」とかで出鼻を挫かれた。だが「そこをなんとか!」と頼んだら出てきた。ごねてみるもんである。
そもそも初めて知ったが、笠沙恵比寿のレストランは昼と夜は「秋太郎」、カフェタイムは「海音呼(うみねこ)」と名前が変わり、たかえびバーガーはこの「海音呼」の方のメニューらしい。どうしてこういうわかりにくいシステムにしているのだろう…。出世魚みたいだ。
さて、期待のその味だが…、あれ、思ったほどでもない。美味いか不味いかで言うと美味いし、B級グルメとしてはよくできているが、私はB級グルメには興味がなく、むしろグルメが食べたいのである。
具体的に言うと、まずバンズにフレッシュさがなく見た目がよくない。食べてみると見た目ほど気にはならなかったが、焼きたてのパンのような弾力と香ばしさが欲しい。次にタカエビで出来たパティ(?)だが、一般的なエビバーガーのそれよりもエビの味が強く出ていて、その点はいいと思った。だがフライに使用している油がよくないのか、口当たりが雑な感じがして少し油っぽい。サクッとカリッと揚げつつ、中はジューシーなエビがたっぷり、というのが理想だろう。
全体的な評価としては、「ジャンクフードとしては素晴らしいが、皿に盛りつけられると少し物足りない」だろうか。期待して行っただけに正直残念である。だが、タカエビ丼みたいな料理より、こっちの方が若い人には受けるんではないかとも思う。タカエビ丼も美味しいけれど、海鮮が美味い地域には似たようなものがたくさんある。
それに私の思い込みかもしれないが、漁港には「海鮮は生で食べるのが一番。新鮮だから生でも美味しい」みたいな先入観があると思う。しかし一般消費者は特に生の海鮮にこだわりはないのではないか。刺身だから有り難いというのは、冷蔵技術が未熟だった過去の話だろう。今ではむしろ、ご当地グルメにはその食材の可能性を最大限に生かす調理法が求められていて、「新鮮な海鮮丼が食えるよ!」というだけではウリとして弱い。
だから、自分自身厳しい評価をしておいてなんだが、笠沙恵比寿が「たかえびバーガー」を何も広報せず、知る人ぞ知る、というかほとんど知っている人がいないメニューになっているのはもったいないと思う。もしかしたら利益率が低い商品だとか、何か裏事情があるのかもしれないが、積極的にお知らせして、いろんな人に食べてもらったらよいと思う。海鮮丼より随分安いし、気軽に食べられてそこそこ美味しいので、カフェタイムに笠沙恵比寿に来たら一度は注文すべきメニューと思う。というか昼もやってください。
このためだけに行ったのだが、レストランに着くと「たかえびバーガーはカフェタイム(14時〜)にしかやっていないんですよ〜」とかで出鼻を挫かれた。だが「そこをなんとか!」と頼んだら出てきた。ごねてみるもんである。
そもそも初めて知ったが、笠沙恵比寿のレストランは昼と夜は「秋太郎」、カフェタイムは「海音呼(うみねこ)」と名前が変わり、たかえびバーガーはこの「海音呼」の方のメニューらしい。どうしてこういうわかりにくいシステムにしているのだろう…。出世魚みたいだ。
さて、期待のその味だが…、あれ、思ったほどでもない。美味いか不味いかで言うと美味いし、B級グルメとしてはよくできているが、私はB級グルメには興味がなく、むしろグルメが食べたいのである。
具体的に言うと、まずバンズにフレッシュさがなく見た目がよくない。食べてみると見た目ほど気にはならなかったが、焼きたてのパンのような弾力と香ばしさが欲しい。次にタカエビで出来たパティ(?)だが、一般的なエビバーガーのそれよりもエビの味が強く出ていて、その点はいいと思った。だがフライに使用している油がよくないのか、口当たりが雑な感じがして少し油っぽい。サクッとカリッと揚げつつ、中はジューシーなエビがたっぷり、というのが理想だろう。
全体的な評価としては、「ジャンクフードとしては素晴らしいが、皿に盛りつけられると少し物足りない」だろうか。期待して行っただけに正直残念である。だが、タカエビ丼みたいな料理より、こっちの方が若い人には受けるんではないかとも思う。タカエビ丼も美味しいけれど、海鮮が美味い地域には似たようなものがたくさんある。
それに私の思い込みかもしれないが、漁港には「海鮮は生で食べるのが一番。新鮮だから生でも美味しい」みたいな先入観があると思う。しかし一般消費者は特に生の海鮮にこだわりはないのではないか。刺身だから有り難いというのは、冷蔵技術が未熟だった過去の話だろう。今ではむしろ、ご当地グルメにはその食材の可能性を最大限に生かす調理法が求められていて、「新鮮な海鮮丼が食えるよ!」というだけではウリとして弱い。
だから、自分自身厳しい評価をしておいてなんだが、笠沙恵比寿が「たかえびバーガー」を何も広報せず、知る人ぞ知る、というかほとんど知っている人がいないメニューになっているのはもったいないと思う。もしかしたら利益率が低い商品だとか、何か裏事情があるのかもしれないが、積極的にお知らせして、いろんな人に食べてもらったらよいと思う。海鮮丼より随分安いし、気軽に食べられてそこそこ美味しいので、カフェタイムに笠沙恵比寿に来たら一度は注文すべきメニューと思う。というか昼もやってください。
2013年6月8日土曜日
別に幻じゃなかった「幻の芋」
冬、唐芋(サツマイモ)農家からおすそわけしてもらった各種のイモの中で、抜群に美味しいイモがあった。
品種を聞いてみると、「栗黄金(くりこがね)」という。あまりに美味しかったので、これまで関心がなかった唐芋栽培にトライしようと思い調べてみると、インターネットではこの栗黄金、「幻の芋」と呼ばれる貴重なイモと書いてある。
このイモを原料として、吹上焼酎が「白銀の露」という焼酎を造っているので、同社のウェブサイトから引用すると、
そんなわけで、まずこの苗の入手をどうしようかと思案していた折、地元の物産館「にいななまる」でこのイモの苗(ツルといった方が正確か)が1本10円で売られていることを発見。早速これを100本購入して定植してみたが、それにしても「幻の芋」のはずなのに、なぜ物産館で苗が安売りされているのだろう…?
くだんの唐芋農家に聞いてみると、実態はインターネットでの情報とは随分違っている。まとめると、
では、抜群に美味しいこのイモが、どうして域外へ出荷されていかないのだろうか? これは推測だが、それは鹿児島の唐芋流通において、これまで美味しさというものがあまり重視されてこなかったからかもしれない。
鹿児島は日本一の唐芋の産地で、これは基幹作物の一つと言えるが、その用途は工業用デンプンや焼酎の原料などがほとんどであり、なんと市場販売(非加工品)は生産量の10%程度に過ぎない。唐芋は米が食えない水吞百姓のための救荒作物、という過去もあって、美味しい食材としてのイメージもなく、もはや家庭で大量に消費するものでもないので、栽培振興をする上では、デンプンとしての利用が進められてきた。県の試験場においても、唐芋の品種改良の主目的は、いかに良質なデンプンを産出するイモを創り出すか、ということにあったのである。
その甲斐あって「こなみずき」のような優れたデンプンを創り出すイモも生まれているが、基本的にはサツマイモデンプンの利用は低迷している。サツマイモデンプンは小麦デンプンやコーンスターチ、バレイショ、タピオカなどといった他の作物のデンプンと比べ中間的な性質を持っていて、悪く言えばこれといった特徴がないため、サツマイモデンプンに適した食材が見当たらないことがその大きな原因だ。
一方で全国に目を向けると、茨城や千葉といった他のサツマイモ産地ではそのほとんどが非加工用であり、鹿児島以外では扱いづらいサツマイモデンプンにこだわっているところは見当たらない。県の試験場での数十年に渉るサツマイモの品種改良とデンプン利用振興の取組も、なかなか実を結んでこなかった、と言えるだろう。やはり、唐芋はあくまで唐芋という食材として生かしていく方がいいのではないだろうか。
食材としての唐芋といえば、鹿児島においても、近年種子島の「安納芋」がブランド化に成功して随分と知名度を上げた。島というハンディキャップのある環境で、イモをより高価格で販売するために敢えて鹿児島全体の傾向と違う「美味しい芋」を目指した結果であろう。これに続けとばかり、南薩でも「知覧紅」がブランド化されているが、この成否はどうだろうか。
こうした傾向を踏まえると、この「栗黄金」も食材として美味しいイモ、というブランド化の可能性があると思う。なにしろ、唐芋農家をして「抜群に美味しい」と言わしめる味を持つ一方で、「幻の芋」とか呼ばれているわけだし、将来性は十分だ。唐芋の栽培は初めてなのでうまく収穫できるかわからないけれども、今年の冬はネットショップでこの「幻の芋」を販売してみたいと思っている。
【参考文献】
「新しいサツマイモでん粉の特性と食品利用への可能性」2013年、時村 金愛(鹿児島県農業開発総合センター 農産加工研究指導センター)
品種を聞いてみると、「栗黄金(くりこがね)」という。あまりに美味しかったので、これまで関心がなかった唐芋栽培にトライしようと思い調べてみると、インターネットではこの栗黄金、「幻の芋」と呼ばれる貴重なイモと書いてある。
このイモを原料として、吹上焼酎が「白銀の露」という焼酎を造っているので、同社のウェブサイトから引用すると、
「栗黄金芋」は生育が難しく、鹿児島でもあまり生産されていない、珍しい芋です。ということである。確かに栗黄金は普通には流通していないようで、苗もインターネットでは10本1000円で売っていた。これは、唐芋の苗としては目玉が飛び出るような高価格である。
一時は途絶えてしまった品種を、うまい焼酎造りの為に復活させたもので、吹上焼酎は“7軒の契約栽培農家” に限って栽培して頂いています。
「栗黄金芋」は一般的な焼酎の原料である黄金千貫などの品種とは違い、澱粉質が上質で香りもよく甘味があって、外見は黄金千貫とさほど変わりません が、輪切りにすると黄色っぽい、夕焼け空のようなきれいな色をしています。畑で生育時、芋の葉の先がエンジ色をしている点も、普通の芋とは違う点です。
そんなわけで、まずこの苗の入手をどうしようかと思案していた折、地元の物産館「にいななまる」でこのイモの苗(ツルといった方が正確か)が1本10円で売られていることを発見。早速これを100本購入して定植してみたが、それにしても「幻の芋」のはずなのに、なぜ物産館で苗が安売りされているのだろう…?
くだんの唐芋農家に聞いてみると、実態はインターネットでの情報とは随分違っている。まとめると、
- 栗黄金の栽培は別に難しくない。というか、唐芋は全部同じ。
- 確かに昔からあるものではないが、20年か15年くらい前から作っている。
- 物産館などで売っている。
- いろいろな品種を作っているけど、味は抜群。
では、抜群に美味しいこのイモが、どうして域外へ出荷されていかないのだろうか? これは推測だが、それは鹿児島の唐芋流通において、これまで美味しさというものがあまり重視されてこなかったからかもしれない。
鹿児島は日本一の唐芋の産地で、これは基幹作物の一つと言えるが、その用途は工業用デンプンや焼酎の原料などがほとんどであり、なんと市場販売(非加工品)は生産量の10%程度に過ぎない。唐芋は米が食えない水吞百姓のための救荒作物、という過去もあって、美味しい食材としてのイメージもなく、もはや家庭で大量に消費するものでもないので、栽培振興をする上では、デンプンとしての利用が進められてきた。県の試験場においても、唐芋の品種改良の主目的は、いかに良質なデンプンを産出するイモを創り出すか、ということにあったのである。
その甲斐あって「こなみずき」のような優れたデンプンを創り出すイモも生まれているが、基本的にはサツマイモデンプンの利用は低迷している。サツマイモデンプンは小麦デンプンやコーンスターチ、バレイショ、タピオカなどといった他の作物のデンプンと比べ中間的な性質を持っていて、悪く言えばこれといった特徴がないため、サツマイモデンプンに適した食材が見当たらないことがその大きな原因だ。
一方で全国に目を向けると、茨城や千葉といった他のサツマイモ産地ではそのほとんどが非加工用であり、鹿児島以外では扱いづらいサツマイモデンプンにこだわっているところは見当たらない。県の試験場での数十年に渉るサツマイモの品種改良とデンプン利用振興の取組も、なかなか実を結んでこなかった、と言えるだろう。やはり、唐芋はあくまで唐芋という食材として生かしていく方がいいのではないだろうか。
食材としての唐芋といえば、鹿児島においても、近年種子島の「安納芋」がブランド化に成功して随分と知名度を上げた。島というハンディキャップのある環境で、イモをより高価格で販売するために敢えて鹿児島全体の傾向と違う「美味しい芋」を目指した結果であろう。これに続けとばかり、南薩でも「知覧紅」がブランド化されているが、この成否はどうだろうか。
こうした傾向を踏まえると、この「栗黄金」も食材として美味しいイモ、というブランド化の可能性があると思う。なにしろ、唐芋農家をして「抜群に美味しい」と言わしめる味を持つ一方で、「幻の芋」とか呼ばれているわけだし、将来性は十分だ。唐芋の栽培は初めてなのでうまく収穫できるかわからないけれども、今年の冬はネットショップでこの「幻の芋」を販売してみたいと思っている。
【参考文献】
「新しいサツマイモでん粉の特性と食品利用への可能性」2013年、時村 金愛(鹿児島県農業開発総合センター 農産加工研究指導センター)
2013年6月1日土曜日
かぼちゃ農家の誕生日ケーキ
先日迎えた誕生日で家内(と長女)が作ってくれたのはかぼちゃのケーキだった。
中にもフルーツ等は入っておらず、かぼちゃペーストが塗ってある。まさにかぼちゃづくし。たぶん、こんな(無骨な?)ケーキはなかなかないだろう。
うちのかぼちゃはもの凄く美味いというわけではないが、一応「加世田かぼちゃ」の末席を汚している存在であり、こうしてお菓子などを作るのには適している。また、どうしてかは分からないが、かぼちゃは油脂との相性がよく、ホイップクリームと一緒に食べるのは最高だ。ホイップクリームとかぼちゃというコンボには未だ開拓されていない大きな可能性がありそうだ。
さて、今年初めて先輩農家Kさんの支援を得てビニールハウスでかぼちゃを栽培してみたわけだが、この機会にその反省をしておきたいと思う。
第1に、二番果まで採ることができないかと芯止めをしなかったが(※)、やはり管理スペースが狭く、また樹勢維持も難しかったのでこの試みは失敗に終わった。何事もやってみなくてはわからないので、勉強にはなったが、無理せず一ツルに一果でよかったと思う。
第2に、追肥が足りなかった。ちょうど一番果が着く頃にやたらと樹勢がよかったので、もう少し抑え気味な方がいいくらいではないかと思って油断していたが、終盤にはかなり弱った。かぼちゃの場合、細く長く肥効が続くような管理をすべきで、ケチらずにこまめに液肥などを使用した方がよかった。
第3に、とはいうものの、ほぼ想定通りの収穫があったのはよかった。やや小さめな玉が多いような気もしたが、出荷できないような規格外の小玉は少なかった。
収穫されたかぼちゃはほぼ全量を農協に出荷し、2kg±100gの秀品だけを確保して「南薩の田舎暮らし」での販売に向けた。1個1200円ということで、かぼちゃとしては高額だが、農協への卸価格から計算すると生産農家ですら1個1000円以上で売らないと利益が出ない。ということは、(実見したことはないが)実際の小売りでもこの程度の価格で売っていると思われるので、ほぼ市場価格のはずである。
だが正直、この価格で買ってくれる人がいるのだろうか? と心配だったが、今日、なんと宮崎の都城から人が来て、「おたくのかぼちゃをうちのインターネットショッピングモールで販売しませんか」という話を持ってきた。話をよく聞いてみるとシステム利用料の負担が通年で生じるのでお断りしたが、よくぞこんな零細企業のネットショップを見つけてわざわざ都城から足を運んだものだと感心した。
ここは日本の端っこなので、かなり特徴的なものを作っていかなくてはインターネット販売で利益を出していくのは難しい。そういう観点からは、やたら大きくて扱いにくく、ギフトにもならない「高級かぼちゃ」という、残念感がある難しい商材は逆に将来性があると見ている。というのも、大手は誰もこれで利益を出していこうとは思わないだろうから。
※ 「加世田のかぼちゃ」では基本的には一ツルに一つのかぼちゃを着けるので、かぼちゃの実が着いたらツルの先を折り取ってそれ以上ツルが伸びないようにする。今回その作業をせずにツルを伸ばしてみたが、当然ながらツルが伸びるためには栄養が必要になるので、それで後半の樹勢が落ちたのだと思う。
中にもフルーツ等は入っておらず、かぼちゃペーストが塗ってある。まさにかぼちゃづくし。たぶん、こんな(無骨な?)ケーキはなかなかないだろう。
うちのかぼちゃはもの凄く美味いというわけではないが、一応「加世田かぼちゃ」の末席を汚している存在であり、こうしてお菓子などを作るのには適している。また、どうしてかは分からないが、かぼちゃは油脂との相性がよく、ホイップクリームと一緒に食べるのは最高だ。ホイップクリームとかぼちゃというコンボには未だ開拓されていない大きな可能性がありそうだ。
さて、今年初めて先輩農家Kさんの支援を得てビニールハウスでかぼちゃを栽培してみたわけだが、この機会にその反省をしておきたいと思う。
第1に、二番果まで採ることができないかと芯止めをしなかったが(※)、やはり管理スペースが狭く、また樹勢維持も難しかったのでこの試みは失敗に終わった。何事もやってみなくてはわからないので、勉強にはなったが、無理せず一ツルに一果でよかったと思う。
第2に、追肥が足りなかった。ちょうど一番果が着く頃にやたらと樹勢がよかったので、もう少し抑え気味な方がいいくらいではないかと思って油断していたが、終盤にはかなり弱った。かぼちゃの場合、細く長く肥効が続くような管理をすべきで、ケチらずにこまめに液肥などを使用した方がよかった。
第3に、とはいうものの、ほぼ想定通りの収穫があったのはよかった。やや小さめな玉が多いような気もしたが、出荷できないような規格外の小玉は少なかった。
収穫されたかぼちゃはほぼ全量を農協に出荷し、2kg±100gの秀品だけを確保して「南薩の田舎暮らし」での販売に向けた。1個1200円ということで、かぼちゃとしては高額だが、農協への卸価格から計算すると生産農家ですら1個1000円以上で売らないと利益が出ない。ということは、(実見したことはないが)実際の小売りでもこの程度の価格で売っていると思われるので、ほぼ市場価格のはずである。
だが正直、この価格で買ってくれる人がいるのだろうか? と心配だったが、今日、なんと宮崎の都城から人が来て、「おたくのかぼちゃをうちのインターネットショッピングモールで販売しませんか」という話を持ってきた。話をよく聞いてみるとシステム利用料の負担が通年で生じるのでお断りしたが、よくぞこんな零細企業のネットショップを見つけてわざわざ都城から足を運んだものだと感心した。
ここは日本の端っこなので、かなり特徴的なものを作っていかなくてはインターネット販売で利益を出していくのは難しい。そういう観点からは、やたら大きくて扱いにくく、ギフトにもならない「高級かぼちゃ」という、残念感がある難しい商材は逆に将来性があると見ている。というのも、大手は誰もこれで利益を出していこうとは思わないだろうから。
※ 「加世田のかぼちゃ」では基本的には一ツルに一つのかぼちゃを着けるので、かぼちゃの実が着いたらツルの先を折り取ってそれ以上ツルが伸びないようにする。今回その作業をせずにツルを伸ばしてみたが、当然ながらツルが伸びるためには栄養が必要になるので、それで後半の樹勢が落ちたのだと思う。
2013年5月22日水曜日
英国王室御用達のジャムを食す
近いうちに農産物の加工施設を作ることにしているので、いろいろな加工品を試し食いしている。
商品として「タンカンと金柑のジャム」というのを検討中なのだが、 これがカンキツのジャムとしてどの程度のものなのか検証するため、というより単に食べたかったのでFrank Cooper's "Oxford" Original Marmalade(オックスフォード・マーマレード)を取り寄せてみた。
これは日本ではあまりメジャーではないが、マーマレードの本場英国において、英国王室御用達の勅許を持っているという、なんとも格の高い商品である。
だが食べてみると、む…ニガ酸っぱい。日本の一般的マーマレードと違って色はほとんど黒く、オレンジピールも分厚い。なんだか無骨な感じがする。正直、「これが英国王室御用達…?」という感想を抱いた。
しかし何回か食べるうち、その魅力が分かってきた。ものすごく美味しいという気はしないのに、とても独特な味をしているので記憶に残り、食べ慣れてみると最初そう思ったほど無骨でもなく深みがある。これに慣れると、なんだか他のマーマレードでは物足りないと思うほどだ。これは、マーマレードではなく、オックスフォード・マーマレードという独自のジャンルを作っているのかもしれない。
これを食べてみて思ったのは、愛される商品というのは、完成度が高いだけではダメだということだ。卑近な例で恐縮だが、AKB48でもセンターになるのは美人ではなく個性のある顔の女の子だ。全員に愛されなくとも、それを気に入ってくれる人には熱狂的に愛される、というような個性は強い。
検討中の「タンカンと金柑のジャム」がそういう個性を持っているか、というと、それは心許ない。爽やかな酸味と甘味のバランスがよく、とても美味しいジャムだと思うが、やはり英国王室御用達と比べるとその格の違いは明らかだ。ジャム単体で食べるとうちのジャムの方が美味いくらいなのだが、食というのは複雑である。
商品として「タンカンと金柑のジャム」というのを検討中なのだが、 これがカンキツのジャムとしてどの程度のものなのか検証するため、というより単に食べたかったのでFrank Cooper's "Oxford" Original Marmalade(オックスフォード・マーマレード)を取り寄せてみた。
これは日本ではあまりメジャーではないが、マーマレードの本場英国において、英国王室御用達の勅許を持っているという、なんとも格の高い商品である。
だが食べてみると、む…ニガ酸っぱい。日本の一般的マーマレードと違って色はほとんど黒く、オレンジピールも分厚い。なんだか無骨な感じがする。正直、「これが英国王室御用達…?」という感想を抱いた。
しかし何回か食べるうち、その魅力が分かってきた。ものすごく美味しいという気はしないのに、とても独特な味をしているので記憶に残り、食べ慣れてみると最初そう思ったほど無骨でもなく深みがある。これに慣れると、なんだか他のマーマレードでは物足りないと思うほどだ。これは、マーマレードではなく、オックスフォード・マーマレードという独自のジャンルを作っているのかもしれない。
これを食べてみて思ったのは、愛される商品というのは、完成度が高いだけではダメだということだ。卑近な例で恐縮だが、AKB48でもセンターになるのは美人ではなく個性のある顔の女の子だ。全員に愛されなくとも、それを気に入ってくれる人には熱狂的に愛される、というような個性は強い。
検討中の「タンカンと金柑のジャム」がそういう個性を持っているか、というと、それは心許ない。爽やかな酸味と甘味のバランスがよく、とても美味しいジャムだと思うが、やはり英国王室御用達と比べるとその格の違いは明らかだ。ジャム単体で食べるとうちのジャムの方が美味いくらいなのだが、食というのは複雑である。
2013年5月7日火曜日
ソラマメとイタリア
家庭菜園で作っているソラマメが収穫を迎え、連日こればかり食べている。旬だからとてもうまい。
やはり一番はそのままグリルすることなのだが、IHクッキングヒーターの場合は火力が足りないのかやや焼きが不十分のようだ。強い火力で一気に焼くのが美味しいと思う。
ところで、私にとってはソラマメというと鹿児島のイメージが濃い。事実、鹿児島はソラマメの生産量が日本一で、国内生産量の約30%を占める。特に晩冬から春先の出だしは市場に出回るソラマメのほとんどは鹿児島県産であり、また県内産地の中心が南薩であることから(そういうイメージは浸透していないが)南薩の特産品といえるだろう。
というわけで私にはソラマメ=鹿児島の田舎、という先入観があったのだが、 最近、ソラマメは北アフリカもしくは西アジア原産の、地中海沿岸が産地の野菜であることを知った。世界的な産地はアルジェリア、中国、モロッコ、スペイン、ペルー、ボリビア、イタリアと続く。中でもソラマメに対するイタリア人の思い入れはひとしおと思われるので、少し紹介したい。
ローマでは5月1日にペコリーノ・ロマーノという羊乳のチーズとともにソラマメを食べる習慣があるし(大変美味しそうである)、イタリアではソラマメの播種は伝統的に万霊節(11月2日)に行われるが、この日にはソラマメを模したお菓子である「Fave dei morti(死者のソラマメ)」をわざわざ作る。
「死者のソラマメ」という珍妙な名前を敢えてつけているのは、いわゆる「memento mori(死を思え)」を意識しているのかもしれない。 古代ローマ時代から、どうしてかソラマメは死者を追悼する食べ物でもあったらしく、日本でいうとお盆にあたる万霊節でソラマメ型の菓子がお供えされるのはその象徴だろう。
また、かつてシチリアで大飢饉があったとき、ソラマメだけは収穫できて人々が命を繋いだことから、シチリアではソラマメに大いに感謝してサン・ジュゼッペの日(聖ヨセフの日=3月19日、日本で言う父の日に当たる)の飾り付けには、ソラマメを模したパンも登場するとか。
おそらくソラマメが飢饉から人々をたびたび救ったということから、イタリアではソラマメは幸運のシンボルと見なされているらしく、ソラマメをモチーフにした飾り付けやアクセサリーなどもあると聞く。
さらに、眉唾ものではあるが、ローマ時代、人々はソラマメを主食にしていたともいう。人類史において、ソラマメ栽培の歴史は4000年以上もあるようで、主食だったというのは大げさにしても、栄養豊富なこの野菜は古来重要な食物だったことは間違いない。
ところで、私はソラマメのような痛みの早い食べ物が主食になるわけがないと思っていたのだが、確認してみると、イタリアなどでも短い旬の時期以外は乾燥ソラマメが食べられている。いわば、大豆のようにカラカラに乾燥させたソラマメを保存食としていたのであって、昔はこれが年中食べられていたのだろう。「Fave dei morti」も乾燥ソラマメに似せてあるように見える。
日本でこの乾燥ソラマメがほとんど消費されていない理由はよく分からないが、せっかくなので家庭菜園のソラマメも一部乾燥させて、乾燥ソラマメを作ってみたいと思う。だいたいのものは新鮮なうちに食べた方がうまいし、そもそもイタリアと日本で栽培されている空豆は品種が違うようなのでうまくできるか分からないが、今夏は地中海風ソラマメを食べてみよう。
【参考】
"Celebrating Fava Beans" イタリアにおけるソラマメの扱いがよく纏まっている。最後に出てくるソラマメのピューレが美味しそう。
やはり一番はそのままグリルすることなのだが、IHクッキングヒーターの場合は火力が足りないのかやや焼きが不十分のようだ。強い火力で一気に焼くのが美味しいと思う。
ところで、私にとってはソラマメというと鹿児島のイメージが濃い。事実、鹿児島はソラマメの生産量が日本一で、国内生産量の約30%を占める。特に晩冬から春先の出だしは市場に出回るソラマメのほとんどは鹿児島県産であり、また県内産地の中心が南薩であることから(そういうイメージは浸透していないが)南薩の特産品といえるだろう。
というわけで私にはソラマメ=鹿児島の田舎、という先入観があったのだが、 最近、ソラマメは北アフリカもしくは西アジア原産の、地中海沿岸が産地の野菜であることを知った。世界的な産地はアルジェリア、中国、モロッコ、スペイン、ペルー、ボリビア、イタリアと続く。中でもソラマメに対するイタリア人の思い入れはひとしおと思われるので、少し紹介したい。
ローマでは5月1日にペコリーノ・ロマーノという羊乳のチーズとともにソラマメを食べる習慣があるし(大変美味しそうである)、イタリアではソラマメの播種は伝統的に万霊節(11月2日)に行われるが、この日にはソラマメを模したお菓子である「Fave dei morti(死者のソラマメ)」をわざわざ作る。
「死者のソラマメ」という珍妙な名前を敢えてつけているのは、いわゆる「memento mori(死を思え)」を意識しているのかもしれない。 古代ローマ時代から、どうしてかソラマメは死者を追悼する食べ物でもあったらしく、日本でいうとお盆にあたる万霊節でソラマメ型の菓子がお供えされるのはその象徴だろう。
また、かつてシチリアで大飢饉があったとき、ソラマメだけは収穫できて人々が命を繋いだことから、シチリアではソラマメに大いに感謝してサン・ジュゼッペの日(聖ヨセフの日=3月19日、日本で言う父の日に当たる)の飾り付けには、ソラマメを模したパンも登場するとか。
おそらくソラマメが飢饉から人々をたびたび救ったということから、イタリアではソラマメは幸運のシンボルと見なされているらしく、ソラマメをモチーフにした飾り付けやアクセサリーなどもあると聞く。
さらに、眉唾ものではあるが、ローマ時代、人々はソラマメを主食にしていたともいう。人類史において、ソラマメ栽培の歴史は4000年以上もあるようで、主食だったというのは大げさにしても、栄養豊富なこの野菜は古来重要な食物だったことは間違いない。
ところで、私はソラマメのような痛みの早い食べ物が主食になるわけがないと思っていたのだが、確認してみると、イタリアなどでも短い旬の時期以外は乾燥ソラマメが食べられている。いわば、大豆のようにカラカラに乾燥させたソラマメを保存食としていたのであって、昔はこれが年中食べられていたのだろう。「Fave dei morti」も乾燥ソラマメに似せてあるように見える。
日本でこの乾燥ソラマメがほとんど消費されていない理由はよく分からないが、せっかくなので家庭菜園のソラマメも一部乾燥させて、乾燥ソラマメを作ってみたいと思う。だいたいのものは新鮮なうちに食べた方がうまいし、そもそもイタリアと日本で栽培されている空豆は品種が違うようなのでうまくできるか分からないが、今夏は地中海風ソラマメを食べてみよう。
【参考】
"Celebrating Fava Beans" イタリアにおけるソラマメの扱いがよく纏まっている。最後に出てくるソラマメのピューレが美味しそう。
2013年3月31日日曜日
ボタンボウフウ=長命草の栽培振興
長命草ことボタンボウフウが大浦ふるさと館裏の海岸に自生していると聞き見に行ってみた。そこら中に、たくさん生えている。
ボタンボウフウとは、資生堂が錠剤やドリンクにして「長命草」の名で商品化しているが、ポリフェノールを始めとして各種の栄養成分に富むということで、近年注目されている沖縄や離島の健康野菜である。
南さつま市では2012年度に「畑の学校」を実施したが、この校長を務めた濱田さんという方がこのボタンボウフウに惚れ込んでいた(?)ことを契機として、市民の健康増進などのため、この栽培を広めようとしているようだ。
この植物は寒さには弱いが、もともと波に洗われる岩壁など厳しい環境に自生するということで、海岸が近い暖地では栽培は容易である。実際海岸に自然に生えているくらいなので、南さつま市の環境は栽培に適しているのだが、問題は活用法だ。
濱田さんはバナナと牛乳を合わせてジューサーでジュースにして毎朝飲んでいるということだったが、これを実行するのは一部の人だろう。天ぷらにすると結構美味しかったが、相当なキャンペーンをしないと天ぷらの具材として浸透しないと思われる。不味いものではないが特別美味いわけでもなく、料理法にも今のところ幅がないのでサプリメント的に加工して使うのがよいと思うが、言うは易くというやつで実際には商品化は困難だ。
さらには、与那国島のボタンボウフウが資生堂により商品化されていることを始め、他にも屋久島や徳之島、また大手健康食品メーカーでもこれがサプリメントとして商品化されていることを鑑みると、既に商品化は真新しくもなく競争が激しい。やはり本土の強みを活かして、加工しない、生食のボタンボウフウの活用法を切り拓くべきかもしれない。
ともかく、市がどこまで本気なのかは分からないが、せっかく自生までしているという好立地を活かすなら、この利用が商業的に広まることが不可欠で、住民の自給自足的な栽培に期待しても将来の展望がない。その呼び水とするため、今年度市では苗の無料配布を行ったが、認知自体を広げることも必要だ。
例えば、このボタンボウフウはその豊富な栄養成分によって美肌効果が高いらしいが、実際に2ヶ月くらい定期的に食べてもらうことで、肌がどれくらいきれいになるか確かめたり、できればそれを美人コンテストにするなど、まずは話題作りが有効ではないかと思う。それにあたっては、「長命草」などという高齢社会的な雰囲気でなく、「美肌草」くらいのフレッシュなイメージで売っていくのがよいのではないだろうか(※)。
また、ご当地グルメはなぜか最近ファーストフード的ないわゆるB級グルメが多いが、健康的なご当地グルメというのも異色だと思うし、それが美肌にもよいともなれば女性客が見込める。ボタンボウフウの栽培振興にあたって、南さつま市は市民の健康増進のため、という大義名分を掲げていたが、「南さつま市に美人を増やす」というくらいの高遠な目的を掲げてもらいたいものである。
ところで、実は南さつま市でこのボタンボウフウ入りの食品が既に商品化されており、二見屋(味の石燈籠(いずろ))がこれが練り込まれた餃子を販売している(限定品かもしれない)。まだ栽培も始まっていないうちから商品化するあたり、対応が素早い。最近うちでは餃子が食卓に上ることが多いので、餃子のローテーションに加えたいと思う。
※ ググってみたらすでに「美肌草」と呼ばれている草があった(ローズゼラニウム)。
ボタンボウフウとは、資生堂が錠剤やドリンクにして「長命草」の名で商品化しているが、ポリフェノールを始めとして各種の栄養成分に富むということで、近年注目されている沖縄や離島の健康野菜である。
南さつま市では2012年度に「畑の学校」を実施したが、この校長を務めた濱田さんという方がこのボタンボウフウに惚れ込んでいた(?)ことを契機として、市民の健康増進などのため、この栽培を広めようとしているようだ。
この植物は寒さには弱いが、もともと波に洗われる岩壁など厳しい環境に自生するということで、海岸が近い暖地では栽培は容易である。実際海岸に自然に生えているくらいなので、南さつま市の環境は栽培に適しているのだが、問題は活用法だ。
濱田さんはバナナと牛乳を合わせてジューサーでジュースにして毎朝飲んでいるということだったが、これを実行するのは一部の人だろう。天ぷらにすると結構美味しかったが、相当なキャンペーンをしないと天ぷらの具材として浸透しないと思われる。不味いものではないが特別美味いわけでもなく、料理法にも今のところ幅がないのでサプリメント的に加工して使うのがよいと思うが、言うは易くというやつで実際には商品化は困難だ。
さらには、与那国島のボタンボウフウが資生堂により商品化されていることを始め、他にも屋久島や徳之島、また大手健康食品メーカーでもこれがサプリメントとして商品化されていることを鑑みると、既に商品化は真新しくもなく競争が激しい。やはり本土の強みを活かして、加工しない、生食のボタンボウフウの活用法を切り拓くべきかもしれない。
ともかく、市がどこまで本気なのかは分からないが、せっかく自生までしているという好立地を活かすなら、この利用が商業的に広まることが不可欠で、住民の自給自足的な栽培に期待しても将来の展望がない。その呼び水とするため、今年度市では苗の無料配布を行ったが、認知自体を広げることも必要だ。
例えば、このボタンボウフウはその豊富な栄養成分によって美肌効果が高いらしいが、実際に2ヶ月くらい定期的に食べてもらうことで、肌がどれくらいきれいになるか確かめたり、できればそれを美人コンテストにするなど、まずは話題作りが有効ではないかと思う。それにあたっては、「長命草」などという高齢社会的な雰囲気でなく、「美肌草」くらいのフレッシュなイメージで売っていくのがよいのではないだろうか(※)。
また、ご当地グルメはなぜか最近ファーストフード的ないわゆるB級グルメが多いが、健康的なご当地グルメというのも異色だと思うし、それが美肌にもよいともなれば女性客が見込める。ボタンボウフウの栽培振興にあたって、南さつま市は市民の健康増進のため、という大義名分を掲げていたが、「南さつま市に美人を増やす」というくらいの高遠な目的を掲げてもらいたいものである。
ところで、実は南さつま市でこのボタンボウフウ入りの食品が既に商品化されており、二見屋(味の石燈籠(いずろ))がこれが練り込まれた餃子を販売している(限定品かもしれない)。まだ栽培も始まっていないうちから商品化するあたり、対応が素早い。最近うちでは餃子が食卓に上ることが多いので、餃子のローテーションに加えたいと思う。
※ ググってみたらすでに「美肌草」と呼ばれている草があった(ローズゼラニウム)。
2013年3月14日木曜日
カタバミを食べる文化
庭のカタバミ(片喰)が満開である。
当然植えたものではなくて、勝手に生えてきたもの。地下茎で広がっていくので増殖力が強く、いわゆる難防除雑草。
しかしうちの庭の場合、別段何も栽培していないスペース(スモモの樹下)に生えているので特に駆除する必要もない。むしろきれいに花の絨毯ができて有り難いと思っている。
このカタバミ、花も葉も食べることができる草で、葉は噛むと酸っぱくてピリッとした刺激的な味がする。よく「レモンの様な」と形容されるが、風味としてはレモンというより香草のような感じである。使い方も香草と同じく、魚やサラダに合わせると美味いらしい。また、これを5〜10分煮出して砂糖を入れるとレモネードのような飲み物になるという。これはまだ試していないが、いずれやってみたいと思う。
カタバミはビタミンCが豊富だということからか、英語圏やインドでは「食べられる雑草」として認知されているらしく、検索するとけっこうレシピが出てくる。一方、日本ではこれが食べられる草である記述も少ないし、具体的なレシピとなるとほとんど見かけない。 それどころか、カタバミはシュウ酸(蓚酸)を多く含むので食べると体に悪い、などと書いてある。だが実際は、健康に影響するほど大量に食べる草ではないので、それが理由で食べないわけでもないような気がする。
ところでカタバミは五大紋の一つのモチーフでもある。それくらい身近な草であったのに、なぜ日本ではカタバミを食べる文化が発生しなかったのだろうか? 刺激的な香草は日本料理には好まれなかったから、というのがありそうなことだ。だがそうだとすると、家庭料理もかなり洋食化しているので、もしかするとカタバミが普通の食卓に上る日も近いのかもしれない(既にレストランなどでは香草として使っているところがあるようだが、どうやって調達しているのだろう?)。
当然植えたものではなくて、勝手に生えてきたもの。地下茎で広がっていくので増殖力が強く、いわゆる難防除雑草。
しかしうちの庭の場合、別段何も栽培していないスペース(スモモの樹下)に生えているので特に駆除する必要もない。むしろきれいに花の絨毯ができて有り難いと思っている。
このカタバミ、花も葉も食べることができる草で、葉は噛むと酸っぱくてピリッとした刺激的な味がする。よく「レモンの様な」と形容されるが、風味としてはレモンというより香草のような感じである。使い方も香草と同じく、魚やサラダに合わせると美味いらしい。また、これを5〜10分煮出して砂糖を入れるとレモネードのような飲み物になるという。これはまだ試していないが、いずれやってみたいと思う。
カタバミはビタミンCが豊富だということからか、英語圏やインドでは「食べられる雑草」として認知されているらしく、検索するとけっこうレシピが出てくる。一方、日本ではこれが食べられる草である記述も少ないし、具体的なレシピとなるとほとんど見かけない。 それどころか、カタバミはシュウ酸(蓚酸)を多く含むので食べると体に悪い、などと書いてある。だが実際は、健康に影響するほど大量に食べる草ではないので、それが理由で食べないわけでもないような気がする。
ところでカタバミは五大紋の一つのモチーフでもある。それくらい身近な草であったのに、なぜ日本ではカタバミを食べる文化が発生しなかったのだろうか? 刺激的な香草は日本料理には好まれなかったから、というのがありそうなことだ。だがそうだとすると、家庭料理もかなり洋食化しているので、もしかするとカタバミが普通の食卓に上る日も近いのかもしれない(既にレストランなどでは香草として使っているところがあるようだが、どうやって調達しているのだろう?)。
2013年2月27日水曜日
芋焼酎は柑橘の香り
私はあまりお酒が飲めないので焼酎を飲まないが、先日面白い話題を見つけたので紹介する。
本格焼酎というと、水以外の成分はほとんどエタノールで、それ以外の成分は約0.2%しか含まれていない。 そして蒸留酒なので当たり前だが、全ての成分が揮発性のものであり、厳密な意味での(エタノール以外の)味覚成分は含まれていない。
では焼酎の味は何かというと、その0.2%の中の香り成分にある。つまり、焼酎の味というのは、科学的には(舌で感じる)味ではなく香りのことなのである。これは蒸留酒一般に言えることであるが、アルコールのテイスティングを生業とする方が、実際に飲むことなく香りだけで判断することがあるのは、理に適ったことなのだ。
さて、その0.2%の成分とは具体的には何かというと、高級アルコール類、脂肪酸エステル類、有機酸、ミネラルなどだが、ここに香りを形作る微量香気成分が含まれる。焼酎の銘柄は数多いが、この0.2%の中の非常に微妙な成分の違いが銘柄の違いになるわけだ。
というわけで、焼酎の「味」を作る微量香気成分だが、例えばネロール、リナロール、α-テルピネオール、シトロネオールといったモノテルペンアルコール類、そしてβ-ダマセノンといった物質らしい。とはいっても、私自身門外漢なのでこれらの物質それぞれについて特性を知っているわけではない。
だが、ネロール等のモノテルペンアルコール類というのは、実は柑橘や花に含まれている物質なのである。柑橘特有の爽やかな香気の成分はこれらなのだが、焼酎の香りのかなりの部分がこれらの香りなのだ。少し大げさに言えば、芋焼酎は柑橘的なお酒であると言えるだろう。ちなみに焼酎の甘さを作っているのはβ-ダマセノンである(これは柑橘系ではない)。
しかしこれらの柑橘的な香気成分、どこから来たのだろうか? サツマ芋は柑橘的な香りがしないし、事実芋にはこれらの香りは含まれていない。これが面白いところだが、実はサツマ芋の中では、モノテルペンアルコール類が配糖体(つまりグルコシドと結合している)の形で存在していて不揮発性なため香りにならないのである。
これらモノテルペン配糖体が醸造の過程で分解され、揮発性のアルコール成分となることによって焼酎の香りが形作られる(※)。ということは、焼酎の香りを「芋の香り」と形容することがあるが、芋そのものの香りが焼酎の香りになるわけではなく、芋に内在していた香りの元が麹菌によって顕在化させられて焼酎の香りになるということだ。
ついでに言うとこれら香気成分はアロマテラピーなどでも使用されるものらしくリラックス効果があると言われる。鹿児島では伝統的に焼酎はお湯割りにするが、香気成分をより揮発させて味を鮮明にし、リラックスするためにそうするのかも知れない。
柑橘類はジンライムに代表されるように蒸留酒との相性がよく、焼酎も(本格焼酎ではなく甲類の方)酎ハイで柑橘系とよくアレンジされるが、元々芋焼酎の香りが柑橘系であったことは驚きである。ただ、芋焼酎で柑橘系のカクテルを作ったら合うのかと思ったら、それぞれの香りがケンカしてなかなかうまく作れないのだそうだ。
※ このことは1990年に太田剛雄によって解明された。割と最近まで焼酎の香りがどこから来るのかわかっていなかったということだ。
【参考】
「芋焼酎原料サツマイモ品種と焼酎の香気成分との関係」2013年、高峯 和則
本格焼酎というと、水以外の成分はほとんどエタノールで、それ以外の成分は約0.2%しか含まれていない。 そして蒸留酒なので当たり前だが、全ての成分が揮発性のものであり、厳密な意味での(エタノール以外の)味覚成分は含まれていない。
では焼酎の味は何かというと、その0.2%の中の香り成分にある。つまり、焼酎の味というのは、科学的には(舌で感じる)味ではなく香りのことなのである。これは蒸留酒一般に言えることであるが、アルコールのテイスティングを生業とする方が、実際に飲むことなく香りだけで判断することがあるのは、理に適ったことなのだ。
さて、その0.2%の成分とは具体的には何かというと、高級アルコール類、脂肪酸エステル類、有機酸、ミネラルなどだが、ここに香りを形作る微量香気成分が含まれる。焼酎の銘柄は数多いが、この0.2%の中の非常に微妙な成分の違いが銘柄の違いになるわけだ。
というわけで、焼酎の「味」を作る微量香気成分だが、例えばネロール、リナロール、α-テルピネオール、シトロネオールといったモノテルペンアルコール類、そしてβ-ダマセノンといった物質らしい。とはいっても、私自身門外漢なのでこれらの物質それぞれについて特性を知っているわけではない。
だが、ネロール等のモノテルペンアルコール類というのは、実は柑橘や花に含まれている物質なのである。柑橘特有の爽やかな香気の成分はこれらなのだが、焼酎の香りのかなりの部分がこれらの香りなのだ。少し大げさに言えば、芋焼酎は柑橘的なお酒であると言えるだろう。ちなみに焼酎の甘さを作っているのはβ-ダマセノンである(これは柑橘系ではない)。
しかしこれらの柑橘的な香気成分、どこから来たのだろうか? サツマ芋は柑橘的な香りがしないし、事実芋にはこれらの香りは含まれていない。これが面白いところだが、実はサツマ芋の中では、モノテルペンアルコール類が配糖体(つまりグルコシドと結合している)の形で存在していて不揮発性なため香りにならないのである。
これらモノテルペン配糖体が醸造の過程で分解され、揮発性のアルコール成分となることによって焼酎の香りが形作られる(※)。ということは、焼酎の香りを「芋の香り」と形容することがあるが、芋そのものの香りが焼酎の香りになるわけではなく、芋に内在していた香りの元が麹菌によって顕在化させられて焼酎の香りになるということだ。
ついでに言うとこれら香気成分はアロマテラピーなどでも使用されるものらしくリラックス効果があると言われる。鹿児島では伝統的に焼酎はお湯割りにするが、香気成分をより揮発させて味を鮮明にし、リラックスするためにそうするのかも知れない。
柑橘類はジンライムに代表されるように蒸留酒との相性がよく、焼酎も(本格焼酎ではなく甲類の方)酎ハイで柑橘系とよくアレンジされるが、元々芋焼酎の香りが柑橘系であったことは驚きである。ただ、芋焼酎で柑橘系のカクテルを作ったら合うのかと思ったら、それぞれの香りがケンカしてなかなかうまく作れないのだそうだ。
※ このことは1990年に太田剛雄によって解明された。割と最近まで焼酎の香りがどこから来るのかわかっていなかったということだ。
【参考】
「芋焼酎原料サツマイモ品種と焼酎の香気成分との関係」2013年、高峯 和則
2013年2月26日火曜日
ミカン科の進化の最終形態、キンカン
鹿児島では(なぜか)おせちにキンカンの甘煮を食べるのだが、今年は庭のキンカンが全てヒヨドリに食べられてしまったので食べることが出来なかった。
ところで、全国的にはキンカンはかなりマイナーな果物で生産量は年4000トン弱しかない。以前ビワのことを「全国的には希少」と書いたが、キンカンはビワよりもさらに生産量が少ないのである。多分、関東以北の人はキンカンを食べたことがないという人も多いのではないかと思う。
このキンカン、進化的に面白い存在で、どうしてこんな植物が産まれたのか気になる。
まず系統的な位置づけとして、キンカンはカンキツだと思っている人が多いが、実はカンキツ属ではなく、カンキツ属から進化した別のグループ(キンカン属)である。ミカン科において最も後発に進化してできたのがキンカン属であり、多種多様な種を擁するミカン科において、その進化の最終形態がキンカンと言える。
カンキツとの一番の違いは果肉ではなく果皮が甘いことで、これがとても不思議である。というのも、昔のキンカンは果肉が酸っぱかったり苦かったりしたが、そうなると鳥などに果肉を食べてもらえず、種子を遠くに運んでもらえないような気がする。どういう訳で皮が甘くなる進化が起こったのだろう。
だがこれは人間にとっては有り難い。というのも、ミカン類は皮にも栄養が豊富で、むしろ香り成分や食物繊維は皮の方に含まれているからだ。ミカンの皮を乾燥させたものは陳皮(ちんぴ)という漢方薬になるし、マーマレードに皮を入れるのも食物繊維(ペクチン)を補給するためだ。
そして当然のことだが、果物は丸ごと食べる方が栄養バランスがよく、キンカンのように皮ごと食べるのが栄養学的には最適だ。キンカンが風邪の予防になるとか咳を和らげるとかいうのも、ここが大きく影響しているに違いない。
もう一つ不思議なのは、キンカンはカンキツ属からむしろ単純化する方向で進化していることである。カンキツとキンカンは基本的な構造は似ているが、仕組みがシンプルになっている。例えば、カンキツは新梢ではなく出て2年目の枝に実がなるが、キンカンでは新梢に実がなる(だが逆に、新梢が伸びるたびに花が咲くので管理は面倒)。そしてもちろん樹自体もコンパクトである。
それから果皮も軟弱になっており、カンキツは一般的に皮が丈夫で保存性がいいのだが、キンカンの場合は傷つきやすく、また傷みやすい。こうした進化は遺伝子的にシンプルになったのか、それとも遺伝子レベルでは複雑化しているのかわからないが、カンキツの歩んだ道とは全く違う方向を指向したことは明らかであり、キンカンは「逆カンキツ」であるといってもよいと思う。
ちなみに、キンカンは皮ごと食べるためか小さいながらも食べ応えがあり、カンキツとはまた違った甘味があって美味しい。「南薩の田舎暮らし」では大浦で一番美味しいというキンカンを入荷したので是非ご賞味ありたい。
ところで、全国的にはキンカンはかなりマイナーな果物で生産量は年4000トン弱しかない。以前ビワのことを「全国的には希少」と書いたが、キンカンはビワよりもさらに生産量が少ないのである。多分、関東以北の人はキンカンを食べたことがないという人も多いのではないかと思う。
このキンカン、進化的に面白い存在で、どうしてこんな植物が産まれたのか気になる。
まず系統的な位置づけとして、キンカンはカンキツだと思っている人が多いが、実はカンキツ属ではなく、カンキツ属から進化した別のグループ(キンカン属)である。ミカン科において最も後発に進化してできたのがキンカン属であり、多種多様な種を擁するミカン科において、その進化の最終形態がキンカンと言える。
カンキツとの一番の違いは果肉ではなく果皮が甘いことで、これがとても不思議である。というのも、昔のキンカンは果肉が酸っぱかったり苦かったりしたが、そうなると鳥などに果肉を食べてもらえず、種子を遠くに運んでもらえないような気がする。どういう訳で皮が甘くなる進化が起こったのだろう。
だがこれは人間にとっては有り難い。というのも、ミカン類は皮にも栄養が豊富で、むしろ香り成分や食物繊維は皮の方に含まれているからだ。ミカンの皮を乾燥させたものは陳皮(ちんぴ)という漢方薬になるし、マーマレードに皮を入れるのも食物繊維(ペクチン)を補給するためだ。
そして当然のことだが、果物は丸ごと食べる方が栄養バランスがよく、キンカンのように皮ごと食べるのが栄養学的には最適だ。キンカンが風邪の予防になるとか咳を和らげるとかいうのも、ここが大きく影響しているに違いない。
もう一つ不思議なのは、キンカンはカンキツ属からむしろ単純化する方向で進化していることである。カンキツとキンカンは基本的な構造は似ているが、仕組みがシンプルになっている。例えば、カンキツは新梢ではなく出て2年目の枝に実がなるが、キンカンでは新梢に実がなる(だが逆に、新梢が伸びるたびに花が咲くので管理は面倒)。そしてもちろん樹自体もコンパクトである。
それから果皮も軟弱になっており、カンキツは一般的に皮が丈夫で保存性がいいのだが、キンカンの場合は傷つきやすく、また傷みやすい。こうした進化は遺伝子的にシンプルになったのか、それとも遺伝子レベルでは複雑化しているのかわからないが、カンキツの歩んだ道とは全く違う方向を指向したことは明らかであり、キンカンは「逆カンキツ」であるといってもよいと思う。
ちなみに、キンカンは皮ごと食べるためか小さいながらも食べ応えがあり、カンキツとはまた違った甘味があって美味しい。「南薩の田舎暮らし」では大浦で一番美味しいというキンカンを入荷したので是非ご賞味ありたい。
2013年2月14日木曜日
イケダパンの地元愛に感謝! OUTLET BREAD
イケダパン、といえば南九州では有名なパンメーカーである。多角経営に失敗し、1986年に経営破綻して山崎製パンのグループになったが、地元でのブランド力があったためか、その屋号を残して今もイケダパンとして製造を続けている。
このイケダパンは、南さつま市の加世田に発祥した企業で、今でも登記上の本店は加世田にある。ところが工場や本店機能は2002年に加世田から撤退しており、約60km離れた姶良市(重富)に移転している。南さつま市は高速道路も鉄道もなく、流通上不利なための経営判断と思われる。姶良市には高速道路も鉄道もあり、空港にも近い。
このイケダパンの工場直売所である「OUTLET BREAD」という店が、2012年4月に加世田に出来た。この店、製造過程で生じる少々見た目が悪い品などを重富工場から直送し破格で提供する店で、文字通りパンのアウトレットショップである。
菓子パンなども安いが(私自身はあまり菓子パンは食べないこともあり)食パンやパンの耳が安くてしかも美味しい。もちろん、元の商品名はわからないのだが、按ずるに、少し高級な食パンの規格外品が使われているのだと思う。特にパンの耳は量が多く、お買い得だ。
同様の店は重富工場にも附設されており、そこでは製造に伴って生じる規格外品が逐次補給される。しかしこの店の場合、工場からは遠く朝にしか入荷がないため、売り切れればおしまいになる。こうした店は製造地にあって手間がかからないからこそ経営的な意味があり、わざわざ遠方に運んで破格の商品を提供しては割に合わないように見える。
事実、9枚入りの角食(食パン)を100円で売っていては、とても利益は出ていないだろう。私が経営者なら、とても作れない店だ。こんな店をなぜ南さつまに作ったのか、その経緯は知らないが、きっと加世田への地元愛のなせる業ではないだろうか。
登記上の本社は加世田にあるとはいえ、工場の撤退以後は事実上加世田との繋がりはなくなっていた。だが元は地域密着の企業であり、地域のお祭りなどにも積極的に参加していたと聞く。そういうことを考えると、イケダパンを育ててくれた加世田への恩返しをするために、敢えて損をするような店を作ったとしか思えないのである。
イケダパンはもはや加世田の企業とは言えないが、もし上に書いた推測が正しいならば、南さつま市の人は少しはイケダパンを贔屓してもいいだろう。末永く続いて欲しい。
【情報】
OUTLET BREAD イケダパン工場直売所 加世田店
南さつま市武田15417-3
【2013年12月30日追記】
本店、今冬に閉店していた。経営的に無理がある店だとは思っていたが、閉店したのは大変残念である。最初から利益を度外視するのであれば、もう少し公共的な意味合い(例えば、小学校の給食に提供するとか)を持たせた事業を行って、CSR(この言葉はキライだが)の一環としてやった方が株主への説明もできてよかったと思う。
このイケダパンは、南さつま市の加世田に発祥した企業で、今でも登記上の本店は加世田にある。ところが工場や本店機能は2002年に加世田から撤退しており、約60km離れた姶良市(重富)に移転している。南さつま市は高速道路も鉄道もなく、流通上不利なための経営判断と思われる。姶良市には高速道路も鉄道もあり、空港にも近い。
このイケダパンの工場直売所である「OUTLET BREAD」という店が、2012年4月に加世田に出来た。この店、製造過程で生じる少々見た目が悪い品などを重富工場から直送し破格で提供する店で、文字通りパンのアウトレットショップである。
菓子パンなども安いが(私自身はあまり菓子パンは食べないこともあり)食パンやパンの耳が安くてしかも美味しい。もちろん、元の商品名はわからないのだが、按ずるに、少し高級な食パンの規格外品が使われているのだと思う。特にパンの耳は量が多く、お買い得だ。
同様の店は重富工場にも附設されており、そこでは製造に伴って生じる規格外品が逐次補給される。しかしこの店の場合、工場からは遠く朝にしか入荷がないため、売り切れればおしまいになる。こうした店は製造地にあって手間がかからないからこそ経営的な意味があり、わざわざ遠方に運んで破格の商品を提供しては割に合わないように見える。
事実、9枚入りの角食(食パン)を100円で売っていては、とても利益は出ていないだろう。私が経営者なら、とても作れない店だ。こんな店をなぜ南さつまに作ったのか、その経緯は知らないが、きっと加世田への地元愛のなせる業ではないだろうか。
登記上の本社は加世田にあるとはいえ、工場の撤退以後は事実上加世田との繋がりはなくなっていた。だが元は地域密着の企業であり、地域のお祭りなどにも積極的に参加していたと聞く。そういうことを考えると、イケダパンを育ててくれた加世田への恩返しをするために、敢えて損をするような店を作ったとしか思えないのである。
イケダパンはもはや加世田の企業とは言えないが、もし上に書いた推測が正しいならば、南さつま市の人は少しはイケダパンを贔屓してもいいだろう。末永く続いて欲しい。
【情報】
OUTLET BREAD イケダパン工場直売所 加世田店
南さつま市武田15417-3
【2013年12月30日追記】
本店、今冬に閉店していた。経営的に無理がある店だとは思っていたが、閉店したのは大変残念である。最初から利益を度外視するのであれば、もう少し公共的な意味合い(例えば、小学校の給食に提供するとか)を持たせた事業を行って、CSR(この言葉はキライだが)の一環としてやった方が株主への説明もできてよかったと思う。
2013年1月30日水曜日
とても美味しいがあまり知られていないローカルな山芋
山芋は、美味い。
が、「山芋」というだけでは人によって思い浮かべるものが違う。というのも、一般的に山芋と言われているものには、ナガイモ、ツクネイモ、ヤマノイモ(自然薯)、ダイジョの4種類があるためだ。
この中で最も生産量が多く、普通に山芋と認識されているのがナガイモである。大きさが揃っていて流通に有利なためと思われる。これは北海道や青森が産地(というか、この2県の寡占状態)。
その他の生産量は未詳だが、あまり多くはないと思う。関西ではツクネイモのことを山芋と呼ぶらしい。自然薯はご存じのとおり山芋の中でも最も貴重で美味な高級食材。で、話題にしたいのは最後のダイジョ(大薯)である。
このダイジョ、原産地は東南アジアと見られており暖地でなくては育たず、日本では沖縄・奄美・九州南部で産する。食味は自然薯には劣るがナガイモやツクネイモより優れていて、粘りも強く、また上品でもある。すり下ろして出汁を混ぜただけのダイジョの旨さは格別だ。だが、イモの大きさがまちまちであることや、ローカル食材であるためにあまり流通しておらず、都市部で見かけることはまずない(あと、離島からの移入には植物検疫の関係があるようだ)。
しかしこのダイジョ、暖地であれば育てやすく、また山芋類にしては収穫も容易である。さらに、流通量が少ないためか、今のところ単価も高い。食材としての短所は、大きさがまちまちなので規格化・流通しづらいことかと思うが、まだまだ可能性がある作物だと感じさせる。
私は就農にあたって、実はこのダイジョの栽培が一つの目的でもあった。ただ、このあたりには自然薯の栽培組合はあってもダイジョの組合はなく、流通が未整備のようだったので手をつけられなかったのだが、自分でネットショップも開業したことでもあるし、今年はこのダイジョの栽培を少し広げてみたいと思う。
ちなみに、鹿児島銘菓「かるかん」の原料は自然薯と言われているが、実はこのダイジョであることも多いそうだ。自然薯の代わりになるくらい美味い、という一つの証拠でもあるだろう。
が、「山芋」というだけでは人によって思い浮かべるものが違う。というのも、一般的に山芋と言われているものには、ナガイモ、ツクネイモ、ヤマノイモ(自然薯)、ダイジョの4種類があるためだ。
この中で最も生産量が多く、普通に山芋と認識されているのがナガイモである。大きさが揃っていて流通に有利なためと思われる。これは北海道や青森が産地(というか、この2県の寡占状態)。
その他の生産量は未詳だが、あまり多くはないと思う。関西ではツクネイモのことを山芋と呼ぶらしい。自然薯はご存じのとおり山芋の中でも最も貴重で美味な高級食材。で、話題にしたいのは最後のダイジョ(大薯)である。
このダイジョ、原産地は東南アジアと見られており暖地でなくては育たず、日本では沖縄・奄美・九州南部で産する。食味は自然薯には劣るがナガイモやツクネイモより優れていて、粘りも強く、また上品でもある。すり下ろして出汁を混ぜただけのダイジョの旨さは格別だ。だが、イモの大きさがまちまちであることや、ローカル食材であるためにあまり流通しておらず、都市部で見かけることはまずない(あと、離島からの移入には植物検疫の関係があるようだ)。
しかしこのダイジョ、暖地であれば育てやすく、また山芋類にしては収穫も容易である。さらに、流通量が少ないためか、今のところ単価も高い。食材としての短所は、大きさがまちまちなので規格化・流通しづらいことかと思うが、まだまだ可能性がある作物だと感じさせる。
私は就農にあたって、実はこのダイジョの栽培が一つの目的でもあった。ただ、このあたりには自然薯の栽培組合はあってもダイジョの組合はなく、流通が未整備のようだったので手をつけられなかったのだが、自分でネットショップも開業したことでもあるし、今年はこのダイジョの栽培を少し広げてみたいと思う。
ちなみに、鹿児島銘菓「かるかん」の原料は自然薯と言われているが、実はこのダイジョであることも多いそうだ。自然薯の代わりになるくらい美味い、という一つの証拠でもあるだろう。
2013年1月25日金曜日
二つの意味でグルメな野鳥、ヒヨドリ
ポンカンの旬が到来した、のはよかったが、すごいスピードでヒヨドリ(鵯)に喰われ始めた。ヒヨドリとの収穫競争のスタートである。
本当に、やつらの食欲は半端ではない。すでに収穫量が30%以上減っていると思う。しかも、よく熟れた美味しい実から食べる。
ヒヨドリはグルメで、つついた実が美味しくないとほとんど食べずに残すが、美味しいと写真のように全部きれいに食べる。このように完食しているということは、このポンカンが美味しかったという証拠でもある。つまり、私のポンカン園は今ヒヨドリが大量に群がっているが、美味しい実がたくさんできたということでもあるわけだ。
ヒヨドリは主に日本にしかいない鳥だが、祖先はフルーツが多い熱帯の森にいたらしく、花の蜜や果物など甘いものが大好きである(昆虫などはあまり食べない。ちなみに葉物野菜も好き)。 ということで、果樹農家にとってはかなり重要な害鳥だ。先日、ポンカンはその本当の旬にはあまり出荷されないということを書いたが、その理由の一つには、1月下旬には大量のヒヨドリが飛来して、食害がひどいということもあるのだ。
というのも、ヒヨドリは留鳥(一年中いる鳥)だが、冬には北日本からたくさん渡ってくる。そのため、南薩のような暖地には、冬は非常にたくさんのヒヨドリが集まってしまう。ネットを掛けるといった対策をしている農家もいるが、露地ポンカンに限って言えば、なかなかそこまで手は掛けられないというのが実情だ。
ところで、このヒヨドリ、野鳥の中でも最も美味い部類らしく、狩猟をする人の間では好まれている鳥である。食べる方も、食べられる方もグルメというわけだ。特に、ミカン類を食べているヒヨドリは格別に美味いらしい。しかも、毛を毟るのが容易で、解体も簡単と聞く。害鳥対策も必要だが、こんなにたくさんいるので、ぜひ獲って食べてみたいものだ。狩猟免許が欲しくなってきた。
本当に、やつらの食欲は半端ではない。すでに収穫量が30%以上減っていると思う。しかも、よく熟れた美味しい実から食べる。
ヒヨドリはグルメで、つついた実が美味しくないとほとんど食べずに残すが、美味しいと写真のように全部きれいに食べる。このように完食しているということは、このポンカンが美味しかったという証拠でもある。つまり、私のポンカン園は今ヒヨドリが大量に群がっているが、美味しい実がたくさんできたということでもあるわけだ。
ヒヨドリは主に日本にしかいない鳥だが、祖先はフルーツが多い熱帯の森にいたらしく、花の蜜や果物など甘いものが大好きである(昆虫などはあまり食べない。ちなみに葉物野菜も好き)。 ということで、果樹農家にとってはかなり重要な害鳥だ。先日、ポンカンはその本当の旬にはあまり出荷されないということを書いたが、その理由の一つには、1月下旬には大量のヒヨドリが飛来して、食害がひどいということもあるのだ。
というのも、ヒヨドリは留鳥(一年中いる鳥)だが、冬には北日本からたくさん渡ってくる。そのため、南薩のような暖地には、冬は非常にたくさんのヒヨドリが集まってしまう。ネットを掛けるといった対策をしている農家もいるが、露地ポンカンに限って言えば、なかなかそこまで手は掛けられないというのが実情だ。
ところで、このヒヨドリ、野鳥の中でも最も美味い部類らしく、狩猟をする人の間では好まれている鳥である。食べる方も、食べられる方もグルメというわけだ。特に、ミカン類を食べているヒヨドリは格別に美味いらしい。しかも、毛を毟るのが容易で、解体も簡単と聞く。害鳥対策も必要だが、こんなにたくさんいるので、ぜひ獲って食べてみたいものだ。狩猟免許が欲しくなってきた。
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