2014年4月15日火曜日

レアなカンキツ栽培のスタート

最近、苗木の定植に忙しかった。

以前、ベルガモットというカンキツの苗木を定植したという話題を書いたが、その後もライムを30本、ピンクグレープフルーツを30本、ブラッドオレンジを50本定植したのである。ベルガモット20本とあわせて、計130本植えたわけだ。

苗木を植えるのはそんなに手間ではないように思えるだろうが、大変なのは圃場準備である。ベルガモットの圃場は藪だったところだったが、それ以外はポンカンやタンカンが植わっているところを、あえて伐採して植えたので、伐採作業に手間がかかった。というか伐採作業がないなら、定植自体はさほど大変な仕事ではない。

今年植えたカンキツたちは、別に狙ったわけではないのだがレアものばかりになってしまった。多分日本では経済栽培されていないベルガモットを筆頭にして、捌けるか不安があるライム、輸入物との競争力があるかどうか不明なピンクグレープフルーツとブラッドオレンジということで、冒険的なカンキツ栽培のスタートである。

このあたりでは、ポンカンおよびタンカンの栽培が盛んなのであるが、物産館ではそれ以外にもいろんな種類のカンキツを見ることができる。サワーポメロ、文旦などの伝統的(?)なものから、紅甘夏、スイートスプリング、それから最近出てきた種々雑多な晩柑類。そういうものが物産館で売っているということは、地域の人が果敢に新品種に挑戦してきた結果である。とはいえ、私ほど向こう見ずな品種選択をしている人はいないだろう。

だが、グレープフルーツとかブラッドオレンジとかは輸入してまで食べているわけで、そういう品種は輸入品との競争にはなるけれども、需要が確かにあるという意味では有望だ。問題は、そういうレアなカンキツの場合、販路をどうするのか、誰にどうやって売るのかということだ。例えば、国産のブラッドオレンジを求めている人というのはそんなに多くないと思うが、その人たちにどう売っていくのか。インターネットは少数者へのリーチに向いているようだが、それは王手が売り出す場合であって、個別に売っていたら誰にも見てもらえない可能性の方が高い。

この問題に対する回答が今あるわけではないが、結実して経済生産できるようになるのは早くても4年後くらいになるだろうから、その時に向けてゆっくりと体制を作っていきたい。冒険的であるからこそ、今からとても楽しみである。

2014年4月3日木曜日

「JAグループ営農・経済革新プラン」を吟味する


本日(4月3日)、全中(全国農業協同組合中央会)が「JAグループ営農・経済革新プラン」なるものを発表した。内容は中間報告段階で発表されていたものとほぼ同じだったが、この機会に内容を吟味してみたい。

まず、このようなプランが出た背景であるが、端的に言えばJAを改革せねばならない、とする外圧のためである。JA改革の必要性は政府内でも随分前からいろいろな方面から叫ばれていて、農水省のみならず経産省からもそういう声が大きかったと聞く。特に最近、政府の規制改革会議が農業分野の規制改革について検討しており、昨年11月27日には、農業ワーキング・グループが「今後の農業改革の方向について」という報告書を出している。

それによれば、農協については
それぞれの組合が個々の農業者の所得増大に傾注できるよう、コンプライアンスの充実など組織運営のガバナンスについての見直しを図るとともに、行政的役割の負担軽減や他の団体とのイコール・フッティングを促進するなど、農政における農業協同組合の位置付け、事業・組織の在り方、今後の役割などについて見直しを図るべき(強調引用者)
といわれている。

強力な政治力を持つ(とされる)全中のことであるから、こうした会議で何を言われようと痛くも痒くもないかもしれないが、今年6月に出る予定の正式な答申に備え、「自己改革によって指摘されている課題については十分に応えることができます」と主張する目的をもって、冒頭のプランの発表に至ったわけであろう。

そこでプランの内容であるが、大まかに言えば
  • 直販事業へのマーケティング支援や大手小売りとの提携、6次産業化支援、直売所の活用などで販売力を強化する。
  • 農業の大規模化に向けたJA出資法人の設立や農家へのサポートを強化する。
  • 農家を理事に積極的に登用したり、営農担当の理事を置いたりして経営面での農業の扱いを厚くする。
ということになろう。(ちなみに全中の資料では「農家」は「担い手」と表現されている)

この内容は、規制改革会議で指摘されている問題点には応えていない部分が多い。そもそも規制改革会議自体が、JAの現状を十分に理解した上で議論していないように見えるので、彼らが挙げている問題点に完全に対応している必要はない。が、こうしたプランを出して全国のJAを巻き込み何らかの取り組みをしていく以上、JAの抱える課題を少しでも解決していくものでなくてはならない。

そういう観点からこのプランを見てみると、どうも物足りない気がしてならない。販売力強化は必要だと思うが、具体策を見ると、全農が小売企業と資本提携をしたり合弁会社を作ったりということが書かれている。全農はそもそも食品の直販事業を(畜産関係を中心として)やっているわけだから、問題になっているはずの単協(地域のJA)の販売力強化とは少しずれる部分がある。具体策はこれのみではないが、他の部分でも「営農・経済革新」を銘打つような内容はなく、何か「今までやっていることの延長線」感がぬぐえない

では、どういう内容があればナルホドと思うだろうか。人それぞれいろいろあるだろうが、それはJAの抱える重要な課題は何か、ということに帰着すると思う。私も十分にJAを理解しているわけではないが、すぐに思いつく課題としては、
  1. 農産物の流通が構造的に収益部門になっていないので、優秀な人材や予算が収益部門である金融・共済部門に流れがちである。結果として、単協には農産物の販売に関するノウハウや体制が十分にない。
  2. 職員の能力向上に無関心であり、ややもすれば使い捨て傾向があり離職率が高い。
  3. 監査体制が極めて不透明であり、帳簿の管理が杜撰であるため不正が多く、財務状況が経営者にとってもわかりにくい。
  4. 農産物の流通において不透明な部分があることなどで農家からの不信感を招いており、地域の力を糾合することが難しい。
というようなことがある。もちろん状況は地域によって違い、こうした課題をクリアしている農協もあるだろう。それでも、もっと大きな視野で見てみると、農協を取り巻く各種の組織のあり方(経済連や全中や全共連や農林中金)や事業形態が適切・効率的なのかという問題や、そもそも法律(農協法)に規定しているような農協の社会的役割は既に終わったのではないかという疑義すらある。

しかし一方で、私は「普通の農家」にとっては農協はやはり重要な組織であると考えている。特に南薩のような僻地にいると個々の農家が販路を開拓していくというのは大変困難なことであるから、農協の力というのは有り難い。最近流行りの「攻めの農業」をするような優秀な人には農協はもはや不要かもしれないが、私のような零細で技術の未熟な農家には農協は大事な存在である。

であるからこそ、全中にはもう少し真剣に農協改革に取り組んでいただきたいと切望する。農産物流通の収益化などはとても難しい課題であるので後回しにするとして、まずやってもらいたいのが職員の能力向上への傾注である。共済などの無理な推進活動(いわゆるノルマ)を辞めて職員が本来の職務に集中できるようにし、長期的なキャリアパスを描いた上で専門性を高めていけるような人事考課に変えるべきである。特に農産物の生産・流通部門における職員の業績を明確化して、栽培だけでなく産地づくりも含めた農業のプロを養成し、農産物の販売面で単協が経済連・全中に頼らなくてもすむ体制づくり・人づくりを地道に進めてはどうか。人が育てば、農産物流通の収益化も後からついてくるかもしれない。

もちろん、こうしたことは全中の「プラン」などなくても、個別の農協で取り組んでいけることである。中央の指示を唯々諾々と聞いていては、いつまで経っても上意下達的ヒエラルキーに支配された農協組織を変えることはできない。まずは、南さつま農協を農家側から少しでもよくしていければと思う。きっと、南さつま農協の職員も、それを望んでいるのではないかと思っている。

【注意】
私は農協の経営については本当の現場は(職員でも理事でもないため)知りませんので、もしかしたらトンチンカンなことを書いているおそれがあります。間違いなどございましたらご指摘いただければ幸甚です。

2014年3月29日土曜日

アセロラは霜で全滅

以前、アセロラの栽培に挑戦します、という記事を書いたのだが、そのアセロラが全滅してしまった。

植えている園地は無霜地帯と聞いていたが、今年、実際には数回霜が降りていたようである。何しろ全国的にも大雪で大きな被害があった年だったわけなので諦めるしかないが、私も遅霜被害を受けた。

一番ショッキングだったのはアセロラよりもビニールハウスで栽培しているかぼちゃが壊滅的な被害を受けたことだ。特に3月8日あたりに降った霜は強力で、ビニールハウスの中だったにも関わらず、葉やツルが霜でベランベランに焼けてしまったのである。その後暖かくなって、無事だったツルから新芽を出させてなんとか全滅は免れたが、出荷時期はずれ込むわ、収量は激減が予測されるわで収益的に散々な結果が予見される。

そういう年だったために、耐凍性がほとんどないアセロラが全部枯れてしまったのも当然だろう。ただ、これらは根は完全には死んでいないので5月くらいになったら新芽が出てくるだろうし、来年はベタ掛けシート(不織布)などで被覆してやれば越冬も可能かもしれない。とはいっても、数年に一度であれ強力な霜が降る環境で継続的に栽培するのは難しいので、思い切ってアセロラ栽培は諦めることにした次第である。

ではこの場所に何を植えるか。以前ブログ記事に書いた通り、ここはもしかしたらカンキツに不適な場所かもしれないので、カンキツ以外を考えているが、今のところオリーブが有力候補である。私は「南薩のオリーブ」を作ってみたいと思っていたところだし、南さつま市ではオリーブ苗木への助成も予定されているということなので、ここをオリーブ園にしてみようかと思う。これまた簡単な話ではないが、しばらくは無謀な試みを続けてみることにする。

2014年3月24日月曜日

無謀にもベルガモット栽培にトライします

先日、ベルガモットを20本ばかり定植した。

ベルガモットという植物にぴんと来る人は僅かだと思うが、アールグレイの香り付けにつかうカンキツだというと、なんとなくイメージが湧くかもしれない。アールグレイは、青採りしたベルガモットの皮で香り付けした紅茶なのである。

私はアールグレイが割と好きなのだが、実は市場で出回っているアールグレイのほとんどは化学合成された香料が使用されており、本当にベルガモットによって香り付けされているものは少ない。だからこそ、ベルガモットが栽培できれば、本物のアールグレイを飲みたい人からの需要が期待できる。というわけで、ベルガモットに着目したのである。

だが、アールグレイのほとんどが化学合成された香料を使っているのにはわけがある。古くからベルガモットの産地はイタリアのカラブリア(イタリアをブーツと見なした時の爪先にあたる地域)だったが、なぜかカラブリア以外ではベルガモットがうまく育たなかったのである。生産地が限られていたため、アールグレイが世界的な人気商品となってベルガモットの需要が高まると、カラブリアのベルガモット生産者は大儲けしたらしい。だが、ベルガモットの精油があまりにも高価になったため代替の化学合成の香料が開発され、今ではアールグレイといえば化学香料が当たり前になってしまった。

後に、コートジボワールの象牙海岸でもベルガモットは栽培されるようになるが、今でもベルガモットの産地はごく限られている。その理由が気候にあるのか、土壌にあるのか、はたまた門外不出の栽培技術にあるのか、よくわからない。だから、この南薩でベルガモットがちゃんと経済的に成り立つ栽培ができるのか全く不透明である。

だが、南薩では枕崎の「姫ふうき」など紅茶生産が盛り上がっているところなので、本当に「南薩のアールグレイ」ができたら面白い。当然日本には他に産地はないので、特色ある商品になるだろう。

ちなみに、ハイヤーリビングのアールグレイは、本当のベルガモット精油を使っている(ような感じがする)のでオススメである。特にアイスで飲むと美味しい。

2014年3月21日金曜日

大浦町で一番オシャレな農業用倉庫

農業用倉庫が、ようやく建った。

計画では、一昨年には建築する予定だったのだが、予定地が農振(農業振興地域)だったために許可の関係で随分遅れてしまった。農振というのは、農業以外に転用できない地域のことで、ここに建築物を建てるためには、まず農振からの除外申請を行い、さらに(農振から外れても農地であることには変わりないため)農地転用の申請を行う必要がある。

詳しくは述べないが、この手続きには大変時間がかかっただけでなく、役所の対応も悪かったので随分と辟易した。だが、最終的には許可も下りたし、アテにしていた補助金ももらえたので結果オーライである。

ところで、農業用倉庫というと鉄骨スレート葺きが一般的だと思うが、私は倉庫を木造で作った。別に木造にこだわりがあったわけではなくて、ジャムの加工場を作ってくれた工務店さんにお願いしたら結果的に木造になっただけだが、これがなかなかオシャレで気に入った。オシャレなだけでなく、鉄骨に比べると自分で作り付けの棚を作りやすいなど拡張性も高い。

外観も(すぐに汚れそうだが)真っ白で、一見農業用倉庫には見えない。大浦町で一番オシャレ(?)な倉庫ができたと思う。ちなみに、鉄骨で作るよりも頑丈さは劣るが、耐久性はさほど変わらないそうだ。工費は、単純には比較できないが、当然ながら材料費は鉄骨よりも安く済む。一方で基礎を頑丈にする必要があること、木材を組むのに時間がかかることなどは鉄骨よりも費用のかかる点である。今回の場合は、鉄骨に比べてほんのちょっとだけ安かった感じである。

だが、工期が消費税増税前の駆け込み需要の時期に当たり、その分材料費などが上がってしまったようだ。延び延びになっていたものが、許可の関係でこの時期にずれ込んだということで、運が悪かった。だが、こんな忙しい時期に農業用倉庫などという面白味(も利益もさほど)ない仕事を快く引き受け、素敵な倉庫を作ってくれた工務店、加世田のcraftaさんに感謝である。

ちなみにcraftaの代表さんは、南さつま市内で改造自由な古民家を探しているそうである。 古民家リフォームに取り組んでいきたいということで、実際に古民家を社屋+ショールームに使うのが目的ということだ。もし心当たりの物件があれば、コメント欄にでもご連絡いただければ幸いです。

2014年3月9日日曜日

農協職員は、なぜ共済のノルマで苦労しなくてはならないのか

毎年ある時期になると、農協(JA)の職員の方からの「○○共済に入りませんか?」という勧誘活動が盛んになる地域が多いと思う。

農家からすれば、「ちょっとめんどくさいなあ」という程度のことだが、JA職員の方はノルマがあるから必死である。ノルマを達成できなかった場合のペナルティが何なのかは知らないが、自分自身が(半ば無理矢理)共済に加入させられたり、親兄弟を人身御供(?)に献げなくてはならない場合があることを考えると、随分厳しいのだと思う。

このせいで、JAを離職される方も多いようだ。ノルマが達成できないとか、あるいはノルマのことを気に病みながら働くくらいなら辞めた方がマシだ、と思うのだとか。

では、どうして農協職員は共済のノルマでそんなに苦労しなくてはならないのだろうか? というより、共済のノルマ以外ではさほど苦労している様子はないが、共済のノルマが突出して厳しい理由はなんなのだろうか?

その答えは、先日書いた長々しい記事の内容と関係がある。共済のノルマの背景にあるものを正確に理解している人は少ないと思うので、JA南さつまを例にとって説明してみよう。

冒頭にJA南さつまの事業収益の図を再掲したが、この図で言いたいことは、JA南さつまの主な収益源は、「肥料や農薬の販売」「保険業(共済事業)」「銀行業」の3つであるということだ。青色で表されている粗利を見てみると、この3つの事業だけで25億円くらいを稼いでいる。

さて、組織を維持していくには相応の利益が必要になるが、利益が目標に届かないことが予見される時はどうにかしてこれを確保しなくてはならない。上の3つの事業以外は利益が僅かであり、仮に増益してもタカが知れている。であるから、全体として増益を図るためには、「肥料や農薬の販売」「保険業(共済事業)」「銀行業」のどれかの利益を増やす必要がある。

しかし、「銀行業」の利益をにわかに増やすのは難しい。貸し付けは急に増やせるものではないし、JAが相手にするのは農家であるから利益率のよい大規模貸し付けはそもそも少ない。各地域のJAに案件形成(貸付を要する事業を提案)する能力も体制もない。

「肥料や農薬の販売」も同様だ。肥料や農薬は作付の時点で所要量が決まり、企業努力によって増えるのは僅かである。そしてそれ以上に、「肥料や農薬の販売」の利益率は他の事業に比べて極端に低いということがある。利益率が10%程度であるため、例えばJA南さつまの場合、この事業でさらに1億円稼ごうと思えば、10億円以上売り上げなくてはならない。

しかし、「保険業(共済事業)」は利益率が800%以上ある! 利益が足りない時に、真っ先に力を入れるべきなのは共済の契約獲得であることは自明の理である。それに、農協職員をそれぞれ推進員として契約を獲得させれば、本人はもちろん親、兄弟、親戚が「つきあい」で共済に加入してくれる可能性が高い。共済は、掛け捨てでなければ一種の貯蓄でもあるから、不要不急の契約であっても無駄ではないという強弁もできる。

だから、農協職員は共済のノルマ達成にアクセクすることになる。営業には向き不向きがあるので、こういうのが得意な人、顔の広い人はよい。でも苦手は人は多い。そもそも、共済の契約をバンバン取りたくて農協に入った、というような人はもの凄く少ないはずだ。

JAというと、仕事のやり方が役所的であるとか、怠惰だとか、無駄が多いとか、とにかくいろんな悪口を言われていて、それらは「民間企業的な意識がない」と集約できると思うが、私はそれは間違いだと思う。事実、共済のノルマ達成に関しては民間企業なみの厳しさがあり、熱心さがあり、組織的一体感(?)がある。なぜ、共済事業だけ「民間企業なみ」なのか?

それは、上で見たように、共済事業こそがJAの収益の主戦場だからなのである。JAも普通の民間企業と全く同じなのである。組織を維持していく利益を生むために、必死に取り組んでいるのだ。

先日の記事で書いたように、一般の人がJAの主要事業であると思っている「農産物の販売」は受託販売であるために、(手数料収入はあるけれども)基本的には農協の利益にはならない。利益にならない事業にかまけていられないのは、民間企業ならば当然である。つまり、JAは「民間企業的な意識がない」のではなく、完全に「民間企業的な意識」を持っているから農産物の販売に関してはさほど熱心ではないのである。

農協は、法律に守られて肥大化し、補助金を当てにし、本来的に怠惰な組織になってしまったと嘆く人がいる。しかし、実際はそうではない。農協も、適切なインセンティブが設定されれば必死に動くのである。私は、JA職員が共済のノルマ達成にかけるエネルギーを「農産物の販売」に振り向けるようにすれば、素晴らしい結果が待っているはずだと夢想するものである。農協は、農産物の販売を利益の主戦場にするべきだ。そうすれば農協の職員が共済のノルマ達成に苦労する必要もないし、農家にとっても喜ばしい。

先日、全中(全国農業協同組合中央会)が発表した「JAグループ営農・経営革新プラン(案)」でも受託販売ではない「契約・直販」への支援を強化することを謳っており、それはいいことだと思うが、より踏み込んで欲しいというのが私の期待である。すなわち、共済事業の利益をあてにしなくても、農産物の販売で利益を生み出せるよう制度を変更することが必要ではないだろうか。

2014年3月7日金曜日

恵比寿とクジラの関係

今、南さつま市では、クジラ関係の観光振興に力を入れている。先日は、クジラをテーマにしたお土産コンテストまで開催され、とも屋さんの「くじらのおひるね」というお菓子が大賞を受賞した。

こうして、クジラに力を入れているのは「くじらの眠る丘」というクジラの骨格標本を展示する施設ができたからなのだが、自分としては、ただ骨があるというだけでは観光資源としての深みに欠けるような気がして、もう少し歴史や文化まで掘り下げてクジラをアピールすることができないかと思っている。

【参考】南薩の捕鯨と「くじらの眠る丘」

というようなことを考えていたら、ふとクジラと恵比寿信仰には関係があるのではないかと思いつき、少し調べてみた。南さつま市でも笠沙に「笠沙恵比寿」という恵比寿信仰をモチーフにした施設があるのを始め、恵比寿信仰は盛んだった。その祠があるところが、どうもクジラが見られる浦に当たっているような気がして、関連性が気になったのである。

結論を言うと、恵比寿信仰とクジラには深い関連があり、中山太郎という明治時代の民俗学者は「ゑびす神異考」という論考を著して、恵比寿信仰の源にはクジラへの信仰があるのだ、という説を唱えているくらいである。ただこれは少し牽強付会なところがあって、信憑性はイマイチと言わざるを得ない。

だが、北関東以北の地域では、クジラやサメといった大型の海棲動物を「えびす」と呼んできた地域が多い。 これは、クジラやサメが小型の魚を追い込んで沿岸に大量に連れてくるため豊漁になることが多く、豊漁をもたらす有り難い存在として「えびす」と呼んだのだろうとされている。恵比寿信仰とクジラには確かに関連があるのである。

ただし、西日本ではクジラと恵比寿信仰に関連があるという明白な証拠がないようだ。西日本の沿岸での恵比寿信仰は、海岸の石とか珍奇な漂着物とかを依り代(よりしろ)にして豊漁を願うものが多く、東日本のそれとは少し違っている。こうした自然発生的な民俗信仰は地域ごとの差異が大きく、そもそも信仰の淵源を求められるものではないが、残念ながら西日本ではクジラと恵比寿信仰の関係は遠い。

しかし今回少し調べてみて思ったが、恵比寿信仰というのはなかなか奥が深い。漁民の豊漁や安全を願う心が具現化されたのが恵比寿という存在であることに疑いはないが、他の神格や神話を取り込み、習合を繰り返し、恵比寿は複雑な神に発展して行った。だが生活と仕事に即した素朴な願いが託されている存在であるから、決して大仰な力(例えば国家安泰とか)を持ったりせず、それが司るのは商売繁盛といった身近で現世的なものだったのである。

そういう点は、稲荷信仰、八幡信仰、熊野信仰といった民間信仰がみな共有していたところでもあるが、恵比寿信仰が特異的だったのは、信仰に中心らしい中心を持たず、常に意識が海の彼方へと向かっていたというところである。稲荷信仰なら伏見稲荷、八幡信仰なら宇佐八幡、熊野信仰はそのままずばりで熊野が中心だ。だが恵比寿信仰は、兵庫県の西宮神社というのが総本社とされているが、各地ではそれが意識されていなかったようだ。

恵比寿信仰は、神話の及ぶところにない、庶民と海の間から澎湃と沸き上がった信仰である。そういう正体不明の存在だからこそ面白い。いつか機会があったら南薩の恵比寿信仰についてちゃんと調べてみたい。

【参考資料】
えびす信仰事典』1999年、吉井良隆 編