2014年10月17日金曜日

アラブの農業革命——柑橘の世界史(7)

ヒシャーム宮殿のモザイク「生命の樹」
7世紀、中東と地中海世界は、突如としてアラブ人の時代に入った。イスラームの興隆が始まったのである。

アラビア半島の片隅で生まれたイスラームの共同体は、もの凄い勢いで周囲を飲み込んでいった。既にササン朝ペルシアやビザンツ帝国は老いた国となり往時の面影はなく、中東では、新たな秩序が求められていたといってもよいかもしれない。そこにうまい具合に現れたのが、イスラームという清冽で簡素な教えだった。

イスラーム勢力が、どのように地中海世界の覇者となっていったかを詳しく述べるのはやめにする。ひとたび広大な版図を支配したイスラーム帝国が分裂し、地方王朝が乱立していく経緯も、柑橘の世界史の観点からはさほど重要ではない。ここでは、西アジアから北アフリカ、スペインに至るまでの領域がイスラーム文明によって共通の基盤を与えられ、一つに繋がったということが重要である。8世紀から15世紀ごろまで、地中海の南側はイスラーム世界だった。

そしてこのイスラーム世界において、アラブ人たちが愛した果物がレモンである。 といっても、付け加えなければならないのは、アラブ人たちがその血として肉として愛した果樹というのは、なんといってもオリーブとナツメヤシだ。アラブ人たちは、オリーブとナツメヤシの育たない地域には、ついに国家を作ることがなかった。つまり、いわばこれらの果物が主食として愛された果物であるとするなら、レモンは嗜好品として愛された果物だった。

どうしてアラブ人たちはレモンを気に入ったのだろうか? その理由はよくわからない。というより、別にアラブ人たちはことさらにレモンだけに執心していたわけでもなさそうだ。なにしろアラブ人たちは果物に目がなくて、レモンだけでなくザクロ、ブドウ、バナナ、イチジク、メロン、サワーオレンジ、マルメロ、ナシ、リンゴなどたくさんの果物を楽しんでいた。とはいってもイスラーム世界において、レモンの栽培が広範囲に伝播し、その利用も様々に工夫されたこともまた事実である。なにしろ、レモンは『クルアーン(コーラン)』に出てくる「楽園」にある樹木と見なされることさえあった。

もちろん、栽培や利用の技術が発達・伝播したのもレモンだけではない。8世紀から11世紀は、イスラーム世界で農業技術が長足の進歩をなし、また様々な栽培植物が各地に伝播していった。この時代の農業生産性の向上を「アラブの農業革命」と呼ぶ人もいる。

例えばアラブ人たちが地中海世界に伝えた重要な作物だけを挙げても、稲、硬質小麦(強力粉を作るコムギ)、サトウキビ、棉、ソルガム、バナナ、ココナッツ、メロン、マンゴー、ほうれん草、タロイモ、アーティチョーク、ナスといったものがある。インドやアジアにあった作物を、貪欲に取り入れて各地に伝播していったことはイスラーム文明の大きな功績である。

これはもちろん、地中海南岸から中東、西アジアという広大な領域がイスラームという共通の文明に支配され、人や物の流通が盛んになったことによる。その上ムスリム(イスラームの信徒)には、一生に一度はメッカに巡礼することが推奨されており、まさにこのために人の行き来が盛んになった。以前も書いたように、作物の伝播にはただ種や苗が運ばれていくだけでなく、人の移動が不可欠である。巡礼をきっかけにした旅が新たな作物の伝播に寄与していたのではないかと思う。

また、農業技術や理論の面の進歩も著しかった。土壌論、土壌の改良、水利・水質論、肥料論、病害虫の防除といった現代の農学と同様の体系が構築された。栽培技術においては、特に商品作物となる園芸野菜と果樹について集約的な管理方法が開発された。こと果樹に関しては、植え付け、接ぎ木・挿し木、剪定、灌漑など現代の果樹管理と変わらない技術が既に用いられており、10世紀においておそらく世界最高峰の水準に達した。

イスラーム世界の中心である中東や北アフリカは半乾燥地域が多かったために、灌漑技術はことさら優れていた。古代イラン文化から引き継いだカナート(灌漑用のトンネル)やメソポタミアの水利技術を踏まえ、運河・隧道を開削し灌漑システムを作り、植物栽培における水管理を徹底した。これはまさに、年間を通して適切な降雨を必要とする柑橘類の栽培にはうってつけのものであった。

ところで、こうしためざましい成果を上げた園芸農業・果樹産業と違い、小麦や大麦など穀物の生産性はそれほどでもなかった。広大な農地に灌漑を行うことは無理であり、イスラーム世界の穀物栽培は天水(雨)に依存するものであった。地中海では冬にある程度の雨が降るが、穀物はその降雨に頼った栽培であったので、たまたま雨の少なかった年には収穫が激減する時があったようだ。であるからこそ余計に、都市近郊の集約的な園芸農業・果樹産業に力が入ったに違いない。博打的な穀物生産と、集約的で安定した園芸・果樹の2本立てがイスラーム世界の農業だった。

このイスラーム世界で、レモンを中心とした柑橘類はそれまでと違った歴史を歩むことになる。地中海世界では、それまで珍奇な香料や薬品でしかなかった柑橘が、食生活の中心に躍り出たのである。

【参考文献】
『イスラーム世界の興隆(世界の歴史6)』2008年、佐藤次高著
『イスラーム農書の世界』2007年、清水宏祐著
"Lemon: A Global History" 2012, Toby Sonneman

0 件のコメント:

コメントを投稿