アッサム州の位置 |
オレンジやレモンのイメージがアメリカの柑橘産業と結びついていることもあって、柑橘の原産地は西欧のどこかだと思われがちだ。しかし柑橘の世界史はインドから始まる。インドと言っても、ヒマラヤの麓、ブータンの近くのアッサムあたりである。東へ少しいけばミャンマーがあり、北へ行けば中国に至る、そんな場所である。
このアッサムの山地に柑橘の原種はあった。といっても、柑橘類全ての母となる特定の植物がアッサムで見つかったわけではない。このあたりには驚くほど多様性に富んだ野生の柑橘が産していて、世界中のどんな柑橘でも、ここで似た野生種を探すことができる。そのため、おそらくこのあたりが柑橘のふるさとであったのだろうと推測されているのである。
であるから、インド文明は相当に古くから柑橘を知っていたはずである。しかしながら、古代インド人たちは、柑橘を積極的に利用しなかったようだ。紀元前800年ほどに成立したヴェーダ(バラモン教の聖典)の一種Vajasineyi Samhitaに柑橘の記載があるというが、多くの文献で出てくるわけでもないし、柑橘が宗教儀礼にも用いられた形跡がない。
さらに時代を下って仏典を見てみる。仏典では、様々な植物が言及されているが、ここでも柑橘の記載はほとんどない。唯一、ナガエミカン(wood apple)が知られているだけである(※1)。時代が更に下って仏教が東漸してゆくと、それに伴ってシトロンの一種である仏手柑が寺院に植えられるようになるようだが、これは古くからの風習が伝播していったというより、仏教が形骸化・形式化していく中で、仏手柑の象徴性が珍重されたものと思われる。
つまり、インドの人びとは古くから柑橘を知りながら、これをさほど重視しなかった。ではどのような果物を重んじたかというと、バナナやマンゴーといった甘味の強い熱帯性のものであった。そもそも、インド亜大陸の熱帯の気候と柑橘の相性はよくない。柑橘は、年間を通して適切な降雨が必要であり、雨季と乾季が明確に分かれているような気候の下では栽培が難しい。おそらく、古代インド人が柑橘を重んじなかったのは、インドの多くの地域で栽培が困難であり、またこれよりも美味しい熱帯の果物に恵まれていたからに違いない。
だが、アッサムで細々と利用されるに過ぎなかった柑橘も、ずっとそこへ留まっていなかった。稲作が東漸してやがて日本へも伝わったように、東南アジアへ、そして中国へとかなり早い段階から広まっていくのである。憶測に過ぎないが、おそらくこの伝播は稲作と同じくらい歴史が古い。
柑橘をアッサムから東南アジアへ、そして中国へと伝えた人びとは、後に彝族(イ族)、と呼ばれる民族であると考えられている。現在では南東チベット、雲南省、四川省などに居住している中国の少数民族である。とはいえ、歴史以前のことであるため、彝族が柑橘栽培の伝道者だったのかどうかは正確には分からない。しかしアッサム地域が、山地に大きな川が流れる温暖湿潤な稲作地域であることを考えると、彝族のような稲作農耕民が稲作と共に柑橘の栽培も各地へ伝えていったことは確かなことと思う(※)。
今でこそ北海道でも稲作ができるようになったが、それはごく最近の現象であり、稲作は南方の農業であった。特に、亜熱帯の長粒種による稲作はそうである。柑橘も霜を嫌い、温暖湿潤な気候を好む植物であるから、栽培に好適な地域は稲作地域とほとんど重なっていたはずだ。逆に、乾燥地・寒冷地の農業の中心は麦作になるが、インドの南の方や中国大陸の北の方など、麦作地域には柑橘栽培は伝播していかなかった。
これは柑橘や稲作だけでなく農耕全てに通じる伝播の一般則だが、農耕というものは南北には伝わらず、気候が似た東西に伝わっていくものである。インドのアッサムに始まった柑橘はまずは東へ進み、東南アジアを通って中国の南部、雲南省や四川省へと広がっていくのである。
【参考文献】
『栽培植物と農耕の起源』1966年、中尾佐助
『Odessy of the orange in China: Natural HIstory of the Citrus Fruits in China』1989年、William C. Cooper
『仏典の中の樹木—その性質と意義(2)』1973年、満久崇麿
『ヒマラヤ地帯と柑橘の発現』1959年、田中長三郎
『The Exotic History of Citrus』2012年、Patrick Hunt
※1 参考資料『仏典の中の樹木』では、ナガエミカンの他にベルノキ(アップル・マンゴー)もミカン科とされているが、これは近縁種だけれども正確にはミカン科でないから除外。
※2 稲作の起源は中国南部とされているが、イネ自体はインドが原産であると考えられている。イネも古くからインドに産しながら積極的利用がされず、東漸して中国に至って栽培が確立したのである。
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