2024年6月25日火曜日

鹿児島銀行が全代理店を廃止した話

今年の1月11日、私の住む大浦町の「鹿児島銀行 大浦代理店」が廃止された。

というか、鹿児島県内にある鹿児島銀行の全代理店(18店)が2024年2月までに廃止されたという。

冒頭の写真は、もう今は取り壊されて跡形も無くなっている大浦代理店の在りし日の姿である。

鹿児島銀行が全代理店を廃止したのは、第1には代理店の来店客数の減少による合理化であり、第2にはネットで手続きが完結する体制が充実してきたからであり、第3には代理店の意味が小さくなってきたことである。

第3の点に関し、鹿児島銀行の松山澄寛頭取(当時)は取材に応えて、「金利が高いときは預金を集めて貸せば確実に利ざやがあったが今はマイナス金利。代理店の歴史的な役割は終わった」と述べている。要するに「代理店なんて儲からない」という身も蓋もない話だ。

【参考】鹿児島銀行代理店を移転統合へ|朝日新聞(2023年9月1日)
https://www.asahi.com/articles/ASR8072X3R80TLTB003.html

田舎の代理店なんて昔から赤字だろう、というのは誤解らしく、田舎の人は貯金が好きなため(というより、田舎ではあまりお金を使う場所がないため)、この小さな代理店の見た目とは裏腹に、かなりのお金が集まったのだという。田舎では定期預金の比重が高く、都会とは桁が違うお金が集まったと銀行マンから聞いたことがある。

では、今はどうなのかというと、確かに利用者は少なくなり、定期預金を集める意味は全くない。2024年になってゼロ金利政策は終わりを告げたが、それでもお金は金融市場に滞留している状況で、「歴史的役割は終わった」と言われてもしょうがない。

一方、全代理店の閉鎖で削減されるコストは年間約5300万円だそうだ。5300万円というと大きいようでも、鹿児島銀行の親会社「九州フィナンシャルグループ」の2024年3月期決算短信を見てみると、営業利益が384億円ある。鹿児島銀行だけでも営業利益は120億円くらいのようだ。これに比べると、5300万円なんかは誤差の範囲といって差し支えない。削減の意味はあまりないコストではなかろうか。

そもそも鹿児島銀行の第9次中期経営計画(2024−26)では「接点・対話・課題解決 No.1」をコンセプトに掲げ、「お客様との接点を強化」とか「持続可能な地域社会の実現に貢献」といった言葉が並んでいる。

【参考】鹿児島銀行 第9次中期経営計画
https://www.kagin.co.jp/library/300_ir/pdf/keiei_plan/09_cyuki_keieiplan.pdf

この計画は全代理店廃止後のものだとはいえ、田舎の人間にとっては「たいしたコストじゃなかった代理店を廃止しておいて、接点・対話とか持続可能な地域社会云々なんてバカにしてるのか」と思ってしまう。

「そうはいっても、鹿児島銀行は営利企業なのだから、コストカットはやむを得ない。実際、田舎の代理店なんて一円の得にもならないんだし」と思う人もいるだろう。

それはそうだ。しかし意外なことに、営利企業の活動は、田舎への富の再配分に大きな役割を果たしてきた。例えば、Aコープ(鹿児島県経済連の子会社のスーパー)の商品の値段は、大浦町でも鹿児島市でも変わらない。たぶん県内一律ではないだろうか。JAのガソリンスタンドの値段は、それよりは一律ではないが、それでも価格差は大きくない。こうした企業では、店舗ごとの利益率が異なっても、できるだけ同一料金にする努力が払われている。

また、指宿枕崎線(の指宿−枕崎区間)は廃線が取り沙汰されているが、ここは年間3億円以上の赤字路線となっている。これをお金の流れから見ると、JR九州が都市部で稼いだお金を南薩につぎ込んでくれているとも言える。

ある程度大きな企業は、それ自体が公共的な意味を持っており、そのサービスが広い範囲で提供されることで、結果的に田舎への富の分配を担ってくれているのである。例えば、大浦町のJAのガソリンスタンドは、基本的にずっと赤字だという話だが、だからといって閉鎖の危機にあるかというとそうではない。JA南さつまにとっては、その店舗は赤字であっても、その赤字額が経営的に耐えられるものであれば、管内にあまねくサービスを提供することに意味があるからである。 

田舎では、過疎によってまたさらに過疎化が進む、という過疎化のスパイラルが起こっている。これは自然に起こっている面はあるが、その動きを助長しているのは他でもない行政だ。市町村合併によって、地域に役所(支所)が無くなり、学校が統合され、公共施設が閉鎖される。本来は、行政の施設は営利的なものではないのだから、そこに住民がいるかぎり維持されてもおかしくないのだが、平成不況以降、役場の方がコスト意識に厳しくなってしまった。

公共サービスは儲からなくて当たり前なのに、公共サービスに収益性を求めるのが最近の流れだ。指宿枕崎線を運行しているはJR九州は、ちゃんと利益が出ている企業なのですぐには廃線にはならないと思うが、これが肥薩おれんじ鉄道のように行政による運営になると、「経営状態が悪い」といってすぐに廃線の危機になってしまう。税金の無駄と見なされるからだ。民間の方が逆にお金に鷹揚な態度を示しているのは面白い。

それは、民間企業は度量が広いが、行政はせせこましい……というのではなく、民間企業は、全体として利益が出てさえいれば、細かいところで損失が出ていても気にしなくて済むからだ。それだからこそ、光通信は日本のかなりの面積をカバーし、携帯電話のアンテナは田舎にも立ち、Amazonの送料無料サービスはかなりの僻地でも対応している。それによって、田舎に住む人たちが、都会とさほど変わらない文明的生活を送れるのである。

もちろん島嶼部など、もうちょっと条件の厳しい人たちは、そうともいえないかもしれない。それでも、大企業の提供するサービスが田舎に住む者にとって心強い味方なのは変わらない。田舎の生活というと、今にも潰れそうな個人商店が支えている……というイメージがあるが、実際には、田舎こそ大企業の商業活動のおかげを蒙っている、というのが田舎に住む私の実感である。

そう考えてみると、鹿児島銀行が目先の5300万円を浮かすために、鹿児島県の僻地に存在していた代理店を廃止したことは、単なるコスト削減以上の意味があるように思われる。鹿児島銀行は鹿児島全体を対象とした大企業であることを諦めて、鹿児島市を中心とした都市部のみを対象とする存在になるのだろう。そもそも、ネットで取引ができるから代理店はいらない、というのなら地銀の存在意義自体がなく、メガバンクを頼った方がいい。

鹿児島県民にとっての鹿児島銀行の一番の存在意義は、「あちこちに鹿銀ATMがあること」。これに尽きるのではないか。コスト削減というのであれば、代理店廃止はやむを得ないとしても、せめてATMだけは残してほしかった。商売をしていると、現金売上を入金することができないのでとても困るのである。

全代理店廃止後、鹿児島銀行の頭取に就任した郡山明久さんは「地銀であることに徹底的にこだわりたい」とインタビューに答えていた。その真意はわからないが、それが「鹿児島」を大事にしたいということなのであれば、地方の大企業らしく、田舎にもあまねくサービスを展開してもらいたい。目先の利益のみに捕らわれない地銀になることを期待している。

2024年6月20日木曜日

農地を利用されやすくする法改正で、逆に耕作放棄地を助長する「机上の空論」

ほとんど報道されないが、今、農業をする上での困った事態が起こっている。

簡単にいうと、ある種の農地が借りられなくなるのである。

これは今のところ誰も声を挙げていない大変な問題だと思うので解説したい。

さて、農家は自分の土地で作物を育てていると思っている人もいるかもしれない。「農家になるには農地を買わないと」と思っている新規就農者希望者も少なくない。だがそれは誤解で、多くの農家は農地を借りて農業をしている。少なくとも私の住む大浦町では農地を借りて農業をしている人の方が多数派だ。

それは、現代の農業は、もはや「先祖伝来の土地を守っていく」というようなものではないからだ。農業も、他の事業と同じだと思ったらよい。飲食店がテナントを借りるのが普通なのと理由は一緒なのだ。だから、農地の貸し借りがスムーズにできることは、現代の農業においてはきわめて重要である。

全国的にも、土地の貸し借りを通じて大規模農家へと農地を集積していくことが求められ、農水省は強力にそれを推進している。

その具体的な手段となっているのが、「地域計画」と呼ばれるものだ。

これは、その地域での農業の将来像と、農地一筆ごとの10年後の耕作者を示した地図(「目標地図」という)のセットで構成されるものである。その目的を一言でいえば、農地が利用されやすくなるようにすることだ(農用地の効率的かつ総合的な利用)と農水省は言っており、具体的にはバラバラにある農地を集積し、農業の効率を上げることである。

目標地図について。下のPDF資料より

この「地域計画」は、まさに「机上の空論」で、少なくとも大浦町の実態からして策定の意味は薄いと思う。というのは、効率的に利用できる集団化した農地は引く手あまたで、農業の大規模化に伴って自然と集約化していくが、狭い・不整形・孤立している・傾斜がきついなどの人気のない農地は、計画を作ったとしても耕作放棄地化していかざるをえないからである。「地域計画」のための農家同士の話し合いは決して無駄ではないと思うが、計画自体は作ろうが作られまいが、大浦町の農業の10年後の姿はほぼ変わらないと断言できる。

さて、2023年(令和5年)の「農業経営基盤強化促進法」という法律の改正で、この「地域計画」の策定が必要となったが、この法律では、「農用地の効率的かつ総合的な利用」のために、もう一つ重要な規定がある。それが「農地中間管理機構」に関する定めである。

【参考】農水省の資料(PDF)
農業経営基盤強化促進法等の一部を改正する法律について

「農地中間管理機構」は、一般的に「農地バンク」と呼ばれている。農水省の説明では、「農地バンクは、分散している農地をまとめて引き受けて、一団の形で受け手に再配分する機能を有する」ものだそうだ。これを聞くと、例えば田舎に活用していない農地を所有している人は「農地バンクに土地を引き受けてもらおう」と思うかもしれない。だが実は、「農地をまとめて引き受ける」という機能は実際にはなく、「農地バンク」の名称は有名無実である。

ではどういう仕組みかというと、こんな感じである。

「農地を借りたいAさんが、空いている農地を探して、その所有者Bさんに連絡し条件を伝え快諾してもらった。それを農業委員会に伝えると、農業委員会から農地バンクに連絡が行き、農地バンクを介してAさんはBさんの土地を借りる契約を行う。契約については農業委員会で審査・認定する」…とまあこんな風だ。

つまり「農地バンク」は、農地を借りたい人・借りたい人の斡旋をするのではなくて、あくまで話がまとまった後で契約を仲介する機能なのだ。

なお、農地バンクの仕組みができたのは比較的最近のことだが、それ以前から農地の貸し借りには農業委員会が仲介することになっていた。なお、わざわざ農業委員会が介在することは一見ややこしいが、例えば宅地の貸し借りにはもっとずっとややこしい手続きや不動産仲介業者が必要なことを考えると、比較的手間の少ない仕組みである。

ともかく「農地バンク」は、現場の人間にとっては必要ない仲介業者だという感じがする。「農地バンク」を通さないといけないおかげで、必要な書類も増え、手続きにかかる時間も倍くらいになった。国の統計だと、「農地バンク」の扱う農地がうなぎ登りになっていて、あたかも「農地バンク」の仕組みがうまくいっているように見えるが、これは既存の土地の貸し借りを「農地バンク」を通したものにわざわざ借り換えているからで、それ自体が一つの手間である。

このように、国は「農地バンク」が農地集積のツールだといわんばかりのことを言っているが、実際には単なる中間業者であって、それ自体に農地集積の機能があるわけではない。そもそも、「農地バンク」に農地集積の機能がないからこそ、「地域計画」を定めて、農地一筆ごとの10年後の耕作者まで決めようとしているわけである。

つまり、 「農業経営基盤強化促進法」の2つの柱である「地域計画」と「農地バンク」は、そのどちらもが地域の農業にとって有効なものではない、というのが農家である私の実感だ。私は農業委員の下働き的な役目である「農地利用最適化推進委員」という役をやっているが、農業委員や農地利用最適化推進委員の多くも、「また国がややこしい計画を作れと言ってきたなー。そんな形式ばっかりのことをやってる場合じゃないのに」と思っている。

しかしこれは、まだ冒頭に言った「大変な問題」ではない。実は、本当の問題はこれからである。

「農業経営基盤強化促進法」では、目立たないがもう一つ大きな改正点がある。それは、農地の貸し借りには必ず「農地バンク」を介さなければならなくなった、ということだ。

これは、「農地バンク」を通じて土地を集積していこうという政策の一環だろう。一見、それ自体には、面倒なだけで大きな問題はないように思える……が、実はそうではないのだ。

それは、「農地バンク」は都道府県単位で設置されており、県レベルの業務であることと関係がある。県は、市町村に比べて格段に融通が効かない。特に「農地バンク」は土地の名義にうるさいのだ。

田舎には、相続の登記がなされておらず、土地の名義が先代・先々代のままになっている土地が膨大に存在している。田舎では、相続登記に必要になるお金(司法書士への依頼料)に比べ、土地の評価額がものすごく低いため、「価値のない土地のために、司法書士にお金を払いたくない」ということで相続登記されていない土地が多いのである。

また、大浦町の場合は、「別にわざわざ登記なんてしなくてもいいよね」という風潮があったような気がする(例えば土地交換が登記なしで行われていたりする)。 

というわけで、大浦町には、土地の名義人がすでに死亡している農地がたくさんある。これまで、そうした農地を貸し借りするには、現にその土地を管理している人の同意を得さえすればよかった。それは大抵、その土地の固定資産税を払っている人と等しく、それほど難しい話ではなかったし、実際、管理人の同意がありさえすれば問題は起こらなかったのである。

ところが、「農地バンク」を介してそのような土地の貸し借りをする場合には、土地の相続権を持つ人の過半数の同意が必要だという。これはかなり難しい。まず現に土地を管理している人の協力を得て、相続人全員を探す必要があるからだ(実際に同意を得るのは過半数でいいが、全員を確定させないと、その過半数が何人になるのかがわからないため)。その上で、過半数に農地の貸し借りについて同意を得る必要がある。

ちなみに、農地の借地料は、このあたりでは10aあたり1万円以下が相場である。とすると、たったそれだけのために、このような面倒な仕事はしたくないのが人情だ。というわけで、行政からは、「相続登記がされていない土地は、事実上借りられなくなる」と説明されている。現在は、経過措置のためにまだ「農地バンク」を介さない農地の貸し借りが可能なのだが、この経過措置が令和7年(2025)3月で終了する。

つまり、2025年4月から、相続登記されていない農地が借りられなくなる。これが大問題なのである。

相続登記されていない土地が、ごく少数のことであれば、これはたいした問題ではない。しかし法務省によれば、日本の所有者不明土地(相続登記がなされていないことで、所有者がわからない土地)をあわせると九州全体の土地面積より広いという。このほとんどは山林であるとは思うが、農地についてもかなり多いことは想像に難くない。

このため、法務省は今年の5月から相続登記を義務化した。これで新たな所有者不明土地の発生は防げるのではないかと思われる。だが、これまでに発生した所有者不明土地に対しては、一応、登記を求めることにはなっているが、一朝一夕では解消しないのは明らかである。

では、現に今、相続登記されていない農地を借りて耕作している場合、2025年4月以降はどうしたらいいのか? 新たな契約が結べないだけで、今の貸借契約が否定されるわけではないので、しばらくは何も問題ない。ところがその契約期間(最長10年)が終えたら、その土地を借りることはできなくなる。正確に言えば、農業委員会を通した契約ができなくなる。ではどうするかというと、貸し手と借り手の相対契約によって借りるしかない。これを「闇小作」という。

かつて、農業委員会は「闇小作」を撲滅するように働いてきた。これはいろんな面でトラブルの元だったからだ。ところが、2025年4月以降は、現実的に「闇小作」でしか借りられない農地が存在するようになってしまう。農業委員会事務局も「大きな声ではいえないが、相続登記されていない農地については、もう「闇小作」でやってもらうしかないと思います」と匙を投げている。

皮肉なのは、この原因となった「農業経営基盤強化促進法」の「改正」が「農地が利用されやすくなるように」という目的で行われていることだ。それなのに、農地が利用されやすくなるどころか、逆に「闇小作」を推進することになるとは政策立案者もビックリではないだろうか。

では、「闇小作」で何が問題か。先ほど「トラブルの元」と書いたものの、実はそれよりもずっと重要なことがある。それは、農家の公的な経営面積は、あくまでも農業委員会を通して借りた農地の面積だということだ。「闇小作」では、いくらたくさん作っていても、経営面積として認められない。あくまで「闇」なのだ。

そして、この公的な経営面積に応じて、各種の補助金や優遇措置が受けられるのである。例えば、農家は免税軽油の購入が可能だが、これも経営面積に応じた割り当てを受ける。最近は肥料価格が高騰しているため、肥料への補助金があるが、これも経営面積に応じた上限がある。経営面積が補助金等の基盤となっているため、「闇小作」は農家としてはできるだけやりたくないのである。

こうなると、2025年4月以降、相続登記されていない農地は、できるだけ耕作しない方が得だ、ということになる。 

「農業経営基盤強化促進法」の「改正」の背景として、農水省は「農業者の減少や耕作放棄地の拡大がさらに加速化し、地域の農地が適切に利用されなくなる懸念」をあげている。にも関わらず、この「改正」によって、現に耕作している農地の放棄を助長していることを、農水省の担当者は理解しているのだろうか?

確言するが、彼らは絶対に理解していないと思う。それは、農水省が現場を見ずに机上の空論だけで農政をやっているからだ。これは、私だけでなく多くの農家が肌で感じていることだ。

相続登記されていない土地の貸し借りについては、せめて「相続登記の義務化」によって、大方の農地の相続がキチンとなされるまでは従前の通りとしてもらいたい。そうでなければ、法制間の整合性がとれないではないか。

どうせ「机上の空論」であるならば、せめて「机上の空論」としては辻褄を合わせていただきたいものだ。